とある科学の瞬間移動   作:鏡秋雪

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第2話 ジェネシス

 黒子が女子寮に戻ったのは終始が去ってから3時間後だった。

 黒子はあの後、ファミレスに陣取ってアンチスキルの通報履歴、セキュリティカメラの映像記録、太箸倉人のパーソナルデータ。思いつく限りの情報を調べてみた。が、まったく手がかりなしだった。

 ジャッジメントの携帯端末を使用したのだから検索漏れはないだろう。初春ならばもっと深い場所まで調べる事が出来るだろうが、こうもきれいさっぱり痕跡が残されていないとなると、逆に自分自身の記憶の方が間違っているのではないかと思えてきてしまう。

 終始が言うように太箸倉人という人間が初めからこの世に存在していないことになっている。

(……いったいどういう能力ですの?)

 今のところ解明されている超能力の範疇に収まらない終始の能力。

 黒子の心を読み取り、さらに終始の意志を伝えてくるテレパス能力。

 黒子のテレポートをキャンセルしたし、目の前から忽然と姿を消した事から考えると、終始はテレポート能力を持っている。

 そして、太箸倉人の存在自体を消し去った謎の能力。

 終始が一人一能力という原則から外れた存在なのだろうか? だが、そんな人間がいたら学園都市で噂に上らぬはずはない。

 しかし「久しぶりに学園都市を楽しもうかな」と、終始は言っていた。という事はしばらく学園都市を離れていたのか?

 考えれば考えるほどわからない。結論が出ぬまま時間だけが過ぎていった。

 そんなわけで門限ぎりぎりになってしまったがなんとか滑り込みセーフだった。

 寮監様が小さく舌打ちをしたように感じたが、気のせい……だろう。多分……。

「ただいまですの」

「おっかえりー」

 部屋の扉を開けるとお姉さまの明るい声が返ってきた。

 お姉さまはとても晴れやかな表情で机の上に並べられたキルグマーの文具セットを見ていた。鼻歌でも歌いだしそうなぐらいご満悦だ。

 そう言えば、お姉さまの誤解を解かねばならない。あの時、終始が黒子と付き合っているなどという嘘八百を真に受けたまま帰られたのだ。

「あ、あのお姉さま」

「んー。なあに? 黒子」

 黒子の言葉などあまり興味なさそうな、なおざりな返事が戻ってきた。

「先ほどの件ですけれども」

「先ほど?」

「終始の事ですわ」

「ん?」

 お姉さまは怪訝そうな表情をこちらに向けた。

「終始はわたくしとお付き合いしておりませんから。それだけははっきりと申し上げておきますわ」

「黒子。アンタ」

 なぜかお姉さまの表情に怒りの色が浮かんだ。「終さんと仲がいいのは知ってるけどさ、上級生を呼び捨てにするっていうのはどうかと思うわよ」

「は?」

 お姉さまは何を言っているのだろう。終始が上級生? 見かけによらず終始は年上かも知れないが、お姉さまがなぜ彼の年齢を知っているのだろう? そもそも仲がいいという誤情報をどこから?

 色々な疑問が浮かび、とりあえず一つ一つ尋ねようと思った時、部屋の扉がコンコンとノックされた。

「はーい。どうぞ」

 というお姉さまの声に促されて扉が開いて女子生徒が入ってきた。

「ごめんなさい。御坂さん。夏休みの課題でお尋ねしたい事が……」

 なっ!?

「終始! なぜ常盤台の制服を着てここにいるんですの?」

「何言ってるのよ黒子。あたしと同じクラスなんだから制服を着てて当たり前じゃない」

「いいえ。この者は男! その証拠をお見せいたしますわ」

 黒子はテレポートで終始の背後に跳び、彼が着ている常盤台の制服に触ってそれをベッドの上にテレポートさせた。

 テレポート能力者同士が干渉し合うのはあくまでもその肉体。着ている衣服までは干渉しないはず。

「きゃっ。いやっ」

 などという嘘っぽいか細い声を上げてしゃがみ込む終始に構うことなく、彼の両手を掴んで引っ張り上げた。

「さあ。ご覧ください。お姉さま。これが終始の正体ですわ!」

「黒子!」

 黒子は終始から引き離され、一本背負いで投げ飛ばされた。「ごめん。終さん。早く服を着て」

「そんな……ばかな」

 壁に激突した痛みに耐えながら黒子は終始の姿を見て絶句した。

 下着姿になった終始はまさに女性の物だった。白のスポーツブラに包まれているのは非常にささやかではあるが女性のふくらみはあるし、同じく白のパンツには殿方のようなふくらみがない。

「馬鹿なのはアンタでしょ! このド変態!」

 お姉さまの追いうちの電撃鉄拳が黒子の頭を襲った。

「いいんですよ。御坂さん。ボク、こういうのに慣れてるから……」

「いやいやいやいやいや。こんなのに慣れちゃだめだから! 人間だめになっちゃうからっ!」

 お姉さまが黒子を睨みつけている背後で終始がニコリとこちらに笑顔を向けてきた。

『ひどいなあ。彼氏っていうのが嫌っていうから、こうしたのに』

 あなたはいったい……。

 黒子の心に再び冷たい風が吹き込まれた。

 

 

 

「うわ~。白井さん。さすがにそれは引きますよ~」

 佐天さんがげんなりした表情で言った。

 枝先さんのプレゼントである柵川中学の制服をお姉さま、初春、佐天さんの3人と一緒に買った後、黒子たちはファミレスで昼食をとる事にしたのだ。

 そこで、昨日の寮での出来事をお姉さまがネタにして二人に話したのだ。

「でしょ! もう、最近、黒子の変態ぶりに磨きがかかっちゃって」

 黒子の右隣でお姉さまは巨大ティラミスパフェのスプーンを佐天さんに向けながら楽しそうに笑った。

「いや~。御坂さん。白井さんの変態ぶりは昔からですから」

「フォローにまったくなっていませんわよ。初春」

「いえ、フォローしてませんから」

「あん?」

 黒子が鋭い視線を向けると、初春が一瞬あせった表情になったがすぐに笑顔に変わった。

 黒子が睨みつけることに失敗して、つい口元を緩めてしまったからだ。

 こういう何気ない日常がとても楽しい。冗談を言い合い、笑い合う。大切な友人たち……。

『身辺整理をしておいてね』

 黒子の頭の中で終始から昨日言われた言葉が思い浮かんだ。

 終始が指定した時間は今日の深夜12時……。あと12時間ほどだ。

(わたくし……ここにいれなくなってしまいますの?)

 思い出すだけで黒子の心に冷風が吹き込む。

「どうしたの? 黒子」

 お姉さまが心配そうに黒子を見つめてきた。

「あの……お姉さま……みなさん」

 黒子はお姉さまから一人一人に視線を向けた。「わたくしの話を聞いてくださいまして? 冗談ではなく、真剣に」

 ただならぬ黒子の雰囲気に三人は顔を見合わせた後、真面目な顔でうなずいた。

 自分が終始に連れ去られてしまう可能性がある事は伏せて、黒子は昨日の出来事を話した。

「つまり、その終さんは昨日突然、黒子の目の前に現れた人間で、あたしの記憶は正しくないって言うの?」

 辛抱強く黒子の話の全てを聞き終えると、お姉さまが頬杖を突きながら言った。「うーん。あたし、終さんの記憶がいっぱいあるよ。これ、全部がニセモノだっていうの? あたしの記憶を操作するなんてこと、あの食蜂操祈だって無理よ」

「やはり、信じてはくださらないのね」

 黒子はため息をつくしかなかった。覚悟はしていたが、真っ向から否定されると胸に亀裂が入るほどつらいものだった。

「何言ってるの、黒子。あたしは黒子の言葉を信じてるわよ」

 お姉さまの手が優しく黒子の頭を撫でた。「ただ、あたしの記憶を操作できる可能性はないよね。ってことよ?」

「白井さんがおっしゃってた太箸倉人という人間のデータはバンクにありませんよ。ちょっと深い所を調べて見ましたけど……」

 初春がジャッジメントの携帯端末を操作しながら言った。

「もしかして、その終さんっていう子。虚数学区から来たんじゃないですか?」

 佐天さんが身を乗り出して、黒子に携帯を突きつけるように画面を示した。

 画面には見るからに怪しいフォントで『虚数学区に消えたボーイフレンド』なんてタイトルでぐちゃぐちゃと妄想事が並べられていた。

「虚数学区? また、都市伝説ですの?」

「だーって、もやもやーっと現れて『久しぶりに学園都市を楽しもうかな』なんていうセリフ。虚数学区に囚われた人が戻って来たって感じじゃないですかー!」

 笑い話のネタにしようとしているのかと思ったが、そうではないらしい。佐天さんの表情は真剣そのものだった。彼女なりに黒子の言葉を考えてくれているようだ。「謎の能力も虚数学区で身につけたんじゃないですか?」

「でも、それ都市伝説でしょ?」

 お姉さまが腕を組んだ。「それだったら、太箸じゃなくって終さんの事をバンクで調べてみればいいじゃない」

「はいっ」

 お姉さまの言葉で初春の指が激しく動く。「ありましたよ。終始さんのデータ。あれ?」

「どうしたんですの?」

「同姓同名ですかね? 二人ヒットしました」

 初春は端末をくるりと回して画面を示した。

「どれどれー」

 楽しそうに弾む声でお姉さまが覗き込んだ。意外とこの状況を楽しんでいるのかも知れない。「なにこれ、まったく同じ情報じゃない」

 小さな画面に並べられた二つのデータ。同じ顔写真は確かに終始のものだ。生年月日も同じ。バンクデータに二重登録されてしまったのだろうか? 能力はレベル3……。とてもそんな低い感じではなかったが……。

「ああ、でも能力名が違いますよ」

 佐天さんが左右の人差し指で画面を指し示した。

「あ、ほんとだ。テレポートとテレパス? ぜんぜん違う能力じゃない。どうなってるの?」

「おかしいですねえ」

 のんびりした口調で初春が画面の上から覗き込んだ。「あれれ、性別も……違いますね。こっちが男性、こっちが女性になってます」

「終さんはテレパスだから、この男の方のデータがおかしいわよ」

 と、お姉さまが男子のデータを指差した。

「こっちのデータだと、男子なのに常盤台に通ってる事になっちゃいますね。ありえなーい」

 佐天さんが両手を広げて首を振った。「初春。バンクデータってこんなにいい加減なの?」

「わたしに言われても」

 初春は苦笑で返す。

「バンクデータは正確なはずですわ。2重登録なんていうミスがあるわけないですわ」

 黒子はそう言いながら終始のデータを読み進めていった。そして、一つの単語に目が釘付けになった。「……小児用能力教材開発所ですって……」

「それって!」

 声を上げたお姉さまと黒子は視線を交し合う。

「枝先さんと一緒の?」

 初春が息を飲んだ。

「でも、枝先さんたちと何か関係があるのかな?」

「あの暴走能力誘爆実験以外にも実験があったかも知れないわね」

 佐天さんの問いかけにお姉さまは苦々しく答えた。

「あれ?」

 初春が携帯端末を操る手を止めた。

「どうしたんですの?」

「木山先生の生徒の名簿が12人に増えて……あれ? 10人に戻った」

「何を言ってますの?」

「削除された小児用能力教材開発所のアーカイブを拾ってたんですけど、おかしいですねぇ。さっきは確かに12人だったのに……。うー。こんなことならスクショ撮っておけばよかったですぅ」

「その中に終始の名前はあったんですの?」

「上から見ていく途中で10人に減っちゃって……。けど、今集めた小児用能力教材開発所の記録に終始という名前の生徒はいない事になってますね。あれあれ? 終始さんのバンクデータ、一つになっちゃいました」

(まずいですわ)

 そんな感覚が黒子を襲った。

 閲覧しているデータが次々と書き換わるなどそうそうあるわけがない。これは終始が自分の力を見せつけているのだ。黒子たちが終始のデータを検索し小児用能力教材開発所の存在を認識させて検索するところまで計算ずくではないのか。

 このおかしなデータは黒子を誘うための物なのだろうか?

 もしかすると、今、この事でさえ終始の掌の上ではないか?

 さまざまな疑念が黒子を襲う。

「黒子? 大丈夫?」

 思考に沈んでいた黒子はお姉さまの声で現実世界に引き戻された。

「なんでもありませんわ」

 笑顔を返しながら、黒子は終始の事をみんなに話したことを後悔した。

 巻き込むべきではなかった。いくら友達とはいえ、終始の能力がはっきりとするまで語るべきでなかった。このためにみんながどんな事態に襲われるか、黒子にはまったく予測がつかない。

「まあ、終さんの件はこれでいいですわ。わたくしが変態でないという事さえご理解いただければ」

 黒子がそう言うと、全員が顔を見合わせて苦笑していた。「なんなんですの? その顔は」

「白井さん……ツッコミ待ちですよね。それ」

 佐天さんがニヤニヤしながら言った。

「いや、ここは爆笑する所ですよね。白井さん!」

 初春が身を乗り出して力説してきた。

「ここはノリツッコミよ! そうでしょ! 黒子!」

「もう、どれも不正解ですわよ」

 黒子は三者三様のツッコミに苦笑するしかなかった。

 

 

 

 

 ファミレスを出るころには3時を回っていた。

 黒子とお姉さまは初春と佐天さんと別れて、一緒に寮に帰る事にした。

 お姉さまと何気ない話を交わしながらも、黒子の頭の中には終始の事で埋め尽くされていた。

 やはり、鍵は小児用能力教材開発所ではないだろうか?

 と、すれば関係者に直接尋ねてみた方がいいかもしれない。

 黒子は足を止めた。

「ん? どうしたの?」

「あ、お姉さま。わたくし、今日中に片づけなければならないジャッジメントのお仕事を思い出してしまいましたわ」

 これ以上、お姉さまを巻き込むわけにはいかない。黒子は至って平静を装って言った。

「そう。……門限までには戻ってくるのよ」

「わかりましたわ。わたくしとて、寮監さまに首を刈られたくございませんもの」

 黒子はお姉さまと顔を見合わせて笑った。そして「では……」と、踵を返した。

「黒子!」

 鋭いお姉さまの言葉が黒子を引き留めた。

「はい?」

「もし、困った事があったら、このお姉さんを頼りなさいよ」

 お姉さまはにっこりと微笑みながら胸に手をやっていた。「あたしたち、いつも一緒じゃない」

「お姉さま……。やっとわたくしの気持ちを受け入れてくださる決心を……」

 黒子はわざと仰々しくオーバーアクションで返事をした。

「いいわね?」

 黒子の言葉をさらりと受け流し、柔らかく言い含めるようなお姉さまの言葉がとても優しくて、黒子の胸は締め付けられた。

(お姉さまはなんでもお見通しですわね)

「はい……ですの。その時が来たら……」

「いってらっしゃい。黒子」

「いってまいります」

 泣き出してしまいそうになった黒子は一歩を踏み出すとテレポートでその場を離れた。

 

 

 

 アンチスキル附属病院。

 木山春生はテレスティーナから枝先さんをはじめとする10名の子供たちを取り戻した際に負った傷のため、この病院に収容されている。

 木山は終始とは全く関係ないかも知れない。しかし、小児用能力教材開発所の関係者で今すぐに話を聞けそうなのは彼女の他にない。

 面会のための手続きを終え、木山の病室がある階までエレベーターで昇った。

 エレベーターを出て木山の病室へ向かう途中で常盤台の制服を着た少女が両手を広げて黒子の行く手を阻んだ。終始だ。

「やはり、お見通しという事ですわね」

 黒子は一つ息を吐いた。

「ボクの事を知りたいなら、全部話してあげるよ。だから木山先生に聞く必要はない」

「あなたが言う言葉の正しさは何を持って判断すればいいのかしら? 第三者の言葉も必要だとは思わなくって?」

「それはボクの言葉を聞いてから、決めればいいよ。多分、その必要はなくなると思うから」

「たいした自信ですこと」

「ここじゃ、なんだから屋上で話そっか」

 終始はとびきりの笑顔で黒子に手を差し出した。

「えぇ。いいですわよ」

 黒子は腕を組んで終始の手を取る事を静かに拒否した。

「そこまで拒否られると、ちょっと傷つくなあ」

 終始の苦笑は本心からなのか……黒子には判断できなかった。

 

 

 

 

「鍵がかかってますわね」

 黒子はロックされたドアノブを2,3回回すと言った。 

 屋上に出るための扉は施錠されていた。これは警備上、安全上、当然の処置だろう。

 どうしても屋上で話したければテレポートで軽く突破できる。黒子も終始もその能力がある。黒子の言葉は終始に対する問いかけでもあった。

 テレポートで外に出てもいいし、ここで話を始めてもいい。

 だが、終始のとった行動はそのどちらでもなかった。

「どれどれ~」

 楽しそうな声で終始は黒子が握っているドアノブに手を触れた。その途端、黒子はわずかなめまいを感じた。「開いてるじゃん」

 そう言われて黒子が力を込めると、ドアノブは簡単に回りドアが開いた。

「これもあなたの能力ですのね。ずいぶん多芸多才だ事……」

 黒子はため息交じりに鼻を鳴らした。「本当に納得できる説明をしてくださるのかしら?」

「これから、ながーいお付き合いになるんだから、そんなに嫌わないで欲しいなあ」

 黒子の嫌味などまったくスルーして終始はニコリと笑って、身長の2倍はあろうかという屋上の安全柵に背中を預けた。

「長いお付き合いになるとは思えませんけれど」

 黒子は左手を腰に当て、右手はそっと太ももに仕込まれた金属矢に手をやった。

「そんなに警戒しないでよ。何からお話ししようかな? あ、そうだ」

 終始は苦笑しながら一歩黒子に近づいた。

 何事かと思い、黒子が身を固めると終始は頭を深々と下げた。

「まず、お礼を言わせて。この世界の木山先生とみんなを助けてくれてありがとう」

「は?」

(この世界ですって?)

「木山先生の生徒って本当は12人いたんだよ」

 頭を上げた終始は優しい微笑みを浮かべていた。

「門脇終(かどわきついの)」

 少し女性らしい高い声で終始は言った後、今度は男の子のような少し男性らしい低い声で言葉を続けた。「それと、門脇始(かどわきはじめ)。ボクたちは双子の兄妹だったんだ」

「何を言って……」

 黒子の抗議の声は終始が右手を上げて制されてしまった。

「ボク、門脇終はテレパス。枝先さんとテレパスの実験とかやってた」

「ボク、門脇始はテレポータ。あの頃は消しゴムぐらいしかテレポートできなかったなあ」

「そしてボクたちはあの暴走能力誘爆実験をやらされた……」

 終の少女っぽい声に続いて始の少年のような声。そして、いつもの終始の声になって言葉を続けた。

 そして、黒子の頭に映像が思い浮かんだ。テレパスの能力で記憶が流し込まれ、黒子はまるで夢を見ているかのような不思議な空間に放り込まれた。

 

 

 

 

 暗い実験室。機器を安定させるためだろうか。冷房が少し効きすぎて肌寒い。

 黒子は同時に二人分の記憶を見せつけられ、まるで3D映像を見ているような感覚だった。

「兄様。ボク、怖い……」

 隣のベッドで測定器具を次々とつながれていく終が始に声をかけてきた。

「大丈夫。あとでまた遊ぼう」

 そう言う始にも次々と測定器具が装着され、最後にベットに拘束された。

「窮屈な思いをさせてすまない」

 二人の間に木山春生が立って、交互に頭を撫でた。「少しつらい実験になるかも知れないが、私がちゃんと見ているから」

「うん。先生、お願いね」

「信じてるから」

 始と終がそう声をかけると木山はニコリと微笑んで、離れていった。

 二人の心の中に木山に対する信頼感がじんわりと広がっていた。

「それでは、実験を開始する」

 あまり聞いたことがない老人の声がして、二人の身体に何かが流し込まれた。

「何。コレ!」

 終が悲鳴のような声を上げた。

 意識が、意識が飛んでいく。そして入れ替わるように次々と人の感情、心、想いが何の抑えもなくなだれ込んで来た。

 心が散らばる。虚栄心に満ちた大人の心が終の脳を蹂躙し穢していく。

 さらに見える心が広がる。この小児用能力教材開発所の中の人たち、学区の人たち、学園都市、日本、アジア、世界……。もう、限界だった。

「いやああああああああああああああああ!」

 終の頭に100億を超える感情がなだれ込み、彼女は壊れた。

「終!」

 始は終を助けようと、彼女に手を伸ばした。自分の意識でできた行動はそこまでだった。

 まるで熱病に襲われたように全身が熱くなり、始の意識がまどろんだ。頭に浮かぶ不思議な11次元の数式が暴れ、部屋中の物という物がランダムにテレポートを繰り返した。

「終、ついの、終、ツイノ」

 始はうなされるように血を分けた妹を呼んだ。

 始は跳んだ。初めての自分自身のテレポートだった。制御はまったくできず、あちこちに跳び、激突した。

 突然、頭の中に終の意識が始に流れ込んできた。

 不思議な数式。助けてという悲痛な叫び。絶望。狂乱。

 次の瞬間、始は跳んだ。もっとも、跳んではならない場所に……。

 テレポートした肉体はその先にある物質を押しのけて実体化する。空気であれば押しのけて「ヒュッン」という風切音がするし、コンクリートの壁に入り込めば鉄筋だろうが寸断する。

 始が跳んだ先は――終の身体とまったく同じ座標であった。

 最も大切にしていた存在。

 最も身近な存在。

 たった一人の肉親。

 全てが……

             粉々に

                        生暖かい肉片

        頬に塗りたくられている脳髄

                                 肌に密着する終の骨

  全身を濡らす赤いどろっとした液体

               ……大切なものは……ボク自身が壊した……

「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 世界が変わった。

 闇が覆った。

 光に包まれた。

 上も下もない。

 右も左もない。

 前も後ろもない。

 極彩色で、モノクロで。

 全てが無く、全てが在る世界……。

 

 ――ここは……神の領域――

 

 

 

 

 黒子は文字に表記できない音を上げて叫んでいた。

 自分を取り戻すと、黒子は夏の太陽に熱せられたコンクリートの床に両手両足をついていた。ぼんやりとした視界が明瞭な輪郭を回復した先には自分の嘔吐物が広がっていた。

「終。二人分の記憶を送り込んだらこうなっちゃうよ」

「あら、兄様。でもこれが一番わかりやすい方法じゃない?」

「ボクはこの世界だけじゃなくて、別の世界線の人間の中まで見通していた」

「ボクは暴走するテレポートの中で11次元の向こう側の世界を感じた」

「そんなボクたちが偶然重なった時、ボクは神の国の鍵を手に入れた」

 黒子がむせこんでいる間、終始は一人で会話をしていた。

「あなたは……いえ。あなたたちは……」

 黒子は口元にハンカチを押し当てて、いまだに襲い来る吐き気を押さえつけながら終始を見上げた。

「正解。ボクは終であり始である」

「始まりであり終わりである」

「アルファでありオメガである」

「世界の始まりから終わりまで、ボクは全てを動かせるようになった」

「あの実験でボクはすべての頸木から解き放たれた」

 終始は終と始の声で交互に黒子に語りかけてくる。

「そんなバカな……人類はレベル6にすでに到達していたという事ですの?」

「レベル6……か」

 終始は寂しげに笑った。「ボクという存在は何の拘束も受けないし観測すら難しいの。レベルを定義している存在を超えている。ボクのような大人のいう事を全く聞かない存在はいわばレベルゼロと言っていいかもね。利用できなきゃ、どんな力があっても評価に値しない。それが大人」

「あなたのような存在がなぜ……」

 黒子の頭には様々な『なぜ』がよぎった。

 なぜ、姿を現したのか。

 なぜ、あの実験で供ぜられた10人の子供たちをすぐに助けなかったのか。

 なぜ、木山春生に終始の事を尋ねてはいけないのか。

 そんな力をもっているならなぜ、この世界は苦しみに満ちているのか。

「それはね」

 黒子の心を読んだのであろう。終始はにっこりと微笑んだ。「すべてがボクの思い通りになっているわけじゃないんだよね。ボクはボクで介入はできるけど、みんなそれぞれのパーソナルリアリティがあるわけで……」

「そんな事を言ったら、一人一人の世界ができてしまうではありませんの」

「そうだよ。世界は無限だよ。黒子さん、ちょっと見たでしょ。もしかしたら光のように感じたかも知れないし、闇のように感じたかもしれないけど……。よく見ると一つ一つが全部一つの世界、宇宙だよ。今、ここにいる世界は無限の中の一つ。宇宙と世界は一つしかないなんて事はない。この瞬間にも新しい世界と宇宙が形成されてるの」

「そんな……」

 黒子は終始に見せられた記憶を思い返したがまったく理解できなかった。

「ところで……。佐天さん。大ピンチっぽいけど。どうする?」

 終始が可愛らしく首を傾けながら黒子に問いかけた。

「は?」

 なぜいきなり、佐天さんの話が出てくるのか黒子は分からなかった。

「過激派っていうの? わがままな大人に殺されそうだよ」

「なんですって」

「行こう! 大切な友達なんでしょ?」

 終始は黒子の手を取って立ち上がらせた。同時に頭の中に11次元の計算済みの座標が流れ込んできた。

 だが、その位置は遠い。ここから、1.5キロは離れている。黒子の最大転移距離は81.5メートル。

 終始が黒子に流し込んできた座標は限界を超えていた。

「遠すぎますわ」

「できるよ」

 終始が黒子の手を強く握るとにっこりと笑った。「今の黒子さんなら地球の裏側にだって跳べる!」

 そして、終始はぐいっと黒子を引っ張り駆け出した。

 強制的に頭の中の座標への数式が実行され、黒子は跳んだ。

 テレポーター同士はお互いのテレポートを阻害するという絶対の法則すら終始の前では無力だった。

 

 

 

 

 ヒュンッ!

 空気を切る音が耳を叩き、黒子は三次元世界に自分を取り戻した。

「白井!」

 黒子が降り立ったのは黄泉川のすぐ後ろだった。

「状況は?」

 黒子はジャッジメントの腕章を右腕に通しながら黄泉川に尋ね、自分の目でも周りの状況を見渡した。

 コンビニの中に佐天さんの頭に拳銃を突きつけている男が見えた。警備ロボットやアンチスキルで包囲は完成されている。いつでも突入可能に見えた。

「過激派もどきが一人。人質をとって立てこもってる。突入のタイミングをみているところじゃん」

「わたくしがあの拳銃を無力化しますわ」

 黒子は太ももに仕込まれた金属矢を手に取った。

 見たところ過激派もどきが持っているのは今では旧式のファイブセブンのようだ。銃口部分に一本、さらにブローバック機構に一本、金属矢を食らわせれば無力化できるだろう。

「できるのか……」

「やってみせますわ」

 黒子は意識を集中した。大雑把な計算ではいけない。誤差が許されるのはせいぜい数ミリと言ったところだろう。

「パンッ」

 その時、乾いた破裂音が聞こえた。

「誰だ! まだ発砲許可は出してないじゃん!」

「佐天さん!」

 黒子の視線の先で、あってはならない光景が始まってしまった。

 アンチスキルの発砲に動揺した犯人が佐天さんの頭に強く拳銃を押し当てた。

 引き金を引く指がゆっくりと動いて行く。

 佐天さんに突きつけられた拳銃の銃口からほのかな光が走り、彼女の頭から赤い霧が広がった。

「そんな……」

 力なく崩れ落ちていく佐天さんがとてもゆっくりに見えた。

 同時に人質を葬った犯人に向かって裁きの銃弾が放たれた。複数の銃弾が犯人を貫き、奇妙なダンスを踊るように犯人は舞って床に転がった。

「佐天さん!」

 黒子は駆けだして跳んだ。

 血液の池に佐天さんは沈んでいた。黒子は制服が汚れる事など意に介さず、彼女を抱き起した。

 力なき肉体。瞳は光を失い、頭部の傷口からまた新しい血が吹きこぼれた。

「白井! その子から離れるじゃん。わたしらが病院に連れていくじゃんよ」

 黄泉川が遅れて走り込んでくると黒子の肩に優しく叩いた。

(病院ですって……?)

 手遅れなんてものじゃない。そんなもの、ただの形式だ。

 もう少し早く到着していれば。

 いや、もう少し早く自分がテレポートを実行させていれば……。

 そんな後悔が次々と黒子を襲う。

「佐天さんを助けたい?」

 いつの間にか、すぐ隣に終始が立っていた。

「当たり前ですわ」

 当然のことを聞かれて、黒子は終始に怒りの目を向けた。もしかすると、この事も終始が仕組んだ事なのではないか。そんな疑念が湧いた。

「じゃあ。助ければいいじゃない」

「何を言ってますの。こんな状態で……」

「ボクに不可能はないよ。そして、黒子さんにも不可能はないよ」

 終始がクスリと微笑むと、黒子の頭に数式が流れ込んできた。

 いつものテレポートで使用する11次元の式だ。

 その式が頭の中で展開され変形されていく。次元が増やされ、複雑な形になって行く。

(これでは結局11次元の公式に収斂していくだけですわ)

 黒子がそう考えた瞬間、見たことがない定数が式に代入された。

「なんなんですの、この定数は……」

 黒子の口から思わず言葉が漏れた。

「すべての因果と世界線をつなぎとめる定数だよ。終の身体が始によって壊される直前に手に入れた神の定数……。黒子さんの望む世界は? あとは黒子さんのパーソナルリアリティを反映させるだけだよ」

「わたくしが望むのは……」

 決まっている。佐天さんが生きている世界。それ以外にあるわけがない。

 黒子はその数式に自分のパーソナルリアリティを反映させた状態で計算を実行した。

 

 その途端、光と闇が同時に襲い、激しいめまいを感じた。

「白井さん。ありがとー! テレポートってやっぱすごいなあ」

 目の前で佐天さんが明るい笑顔で黒子の両手を取ってぶんぶんと上下に振っていた。

 彼女に傷一つない。さっきまで佐天さんの血で赤く染め上げられていた黒子の制服も汚れていなかった。

 血の水たまりとなっていたはずの床の上には、黒子の金属矢によって無力化されたファイブセブンが転がっていた。

「よかった……」

 ここは黒子が間に合った世界なのだ。

 ニコニコと笑っている佐天さんを見るとじんわりと胸に安堵感が広がり、黒子の目に涙が浮かんできた。

「あれ、白井さん?」

 佐天さんが戸惑いの声を上げておろおろとした。

『黒子さんは優しいね』

 終始の声が黒子の頭に聞こえてきた。

『え?』

 黒子が終始に目をやると、彼女は指をさしていた。その行き先に目を向けると犯人の上に馬乗りになって何発も拳をお見舞いしている黄泉川の姿があった。

「ああ、黄泉川先生。オーバーキルですよ。それー」

 鉄装がおろおろしながら黄泉川の暴力行為を止めようとしていた。

「下手したら、子供が死んでたじゃんよ。当然の報いじゃん」

 ふんっと鼻を鳴らして立ち上がると、おまけに男の弱点を蹴り上げた。

「ガアッ!」

 とどめを刺されたように悲鳴を上げて犯人は気を失った。

「続きは病院でじっくり絞り上げてやるじゃんよ!」

『過激派もどきさんも助けてあげたんだね。黒子さんって、とても優しいんだね』

『そういうつもりはなかったんですけれど……』

『とにかく……』

 終始は微笑みながら黒子に手を差し出した。『これがボクの能力。世界創造――ジェネシスだよ』

「ジェネシス……」

 無意識のうちに黒子はその言葉を口にしていた。

 佐天さんが不思議そうに黒子と終始を交互に見つめる中、黒子は差し伸べられた終始の手をとった。

 世界が輝き、何もかも変わったように黒子は感じた。

 




ジェネシスだって?(失笑)終始さんはとんでもない厨二病だ!(ぉ)

と、ツッコミを入れながら書く作業はなかなか厳しいものがありました。

終始さんは科学版アウレオルス=イザードさんをイメージして作りました。
すべての前提である世界そのものを改変する能力。チートすぎる敵役です。

黒子、そいつやばいよ! 逃げてー! 超逃げてー!

というわけで、次回が最終話になります。

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