鶴の矜持は。その壱
「翔鶴ねぇ!!」
瑞鶴。私の大切な妹、瑞鶴。
驚愕に染まった彼女の顔を見て、いくつもの悔恨が頭をよぎります。
偵察を、対空見張りを、直掩を。なにが足りなかったのでしょう。いや何もかも足りなかったのです。
北方作戦なんて手慣れたモノで、ある種ルーティンのようにこなしていたのは事実です。瑞鶴に改二甲になりたいとせがまれて、そしてなにより改二甲を実装できる練度にまで育った瑞鶴の立派な姿に心を躍らせていたのも事実です。
あぁ。ごめんなさい、瑞鶴。
こんなお姉ちゃんを、許して下さい。
――――――敵機直上、急降下。
★ ★ ★
「対空戦闘! 主砲三式――――――――撃ぇっ!!」
ちぃっ! 抜かりました!
内心でそう毒づこうとも時既に遅し、覆水は盆に返らず。
戦艦榛名の備える四基の主砲塔より三式対空弾頭が飛び出し、その時限信管を働かせて北の空に汚い華を咲かせる。このゲームをプレイしているならば誰もが知っているであろう三式弾。内蔵された子弾頭がマグネシウムの燃焼炎と共に敵機を貫く。
しかし、果たしてそれに何の意味があろうか。
「敵の狙いは空母です! 瑞鶴の直掩は私が! 青葉は救援!」
「りょっ、了解です!」
帰ってきたのは青葉の返事。それがやけに強ばっていたことから呼び捨てになっていたことに気付くが、今回ばかりは勘弁して貰おう。
同時に今更敵機を認識した機銃が自動で応戦を開始、流石に戦艦級の艦娘ともなれば対空砲火の密度は段違い。
対空機銃の最大の目的は撃墜ではなく敵機の投弾動作を阻害することにある。目論見通り敵急降下爆撃機はその編隊を崩され、投弾する爆弾はひらりひらりと榛名を避けていく。
だがそれが今、何になろうか。
いくつもの水柱が視界を塞ぐ。いつも以上に冷たい海水が襲いかかってくる。僚艦の姿を隠す水柱、これすらも敵の術中。
直掩戦闘機ナシの対空戦ほど、厳しいものはない。ましてや、主力の被弾で艦隊の士気が下がっている時はなおさらのこと。
流石と言うべきか、敵艦隊。鶴の二人はいつも通りだったが、それでも周辺警戒を怠っていたわけではなかった。そもそもこういった事態があるからこそ今回は二人の間に茶々をいれることもしなかったわけだし、北上さんと時津風さんだって私同様周辺警戒を怠っていたのだ。
電探の配備が完全に成されているこの艦隊、いくら雲の間を縫ったとしても、敵攻撃機が到達出来るはずはないのだ。
しかし現実に敵はそれをやってのけた。今はその対処こそが肝要。既に艦隊の航空戦力は倒れた。妹の瑞鶴は一芸には秀でるが空母という戦術単位としては評価は中の下、少なくとも複数の空母を相手取ることは出来ない。
反攻は不可能、されどこちらを先に発見、さらには先手を取った敵の索敵能力はピカイチだ。撤退も不可能。
翔鶴だけでなく、手塩に掛けた僚艦たちをここで一手に失うのは痛い。
なにより、掲示板で僻みを言われるぐらいには成長させたこの
「時津風さん、北上さんのフォローに! 此方は結構、生存を最優先!」
「了解!」
「あいあー。こりゃ負け戦だねぇ……」
通信に乗るのは弾けるような時津風さんの声、そして調子の変わらぬ北上さんの声。こういうのは逆に頼もしいモノだ。
「負け戦? それを引き分けに持ち込むんでしょうがっ!」
だから、こちらも負けじと精一杯笑ってみせる。表情を取り繕うのは現実でも難しいし、感情がダイレクトに伝わりがちなVRではさらに難しい。だが、しっかりと笑ってみせる。
そんな私の……榛名の笑顔につられるかのように、北上さんは口角をつり上げた。
「そうこなくっちゃ」
いくよ時津風、ついてきて。そう低く告げて通信が途切れる。
……さて、水雷組はこれで大丈夫。来るのが分かっている空爆を躱せないほどの練度ではありません。必ずや敵艦隊に取り付き、引き分けに持ち込むぐらいには善戦してくれることでしょう。そうでなければ、戦力の分散はただ単にリスクを負うのみ。信じていなければ送り出したりなどはしません。
問題は――――
「翔鶴ねぇっ! 翔鶴ねぇがぁあ!」
――――この鶴。その顔に浮かべ、声となって実体化する錯乱は演技か、はたまた本物か。彼女の言動には時折私も騙されそうになりますよ。裏が見え透いている翔鶴さんとは違うだけに、取るべき方策も手探り状態。困ったものです。
「瑞鶴さん! ご無事ですかっ!」
とにかく、今は戦闘中。下手に時間を割かないためにも
それにしても本当によく翔鶴さんは手なずけたものです。一発も爆弾が当たっていないというのにこれですよ? 私もここまで取り乱さすような妹が欲しいものですが……その望みは無事に帰ってからですね。瑞鶴さんの前へと躍り出ます。
「榛名さん! 翔鶴ねぇが! 翔鶴ねぇ――――――!」
「瑞鶴!」
瑞鶴の肩を掴む。普段は血気盛んな若鶴はその頬を真っ白に染め、極寒の中に吐き出される息も荒く……やはり通常のそれではない。
TRPGとかなら「正気に戻る条件」があるはずなのですけど……なんなら説得でダイスでも振ってみますか? 正直瑞鶴さんにそれが通用するとは思えません。
こうなれば……少々、いやかなり手荒ではありますが、無理にでも言い聞かせるしかないでしょう。どのみち瑞鶴が動いてくれなければどうしようもないのですから。
「瑞鶴! よく聞きなさい。このままでは私たちは全滅です。私たちには、直掩の戦闘機が必要です。戦闘機を発艦させなさい」
「でも! 翔鶴ねぇが!」
「翔鶴さんは青葉さんが安全を確保します。大丈夫、翔鶴さんは沈みません。簡単に空母が沈んでたまりますか!」
残念ながら空母ほど脆い艦種もないのですが、とはいえ今はそれでゴリ押すしかありません。というか、演技だったらやめていただけませんかね瑞鶴さん。流石にそんなことしている余裕はありませんって。
「翔鶴氏、しっかりしてください! 翔鶴氏!」
どこか悲壮感の混じる青葉さんの声。瑞鶴を煽るような発言は止めて欲しいんですがね。まあ本心からの台詞ならば仕方ないでしょう。
それにこういうのの止め方は、至極簡単。質問してやれば良いのです。
「青葉さん! 翔鶴さんは!?」
「確保しました! ですが……」
「結構! 対空戦闘続行、敵を引き付けさせないで!」
この返事が聞きたかったのです。青葉さんの方を見遣れば……あぁ。ボロ雑巾のようになった翔鶴さんの姿が、純白の装束が煤と血に濡れて、まるで赤黒い迷彩のよう。
「あ、あぁぁあ……!」
瑞鶴の絶叫にも似た叫びが響きます。
肩につけられているはずの航空艤装は付け根ごと吹き飛ばされ、銀色に輝いていた髪は跡形もありません。私の描画設定が
それでも、私は瑞鶴に言わねばなりません。
「ほら! 沈んでなんかないでしょう! 瑞鶴、直掩機を発艦させなさい! この海域から、貴女のお姉さんを連れ帰るためにも!」
そして、私たち全員が、助かるためにも。
★ ★ ★
「……それで、翔鶴氏の様子は?」
声をかけてきたのは青葉さん。少し疲れた様子なのは気のせいではないでしょう。
「
「まぁ、そうでしょうねぇ……」
「……」
「……」
さて。困りました。即断即決が求められる戦闘指揮や痴話なら楽なのですが、この手のケアは正直苦手なんですよね。
「ばーん! 戻ったよー!」
「いやー。私ととっきーが小破するなんて久しぶりだよ。もー」
「うふふー。北上さんとお揃いーっ!」
「いや、怪我にお揃いとかないし……」
と、ここで北上さんと時津風さんが帰ってきました。多かれ少なかれ傷を負っていたとはいえ、反撃を担当した二人がこれだけの損害で済んだのはこのクランの長として誇らしいことではあります。まあお二人にとっては十八番の夜戦ですし、敵の主力が空母であることを考えれば不思議な話ではないのですけれど。
「……それで、ずいっちは?」
まあ、そうなりますよね。ここは私のクランルーム。戦闘の後は各々の反省点を振り返るのが私たちのやり方ですが、瑞鶴さんと翔鶴さんはこの場にいません。
「お察しの通り、翔鶴さんのところですよ」
「やはりか……じゃあ今日は解散かねぇ?」
いかにももう帰りたそうな様子でいう北上さん。
残念ですが、それ以外の選択肢はないでしょう。私は首肯。北上さんは無表情のまま私に聞いてきます。こんな状況でも水雷職人を貫けるあたり、このヒトの面の皮は私以上のようです。
「で? どうするのこれから」
「
「……そ」
私がそう言えば、眼を細める北上さん。それからくるっと踵を返しました。
「じゃ、任せたわー」
「え、北上さん、帰っちゃうの?」
「帰るよー」
引き留める時津風さんを無視するように消える北上さん。振り返った時津風さんが、頬を膨らませて私のほうへ向かってきます。
「もぉー榛名さん! あんなこと言うから北上さん怒っちゃったじゃん!」
「別に、アレは怒っている訳ではないですよ。時津風さん」
怒りながら、それでも『時津風らしく』しようとしている時津風さんにそう返します。状況が状況なんですし、なにも北上さんのように突き通さなくてもいいとは思うんですがね……いえ、それは
「じゃあ『代わり』ってなにさ。そんな言い方しなくてもいいじゃん!」
『代わり』。
私の作り上げた
あるヒトにいわせれば少数精鋭主義ですし、別のヒトに言わせれば非効率な
ですが、これが私のやり方です。常に同じメンバーで臨めるから艦隊としての結束の高さはトップクラスを誇ると信じていますし、誰かが待機していなくちゃいけない
それに、私たちは
「まあまあ時津風氏、榛名氏にだって考えがあるんですよ……」
「でも」
「北上氏だって怒っている訳じゃないでしょうし……それに、事実は事実ですから」
そう時津風さんを宥める青葉さん。ですが当の青葉さんだって、きっと『代わり』という言葉に納得しているわけではないのでしょう。
ですが、ここで
「うーん。でもさぁ……」
納得いかなそう、それでも言葉にはならないようでソファに座り込む時津風さん。代わりに青葉さんが私の方を見ます。
「……それで榛名氏、代わりっていいますけどどうするんですか?」
「考えはありますよ? 今日にでも話は繋いでおきます……問題は、数ですけどね」
「数、ですか」
「正直、翔鶴さんの復帰は絶望的ですよ。
「……」
時津風さんも青葉さんも何か言い返したりはしませんでした。その言葉は、ただ重い石のように沈むだけ。
別に難しい話ではありません。損傷設定が『リアリスティック』ということは翔鶴さんの被弾ダメージはそのままダメージとして扱われていると言うこと。つまり頭部に直撃した爆弾のダメージが全て頭部に入っている、ということです。
システムとしては大破に過ぎないとはいえ、損傷したのは頭部。それも全損です。
私は別に生物について詳しいわけではありませんが、頭を失って生きていられる動物なんて、よほど希少な生き物でない限りいないことでしょう。
「……そういうことです」
「で、でも! 翔鶴さんは今は全部直ってるじゃん!」
「そりゃ
問題は、
「……」
「まあともかく、損害判定でリアリスティックを選択しているはずの翔鶴さんは
VR艦これのもっとも悪魔的な設定――そして私が最も気に入っている設定――である『轟沈時の扱い』。死に戻りだとか初見殺しだという言葉が横行するこのゲームの世界において、VR艦これの大本となったゲーム、所謂『本家』ですね。これで沈んだ艦娘は決して復活しない、という設定がありました。
プレイヤーが提督という艦隊の指揮官であった本家ならどうということはありませんが、このゲームでの主体は
「リアリスティックなんて一発轟沈もありえる設定ですからねぇ……翔鶴氏もホント物好きですよ」
「で、でも! ゲーム的には轟沈してないんでしょ?」
青葉さんの言葉に反論する時津風さん。もちろんその通りです。一発轟沈を避けるシステムは存在しますし、そもそも記憶の削除はリアルでの省令によって本人の同意が必要であると定められています。
だから、VR艦これのデータサーバーで翔鶴さんが削除されることはないはずです。システム的に一発轟沈はありえませんし、なにより翔鶴さんは今この世界に存在しています。
つまりややこしい話ですけど、翔鶴さんの記憶を失ったのは
「えぇ、ですからゲームのサーバーには一定期間データが残されますし、
しかしそのためには、ゲームにログインする必要がある。
翔鶴であった記憶を削除された人間が、果たして再びログインすることなどあるでしょうか?
「ほ、ほら。複垢とか……あるんじゃないかな?」
そうですね。実際、一度でもサーバーに端末が接続されれば情報がサルベージされるでしょうから、複垢プレイ……つまり、別の艦娘でプレイしようとしたときに記憶のサルベージ発生、そのまま復帰するなんて可能性もあるでしょう。
しかし私が答えるより先に口を開いたのは青葉さんでした。
「失礼な質問かもしれませんけど、時津風氏は複垢プレイされるんですか? ああ、もちろん無理に答える必要はありませんけど」
「え……そ、それは……」
口ごもる時津風さん。それは青葉さんが言わんとすることに気付いたからでしょう。
「そういうことです。翔鶴氏が別の艦娘でプレイしているのを……青葉は、想像できません」