2014年の4月に執筆。
結局儚月抄の漫画と小説で語られている中に、
一番渦中であるうどんげ主観の話がなくね? ということで書いたもの。
結局儚月抄の漫画と小説で語られている中に、
一番渦中であるうどんげ主観の話がなくね? ということで書いたもの。
2014年の4月に執筆。合同誌的なものに寄稿したはず。
三日月に見えていたあの月へ向けて三段構造のロケットは飛び立っていき、そして数日が経った。
お師匠様が月の羽衣をつけたあのロケット……お師匠様が誉めていたあれを、今でも私はやはり信じられない。それならば月の羽衣の方が信用に足るけれど、お師匠様がロケットの先端に何か布切れをつけて
空には
お茶を手に、私は永遠亭の縁側に腰掛けていた。後ろには盆が、それには急須が乗っている。
「あら鈴仙。こんなところにいたの」
「輝夜様。眠られたのではないのですか?」
「夜更かしして、特に悪いことがあるわけでもないわ」
輝夜様は私の横に腰掛けて、私と同じように、月を見上げる。
その月の光に照らされる横顔を見て、それを倣うように私はまた、半月を見上げる。
「鈴仙」
「はい」
その声で、私は我に返ってそちらを向く。
輝夜様はまだ月を見上げていたけれども、言葉は続いた。
「あなたって、そんなにお月見好きだったかしら?」
「あ、いえ……」
日が沈む頃に紅魔館から帰ってきたお師匠様から、月の兎から噂を聞きつけよと命ぜられたわけでもない。例月祭があるわけでもない。
月を見上げたいという好奇で見上げているわけでもない。
かといって見上げなければならないような意思があるわけでもない。
「そういうわけではないんですけれども」
なんとなく。そう。ただなんとなく私は、こうして月を見上げている。間が差すとはきっとこのことなのだろう。
そんなに、と輝夜様は言った。
……中秋の名月の、例月祭の日。
雨が上がって、一瞬だけ見えたその月を見上げた時、これでお月見ができるというにわかな喜びが私の中で浮かんできた。
だけどすぐに月は雲間へ隠れて見えなくなり、その喜びは落胆へと変わった。
その直後に輝夜様が来て、そのことを可笑しいと言って笑った。元々は月の兎である私が、お月見に期待を寄せるということが不思議なのだろう。私もすぐに地上での暮らしに慣れたことを言って誤魔化したけれど……。
それでもやっぱり、違和感というか、腑に落ちない、納得できないようなところは少しだけある。
月の兎、玉兎たちから話を聞くことはできるから現在の月の都というものはわかる。
そうだけれども。
こうやって空に望むほど、月は遠くにある。
「少し前の、ロケットのこと?」
私は思い返す。ロケットが三日月へ向かう前。そしてそのさらに前。中秋の名月よりも前。
「いえ。きっとその前の……月から兎が逃げて、
その兎とは結局、話し合うどころか目を合わせることもなかったわけだけど。
「ああ。そういえばそんなことがあったわね」
輝夜様はにわかにはにかんだ。
「そうよね。あの兎も逃げてきたのよね。月の羽衣を使って、大分前のあなたのように」
私たちのように。そう輝夜様は小さく続けて、そして閉口した。
輝夜様の言う、私たちというのはきっと、お師匠様とのことなのだろう。
お師匠様と輝夜様がどうやって月から地上へ来たのかは、詳しくは教えてもらっていない。けれど、どうしてお二人が地上へ来ることになったのかは、それなりに昔……月の都にいた頃から知っていた。
輝夜様は罪を犯した。月の都では飲むことを禁ぜられている薬を飲んだ。
その時にお師匠様が何を思い、その決断を下し、行動に踏み切ったのかは知らない。おそらく私の想像もつかないようなことなのだろうし、同時にそこへ踏み入ってはいけないようにも思えた。
けれど、輝夜様が薬を飲んだことにより、輝夜様だけでも月の都を追われる身となったのは事実だったらしい。
私も月の都から逃げてきた身だ。でもそれは、お二人とは意味が違う。
逃げてきたことだけは共通しているものの、私は逃げ出してきた、というのが正しい。
月の都では、地上は穢れた土地とされている。その地上へ落ちることそのものが罪であり、同時に罰でもあった。
私は月の都で罪を犯したわけではない。私の罪は地上に落ちてきたこと。
それはつまり、地上に落ちて始めて罪として機能する罪状である。
禁忌の薬を飲んで、月の都を追われたお二人とは、結果的には似たようなものなのかもしれないが、その経過と意味合いは全く違う。
「そうですね」
返事して、ぬるくなったお茶をすすった。
「……そういえば」
ふと、輝夜様が私の言葉などさも気にしていないかのように言葉を浮かべた。
「あなたの月の羽衣は、永琳が封印していたんだっけ」
「はい」
月の羽衣。月と地上とを行き来する道具。私は今より少しほど前に、それを使って地上へ降りた――月から逃げ出して、こちらへ来た。
罪を犯しているという意識が、自覚がなかったわけではない。
ただその時は、それよりも優先するべきことがあったと判断したからそうしたまでだし、その結果として月の都へ帰るということができなくなるであろうことまでも、見越していなかったわけではない。
だからこそ、もう帰ることはないと、そう思った。
「そういえば、あの吸血鬼たちがロケットで月へ向かったのよね」
「まだ月の都に着いていないとは思いますけど」
月の羽衣も行き来には時間がかかったけれども、あれはもっと時間がかかると思う。私が苦笑すると、輝夜様はこちらを振り向いて、小首を傾げる。
「あなたは、あのロケットに乗りたかったの?」
「いえ、そんなこと……」
告げようとした言葉は、どうしてだか喉の奥でつっかえて、出てこなかった。
そんなにもすらすら出てくるのだったら私は、こんなところで未練がましく月を見上げていることなどないだろう。
輝夜様から視線を逸らして、私は冷めた湯飲みの、月すら映り込まないほどに低くあるその表面に見える自分の顔を見てしまう。
私の瞳は
昔に、地上から見上げた満月が持っていたその力をこの両目に宿している。
満月は鏡のようなものとも例えられてきた。
波長。私が操ることのできるもの。人の持つ感情の波長。音が持つ波長。光の波長。
鏡は光をほとんどそのままに反射する。人間を狂気へと導く力を持つという、その満月を見上げていたその人たちはきっと、向き合いたくない自分自身の大きさと途方もなさを残酷なほど無碍に叩きつけられた、いや、満月によって見せつけられたのかもしれない。
しかしそれが本当に鏡ならば視線を逸らすこともできる。割ることもできる。私の持つ湯飲みだって、少し手を動かしてしまえばその水面な容易く揺れて波を起こし、そこに覗く私の顔も歪めることができる。
だけど、満月はそう簡単には届かない場所にある。手をかざして見えなくしたとしても、そこから降り注ぐ月の光に照らされていることに変わりはない。
「……」
輝夜様が、口を開いてすぐに閉じたのが見えた。
もう少し、上手く誤魔化せれば良かったなとちょっとだけ後悔した。
思えば、後悔ばっかりだ。
湯飲みから目を逸らして、ちょうど半分しか見えないその月を見つめる。映っているのは表の月であって、裏の月ではない。月の都は、地上に居る者には見えない月の裏にあるし、幻想卿に居る地上人以外にはおそらくたどり着けない月の裏にある。
「帰りたいとは……」
まさかこんなに、言葉を吐き出すことが重いとは思わなかった。たどたどしい声はどれほど情けないことだろう。
「帰りたいとは思いません。でも」
そこで私の喉は一呼吸を終えてしまう。
「私だって昔に、輝夜様とは住んでいた時間も時期もきっと違いますけれど、月の都に住んでいました」
もう朧になった記憶。私を育ててくださったお二方。
「きっと馬鹿だったんです。あの時はそのことを、何とも思っていませんでした」
それほど昔ではない時のこと。私が月に居た時のこと。
地上から、三段構造のロケットが月にやってきた。
分厚い服装で表の月面に旗を立て、その足跡を誇示した。
その時に、私は思ったのだ。
このままではもしかしたら、月の都まで地上の民が踏み込んでくるかもしれない、と。
その頃私は軍人として、戦う役目を持っていた。そのための訓練もしていたし、それなりの評価もしてもらえていた。
でも実際に戦闘したことはなかった。
それがとても怖かったのだ。
月の都では流血はあってはならない。そもそも、戦うことすらきっと許されていないだろう。だけど、それは裏を返せば月の都の中でなければあってもいいということになる。
当然ながら、月よりも地球は大きく、住む人の数も多い。
月の都は月の裏側、そして結界の裏側に存在するからこそ、一ヶ所にまとまった都ができている。
しかし、地球の表面には、ほとんどどの場所にも人が住んでいる。
だからこそ、その加減ができないのだと思った。戦争をするとして、どこまでを戦う範囲にするべきなのか。そしていったいどれほどの人を……。
軍人だというのに、都合のいい話なのかもしれない。
けれど、会ったことのない地上人であれ味方のよく知った仲間たちのであれ、血を見るよりはいいと思った。見たことのない穢れは、穢れた地上へは、戦闘を行う玉兎であればどうせ送り込まれるのだろうと思った。
だから私は逃げた。月の都から逃げるとしたら、選択肢など一つしかなかった。
地上。
そう。私は自己中心的なのかもしれない。戦争が起こることそのものを食い止めることはせずに、戦争によって起こる被害そのものから逃げたのだから……。
「じゃあ鈴仙。あなたは今、どうしてそんな顔をしているの?」
問いつめるような言葉。でもその語気は優しく、そして輝夜様の表情も心配げなものだった。
当然ながら、鏡を見ない限りは自分の顔など確認できない。
だけど、自分が今どんな顔をしているのか、なんとなくだけどわかっている気がした。
「きっと、後悔しているんです」
それ以外に思い浮かぶ言葉がない。
「あそこにはきっと……私は、私たちはもう、帰ることができません」
「そうねえ」
輝夜様は呆けるように言う。実際に呆けているのか、それとも呆けているように見せかけているのか、私にはその判別はつかない。
「こうやって眺めているぐらいしかできないわよね。私たちには」
輝夜様は月を見上げる。私はその横顔を見つめてしまう。
表情にこそ出していないけれども、その水面下でどんな気持ちが渦巻いているのか、推測すらできない。
「でも、あの月は表の月です」
「そうね」
「月の都は月の裏にありますし、結界の裏にあります」
「そうね。だからもう見ることはできない」
眺めていても、それは偽りのものでしかない。私と輝夜様とお師匠様が住んでいたあそこは、手を伸ばせば届くようで届かない、届いたとしてもそれは望んでいたものではない。
「輝夜様」
「鈴仙。わざわざ言う必要なんてないわ」
思い出という言葉がある。
単なる記憶と比べても、心象は全く同じなのだろう。
でも、昔の経験は、たとえそれが失敗だったとしても、目を閉じて思い返してみると不思議と美化された印象へと変貌している。
たとえどんなものでも時間が経つと、それがとても儚いもののように思えてしまう。
結局それは頭の中にあるものでしかなくて、現実ではない。思い返せばそこにあるのかもしれないけれど、既に終わってしまったことには触れられない。
後悔というのは、そのもどかしさと悔しさだ。どうにかしてそれを変えてみたいと思ってしまう。
自己責任で自業自得。
いつの間にか美化されているはずのそれを変えてしまおうとも思うこの気持ちは、どう呼べばいいのだろう。
結局それを変えることができず、現状の自分だけでもとそれを取り繕って美化された思い出に近づこうとしてもやっぱり近づけない繰り返し。
見上げた月は眩しくて遠い。だけど半分だけが真っ暗な夜空に埋もれていて、その丸さを想像することはできても確認することができない。
「雨月って、鈴仙は知っていたかしら?」
「え?」
思わず、私はその方を向いてしまう。
「永琳から教わったのだけどね。お団子って、丸いじゃない?」
「ええ、まあ……」
ついたお餅は丸くこねる。でもそれと月は、丸い以外に共通点がないのでは……。
「それで、その丸いお団子を見ながら、美しい満月を想像して楽しむんですって」
そういえば中秋の名月の時に、輝夜様とお師匠様はお団子を空に掲げていた。
きっとその時のことだろうと思う。
「それが、どうかしたのですか?」
「いいえ。今夜は半月だから、もう半分はどうやって想像するのかしらと思って」
「お団子を食べれば、食べかけの形にすることはできますけれど」
「なるほどね」
そう言いながら輝夜様は、私の手の中からすっかり冷たくなった湯呑みをするりと取っていった。
そして残りのお茶を、ばしゃっと地面に流してしまった。
「あんまり冷たいお茶は美味しくないものね」
輝夜様が、後ろに置いてあった盆の上の急須を持ち上げる。
確かに少し入ってはいるし、密閉しっていたからまだ冷たくなってはいないだろう。
でも……
「もう時間が経っていますし、かなり苦いですよ?」
「いいのよ別に」
随分と濃い緑色になったお茶を湯呑みに移して、輝夜様がそれを口に運ぶ。
「美味し」と言っておきながら輝夜様は舌をぺろりと出して、私に湯呑みを押しつけた。
「やっぱり、苦かったのでは」
「私たちは地上の民だから、これでいいのよ」
「地上の」
そういえば、あの時にお師匠様もそう言っていた。輝夜様が大笑いしていたから、きっと受け売りなのかもしれない。
「そう。結局私たちがあの月の都に戻ることはないし、戻ろうと思ったところで何かができるわけでもないわ」
心なしか明るい声で、輝夜様は語る。
光に照らされて影ができるように、私の気持ちは殊更浮き彫りになったような気がした。
「それは、そうですけど」
「だから私たちは地上の民と妖怪でしかない。だったらそれに相応しい振る舞いをするまでよ」
……やっぱり受け売りだったらしい。でも、あの時よりもより納得できるところはあった。
「そうですね」
私は地上で薬を売る仕事をしている。お師匠様の言った通り、地上では人と人が助け合うことでその生活を賄って行われている。だから私もそれに迎合しているというわけだ。
……私は人間ではなく兎であって、とすると妖怪という括りになってしまうのかもしれないけれど。
「優曇華の花ってあったじゃない」
唐突にまた、輝夜様は話題を変えたのかもしれない。
「え、まあ……」
優曇華院、という珍妙な名前を、私はお師匠様から貰っている。それにちなんで、鈴仙とうどんげと、だいたい半々ぐらいで呼ばれる。
正直、私はその名前が好きじゃない。自分を呼ぶ度にいちいち変なのは落ち着かない。
優曇華の花というのは、輝夜様が月の都から持って来たらしい樹木のことで、地上には生えていない。
月の都でもその花は滅多に花が咲かなかった。
どうして花が咲かないのに花と呼ばれるのかは知らなかった。
「優曇華の花は、地上にある穢れをその栄養にして花をつけるの。月の都に地上から侵略者が来たら、それでわかるように」
「……なるほど」
樹木らしい理由ではなく、誰かの手によって作られたものじゃない限り、そんなことはないはずだと思った。そして同時に、それを作ることができる人というのはさぞかしすごい人なのだろうなと思いもした。
「永琳があなたにその名前をつけたのは、それが由来なんじゃないかしら?」
好奇心なのか、嬉々とした表情で輝夜様は言う。
「と言いますと、私に地上で穢れをためて……」
花を咲かすというのは、私にはどういう例えをすればそうなるんだろう?
「穢れというのが月の都らしい言葉だけれど、月の都からすれば穢れに満ちているこの地上で、今さらそんなことを穢れだなんていう必要はないわね」
ひとりごちるように、輝夜様は首を縦に振った。
「とにかく。あなたにそう言った名前がつくということは地上で暮らしていけるように、永琳が配慮したからじゃないのかしら?」
「あー……」
だとするなら、それはとてもありがたいお話だ。名前の語感はともかく。
ちらりと、半月を見やる。
やっぱり見えはしないけれども、きっとそこには丸い月がある。
湯呑みの中のお茶を舐めるように飲んでみる。
やっぱり渋みがかなり強くて、ちょっとした量だけで飲むのをやめて舌をだした。