妹の小町がジャムを塗りたくったパンを、寝ぼけ眼をこすりながら食べている。相変わらず俺と小町の距離感は付かず離れずといったところだが、まあ上手くやっている。小町可愛いし。しかしいくら可愛くても、目の前で口元にジャムをつけながらパン屑を床に落とされては微妙な顔をせざるを得ない。それ掃除するの俺なんだけど……
「おい小町、ジャムついてるぞ」
「あ、うん。ありがと」
とまあこんなもんだ。確かに俺はシスコンと呼ばれるレベルに達しているかも知れない。しかし、俺が積極的に愛そうとしてもその愛しかたを忘れてしまったのだからしょうがない。だがまあ嫌われているわけでは無いから関係は良好と言っていいだろう。
「……ねぇ、お兄ちゃん」
「……どした」
小町は何か躊躇う仕草を見せる。
「その、最近ちょっと帰りが遅くなったからどうしたのかなー、なんて」
聞いていいものか判断が付かなかったのだろうか。小町はえらくおどおどしている。可愛い。
「いや、ただ部活に入っただけだよ」
「なんだ部活か……」
納得していただけたようである。それきりまた朝食に戻ったから少し拍子抜けだ。もっと質問攻めをされるかと思っていたんだが。
「部活ぅ!?」
「うおっ、何だいきなり」
もそもそと目玉焼きをかじっていた小町が、急に叫ぶ。反応が時間差になるほど俺が部活に入ることは珍しいんですかね。
「お、お兄ちゃん大丈夫!?誰かに無理矢理入れられたとか!?またお兄ちゃんが傷つくなんて嫌だよ!」
「落ち着け落ち着け」
ちょっと朝から聞くには声が大きすぎるが、それだけ俺を心配してくれていると思うと嬉しいものである。大切な人に心配されて何も感じないほど屑になったつもりは無い。
「安心しろ。入ったのは俺の意思だ。活動内容もボランティア部みたいなもんだし傷つきようが無い」
「……ホントに?」
「おう本当本当」
なおも疑わしげに俺を見つめていた小町だが一応は納得したのか、食べ終えた料理の皿を流しまで運ぶ。そして時計を見て今自分が置かれている状況を知り、ヤバイヤバイと連呼しながら慌ただしく制服に着替え始める。
「……おい、年頃の女の子がこんなところで着替えるんじゃありません」
「はーい」
そう言いながらも、小町は俺に見せつけるようにパジャマを脱ぎ、惜しげもなく下着姿を見せつける。別に俺は妹の下着姿に欲情するほど落ちぶれてはいないので特に何も感じない。強いて言えばやっぱり小町は可愛いと言うことか。
そんなことがあった朝の至福の一時もとうに過ぎ去り、今は学校、それも体育の時間である。今月からテニスに種目が代わり、俺のハイスペックを余すこと無く壁打ちに注ぐこととなる。
「先生、俺ちょっと調子悪いので壁打ちしてて良いですか。相手にも迷惑かけると思うので」
「ん、あー、良いぞ」
そのために必要なのがこの一連の会話。ここでのポイントは調子が悪い、と迷惑をかける、の二つを使うことである。調子が悪いと言うことで壁打ちの理由を伝え、迷惑をかける、で意欲はあるが迷惑をかけるわけにはいかないという意思を伝える。これによって先生は申し出を断ることが出来ず、ぼっち体育が可能となるのである。後で材木座にも教えてやろう。
そんなわけで俺は壁打ちに勤しむ。ボールがどこに落ちるかを予測し、落ちる場所を一ヶ所に集中させることで一歩も動かずに壁打ちをする。此、ぼっちテニスの極意也。
そんな風にいそいそと気分良く壁打ちをしていると、その気分を破壊するようにリア王(笑)のグループの一人、べっーの人が騒ぐ。
「やっべー葉山くんの今の球、マジヤベーって。曲がった?曲がったくね?今の」
「いや打球が偶然スライスしただけだよ。悪い、ミスった」
そう片手を挙げて謝るリア王(笑)の声をかき消すようにべっーの人が、
「マッジかよ!スライスとか『魔球』じゃん。マジぱないわ。葉山くん超ぱないわ」
「やっぱそうかー」
するとリアお……面倒だから葉山で良いや。葉山はべっーの人に合わせるように楽しげに笑う。その笑顔の中に何も感じられないのは俺だけだろうか。
葉山グループはいつも騒いでいる印象があるが、いつも騒いでいるのはべっーの人であって葉山が積極的に騒ぐことはほとんど無い。ほんと五月蝿い。べっーべっー五月蝿い。いつか機会を見つけてぼこるか。いやいや後始末が面倒だな……
「スラーイス!!」
意外とその機会は早くやって来た。べっーの人が打った球が俺の方へ飛んできたのである。俺はボールの位置を気配だけで察知し、壁にボールを打った勢いで飛んできたボールを打ち返す。そのボールは、俺が狙った通りの位置。つまりべっーの人の足下に叩きつけられる。その速度はテニス未経験の高校生が出せる速さでは無いだろうが、小学生の頃から鍛え続けてきた俺には余裕である。そして俺が打ち返したボールは地面で跳ね返り、俺が狙った通りべっーの人の股間に吸い込まれる。我ながらやり方が陰湿だと思うがこれが俺である。
「~~~~!?」
べっーの人は股間を押さえて蹲るが、それを見ていた葉山グループの男子二名は大爆笑。葉山は苦笑いをしていた気がするが楽しそうで何よりである。
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昼休み。
俺はベストプレイスにて弁当を食っている。たまに小町が作ってくれることもあるが、基本的に自分で作っている。この前の昼休みは雨だったためやむ無く教室に居たが、良いストレス発散になったため良しとしよう。
ここからだとちょうどテニスコートが見え、今日のべっーの人を思い出してしまい吹き出しそうになる。べっーの人許すまじ。しかしべっーの人が醜態を晒していたコートも、今は別の人に使われている。昼休みは女テニの子が自主練をしているらしく、ぽんぽんと壁打ちを繰り返している。俺のように一歩も動かずにだとかボールを三個同時にだとかはしていない。今更ながら何やってんだよ俺。
自販機で買ってきたマッカンをゴクゴクと飲む。食事中にこの甘い飲み物を飲むと嫌な顔をする人も居るだろうが気にしない。今日の昼食をたいらげ、今日の放課後はどのルートを走るか考えていると、ひゅうっと風か吹いた。
風向きが変わったのだ。
その日の天候にもよるが、臨海部に位置するこの学校ではお昼を境に風向きが変わる。だから何だという話だが。
「あれー?ヒッキーじゃん」
そんな俺のベストプレイスに現れたのは、アホの子こと由比ヶ浜だ。
「なんでこんなとこにいるの?」
「普段ここで飯食ってんだよ」
「何で?教室で食べればいいじゃん」
「そうするとこの前みたいなことが日常的に起きるぞ?」
「うわー、そんな昼休みやだ」
納得して頂けたようである。俺としてもむやみやたらと傷つけたくは無いが、奴等は俺の神経を常に逆撫でしてくるから仕方ない。俺は悪くない。
「それよか何でお前はここにいんの?」
「それそれっ!実はゆきのんとのゲームでジャン負けしてー、今は罰ゲームをしてるんだー」
「俺と話すことがか……」
「違う違う!ジュースを買いに来ただけ!」
ほっ……そんな下らないことをする奴だったら思わず説教するところだった。反論ごと捩じ伏せるのって楽しいよね。
ちょこんと由比ヶ浜が隣に座り、如何に雪ノ下にゲームをさせたか報告してくる。というかのろけてくる。お前どんだけ雪ノ下好きなんだよ……お願いだから俺が居るところでガチ百合はしないでね。
一通りゆきのん自慢を終え、満足げな顔をしたままテニスコートに顔を向ける。俺もそれに釣られてテニスコートを見ると、さっきの女テニの子が帰ってくるところだった。
「おーい!さいちゃーん!」
由比ヶ浜がその子に声をかける。知り合いだったらしい。
その子も由比ヶ浜に気づき、とてとてと駆け寄ってくる。
「よっす、練習?」
「うん。うちの部、すっこい弱いから昼休みも練習してるんだ。由比ヶ浜さんと比企谷くんはここで何してるの?」
「やー特に何もー?」
だよね?と由比ヶ浜がこちらに顔を向けてくる。いや、お使いはどうした。忘れたら怒られるんじゃないの?
「さいちゃん、授業でもテニスやってるのに凄いね」
「ううん、好きでやってることだから。あ、そう言えば比企谷くんテニス上手いね」
え、なにその情報。そりゃノールックであんなことやったら誰かしら見ててもおかしくはないが、それこそ最初から意識して見ない限り見つからないと思うのだが。というか何故俺の名前を知っているんだ。
そんなことを考えている内に、由比ヶ浜が感心したようにほへー、と声を出す。
「そーなん?」
「うん!今日なんて飛んできたボールを見ないで打ち返してたんだよ!」
「はぁ!?ヒッキーって何者……」
「はっはっはっ照れるなー。で、誰?というか何で俺の名前知ってんの?」
一切配慮すること無く、正面切って質問する。別に嫌われたところで害はないし。
「あはは、同じクラスなんだけどな……」
まさか正面からそんなことを聞かれるとは思わなかったのか、その子は苦笑いを浮かべる。
「あー、すまん。俺クラスメイトとかほとんど知らないから」
というかこの学校で名前を知ってる人なんてほぼ居ない。
「はぁ!?ヒッキーサイテー」
「うっせ」
「あはは、同じクラスの戸塚彩加です。これから宜しくね!」
そう言うと、戸塚は天使のような笑みを浮かべる。可愛い。守りたい、この笑顔。……はっ!待て待て、俺には小町が居るだろう!何を今さら守りたいとか言ってんだよ俺!ばーかばーか俺のばーか。
そんなことを考えていると予鈴が鳴る。
「いこっか」
戸塚がそう言い、由比ヶ浜はそれに頷いて一緒に歩き出す。
そうか。クラスが同じだと一緒に戻るのも当然なんだな。そんな、普通の高校生活を送る普通の高校生には当たり前なことで少し感動してしまう。こんな普通から外れた俺でも、まだそれをあいつらが知らないだけでも、少なくとも今は受け入れてくれるのだと思える。
「ヒッキー、どうしたの?」
立ち止まっている俺を怪訝に思ったのか、由比ヶ浜が振り向き尋ねてくる。俺なんかが一緒に行って良いのか?そう尋ねようとしたが、すんでのところで飲み込む。態々この感傷をぶち壊すこともないだろう。だから俺は、代わりにこの言葉を由比ヶ浜に贈る。
「お前、ジュースのパシりは良いの?」
「はっ?―――あっ!」
由比ヶ浜がそんな大層なことを考えている筈もなく、由比ヶ浜が俺と普通に接しているのは、由比ヶ浜がそういうやつだからだろう。その優しさが、やけに眩しく見えた。
いつの間にか四千二百字……何が起きた!?