SAO~if《白の剣士》の物語   作:大牟田蓮斗

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 二月になってしまった……。骨折の方は無事に治りました。二十八日までにもう一話上げたいですが、どうなるでしょう。取りあえずは四十七話、木綿季の自宅前からです。どうぞ。


#47 母娘

『二人とも、本当にありがとう。この家をもう一度見られただけで、ボクは凄く満足してるんだ』

 

 木綿季の声が静かな空気を揺らす。

 

『この家に住んでた頃、ママはお祈りの後にボクと姉ちゃんにこう言ってくれたんだ。『神様は、私達に耐えることのできない苦しみはお与えにならない』って。――でもボクはちょっとだけ不満だった。聖書じゃなくて、ママ自身の言葉で話してほしいってずっと思ってた。でもね、今この家を見て分かったんだ。ママは言葉じゃなくて、心で包んでくれていたんだ、ボクがちゃんと前を向いて進んでいけるように祈ってくれてたんだ、って。……ようやくそれが分かったよ』

 

 熱心なキリスト教徒らしい、深い愛の籠められた言葉。それはただの聖書の言葉ではない。木綿季の母親から木綿季に送られた愛の証。

 

「私も……もうずっと母さんの声が聞こえないの」

 

 明日奈がその口を開いた。今まで隠してきた心の声を漏らす。

 

「向かい合って話しても、心が聞こえない。私の言葉も伝わらない。――木綿季、前に言ったよね。ぶつからなければ伝わらないこともあるって。どうしたら木綿季みたいに強くなれるの」

 

 あの時のユウキの言葉。あれからずっと明日奈は悩んでいたのかもしれない。『ぶつからなければ伝わらないこともある』。それが心に響いたとしても、長い時間は家族とすら、いや、家族だからこそ、ぶつかり方を分からなくしてしまったのかもしれない。

 

『ボク、そんな、強くなんてないよ、全然……』

「そんなことない、翔君だってそう。私みたいに人の顔色を窺ってビクビク怯えたり、尻込みしたり、全然しないじゃない。凄く自然に見えるよ」

 

 ……そんなこと考えもしなかった。

 プローブから木綿季の悩むような声がして、ゆっくりと確かめるように語り出した。

 

『ボクもさ、この家にいたときはずっと自分じゃない誰かを演じてた気がする。家族に元気一杯な様子を見せなきゃいけない気がして。……でも、思うんだ。演技でもいいんじゃないか、って。それで少しでも笑顔でいられる時間が増えるなら。――ほら、もうボクにはあんまり時間がないでしょ? 物怖じしてる時間が勿体ないって、どうしてもそう思っちゃうんだ。最初からドッカーンと行っちゃってさ。……嫌われても構わないんだ。何にせよ、その人の心のすぐ側まで行けたことに変わりはないから』

 

 木綿季らしい物言いに少し口元が緩む。

 

「そうだね。僕らが木綿季と会えてここまで親しくなれたのもそのお陰だからね」

『ううん、それは違うよ』

 

 初めて会ったときのユウキを思い出しつつ発した言葉は、しかし本人に否定された。

 

「え?」

『レントもアスナも、逃げるボクを必死に追いかけて捕まえてくれたでしょ? そのお陰だよ』

 

―――明日奈ちゃんも追いかけたんだ。

 いや、そもそも探すこと自体が追いかけたに含まれるのか? などと下らないことを考えていたら、木綿季が意を決したように明日奈に語りかけた。

 

『っアスナ! ……だからさ、お母さんともあのときみたいに話してみたらどうかな、気持ちって、伝えようとすればちゃんと伝わるものだと思うよ!』

「っ……」

 

 体を震わせた明日奈に、木綿季は更に言葉を重ねる。

 

『大丈夫、アスナはボクよりずっと強いよ。アスナがドーンってぶつかって来てくれたから、アスナにならボクの全部を打ち明けられるって、そう思えたんだ』

「ありがとう……。ありがとう、ユウキ」

 

 静かに瞳に涙を浮かべる明日奈。その手は愛おしげに肩の機械を撫でる。僕にはこの役目はできなかった。当座の問題解決はできても、根本的な家庭の問題は解決できなかった。明日奈にその勇気を与えた木綿季は、僕が思っていたよりも随分と成長していたらしい。

 

******

 

「それで、具体的にはどうやってぶつかろうか」

 

 木綿季の家から明日奈の家に向かう道中、僕らは絶賛作戦会議中だ。

 

『うーん、ボクはアスナのお母さんがどんな人か知らないからなぁ』

「京子さんはねぇ……。多分普通に話しても駄目だろうね。心を完全に閉じちゃってるから」

「……」

 

 中々に難関である。これならアインクラッドのボス攻略の方が意見が出るのではないか。

 

『――これじゃアインクラッド攻略の方が楽だよー』

 

 考えることは同じである。

 

「そうだ! 一つ思いついたわ!」

『え!? どうするの!?』

「母さんにALOに来てもらうのよ!」

「……それは難しいんじゃない? それにもしALOにダイブしたとしても、そこで説得できる何かがあるの?」

「うん。ALOの私とキリト君の家があるでしょ? あそこの裏にある杉林が、宮城の母さんの実家にあった杉林に似てるのよ」

 

 衝撃の事実、宮城出身だったのかあの人。

 

「そこで少しでも心を動かせたら、説得できるかもしれない」

「でもあの京子さんにアミュスフィアを着けてもらうのは難しいんじゃない?」

「それは……何とか頑張ってみる」

 

 たしかアスナはもう一つアカウントを持っていたはずだから、状況を調えるのは可能だろう。

 そうして作戦がまとまったところで、明日奈の家に着いた。

 門を抜けて玄関まで送る。するとそこには京子が待ち構えていた。彼女は明日奈を叱ろうとしたのだろうが、僕がいるのを見て動揺した。

 

「――翔さん? どうしてこちらに?」

「いえ、明日奈さんを送りに来ただけですので。お気遣いなく」

 

 そういえば完全に僕がいることを伝え忘れていた。

 明日奈が僕を振り返る。

 

「それじゃ、ありがとね翔君。また明日」

 

 明日奈が階段を上っていくのを見た。僕も帰るとしよう。

 

「それでは、京子さん。また明日お伺いします。――それと、明日奈さんの言葉をきちんと聞いてあげてください」

「え、ええ。翔さんもお気をつけて」

 

 最後のはちょっとした潤滑油だ。今の二人は顔を合わせただけで喧嘩しかねない。

―――明日来たときには解決してるといいな。

 明日は夕食に呼ばれていることを思い出し、明日奈の成功を祈った。

 

******

 

~side:明日奈~

 

「母さん」

 

 翔君が帰った後、冷蔵庫の中の物を適当に食べてから、私は母親の書斎の扉をノックした。少し逡巡したが、先程の木綿季の言葉と翔君の言葉を思い出して勇気をもって右手を振るった。

 

「どうぞ」

 

 少し不機嫌そうな声が返ってくる。帰りが遅くなったことがその原因だろう。

 ゆっくりと扉を開き、その隙間に体を潜り込ませる。部屋の主は、忙しなく動かして絶え間なく音を立てていた指でキーボードのエンターキーを力強く押すと、こちらに体を向けた。

 

「どうかしたの。この間話した編入申請書の期限は明日までですからね、朝までに書き上げておくのよ。それと、翔さんとの仲は良いみたいね。彼との婚約は明日正式に決定を出しますから、きちんとしておきなさい」

 

 この『きちんとしておきなさい』とは、和人君のことだろう。私はこの言葉で翔君に帰り道で言われたことを思い出した。

 

『京子さんは明日奈ちゃんのことを思ってるんだと思うよ。素直じゃない性格と自分が苦労した経験から意固地になってるところはあるけど、明日奈ちゃんが強い意志を持って言うことなら必ず伝わるから』

 

 あの言葉を信じて口を開く。

 

「そのことなんだけど、話があるの」

 

 母は液晶画面に向けかけていた体をこちらに戻す。

 

「言ってみなさい」

 

 本当に私の意思を気にしないなら話を聴こうともしないはず、そう自分を勇気づけて頼みを口にする。

 

「ここじゃ話しづらいことなの」

「じゃあどこならいいのよ」

 

 やや不機嫌になる母。唾を飲みこんで、私は両手を前に突き出した。

 

「VRワールド」

 

******

 

~side:京子~

 ここ一年ほど娘の様子がおかしい。

 原因は考える必要すらない。あの忌々しいSAO事件だ。あれのせいで明日奈は、その約束されていた輝かしい未来を失った。

 特に酷かったのはその後のALO事件だ。

 SAOに巻き込まれ、浩一郎の椅子に座ってナーブギアを着けた明日奈を確認したときは、思わず泣き叫ぶところだった。

 それからも毎日眠る度――初期の頃は眠ることすら難しかった――に生き残ってくれるように祈り続けた。

 ゲームのことは夫の会社のこともあって少しは学んだが、当時は何も知らなかった。しかし外部で確認できた情報からトッププレイヤーだと分かったときには、腰が抜けるかと思ったものだ。無知ながらにSAOの難易度は想像がついていたのだ。

 本音を言えば止めてほしかった。わざわざ自分から危険な方へと進んでいく必要はないではないか。明日奈がやらずとも誰か――特にゲーマーなどと呼ばれる輩――がクリアしてくれるだろうから。……少しも誇らしくないというわけではなかったが。自分の娘が、死の恐怖があるにもかかわらず他人のために、この家に帰ってくるために頑張っていると聞いて嬉しくないはずがない。

 事件が起こって二年後の十一月。突如SAOがクリアされたとの報道が入った。内密にと国の役人がゲームの進行状況を教えてくれたことがある。それによれば攻略度は未だ七五%ほどだったはずなのだが。

 何だろうと構わない。私は午後の予定など全て放り出して病院へと走った。途中ですれ違う人、すれ違う人、皆に珍獣でも見るような目で見られていたが何も気にならなかった。今まで築き上げてきたイメージ、それが崩れる程度どうでも良かった。ただ明日奈に会いたい、再び娘と笑いたい。その思いだけで進み続けた。

 病院に着き、私は絶望した。明日奈は、目覚めていなかった。前日の時点では間違いなく生きていた。他の被害者は目覚めている。なのに、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでっ…………

 

 

 

 娘は目覚めないのだ。

 

 

 

 気づけば辺りは暗くなっていた。場所は娘の病室。ベッドでは愛しい娘が、あの忌々しい機械を着けたまま寝ていた。既に日が沈んでいる。私の心も沈んでいた。

 翌日、菊岡という総務省の職員がやって来た。彼の話によれば、全国に百人、未だに目覚めない犠牲者がいるそうだ。

 なぜだ。なぜ私の娘なのだ。なぜ明日奈ばかりが辛い目に合うのだ。

 この件にも私ができることは何もなかった。ただ娘の無事を祈るのみ。そうする内に、去年の一月、残りの百人が解放された。私は今度こそ娘に再会することができた。生来のこの性格のせいで素直に喜ぶ様子を見せることはできなかったが、その頃の私の心の中はしばらくお祭り騒ぎだった。

 帰ってきてからの明日奈は少し変わったように思えた。二年と少し、その期間は短いようで、私達が歩み寄りづらくなるのには十分過ぎる時間だった。それでも娘は前よりもよく笑うようになった。

 SAO事件の被害者を集めた学校という名の監視施設に通わせなければならないのは正直認めがたいが、今どこかの高校に編入するのは難しいものがあるから仕方ないというのも事実だ。それに明日奈であれば、どんな学校にいようとも立派な人間になることは間違いない。だから、それで良かった。

 しかし夫の親族はそうは思っていなかった。彼らにとっては、同年代に二年以上もの先行を許した明日奈は人生を失敗したようなものなのだ。あの世界(SAO)でどれだけ恐怖と戦い、人のために、帰るためにどれだけ死力を尽くしていようが、そんなもの関係ないのだ。むしろ()()()()()()に必死になって挑むような人間だから人生の落伍者になる、そう本気で思っているようだった。

 

 許せなかった。

 

 認めさせたかった。

 

 娘の努力を、生まれ持ったいくつもの才能を。たとえゲームという範囲だろうと、才能を持っていることは誇るべきことだ。たとえ何か社会に役立つものでなかったとしても、努力し成長し続けることは素晴らしいことだ。

 それを彼らは鼻で笑い飛ばした。

 私は考えた。どうすれば彼らに娘のことを知らしめられるか。簡単な話だ。彼らの立つステージで結果を残せば良いのだ。私はそれに向けて動き続けた。それが娘のためだと思って。

 

******

 

 自分は間違っていたのかもしれない。いや、間違っていたのだろう。

 最初は娘が生きているだけで満足だった。それが欲が出た。娘を周りに認めてほしかった。そこに娘の希望はなかった。

 好きなこと(ゲーム)も理解してやっているつもりだった。けれど、それも間違っていた。娘が囚われたVRというもの、娘が好き好んでいるVRというもの、それを私は全く理解していなかった。

―――涙が、堪えられない。

 娘に見せられた杉林。実家を思い出す。思えば私はあのときも間違っていた。結城に馬鹿にされる実家が悔しかった。その分私が頑張って、たとえ宮城の田舎者でも侮れないということを見せつけてやるつもりだった。

 そんなことしなくて良かったのだ。彼らに認められなくとも、私が誇りに思っていればそれで十分だったのだ。

 気を遣ったのか、娘は気づけばいなくなっていた。かつてVRを試してみたときのことを思い出して、左手を振り下ろす。シャランという音に僅かに体が震えるが、すぐにスクロールしてログアウトというボタンを見つける。それを押せば、一瞬のブラックアウトの後、バイザー越しの書斎の天井が目に映った。

 頬に残った涙の跡を拭って、私は残った仕事を始めた。

 

******

 

~side:翔~

 昨日、明日奈は上手くやれただろうか。一抹の不安を抱きつつ、僕は結城家のインターホンに手を伸ばす。

 

「大蓮です」

『……いらっしゃい、翔さん。今開けますね』

 

 明日奈に案内され、ダイニングに向かう。

 かなりの長さがある食卓には京子が既に着いていた。一通りの社交辞令を終え、食事を始める。

 食事中は世間話に終始した。にこやかな雰囲気で、思いの外明日奈と京子の顔は明るかった。

―――これは上手くいったかな?

 食事を終えると京子の表情が硬くなる。そして心を決めたように口を開いた。

 

「翔さん。今日は大切なお話があります」

「――婚約のことですか?」

「っ、ええ」

 

 まさか僕から切り出すとは思わなかったのだろう。眼を瞬かせる。気を取り直したように再び口を開く。

 

「貴方は娘と婚約するつもりだったかもしれませんが、私は違います。正式にお断りしたいというお話です」

 

 その言葉を告げる視線は強く、曲がる気のない意志が込められていた。どうやら説得は上手くいったようだ。壁は高いほど乗り越えたときに心強い盾になるとは言うが、正しくその通りだと感じさせられた。

 

「僕の方もお断りするつもりでしたので、何もお気になさらないでください」

「……明日奈の言った通りだったのね」

「明日奈ちゃんが何を言ったかは分かりませんが、僕達は最初から手を組んでいました。そもそもSAOで知り合い、同じ最前線で命を張っていたときから僕は和人君と明日奈ちゃんを応援していましたから」

「最初から茶番だった、というわけね」

 

 京子が片頬を吊り上げる。

 

「はい。……僕から見て、和人君ほど明日奈ちゃんの隣が相応しい人はいないと思いますよ?」

「そう。私に挨拶に来たときにでも審査させてもらうとしましょう。これでも審美眼には自信がありますしね」

 

 これは、遠回しだが色々と認めてくれたとみて間違いないだろう。後ろで明日奈もVサインを出している。

 

「――ところで、貴方はSAOでの明日奈を知っているのよね。……どんな風だったか教えてくれないかしら?」

 

 そう言う京子の目は、今まで見たことのない、子供の成長を嬉しく思う母親の目をしていた。




 その後、主人公はSAO時代のアスナさんのあんなことからこんなことまで楽しく語りましたとさ。

 果たして和人は、主人公を見て、彼に認められているならと京子さんの中で膨らむ期待に応えることができるのか!?

 ……京子さんから宮城弁とか飛び出したらギャップ凄いですよね、と下らない妄想を垂れ流しておいて、今回はここまで。

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