邪教の幹部に転生したけど、信仰心はありません 作:ellelle
その昔、ドイツの哲学者はこう言った。
天才とは、狂気よりも一階層分だけ上の住人である。
彼の思想は芸術論・自殺論が有名であるが、むしろ総合哲学者としての側面が強いだろう。
その思想は多くの哲学者と芸術家に影響を与えたが、一部の者からは似非哲学のさきがけとして批判された。
しかし、そう言った批判をものともせず、その思想は現代思想においても用いられる。
幸福について。知性について。自殺についてなど、彼の著書は新しい視点を与えてくれる。
狂人とは周りからそれを指摘されて、否定するだけの能力や実績がない者であり、天才とはその反対だと私は思っている。
たとえ周りから狂人と揶揄されても、それを否定するだけの力があれば問題ない。
要するに前者は頭のおかしい無能であり、後者は頭のおかしい有能である。
ん?……いや、頭がおかしいという表現は正しくないな。正確には周りとは異なる人間だ。
天才とはどんな指摘や評判も跳ね返し、凡人には達成できないことを成し遂げる。
天才と狂人の違いはそれだけであり、むしろ狂人には天才の素質があるとも言える。
では私は周りが指摘するように狂人なのか、それともその一階層分だけ上の住人なのか、それはこの件が終わればハッキリするだろう。
教団内における覇権争い、プライドを排除できれば私は証明できる。
それこそ口先だけの人間ではないと、本社の連中にわからせるとしよう。
「全く、相変わらず平和な連中だ」
では、改めましてごきげんよう。
トライアンフ殲滅戦を終えて、何食わぬ顔で学園にいるサラリーマンとは私のことです。
気づけばあれから半月が経過し、この王都もその話題で持ちきりだった。
通りの商店には多くの情報誌が並べられ、トライアンフの六文字が飛び交っている。
私はいつものテラスでそんな情報誌を片手に、目の前の獣人と世間話をしていた。
話題は勿論トライアンフについてであり、世間ではあの事件を赤い月と呼んでいるらしい。
その犠牲者の数が多いことと、ブラヴァツキー領の事件をかけているそうだ。
黒い夜と赤い月。誰が言いだしたかは知らないが、それでも命名した人物はセンスがある。
事実、その両方が教団による仕業だ。
「セシルはこの事件をどう思う? ほら、赤い月とかいう事件についてだ」
「えっ、私!? 私は……その、できればお弁当の感想を――」
そう言ってうつむく彼女に、私は今日何度目かのため息を吐く。
なぜなら最近のセシルは私に対し、なぜか恋人ごっこをせがむようになった。
それは本当に突然のことで、私としてもどうすればいいのか困っている。
お弁当のおかずを箸で掴んだかと思えば、私の口元までそれを運ぼうとする。
私が自分で食べられると言えば、酷く落ち込むので困惑していた。
好意を向けられるのは嬉しいが、これ以上のスキンシップは問題だ
「そんなこと、私が昼食を用意しない時点でわかるはずだ。
私に不味い料理を食べる趣味などないし、味が合わないなら初日に断っている。
こんなことを言うのも変だが、セシルはもう少し自信をもった方がいい。私が昼食を用意しないのは、君の料理を楽しみにしているからだ」
「はぅ!?」
そのくせ、私が褒めればそれを宝石のように喜ぶ。
彼女は隠しているつもりだろうが、激しく揺れる尻尾がその証拠だ。
この様子だと次の授業が始まるまで、このまま復活することはないだろう。
「そんな、楽しみだなんて言いすぎだよ……えへへ」
私はそんなことを考えていたが、そこで予想外の人間が現れてね。
そいつの姿が視界に移った瞬間、私は持っていた情報誌をテーブルに置く。
セシルは気づいていないようだが、わざわざ教える必要もないだろう。
「やあ、僕もそこに座っていいかな?」
「断る、さっさとUターンして帰れ」
私の反応が予想外だったのか、目の前の男――アルフォンス=ラインハルトは困ったように笑う。
しかし、私に言わせれば当然の対応だ。残念ながらチンパンジーと昼食をとる気はない。
「じゃあセシルさん、僕もそこに座っていいかな?」
「えっ? あっ……はい」
耳まで赤くした彼女がうなづくと、彼はそのまま向かい側の席に座る。
そして耳まで赤くしたセシルが、気まずそうにその視線を泳がせていた。
「そのお弁当はセシルさん手作り? 実はお昼がまだで、よかったら一口もらってもいいかな?」
「だめだ、これはセシルが私のために作ったものだ。
君はそこら辺の雑草でも食べて、さっさとこの場から消えろ」
私が彼と会話する気がない以上、言葉のキャッチボールは成立しない。
主人公君が会話の糸口を探すたび、私はその全てを否定することにした。
なぜなら私の計画に彼は不要だし、部下として雇うにも相性が悪い。
セシルは私たちに挟まれながら、面白いほど動揺していたよ。
元々彼女は私たちの関係について、少しでも改善しようとしていたのだ。
だからこの機会を活かして、どうにか繋ぎとめようとしていた。
「悪いけど、僕は君じゃなくてセシルさんに聞いたんだ。
だからセシルさんにもう一度聞くけど、僕も一口もらっていいかな?」
「うん、どうぞ」
まあ、彼女にできるかどうかは微妙だがね。
戦闘に関する思考や能力は認めるが、彼女は基本的に遠慮がちな人間だ。
周りの評価はそうでもないらしいが、私の前だといつも受け身だからね。
私に対する好意がそうさせているのか、それとも元々こういう人間なのかはわからない。
しかし、彼女に私たちを仲裁する力はない。
だから今も気まずい沈黙が三人を包み、私は再び情報誌を手に取った。
「そういえばセシルさん、赤い月って呼ばれてる事件知ってる?
トライアンフのギルド都市が、何者かの襲撃を受けて壊滅したんだ。
あの事件から半月が経つけど、未だにその犯人はわかっていない」
「うん、確か一つの都市が丸々なくなった事件だよね?
さっきもヨハン君に聞かれて……その、ごめんなさい」
なんとも白々しい会話である。王都に住んでいる人間なら、それこそ知らない方がおかしい。
私の視線に気づいた彼女が、なぜか謝ってきたがね。しかしそんなことはどうでもよかった。
次の授業が始まれば彼は消えるだろうし、私に興味がないと知れば諦めるだろう。
だから私は一言もしゃべらず、ただ二人の会話を聞いていた。
昼食にチンパンジーが紛れ込んだのは不愉快だが、もう少し我慢すれば学園(オリ)の中へと帰る。
「罪もない人たちを大勢殺して、その犯人は今もどこかで笑ってる。
もしかしたら僕たちの身近にいて、普通に暮らしているかもしれない。
僕はね、この事件の犯人だけは許せないんだ。
たとえどんな理由があったとしても、その罪は償うべきだと思ってる」
主人公君の演説を聞きながら、私は情報誌のページをめくる。
もしも目の前にその犯人がいると知ったら、この男は発狂するかもしれない。
彼がどんな表情をしてくれるのか、少なからず興味はわくがね。
「ちなみに、セシルさんは誰が犯人だと思う?」
ギリギリのところで笑いはこらえたが、これほど面白い状況もないだろう。
主人公君の言葉にセシルが同意し、二人はその会話に花を咲かせていた。
出てくる言葉はどれもくだらないもので、砂糖よりも甘くて中身がなかった。
「犯人? うーん、いきなり言われても想像できないよ。
だけど、単独犯ってことはないと思う。だって、一夜で都市を壊滅させるなんて普通じゃないもん。
たぶん犯人?っていうより、組織なんじゃないかな? 正規ギルドを敵に回しても大丈夫な人たち、たとえば……ほら、人魔教団とか!」
ただ、彼女の口からその言葉が出るとは思わなかった。
彼女からすれば私への助言であり、ちょっとした質問である。
もしかしたら教団が関わっているかもしれないと、そんな軽い気持ちでその名前を出したのだ。
何も知らないセシルからすれば、その名前を真っ先に連想するのは当然か。
彼女は闇ギルドに詳しいわけでもないし、この国に来たのも一年ほど前だ。
ただ、質が悪いのはそれが正しい点である。
この事件に人魔教団が関与していることを、彼女は偶然にも当ててしまった。
そしてその発言によって空気が変わり、長い沈黙が私たちを包んでね。
「セシル、お前はもう喋るな」
さすがにこれ以上の会話はまずい。主人公君が私やセシル、そしてセレストの関係まで知ることは避けたい。
私がセシルに忠告すると、彼女も自分の失敗に気づいたのだろう。
慌ててその口を押えていたが、私に言わせればそれも間違っている。
「人魔教団? へぇ、そんな組織があったんだ。
僕も初めて聞く名前だよ。だけど、どこでそんな名前を知ったの?」
主人公君がセシルの言葉に食いつき、その辺りを詳しく聞こうとする。
この流れは当然だ。誰だって自分の知らない固有名詞、特に闇ギルドとなれば興味を示す。
たとえそれが酔っ払いの戯言であっても、きっとこの男は食いついただろう。
問題なのはその発言が正しいこと、そしてこの私が関係していることだ。
「この話はこれで終わりだ。次の授業も始まるようだし、さっさと君たちは教室に向かえ」
遠くから聞こえてきた鐘の音に、私は次の授業が始まることを教える。
それはこれ以上話すつもりがなく、彼の質問にも答える気がないということ、セシルも私の雰囲気に全てを察したはずだ。
だが、それでも彼はやめようとしなかった。
「ヨハン君、できれば今日君の家に寄ってもいいかな?」
それに対して私はなにも答えない。否定したところで意味はなく、だからと言って肯定するのは論外だ。
彼がなんのためにここへ来たのか、どうして私の屋敷に来たいのか、その全てが不気味であり予想外だった。
少なくとも目的がハッキリしないなら、私が協力する必要はない。
「ヨハン君、君が僕のことを嫌っているのは知っている。だけど、この話はそんなレベルじゃないんだ」
私は情報誌を読みながら、その全てを無視していた。
時間が来れば授業を受けに行く、そう思って黙殺したのである。
しかし現実は私の予想を超え、意外な結末を見せることとなった。
「ヨハン君……お願いだ。代わりに君の言うことをなんでも聞く、だから僕の話を聞いてほしい――」
弱弱しい声で頭を下げる彼に、私は頭の中が混乱していた。
なぜそこまで執着するのか、彼がそこまでする理由がわからない。
今なら私が土下座しろと言えば、この男は喜んでそうするだろう。それだけの確信があったし、ある種の不気味さも感じていた。
なにがこの男にそうさせるのか、その目的が全くわからない。
その表情はどこか追い詰められ、助けを求めているようにも感じた。
主人公君が私にこんな顔をするとは、御姫様が知ったら騒ぎだすだろう。
「ねぇ、ヨハン君――」
横から感じる視線はセシルのもので、彼女が言いたいことはわかる。
たとえ私が拒否しても、彼はここから動かないだろう。
それだけの意志を私は感じたし、それはセシルにしても同じはずだ。
あのチンパンジーが暴力ではなく、言葉で私を説得する日が来るとはな。
今日は帰りにホールケーキでも買って、彼が来たらそれを振舞ってあげよう。
チンパンジーが類人猿に進化した日、記念すべきホモサピエンスだ。
「いいだろう。私は先に帰っているが、授業が終わるころにシアンを向かいに出す。
後はその馬車で屋敷まで来るといい。――ただし、先ほどの言葉は忘れるなよ?
この貸しは高くつく、なぜなら私は君のことが嫌いだからな」
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「ふむ、やはりいくら考えても答えはでんな」
テーブルのホールケーキを眺めながら、私は学園でのことを思いだす。
彼があのような態度にでるとは、絶対に普通ではないと言いきれる
しかし、何が起こっているのか、どうしてそこまでするのかがわからない。
私は迎えに出したシアンが帰ってくる間、一人で主人公君のことを考えていた。
そしてそうやって導き出されたのは、あの男が頭を下げるなんてありえない。そう、なんの面白みもない答えだった。
ああ、事実として頭を下げたのだから、その答えが間違っているのもわかる。
しかし、どんなに考えてもあり得ないのだ。
セシルや御姫様、生徒会長様だって頭を下げるかもしれない。しかし、あの男だけは絶対にありえない。
全てが演技であったなら納得もできるが、彼がそこまで器用だとは思えない。
所詮はチンパンジー、頭の中はくだらない考えで一杯だ。
あのタイプは絶対に自分を曲げないし、それは代表戦の時に経験している。
「来たか、今行くと伝えろ」
ドアをノックする音に、私は要件を聞かずに言葉を返す。
おそらくはセレストだろうが、相変わらず嫌われているようだ。
シアンを連れて帰ってきたときは、あんなにも喜んでいたというのにな。
「それにしてもアルフォンス=ラインハルト、彼はどうして私の屋敷にやってきた。
話なら学園でもできるし、なによりその方が時間もかからない」
エントランスへと向かうまでの間、私は彼という人間を思いだしていた。
確かシアン攫われた時、彼は自分の過去を話したはずだ。
とある事件がきっかけで家族と故郷を失い、それからは姉と一緒に暮らしたとね。
しかしその姉もある日を境に姿を消し、そして彼という化物が誕生した。
そしてその姉に関しても、確かセシルが代表戦の時に言っていた。
とあるギルドの有名な冒険者で、その強さから王族とも交流があったと、だから彼は御姫様とあれほど親しいのだ。
「……ん? なんだ、私はなにを見落としている」
そこまで振り返ったところで、私はとある可能性を見出していた。
絶対にありえないとわかっていても、それが正しいのであれば全てが繋がる。
彼が言うとある事件とは一体なんのことで、彼の姉はどこのギルドに所属していたのか。
私の足取りが自然と早くなり、気がつけばその答えを欲していた。
エントランスに近づくほど、私の中で可能性が確信へと変わる。
あの女は自分の家系について、召喚士の一族だと言っていたはずだ。
「ああ……そういうことだったのか」
見えてきたエントランス、そこには二人の人間が立っていた。
一人は私の同級生であり、数時間前に約束を取りつけた同級生。
そしてもう一人は私が待っていた人間、半月前に予約した新しい道化(ピエロ)だ。
「へぇ、その様子だと私と会ったことがあるみたい。
最初は半信半疑だったけど、あんたが灰色の死神で間違いないわね」
ああ、勿論会ったことがあるさ――緋色の剣士。
次回、赤い月(英雄編)スタート