あの後由比ヶ浜と雪ノ下に放課後一杯説教をされ、どこから伝わったのか平塚先生に絞られたが、どうにかこうにか家に生きて帰ることができた。いやまあこれ位でくたばるような鍛え方はしていないが。
その後も日課の筋トレやらランニングやら家事やら何やら(+学校と部活)で日々を過ごし、今年は受験生となる妹を影から全身全霊全力全開でサポートする。
そして由比ヶ浜が恐らく初めて本心を仲間(?)に話した日から一週間が過ぎ、俺の学校での評価が、地味なぼっちから頭おかしいぼっちへと変更された。いやまあ頭おかしいのは自覚しているんだが、じろじろちらちら見られるのは些か居心地が悪い。しかもそれだけで無く、あの日の昼休み以来恐怖の視線以外の視線を幾つか感じるようになったのだ。……おかしい。これまでこんな視線は感じたことがない。確かに俺が中学生の教室で攻撃してきた奴を返り討ちにしたときとは状況が違うが、その程度の差違でこれほどの差が生まれる筈がない。はっ、これがリア充共の
さて、この視線というのを少し分析しよう。これは人の恐怖や害意などの負の感情に端を発するものでは無いだろう。その手の視線を俺が間違える筈が無いのだ。かと言って、これが善意や厚意などというものでもあるまい。俺が見ず知らずの人間にそんな視線を投げ掛けられる理由が無い。というかクラスメイトを見ず知らず扱いとか俺も大概だな。
閑話休題。
思わずそんなことを考えてしまうほど、そいつの印象は大きかった。ついでに言えば腹も大きかった。
「クククッ、まさかこんなところで出会うとは驚いたな。―――待ちわびたぞ。比企谷八幡」
「……はぁっ?」
大して寒くもないのにコートを羽織り、黒い指ぬきグローブを嵌めた廚二病(多分)の男が居た。……無許可で。その佇まいはさながら不審者であった。俺が言うのもなんだが。
その日、俺は最早ルーチンの一部となった部活に行くべく部室へと向かっていた。そしてそこで俺を待っていたのは二人の女子生徒、雪ノ下と由比ヶ浜である。こう書くと俺が来るのを二人で待っていたようだがもちろんそんな筈もなく、二人は登場した俺と部室を何度か見比べ、俺を無言で部室へと押し込んだ。
そして、さっきのところに繋がるのである。
「向こうは貴方のことを知っているようだけど」
「いや俺にはあんな知り合い居ない」
それどころかクラスメイトや先生のほとんどを知らないまである。
****
その後、俺を生け贄にしようとしていた二人が安全だと分かるや否や、何事も無かったかのように部室へと進入する。その清々しいほどふざけた行動に若干イラッと来たが、これはこれでおもしろそうなので特に何も言わず雪ノ下と廚二野郎の会話を見守る。いやまあ廚二野郎がずっと俺の方を向いているからというのもあるのだが。
廚二野郎の話を要約すると、廚二野郎の名前は材木座義輝。俺は覚えてなかったが体育でペアを組んだことがあるらしい。そしてこの間の昼休みの事件での下手人が俺だと知り、俺に相談をしようということらしい。どうもあの時俺が動いたのは由比ヶ浜を守るため、ということに一部ではなっているらしく、材木座は少なくとも俺は悪い奴じゃないと思い俺に相談をするため奉仕部に来た、ということらしい。
「そんで、相談ってのは何だ?」
「ムハハハハ、ようやく聞きおったな!中々話しかけてくれぬから嫌われたかと思ったぞ!」
「じゃ」
こういう面倒くさいものには関わらないことが大切だ。無駄に体力を消費する必要は無い。
「ま、待て、待ってくれ!こんなことを頼めるのはお主だけなのだ!頼む!」
さっきまでのふざけた雰囲気は何処へ行ったのやら。材木座はやけに真剣な瞳で俺を見てくる。つまらない奴は嫌いだが、こいつは少なくとも金髪ドリルたちよりは面白そうだ。
「はぁ、さっさと話せ」
「うむ!」
****
「……小説ねぇ」
親に本を買って貰う経験なんて無い俺からしたら、家で小説を読むというのはかなり珍しい行為である。本なんか図書館ぐらいでしか読んだことがない。
そんな俺が読んでも分かるほど、材木座の小説は酷いものだった。材木座の小説はライトノベルというジャンルのものだ。そこまでライトノベルに詳しいわけでは無いが、これは幾らなんでもつまらなすぎでは無いだろうか。ライトノベルが全部こんな感じなら俺絶対読まないぞ。
そんな決意を固めていた昨日の夜のことを思い出しながら部室へと向かう。今日は材木座が感想を聞きに来るらしい。由比ヶ浜はどうやら読んでいなかったようだが。
「うーっす」
「…………」
返事が無い。遂に無視されるようになったかーと思ったが、どうやら雪ノ下は寝ているだけのようだ。そりゃあ
そう考え、雪ノ下を起こさないように静かーに席に着く。うーん、こいつ黙ってれば可愛いのにな。と、そこにやっはろー、と謎の挨拶をかましてくる由比ヶ浜が入ってくるが、雪ノ下に気づき慌てて口元を押さえる。すると流石に起きてしまったのかゆっくりと顔をあげ、俺の顔を見つけた瞬間、
「……驚いた。貴方の顔を見ると一瞬で眠気が吹き飛んだわ。その死にきった眼でも役にたつことがあるものね」
「俺はお前の失礼さに驚いた」
や、俺の顔って言うほどひどくないと思いません?え?やばい?そうっすね。
その後も雪ノ下と由比ヶ浜が百合百合したり、俺が完全に空気になったりして五分ほどが過ぎた頃、件の材木座がモハハハハと謎の笑い声を上げてやってくる。
「さて、では感想を聞かせてもらうとするか」
何処からそんな自信が湧いてくるのか、聞く前から既にどや顔をしている。これから巻き起こるであろう酷評の嵐に材木座がどう反応するかが楽しみだ。
「えっと、私こういうのはよく分からないのだけれど……」
そう雪ノ下は前置きするが、材木座は鷹揚に頷く。
「よい。凡俗の意見も聞きたかったのでな。好きに言ってくれたまへ」
そう、と頷き、
「つまらなかった。読むのが苦痛ですらあったわ」
「げはぁっ!」
一刀両断に切り捨てた。
「ふ、ふむ。参考に何処がつまらなかったのかご教授願えるか」
「そうね。まず文法がめちゃくちゃだわ。何故いつも倒置法なの?『てにをは』の使い方知ってる?小学校で習わなかった?」
やめときゃ良いのに材木座が自ら追撃を受けに行き、その後も延々とダメ出しされる。見てるこっちが不憫に思うくらい。最初は食いついていた材木座だったが、雪ノ下の口撃が終わってから由比ヶ浜にとどめを刺され、俺が「あれ何のパクリ?」と、オーバーキルをかましたところでぴくぴく痙攣して動かなくなった。……死んでないよな?
「ま、また、読んでくれるか?」
約十分後、致命的なダメージから何とか回復した材木座は、あろうことか次回も読んでくれと言い出したのだ。何故そんなことを言い出すのか、この部室の誰も理解できず思わずそろって呆けてしまう。その沈黙をどう受け取ったのか、もう一度同じことを聞いてくる。今度はさっきよりも意思のこもった声で。
「また、読んでくれるか?」
熱い眼差しを俺たち(特に俺と雪ノ下)に向けてくる。
「お前……」
「ドMなの?」
由比ヶ浜が俺の陰に隠れた状態で材木座に嫌悪の眼差しを向けていた。変態は死ねと言わんばかりだ。いやそうじゃ無いだろ。
「けっ、あれだけ言われてまだやるのか?」
これはまた面白いのが出てきたと思い、確認の意味も込めて材木座に問いかける。
「無論だ。確かに酷評されたし、もう我以外皆死ねと思ったが、それでも」
と、そこで一度言葉を切り、満足げな笑顔を向けてくる。
「嬉しかったのだよ。誰かに自分の作品を読んでもらえる。感想を貰えるというのは良いものだな」
そう言ってもう一度微笑む材木座。それは、剣豪将軍の笑顔では無く、材木座義輝の笑顔だった。
どうやらこいつは立派な作家病のようだ。書きたいものを書き、それが誰かに読んでもらえたら嬉しい。自分が書いたものが誰かの心を動かせたらなお嬉しい。伝えたいものを見失わない限り、こいつは進み続けるのだろう。例え、目の前が全く見えなくとも。その姿が俺には眩しく写る。そんな信念はとっくに捨ててしまっていたから。だから俺は、それに応えよう。その想いを失った者として。
「ああ。読むよ」
読まない訳がない。だってこれは、材木座の根性と情熱の結晶だから。どんなに蔑まされても、見下されても、馬鹿にされても屈しなかったであろうあいつの。俺は既に貫き通そうと思える信念を捨ててしまったから。
「新作が書けたら持ってくる」
歪んでても醜くても、それを本気で突き詰められればそれはきっと本物だ。否定されてなお、あいつは書き続けると、また読んでくれと言った。否定されれば絶望し、力で復讐する俺とはまるで違う。だからあいつには変わらずに居て欲しい。変わらなくて良いのだ。
あの、気持ち悪い部分を除いたら、な。