洞窟、と言って良いかは定かではないが、穴を通じて辿り着いた場所はとても暗かった。その中で発光しているケルビエルの翅だけが明るい。
自らの翅で虚ろに照らされたケルビエルは、洞窟を大きく腕で示しながら言った。
『ここは、私だけが知る訓練場だ。ここで試練を受けてもらう』
そう言うと、ケルビエルは虚空に手を翳した。掌の先にポッと光が浮かぶ。ケルビエルがそれを握る素振りを見せると、光は縦に伸びて弓のような形に変化した。
光が固まらないために不定形なその弓を、ケルビエルは構える。新しく光が矢の形に生まれてそれを番え、光る弦を引き、瞬きの間に三本の矢を放った。
光り輝く矢は壁に当たり、それぞれが壁に開いた別々の凹みに刺さって火を灯した――油でも引いてあるのだろう――。それは特殊な火のようで、通常のものよりも遙かに明るい。それによって洞窟の中がはっきりと見えるようになる。
幅は約五メートルといったところ、高さは三メートルほど。奥行きは、目測で五十メートルくらいか。
―――狭いわね。
弓を射るには狭い空間だ。リアルの弓道でも、確か遠的だと六十メートルほどは飛ばすはずだ。ALOにおいてはそれに加えて曲射も行う。距離はもっと必要だし、高さも必要だ。訓練場とするならば。
『くく、不満そうな顔よな。なに、老後の手慰みにそれほどのものは要らぬ故この程度なのだが、お主が望むならば少し作り変えようか』
「いえ、別に構わないわ。それより、そうよね。既にあるものに文句なんかつけるべきじゃないわ」
頭を振って気持ちを切り替える。別にこれからここで戦闘を行うわけではないのだ。スペースの問題はしなくても良い。
「それで試練って何をすればいいのかしら?」
ケルビエルを振り返って尋ねる。パッと見たところではただの伽藍洞で試練とやらの想像がつかない。
私の視線を受けたケルビエルは一度指を鳴らした。すると伽藍洞の奥に五枚の人型を模したパネルが横一列に現れる。それぞれのパネルは頭部の上に更にもう一つ円を乗せている。
『まずはあれの頭の上にある円を射てみよ。ただし、私が射た順でな』
言うが早いかケルビエルは先程の光る矢を五本射る。同時に五射したように見えたが、当たった順で言うならば右から二番目、中央、一番右、一番左、左から二番目の順だ。順番を指定するのは乱射で当てられることを防ぐためだろう。
―――ウィリアム・テルの逸話がモデルかしら?
人型とその上の的。人の頭上の林檎を射抜いた彼の逸話から取ったのだろうか。だがそれだけでは簡単――あの逸話は勇気を示すものでもある――過ぎるからこうなったのだろう。
『それでは始めるとしよう。お主らの時間で、あー、一分だったか。それ以内に終えよ』
今度は壁に円状に丸めて嵌まっている縄をケルビエルは射て火を点ける。それはちりちりと短くなっていく。あれがタイマー代わりということだ。
今更この程度の難易度の試練で怯むことはない。ケルビエルもまずと言ったのだからこれ以上の難易度もあるのだろう。
私は自分の矢筒から五本の矢を取り出し、全て番える。そしてそれらを一斉に放った。
私が放った矢は、先程のケルビエルと同様に時間差を持って五ヶ所の的に的中する。
ややドヤ顔でケルビエルを見るも、ケルビエルは一切動じずに『ふむ』とだけ言った。
『では次に行くとしようか』
ケルビエルが再び指を鳴らすと五枚のパネルが倒れ、それと同時に奥の岩壁が二つに割れて左右にどき洞窟が伸びた。
表情には出さないが、正直なところ非常に驚いている。これで十メートルほど洞窟の奥行きが増した。なるほど、隠してあったのか。
そして二枚目の岩壁には、アーチェリーで見かけるような的が立ててあった。
『あの的を射よ』
言われたままに矢を放つ。矢は真っ直ぐ飛んで的の中央に刺さった。
『次の試練だ。自らが放った矢を狙って射よ。制限時間は三分だ。始めよ』
今度は先程の縄より少し長い縄に火が点けられる。
ふんと私は鼻を鳴らした。まだまだ温い。現実では相当難しいのだろうが、いくら使いづらくとも流石に補正がかかっているALOでは易い試練だ。
たしかこれはアーチェリーではロビンフッドと言うんだったか、そんなことを思いながら私は迷わずに射る。弓道における継ぎ矢の状態になって矢はその動きを停めた。
今度もケルビエルは『ふむ』と言うだけで指を鳴らした。
的が岩壁ごと左右に引っ込む。その先にあった光景に、今度は私も表情を変えてしまった。
奥行きは今度は一気に四十メートルほど伸び、合計で百メートルほどか。その奥の三十メートル分には
その波部分の上空は激しい風が吹き荒れている。これも吹き出ているのは一定方向なのだが、壁に動きを封じられたがために風が右往左往している。その余波で風がこちらまで届いてくる。
そして何よりも目立つものは、その波の中で揺れ、風に揺らされる小舟だろう。船体と帆だけの簡単な造りの舟だが、そこには一本の棒が立っており、その上には扇が的のように乗っていた。
『三番目にして最後の試練だ。あの扇を射抜け。ただし、一度放った矢が完全に停止してから二の矢を射ろ。制限時間は五分だ、始め』
溌溂と笑っていた姿はどこに行ったのか、ケルビエルはこの試練が始まってから感情の起伏を見せない。その冷たい口調で、予想通りの試練内容を告げた。
―――今度は那須与一!
スイス、イギリス、日本の弓の名手にちなんだ試練の内容。最後だけ難易度の上がり具合が異常だ。
激しく動く小舟、その上にある小さな扇。これには余裕をこいてもいられない。波だけですらその予測不能と思える動きで舟を揺らすのに、暴風はこちらの矢の軌道も大きく歪めるだろう。
目を閉じた。
はっきり言おう。攻略法は分かっている。
これは逸話をモデルにした試練だ。そして那須与一はこれを達成している。そのときの鍵は『神への祈り』。そしてこのケルビエルは光弓シェキナーに関して事あるごとに『主』を引き合いに出している。天使としては当然のことなのだが、ただのゲームのNPCにしては多い。だからそこがクリアの鍵なのだろう。
『主』に祈ればこの風は止み、波は途絶えるのだ。
―――悔しい!
しかしそれでは私の弓の腕が負けたようではないか。それは悔しさ以外の何も生まない。光弓なんかよりも私の誇りの方が大事に決まっている。
ギリと歯を食いしばる。
瞼を上げて舟を見据える。既にタイマーの縄は五分の一ほどが灰になった。
風を見、波を見る。舟の上下動、左右動を観察する。予測ができない? 甘えるな! このVR空間内のことなら全て、現実世界よりも簡易的な摂理に従っているのだ。それを見抜けずしてスナイパーを名乗るべきではない!
見る。見続ける。私のVR適性はSではない。だが、だからと言って同じことができないというわけではない。私でも同等のことを熟せると、そう示すのだ!
―――でなきゃ、あの感情を乗り越えられない!
目を見開く。余計な思考が削ぎ落されていくのが分かった。あれほどにも輝いていたケルビエルも一切視界に入らない。手を伸ばせば百メートル先の扇を掴めるような気すらした。
風が、私の髪を揺らした。
―――五センチ左に揺れて、右に返って三センチ。
髪が視界をその通りに横切った。
矢を番えている気はしなかったが、今だと思ったときには既に手元から矢が放たれていた。
私が放った矢は、大きく左に曲がり明後日の方向へと飛ぶ。それが漏れてきた風に乗って大きく浮き上がる。浮き上がった分、勢いを上げて斜め下へと落ちる。それは強烈な風に揉まれて地に落ちる前に再び巻き上げられる。氾濫する風に踊らされて今度は右サイドを飛ぶ矢は、左に右に、上に下に、少し後ろに戻ったことすらありながら舟へと近づいていく。
果たして舟の方は。波に浮かび沈み、木の葉のように回転する。風に煽られて転覆間際までいったかと思えば、その反動で逆方向に倒れかける。だが確実にその上の扇は矢へと近づいていた。
―――三、二、一。
心の中のカウントダウン。その数が零になった瞬間、矢と扇は磁石が引き合うように衝突した。矢は扇を貫き、扇は棒から飛び二つに割けた。
それと同時に風と波が止む。水は波を生み出さずに凪ぐ。
私の耳は突然拍手の音を受け取った。それと同時に視界に眩く光り輝くケルビエルが出現する。
『素晴らしい! まさかこれほどとは思わなかったぞ、妖精よ。この世界にもお主のような弓の名手が存在するのだな。……実に、感心である』
試練の途中の素振りは露と消えて、楽し気に両手を打つケルビエル。その目は、しかし楽し気な様子とは裏腹に厳しかった。
『お主、この試練の真実に気づいていたのであろう?』
「……ええ。きっと、ってのはね。それとも何? それを満たしていないから私に光弓は与えられないと?」
彼の譲りたい理由から考えれば、それも妥当な判断だろう。主の栄光を世に伝えるためなのに、主に一切の感情を持たない者に譲ってどうなる。これはある意味裏技で攻略したようなものなので、正規ルートではないためクリアと認められないと言われたらそれまでだ。
『いや、そんなことはないとも。確かに少々憎らしくはあるが、言ったことは違えぬ。それに我は天使であると同時に武人だからな。お主のような武芸者に褒美の一つもやらなければ気が済まないわ』
そう言ってケルビエルは、はっはっはと快活に笑った。その様子に私も表情を緩める。この天使は想像以上に好ましい人格の持ち主のようだ。
『では、約束の主の御力だ』
ケルビエルは、自らの非実体の弓に手を翳した。そこから光が段々と漏れ出し、ケルビエルの手へと集まっていく。そして十分に集まった光をケルビエルは握り潰した。光は掌から左右へと飛び出し、そして弓の形に固まった。
『ほれ』
私に弓が渡される。その弓は粗雑な製造工程とは裏腹に、繊細な造りだった。
大きく湾曲した弓は、輝く光がそのままに固体化したような形、つまりは所々が尖った構造となっている。その尖りも主張は強くなく、決して華美な印象も、過度な格好つけのような印象も与えない。鋭いがそれを感じさせない柔らかさがそこにはあった。全体の色は白から薄いクリーム色なのだが、光の当たり方によっては緑や青のような色にも見える。
私はその弓に心を奪われていた。だが、すぐに我に返る。
「ありがとう、ケルビエル。この弓、大事にさせてもらうわ」
『何、我が遺したいと願っただけなのでな。……ところで、お主は《矢》が欲しくはないか?』
「――また、試練?」
思わず口から言葉が飛び出した。光弓獲得の試練の次は矢獲得の試練なのか。
『いや。お主の実力は散々見させてもらった、これ以上を望むのは無粋というものよ。だが一つ頼みがあってな』
「何よ、頼みってのは」
勿体ぶられるのは好きではないのだ。やや厳しめな声音の私にケルビエルは鷹揚に答えた。
『弓を作っただけで終わるかと思ったのだが、残りの力からまだ《矢》が何本か作れそうなのでな。この《矢》は何本も持っていて意味があるものではない。故に、他の者にも《矢》のことを伝えてもらいたい。我は人里に行くことを好まぬ。それを受けてくれるのであればこの《矢》を授けよう』
そう言いながら、光弓と同じ手順で矢――色は薄いクリーム色だがこちらは一般的な形だ――を作った。
「良いの? たとえ受けたとしても実行するとは限らないわよ? それで渡して構わないのかしら」
『構わんよ。本来は実力を示したのだからこの《矢》は授けるべきなのだ。そこに少し頼み事を添えるだけだ。達されずとも致し方あるまい』
「……受けるわ、その話」
『はっはっは、良くぞ申した。そも、そのようなことをわざわざ聞く者が言葉を違えるとは思えん。気にせず持っていくが良い』
ケルビエルは雑にその矢を放った。私の手の中へと真っ直ぐ飛んできたそれを、しっかりと掴む。ケルビエルはそれを見ると、黙って入ってきた穴の方を示した。
「じゃ、ありがたく使わせてもらうわね。……さよなら」
『うむ、さらばだ』
翅を広げて、その穴から地上に向けて飛び立った。
巨木の根元から飛び出ししばらく飛ぶと、周囲が見覚えのある景色に変わる。あのクエストを受けている間はインスタントマップに移行するのだろう。そうでなければ偶然あの地下空間に迷い込む人が出てきてしまうかもしれない。
街に向かって飛びながら、私は新しい二つの武装のステータスを確認していた。《光弓シェキナー》と《光矢イグジスタンス》――シェキナーは伝説級だがイグジスタンスはただのアイテム扱いだ――。
《光弓シェキナー》という伝説級武器の存在が公式から発表されていることを知った私は、《光弓シェキナー》というものを調べた。伝説級と謳うだけあって神話だったりの伝承が元ネタであることが多いからだ。カゲバミやカグツチのようにオリジナルなものも多いが、グラムやエクスキャリバー、クラウ・ソラスが元ネタがあるものの代表格だ。
《光弓シェキナー》の元ネタは、聖書の世界観において智天使の長である《ケルビエル》が肩に具えるという弓――こういった伝承には異説が多過ぎるが――だと推察していたのだが、やはりケルビエルがクエスト発注主であったのでこれは確定と見て良い。そして件の伝承の弓は『神の栄光』を示すのだとか。
―――それで《ゴッズ・グローリー》ね。
また『シェキナー』というのはヘブライ語だかで『(神の)存在』を意味する言葉が由来らしい。《光矢イグジスタンス》。イグジスタンスはexistenceで『存在』なのだろうか。
存外単純な運営の命名方法に苦笑する頃には、私は街に到着していた。
ふわりと中立都市に舞い降りる。
それにしても光矢の情報をどうやって広げるべきだろうか。新クエスト発見と称して掲示板にでも投げてみるか。だがこの弓冷遇時代にたかが矢の情報が拡散されるとは思えない。私は真剣に悩んでいた。
―――この《光矢》の能力は捨てられない。
これさえあれば現状を変えられる。だが、そもそもこれを手に取らせるまでが難しい。
一旦はクエスト情報が集まるゲーム内掲示板にでも載せるかと判断して、ひとまずこの街の中心部に向けて歩き出した。しかし私の耳に一つの喧噪が入ってきて、その足はすぐ止まることになる。
「はぁ!? 弓だと!? なんであんな産廃にすんだよ!? 遠距離がいいなら魔法でいいじゃねぇか!」
思わず口角が上がる。この叫び声からすれば、自らの武器に弓を望む新人と、新人の知り合いであるプレイヤーの言い争いだ。本人が弓を望んでいるのだから、その背中を押すような情報を携えた今の私なら弓の使用者を増やせるかもしれない。
声が聞こえてきた方に向かって私は走り出した。
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「だから! シノンさんは特殊なんだっての! あんな人、滅多に居ねぇっつーかお前じゃ無理だろ!?」
「やってみなくちゃ分からないじゃないか! 僕はGGOでもスナイパーライフルを使ってある程度は稼いでただろ! 忘れたか!」
「それが誰と組んでたお陰か覚えてねぇのはテメェだろ! ここじゃ組むのは俺だけじゃねぇんだよ! 俺だけならまだいいけど、他の奴らが納得しねぇっつうの」
二人の男性プレイヤー。共にウンディーネだが、新人でない方は種族としては珍しく大柄だった。スキンヘッドの彼の見かけは恐ろしいが、よくよく発言を聞いてみればむしろ優しさすら感じられる。新人の方は一般的に言っても小柄で、スキンヘッドの彼と比べるとより小柄に見えるが、その優しさを知っているのか怯えた様子はない。その関係性はありがたかった。
顔を突き合わせそうな二人の間に駆け込めば、二人の視線が私に向かう。私は新人の後ろに回り込んでその両肩に手を乗せた。
「なら、私に任せてくれない?」
「誰だテメェ……って、シノンさん!?」
「え、シノンさん!? 本当に!?」
「ええ。それで、しばらくこのニュービー君を私に預けてくれないかしら? その、
スキンヘッドの彼は逡巡しているようだった。新人と視線を交わした後に、ようやく口を開いた。私から新人の顔は見えないが、きっと視線で何かしらのやり取りがあったのだろう。
「……三日、丸三日だ。それ以上はやれん」
三日。新しい武器種を習得する時間としては少な過ぎる。向こうもそう考えていたのだろう。
「構わないわ。それから、もし満足いかない結果に終わったなら新しいスキル枠分のユルドくらいは払うわ」
だからこの返事は予想外だったのだろう。だがこの男は良い性格をしている。
「――四日後に俺らと集団デュエルをしてその戦いぶり次第で決める、ってことにしておく。他の奴らの説得はやるから、シノンさんよ、そいつは任せたぜ」
仕方なさそうに笑いながらそう返してきた。
しののん、前回から引き続きヤケクソです。誰か、ALOに弓の強化を……! いや、まあ、するなら私なんですけれど。それにヤケクソの理由は弓不遇だけじゃありませんしね。