~side:エリヴァ~
茅場晶彦という正体を暴かれながらも調子を崩さないヒースクリフが口を開いた。
「キリト君が私の正体に気づいたのは、レント君の手紙とあの決闘のときのことだろう。あれは私にとっても痛恨事だったからね。だがレント君、君はどうして私が茅場晶彦だと思ったのだろうか。参考までに聞かせてほしいのだが」
「……まず茅場晶彦の性格から、SAOをプレイしており、攻略組のトッププレイヤーというところまで推測できます。そこから女性を外し、初日に外見が変化したところを誰かに確認されている人物も外しました。リアルでの生活が判明している人、例えば著名な社長とかですね、これも除外です。残った中で知名度が高い人は貴方を含め四人。その全員と言葉を交わし、このことを匂わして何の反応も見せなかった。いや、むしろよく気づいたなという反応を返したのが貴方だったんですよ。それに貴方、他人のやっているゲームを横から見ているの嫌いなタイプでしょう?」
「ふむ、なるほど。データを統計、私の思考をトレースしたのか。確かに私は自分でゲームをするのが一番好きだとも。――さて、バレてしまっては仕方ない。私は一足先に百層で待っているよ、と言いたいところだが。キリト君、君に報酬を上げなければな。私の正体を見破った報酬を」
「何……? 見破ったのはレントじゃないのか?」
「いや、キリト君。僕は予測はしていたけど証拠を示せなかったからね。見破ったのは君で間違いないよ」
「そういうことだ。君は私に攻撃を仕かけることで正体を露見させた。これを見破ったと言わなくてなんとなる。そして見破った報酬だが、それは……私との決闘だ」
「決闘だと?」
「ああ。今ここで私に勝てばゲームクリアとしよう。もちろん不死属性は解除するよ」
ヒースクリフの提案はキリトを悩ませた。
「ダメだ、キリト! そいつの話に乗るんじゃねぇ!」
「そうよ、キリト君。今はひいて!」
キリトに親しい者が声をかけるが、ボス部屋の大勢はいかんともしがたい。キリトとさして親しくなければ奴の申し出はメリットにしか思えないからだ。それを察してか、キリトは俯いたままだった。
場の雰囲気だけではない。キリトもこのSAOで誰かしらをなくした経験をしているはずだ。これは直接の復讐の機会とも言える。
キリトが顔を上げた。
「良いだろう、茅場晶彦。その決闘、受けて立つ!」
「ふ、キリト君ならそう言うと思っていたよ」
そういうとヒースクリフはシステムウィンドウを操作した。途端、ヒースクリフとキリトのHPが危険域の赤まで下がる。
「一発でも受けたら終わりか、良いだろう。だが、その前に二つ条件がある」
「何かね?」
「少し、みんなと話す時間をくれ。それから俺が死んだら……アスナを自殺できないようにしてほしい」
「ふむ、良いだろう。アスナ君はしばらくセルムブルグから出られないように取り計らおう」
それを聞くとキリトは安心したように息を吐き、関係深い人に声をかけていった。エギル、クライン、レント、アスナと一人一人と話していく。……まるで遺言のように。
そしてとうとうヒースクリフへと向き直った。
「ヒースクリフ、始めようか」
「ああ、あのときの決闘の続きを始めようかね」
二人は剣と盾を構えた。誰もが息を呑み、しんと音が消える。
「「ハッ!」」
二人が同時に地を蹴り、相手に向かって剣を繰り出す。それを躱し、防ぎ、流れるように次の攻撃へと繋いでいく。
剣と剣、剣と盾がぶつかり合い激しい光と音を発する。高速で移動しながらの高度な戦闘。それが何十合も続く。両者ソードスキルを放たない。放てば硬直で仕留められるからだ。
キリトの動きが次第に加速していくが、ヒースクリフも負けてはいない。彼は動きのスピードを上げるのではなく、動きから無駄を削っていく。奔るような連撃が端から防がれていく。
―――硬すぎるっ……!
そのとき、キリトの双剣が光に包まれた。《聖騎士》の硬さに逸ったか。信じがたい連撃数のソードスキルだが、全ての動きが読まれてしまっている。そして突きを放った左手の剣が十字盾に当たり、剣の耐久値が限界を迎えて儚く砕けた。
「さらばだ、キリト君」
ヒースクリフの十字剣に光が宿る。大技が終わったキリトにあれを避ける術はない。誰の目にも諦めの色が浮かんだ。
「キリト君……っ!!」
瞬間、どうやって麻痺を解いたのか、アスナがキリトの前に腕を広げて現れた! 庇う構えだが、それではアスナの命が!
ドスッッッッ!!!
重たい打撃音。
キィィィィィィィィン!!!!
そして高い金属音が連鎖した。
一つ目はアスナが蹴り飛ばされた音。二つ目はヒースクリフの剣がいなされた音。
レントだ。
レントもまたアスナと同じように麻痺から抜け出していた。
衝撃を食らったアスナは倒れ込む。そのHPバーを見ると、再び麻痺状態になっていた。
「アスナちゃん、駄目じゃないか。人を助けるにはまず自分の命が最優先だよ?」
「レント……ッ!」
「それと、キリト君。これ使って」
レントが白い剣をキリトに渡す。それはキリトが使っている剣をそのまま白くしたような見た目の剣だった。
「それは《オブスキュア》。さっきのLAだよ。性能は保証する」
「また、貰っちゃったな。クォーターポイントのLA」
「まぁ良いシナリオじゃないかな?」
様子を見ていたヒースクリフも、その言葉にフッと笑みを零した。
二対一になった状況で再び構え直す三人。
「ふむ、二人でかかれば勝てると思ったのかね?」
「何にせよゲームはクリアされるのが定めです。速いか遅いかの違いですよ?」
「はは。――面白い!」
空気が再び張り詰める。そして、キリトとレントが同時に飛びかかった! 先程までとは違い、二方向から襲いかかる斬撃にヒースクリフは防戦一方になる。攻撃の密度は一本しか剣がないレントの方が薄いはずなのだが、その絶妙な攻めはつけ込む隙を作らせない!
キリトとレントは場所を入れ替えたり、敢えて隙を作ったりしてヒースクリフを崩そうとするが、魔王は鉄壁の守りを見せる。
もう何十合になるか分からない。そのタイミングでレントが大きく動いた。
右手に握った白い剣で《スネークバイト》を発動させる! ヒースクリフはキリトを剣で牽制しながら十字盾で防ぐ構えを見せた。その剣と盾が触れ合う瞬間、レントの右手に握られていた剣が消える! そして今度は
「……ぬぅん!」
しかし、それはヒースクリフの剣から放たれた桃色の光の前に儚くも散った。後ろに流されていた盾にも光が宿っているということは、後方に盾が流れるあの体勢もソードスキルの規定モーションの内だったのだろう。
飛び込んだところにカウンター気味に入った剣はキリトの体をたやすく貫いた。通常の攻撃ならばキリトは躱して見せただろう。あの白黒の剣士達ですら、盾を崩せばソードスキルは撃てないと踏んでいたのだ。
ヒースクリフの攻撃の前にHPを散らしたキリトは力なく宙を飛び地に着き、色を薄くし、砕けた。
「なっ……!」
「キリト君ッ!!」
アスナの悲鳴が聞こえる。絶望の呻きがボス部屋を満たす。そんな中でも、レントの目はまだ生きていた。
ヒースクリフと対峙しているレント――いつの間にか、白い布が巻かれている白い剣を右手に持っていた――はウィンドウを操作し、丸い卵型をした宝石を取り出した。
「ターゲット! 《Kirito》!!」
叫ぶと同時に宝石は砕け、キリトだったポリゴン片が集まってきた。そして人の形を取り、強烈な発光をした。屍薬の解除と全く同じ光景だ。目を開くとそこにはキリトがいた。
「ふむ。しかしこれは避けれまい!」
キリトが復活したことへの疑問を挟む時間もなく、ヒースクリフの声に意識を引っ張られる。
アイテムを使用した結果、決定的な隙――アイテムは基本的に使用後に僅かな硬直時間が発生する――が出来たレントに容赦なく、ソードスキルの光に包まれた十字剣が襲いかかる! ギリギリで硬直が解けたレントは白い剣で防ぐが、狙い通りといった顔をヒースクリフが見せる。剣と剣がぶつかり合った結果、
レントの白い剣が半ばから折れ宙を舞った。
手に残った半分も時間を置かずにポリゴンと化す。奴の狙いは初めから《
唖然とした顔を見せたレントだが、連撃系だったのだろう、なおもソードスキルが自分に降りかかってくるのを見て顔を引き締めた。そして、必殺の剣を
反撃に、いつ持ち替えていたのか、もう一振りの白い剣で《スラント》を放つ。
「そう来ると、思っていたよ!」
しかしその道筋にはヒースクリフの盾がある。体が透け始める中放った最後の一撃は、完璧に防がれ――なかった。
「オオオオォ!!」
レントの《スラント》が盾をすり抜け、ヒースクリフの体へと突き刺さる!
「何っ――」
元より赤かったヒースクリフのHPバーがその色すらなくし、ヒースクリフの体もレントと同じく透けていく。そして二人は光に包まれたかと思うと、その体を同時にポリゴンへと変えた。
パリィィィィィィィィィン!!!!
同時に、アナウンスが入った。
「アインクラッド標準時十一月七日十四時五十五分、ゲームはクリアされました。繰り返します、ゲームはクリアされました。現在をもちまして、全てのデータは固定されます。プレイヤーのログアウトを開始します」
繰り返し、繰り返し、ゲームがクリアされたことを伝えるそのアナウンスは響き続けていた。体が浮くのを感じた。アナウンスの通り、ゲームからログアウトするのだろう。この剣の世界から現実へと帰還するのだ。
一人の英雄の、命を賭した行動のお蔭で。
******
~side:レント~
目を開いたそこは夕焼けだった。
僕は自分に意識があるのを驚きながら、状況を確認した。まずは服装。これは最期の瞬間まで着ていた白のシャツとコートだ。つまりここはSAOの中なのだろう。しかし腰に剣はない。《ジャッジメント・エンター》は折れてしまったが《ソウル・ソード》は残っていたはずだ。しかし、ここにはない。
次にメニューウィンドウを開いた。普段通りのメニューが一瞬だけ表示されるも、すぐに画面は切り替わって『最終フェーズ実行中 一%』と表示されてしまった。見えた瞬間の所持金が馬鹿げた金額になっていたのは気のせいだろう。
最後に周囲。遠くに――告知でしか見たことのない――アインクラッドらしき鉄の城が浮かんでいる。僕が立っているのは水晶のように透明な浮遊する板だ。こんな光景、ゲームの中でしかありえない。
なぜ、僕に意識があるのか。僕のHPは間違いなく尽きた。自分が砕けていく感覚を得ながらも、ヒースクリフも道連れにできた……はず。
―――ゲームはクリアされたのか?
水晶の床から夕焼けを眺めていた僕の隣に、いつの間にか茅場晶彦が立っていた。ヒースクリフではない、白衣を着た現実の姿で。
「やあ、レント君」
「――茅場さんですか」
「余り驚かないんだね、私にもこの光景にも」
「大方、少し話がしたいとでも言うのでしょう?」
「ふ……その通りだよ。そのためにここに招待したのだからね」
「それなら、質問をしますよ?」
「ああ、全て答えてあげようじゃないか、ゲームクリア報酬だ」
「最初に、生き残った人はログアウトできましたか?」
「ああ、もちろん。私は自分の言葉に責任を持つからね」
「ならば僕はどうして意識があるのですか? すぐに僕も死ぬと?」
「君は他の人達と同じようにログアウトできるよ。これは私のミスだがね」
「ミスとは?」
「設定の齟齬だよ。君達プレイヤーが死亡するのはポリゴン片が消え去ったタイミングだ。対して、ゲームクリアは私のHPが零になった瞬間なんだよ。そしてゲームがクリアされたのと同時に、プレイヤーの殺害プログラムは停止する」
「……つまり、ポリゴン片が消える前に貴方が倒されたから僕は生きている、と?」
「簡単に言えばそうなるね」
「それなら良かったです。遺言も残せませんでしたから。それで次の質問です。僕の推測はどこまで当たっていましたか?」
「少なくとも私が聞いたものは全てだ。九十五層からは街という安全圏をなくす設定だったからね。それからボスの推測に関してもだ」
「そうですか、それは良かった。それで、茅場さんはこの後は……?」
「ふ、私もプレイヤーの一人だ。この世界が終われば私は脳死する」
「この世界が終われば、とは?」
「ああ。今現在、SAOを管理しているカーディナルは全てのデータを削除している真っ最中だ。それは最初から決めていたことだ。クリアされた世界は消え去る、ただそれだけだよ」
「そう……ですか」
僕と茅場は尚も言葉を重ねる。
「今度は私から質問しよう。君はなぜキリト君が斬られる瞬間に動けたのかね?」
「貴方のことだ、一対一を守るために麻痺でもかけるに違いないと思ったので《対麻痺ポーション・特》を飲んだだけです」
「ふむ……。だが、あの麻痺はシステム権限だ。アイテムでは抗えないはずなのだが」
「…………さあ、なぜでしょうか?」
「君には他にも驚かされたよ。最後の攻撃だが、HPが零になってからのプレイヤーはゲームに干渉できないはずなのだ。しかし、君は剣を届かせた。一撃目の《スラント》はロスタイムだったが、二撃目はそれすらも過ぎていた」
「…………」
「武器を使って、ダメージ判定を起こさずに他のプレイヤーに干渉したり」
「…………」
「《脳内タブ操作》でマジックのような技を作ってみせた」
「…………何が言いたいんですか?」
「ふふ。君がVR世界に最も『適合』していたということだよ。《脳内タブ操作》というのはあそこまで万能なものではない。《スラント》を途中でわざと
「お蔭様であなたの鉄壁を崩せたわけですが」
「驚嘆すべき点は他にもある。確かにこの世界の全てのアバターには疑似的なものだが筋肉を再現してある。しかし、それが
「……そういえばユニークスキルとは何なんですか?」
「あれは計十個ある特殊なスキルでね。他の八つは九十層から解放される予定だった。まあ、もう日の目を見ることはなくなってしまったが。《二刀流》は全プレイヤー中最も反応速度が高いプレイヤーに配布されるものだ」
「なるほど、九十層ではそれがあったんですね」
「ああ、そういうことさ」
そこで会話は途切れた。二人で横に並び夕焼けを見つめていた。『最終フェーズ』も気づけば五十%を超えている。
「――そろそろお暇しますかね」
「ふむ、キリト君とアスナ君が来る頃合いだが、会わなくて良いのかい?」
「ええ、彼らが来るなら安心です。事情聴取に必要な情報も彼らが聞いてくれるでしょう」
「そうか、それならこれで君とはさよならだ。メニューにログアウトボタンがある。そこから現実へと帰ってくれ」
「分かりました。それでは最後に」
「……?」
「この世界ではたくさんの人が亡くなりましたし、心に傷を負った人もいるでしょう。それ自体は許されるべきことではありません。しかし、僕はこの世界が――
――心底楽しかった。とても美しい世界だと思えた。
僕はこの世界で過去の自分を乗り越えられたんです。英雄に、なれたんです。ありがとうございました、この世界を作ってくれて。招待してくれて。欲を言えば、デスゲームじゃないSAOをプレイしたかったですけれど。この異世界は命があり、命が戦った世界でした。面白かったですよ、SAO」
「そう言ってもらえて制作者冥利に尽きるよ。それに私にとっても君は特別だった。研究対象として興味深いのはもちろんだが、君には私のことが本当によく分かるらしい。ここまで自分の行動を当てられたことは」
僕らは口を合わせて言った。
「「神代君以外いないよ」」
男二人でクスクスと笑う。
「僕は茅場さんのファンでしたから。では、またどこかで会える日を。それまでさようならです」
僕は初めて見るログアウトボタンから現実へと帰還した。最後に見えたものは、突然現れた黒い背中だった。
******
重い瞼を上げる。二年振りに初めて目にしたものは白い天井だった。起き上がることを拒否しているような重い体を何とか起こし、試しに右手を振り下ろしてみる。ホロウィンドウは現れない。やはりここは現実世界らしい。
振り下ろした右手を見ると皮と骨ばかりになっていた。左手も同様。筋肉など存在しないというようなその両手を動かし、二年間被り続けていたヘルメット型のハード、《ナーヴギア》を外す。ファサンと伸びていた髪が背中へと垂れる。
SAOプレイヤーが目覚めたという情報が回ってきたのだろう。勢いよく病室のドアが開き、ナースが入ってきた。そして既にベッドに体を起こしている僕に向かって口を開いた。
「――ぶでーか? ―――――けるさ―? ―こえ―すか?」
二年間も使っていなかった体は反応が鈍くなっている。未だよく聞こえないことを示すように、僕はゆっくりと首を振った。
―――取りあえずは、筋肉をつけよう。
僕のリハビリ生活が幕を開ける音がした。
アスナちゃんとキリト君、主人公はそれぞれシステムを超えてます。人外ですね。
次回からは、隔日での更新になります。