僕はあの日からアインクラッドを一人で攻略している。そんなことができるのかと自分でも疑っていたが、やってみればもう三層も解放できていた。昔から迷宮区に住むような暮らしをしており、宝箱を探し続けていたからだろうか。勘が異常に優れている。勘で進み続けるだけで簡単にボス部屋に辿り着く。ボス戦も一人で行うから、犠牲者は出ても一人だ。
今も勘に従って丁字路を左に曲がろうとした。
ゥヮァァァァァ
そのとき、丁字路の右からほんの微かに悲鳴が聞こえた……気がした。実際には誰も悲鳴など上げていないかもしれないが、考える間もなく僕は踵を返し右の道へと駆け出していた。
次第に金属と金属がぶつかる音が聞こえてくる。それに混じってガラスが砕けたような儚い音も。
―――モンスターの音でありますように!
角を曲がると、一人のプレイヤーが三体のmobと四苦八苦戦っているのが目に入ってきた。そのプレイヤーに後ろから飛びかかろうとしていた《バーサーカーオーク》の攻撃を剣で弾き飛ばし、硬直の軽い《ホリゾンタル》の横一閃で一体の注意をこちらに引きつける。
そして戦っていたプレイヤーと背中合わせになって互いの背中を守る。一対三で少しの間でも渡り合っていたのだから実力はあるのだろう。しかし、《黒》と《白》以外でソロで迷宮区を攻略する人間はいない。最低でも三人以上でパーティを組むだろう。残りの二人以上は死んでしまったのか。
「えっとぉ、《白の剣士》さんですよねぇ。助太刀感謝しますぅ。いやぁ、おいら《転移結晶》を忘れちゃいましてねぇ。後の二人はそれぞれ一体倒した後に転移しちゃったんですよねぇ。おいらが《転移結晶》持ってると思ってたんでしょうがぁ、ねぇ? 一対四で何とか一体は倒したんですけど、なんとも分が悪い。回復アイテムも切らしちゃいましてねぇ。助けてもらえなかったら死亡ルートですねぇ。ありがとうございますぅ」
その語尾を伸ばす口調と『おいら』という一人称には聞き覚えがあった。頭の中で人名録を捲り、名前を弾き出す。
「《フリーダム》のシャンタロウさんですか。ご無事で何よりです」
シャンタロウは一つの攻略組パーティに所属しているプレイヤーで、《いぶし銀》の異名を持つ巧者だ。二対三になれば連携も取れるので、そんな会話をしながらでも簡単に残りの敵は倒すことができた。《バーサーカーオーク》達が三塊のポリゴンに化した後、僕達は安全地帯まで共に移動した。《転移結晶》も回復アイテムも切らしているシャンタロウでは無事に帰れるか怪しいから、救援要請をするためである。
このときの僕は精神を摩耗させていた。シャンタロウもいることだと思って少し力を抜いていた。久し振りに人と会えたことや、その人が険悪な仲でない人であったことも油断を助長させていた。そこには、自分が今の攻略組で一番進んでいるという自惚れもあったかもしれない。
ふと隣から「ヒッ」という恐怖と驚きに満ちた声と、ポリゴンの破砕音が聞こえた。
「なっ――」
空白になった隣を振り返り、黒いポンチョを羽織って両手剣を担いだ男と向き合う。
奴が、シャンタロウを殺したのか
―――《ラフコフ》の残党!?
―――いや、PoH以外は確認されていた。
―――あいつは短剣使い。ならアレは誰だ?
こちらが動揺している間に、そのまま謎の襲撃者は《転移結晶》で転移してしまった。誰何することなどとてもできなかった。
ただ一人安全地帯に腰を落ち着け呼吸を整えていると、シャンタロウが殺されたという事実が頭に沁み込んできた。
ぐるぐると言葉が脳内を巡る。
シャンタロウのHPを僕のアイテムで回復させれば良かった。気を抜かずに警戒を続けていれば襲撃に気づけたかもしれない。いや、そもそもシャンタロウを《ラフコフ》が狙う理由はなく、奴の狙いは僕だったかもしれない。僕が彼の死の原因だ。きっとそうなんだ。mobから助けたなんて、ほんの一時の延命に過ぎない。あのままでもシャンタロウは一人で切り抜けていたかもしれない。他の助けが来たかもしれない。
僕はまた、救えなかった。……目の前でシャンタロウが砕け――。
******
~side:キリト~
解放された七十一層の迷宮区を攻略していた。今日こそは何としてもレントを見つけ出すのだと、そう気を尖らせていたからだろうか。俺の耳は声にならない絶叫を感じ取っていた。
走る。走る。走る! 迷宮区内では音が反響してしまうため、音がどこから聞こえてきたかは分からない。だから走りつつ《索敵》を続ける。
―――プレイヤー反応ッ!
安全地帯に一人分の光点が見つかった。急いで駆けつけた俺は、そこで蹲って小さくなっている白い塊を発見した。
レントだ。
レントは膝と頭を抱え、壁に寄りかかっていた。近づいてみると、ひたすら何かを呟いているのが聞こえた。
「僕のせいだ。僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせいだ。僕が悪い。全部全部全部全部全部全部全部全部ッッッッッ!! あぁぁあぁ、うぅううぅぅう。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。生きててごめんなさいごめんなさいごめんなさいッ! うぅうぁゎうあぁぁっぅうぅうう………………」
これは……何だ? 本当にレントなのか? 俺が近づいているのに気づいた様子もないし、眼も全く焦点が合っていない。まるで壊れたレコードのように懺悔だけを繰り返していた。
俯いた顔色はSAOのシステムが壊れたのかと思うほど真っ青で、目の下の隈はそれと対比されてどこまでも沈んだ色をしている。体は細かく震えているし、声をかけようが体を揺さぶろうが何の反応も見せない。いつものレントからは到底予想できない姿は俺を困惑の渦に叩き込んだ。一体何があったというのか。
―――俺一人じゃどうしようもない、取りあえずあの三人を呼ぼう。
アスナとエギル、エリヴァにはここの座標とレントがおかしいということだけを送信した。
一時間ほどしてからアスナとエギルがやって来た。道中のmobは全て部下に任せて迷宮区を走り抜けたらしい。その間もレントはずっと譫言のようにぶつぶつと呟いていた。その様子を見てアスナとエギルも驚いたようだ。
「――キリト君っ。ずっと、この状況なの?」
「ああ、俺が来たときからもうずっと」
「……ううむ、こうなったら仕方ねえ。おいキリト手伝え、睡眠薬打つぞ」
「睡眠薬!?」
「ああ、一旦落ち着かせる。話はそれからだ」
睡眠薬とは……そんなものまで置いていたのか、エギルの店は。エギルの言葉に反し、睡眠薬を打つのに俺の手伝いは必要なかった。レントは全く何の抵抗も見せず、大人しく注射を打たれたからだ。薬剤が注入されると同時にレントの声はピタリと止まった。
「へへ、何せこの薬は即効性がある上に、攻撃を与えなきゃエリアボスでも数時間は寝てるからな。効果は折り紙つきだ。その分高ぇが人間に打てば魘されもしn「うぅぅぅっぅう、う……ぅわぁっぁぁあぁ……っ!」な、何ッ!」
「魘されてる……みたいですね。何か他の手はありませんか?」
謝罪を口にすることはなくなったが、レントは今度は悪夢でも見ているかのように呻き出した。そのタイミングでエリヴァがやって来る。
「……ハァッ、レントの野郎はッ! ……ハッ――どうした!! ッハァ…………大丈夫ッ、なのかっ!?」
「取りあえず落ち着かせようと思って睡眠薬を打ったんだが……。見ての通り今度は魘され始めちまった」
「――ちょっとどけ、《
言われるままにレントの傍をエリヴァに譲る。エリヴァは呼吸を落ち着けると、《海賊》の異名に似合わぬ優しい声でレントに声をかけ始めた。
******
~side:レント~
ずっと悪夢を見ていた。
このゲームが始まった初日、僕は茅場のチュートリアルを聞いても何も感じていなかった。デスゲームを受け入れていたんだと思っていた、今までは。けど、違った。本当は何も受け入れられていなかった。そのことを、あの掃討戦で思い知らされた。
僕はソロで活動してきた。だから、仲間が殺されることとは縁遠かった。PKをしたことも当然なかった。ボス戦で死者が出たとしても、大抵は話したこともない人だった。親しい人をこの世界でなくした経験がなかったのだ。
それが掃討戦を境に変わった。この世界で人を初めて手にかけ、『死』を実感した。怖かった。
この世界での『死』を自覚してから僕は悪夢を見るようになった。寝入るのが怖かった。
今も悪夢を見ていた。
目は開いているのに、意識は覚醒しているのに、視覚として情報が入ってこない。代わりに悪夢の映像が流れ続けていた。
突然、暗い場所に突き落とされた。周りから入る光量が変わっても、見えるものは変わらなかった。
「お前さえいなければっ!」
「幸せに、生きてね」
「弟と会いたかったなぁ」
「お前のせいで……!」
「ごめんね――」
「流石の《
「何でテメェが生きてんだよッ!!」
「辛かっただろう、もう大丈夫だ。もう背負わなくていいんだ」
「俺の代わりにテメェが死ね!」
「フフ、アンタも俺らと同じとこまで堕ちたんだよ」
そうして流れていく記憶。自分にかかる声は悪罵の声が増えてくる。段々と闇が深くなる。気づいたら体が底なしの泥沼に嵌まっていた。沈んでいく自分。そんな自分にかけられるのは苦しむ様を見て喜ぶ声、もう罵詈雑言しか聞こえない。口元まで沈んで空気を得ようと喘ぐ。そんな自分の頭を踏みつけるのは、シャンタロウを殺した男だ。その袖口からは白い色と共に、気味の悪い笑い顔の張りついた棺桶が見えた。
「ハァハッハッハッハーーハハハッハハァハッ!!!」
暗闇の中で唯一見える口は醜く弧を描いていた。
僕は首に縄をかけられ絞首台から吊り下げられていて、眼下に見える群衆からは石やら短剣やらが投げつけられていた。その中には、いやその全ては見知った顔だった。僕に物を投げない人はいなかった。さっきまで浮かんでいた顔の持ち主達も、下層で出会った人々も、攻略組も。無関心そうな顔をしている《聖騎士》も、怒りを顔に満ちさせている人情派の《侍》も。親しくしているあの大斧使いも、笑顔を絶やさない《狸》も、《鼠》も。挙句にはあの《閃光》に、《黒の剣士》も……。
―――あれ? 《海賊》、は?
ふと、耳元でその《海賊》の声が聞こえた。
「レント、聞こえてるか?」
その声はなぜだか自然と耳に入ってきた。
その声は閉じた心に侵入してきた。
その声は傷ついた心の隙間を埋めるようだった。
気づけば耳を傾けていた。
「お前はみんなを助けられてる。お前に救われた奴は多い」
顔を上げた。
「大丈夫だ、周りを信じて安心しろ。俺達はお前を嫌ったりしない。責めたりしない。もちろん敵意を向けるなんてことも」
気づけば、群衆の中に《黒の剣士》と《閃光》が見えなくなっていた。
「お前が受け入れてほしいというなら何だって受け入れてやる。たとえお前が連続殺人鬼だろうが俺らは気にしない。お前が暴れるなら全力で止めるが、それは嫌いだからじゃない。心配だからだ」
《侍》と《大斧》がサムズアップをして人混みから立ち去った。
「お前が苦しんでいるなら吐き出せ。ちゃんと受け取ってちゃんと返してやる。お前は自分が思っている以上に周りに好かれてる。それを理解しろ。嫌っているのだって《KoB》と《聖龍連合》の一部だけだ」
《鼠》と《狸》も笑顔を見せて背を向けた。
「ちゃんと話をしよう。今だってお前が心配で俺らは集まったんだ。周りに目を向けてみろ。お前は言ったんだろ、人になりきるんだって。ならそうやって考えてみろ。お前がどれだけ心配されているか」
既に《聖騎士》はいなかった。
「お前だけが悪いわけじゃない。少し人より能力が高いだけだ。常に自分で罪を背負おうとしているだけだ。もう一度言うぞ、お前が全ての責任を背負う必要なんてないんだ。お前の行いは罪を生んだだけじゃない。お前には何度も助けられたんだ。ありがとう」
群衆が端から少しずつ消えていく。最後に残った
「もう少しみんなと接してみないか? 世界が広がるぞ」
視界が開けた。
「お前が何をしようが許してやる。だから自信を持て。立ち上がれ」
縄は解けていて、僕は地に降りていた。
「《白の剣士》の活躍で攻略は一気に進んだんだ。少しくらい休んだって構わないさ。明日は休みを取ろう。あの家も買い戻した方が良いんじゃないか? 良い家だったぞ」
眼を開けば、そこには自分の膝が見えた。
******
~side:エギル~
エリヴァさんは一体何をしているのだろうか。もう何十分もレントに話しかけていた。
「――んっ。エ……、エリヴァ……さん?」
レントが目覚めた! 顔を上げたレントは俺達四人の顔を不思議そうな顔をして眺めた。
「……キリト君にアスナちゃんとエギルさんまで?」
その言葉に、キリトとアスナは傍から見ても分かるほど大袈裟に安堵していた。呼び方が昔に戻ったのがそんなに嬉しいのだろうか。
レントは酷い顔をしていた。整った顔立ちだったのに、それが見る影もない。眼の下にはとても深い隈があり、頬はこけ、肌つやも悪い。顔色も先程よりはマシだが青白く、全体的に不健康な印象を与える。
―――ん?
「ひっ」
レントがひきつけたような声を挙げた。ど、どうした?
「ひっ、う、うぐっ、ひぐ」
―――お、おい、おい。
レントはダラダラと涙を流し泣き出してしまった。慌てる俺達を尻目にレントは泣き続け、何分間も経った後にようやく泣き止んだ。
「いやぁ、泣くのなんて凄いっ、久し振りだっなぁ。皆さんっご迷惑をおかけっ、しました!」
こちらも釣られて笑ってしまうような、晴れるような笑顔だった。不健康な顔はそのままなのに、エネルギーに満ち溢れた笑顔だった。そしてレントはそのまま横に傾いていき――
バタァァァァァン
埃が舞い上がりしばらく何も見えなかったが、目の前が晴れるとレントは横になり眠っていた。
「え? ど、どういうこと?」
「見ただろ、あの隈。レントは普段から一日一時間寝てるか怪しいような生活をしてるくせに、だ。どれだけ寝てないか分からないぞ」
キリトの言葉にエリヴァさんが続けた。
「今ぐらい寝かしておいてやった方が良いだろうな。我々がいる前で寝たということは、私達は信頼されているということだろう。見張りでもしておいてやろうか」
エリヴァさんがドカリと座り込む。俺も腰を下ろした。
「そういやエリヴァさん、さっきは何してたんだ?」
「フン、ただ安心させただけだ。俺はこう見えてリアルじゃ精神科医の
「え? その顔でか?」
「《
「キリト? お前はもう少しオブラートに包めないのか?」
「ははは、無茶言うなよ。俺の会話スキルは零に近いぞ」
「零って言いきらない分成長したのかしら」
軽口を叩き合いながらレントの目が覚めるのを待っていたが、目覚める気配がないのでアスナとエリヴァさんはギルド運営のため帰っていった。
俺はかなりの量のアイテムを持っていた――キリトの連絡が適当だから何が起きても良いように備えたのだ――から、キリトと二人でレントの目覚めを待って野営をすることにした。
翌日、眠り始めてから約十四時間後、レントは目を覚ました。
「うーん、よく寝たけどあと半月分くらい寝たい」
これが起きた一言目に言った言葉である。寝起きの不明瞭さを微塵も見せない言葉に驚いたが、それ以上に昨日とは別人のように健康な表情に驚いた。キリトもそう思ったようで、
「おお、おはようレント。一か月前と同じくらいの顔に戻ったじゃないか。この程度しか寝てないのに凄いな」
「ん? キリト、一か月前って言ったか?」
「ああ、エギルは気づかなかったのか。レント、お前六十六層のときも、前に会ったあの日も化粧か? 何にせよそういうのしてたろ?」
「え……。まぁ、顔色も隈も酷かったから、ね。けどキリト君が気づいているとはね」
「あれだけ不自然に白ければ気づくだろ」
「――その鋭さを女の子にも向ければ良いのに……」
「……レントもそう思うか? こいつの鈍さは最早病気だよな」
「何の話だ?」
「「……いや、何でもない」」
そんなやり取りをしながら野営の片づけをし、帰途に就いた。キリトはレントがまた攻略に行かないように見張っていると言っていたが、まさかアイツもそんなことはしないだろ……? しない……よな?
まあ《転移結晶》を使うのも勿体ないので歩いて帰ることにしよう。
「主街区か、楽しみだなぁ、どんな街なんだろ」
「「え!? レント主街区知らないのか!?」」
主人公が寝ている間にキリト君は寝顔を写真に撮ったことでしょう。
キ「お前の寝顔も可愛かったぞヘヘン」
レ「へぇ、……だから?」
スルーされたんでしょうね。可哀想に。