あぁ、なんと空は青いことか。なんて、今に始まった事ではない無駄なことを考えつつも、駅近くにあるレストランのバイトへの道のりを自転車で消化していく。
時刻は十八時を過ぎたくらいで、このまま行けばいつも通り開始二十分前に着くだろう。もうひと踏ん張りだと言い聞かせるように、深く空気を吸って勢いよく吐き出し足に力を込める。ペダルは、それに比例するようにカラカラとチェーンと歯車の擦れる音を奏でながら回る。
「そろそろ雪が降ってくるかねぇ・・・・・・」
そろそろ駅前を通るという所で赤信号で止まらざるを得なくなる。手袋をしていても外の温度が低いのか、中の方までその冷たさが伝播して指先が冷たくなってきている。手袋をはめたまま、口元へと運び息を吐いて温めようとするが暖かくなったと思うとすぐに冷えていく。それを幾度か繰り返していると、車道の信号は黄色に変わり、赤へと変化した。
さあ、寒さに負けずに気合を入れて行きますか。ペダルに掛けた足を動かして信号を渡ったところでふと目を引くものがあった。
「あのじいさん・・・・・・大丈夫か?杖は白、か。・・・・・・チッ」
駅前を通っていたその老人は目が不自由らしく、杖をつきながらゆっくりと歩いていた。その周りへ目を向けるも、心配そうに見つめるだけで誰一人として助けに行こうとしない。いつも通りの光景だ。人間誰しもそんなものだろう。
そう思いつつ、安全な場所に移動して手袋を外してポケットへ手を突っ込んで
「おっと、まだ誰も行かねぇのか・・・・・・まあ、ここまで来てやったんだ。今更誰かに来られるのも癪なんだよ」
誰に対する言い訳ということもなく、一人マフラーで口を隠しながらぼそぼそと零す。一直線にその老人に向かっているせいか、周りの人は少し心配そうにみるが俺がそちらの方へ目を向けると見て見ぬふりをする。その様子がまた一段と腹を立たせる。
目を元に戻すと、目的の人物は目の前にいた。どう声をかけようにも、丁寧な言葉で話したことなど記憶にない。仕方ないと思いつつも、普段と変わらない言葉遣いで話しかけることにした。
「おい、じいさん。目、悪いんだろ。腕を貸すから捕まれ。それと、どこに行きたいんだ?」
いきなり声をかけられたことに驚いたのか、顔をこちらに向けて来た。しかし、それもすぐに終わり優しく笑うと
「おお、すまんのぉ・・・・・・私も歳じゃからの。光は見えてはいるが、この時期のこの時間は暗くてのぉ」
「あまりこんな時間に出歩くなよ。家族に心配かけるだろう」
「ほっほ。すまんの、それじゃあ駅の上まで頼んでもいいかい?」
「・・・・・・解った」
近くにはエスカレーターとエレベーターがある。少し考えてエスカレーターは止めた。躓いて転んでしまうかもしれないからだ。となると、エレベーターでの移動になる。腕に掴まったことを確認して負担にならないようにゆっくりと歩調を合わせて歩く。
駅は大きくても、移動する箇所は上か下かの2箇所だけ。エレベーターの中に入り上の矢印のボタンを押すと、すぐに動き始めた。
「そろそろ動くからな」
そう告げると、緩やかに停止したあと扉の開くポーンという高い音を鳴らす。少しの機械音をたてて開いた扉を抑えつつ老人が出てくるのを待つ。
「すまんのぉ・・・・・・エレベーターなるものは久々に乗ったものじゃな」
「・・・・・・どこらへんまで行けばいい?ここまで来たんだし最後まで行くつもりだが?」
「ほっほ。たしか、改札の前と聞いたわい」
そうか、と小さく返す。普通に歩けば一分と掛からないであろうその道のりを、先程と同じようにゆっくりと老人の歩調に合わせて歩く。しばらくすると、改札が見えてきた。
そろそろだと伝えようと口を開きかけた時、前方からスーツをスタイリッシュに着こなした四十代半ばの男が小走りで近づいてくるのを見つけた。きっとこの老人の親しい人間なのだろうとあたりをつけつつも、止まることはなく改札の方へと歩いていく。
「すみません、ありがとうございます!私の義父をここまで連れてきて頂いて!」
「いやいい、気にしてない。バイト先が近いし時間があったからやったことだ」
予想は当たっていたようで、男が目の前で止まって軽く頭を下げて礼を言ってきた。
「ほっほ、謙遜しなさんな。今の若者には少ない優しい青年じゃったよ。本当であれば、顔を、見て礼を言いたいところじゃ」
「気にするな。周りが見て見ぬふりするのにイラついて腹が立っただけだ」
「ほっほ。そういうことにしておくかの」
知ったような口を利く老人に少しイラッと来つつも、ため息をひとつこぼすだけに留める。
すると、その老人のことを義父と呼んだ男が申し訳なさそうに口を開いた。
「この度は本当にありがとうございます。お礼をさせていて抱きたいのですが、そのお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「いや、別にいらないんだが」
「ほっほ、青年よ。なら、私が勝手に決めよう。君が気に入ったのでね」
そう言うと、義理の息子である男もいい案だと言わんばかりに手を打った。
「それで、名前を教えてくれんかね?」
名前を教えろとは詐欺かなにかするつもりなのだろうかと思ったが、そんなことしてもこのじいさんたちには得はないだろうと考えた。それに、教えないとしつこく聞いてきそうなのだ。
「はぁ・・・・・・
「ほうほう、いい名前だね!」
「加治木君と言ったね?それで、礼のことなんじゃが・・・・・・」
何のためにかは分からないが、タメを作ったと思うと口を開いてこう言ったのだ。
───うちの学校に来んかね?
にやり、そんな言葉が似合う顔を浮かべそう告げた。今までに感じなかった面白いことを全力で楽しむようなガキのような顔。
そして、その言葉が俺の人生を変える大きなきっかけとなったのだった。
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