「いやあ、助かりました。本当にありがとうございます」
「いえいえ。一人で運ぶのはしんどい量でしたし」
「あはは……横着してて一回で運ぼうとしたんですが、ものぐさはいけませんね。反省します」
ちろりと舌を出してはにかむこの人は東堂刀華。昨年度の七星剣武祭ベスト4の破軍学園
両手に抱えるほどの量の紙束を運んでいた彼女を見かねて手伝おうかと声をかけたところ驚かせてしまい、かえって彼女の邪魔をしてしまうことに。
今は散らばった書類を集めてステラと一緒に生徒会室に運んでいる最中だ。
「でもまずいタイミングで顔合わせしちゃいましたかね……?」
まずいタイミングとは今日の選抜戦のことだろう。
今日、期待の新星《
一敗が命取りになる選抜戦に於いて今日の敗北は致命傷。事実上の落選だ。
妹を蹴落とした張本人がその兄である僕と顔をあわせるのは気まずかろう。
東堂さんの言葉に首を振る。
「勝負は勝負です。珠雫は全力を出しきって立派に戦いました。貴女は珠雫の全てを受け止めて、その上で破ったにすぎません。全力で応えてくれたことに感謝こそすれど、恨むことはありません」
これは僕の本心だ。
珠雫は今日まで全力を出すまでもなく勝ててしまう選抜戦に不満を抱いていた。
転じて死力を尽くせる格上との決闘を望んでいた。
……それは僕にはどうしてやることもできない望みだった。
珠雫は僕のことを本気で愛してくれていて、支えになろうとしてくれている。そのために必死に努力してBランクにまで上り詰めたくらいだ。
けれど、そんな彼女を、僕は『可愛らしい守るべき妹』としか見てやれないのだ。
もし僕が選抜戦で珠雫と当たったとしても、全力で戦いながらも心のどこかで珠雫を気遣ってしまったことだろう。
それは珠雫の望む全力ではない。それは珠雫の全力を受け止めたことにはならない。それは不誠実に向き合ったことになってしまう。
僕は珠雫の全力を受け止めるに足る存在になり得ないのだ。
東堂さんは僕には出来ないことをしてくれた。
珠雫に全力を吐き出させる敵となり、その上をいく敵になってくれた。
この経験は珠雫をさらなる高みへ連れて行ってくれるはずだ。
不甲斐ない兄として精一杯の感謝を伝えると、東堂さんはくすりと小さく笑った。
「少し安心しました」
「責められると思いましたか?」
「いいえ。その逆です。私の想像した通りの人なんだと確信できました」
どういうことか尋ねる前に、東堂さんは続けた。
「《落第騎士》改め《無冠の剣王》。私は貴方を一人の武人として心から尊敬していますから」
予想外の発言に僕のみならずステラも目を剥く。
桐原君を打倒して以来、学園内での僕の評価はそれなりに見直されている。
けれどあくまで一部での話。大部分の人は今でも《落第騎士》として僕を見ている。
どれだけ連勝しようともFランクの烙印は事実だ。伐刀者としては最弱。今までの活躍はマッチングのおかげと見られるのは当たり前のこと。
その評価は僕も認めるところだ。これだけで見返せるとは思っちゃいない。七星の頂に立って初めて、僕は誰に憚ることなく己の強さを謳えるのだから。
なのに、未だ僕を侮る人が多い中、破軍学園最強の彼女は僕を認めていると言ったのだ。
「ぼ、僕なんかを……?」
「そうです。貴方と《七星剣王》の模擬戦を見て以来、ずっと」
それにステラが少し嫌そうな顔をした。
「それってもしかして入学式直前のやつかしら」
「えぇ。ネットに投稿されていたものを見ました」
やっぱりかーとこめかみに指を添えるステラ。
アレはステラにとって胸糞悪いものとして記憶されているからね……。
というのも、初めてステラと出会ったあの日に行った模擬戦が丸々ネットに投稿されていたのだ。
あの場にいた生徒の誰かが撮影したのだろう。そこまでは別によかったのだが、この動画がネットで大炎上してしまったのだ。
何せFランクの伐刀者がAランク騎士の《紅蓮の皇女》を真正面から倒した、という内容なのだから。
ただでさえ信じがたいものなのに、その前座で歴代最強の《七星剣王》と張り合っているとなれば、いよいよ大荒れする。
それはもう凄まじい反応で、散々僕を罵倒した挙句『黒鉄家がヴァーミリオンに賄賂した』という根も葉もない憶測が
『《七星剣王》を利用してまで売名したかったのか』と学園に電話が殺到した時は流石に驚いた。
言ノ葉さんは「しょーもな」と一蹴して気にも留めなかったけれど、対照的にステラは大激怒。
「アタシがそんな卑怯な真似に手を貸すはずないじゃない!」と怒りを炎に変えて、投稿者を締め上げようとまでした。
それはなんとか抑えてもらったものの未だに彼女の中で燻っているのだろう、今でも紅い髪からチリチリと燐光が漏れている。
抑えて抑えてと訴えると「わかってるわよ」と髪を払い熱を霧散させた。
「それにしても、よくあの動画を信じる気になれたわね。ネットの奴らになんて言われてるか知ってるでしょ?」
「詳細は覚えてませんが酷い言われようでしたね。尤も、私も当初は信じられない気持ちでしたが」
「ま、それはそうよね。アタシもイッキに初めて会ったとき散々見下したこと言ったもの。アンタなんかが勝てるはずないでしょって」
だからネットの奴らに強く言えないのよね、と不満げに零した。
しかし東堂さんはそれに「あぁ、誤解させてしましたね」と首を振った。
「ステラさんとの試合はすぐに信じられましたよ?」
「えっ」
「だって八百長しているなら能力全開で挑む必要ないじゃないですか。演技の可能性もありましたけど、どうみても開幕から本気で潰しにかかってましたし。ステラさんが真剣に挑んでいたのは一目でわかりました」
「あ、あら、そう?嬉しいような悔しいような……」
肩透かしを食らった顔でがっかりと肩を落とす。
ごめんなさいと謝りながら僕に目を向けた東堂さんは言う。
「あの《七星剣王》の射撃を凌ぎきった貴方が信じられませんでした。私には
「えっ、トーカさん、ツヅリさんと戦ったことがあるの?」
ステラの質問に僕も内心同意する。
言ノ葉さんが東堂さんと戦ったなんて聞いたことがない。
学園で行えばたちまち噂になっているだろうし、というか学園にいるときはほとんど僕と一緒にいるはずだからそれはない。
ならばいったいいつ……?
が、少し考えればすぐに思い当たった。
「強化合宿ですか」
「そうです。そこで三回だけ手合わせさせてもらいました」
合点がいくと、ステラがちょんちょんと袖を引いてきた。「なによそれ」と説明を求める顔をしているので要望に応える。
「破軍学園では例年、七星剣武祭の前に代表生全員で強化合宿に行くんだよ。去年言ノ葉さんも行ってきてた」
「ふーん、面白そうね。何をしたって言ってた?」
「……『射的楽しかった』としか聞いてない」
「……相変わらずねツヅリさん」
「あはは……」
年上の女性らしい柔和な笑みを崩し苦笑いする東堂さん。その様子を見るに他の代表生そっちのけで射的に勤しんでいたようだ。
言ノ葉さんはブレないなぁ……。彼女らしいと納得できてしまえるあたり、本当にブレない。
「まぁ言ノ葉さんは唯一の一年生でしたし馴染みにくかったのもあると思うんですが、何より私たちじゃ彼女の相手になれなかったのが原因ですね」
「それでトーカさんとツヅリさんが戦ったことに繋がるのね」
「私以外の代表生とも戦いましたが……言わずともわかりますよね」
ステラが察した表情で頷いた。
七星剣武祭で見せた瞬殺劇が繰り広げられたのだろう。
「あれは本当に驚きました……。右手が光ったと思ったその時には相手が倒れていますし、何の能力も使っていないと言われたら他のみんなは怖がっちゃって……」
「誰も言ノ葉さんの相手をしなくなった、と」
「先輩として恥ずかしい限りです……」
「でもトーカさんは三回も挑んだんでしょ?」
ステラの言葉に神妙に頷いた。
「あの早撃ちは破れないと痛感させられたので、早撃ちと能力無しでお願いしてもらったんです」
「それって……」
「はい。まさに貴方が普段からやっている模擬戦と同じルールです」
「結果はどうなったの?」
急かすステラを落ち着かせるような緩慢とした動作で首を横に振った。
「
「うそ……《
《閃理眼》。それは自らの視界を遮断し知覚を鋭くすることで、相手の身体に流れる微細な伝達信号を感じ取る伐刀絶技。雷使いの東堂さんだからこそできる技だ。
脳から発せられる伝達信号は、いわば相手の偽ることのできない剥き出しの本心。相手がどういう心理状態なのか、次にどういう行動を想定しているか、その全てを把握できてしまうという恐ろしい伐刀絶技。
実際にこれを用いて鬼神の如き強さを見せつけ、珠雫を破った。
が、東堂さんはステラの驚嘆を否定した。
「いえ、正しく言えば《閃理眼》は役に立ちませんでした。なぜなら──」
「『
遮るように言えば驚きの表情を浮かべた。
「その通りです。……よくわかりましたね」
「まぁ、言ノ葉さんとは長い付き合いなので」
そう言うとなぜかステラがむすっとした表情になった。
……なんで急に不機嫌になったんだ?よくわからないが触らない方が良さげだ。
ステラの様子に気づいていないらしい東堂さんは続ける。
「彼女に繋げた瞬間『撃つ』という言葉が洪水のように流れてきたんです。そのせいで言ノ葉さんの思考を全く読み取れなくて……」
「そんなにすごかったの?」
「えっと、テレビを点けたら大音量の砂嵐が流れたと喩えれば伝わりますか?」
「……えぇ……」
思い切り顔を引きつらせたステラ。
言ノ葉さんの異次元な早撃ちについて、どうしてあの若さで
どうやらその予想が当たっていたようなのであんまり驚かなかったけれど、改めてそうだと言われると呆れてしまう。
なんて無茶苦茶な人なんだ、あの人は。
「そんな体験初めてだったので、思わず動揺しちゃってすぐやられちゃいました……」
「なら三戦目は?」
「《閃理眼》を使わず素直にぶつかりに行きました。が、結果は同じでした。手も足も出せずとはこのことです」
こうして他人から言ノ葉さんの恐ろしさを聞くと、やはり彼女は凄い人なんだなと実感するとともに、僕の憧れる人はこんなにも強いんだと誇らしく思う。
言ノ葉さんが誰かに負ける姿は見たくない。僕が彼女を負かせる唯一の人でありたいから。
……と思うのは少しワガママだろうか。
尤も、言ノ葉さんに勝てたのは何重にも手加減してもらった状態だったからであって、彼女の本気には遠く及ばないんだけどね。
またまだあの背中は遠い。早く彼女の隣に並びたいものだ。
「──ですから、言ノ葉さんの射撃を捌く黒鉄君の姿は鮮烈に映りました」
東堂さんの声で現実に意識が戻る。
いけないな。言ノ葉さんのことになるとすぐ傾倒してしまう。
「そしてあの《七星剣王》と毎日競っていると聞けば認めざるを得ません。言ノ葉さんに追いつこうとするその信念に感服しました。私はたったの三度で投げ出したから……」
「そんな大袈裟な……僕はただ憧れただけです」
東堂さんは真剣な表情のまま首を振る。
「それそのものが凄いことなんです。誰もが彼女に追いつくことを諦めたんですから。その証拠に、お二人も今日の選抜戦のときに実況の方が言ったことを覚えているでしょう」
「あ、破軍学園最強の騎士って紹介ね!」
「そうです。破軍学園の最強は間違いなく言ノ葉さんです。けれどみんなは私が最強だと言う。 これはみんなが言ノ葉さんを『例外』と見なしたことに他なりません」
あの紹介にそんな意味があったのか……。強すぎたせいで七星剣武祭から出禁を食らった人だからそう思うのも無理はないのかもしれない。
しかし、それで納得いくこともある。そんな『例外』に挑み続けるバカがいれば誰もが無駄なことをと思うことだろう。みんなが僕に向けていた奇異な目線はコレが原因だったのだ。
「私も言ノ葉さんを『例外』と見なした一人です。あまりにかけ離れすぎていて追いつけるなんて夢にも思えません。だからこそ言ノ葉さんに追いつこうとする貴方を尊敬しています」
「……そんなにヤバイ人だったの、ツヅリさんって?アタシはイッキより少し上かなってくらいに思ってたんだけど」
ステラの質問に対して、僕に気遣う視線を寄越した東堂さん。
本人の前では言いづらいだろう、代わりに僕が答える。
「それは限りなく正解に近いけれど、限りなく正解から遠くもあるかな」
「どういうこと?」
「言ノ葉さんは武の結論──零に至った人だ。それが僕と言ノ葉さんの決定的な差だよ」
武そのものに精神的な研磨も含まれるので、正しくは数多くある結論の一つと言うべきなのだろうが、それはさておき。
「零ってなによ」
「本当にそのままの意味さ。〝攻撃
「えぇっとぉ……?」
ステラがコテンと首を傾げた。子供らしい仕草が異様に似合うのは美少女だからか。
しかしこれ以上の簡単な言い方が出来ないのでどう説明したものかと思ったところで、東堂さんが口を開いた。
「剣をスウィングするところを考えるとわかりやすいかもしれません。敵を斬るためには剣を構えて、腕を上げて、振り下ろさなければなりませんよね。構えることを〝攻撃
「そりゃそうよ。体の構造的に時間のズレがあるのは当たり前じゃない。ほぼ同時にならできるでしょうけど」
「その通りです。が、そのズレを無くしちゃった人がいるんですよ」
「……嘘でしょ?」
もはや泣き出しそうな顔で僕を見てくる。
その気持ち、痛いほどわかるよ。けれど残念ながらそれが事実なんだ。
「信じられないことにね。対して僕は零の
「それであんなヘンテコな答え方をしたのね……」
「ちなみに同じように零に至った人をステラは知っているよ」
「えっ?誰?」
「綾辻海斗さんだよ。《天衣無縫》は〝防御する〟と〝攻撃する〟を同時に行う技だ。これも紛れも無い零だよ」
言ノ葉さんは先手を結論にしたのに対して《最後の侍》は後手を結論にしたため、到達点は真逆であるものの至った境地は同じだ。
東堂さんの代名詞である伐刀絶技《雷切》も零を目指した技である。尤もこちらは異能でブーストを掛けている上に零には至っていない。だからこそ生身で零に至った言ノ葉さんに畏怖しているのだろう。
ステラはなるほどと頷きどこか引っかかりを覚えている面持ちで下がった一方で、同じく聞いていた東堂さんは目を輝かせた。
「あの《最後の侍》と面識があるんですか!」
「この間に知り合う機会がありまして」
おぉ!と声を上げる。すごい食いつきっぷりだが、剣術家の間ではそれだけ《最後の侍》は偉大な人なのだ。
曰く、非伐刀者でありながら凶悪な伐刀者たちと幾度と渡り合い、これを斬り伏せた。
曰く、この世で最も非伐刀者であることを惜しまれた稀代の天才剣士。
曰く、侍の時代の終幕を飾った最後の侍。
この生きる伝説に憧れる者は後を絶たない。東堂さんもその一人なのだろう。
「どんな方でしたか!?」
「電話越しだったので外見はわかりませんが、声だけでも剣客としての凄みを感じましたよ」
そうですか〜そうですか〜!と、興奮を隠せない様子。選抜戦の時に見せた恐ろしい強さと裏腹に可愛らしい一面に思わず笑みをこぼす。
そこで入れ替わるようにステラが前へ出た。顔を見るに引っかかった骨が取れたようだ。
「《最後の侍》で思い出したわ。カイトさんは生涯をかけて《天衣無縫》を編み出したんでしょ?稀代の天才とまで言われた人がそこまでしてようやく辿り着いた境地に、どうしてアタシたちとほぼ同い年のツヅリさんが辿り着けたのよ」
ステラの疑問に、浮かれていた東堂さんが冷や水を浴びせられたように一瞬で真面目な顔に戻った。
「……確かに。結果に驚かされたせいで忘れてた。そんな早く武の結論に至れるなんて、才能だけじゃとてもじゃないけど説明つきません」
それはそうだ。零に至るためには無限に広がる小数点以下のズレを一切無くさなければならない。
事を成すために必要なのは陳腐な才能などではなく、同じことを無限に繰り返すだけの気力と時間である。
だからこそ《最後の侍》は生涯という莫大な時間を代償に零へ至った。
翻り、なぜ言ノ葉さんは彼の半生にも満たない時間で零へ至ったのか。
矛盾に満ちた疑問を前に、ステラは確信を持った眼差しで僕を見つめる。
「ねぇイッキ。アンタはもうすでに知ってるんじゃない?さっき真似事はできるって言ってたし」
ステラの尋問と共に東堂さんからも無言の圧力をかけられる。
「……鋭いね。ステラの言う通り、大体の検討はついてるよ。けど、あまりに無茶苦茶な内容だから信じられるかわからないよ」
「ここまできたら鬼が出ようが蛇が出ようが驚かないわ」
呆れることはあるかもしれないけど、と付け足す。
そこまで言うなら遠慮なく述べるとしよう。
「文字通り二十四時間、ずっと頭の中で早撃ちの練習をしているんだよ。それも一秒に何発も撃つくらいの密度でね。……意味がわからないのはわかるからそんな睨まないで」
「イッキってちょっと勿体ぶるの好きよね」
「そんなことはないんだけどなぁ……」
たしかにちょっと回りくどく説明する癖があるのは自覚しているけども。
外堀から埋めないと理解しにくい概念的なことを説明するのが多いせいだろうか。
気を取り直すことにしよう。
「東堂さんが視た大量の『撃つ』という伝達信号がまさにそれなんだ。実際に撃つのと遜色ない鮮明度で早撃ちする自分の姿を頭の中に投影する。それを一秒に何回も繰り返し、二十四時間延々と繰り返す。いついかなる時もね」
「……待ってよ。それはおかしいんじゃない?二十四時間なんて簡単に言うけど、寝てるときとかはどうすんのよ」
「どうするも何も、変わらず続けてるのさ。もちろん投影のクオリティも、繰り返す回数の密度もそのままに」
そう言うと、何言ってんだコイツみたいな顔で僕を見つめてくる。
だから言ったじゃないか、あまりにも無茶苦茶な話なんだって……。
僕だって自分で何を言ってるのか理解している。
なにせ、たった一つの動作を延々と眺め続けることに等しいのだから。
コンマ以下のズレしかない動作をひたすら見直して修正する。それを一切の休みなく続けるのだ。
一週間も続ければ気が狂うのは必然。
それがどれだけ馬鹿げた話かも承知の上。
けれどそれしか考えられないのだ。言ノ葉さんが零へ至った理由は。
「僕らは睡眠時間はもちろん食事や休憩を摂らないといけないから、実際に一日に許される活動時間は半日くらいしかない。けれど言ノ葉さんは一切の無駄なく二十四時間練習することが出来るから、僕らより倍以上の練習量をこなすことができる。加えて一秒ごとの密度も桁違いに高いから効率は更に上がるだろうね」
この理屈に従えば、僕らの言う一日の間で言ノ葉さんは何倍もの日数を駆け抜けていることになる。
これを年齢に置き換えれば、たしかに生涯に匹敵する時間を過ごしていることになる。
……当たり前の話だが、これは暫定的な計算に過ぎない。実際はどうなのかは僕にもわからない。
だが、これくらいふざけたことをしなければ辻褄が合わないのも道理だ。
発狂するような修練を何年も続けていれば気配なんて曖昧なものも見えるようにもなるだろうし、何百回も模擬戦しても一向に勝機が見えないのも僕の成長をはるかに上回る速度で彼女が成長しているからだと説明つく。
「言ノ葉さんにどうやって早撃ちしているのか聞いたら『足で歩くのと同じ感じかな』って答えたよ。彼女にとって撃つことは人間が産まれ持っている身体機能を使うのと何ら変わらないんだ。僕らがどれだけ熟睡しても当たり前のように心臓を動かしているのと同じってことさ。そうなるくらいまで体に刷り込んだんだろうね」
「何よそれ……一体どんな神経してればそんなこと出来るのよ……」
「それは僕にもわからない。ただ一つ言えるのは、彼女の言う〝
宣言通り驚かず、代わりに呆れ果てた様子のステラ。
留学先を破軍学園に決めたのは《七星剣王》になった言ノ葉さんの言葉に共感したからだと言っていた。
その言葉は僕の道標にもなっているからよく覚えている。
『異能がなくとも頑張り次第で何とかなる』
記者の質問に淡々とそう答えた言ノ葉さんの姿を一生忘れることはないだろう。
威風堂々たるその佇まいこそが、僕の憧れた理想に他ならないのだから。祖父は過去の
「黒鉄くん、貴方は……」
東堂さんはどこか憂いを帯びた表情で僕を呼んだ。
思わずといった様子で、本人も僕が顔を向けて初めて声を漏らしたと自覚したらしい。一瞬言葉を宙に彷徨わせた後、控えめな声音で尋ねてきた。
「そこまでわかっていながら、それでもなお彼女に挑むと言うのですか。彼女との距離を縮めることは不可能なようなものだとわかっていて、それでも届くと思えるのは何故ですか」
東堂さんには僕が奇妙な生物のように見えているのだろう。その問いに一切の揶揄はなく、ただただ不思議そうだった。
するとステラも強い視線を送ってくる。
深刻な話を聞く面持ちをされても、万人を驚かせるような大層な理由なんて無い僕としては困る。
そんな気持ちを暗に言うように何気ない口調で答えた。
「言ノ葉さんは僕の憧れですから。そんな彼女に『キミなら出来る』って言われたら、そりゃあ目指したくなりますよ。彼女と同じ世界を見てみたい。ただそれだけのことです」
そして何より、誰もが認めるほどの強さを手に入れた求道者。
器用貧乏な僕が夢見る理想を実現させたような人なんだから。
東堂さんはふっと微笑みをこぼすと目を伏せ「やはり貴方は只者ではありませんね」と呟いた。
その呟きをかき消すように続けた。
「そんな貴方を見込んで折り入ってお願いしたいことがあります」
「僕に出来る事なら喜んで」
快諾に莞爾と笑った東堂さんは言うのだった。
「親睦を深めるのも兼ねて、奥多摩に巨人探しに行きませんか?」