黒髪少女帝都奇譚   作:黒髪少女

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橋上怪異【壱】

「左記子さん、浅草橋に行きましょう」

「……へ?」

 

 思わず漏らしてしまった頓狂な声と共に、私はみつまめをつつく手を止めて顔を上げる。

 そこには、つい先程まで向いの席で雑誌に夢中になっていた筈の友人の笑顔があって、私は何故か嫌な予感に口元がわずかに引きつるのを感じた。

 

──千疋屋のみつまめは大変に美味である。

 それは私の信じて疑わざる持論であり、帝都各所にのれん分けされた千疋屋はいくつかあれども、ここ銀座のみつまめこそがやはり私の好みに一番合うように思われる。

 そんなわけもあって、女学生時代の私はよくよくこのお店に友人達と出入りしては他愛も無いおしゃべりに時間を費やしていた。

 年の頃からするとまだ十五、六の頃。そんな小娘に過ぎなかった私達からすれば多少の背伸びというか、大人のレディーのように振舞ってみたいというような思いが心のどこかにあったのかもしれない。

 そんな友人達の中でも、『同好の徒』ということもあってよく一緒に連れ立って共に多くの時間を過ごしていたのが、この目の前で微笑んでいる少女こと白木 美弥である。

 

「浅草橋に行きましょう」

 

 呆気にとられたような私の様子に、自身の提案が聞こえなかったのではないかとでも思ったのか。美弥は愛らしく首をかしげたあとで、先程と同じ言葉を口にした。

 

「それは……また急ですわね」

 

 口の中にあったみつまめを碌に味わうことも出来ずに飲み込んでしまうと、私は口元に引きつったものを残したままの笑みを返す。

 美弥の『急』は今に始まったことではない。

 こうして正面から彼女を見ると、いかにもおとなしめの文学少女と言った風情である。そして確かに、普段はその印象に外れぬ文学少女であり、おっとりとしてやわらかな性格をした娘だった。

 ただ『思い立ったが吉日』とでも言うのだろうか?

 何か美弥の中で、自身にとって「これは良い」と思われることが発想された時、彼女は途端に行動の人となるのである。

 今回も正にそれであった。

 

「これよ。そう、これ」

 

 言葉を華やがせながら。美弥は先程まで食い入るようにして見つめていた雑誌を私の方へと差し出してくる。

 

「今月の『怪危』……ですわね?」

 

 見せられた本の表紙には、いかにもなおどろおどろしい表紙絵と共に赤文字で『怪奇』と雑誌名が大書されていた。

──この『怪奇』というのは、その頃よく流行って出版されていたオカルト専門誌の一つである。無論、そんないかがわしい内容を扱うとあって大した雑誌ではない。安っぽい紙を安っぽい作りで安っぽい本にしたような……そんな程度のもので、実際のところかなりお安い物であった。なにせその値段は、当時二十銭ほどした一般的な総合誌の半分ほどしかしない程度のものだったと記憶している。そして、その値段と同じく雑誌の厚さも半分、内容の厚さに至っては半分以下という低俗さで、普通の人々の感覚からすれば『好き好んで買う者の気がしれぬ』と言った代物であった。

……さて、なぜ私がそんなにこの雑誌について色々と詳しいのかと言えば、好き好んでこの雑誌を購入していたのが私だったからである。この美弥子が読んでいた物も、私が女中に言付けてこそりと買ってきてもらったものだった。

 

「ここの頁よ。左記子さん、お読みにならなかったの?」

 

 そんな、すでに自宅で何度も読み返している雑誌を前に首を捻る私へと、美弥はおっとりとしつつも幾らか焦れたように口を尖らせ。その白く細い指先で、自身の目当ての頁を私の前へと開いてくれる。

 そこには『スピリチュアリズムの権威、何某博士』などという注釈と共に、いかにも偉そうな様子で頭の禿げ上がった初老の男の挿絵が描かれていた。どうやらその何某博士という人物が心霊科学的に様々な占いや呪いの方法を解説してくれるという読み物らしい。

 

──いかにも美弥が好きそうな話。

 

 それを見せられた私は、そんな感想と共にくすりと小さな苦笑を零してしまう。

 美弥は大の『まじない好き』であった。

 それも傍目から見ていると「すこし入れ込み過ぎでは?」と思えるくらいに、その真剣さの度合いがただの占い好きと言った者達とは幾らか一線を画している風があった。

 占いたいものがあるから占いを探すのではなく、占いがしたいから占いたいものを探す。そんな本末転倒な事を、普段から大真面目にやっているのである。

……しかし。

 もし彼女がそうであるという事に対して誰かから非難を浴びせられる様な事があったとしたら、その時は私も一緒に頭を下げなければならないだろう。なにせ美弥がそんな『まじない好き』になったのには、私にも幾らかの責任があるからだ。

 なぜなら、彼女をこの『オカルト趣味』へと引き込んだのは何を隠そう、私に他ならないからである。

 私もオカルトには目が無かった。

 昔から祖父の語る怪談が好きで、ずっとそればかりねだっていた私は、この歳になってもそれらへの興味を捨て去る事が出来ずにいる。それどころか、今では怪談だけでは満足できず、世間に流布しているオカルトじみた噂まで貪欲にかき集めている始末であった。

 この趣味だが、美弥や数名の友人の他に周囲には公にしていない。

 それもお母様には、特に。

 いくら久御山家が家格からすればずっと下の方であるとはいえ、華族は華族。いわゆる『良家の子女』がこんな本をせっせと買い集めているなどということが知れただけでも、お母様がどれだけお怒りになり、またそのお怒りをどれだけお叱りに変えられるかわかったものではない。

 

「私、この橋占というものをやってみたいの」

「橋占、ねぇ……」

 

……我ながら、人の楽しみに水を差すと言うか。

 美弥が指差した占いの解説を見ながら呟いた言葉の中に、自身の興味の無さが滲み出てしまったことに気づく。

 正面で聞いていた美弥も無論、それに気づいてしまったに違いない。

 

「もう、左記子さんたら。心霊現象や猟奇事件の記事ばかり注目して。こういった人間の内面を超自然学的に紐解く『すぴりちゅありじゅむ』についても興味をもっていただきたいですわ」

 

 美弥の言葉を手で一旦制すと、私はつとめて冷静にその言葉を訂正する。

 

「……『スピリチュアリズム』ですわね。あと、それについては私も同じようなお言葉を返すことになるのですけれど」

「まぁ、いじわる」

 

 私の揚げ足を取る言葉に、美弥がぷくりと頬を膨らます。もっとも、多分に幼さの残る顔立ちをした美弥がどれだけムッとしてみせても、すこしの迫力も私に与えることはできないのだが。

 しかし、美弥が私に対して「自分の興味にも関心を持ってもらいたい」と言った不満を抱くのも無理がない話であろう。そして、それは同時に私が美弥に抱いている不満と同じでもある。

 私達は同じオカルト知識の愛好者ではあるのだが、お互いにとっての最大の理解者かと申せばそういうわけではない。私と美弥は同じオカルト好きというカテゴリの中にあっても、その興味の向いている先が各々で全く違う方向にあるからである。

 そして、お互いがお互い、その『興味』の中から出てくることがほとんどない。完全な住み分けというものが行われているわけである。

 

「まぁ、お付き合いならもちろんいたしますわ。でも、橋ならこの辺りにもありますし……なにも浅草橋まで行くことはないんじゃなくて?」

 

 いかにも「面倒だから」といった感の隠せぬ私の代替案を、美弥は毅然と顔を横に振って跳ね除ける。

 

「いいえ、浅草橋。『雑多な人々の通りがある方が橋占には良い』と、この本に書いてあるのですわ」

 

──これはもう行かないと駄目ですわね。

 

 美弥の姿を半眼で見やりながら、私はある種の諦めにも似た思いで腹をくくる。こうなった美弥は本当に頑固で、駄々をこねる子供よりも性質が悪い。

 

──まったく。余計な物を見せてしまいましたわ。

 

 心中でそんなぼやきを吐きつつ。

 忌々しい安雑誌の頁をペラペラと流すようにして捲る。

……と、そこで私は一枚の頁に気になる記事を見つけて捲る手を止めた。そして、しばしその記事を熟読してから美弥子へと顔を上げる。

 

「美弥、浅草橋に行きましょう」

「え?」

 

 なにかしばし前に同じようなやりとりが行われたような気もするが、今はそれをとやかく言っている時ではない。

 突然にして乗り気な様子を見せ始めた私に、美弥も「なぜまた急に」と少々驚いたようであった。そんなきょとんとした表情でこちらを見つめる彼女へと、私は開いた頁を向けて笑みを大きくする。

 

「ここですわ。『浅草橋に情人の怨霊』という記事」

 

 その記事の仔細はと言うと、こういう話である。

──時は今より幾らか遡る某月某日のこと。浅草橋の欄干に、一人の女が首を吊って死んでいたのが見つかったという。

 女は真夜中のうちに橋を訪れて、着ていた着物の帯を使って首を括ったものらしい。

 無論、見つけられた時にはすでに事切れていたのだが、死体が風に吹かれて色々な方向に揺れ動く様はまるで、死にきれずに苦しみもがいているようで大層に気味の悪いものだったとは発見者の談である。

 風の噂によると、女はさる家柄の良い男の情人であったと言う。その為、生前はかなり良い暮らしをしていたようで、近所の者によれば見かける度にそれまでとは違う美しい着物を着て出歩いていたという。

 しかし、男の愛情がその情人から離れてしまうと、まるで穴に突き落とされたかの如く一気に情人はみすぼらしく落ちぶれてしまい、遂にはこの世に絶望して自殺するに至ったのではないかということだった。

 男を怨み、男から買い与えてもらった美しい着物を着て、その帯で首を吊って死ぬ。それは情人の怨みの深さを知るには十分な方法であったろう。

 しかし、話はそれだけで終わらない。

 その事件があった後、浅草橋では『着物の前を大きくはだけさせた、狂人の如き女の怨霊を見た』という話が相次いで続出したのである。

 

「──げに恐ろしきは愛憎怨怒……美弥?」

 

 私が書いた説明よりも『怪危』の中にあった記事は、もっとおどろおどろしさがたっぷり込められた文章であったと思ってほしい。それゆえか、私がその記事を読み終えた時に見た美弥の顔は、すっかり浮かないものになってしまっていた。

 

「左記子さんは……その怨霊を見に行くの?」

「ええ、もちろん」

 

 美弥の問いは暗に「そんな下世話な記事に目を輝かせて……」と言っているのだろうが、私は背筋を立てて毅然と頷いてみせる。

 なんとでも言うが良い。

 せっかくのみつまめをふいにするのだ、そのくらいの楽しみがあっても罰は当たらないではないか。

 

──こうして。

 千疋屋を出た私と美弥は、一般の女学生とは些か一線を画す目的の下、浅草橋へと向けて路面電車に乗り込むのであった。

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