邪教の幹部に転生したけど、信仰心はありません 作:ellelle
座り慣れたテーブルと見慣れた景色、普段の私はこの場所で本を読んでいるが、いつもなら可愛い人形が座っている場所に軍服の女性がいる。
おそらくはこの学園と一番縁遠い筈の彼女、腰まで伸びた黒髪を揺らしながらその力強い瞳が動く。
私はそんな軍人さんにもう一度頭を下げると、彼女は苦笑いしながら言葉を返した。
世襲派軍閥の指導者であるリュトヴャク家の次期当主、生徒会長様は彼女が四城戦に於ける最大の障害だと言っていた。
個人的には彼女が御姫様と同じタイプであれば助かるのだが、こんな搦手を使った時点でその可能性は限りなく薄い。
まずは出来るだけ情報を引き出した上で彼女と、そして彼女の父親であるリュトヴャク家の思惑を探ろう。
「では改めまして、先程の提案に対する答えを教えてください
奉天学院に編入する意思があるのかどうか、我がリュトヴャク家は全力で貴方の事をバックアップいたします。
それこそ新たな住まいから人間関係の清算まで、これは私の父上であり当主でもあるドワイト=リュトヴャクの意思です」
しかしながら目の前の軍人さんは世間話すらするつもりがないようで、これには私としても困惑してしまった。
新たな住まいに人間関係の清算……ふむ、彼女の父親がどういった人間であるかは知らないが、少なくともこれで一つだけハッキリした事がある。
それは私の事を大して調べていないという点、つまりは私という人間を全くわかっていない。
なぜなら私の経歴は人魔教団が用意したものであり、住んでいる屋敷も会社が用意したものだ。
それなのに目の前の軍人さんは適当な言葉を並べて、軽々しく人間関係を清算してくれると言った。
これには思わず呆れてしまったと言うか、この様子だと世襲派軍閥とやらも大したことはないだろう。
仮にもこの国最大のギルドを取り仕切る者や、数多くの奴隷を従わせているような人間が勤める会社だ。
それを近くのセブンイレ〇ンにでも行くような感じで、それこそ問題ないと言わんばかりの態度は滑稽である。
さすがの私もリュトヴャク家の情報網がずさんなのか、それとも人魔教団が彼等以上に優れているのかはわからない。
しかし先程の言葉が出た時点で私の中にある彼女のイメージ、世襲派軍閥とリュトヴャク家の評価は一段と下がった。
そもそも奉天学院についてなにも知らないのに私に対して、そんなよくわからない人間の名前を誇らしげに話す時点でおかしい。
まずはコスモディア学園とどういったところが違うのか、そしてどんな人材を集めているのか説明すべきである。
これにはさすがの私も呆れてしまったと言うか、もしかしたら目の前の軍人は見た目通りの御飾りかもしれない。
要するに父親であるドワイト=リュトヴャクという人間が賢いだけであって、彼女自身は御姫様と同じタイプなのだろう。
そうでないならこんな初歩的なミスを犯すとも思えないし、なによりこんなところで躓くようでは話にならない。
「ハハハ、突然そう言われてもあまり実感が湧きませんね。
リュトヴャクさんの申し出は嬉しいのですが、生憎と奉天学院に関して私は詳しくありません。
ですので私の考えを伝える前に、その歴史やどういった校風なのか教えて欲しいのです」
「あっ……そ、そうでした。そうですよね。
私としたことが慣れない役目に緊張してしまって、ヨハン様からすれば我が学院は稀有な存在ですしね。
では個人的な見解も多少含まれますが、奉天学院の成り立ちとその校風に関して説明させていただきます」
だからこそ少しばかりその点を指摘すれば、すぐさま混乱してなんとか取り繕うとする。
私はその言葉によって彼女がこういった状況に慣れていないこと、そして厄介なのは彼女の父親であって目の前の小娘はただの馬鹿だとわかった。……ふむ、それさえわかれば後はいくらでも対処できる。
私の興味は既に目の前の小娘から離れていたが、それでも失礼がないよう注意はしていた。
おそらくはこのやり取りを通して彼女の父親、ドワイト=リュトヴャクは私という人間を知ろうとする筈だ。
その際に不純物が混じっていたら当然評価は下がるし、なによりこれはある種の好機でもあった。
彼女の父親が私の想像通りならば、これはちょっとした試験なのかもしれん。
要するにこの小娘をどれだけ手玉に取れるか、そして私がこの状況をどうやって切り抜けるのか。
私の中ではある程度の受け答えは決まっていたが、取りあえずは嬉しそうに説明を続けている彼女に相槌を打ってね。
奉天学院。彼女の説明ではその歴史は意外にも新しく、四十年ほど前に起こった大戦が始まりらしい。
当時はセシル達の故郷である獣人の国、サーサーンとこの国は戦争状態にあってね。
この世界の勢力図は中国に於ける三国時代とよく似ており、概ね三つの国に分かれている。
まずは私達が住んでいる人間達の国レムシャイト。
そして先程説明した獣人達の国サーサーン。
最後にエルフ達が管理している国アストラン。
それぞれをその時代の勢力図と重ね合わせるなら、三国の中で最も人口が多く領地も広いレムシャイトが魏であり、山や緑に囲まれた国であるサーサーンが蜀漢、そして独自の文化と豊かな土地を有するアストランが呉である。
当時の国王はサーサーンに戦争を仕掛けて、その際の遠征軍をまとめていたのが南軍の名門リュトヴャク家でね。
最初の方はサーサーンを圧倒していたらしいが、彼等と同盟を結んだアストランが参戦した事によって状況が変わった。
レムシャイトは二正面作戦を強いられ、その際に先代の国王がアストランの軍勢によって殺された。
先代の国王が死んだことにより現場は混乱し、今の国王にその王位が継承されたと同時に戦線を縮小。
その上で各国に使者を送って和平を結んだが、ハッキリ言って国王を殺されたレムシャイトの敗北である。
その戦争はアスクルムの戦いと呼ばれており、この国に住まう人間のほとんどが知っている。
先代の国王を護衛していた軍とリュトヴャク家は別だったが、遠征軍をまとめていたという事もあって彼等は王都から追放された。
そしてリュトヴャク家はサーサーンとの国境に勢力を移し、当時は将校達の宿舎として使われていた建物を改装して奉天学院を設立する。
そこから先に関しては皆さんもご存じの通り、有能な軍人を輩出して中央へと送り勢力を拡大させたわけだ。
つまり奉天学院とはリュトヴャク家の人材育成機関、言うなれば世襲派軍閥が保有する各派閥への切り札である。
正直なところ辺境に追いやられた彼等が貴族や魔術師、ひいては国王と肩を並べる程の組織を作り上げたのは凄い。
ただ当時の戦いを引きずっているのかは知らないが、サーサーンやアストランと国交を結ぶのに反対しているのはいただけない。
王党派はアスクルムの戦いは水に流して、その上でサーサーンやアストランと国交を結びたがっていると聞いたが、それを彼等と門閥貴族が反対しているらしい。
この国に獣人やエルフがいないのはそういった事が関係しており、そう言ったところはマイナスポイントと言える。
「どうでしょうか、私達は決してヨハン様を失望させません」
一通りの説明を終えたところで彼女はそう締めくくったが、私に言わせれば彼女の本質がわかった時点で失望している。
さすがの私も人事課長に媚びを売るのはわかるが、人事部が用意したアンケート用紙には興味がない。
だから私は目の前の軍人さんに微笑むと、そのまま彼女が大好きそうな言葉を使ってね。
「失望?失望ですか……ふむ、つまり貴女はこの学園を裏切って奉天学院につけと、リュトヴャク家に尻尾を振れと言っているわけですね。
それこそある程度の地位は保証してやるから恩人を裏切り、そして屋敷を用意してやるから友人達を捨てろ――――――なんともまあ、これ以上ないというくらい素敵な提案だ。
糞ったれな地位と引き換えに生き恥を晒し、これまたくだらない金銭と引き換えに尻尾を振れと言う」
その言葉に私達を包む空気が一変し、目の前の軍人さんは言葉を失っていた。
私はただ彼女の言葉をもっとわかりやすいように、それこそオラウータンにもわかるよう言い換えただけだ。
どれだけ綺麗な言葉で使っても、彼女達が言うところの提案とはそういうものだからね。
残飯の上にキャビアをトッピングしてもその本質は変わらないし、脱税した政治家がどれだけ募金しても許されはしない。
目の前の軍人さんは私の言葉にやっと気づいたのか、慌ててその言葉を否定するがそんな事はどうでもよかった。
重要なのは彼女に私という人間が高潔であり、誰よりも義理堅い人間だと思わせる事にある。
「では御当主様の名代ではなく、リュドミラ=リュトヴャクという個人に聞きたい。
貴女は金や権力で仲間を裏切るような人間に対して、尊敬する家族や仲の良い友達と同じように付き合えますか?
その男は少し前まで敵対していた筈の人間であり、これといってなにかしらの問題を抱えていたわけでもない。
己の欲望に目がくらんだだけの浅ましい人間、おそらくは誰よりも高潔である貴女方が最も嫌っている人種だ」
大袈裟に振る舞う事で軍人さんの感情を刺激し、その一方で馬鹿な小娘を立てる事も忘れない。
目の前にいるのが彼女ではなくその父親であったなら、それこそこんなところで黙ったりはしなかっただろう。
おそらくは気の利いた皮肉やある種の本音をぶちまけて、その上でもう一度このやり取りを続けた筈だ。
「そっ……そんな事はありません――――――」
「そんな事はない?……そうですか、それなら貴女と話すことはもうありません。
私はリュトヴャク家について詳しくはありませんが、貴女の知り合いでもあるターニャさんから高潔な一族であると聞いています。
ですからそのような恥知らずな事を平気で話すような人間、つまり貴女とはこれ以上話したくない。……申し訳ないのですが、私の中にあるリュトヴャク家のイメージを壊さないでほしい」
私の言葉に彼女は肩を震わせうつむいていたが、この程度のやり取りすらも満足に出来ないようでは話にならない。
ここで開きなおる位の度量がなければ当主など務まらないし、なにより私自身は既にその目的を達成している。
私という人間を彼女に誤解させた上で、リュトヴャク家や奉天学院に関する情報も手に入れた。
もはや彼女との会話に意味はなく、無駄に長引かせて生徒会長様に誤解されても困る。
私の誤解を解こうと軍人さんは慌てていたが、その口からはなんの言葉も出てこなくてね。
所詮は御姫様と同じ空っぽの人間、こんな小娘にアピールしたところでなんの効果もない。
「こんな事は言いたくないのですが、出来れば貴女のような人間ではなく真面な人を連れてきてほしい。
一番嬉しいのは貴女の父親であるドワイト様ですが、さすがにそこまでの事は私も望みません。
そもそも私なんかとは住む世界が違いますし、なによりリュトヴャク家の御当主ともなれば多忙でしょう」
だからこそ私は彼女のような阿呆ではなく、リュトヴャク家の当主と関係を持つ為に言葉を濁す。
これで御当主が私という人間に興味を持っているなら、最低でも彼の側近かその身内が来るだろう。
この小娘よりは話のわかる人間、一番良いのは御当主様本人が来ることだがね。
このやり取りを通して目の前の馬鹿がどう報告するか、少なくとも悪いようにはならない筈だ。
これで世襲派軍閥のトップに近づくことが出来るし、今度の報告書を見れば私の上司も喜ぶだろう。
「……後悔する事になりますよ」
「後悔ですか、後悔なら前世で嫌というほどしています。
取りあえず、貴女の言葉がただの強がりでないことを祈ってますよ」
そう言って私は立ち上がるとそのまま踵を返し、哀れな小娘を置いてそのまま屋敷へと戻った。
この時の私は時間も時間だったので報告書をまとめた後、明日にでも生徒会長様に事情を説明しようと思っていたのだ。
だから御姫様の発言から始まったこの一日がやっと終わる……なんて、そんな事を考えながら私は屋敷の門をくぐったのである。
「なに、シアンが戻っていないだと?」
そう、この奇妙な一日がまだ続くとも知らないでね。
私はセレストの言葉を聞きながらため息を吐き、その日は一日中書斎の中で彼女の帰りを待つことにした。
そして分厚い本を一冊……また一冊と、シアンが戻って来るまで読み続けたのである。
「ふむ、まさかこんなにも早くちょっかいをかけてくる馬鹿がいたとはな」
時計の針が動く度に次の本に手を伸ばし、私の周りには多くの本が無造作に積まれている。
シアンが消えたのは防犯装置としての役目を果たしたからか、それともただ単に誤作動を起こしただけか――――――そんな事を考えていたらあっという間に時間は過ぎた。
そして鬱陶しい日差しに舌打ちすると同時に、私はこの国に関する歴史書を閉じて呟く。
「さて、殺しに行くとしよう」
奇妙な一日が終わり、こうして血生臭い二日間が幕を開ける。