十月二十三日、今日は《KoB》に入団したキリトの初訓練の日だ。攻略は七十五層に入り、攻略組の決定通り僕は休暇を取っている。その間にいくつかの調査を並行して行っているが、時間はあり余っていた。そんなときにキリトの訓練の話を聞いたのだ。見に行くしかないだろう。
―――黒ばっか着てたけど白い《KoB》の制服似合うのか?
場所や時間に関しては情報屋達から聞いた話をまとめたり、《KoB》の団員から話を聞いたりで割り出した。それでも訓練開始時刻には間に合わなかったのだが。
訓練は五十五層の迷宮区で行われる。正直キリトの実力は誰もが知っているので、今回の訓練は連携がメインのものなのだろう。キリトは少し不器用なところがある――人間関係では特に――ので連携に苦労しそうではある。
キリト達が出発した一時間後にようやく僕は五十五層の主街区を出た。
今回の訓練には四人で向かったそうだ。集団行動になれば移動速度は普段のキリトよりも遅いだろう。僕は全く焦らずにフィールドを駆けていた。
やがて僕の熟練度の低い《追跡》でも薄っすら足跡が見えるようになってきた頃、僕の隣を風が抜けた。走り去る後姿から推測するに《閃光》のアスナだ。
まるで周りが見えていないその様子に尋常ではない何かを感じて僕も慌てて後を追ったが、速い。実に速い。AGIの高いビルドだからだろうか。風のように走る。見る見る内に距離を離されてしまった。
―――《疾風》でも良いレベルだろ、あれ……。
だが大丈夫。彼女の行き先は分かっている。彼女があんなに必死で追いけるのはキリトしかいないからだ。それが分かるからこそ、僕もスピードを上げた。
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曲がりくねった渓谷をひたすらに駆ける。段々と《追跡》で見える足跡が濃くなってきた。そして最後の角を曲がったところで見えたもの、それは、
痙攣しながらも起き上がろうとしているキリト。
《KoB》の制服を着て大きく大剣を振り上げるオレンジカーソルの男。
そしてその前に武器を持たずに立ち竦むアスナ。
僕が剣を抜いて飛びかかるのとキリトが動き出すのは同時だった。僕の剣は一歩遅れて大剣があった空間を斬る。振り下ろされてしまった大剣はアスナを庇ったキリトの左手を斬り落とした。
キリトの右手がソードスキルの光に包まれていく。《エンブレイサー》という手刀技だ。それを目にし、僕は《スラント》を発動させた。
ゆっくりと流れる視界の中で、光り輝く剣が男の肩口から袈裟に斬り裂いていく。キリトの右手も男の腹に侵入した。
男のHPは僕とキリトの攻撃で消し飛んだ。
僕の剣とキリトの手刀、どちらが男の命を奪ったかは分からない。確かなのは、彼のアバターがキリトに凭れかかった後に結晶片となり砕け散ったことと、この世界、そして現実からも彼が永久退場したことだ。
その場が静寂に包まれる。きっとあの男がシャンタロウを殺した犯人なのだろう。《KoB》の、たしかクラディールであったか。《KoB》に彼以外にも
「「――ごめん」」
二つの声が重なる。相手に手を汚させることを避けられなかった。それが僕の失敗だ。クラディールを殺す以外の選択肢を作れなかった。それが、……きっとキリトの失敗だ。
互いの謝罪は地に落ち、沈黙が場を支配した。僕はその空気に耐えきれず、逃げるようにその場を立ち去った。
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攻略を休んでいる日々に、僕はアインクラッドを駆け巡っていた。以前からアルゴと作成していたレッドプレイヤー一覧を完成させようと思っていたのだ。
黒鉄宮の《命の礎》でPKされた人間を確認。その人間を調べ上げ、牢獄にいる
その作業ももう終わりを迎えていた。元々アルゴに頼んでいた分で七割方終わっていた――残りの分だけでも、改めて《鼠》の有能さを実感する作業であったが――のだ。だから今日もキリトの訓練を覗きになど行けたのである。四千人ほどの犠牲者の中で、PKで死んだのは二百五十人ほど。その中でも数人を殺した人間がいるため、リストになった名前は百人もいなかった。
僕はその最後に二行をつけ加える。これを見たアルゴはどう思うだろうか。「またカ、レン坊」とでも言うだろうか。
『クラディール《ポーラン》《ゴドフリー》殺害』
『レント《クラディール》殺害』
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『レント、家に来ないか?』
その誘いが来たのは二十六日、差出人はキリトだ。プレイヤーメッセージで着信したのですぐに返信する。
『どこだい?』
『二十二層の南の森のログハウスだ』
ガタッ
衝撃。その一言に尽きる。まさかキリトがあの家に入居するとは思わなかった。
机にぶつけた膝を摩りつつ、返答する。
『すぐ行く』
机の上で纏めていた資料を手早く片づけ、手土産を準備し、すぐ近くの家へと向かった。
トントントン
三度のノックをして到着を伝えるとドアが開いた。
「……随分早かったな、レント」
「まあね、それじゃお邪魔します」
寂しい話だが、リアルでもこのアインクラッドでも友人の家に誘われたことなどほとんどない。我ながら驚くほど心が弾んでいた。間取りは我が家と同じなので、迷うことなくリビングに向かう。
「あら、レントさん。いらっしゃい」
リビングにはアスナがいた。一度だけ見たことがある普段着である。彼女は穏やかな笑みを浮かべながら椅子から立ち上がった。
「――結婚おめでとう」
「えっ、なんで知ってんだレント?」
「……いや、見れば分からない? アスナちゃんは男の家であそこまで無防備にはならないでしょ。それにあの顔。《攻略の鬼》とは別物だし、昔からそうだったけど君の顔を見た瞬間に嬉しそうな反応をした。最後に、アスナちゃんとキリト君の左手の薬指に同じ指輪が嵌まっている。むしろ違う理由が知りたいけど?」
「な、なんでそんなに怒ってんだよ」
「いや、リア充恨めしいなぁ、って」
「クラインだけじゃなくてお前もかぁ」
―――あれ?
気づくと、僕は仕立ての良いソファに座り、出された美味しいハーブティーを飲んでいた。記憶が飛んでいたようだ。そのやり取りの後は、ご相伴させてもらった夕食が非常に美味だったことと、いつでも遊びに来いと言われたことしか覚えていない。何でだろう?
首を捻りつつも、僕は頻繁に夫婦の愛が育まれているその家に足を向けてしまうのであった。
「そういやレントって今どこ住んでんだ?」
「あの森の向こうにある、もう一軒のログハウスだよ。建ってる場所以外が全く同じの」
「「ご近所さんっ!?」」
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これは十月三十日の話。
その日、僕はいつも通りキリト達の家に向かっていた。その途上の木道を通っているとき、道脇の森の中で何か白いものが見えた……気がした。
足を止め目を眇めて森を注視すると、ボヤンとした人型のようなものが見えた。何かのクエストフラグかと思い、森の中へと足を踏み入れる。近づけば、その白い何かは少女の姿をしていると分かった。簡素な白いワンピースを着た黒髪の小学生くらいの少女だ。頭上にクエストの有無を表すアイコンはなく、その代わりにプレイヤーカーソルが浮かんでいた。
ふとこちらと目が合うと、少女はいきなり気を失ったように真横に倒れた。慌てて駆け出し、少女が地面に着く前に抱き上げる。少女の目は固く閉じられていた。
―――……これからどうしよう?
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「……で、うちの方が近いから俺ん家に連れてきたと」
「うん。運べたし、プレイヤーカーソルが出てるからプレイヤーだとは思うんだけど……。周りに親らしい人影はなかったからね」
「今まで一人だったのかしら。――こんな小さな子まで巻き込まれてたなんて……」
「感傷に浸るのはここまでにしよう。取りあえず僕はアルゴにも頼って、上層からこのくらいの小さな子を目撃したことはないか聞いて回ってみるよ。二人はこの子を預かってて」
「ああ、分かった」
「うん、分かったわ」
「じゃ、頼んだよ」
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キリト達に言った通りに情報を集め始めた。アルゴには既に連絡済みだ。彼女も何か思うところがあるのか捜査には協力的だった。他の情報屋や迷子情報なんかのところにも顔を出したが、全てが空振りに終わった。
仕方ないから、上から確かめていくしかないか。アインクラッドの人口は限られているから、端から当たればどこかしらで関係者が見つけられるはずだ。なぜ上層からかと言うと、単純に探す範囲が狭いからだ。第一層に時間をかけたら上の方にいたとかでは笑えない。
ここも駄目。
ここも見覚えはなし。
ここも知らない。
ここも空振りか。
レッド探し並みに精神を使う作業で、あれを経験していなかったら心が折れていただろう。七十五層から始め、五十層も通り、二十層を切り始めた。
主に聞き込みをする対象は街開きの頃から転移門の近くにいる住人だ。あんなに小さな子がいれば流石に目立ってしまうだろうから、彼らならきっと記憶しているに違いないと考えたのだ。そのため主街区の中心付近で聞き込みをしたらすぐに層を移っていたのだが、失敗だったかもしれない。彼らだって四六時中ゲートの傍にいるわけではないのだ。
結局二層まで探し、心が折れた。時間も既に日暮れ。一層という広大な土地を探し回ることはもう無理だ。
第一層の《はじまりの街》は面積が途轍もなく広い上に、他の層と違って転移門を遣わずにプレイヤーが広がったため聞き込みの対象を絞ることができない。加えて《軍》の領域なので目をつけられると厄介だ。これらが今日の探索を諦めた理由だ。子供であるあの少女は恐らく《はじまりの街》を出ていなかったのだろう。そう考えて空振りに終わった自分を慰めた。
日が落ちてからキリト達の家を訪ねたがあの少女はまだ目覚めておらず、僕は明日はキリト達に協力してもらおうと思いつつ自宅に帰った。
******
十月三十一日、もう少しでこの世界に来てから二年が経つ。僕は今、
「わああい! ニイ、もっと! もっと!!」
「ユイちゃんは高い高いがそんなに気に入ったの?」
「うん!」
子守をしている。
夜が明け、あの少女は目覚めた。記憶は《ユイ》という名前しかなく、幼児退行のようなものを起こしているらしい。眼を開いて最初に見たキリトとアスナのことをパパ、ママと呼んでいた。その流れで、朝食後に家に来た僕のことを
疲れたのか寝てしまったユイの横で、僕らは話し合いを開始した。
「どうするの、キリト君?」
「……《はじまりの街》で家族とかを探す」
「まあ、僕もそれに賛成だな。二層より上は昨日粗方確認したけど、ユイちゃんを知っている人はいなかったよ。第一層にはもしかすれば知り合いがいるかもしれない。――ただ、悪いけど今日は同行できないんだ」
「……どうして?」
「ユイちゃんとは別件で調べ物があってさ。そっちも調べないといけなくて」
「ああ、分かった。《はじまりの街》へは二人で行ってくる」
「ごめんね、お願いするよ。それじゃ僕はお暇するね」
僕が立ち上がりドアに向かおうとすると、裾を引っ張る、眠りから覚めた存在がいた。
「ニイ、行っちゃうの……?」
「――うん、ごめんねユイちゃん。次会うときはまた高い高いしてあげるからさ」
「……分かった! 行ってらっしゃい!」
僕はユイと約束をしてキリト達の家を出た。
―――それにしても、子どもまでいて本当に家族みたいだったな。
******
キリトの家を離れて自分の家に帰る。
僕が行おうという調査は茅場晶彦に関してのものである。ふと思ったのだ。
茅場晶彦はこの世界を愛している。それはこの世界の作り込み方からもよく分かる。
茅場晶彦はゲーム好きだ。これはインタビューで言っていたことがある。
ならば、茅場はもしかしてこの世界とゲームを思う存分楽しめる
もしそうなら一体誰だろうか。彼が完全に一般プレイヤーと同じとは考えられない。HPが零になっても問題ないようになっているか、システム上HPが零にならないようになっているか。どちらかは確実だろう。そして流石にGM権限は持っているであろうし、現実の肉体保持のためにもログアウトできるようになっているに違いない。これらを怪しまれないためには一人の時間が多く必要になる。
茅場はやるからにはトップを目指すタイプ――これもインタビューから――だ。だとすれば、トップクラスの職人の可能性もあるが、攻略組にいることはほぼ間違いない。攻略組の中でもトップクラスの実力者の誰かに違いない。今日はその
僕の仮説――最早妄想に近いが――から言えば、そのプレイヤーは最後には裏切る。たとえ今まで共闘してきた仲間であろうと、最終的には斬らなければならないのだ。その覚悟くらいはしておきたい。
そのプレイヤーをどうやって絞り込むかと言うと、人間関係を洗い出すのだ。茅場が他人の顔を使って成り代わっているとは考えにくいので、リアルで知られている、初日のチュートリアルで容姿が変わるところが目撃されている人物は除外できる。
これを攻略組のトップクラス、ボス戦にもよく見るようなプレイヤー百人から減らすと半分ほどになった。意外と減ったものである。女性はそもそも数少ないが除いてある。長時間の異性アバターでの生活は精神に影響を与える可能性があるとナーブギアの説明書に書いてあった。開発者がまさかそれを破らないだろう。
また茅場には異性の恋人がいた。神代凛子という女性なのだが、彼女までもがSAOにログインしているとは考えにくい。よってこの世界で交際していない男性まで絞り込める。もちろん茅場が新しい恋を始めている可能性はある。しかし、彼はそんなことはしないという直感にも似た思いがあった。
これを条件に加えて選別すれば、残ったのは二十人ほど。その中で有名なプレイヤーは《海賊》のエリヴァ、《聖龍連合》ディフェンダー隊リーダーのシュミット、《KoB》のフォワード隊リーダーのマリーン。そして《聖騎士》ヒースクリフだ。残りはある程度名前が知られているが、この四人には劣る。ひとまずはこの四人と直接話をしに行こうと思う。
僕には人体の動きが視える。こちらの話に反応を僅かでもすれば僕には伝わってしまう。世間話に変化球を混ぜて反応を視てみようか。
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四人と会話をするのに丸一日もかかってしまった。特にヒースクリフはアポイントメントを取っていたというのに、前回と違って一対一で話すのは非常に困難だった。
それでも一日をかけた分の成果は得られた。これで僕は斬れる。
二十二層の森の中、キリト達に顔を見せようと思い立った。ユイはちゃんと保護者が見つかったのだろうか。僕はドアを叩いた。
「――は~い。……レントさん?」
「うん、顔を見に来たよ」
アスナに家の中に通される。そこには黒い私服を着たキリトがいた。いいや、
「ユイちゃんはどうだった?」
「レント――」
それから《はじまりの街》で起きた出来事について話を聞いた。《軍》が横暴を働いていたこと。孤児院を開いているサーシャという女性がいたこと。《軍》の揉め事のこと。《地下迷宮》のこと、そのボスのこと。
そしてユイが
ユイがカーディナルに異物と認識されて消されかけたこと。それをキリトが自分のナーブギアにユイを保存することで防いだこと。
全てを聞き、僕は呆然としていた。まさか、あんなに子供らしかったユイがAIだったとは、到底思えなかった。
ユイはもういない。あの約束を果たすことはもうできないかもしれない。少しの間しか触れ合えなかったが、ユイの子供らしい仕草には僕も癒されていた。そんなユイがもういないなんて。俄かには信じられなかったが、キリト達の顔を見れば分かる。
―――事実……なんだ。
顔を上げた僕は無理をしていたんだと思う。いつもの微笑みは意地でも崩さなかった。
たとえAIだろうと親しかった人間をなくすのは辛い。僕はシャンタロウ以来だった。親しかった人をなくすのは。泣き叫びたくなる。
しかしここで泣き叫ぶのは違う。僕よりもキリト達の方が余程哀しいはずだ。自分達と親子のように振舞っていた少女を目の前でなくしたのだから。だから、無理をしたまま僕はキリト達の家を去った。
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帰り道、ヒースクリフからメッセージが届いた。
『レント君、七十五層の偵察隊に入る気はないかね?』
僕は荒んだ目で、返事を返した。
『喜んで』
主人公は真相に気づいているんでしょうかねぇ。
ちなみにタロウさんはベンチャー企業の社長さんで、リアルで就活中だった人が知っていました。