今年に入ってから……というより、選抜戦が始まってからというもの、やけに苛つかされることが多くなった。
合宿所の噂を確かめに行った時に襲ってきた岩人形を契機に、あのクソ忌々しい新聞騒動が起こったり両親を傷つけられたり。
このうちの大半が平賀玲泉のせいなんだが、ひとつある種の予感がよぎった。
「なんで父さんの居場所がわかった?」
「え、まず最初に聞くのがそんなことなの?」
「いいから答えろ」
ふーん。まぁいいけど。といちいち人の神経を逆撫でする相槌を挟みながら父さん越しに平賀が答える。
「キミ、六次の隔たりって言葉を知ってる? だいたいそれで片が付くんだけどさ」
「知らないな」
「だろうねぇ。今の時代、一般人のプライベート情報なんて誰でも調べ尽くせるってのに、そんなナンセンスな質問してくるような人だもんね。キミ。そういう抜けてるヤツだから《魔人》なんて吹っ切れた存在になっちゃったのか、ただのバカなのか、親の顔が見てみたいもんだね」
嘲りの言葉を吐きながら母さんの首を絞める左腕を更に上へ傾ける。母さんの顔がみるみるうちに蒼くなっていく。
「簡単に言っちゃえば『知り合いの知り合い』ってのを六回くらい繰り返せば世界の誰とでも関係が繋がるってこと。だから世間知らずのキミですら、知り合いを辿ればどっかの国の大統領とか総書記にも繋がるってことさ。まぁ、月影と繋がりがある時点で誰とでも繋がると思うけどね」
「……それがなんだって言うんだ」
「おいおい、鈍いヤツだなぁキミは。ボクの糸で適当な誰かを操っちゃえば、いずれかはキミの父さんの知り合いに辿り着くってだけの話だよ」
「そんなことはわかってる。問題はそれをするには途方も無い糸の長さが必要だろう。県を乗り越えるくらいじゃない。国ひとつ股にかけるくらいの長さ、オマエはそれをどうやって用意した」
ボクの質問に、平賀は父さんの首をこてんと傾けさせた。
「どうやっても何も、ボクそれくらい簡単に出来るよ? 国ひとつなんてケチな単位じゃない。それこそ世界の隅々まで糸を張り巡らせられる」
そう言うと空いている右手を掲げ、指の先端から網目模様に広げた糸を伸ばして見せた。
「そこらへんの国の重鎮たちを操っちゃえばあら不思議、世界中のあらゆる情報がボクに集まるって寸法。いわゆる
確か東堂先輩が言うには平賀のような《鋼線使い》は50mも伸ばせられれば一流と言われていたはずだ。岩人形を操っていた時点でそれを遥かに上回っているが、コイツの言い分だとアレも序の口だったと言うことか。
さすがにここまでぶっ飛んだヤツがまともな伐刀者だと思えない。それはつまり……
「オマエも《魔人》だったのか」
「その通り」
「ならオマエは寧音の言うところの刺客ってヤツか」
「それは違うなぁ。ってか、人の話聞いてる? 最初に言ったじゃん。ボクはただのメッセンジャーだって」
「ボクを裏切った月影の言葉を素直に聞くと思ってるのか?」
「裏切ったのはボクなんだけどね」
「知るか。オマエをメンバーに選んだのは月影だ。それが原因でボクは被害に遭ってるんだ。責任は取ってもらう」
すると平賀はキョトンと反応に間を空けた。
「コイツは驚いた。相手はこの国のトップなんだよ? 見境ないねぇ。ここまで真っ直ぐだなんて、素でびっくりしちゃった」
「御託はいい。どうせマスコミを裏から操っていたのもオマエと月影なんだろ。二人まとめて始末すれば話は済む」
「アハ アハっ。ついでに殺される総理カワイそー。まぁ、それはそれで面白いし自業自得だから放っておくけど!」
何かごちゃごちゃ言ってるがどうでもいい。今ボクにとって重要なのは二度に渡って身内を傷つけた目の前のコイツをぶちのめすこと、ただそれ一つだ。
それ以外は無視だ。その一点が決まれば、後は突き進むだけだ。
「おっと、顔が怖いことになってるけど……コレ、忘れてないかな?」
そう言って母さんを盾にするように前面へ押し出す。相変わらず射線は開かず、抜け目のなさに苛つかされる。
「よく知ってるよぉ。キミは何があっても絶対にこの人たちを優先するんだろ? このお父さんを随分慕ってるみたいだもんねぇ。吐き気がするくらい幸せそうな記憶がお父さんから伝わるよ」
「チッ」
「素直に聞いてくれて助かるよ。一旦落ち着いたみたいだし、一応仕事はしておこうかな」
オホンとわざとらしい咳を挟む。
「月影総理より伝言です。『只今より暁学園の活動を開始します。約束通り計画には不干渉でお願いします』だそうです」
「勝手に言っとけ」
「確かに伝えましたよ。……とまぁ、つまらないロールプレイはこれで終わり! 後はボクの時間だ」
ニタァっと人の情があるとは思えないほど凶悪な角度で釣り上げられる口角。まるでこの世の全てを嘲るような、嫌悪感を掻き立てる笑顔だ。
「キミを一目見た時からずっと気になってたんだ。ボクと同じ
「誰がオマエなんかとつるむか」
「酷い言われ様だなぁ。でもしょうがないよね。
何を言ってるのかサッパリ理解出来ない。だが平賀は理解を求めていないらしく、一人で饒舌に語りかけてくる。
「ほんとに残念。キミの生まれた家庭があとほんのちょっぴりでも息苦しい環境だったなら、キミとボクは良い友達になれたはずなのに」
「……」
「一応ダメ元で聞いてみるけど、ボクと一緒に来る気はない? 銃だって人に撃ち放題だし、それを咎める人もいないよ! とっても楽しいよ。自分の好きなように生きるの!」
「ボクの好きな生き方を邪魔しているのがオマエだ」
「だよね。もう変わりっこないのは知ってたさ」
はぁー……と本当に悔しそうに大きな息を吐いてみせる。だが次の瞬間、それが嘘のように冷めた目でボクを見る。
「じゃ、もういいや。今からコイツらをオモチャにして遊ぶことにするよ。キミの幸せ、全部ぶっ壊そう」
すると打って変わってウキウキと無邪気な笑みを浮かべた。人の首を絞めているのにこの有様だ。確かに狂ったヤツだ。
「どうやって遊ぼうかなぁ……。お父さんの意識を保たせたままお母さんをその手でじわじわ嬲り殺させてあげようかなぁ? それとも逆がいい? でもそれはちょっと味気ないなぁ……。
あっ、近所の娘さん全員を孕むまで強姦させて、孕ませたら子宮を殴り壊して次に行かせる。お母さんは裸でホームレスの溜まり場に行かせて飽きるまで楽しんでもらおうかなぁ!
結構やらせてきたけど意外と評判なんだよ? みんな最後には知らない男に抱かれるのに興奮しちゃってボクが操らなくても猿みたいに盛るんだ!
アハ アハ アハ。そうと決まればハブを用意しとかなきゃ。キミの弾はボクの糸を断ち切っちゃうからね。切られてもすぐ繋げられるようにしとかなきゃ」
父さんの口から呪詛のように並びたてられる言葉に母さんの目から涙が溢れる。蒼褪めが深いのも息苦しいだけじゃないはずだ。
それを見て、ボクの中の何かが音を立てる。爪で引っ掻いたような耳障りな音が頭の中で響く。
今こうして母さんが苦しまされているのはボクのせいなんじゃないか。ボクがこのクズに目を付けられなければこんなことになっていなかったはずだ。
その思いが頭の奥で渦を巻く。
「どう? キミが大事にしてるモノが圧倒的な力にボロボロに壊されてく気持ちは。自分の手じゃ届かないところから大切なモノを安物みたいに破壊される気持ちは! 目の前で何もかもが終わっちゃう気持ちはどう!?
きっと苦しいんだろうね! 悲しいんだろうね! わかるよわかるよ! こんなにも幸せな家庭で育ってきたんだもんね。自分を理解してくれる親が使い物にならなくなっちゃうもんね。
幸せいっぱいなキミから絞り出される絶望の蜜、ほんっとうに美味しいんだろうなぁ……! ボクと同じ人種が壊れちゃうときに抱く感情の渦、味わいたかったなぁ……!」
「……」
「でも残念。キミに糸を繋げられないからそれは出来ないや。あぁ、それが出来ればボクは死んだっていいのに。ねぇねぇ、キミで遊び終わった後自殺するって約束するからさ、ボクの操り人形になってくれないかな? ちょっと脳に繋げるだけで全然痛くないからさ!」
「……」
「アハ アハ。交渉決裂かぁ。まぁいいや。キミが壊れちゃって抵抗する気もなくなったときに繋げさせてもらうよ。リアルタイムよりはシケてるだろうけど、それでも十分気持ちいいものだろうからね」
喋り尽くしたからか、一息ついて垂れていた涎を乱雑に拭き取った平賀。
「想像したら堪らなくなってきちゃった。お父さんとお母さんに何か言い残すことはあるかなぁ?」
ここまで来て、ボクの心の中にあった引っ掛かりが砕け散った。吹っ切れたと言ってもいい。
それだけはするべきじゃないと思っていたけど、もうどうでも良くなってしまった。
ボクの大切な人を傷つけるヤツは────
「絶対に殺す」
「アハ アハ アハハハ。どうやって? ねぇ、どうやって殺すの? ボク本体がどこにいるかもわからないのにどうやって殺すの!?」
向こうで手を打ってる気さえするほどのはしゃぎよう。だが、その態度ももはや気にならなくなった。
「オマエの家族は生きているか?」
「はぁ? 急に何? そんなオモチャ、とっくに遊び終わっちゃったよ。あ、でも姉さんが生きてたなぁ。スポーツ選手になって頑張ってた」
「名前は?」
「アイリスでググればすぐヒットするよ。なんで?」
「後で謝っておく」
ボクの胸にある全部の殺意を込めて、腕を閃かせた。
◇◇◇
綴の能力は《貫徹》である。
これによって銃弾はどんな障害物をも貫通し、標的に向かって突き進む。
だがそれは能力の一側面に過ぎない。
《貫通》ではなく《貫徹》。意味はほぼ同義だがその本質は大きく異なる。
前者はただ物体を貫くこと自体を指すが、後者は貫く意志を指す。
目的を成し遂げようとする意志の強さ。それが綴の根底にある唯一無二の能力なのだ。
つまり、綴が
だがこれは、本来ならば言ノ葉綴という個人が星に許された分相応の干渉力──総魔力量を遥かに上回る所業であり、その能力は理論値に過ぎず到底実現し得るはずのない、いわば机上の空論だったのだが、今の綴は《魔人》という星を巡る理の外側にいる存在である。
ただ外側にいるだけなのではなく、星の運命に対して有利な立場にいるということなのだ。
ゆえに、星は綴から発せられる強烈極まりない
すなわち。
「………………ん?」
《解放軍》の最高幹部《
日本から遠く離れた地にある《解放軍》のアジトにいた彼はほんの僅かな、されど致命的なほど不気味な気配に顔を上げた。
その気配に気づけたのは、彼が糸を通してあらゆる死に臨む者の感情を啜り続け、その予兆を捉えてきた邪悪な経験に他ならない。
オル=ゴールが察知した刹那、彼の首に大きな風穴が空き、その勢いに彼の体が乱雑に地面に叩きつけられた。
猛烈な勢いを受け身することすら出来ず、人体から奏でられたとは思えない重い音が部屋を木霊する。
そして思い出したかのように後頭部から喉にかけて赤い血が吹き出し始めオル=ゴールの皮膚を伝い、血溜まりを作る。
一目見ればそれが死体であると思うような現場だったが、なんと彼は辛うじて生きていた。
綴の放った銃弾は対象を確実に殺すべく、人の生死を定義する部位・脳の延髄に向けて発射されたのだが、顔を上げたことによって
死に対する親近感と、綴と同じく《魔人》であるがゆえに《貫徹》の運命力にちょっぴりだけ抵抗出来た賜物だった。
だが脳の重大な部分を損傷したことに変わりなく、
「あ、が……あり、めして……?」
呼吸や循環器はもちろんのこと、大脳と小脳の繋がりが断たれた今、五感や言語機能、自意識すら消失した。
心臓は動いているが脳は死んでいる。ほとんど脳死の状態に陥ったのだ。
そんな状態で能力など扱えようもなく、オル=ゴールの天才的な精密操作で維持されていた世界中のオモチャたちが一斉に事切れた。
そのいずれも国の運営を支える重鎮たちで瞬く間に大混乱が巻き起こるのだが、その張本人は自分が糸を手放したという意識すらない。
混乱を聞きつけた《十二使徒》が彼の元を駆けつけ、その脳死体を見つけたのだが、脳の損傷はIPSカプセルを以てしても治療が困難な障害だ。
困り果てた《解放軍》だったが、《傀儡王》の損失は組織にとってあまりにも致命的であるため、何としても機能を回復させる必要があった。
そこである一人の医者に白羽の矢が立つことになるのだが、それはもう少し先の話。
ともあれ、こうして綴は一人の命をその手で摘んだのだった。
◇◇◇
「アハ。マジで殺せると思ってるの? それとも、あてひ、ひねしめ、ゆの、ひ? …………────」
言葉にならぬ声を漏らし、ぐりんと白目を剥いた父さんが
「母さん大丈夫?」
「え、えぇ……」
ガクガクと震える母さんに駆け寄り、背中を摩りながら倒れてる父さんを見る。
先ほどの様子ががらりと変わって脂汗まみれの苦面で気絶しているが、胸が上下に動いているからちゃんと無事のようだった。
そして未だに糸が伸びているがやる気がなさそうに弛んでいる。それには人の意思らしいものがないのは明らかだった。
「あの、綴、詠詞さんはもう大丈夫……なのよね?」
怯えた表情で父さんを見やる母さん。非伐刀者の母さんからしてみれば短い間だったとはいえ、父さんが急変して狂い出したようにしか見えなかっただろう。
「うん。もう平気。父さんを操ってたヤツは殺したから」
自分で言った一言が、嫌に耳に張り付いた。