気分転換に書きました。
出張で気が滅入る。
「くぎみーくぎみー。ね、桜通りの話聞いた?」
「聞いた聞いた!また出たんだってねー吸血鬼。つかその呼び名ヤメロ」
「それがさ、驚くなかれ今回の目撃者ってゆーのがーーー」
朝も早くから女学生の姦しい話し声に、なんとはなしに平穏を感じ、ふん、と脱力を含んだ息が鼻から漏れる。
当代風の衣装に身を包み、さる暗殺(未遂)者とどこぞの判官若武者が周囲をそれとなく観察しながら街中を歩く。きゃいきゃいと囀る少女たちと同様に学舎へ向かった主人の護衛を今し方終えたところである。
マスターともどもカルデアより、いや、元いた世界よりこの地へ転移してまず行ったことは、自分たちの存在の隠匿と周辺の地理の調査であった。
その結果、ここが西暦にして21世紀初期の日本の地方都市であること。そして彼らの知識にあるこの時代では考えられないほどの潤沢なマナに満ちており、それゆえか、魔術師ではなく「魔法使い」やそれ以外にも「退魔師」といった神秘を扱う存在がそれなりの勢力を持ち繁栄を維持していること、などが判明した。
とにかく完全に文明社会から離れては状況の把握と打開は困難と判断し、一般人として社会に紛れて生活し、少しずつ行動を進めていこうとあいなった。
数日かけて、キャスタークラス総動員で物理的にも魔術的にも徹底して偽装し情報改竄を行い、マスターとそのパートナーである少女のこの世界での籍と経歴を得た。当分は、魔法関係者が多く在籍すると目される学園の生徒として潜り込み、状況を観察することに専念し、あまり目立つ行動は控えると決めた。
異能を扱う者といつどこで遭遇するかわからないため、サーヴァント達はそれぞれの行動範囲を限定し、察知されないようにマスターの護衛や情報の収集にあたることとなった。
1ヶ月も経つ頃には、さらに警戒を強めるべきとの意見に辿り着いた。
最初は新たな特異点もどきか、遙か神代以前より分岐した平行世界と捉えていたが、よくよく調査すると地球の構成そのものが異なっていた。
彼らのもといた世界における地球とは、その時代の最大勢力へと至った種に都合の良い物理法則ーーーテクスチャが、惑星そのものの表層に展開されているセカイだ。少なくとも西暦が千年を越える頃には、あるクサレ大魔術師曰く、「自然から独立した、自然のサイクルから離れてもなんとか自分たちだけで生きていける動物たちのもの」になっていた。
だが今自分たちがいるこの惑星には
もはや平行世界などではなく、まったくの異世界である。
あげく、魔法世界という他天体の存在である。
当面の方針として、「魔法使い」などを筆頭にこの世界の神秘には極力接触しない、というマスターの言葉に異を唱える者はいなかった。
「・・・桜通り、だったか。万全を期すならば、しばらくは夕刻以降の外出そのものを控えるべきか」
ちら、と後方の彼方を見やり呟く。
「むむ。それでは帰途につく主どのの護衛ができぬ。どうにかならないか」
「魔術使い勢が言うには、多少の工夫のみで霊体化による隠匿は有効だそうだ。こちらとは神秘の構成の違いからか、
暗殺者の言葉に若武者は、おお、と小さく喝采する。
「ならば主どのに侍るに不都合はないのだな、善哉善哉」
「護衛、だぞ。あくまでな」
ただひっそりと近くで脅威に対し警戒するのみであって、過度にスキンシップをするのは控えるのだぞと釘を刺す。己と同じ武と義を重んじながら、召還された姿に引っ張られているためか、些か幼い面を覗かせることの多い同輩に、呆れも含んだ視線を向ける。
「ぐ、む。・・・あいわかった。・・・ちぇ。」
ともに同じマスターに仕える者たちの中でも、親愛とは似て非なる複雑な感情もいくらか抱く者同士の暗黙の了解がそこにはあった。
つまりは、当面抜け駆け厳禁。
しかし主人からのアプローチは寝床を暖め全裸待機。
補足するならば、この二人のそれはおそらく常識的な意味での男女の愛情とはほど遠いものである。
敬意、信頼、あるいは忠義、盟約。
主人として仰ぎ、仕えることを誇りに思う。そこに女であるが故の選択肢が含まれているというだけのこと。求められれば応じたい、という。
そのため彼の隣は、彼を先輩と慕う少女に委ねている。
だが、おこぼれを得られるならば貰い受ける。しがらみじみた物はない。
それは、武人の衆道にも似た、突き抜けた友情であり、主従であることが前提にあるいささか歪な情欲であった。
それにしても、と暗殺者は件の噂に再び意識を向ける。
ある単語が、同輩の数名を思い起こさせる。彼らの耳にも当然、その話題は届いていた。
伯爵はさすがに己の気質を理解しており、徹底して無視を決め込むつもりのようだが。問題はもう一方の御婦人である。
「しかし吸血鬼、ねえ」
彼女が今故郷の調査に出向いていて良かったと、そのささやかな胸を撫で下ろした。
放課後に至ってなお2年A組は桜通りの吸血鬼の話題で盛り上がっていた。いささか悪ノリが過ぎる空気に辟易して、綾瀬夕英はひとり図書館に赴いていた。
本来なら図書館島へ行くつもりではあったが、不可思議な話題から逃れた先がある意味さらに摩訶不思議な場所というのも妙に思え、結局、学園に数ヶ所ある、学園関係者以外にも公開されている通常の(という表現も変だが)図書館へと足は向いた。
友人の宮崎のどかは別に用事があったため、久々に一人で本に囲まれているわけだが、たまにはこうして始終自分の都合で作品を堪能するというのもよいと、夕英は好みのジャンルのある棚を探す。
途中、ふと珍妙な光景に目が止まった。
陳列された本棚の間。かなり高い、夕英の頭よりは上まであろう脚立のてっぺんに腰掛け、その横に同じぐらいの高さに何冊もの本をせっせと積み上げる青髪の少年がいた。
明らかにモンゴロイドとは思えない、陶器じみた白い肌。ロシアから北欧にかけて多い人種と見受けられる。
さもつまらない、という表情を隠そうともせず、ぶつぶつと何事か呟き、さて、と積み上げる手を止めた。
「なにが三大童話作家か。元ネタ集めに奔走して勝手な解釈でまとめ上げただけの与太話と、創作されたものを同一にカテゴライズして語りおって」
そのなんともアレな暴言は、しかし外見とは一致しない老成した口調に聞こえた。にもかかわらず、その傲慢な態度は不思議とこの少年に似合ってもいた。
「とりあえず、あの馬鹿どもの
「ちょっと待つです」
たまらず、声を掛けてしまった。
しかし本をこよなく愛する者のひとりとして、少年の暴挙は見逃すわけにもいかなかった。
不意に掛けられた言葉に、なにお前、という表情で胡乱げにこちらを見やる姿に、内心わずかに憤慨しつつ夕英は積み上げられた本を指す。
「お子さまが本来の用途とは異なる扱いで遊ぶのは仕様がない・・・ほんとはそうでもないですが、仕様がないと諦め、ええ、諦めるです。ですが、使ったものはちゃんと片付けなさいと、ご両親に教わらなかったのですか?」
ぷんすか、お姉さん怒ってますよと態度で示し、注意する。
自分はなにも間違ったことは言ってはいない。敢えて寛容に、その児童らしい行為を受け止め、されど倫理に則った最低限の社会的常識を促す。
別に年長者を気取るつもりも教育を語る気もないが、やはりここは注意すべきであると少女は確信する。
だが少年はあろうことか真顔で、
「迷子センターは確かこの下の階だったかな」
とのたまった。
つい、口がへの字に曲がる。
「・・・わたしはこれでも14歳です」
「そうか。生憎とおれもこう見えて70を迎えていてね」
至って真面目な口調で吐き捨てる。
「重ねて言うがねお嬢ちゃん。迷子センターは下の階だ。よければ案内してやろう」
暴言である。理不尽ここに極まれり。
良識を持って優しく諭した相手に対してこの返しである。
「いや待てメンドクサいな、やはり一人で行け。分からなければ受付の人間を頼るといい。エレベーターの使い方から二足歩行の仕方まで懇切丁寧に教えてくれることだろう」
その身長ではエレベーターのボタンに届くかも怪しいしな、と続けた。
夕英としては珍しく、かなりカチンときた。
なんという礼を欠いたお子さまか、一体どのような躾をされてきたのかと思う。
「ほんとに怒りますよ―――!」
つい語気も荒くなるというもの。
そこへ、ふいに第三者の声が掛けられる
「やれ、静粛にすべき場で、いささか騒がしくはないかな」
いつからそこに立っていたのか。
少年の背後には長身痩躯の白髪の男が立っていた。
青い髪ごしに目にしたその姿は、言い表せぬ不安を覚えるものであり、俳優にも思えるほど綺麗な姿勢で佇んでいながら、さながら幽鬼の如く周囲の景色ごと歪んで見えた。
そしてふと視点を引き、白い男とともに少年を視界に収めると、奇異なことに、こちらもまた尋常ではない影に思えてきた。
空気が淀む。
ふいに、
言葉が。
息が、詰まる。
「からかい、というには嗜虐に過ぎる。貴公の悪態はすでに見慣れたものだが、そこらの童女相手では外聞に悪い。そこまでにしておけ」
威厳に満ちた古風な、あるいは堅苦しい物言いに、少年は夕英への誹謗を止め振り返る。
「おや、調べ物は終わったかい」
「ふむ、終わった、と言うよりはそもそも禄な資料が見あたらなくてな。切り上げてきた」
「だろうね。異彩極まる学園にしては、この図書館の蔵書は平凡だ。我々の求める類には縁遠い」
突如の場面転換に追いつけず固まる夕英にも頓着する素振りもなく、大男と少年は言葉を交わす。
「それではーーー帰るとしますか」
「うむ」
そこにはすでに夕英への関心などなく、視界にも入っていないのではないか、男二人は出入り口のある一階へ行くのだろう、階段のある方へと向かっていった。
「え、あ・・・」
そそくさと立ち去る異形二人を、かける言葉もうまく出し切れず、少女にはただ見送ることしかできなかった。
先ほどまでの体にまとわりつくような違和感は、すでに霧散していた。
彼女にとっての最初の邂逅はこうしてささやかに終わった。
図書館より離れ幾ばくか、家路につくも早々にサーヴァント二人は本日の遠出の成果を語る。
収穫なし、と。
「やはり、予てより話に上る図書館島に頼るべきか。マスターらには要らぬ負担を掛けることになるな」
甚だ遺憾、とばかりに大きく息を吐く。かつて領主でもあった彼からすれば、たとえ今は己の依代となるマスターであろうと民草に対し為政者たる自分が無用の負担を強いるのは気が咎めた。
もっとも、それは今回の調査がサーヴァント側についての、とりわけ彼個人が関心を向ける事柄に因むものであるためだ。もしこれが彼らを御す立場にあるマスターが負わねばならない雑務であるならば、当然の責務として仕事を与えただろう。
「まあ、あそこは二人に任せるとしよう。我々はあまりあちらさんには接触しない方が、まあ、無難だな」
それが散々に話し合ってでた結論でもあるのだから。
だがその言葉に、鬼将はあるいは、と返す。
「貴公ならば潜り込めるのではないか。今日とてこの地の魔術師どもに感知されてはいないのだろう?」
生粋の魔術師であった過去を持たず、クラス特性によっていくらか「扱えることになっている」キャスターは、されど肩をすくめる。
「・・・は。なんでわざわざ気に食わん奴のテリトリーに行かにゃならんのだ。あほらしい」
ふむ、とバーサーカーは顎に手をやり僅かに首を傾げる。
「あの類とは話が合うと見たが」
その言葉に、やめてくれ、と手を振り、
「あいつは
そう作家はボヤいた。
「そもそもあれは蒐集家だ。さっきの話じゃないが、趣向としては俺とは合わんさ」
それでこの話は終わりだとばかりに数歩前に進み、足先にあったのであろう小石を蹴った。
流石は身体能力最弱のキャスター。小石は勢いよくあらぬ方向へと飛んでいった。
たぶん続きません。