香霖堂にレティの話があってもいいはずというわけで書いたもの。
2012年の3月あたりに作ったはずで、合同誌的なものに寄稿したもの。
香霖堂にレティの話があってもいいはずというわけで書いたもの。
2012年の3月あたりに作ったはずで、合同誌的なものに寄稿したもの。
しゅんしゅんとストーブの上に置いたやかんが音を立てていたから、沸騰する前に僕は読んでいた本を傍らに置いて立ち上がり、お茶を淹れる。
一口すすり「ふぅ」と息を吐いたところで、窓の外で雪が深々と降り積もっているのをぼんやりと眺める。
おそらく外に行くと一面を雪の白が埋め尽くしていて、さぞ綺麗な景色を望めるであろうが、店の扉を開けるつもりはない。
理由は言うまでもなく、外が寒そうだからだ。
今はこのストーブがあるおかげで僕は寒さを逃れているけど、店の扉が少しでも開こうものなら、店の中の温かい空気が外に逃げ、外の冷たい空気が店の中に入り込んで、しばらくはストーブが温めてくれるまで寒い思いをしなければならないだろう。
まだ外が吹雪いているというわけではないから、そこまで寒さの心配をする必要はないのだろうけれど、やはり店の中の温かさを維持していたい。
毎年、こういった雪が降っている時間、雪が降り積もった時間はやけに静かで、自分の足音や本をめくる音すらやけに大きく感じる。
ただ、こういう生活の中で生じるさりげない音が聞けるというのは、少し日常の静かな生活にありがたみを感じてしまうような気分になる。
だからこそ今日のような日こそ、日がな一日、一人静かに本でも読みながら過ごしていたいのだが……。
――カランカランッ!
「うひー寒い寒い。よう香霖、来てやったぜ」
残念ながら僕の希望は悉く打ち砕かれた。確かにいつもどおりと言えばいつもどおりだが。
店の中に入り込んだ冷気が僕の体をこわばらせる。
「せめて帽子の雪を落としてから入ってくれないか。商品が濡れたらどうするつもりなんだい?」
「どうせ売るつもりもないくせによく言うよ」
言いながら魔理沙は外に出てからぱたぱたと帽子をはたいて、また店の中に入ってきた。
その間ずっと店の扉は開いたままで、魔理沙が扉を閉めた時には、もう店の中はすっかり寒くなっていた。
「やっぱりこっちは暖房がしっかりしているから暖かいな。避難してきて正解だったぜ」
「魔理沙が来るまではもっと温かかったよ」
「それは残念だ。もうちょっと早く家を出れば良かったな」
もう魔理沙は適当な商品に腰掛け、どこかから湯のみを引っ張り出して来てつい今僕が淹れたお茶を飲んでいる。
「そうだ。新しく入荷した商品とかないのか?」
「いや、またコンピューターが増えたぐらいかな。それも不思議な形の」
「でも結局使い方はわからないんだろう?」
「確かにそうだけどね」
僕は件の不思議な形のコンピューターを取り出す。だいたいの形は他の小さなコンピューターと同じだが、本よりもとても薄く、そして他の小さなコンピューターで使っていた外の世界の素材ではなく、金属で作られていた。
真ん中には食べかけの林檎のようなものが装飾されていて、他のコンピューターより、幾分か綺麗な形をしている。今ではこのコンピューターが僕のお気に入りだ。
だからといって、使い方を知っていなければどうすることもできないのだが。
その時だった。
ぎしぎしと屋根が軋み、僕と魔理沙が同時に上を見やる。
「なあ香霖。そろそろ屋根の雪下ろしをした方がいいんじゃないか?」
「確かにそうかもしれないね。でも魔理沙、僕の店の、このストーブの恩恵をあずかるために来た君が、そういうことをするべきなんじゃないかな」
「店を守る役目は店主がすることだと思うぜ」
魔理沙に動く気配がないのを見て、僕は渋々店の奥へ雪かき用のスコップを取りに向かう時だった。
――カラン
また誰かが来たが、「いらっしゃいませ」というのはもう少し間をおいて、その人が本当にお客様かどうかを確認しなければならない。
いつもだったら向こうの方が勝手に何かを言い出し、勝手に煎餅をかじりながらそこの白黒と何かのやり取りを始めるはずだ。
つまり、いつもなら霊夢なんだろうけど、それにしてもゆっくり扉を開いたり、扉を開いてすぐに声が飛んでこないあたり、どうやらいつもは来ない人が来たらしい。
「おや、お客様かな?」
「この店に客なんか来るはずないぜ」
いつの間にかお勝手から魔理沙の声がした。つい今まで商品の上に腰かけていたというのに、何をするためにそこにいるんだろうか。
とりあえずスコップを手に持ったまま奥から顔を出すと、なるほど確かに珍しいどころか、この店に初めて来る人だった。
いや、正確には人ではないし、客として来たのかどうかは怪しい。
「あら。ここはお店なの? 薄暗いけど」
「ええ。幻想郷ではうちでしか取り扱っていない商品ばかりですよ」
「嘘つけ。商品として取り扱っているものがどれだけあるんだよ」
奥から魔理沙の声だけが聞こえてきた。
そしてそのお客様(?)は「はぁ~」と息を吐きながら店内をぐるりと一瞥する。
「確かに、店の外にも不思議なものが山積みになっていたしね、雪に埋もれていたけど」
実はその間、ずっと扉が開きっぱなしになっていて、やはり店の中はどんどん寒くなっていく。
あまりの寒さに体が小刻みに震え始めていた。
「……扉、閉めてもらえますかね?」
「え、ああ。そうね」
言いながらお客様(?)は扉を後ろ手でゆっくりと閉じて、一言。
「値札がないのね」
「まあ、それは全部僕が決めますから」
「決めているなら値札をつければいいのに」
残念ながら値札をつけられるようなものはほとんど置いていない。魔理沙の言うとおりだが、売るつもりのあるものの方が少ないのだ。
さらに言うなら、値段は僕がその場で決めるのであって、既に決めているわけではない。
「それで、何か御用ですか?」
僕は努めてこの店を営む者として接客をしているんだが、このレティ・ホワイトロックが何をしにこの店に来たのかすら掴めなかった。
「いや、用という用はないんだけど……なんとなく」
なるほど、なんとなくか。来る理由としては、目的がしっかりしている魔理沙のそれより面倒なものかもしれない。
いや、魔理沙は目的などなくてもいつも来ているから、なんとも言えないが。
やっぱり、お客様ではなかったらしい。
「おい香霖!」
店の奥から魔理沙の声がしたと思ったら、魔理沙はその手にやかんを持っていた。そういえば僕がお茶を入れた時点でやかんはかなり軽くなっていたから、新しく水でも入れたのか、それともお勝手口からつららや雪でも取ってきたのだろうか。
「寒いと思ったら、やっぱりこいつの仕業か!」
魔理沙は勢いよくレティを指差す。
「寒いからって私の所為にしないでほしいわ。寒いのは自然のお陰よ」
レティはしれっとした態度でその辺にあったものを軽々と持ち上げて、しばらく見つめた後また元に戻す。
「いいや。お前の所為に違いない。今日はいつになく寒いからな」
「一方的ね……」
うわぁ、とレティがいかにもめんどくさいですという表情を浮かべる。
だが魔理沙の言っていることもあながち間違っているとは思えない。レティが出てくる時だけ、やけに外が寒かったり吹雪いていたりするのだ。寒い時だけレティが出てくるのか、それともレティが出てくるから寒いのかは自分の知るところではないが、寒い時にレティは見かけるものだし、レティを見かけるときは寒い時だ。
あまり外に出ない僕でも、今日みたいな寒い日になると、たまに見かける。
ただ、そのレティがうちの店に来たのは今日が初めてのことだが。
「それにしても、これって本当に商品なの?」
レティが魔理沙から逃れるためなのか、視線を僕の方に寄こしてきた。
「そんなわけあるわけないじゃないか。まともに売る気があったら値札をきっちり貼ってあるもんだ」
僕の代わりに魔理沙が答えた。しかもあまりいい印象を与えない言葉で。
「何か欲しいものとか、あるなら言ってもらえれば、きっとあると思いますよ」
「へぇ……」
レティは床に置いてある商品をゆっくりと眺めているが、どうも欲しいものを探しているというよりは、それら自体が珍しいから見ている、という感じだ。
「これ、ほとんど見たこともないようなものばかりだけど……」
「ほとんど外の世界から来たものですから」
「へぇ。外の……」
またレティは傍らに置いてあった適当なものを持ちあげてはじっくり眺めて、元の場所に戻すことを何度かした。
「そう言えば、私って花見をしたことがないのよねぇ」
「ほう。それで?」
「花見ができる道具って、あるのかな?」
「そんなもん酒と食べ物に決まっているじゃんか」
魔理沙を余所に、少し考えてみる。
「春になら、いくらでも花見はできるけどね」
「冬にしたいのよ。冬以外は外に出ないし。そもそも出たくないし。外の世界がどんな世界かは知らないけど、外の世界でも花見ってしているのかしら」
「冬に花見は無理だろ」
花見は春にするもんだぜ、と呆れたような声を出す魔理沙。
確かに魔理沙に一言ある気がする。冬に花見をしようにも、当然のように冬に咲いている花など、在って無きが如し、だ。
「そのような道具は覚えがないなぁ」
おそらく、あったとしたら僕はそれを誰にも教えず一人占めしているだろう。
「花見は無理でも、雪見はどうだろう?」
「雪見? 花見じゃなくて雪見か。なんだ香霖、こいつがいるぐらい寒い外に出ろっていうのかよ」
「僕もあまり外に出たくはないのだけれどね」
「雪なんていつも見ているわ。起きている時は」
「でも、春になれば花だって毎日見るわけだろう。春にしか咲かない花を見ながらする宴会が花見というわけさ。秋なら秋にしか見られない紅葉の下で行う紅葉狩。なら冬にしか降らない雪を見ながらする宴会があっても、おかしくはないと思わないかい?」
「そうね……」
興味津津で僕の話を聞いていたレティはふと窓の外へ視線を向けて、ゆっくりと首を傾げていく。
「でも、もう雪は降ってないわ。雨は降っているけど」
「温かくなったってことか? でも濡れるのはあまり好きじゃないぜ」
「じゃあ、どこか屋内で積っている雪でも見ればいいんじゃないかな」
花見に比べて風情なんてあったもんじゃないが、せっかく出した話題をひっこめるのも気がひけた。
「早速酒の準備だな。霊夢も来ればいいのに」
魔理沙はまた勝手にお勝手に向かってしまった。僕の酒を呑むらしい。
「あら、いいの? 私が呑んで」
「それは魔理沙に聞いてほしいけど、魔理沙が呑むというなら、呑んでもいいんじゃないかな」
結局、店の窓から魔理沙とレティが外を眺めるということになった。
僕はその後ろでゆっくりとお酒を飲むことにする。
それにしてもこの雨、よりにもよって霧雨という視界を更に悪くする類の雨だった。これでは積っている雪を見ると言うこと自体が難しそうだ。
「おいレティ、この雨どうにかならねぇか?」
「んー。そろそろ降ってきてもいいと思うんだけど……」
「何が?」
「雪になった雨」
「どういう意味だよ」
窓を開けて顔を出した魔理沙は驚いたように首をひっこめた。
「どういうことだよ。私がここに来た時より寒くなっているぜ」
「そりゃそうでしょ。今、寒くしているもん」
しれっとレティがそう言い返す。
「でも残念だなぁ。そろそろ温かくなって雲が離れそうなの」
「お前そんなことわかるのか?」
「いや、それは空を見ればなんとなく」
「そういうもんかなぁ」
確かに、空に浮かぶ雲の隙間から僅かに日の光が見えてきている。そろそろ雲間から日の光が落ちてくるだろう。
ふと、外に見える霧雨が急に止んだと思ったら、今度は埃のような小さな粒が降り始めた。
粉雪、とはまた違う。あれよりもさらに小さいのだ。
「これが雪かよ」
またも魔理沙は大声をあげながら外に出た。
しかし今度は窓から顔を出すのではなく、扉を開いて全身を外に出したのだ。
確かに、寒さを我慢しつつ窓から手を伸ばすと、雪とは思えないほど小さい粒が一瞬だけ乗って、それで溶けてしまったのか、その一瞬一瞬だけ冷たいと感じる。
「うぅ~寒ぃ、しかもあの粒ちゃんと冷たいから、あれはほんとに雪だぜ」
「じゃあ、そろそろさっきまでの寒さに戻してもいいかな~」
体を振るわせながら戻ってきた魔理沙に反応してか、いかにも気楽そうに、天気や気象という規模のことを呟く。
ちょうどそのタイミングで、店の中が少しだけ明るくなった。
窓の外を見ると、どうやら日の光が落ちてきたらしく、そこらへんの雪がきらきらと陽の光を反射していた。
それだけでなく、空気も。
「まさか……」
僕は慌てて扉を開き、店の外を見渡した。
一面の雪景色である。全てが真っ白な雪に塗りつぶされて、やはりしんと静まり返っていて、美しい景色だとは思う。
だけど今は、それよりも遥かに美しい光景が広がっていた。
空気中が、正確には空気中にある小さな雪の粒が太陽の光を受けて煌めき、まるで空気そのものが輝いているようにも見える。
さながら空気中に
そして、その輝かしい空の向こうに、今まで見たものよりも遥かに色濃く彩られた虹がかかっていた。
吐く息の白さが、外のこの空間の突き刺すような寒さが、この幻想的な光景から僕を現実に繋ぎとめてくれている。
「すげぇな、こんな綺麗な景色初めて見たぜ……」
すぐ後ろから聞こえる魔理沙の声も、感動で溢れていた。
「とても綺麗でしょ。雪見には絶好の景色じゃない?」
さらに後ろから聞こえてきたレティの声からして、いかにも自分がやったという風に聞こえる。
レティを振り返ると、僕と、店から一歩出たところで立ち止まっているレティの間にある雪の結晶のせいか、レティ自身が輝いているようにも見えてしまう。その横にいる魔理沙も、その後ろの僕の店が、そこらへんの木々でさえ、全てが輝いて見えた。
「まさか、これを君が?」
「花見ができなくても、雪見ができるっていうから、ちょっと頑張ってみたの。どう? 雪見できそう?」
「まあ」
僕はそこで前を向いて、輝く景色を見つめた。
雪見も、花見と同じように酒を呑んで騒ぐというのが主旨だったのだが、ここまで綺麗な雪見となると、ただこの景色を見ることだけに徹していたいような気持ちになる。
僕が元々騒ぐというのが好きじゃないからかもしれない。
「でもこの景色も少しして雪が全部落ちたら見えなくなるわ。やっぱり雪見はできないみたい」
「じゃあ積っている雪で雪見をすればいい」
こっちの雪は、まだ陽の光で煌めくだろう。
「あら、霖之助さんが外に出ている」
魔理沙でもレティでもない声が聞こえ、そっちの方を向いてみると、寒さに体を振るわせていながらも、輝いている巫女がそこにいた。
「あまりにも寒いからここに来れば温まれるだろうと思ったら、魔理沙まで何をしているの?」
「おう霊夢。これから雪見をするところなんだ」
「雪見? 花見みたいなことを雪で代用するの?」
ざくざくと雪を踏み潰す音をたてながら霊夢が近づく。
「あ、あんたは!」
ふと入り口前にいたレティに気がついたのか、そこで立ち止まった。
「あまりにも寒いと思ったら、やっぱりあんたの仕業だったのね!」
そう言えば魔理沙も、レティを見てからの開口一番がこれだった気がする。
「まあ、ちょっとだけ寒くしたのはあるけど、さっきまで降っていた普通の雪は自然のお陰よ」
レティも慣れたように返事をする。もしかしたら毎年誰かに会う度にそう言われてきたのかもしれない。
「それにしても」
そこで霊夢が空に広がる輝く虹に目を向ける。
「すごい綺麗な景色ね」
「だろう? だからこそ、花見ならぬ雪見、ってわけだよ」
「春は花見で冬は雪見って、結局楽しみたいだけじゃないの?」
霊夢の言葉は核心をついている。
どんな季節でも、その時にしか見ることのできないものを見つけ、そして宴会を開いていたのだから、きっと昔の人も今の人も変わらず、何かと珍しいことがあればそれに託(かこつ)けて楽しもうとしている。
確かに、その通りだ。
「まあ、たまにはそういうのも悪くないか」
言って、魔理沙が持っていたらしき酒を見た霊夢が言う。
「それって、私も呑むの?」
「いいんじゃない。どうせ寒いだけなら、お酒が温めてくれるわよ」
店の中から勝手に椅子とかを運び出した三人を余所に、僕はまた店の中に戻ることにする。
「あら、霖之助さんは呑まないの?」
「いや、僕は遠慮しておくよ」
僕にはそれを日記に
それに、雪見を魔理沙も霊夢も、レティも知らなかったという理由は、当然、現代まで続けることがかなわず、次第に雪見という存在自体が忘れられてしまったからだろう。
では、なぜ雪見を続けることがかなわなかったのか。
それは外があまりにも寒いから、きっと雪見なんてものをしている余裕なんてなかったのだろう。寒いところにずっといれば風邪をひくのは誰だって知っていることだ。
僕は別に風邪をひくということまでは自分のことを心配していないけど、これ以上寒いところにいるのが嫌だっただけだ。
やっぱり、ストーブが効いている部屋の中は格別に暖かい。お湯も沸くし、便利な道具だ。
炭をすずりに擦りながら、僕はストーブに感謝した。