「うん、僕はその可能性もあるかなって思ってる」
「……そう、なら気が向いたときに考えてみて」
「ん、じゃあまたね和人君」
発売から二年以上経って旧型となってしまったスマートフォンを耳元から外した。
SAOから帰還して二ヶ月程経ち、年が明けた。最近の変わったことと言えば、SAOに巻き込まれた学生向けの学校が今年の新学期から始まるということだろう。
『帰還者学校』と呼ばれるそれは、この二年間で遅れてしまった勉学を追いつかせるための国の施策だ。SAOは十三歳以上という年齢制限があったため、十五歳から二十歳前後までが対象になっている。ただ年齢制限を無視していた年少プレイヤーもいたので、年齢の幅は更に広まるだろう。しかし、六千五百人ほどのSAOサバイバーの内、学生は千三百人ほど。学年は多くとも総生徒数は通常の大きめの学校と大して変わらない。
卑劣なテロリズムに巻き込まれた学生の救済のため。そう謳われての事業であるが、その実はSAOで暮らした青少年に精神的な問題がないか調べるためだろう。サバイバーはゲームの世界で異常な日々を過ごしてきたのだ。現実世界で何かの問題を引き起こすかもしれないという偏見は常につき纏う。その学校にはカウンセリング等も充実しているらしいから、やはりそれが主な目的なのだろう。
―――高卒資格が貰えるのは嬉しいけどね。
二年の差は――特に学生の間は――社会復帰に大きなハンデを負うことになる。それが多少なりと解消されると思えば、受け入れる他ない。
僕はあれから菊岡と何度か会い、知り合いの連絡先を手に入れることに成功した。と言っても、エギル、エリヴァ、リズベット、キリト、アスナ、アルゴ、タロウなどの極々少ない人数だったが。彼らに端から連絡を取っていた。
実は、SAOクリアから二ヶ月経った今でも、現実に帰らない人達がいるのだ。その数は三百。脳死したわけでもないのに、目を覚まさない。菊岡の所属する仮想課はその件でここ最近てんてこ舞いらしい。
そして、連絡を取ろうとして分かったことだが、アスナもその三百人の内の一人だ。
キリトとアスナは僕がログアウトした後に、あの水晶の床で茅場に会ったそうだ。その後も最後のログアウトまでアスナとは一緒にいたとキリトは語る。しかしキリトが目を覚ましたのに、アスナは目覚めていない。
そのアスナ達三百人は一体どこにいるのか。僕は、それはALOではないかと疑っている。それも世界樹ではないか、と。
茅場がプレイヤー全員をログアウトさせたことは確実だ。それが彼の美学なのだから。だとすれば、三百人の未帰還者を生んだ原因はいくつか考えられる。
一つ、未だにSAOにいると思い込んでいて目を覚まさない。
これはアスナには当て嵌まらない。彼女はSAOがクリアされた場面を見て、現実での再会をキリトと約束しているのだから。
一つ、データの奔流に流された。プレイヤーの意識はサーバーに集中していたから、それぞれのナーヴギアに戻るまでの間に空隙がある。そこで何らかのトラブルが起きた可能性だ。
茅場がそんなやわな接続の仕方をしているとは思えないから、仮にそうだったとしてもそれは外部からの干渉によるものだろう。
一つ、別の所に拉致されている。
僕にはこれが一番納得できた。データの混線から意識がネットの海で迷子になっているというよりは、別の場所に意識を引き摺り込むための干渉が外部から行われたという方がもっともらしい。事故か事件かという話だが。
ナーヴギアは接続状態――プレイヤーからもネットからも接続がある状態――らしいから、プレイヤーの意識の拉致先はVRワールドでなくてはならないだろう。その候補として最も可能性が高いのはALOだ。
広大なマップを誇るVRMMOは、技術秘匿によってALOしか存在していない。ALOを経営しているレクトには倒産したアーガスからSAOのサーバーが託されていたのだから、外部から干渉して稼働中のALOサーバーにプレイヤーを流すことも可能だろう。
これほどの企みは、レクトの中でも高い地位を持つ人間でないと不可能だ。しかしアスナはレクトの社長令嬢なのだと言う。その彼女にレクトの人間が手を出すのだろうか。
これは一つの可能性として菊岡にも話してみたが、確かな証拠があるわけでもなく、この情報を基に捜索することは不可能だろう。特に仮想課はレクトと対立したくないことであろうし。
キリト――本名、桐ヶ谷和人との通話を終え、僕はALOに向かうべくアミュスフィアを被った。退院してから更にログイン時間が増えてしまったのはご愛敬だ。あの世界へと通じるコマンドを発声する。
「リンク・スタート」
******
―――そろそろここを通るはずだ。
僕は森に潜みながら、空を眺めていた。
ここはシルフ領の端の森だ。少し飛べばすぐに中立域に入る。
ALOにおける強力なモンスターやダンジョンは、中立域の方によく出現する。各種族は自領地内では自由にログアウトできるため、領地内に狩り場を設けては難易度が低くなり過ぎる。それに関係してか、領地の中でも中立域に近いとそれなりに高レベルのモンスターが現れる。
本日のターゲットはそれを狩りに来るシルフ領主だ。領主はPKされると大きな被害が出るため、日々のプレイでは領外に中々出ない。それが最も中立域に近づくのが狩りのタイミングだ。そこを狙う。
こういった領主をターゲットにしたPK未遂――領主を殺すとそれはそれで面倒なため直前で手を引いている――を、僕は全種族に仕かけている。そして、残りはシルフとサラマンダーだけになっていた。
そして、現シルフ領主の《サクヤ》が今晩この森付近で狩りをするという情報を、僕はとあるシルフの執政部の人間から聞き出した。そのため待ち伏せをしている。
全種族に名を轟かせる計画は進行中だ。領主襲撃計画はその一端だ。既にある程度《白い悪魔》の名前は知られているが、もう少し何かが欲しい。ビッグネーム――サラマンダーの《ユージーン》辺り――を潰したいところだ。
「ゎぁ……」
どこからか声が聞こえた。すぐにSAO由来の《索敵》を発動。感知したプレイヤーは七人、一パーティ分だ。
―――さあ、『狩り』の時間だ。
******
~side:サクヤ~
―――しまった。マズい。どうする!?
脳内をその三単語が駆け抜ける。
襲撃は唐突だった。私はここ最近の日課になりつつある、中立域付近での狩りをしようと思っていた。即時ログアウトができるシルフ領だからと、私も護衛も、共に来た友人のリーファですらも油断していた。そして無様にその油断を突かれた。
狩り場に到着しスピードを落としたところで襲われた。襲われた場合は、襲撃者に勝てそうでも大事を取ってすぐにログアウトするように取り決めていた。
私がログアウト操作をする間は五人の護衛が襲撃者を抑え、リーファが私の傍で警戒していた。
ログアウト操作には五秒もかからない。左手を振り下ろし、メニューウィンドウを表示。スクロールして下から二番目を選ぶ。そして出てくる承認ボタンを押せば完了。
しかし襲撃者は、その五秒間すらこちらに与えはしなかった。
目の前から針が飛んで来たと、私は当たるまで気づかなかった。元々ALOにはそのような得物を使う者はいない上に、その針が非常に速かったからだ。
その針には麻痺効果があったようで、私は麻痺状態に陥った。麻痺状態になると飛行するための翅も麻痺するので、私は落ちていった。隣にいたリーファも針を捕捉できておらず、反応が一テンポ遅れた。その隙が完全にログアウトを封じた。
十メートル以上離れていた襲撃者は、止まった状態から途轍もない勢いでこちらに飛んで来た。そして、麻痺状態になり落下中の私を思いきり蹴り飛ばした。
長い距離を飛んでいる間に高い《状態異常耐性》のお陰で麻痺から回復した私は、襲撃者が来ない内にログアウトしようとした。
『中立域での即時ログアウトはできません。アバターが残ってしまいますがよろしいですか?』
まさか、あの襲撃者は私を中立域に飛ばすために蹴り飛ばしたのか。
―――何て手練れだッ……!
目の前を向けば、苛烈な襲撃者の攻めに他の六人も中立域へと押し出されてしまった。
「サクヤ様っ! 我々が時間を稼ぎます! その間に領内にっ!」
「――貴方じゃ時間も稼げませんよ?」
一人がこちらに叫ぶ。しかし彼はすぐにエンドフレイムに変わった。この世界でも一撃で相手のHPを削りきるプレイヤーは何人かいる。しかし殺された彼はシルフの中でも十指に入る実力者だ。改めて、たった一人の襲撃者の腕の良さに舌を巻いた。
「ぐはっ!」
「――魔法がファンブルしてしまいましたよ?」
連携しながら立ち向かう四人のシルフの手練れを捌きながら、襲撃者はあの針で一人の魔法をファンブルさせた。針を口の中に投げ入れたのだ。感嘆を通り越して呆れる技量だ。
「――四人でこれですか。少し、飽きましたね」
間に特徴のある独特な喋り方をした全身が白い襲撃者は、そう言うと一気に二人を爆炎へと変えた。
「なっ!!」
「――はい、もう二人」
今の隙を突いて離脱しようとした私に針を放り牽制しながら、更にメイジ役ともう一人を斬り殺した。
その場にはリーファと私だけが残される。
襲撃者と睨み合うこと一分が経ち、リメインライトも消え去った。
睨み合っている間に私は襲撃者を観察していた。
襲撃者の第一印象は『白』だった。
簡素な白い服の上に白いコートを羽織っている。特に華美な印象は与えないが、いかにも熟練といった雰囲気だ。相応に装備のランクは高い。
武器は片手剣だ。威力は両手剣ほど出ないが片手で扱えるため取り回しが楽で、愛好者はとても多い。剣もこれまた白いカラーリングをしていた。こちらも派手ではないが、しっかりとした造りで鈍さを全く感じさせない刀身は間違いなく《古代武器級》だ。
この『白』というカラーリングが似合うプレイヤーはALOには中々いない。しかしこの襲撃者にはとても似つかわしかった。それもそのはず、大半のプレイヤーに白が似合わない理由はその髪や瞳といった身体的な部分の色に原色が多いためだが、襲撃者の肌は抜けるように白く、髪の色も純白、瞳はよく見れば薄いグレーだがパッと見ただけでは白に見える色合いで、要するに装備など関係なくそのプレイヤーは『白』なのだ。
戦っていたときに見えた翅は、自主的に脱領したことを意味する乳白色であった。しかしレネゲイドだろうが髪や瞳の種族カラーは変わらない。つまり種族の色に白がない現状、身体的特徴が白いプレイヤーなど本来は存在しないのだ。
それを覆す存在が現れたというのは風の噂で聞いたことがある。そしてそれ以上に、ここ最近シルフのプレイヤーを悩ませている
「――さて、ここらで挨拶をしておきましょうかね」
襲撃者は一分間ほど続いた沈黙を破って口を開き、一度剣を下ろした。
「――初めまして、サクヤさん、リーファさん。僕は《白い悪魔》レントです。以後お見知りおきを」
そして私の考えが正しかったことを知らせる。
「……ふむ、近頃シルフプレイヤーに被害をもたらしている《白い悪魔》とはそなたのことか」
「――シルフ以外も狙っていますがね」
「ふ、見たところ脱領者のようだが、どこかに雇われているのかな?」
「――いえ。これはただの趣味です。ご案じなく」
「領主の襲撃が趣味とは穏やかではないな。しかし他の領主が打倒されたなどという話は聞かない。本当に趣味なのかい?」
「――どの種族だろうと、みすみす領主を危険に晒したなどと吹聴したくはないでしょう。それに、スプリガンの領主以外には止めを刺していませんから。シルフの領主であるサクヤさん、貴方で領主を襲うのは八人目です。安心してください、ちゃんとした趣味ですよ?」
にこやかに笑いながら恐ろしいことを言うものだ。
それにしても気味の悪い喋り方をする男だ。リアルではまともに話せないコミュ障で、仮想世界に来て天賦の才を発揮でもしたのか。纏わりつくような、背中に回り込まれているような粘着感を持っている。
―――いかん、いかん。今はこの場を乗りきることを考えなくては。
「それなら私は見逃してくれるということかな?」
「――ええ。ただ、こちらの《スピードホリック》さんはお借りしますよ」
「えっ!?」
いきなり話を振られたリーファが驚き、首を竦めている。
「――余りに気にかかってしまったので、リーファさんに稽古をつけようかと」
「……な?」
今度は面食らうのは私も同じだった。
******
~side:リーファ~
な、何で私がこんな目に。
今日はサクヤが狩りに行くっていうからついて行こうと思っただけなのに……。
―――しっかりするのよ! リーファ!
やるとなったらやってやろうじゃないか。この、剣道で全中に出たあたしに稽古をつけるというならやってみろ!
頬を叩き振り向いて、襲撃者――レントに視線を向ける。
レントは木――翅の持ち時間が足りなくなって降りて来た――に凭れかかっているサクヤを斬りつけていた。
「ちょ、ちょちょちょちょっと待てぇぇい!!」
私はレントに剣先を向ける。
「何よ、あんた! あたしが稽古を受ければサクヤには手を出さないって!!」
「――とどめめを刺さないとは言いましたが、手を出さないとは言っていませんよ」
「く……、リーファ、私は大丈夫だ。麻痺はしているが、やはりこいつの腕は確かだ。私のHPは残っている」
「――当たり前です。一ドットだけ残して差し上げましょうか? ちなみにサクヤさんにかけた麻痺はHPが少なければ少ないほど強力になる麻痺毒です。今の状態では熟練度の高い《状態異常耐性》があっても十分は動けないでしょう。分かっているとは思いますが、これは逃がさないための枷ですからね?」
……サクヤは取りあえずは無事のようだ。しかし十分間も動けないなら、あたしがそれより早く《死に戻り》でシルフ領に戻ってしまえば……。
野良モンスターに身動きできないサクヤが殺される光景を想像してしまい、頭を振るって嫌な光景を振り落とす。
「フゥ、さあ、稽古とやらを始めましょうか」
「――ええ、まずはその剣道に引き摺られる癖を直しましょう」
「え?」
「――剣道は確かにALOではかなりのアドバンテージですが、ここに剣道のルールはありません。下手に引き摺られると無駄死にしますよ?」
確かに、あいつが針を投げたときあたしは全く反応できなかった。それは頭のどこかで、敵の得物は剣だけだと決めつけてしまっていたからだろう。
あたしはシルフの猛者たちを軽く蹴散らした人間の言葉に耳を傾け始めていた。
稽古が始まり、あたしは様々な搦め手や、剣道にはないアクロバティックな動き等を実演して見せられた。サクヤが動けるようになるまでの十分間ずっと。
その全てにあたしは翻弄され、何度もリメインライトになった。その度に高位の蘇生魔法でレントに蘇生させられ、稽古を続けた。
結果的に
レントにはあたしの天狗の鼻を徹底的に折られた。《スピードホリック》と呼ばれシルフでも随一の飛行能力を持っていたあたしだが、上には上がいる。レントはホバリングの状態からあたしの全力以上のスピードを突発的に出す。一体どこをどうすればあのスピードが出るのか、あたしには全く想像もつかなかった。
あたしに勝てるような相手とはリアル含めても中々出会えないのだが、先程の稽古では結局掠らせることすら叶わなかった。斬り下ろしを紙一重のバックステップで避けられたときに柄から手を放してリーチを瞬間的に伸ばしてみたが、それすらも微笑を崩さずに避けられた。あのとき、あたしは改めて敗北を叩き込まれた。その強さにはリアルでの剣道の師範にも通じるものがあった。
稽古が終わり、麻痺から解放されたサクヤとあたしは無事にシルフ領に入った。それを後ろから確認されていたが、最早それすらも気にならなかった。師匠とすら呼びたい気分であった――サクヤがいたため遠慮したが――。
―――また、会えないかなぁ。
会った瞬間にPKされている気もするが、再び相見えてみたいと純粋に思った。
趣味で領主襲撃はちょっと……。引きますわぁ、流石に。
ちなみにサクヤの情報を得た脅しの方法は、
主人公)おら、領主の予定吐けやぁ!
執政部)言うわけないでしょう!
主)なら、殺して、復活させて、殺してを繰り返してデスペナ漬けにしてやんぞぉ!
執)やってみればいいじゃないですか!
~無限ループ中~
執)言いますからぁ、これ以上は止めて下さいぃ。初期値になるぅ。
主)けっ、根性ねぇなぁ。たったの十五回でギブアップか。
……悪役ですね。