銃は剣より強し   作:尼寺捜索

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22話

 一輝と刀華の決闘が決められた翌日の晩。

 

「……うん。大丈夫だよ。迷惑かけてごめんね。電話ありがとう」

 

 綴は通話が切れたのを確認してから何度目かわからないため息を吐いた。

 

 一輝との熱愛報道をでっち上げられてからというものストレスが絶えない。

 学園ではその話題で持ち切りで、同級生から遠巻きに腫物を扱うような目線を投げかけられる生活だ。

 しかもわざわざ本人がいる場所でヒソヒソと話すものだからタチが悪い。

 

 一輝に後を頼まれていた刀華が掛け合ってくれたお蔭もあり黒乃がしばらく授業に出なくても良いと気遣ってくれたが、それはそれでデマを認めたから泣き寝入りしたように見える。

 だから意地でも授業に出ているけどストレスは溜まる一方という嫌な板挟みに遭っていた。

 

 それに両親にも大きな迷惑を掛けてしまったのも大きい。

 

 あの報道があってから引っ切り無しに家にマスコミが集まっているらしいのだ。

 綴本人が公に出てしまうとデマだと判明してしまうので、両親という間を挟み記事の見た目を整えようとしているのだ。昔からある印象操作の典型である。

 そんな中こうして電話を寄越してくれる母に頭が上がらない。

 

 そして親友のみに飽き足らず身内にまで手を出した赤座ないし黒鉄家に殺意にも似た怒りが湧く。

 地の果てまで追いかけて泣き死ぬまで泣かせると固く決意した。

 

 

 一輝が連れていかれてから静かになったチャイムが久しく鳴った。

 もう日が沈んだというのに誰なのだろうか。ひとまずマスコミ関連者じゃないのは確かだ。

 かなり鬱屈とした気分なので誰かを確認だけして居留守してやろうと思いドアホンを見に行くと、そこには意外な人が立っていた。

 

「……珠雫さん?」

『遅くにごめんなさい。お兄様のことについて、少し相談があるんです』

 

 マイク越しの彼女の声は今にも消えてしまいそうなほど弱っている。

 例の件以来知り合いとは誰とも顔を合わせていなかったのだが、向こうは向こうで何かあったのだろうか。

 

 ともあれ、居留守を使うつもりが思わず応えてしまったので、気分が乗らないが迎え入れることにする。

 それに一輝についてと言われれば気になるものだ。

 

 珠雫を入れて席に座らせ、麦茶を入れて簡単な場を作ってから話を促した。

 それまで俯きがちに黙っていた珠雫は口につけることもないコップを両手で握りながら、言葉を選ぶように話し始めた。

 

「先程、生徒会長に呼び出されたんです。お兄様の選抜戦の相手が急遽変更されて、生徒会長と戦うことになったと。それが全て奴らに仕組まれた陰謀で、お兄様はそれに乗らなくてはならない状況まで追い込まれていると……」

「別にいいんじゃないかな?選抜戦で当たらなかったとしても七星剣武祭で当たってたかもしれないんだし」

 

 それが奴らの策略だったとしても関係はない。倒すべき敵と戦う時期が少し早まっただけの話だ。

 一輝なら刀華をも打ち倒せる。そう信じて疑っていない綴は深刻に受け止めなかった。

 

 しかし実際はもっと悪辣だ。

 

「それがお兄様の全力を出せる場であるなら、私もそう思ったでしょう」

「……どういうことかな」

「お兄様が連盟日本支部で選抜戦を続けているのは知っていますよね。試合のジャッジに不正がないか確かめるために折木(おれき)有里(ゆうり)先生──私たちの担任の先生が随行してくださっているんです。ですが先生が言うにはお兄様の体調は尋常ではなかったようで、すんなり勝てちゃうのが不思議なくらいだったそうです」

「なるほど、そういうことか」

 

 そこまで言われれば被害者である綴は察される。

 確実に奴らの仕業だ。何をされているのかはわからないが、どうせロクでもない嫌がらせをしているに決まっていた。

 

「そんな状態でも、黒鉄君は絶対に戦いの場に上がってくる。たとえ()()()()()()()()()()

「……生徒会長もお兄様を殺してしまう可能性があったとしても全霊で打ち倒すと言っていました。だからこそ、お兄様を止めて欲しいと、家族である私が声をかければお兄様が思い留まるかもしれないと」

 

 話が見えてきたが、なんとも胸糞悪い話だ。

 

 一輝はレールの先が崖になっていると知っていても突っ走らなければならない立場にある。七星剣武祭に優勝しなければ騎士としての人生を歩めないという制約も助長している。

 一輝にとって逃げるという選択肢は初めからないようなものだ。

 

 しかもどっちに転ぼうが奴らにとっては同じ。

 死んでくれれば良し。負けるも良し。敵前逃亡なら悪評に箔が付く。騎士の権利を剥奪出来れば万々歳なのだから。

 吐き気がするほど見事な出来レースと言う他ない。

 

 親友の往く道が悪意によって歪められることにどうしようもない苛立ちを覚える。ようやく報いの兆しが見えてきたと思った矢先にこれである。

 もともと気分が悪かったのもあり見るからに不機嫌になる。

 

 その気持ちを分かち合う珠雫は沈痛な面持ちで語る。

 

「……私は、お兄様を止めたいと思っています。お兄様は十分すぎるほど頑張りました。これ以上お兄様に傷ついて欲しくないんです。それが奴らの思惑通りの結果だったとしても、お兄様の未来が潰えるのだけは我慢ならないんです」

 

 掛け時計の秒針がいくつか進んだ後に、珠雫はポツリと呟いた。

 

「だけど、そう思っているのに、お兄様を止めることを躊躇ってしまうんです。もしお兄様を止めたとしても、その先のお兄様を支えきれる自信がないんです。

 どれだけ親身になったとしても、私とお兄様は生き方が違いますから、情熱を失う苦しみを本当の意味で理解することは出来ないんです。

 お兄様の苦しみを肩代わりすることもできない人が止めろと言うのは、あまりにも無責任な気がして、私は……」

 

 母親としても、妹としても、友人としても、恋人としても、兄を愛してあげられる。

 

 けれど、同じ道を歩む騎士として兄に寄り添うことは出来ない。

 兄が費やしてきた情熱に相応しいモノを持ち合わせていない。夢を諦めた後でも兄が笑顔でいられるような何かを持っていない。

 

 一輝の幸せを切に願うからこそ、珠雫は兄を止める決心がつかなかった。

 本当にここで止めてしまっていいのか。止まったその先の人生を、兄は笑顔で生きていけるのだろうか。

 答えは否だ。きっと笑みを浮かべることは出来るだろうが、それは中身が空っぽな虚しい笑みだろう。

 

 そんな笑みを浮かべる兄を、珠雫は知っていた。

 実家にいたとき一輝は自分に微笑みかけてくれることはあっても、自分のために笑うことなんて一度もなかった。

 

 だからこの学園で兄と再会したときには驚いたものだ。兄が自分自身のために笑っていたのだから。

 同級生の女性を紹介しているというのにまるでヒーローを語るように誇らしげに話す彼の顔は今でも鮮明に思い出せる。

 

 その笑顔を取り上げることが、どうしてもできなかった。

 

 珠雫は悔し涙を忍んで頭を下げる。

 

「お願いです、お兄様に笑顔をくれた人。どうかお兄様に声をかけてやってくれませんか。止めるも勧めるもお任せします。どうか……」

 

 綴は眉間に皺を刻み口元に手を当てて黙りこくる。

 

 綴は考えていた。それは珠雫自身が言った方が良いのではないかと。

 仮に綴が一輝の背を押し一輝が帰らぬ人となったら、その時珠雫は納得できるだろうか。

 綴なら絶対納得しない。どうして自分で止めに行かなかったんだと死ぬほど後悔するだろう。

 

 赤の他人に判断を委ねるということは自分の責任を放り投げるということ。

 事の顛末がどうなっても知らないと目と耳を塞ぐことだ。

 

 珠雫もそれを承知で頼んでいるのだろうが、少し早計なように感じた。

 しかし彼女は聡い。十分に悩み、それでよいと決断してこの場にいるのではないか。

 

「後悔はしないかい」

「しません。お兄様にとってそれが最善だったのなら納得します」

 

 あくまでも自分より兄を優先するということか。

 少し間を置き、考えをまとめるように瞑目してから口を開く。

 

「……珠雫さんの言いたいことはわかった。そういうことならボクも力を貸そう」

「ありがとうございます」

「ただし、ボクがするのは声をかけることだけだ。止めることも勧めることもしない。彼の道は彼が決めることだ。それに口は出さない。それでもいいかな」

「構いません。言ノ葉さんの思うようにしてください」

 

 了解の頷きを見せる。

 そしてちらりと物憂げな眼差しを浮かべた。

 

「ごめんね。珠雫さんとしては止めて欲しいだろうに……」

「それは……多少はありますけど、私が言える立場じゃないですから。きっとお兄様もあなたの言葉の方が決心がつくでしょうし」

 

 自嘲気味に溢した最後の言葉は珠雫の隠れた本心を覗き見させた。

 その正体こそ掴めないが、放っておくと彼女に良くないものが溜まると直感した。

 先程から珠雫の目に弱々しい光がチラついているのも気になった。

 

 綴は珠雫の両手に手を重ねる。

 

「言ノ葉さん……?」

「気持ちはわからなくもないけど、黒鉄君は自分の道は自分で決める人だからボクが言っても珠雫さんが言っても変わらないさ」

「……そうでしょうか」

「そんな卑屈になることでもないでしょ。何か気になることでもあったの?」

 

 半ば確信を持って尋ねられたことにより、綴に内心を悟られたことに気づく。

 居心地悪そうに体を縮こませコップを覗くと、水面に映る自分の顔はグラグラと揺れていた。

 

 誰にも打ち明けなかった心を言うべきか、言わないべきか。

 普段なら言わずに済ませるはずが、この時だけは驚くほど簡単に口が軽くなった。

 

「少し不安なんです。ひょっとしたら私はお兄様にとって要らない存在なんじゃないのか、と」

「……え?」

「お兄様のために何かしてあげたいのに何もできない自分が悔しくて……。お兄様の役に立てない私なんて、いてもいなくても────」

 

 言い終わる前に綴が珠雫の頭をすこーんとはたき落した。

 あまりにアホなことを言っているので、つい手が出てしまった。

 

 僅かに呆然とする珠雫に、呆れた声音で言う。

 

「今初めてキミが黒鉄君の妹なんだなって思ったよ。変なところで変に考え込むよねキミら」

 

 我に返った珠雫が何か言う前に声を重ねる。

 

「キミ自身が納得してないのなら納得できるように自分を変えなきゃダメだろう。キミにしか出来ないことがあるはずだ」

 

 珠雫は自分に対する自信を失ってしまっていたのだ。

 兄を支えたいと公言している反面、実際は兄の心の大部分を支えているのは綴だ。

 

 ズルいと思った。自分がいない間に心の隙間に付け込んだように見えた。

 ぶっちゃけ一輝が初めて綴の名を出した時の顔を見て、殺意が湧くほど嫉妬した。

 

 だが認めるしかなかった。

 兄の心を支えるに相応しい人なんだと。

 もし兄の心が傷ついていなくとも同じような結果になっていたと。

 

 一輝をして『あの人の練習量には敵わない』と言わしめたほどの努力を積み重ねた女だ。

 一輝の戦っている土俵で全国の学生騎士を相手に勝利した女だ。

 周りが次々と見捨てていく中唯一見捨てずに手を差し伸ばした女だ。

 兄の尊敬の的になるのは当然のことだった。

 感謝こそすれ妬むのはお門違いなのだ。

 

 だから兄の心に対する嫉妬は封印した。

 けれど綴の心に対する嫉妬は封印できなかった。

 

 珠雫も他の人より遥かに努力してきたが、一輝のような修羅にはなれなかった。

 励む兄に相応しい妹になる覚悟はあるのに、心が付いて行けなかった。

 お兄様は特別なんだと、どこかで区切りをつけてしまっていたのだ。

 

 それをこの女は当然のようにこなしているのだ。それも兄の先を行く形で。

 なんでこの女に出来て自分にそれが出来ないのかと自分が許せなかった。

 

 その嫉妬を表に出さないのは綴に感謝している心は本当だからである。

 嫉妬の嵐は今にも封を食い破ろうとしているが女の矜持にかけてそれを抑えた。

 

 何か一輝の妹として胸の張れるものはないかと焦ったところでの刀華による惨敗だった。

 それが珠雫の自信を決定的に叩き壊した。嫉妬すら萎えさせるほどの衝撃だったのだ。

 

 萎えた反動は大きくある種の達観に浸っていた。

 珠雫の口を割った正体はこれだった。

 

 尤も、綴は珠雫の立場を奪っている実感を覚えていただけで珠雫の気持ちの表面程度しか察せていなかった。

 それだけ珠雫が上手く隠していたということだが、何にしても奇しくも核心を突く叱咤をした。

 

「もしそんな投げやりな気分で話を持ってきたんだったら考え直した方がいい。いくら黒鉄君を優先してもキミ自身の心がもたないよ」

「……私は……」

「まぁ、黒鉄君の不調を聞いて心配になったからキミの頼みが無くても行くことにしたけど、キミはどうするの?」

「そう、ですね……。もう少し考えてみます。夜分遅くに失礼しました」

 

 そう言い珠雫は静かに退室した。

 後味の悪い空気が残り堪らずため息を吐き出す。

 

 赤座が来てからというもの何もかもがメチャクチャになってしまった日常。

 その決着がつくのは明日。一輝の背に全てが委ねられた。

 

 深く自分を追い詰めていなければいいのだが、もし悩んでいたならそれを解消してやるのが自分に出来ることだろう。

 

 念のための準備としてクローゼットを開けたのだった。

 


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