巨漢の水妖精と別れて、私はその小柄な水妖精はと近くの喫茶店へと入った。
「さて、改めてだけど、私は《シノン》。よろしくね」
「はッ、はいッ! 僕は《モゼ》です! GGOの頃からずっとシノンさんのファンでした!」
「そ、そう。ありがと」
漏れ聞こえていた会話からある程度察してはいたが、直接言われると何だか気恥ずかしい。
それを隠すように飲み物を口に含みながら私は先を進めた。
「それで貴方、GGOでスナイパーやってたんだって?」
「はい。それで、シノンさんがこっちでやってるって聞いたんで、知り合いに誘われたのもあって、こっちに」
「じゃ、そのアバターはコンバートってこと?」
「はいッ」
「……ならSTR型なの?」
「はい」
「よし、それなら今日は取りあえず装備を調えるだけにしましょうか。明日から……って、貴方これから三日間どれくらい時間使えるの?」
「へへ。もう春休みですから、いくらでも使えます!」
「そう」
春休み、その単語から彼が学生と呼ばれる身分であると分かり、指導する相手の年齢がさほど変わらないことに安堵する。流石に母親と同じような年齢の人間に上から教えを垂れるのは遠慮したい。
喫茶店を出て馴染みの装備屋に向かう。リズベット武具店ではないが、武具以外も豊富に揃えている良店だ。良店というのは利益だけでなく適度に遊びがあって心地が良いという意味である。要するに、使用者人口的にまともに利潤が生まれるはずもない弓関連のものを置いているのだ。
―――まあ、私に気を遣っているんでしょうけれど。
それか店長も弓が好きか。店長もGGO出身者で、私とはその時代からの縁なので十分にその可能性はある。今度尋ねてみようか。
目的の店に向かうまで無言、というのは少し気不味く、私は口を開いた。
「今日は装備を確保、明日は基本的な弓の訓練をしましょう。それで明後日には応用訓練をして、最終日には実戦訓練ね」
「み、三日間つきっきりで見てくれるんですか!?」
「ええ。あんなことを言ったのは私だもの。そのくらいはするわ」
春休みに入ったのは私も同様だ。そして彼らの会話に割り込んでまで無茶苦茶な要求をしたのだから私は尽力せねばならないだろう。
そんなことを話していると目的としていた商店へと着いていた。『シューティング』という店名が掲げられた扉を開いて入店する。鈴の音がした。
「おっ、よく来たな。……また連れてきたのか」
店主が少し呆れ顔をした。
「今回は前までとは違うから。彼本人が弓をやりたいって言ったの。私はその手伝いをするだけよ」
「へいへい。ま、上手くいくと良いな」
店主が諦めたような声で笑った。
今までも私は声をかけた人間をここに連れてきては弓を勧めて撃沈することが間々あった。それを思い起こしているのだろう。
「それじゃあ弓のルーキーセットよろしく」
「ん? おうよ」
ここは弓使いを支援することを目的の一つとする店だ。きちんと弓を学ぶのに適した弓やら矢やらも取り揃えられている。更にそれらは値段も抑えられているので、弓を始めるのならばここに来るのが最善だと私は勝手に思っている。
「ここは一旦私が立て替えておくから、いつか返してくれれば良いわ」
「そ、そんな悪いですよ、シノンさん!」
「良いのよ、これは私にも利益があることだし。貴方は大人しく先輩の言うことを聞いておきなさい」
そう言って装備の一式をモゼに渡す。
―――ま、取り敢えず装備はこれで良しとして……。
問題は練習場だ。中々弓の練習をできる場所というのは限られている。そんなに都合の良い場所があるとは思えないが……。
―――あ、あったわね、一つ。
自分の言を一瞬の内に反証して練習場所のあたりをつける。
さあ、ここまで来たら後は練習あるのみだ。私はモゼを連れて《シューティング》を足早に飛び出した。
******
「ケルビエル、いるかしら?」
私はモゼを連れて例の樹の洞へと来ていた。一応外から声をかけると中から返事が聞こえてきたので、私はシステム的に中の見えない暗い洞へと入る。モゼも不思議そうにしながら私の後ろに続いた。
『ああ、いるぞ。だが、どうしたのだ、妖精の射手よ。……後ろにおるのは、もしや儂の希望の者か』
「その可能性のある者、ってことにしておくわ。それで頼みがあるのだけれど」
『……推測するが、それは、訓練場か?』
「ええ、その通り。彼がきちんと育てば貴方の希望も叶えられると思うけど?」
『はは、そのようなこと言わずとも、儂が認めたお主ならばいつでも使わせてやるわ』
背を丸めたままケルビエルは呵々と笑う。そして私に何かを放ってきた。それを取ってみれば、黄金の十字架であった。
『それが鍵じゃ。それを持っておれば、訓練場へは辿り着ける』
コホと咳を零すケルビエルにそれ以上を話す気はないようだ。私は一言礼を告げて洞を出た。
「ちょ、ちょっと、シノンさん! あれはNPCですか?」
「ええ。でも、どうやら特殊なエンジンが搭載されているようね。それじゃ少し飛ぶからついて来て」
ケルビエルはエクスキャリバーのときのウルズ達や、先日のカグツチ達のように言語エンジンが搭載されていると見て間違いない。これは伝説級武器に関する重要NPCの共通点なのだろうか。
私はモゼが後ろにいるいことを確認しつつ、ケルビエルの洞がある枝から飛び立ちって例の地下訓練場へと向かった。
大樹の根元、周囲よりやや落ち葉の層が薄くなっているところを見つけて、その上の樹皮を十字架を持った手でなぞる。そうすれば、早くも積もり始めていた落ち葉は再び消失し、底の見えない穴が表出する。
「こ、これは……?」
「この穴の先にケルビエル――さっきの老人が管理する地下訓練場があるわ。さ、行くわよ」
私はモゼの手を引っ張ってその穴へと落ちる。先程のことを思えば、二人同時でも特に問題はないだろう。
落ちながら、少し私は悩む。私が試練を受けたあの訓練場、試練のためならまだしもただの特訓のためにはいささか使いにくい構造だったと思う。正直なことを言えば、ただ的があるだけのだだっ広い空間が良いのだが。
私がそんなことを考えていると、突然、真っ暗なチューブ状の縦穴の中で強い引力を感じる。グンと体が吸い寄せられるように流れて方向を変えた。
―――えっ!?
そのまま足元――流れていく方――がやや明るいことに気づくと、私は着地する体勢を取った。
チューブが水平の向きになり、慣性に任せて身体が空間へと投げ出される。軽く受け身を取ってすぐに周りを見渡すと、そこには空間があった。
唖然とする私の横で、受け身を取れずに床に叩きつけられていたモゼがのそりと起き上る。
「ちょっと、シノンさんー! 放り投げられるなら、先にそう言って、って……。――あの爺さん、とんでもないものを隠してるんですね……」
私はその言葉に全力で同意した。
******
その後はもう時間も時間――日付を回ってしばらくしていた――だったので翌日の約束――日付は回っているから当日だが――をしてログアウトした。
そして約十二時間後、私とモゼは特訓を開始した。
最初に行ったのは初歩の初歩、何でもないただの立射だ。しかしそれに関してはほとんど言うことはなかった。というのも、
「僕、実は高校時代弓道部だったんですよね!」
「……それを早く言いなさいよ」
失敗した。ALOでの弓は洋弓でもあり和弓でもあると言えるハイブリッド品だが、弓道部出身だと言うのならいっそのことより和弓に寄った弓を買うべきだった。
「なら基本的な射法はできるでしょう。矢は大体リアルの通りで射れるわ。照準に関してはGGOの弾道予測線を輸入しているから何となくで分かるわね。ただターゲット側に予測線は出ないからその点は有利よ。取りあえず一回撃ってみましょう」
的は壁にある操作パネル――石板だった――で出現させられた。弓矢ではなくこちらが試練のメイン報酬なのではないかと疑うほどに便利な訓練場である。
モゼの動きには
放った矢も、放つまでに少し時間はかかっていたが問題なく的に中った。更に言えば、これはリアルでの経験が大きく物を言っているのだろうが、的までの距離を伸ばしても――ゲーマーによく見られる――重力を考えから外すような失敗もなく射っていた。
「――やっぱり経験者ってのは強みね。教えようと思ったことの序盤は丸っきり飛ばせそうよ」
「そうですか! 弓道やってて良かったっす!」
「……それより、その敬語別に外しても構わないわよ? ここはゲームなんだし気を張らなくても良いじゃない?」
正直なことを言えば、『高校時代』という単語から完全に私よりモゼの方が年上なことが分かって気が引けてしまったのだ。いや、そもそも初めから私より年下の可能性の方が圧倒的に低かったのだけれども。
「いえ、僕の心の師匠は常にシノンさんなので! このまま! 敬語で!」
―――お、おう。
気弱そうな見た目に反して、モゼは意外とグイグイ来る。しかしよくよく考えてみると、あの大柄なスキンヘッドと言い争っていたのだ、度胸はあるのだろう。
それ以降したことと言えば、大して面白味のないことばかりだ。
弓道ではおおよそすることがないであろう、膝を突いたままの射撃や、弓を地面と垂直にしない射撃。現実では無理のある動作であってもゲームとして作られたALOでならば十分可能だ――SAOで弓が実装されていたらそうはならなかっただろうが――。
そしてALO自体も初心者であるモゼのために飛行訓練を織り交ぜつつ、リアルでは無理どころか絶対にありえない飛行射撃や動く的への射撃もやらせた。
モゼの筋は悪くなかった。素直に言えば非常に弓に向いていると言えた。
まずは狙いが正確。GGOでの経験からか、高校での経験からかは分からないが、事実として止まった状態であれば射程内は百発百中と言っても良いだろう。
そして、これは良いことなのか悪いことなのかは分からないが、彼のVR適性は高過ぎなかった。それの何が良いのかと言えば、弓の手ブレが減るのだ。
これに関しては正確な研究などがされていないので何とも言いがたいが、個人的な持論として言わせてもらえば、VR適性が高く現実と同じように振る舞える人間ほど弓の反動には悩まされる。逆に低くても今度は弓の照準の細かい調整が利かないのだが。
その点モゼの適性は素晴らしかった。低過ぎず、高過ぎない。照準は正確につけられるが、反動を再現してしまうほどこの世界に馴染んでいない。
初日はモゼの元来の実力を確かめて終わった。
そして二日目。私が訓練場に着いたときには既に彼は特訓を始めていた。それを少し、物陰から眺める。
モゼは動かない固定の的を五つ立てた。そして十分離れた距離から、五本の矢を連続で番えて放った。本来の弓道の競技では見ることのない速射。それをモゼは鮮やかに決めて見せた。
次に同じように的を立て同じように矢を持ったモゼは、訓練場の端から走りながら飛んで屈んで滑り込んで、転がりながら矢を放った。それらも全て吸い込まれるようにして的へと命中する。
今度は五つの動く的を用意した。人型や獣型など形も様々で、また動く速度もまちまちだ。それらを訓練場に放つと己は翅を生やして飛び立つ。低空飛行をしながら、しっかりと一射一射狙いをつけて彼は狩り擬きを成功させた。
パチパチパチ
私が拍手をしてみれば、モゼはそこでようやく私が来ていたことに気づいたようだった。顔を赤面させてこちらへ飛んでくる。
「……見てましたか?」
「ええ、もちろん。それにしても随分上達したわね。私が見ていない内に」
「それは、その、練習したので」
昨日見せた押しの強さはどこへ行ったのか。てっきり「ですよね! 頑張ったんです、僕も!」とでも言ってくるかと思ったのだが。
「でもちゃんと休まなくちゃ駄目よ? そもそも三日間で弓に精通するなんて無茶振りにもほどがあるんだから。これはある種貴方の本気を見せつけるためなんだし、貴方が三日経たずに潰れたら元も子もないもの」
「でも! でも、僕が情けない様を見せたら、シノンさんの顔に泥を塗ることになります!」
毅然とした顔でモゼはそう言いきった。その瞬間、これは何と言うのだろうか、小動物を見たときのような感情が沸々と湧いてきた。
明らかに私より年上の男性に向かって、私は猛烈に「可愛いな!」と叫びたくなった。
……無論、胸の中で堪えたが。
気を取り直して二日目の訓練に入る。モゼの弓道経験や予想外の頑張りにより特訓の日程は著しい短縮を見ている。応用訓練よりも、それを行いつつの実戦に入った方が良いだろう。
取りあえず動く的には問題なく当てられるようなので、今度は私を狙って撃つように指示した。
「な!? そんなことできないですよ!」
「いいえ、やるのよ。私は反撃しないけど、あの的よりは遥かに速く動くわよ? というか遠距離戦闘型の私にも当てられないようじゃ弓は諦めるしかないけど?」
「……。……わかりました、やりましょう!」
苦虫を嚙み潰したような顔でモゼは言葉を吐き出した。
それからは楽しい楽しい回避術の始まりだ。
私は翅も使わずに逃げながらモゼへとアドバイスを飛ばす。
「ほら! 視線が迷ってる!」
「矢を放す前に躊躇するな!」
「足が止まっている! 狙って欲しいのか!?」
「ターゲットの移動先を予測することくらい基礎だろう! スナイパーとして当然の心得だと思え!」
「背後に回り込まれるなど隊の後ろを支える気があるのか!?」
……思えば我ながら酷い罵倒をしていたかもしれない。
それでも段々とモゼの顔も凛々しくなっていき、遂には私の太腿に一射掠らせることに成功した。私がそれに動揺した次の瞬間には、私の肩に矢が刺さっていた。
私は足を止めて、私よりも息を切らしている彼に労いの声をかけに行った。
それからは私からも素手や短剣を使った反撃をしたり、外に出てモンスターと戦わせたり、私と訓練場で弓対決をしたりと更に難易度を上げていった。特に弓対決では――当然私が勝ったが――並のプレイヤーならば弓で何とか対処できる程度には育てられたと思う。
そして迎えた三日目。私はモゼのために特別講師を呼んでいた。
「――やあ、君が噂の《モゼ》君かな?」
「ひぃ! ほ、《白い殺人鬼》!?」
「――どちらかと言えば《白い悪魔》だね、初めまして」
「ちょっとレント、あんまりモゼを怖がらせないの。期待の弓のニュービーなんだから」
そう、レントだ。私が思いつく中で最も『強い』人。それは色々な意味を包含しているが、特に対多数戦、それもパーティ以上の戦力相手に少数で戦端を開くことに関してはベテラン中のベテランだろう。何せあのSAOの二大ソロプレイヤーの片割れで、単独でレイドを壊滅させたALOの悪魔なのだから。
そのレントは少し不機嫌そうな瞳でこちらを見てから、口調を普段のものへと戻した。
「すみません、モゼさん。シノンから話は聞いています。微力ですが、ALOでの戦闘に関してレクチャーしましょう」
「え、ちょ、え、は、はい! よろしくお願いします!」
にっこり。レントの笑顔はそう表現するべきものだった。何か薄気味悪いものを感じつつ、レントが一切手を抜く気がないことを察して私はモゼに手を合わせたのだった。
最後の最後に、光弓編でようやくの主人公登場ですね。そして三日間シノンがつきっきりで面倒を見るというのに少し膨れ面な主人公です。
Q.今回の被害者は?
A.圧倒的にモゼ。