「――リグル。私たち人間は何も貴女達、妖怪を差別している訳じゃないわ」
「なッ!? こ、この期に及んで何を言っているの! どう考えたって差別じゃないッ!」
「いいえ。違うわ。これは『差別』ではなく、『区別』よ」
「く、区別?」
差別ではなく、区別と――そう霊夢は言い放った。
それに対し、リグルの顔には困惑と疑念を織り交ぜた実に小難しい顔をしている。
「区別が差別とどう違うって言うのよ。同じじゃない」
「いいえ、違うわ。差別と言うのは不当な扱いをしたり、見下したり、侮蔑の感情が含まれている事を指すの。区別は言葉通り『分け隔てる』事を指す。私たち人間はね、妖怪に限らずあらゆる生き物を殺して良いモノと悪いモノに分け隔てているのよ。そこに侮蔑の感情は無い。差別してるから虐げてるんじゃない。あんた達を『殺しても良い側』に分別しているから殺すのよ」
「な、な、な……ッッ!!!」
霊夢の冷淡な発言にリグルは言葉を失った。そして怒った。
生き物を分け隔てる?
なんと言う傲慢な事か。リグルの内の中に、人間に対する欺瞞で溢れかえった。
「なんで……なんで人間は勝手に私たちを分別するの!? 私たちは生きてるんだ!勝手に殺していい命なんかある筈がないッ! それなのに殺して良い側と分別するなんて………人間は傲慢だッ!」
リグルの叫びに霊夢はため息をつきながら返した。
「貴女……あの夜雀と知り合いだったわね。あの八目鰻屋の」
「八目鰻……ミスティアの事?」
「ああ。確かそんな名前だったわね。そこで貴女は鰻を食べたはずよ?」
「……え?」
「鰻や魚は私たち人間の食料でもあるけど、それは貴女達も変わらない。貴女は人間を傲慢だと言ったけど、貴女達だって他の生き物の命を奪って己の糧とする――それなりの業と言う物があるでしょう?」
「え、いや……だって……それは………」
リグルは顔を濁らせた。
確かに自分たちも他の生き物たちの命を奪って己の糧にする。だがしかし、命を奪うのはあくまでも食べるため。それは生命としての当たり前の行動だ。
そして、それが人間が他の生き物たちと妖怪に身勝手な価値を押し付ける理由にはならないとリグルは信じていた。
自分たちが殺すのは生きるため。まっとうな理由がある。目の前で震えている男のように快楽の為だけに命をもてあそんだりする事は絶対にあり得ない。
だからこそ、リグルは反論の声を上げようとした。
人間たちと自分たちは違うと。
それはただのヘリクツだと。
しかし、リグルが声を出す前に、霊夢の断言がリグルの反論を遮った。
「しかしそれは間違いじゃない。強者は弱者を虐げる権利がある」
霊夢は何の迷いも無くそう断言した。
そんな霊夢を見て、リグルは震えた。
彼女は本気でそう言っているのだと。
だがそれ以上にリグルを震わせていたのは、霊夢の口にする言葉の言いようのない説得力だった。
「リグル。貴女はどうにも勘違いしているようだから、この際教えておいてあげるわ。貴女の思考の内にある根本的な間違いと言うのを……」
「ま、間違い? ――間違っているもんか! 私は間違っていない! 人間だって、同じ人間を殺したら罪に問われるでしょうッ! だから人間が私たちを殺したら………」
「いいえ。それは違う。貴女は間違ってるわ。貴女は私たち人間を自分たちと同列だと考えている。それがそもそもの勘違いなのよ。この幻想郷で……妖怪と人間が定めたルールの中で生きている貴女なら解るんじゃない? 『妖怪は絶対に人間には勝てない』って。はるか次元の彼方に住んでいる生き物であると。そう薄っすらと気付いている筈よ。今の幻想郷のあり方、そしてスペルカードルール。全ては人間を守るためにあるモノじゃない。全ては貴女達妖怪を守るために存在している。賢い貴女なら気付いていたんじゃない?」
幻想郷のあり方。幻想郷は忘れられた者たちが集う世界だ。妖怪たちは人間たちに忘れられ、必要とされなくなった。だからここにいる。
だが、もし、もしも仮に妖怪たちが人間よりも強かったら……絶対に無視出来ないような存在であったならば、そもそも幻想郷なんて世界は生まれてすらいない。
詰まる所――妖怪は人間には勝てないのだ。だから幻想郷にいるのだ。
そしてスペルカードルール。これは人間が妖怪たちと対等に戦えるために作られたルールとされている。
しかし実際は違う。
スペルカードルールは人間を守るためにあるのではなく……妖怪の力をこれ以上落とさないために作られたルールだ。
本当は人間を守るためにあるんじゃない。妖怪を守るためにあったルールなのだ。
リグルは気付いていた。本当は気付いていたのだ。
この幻想郷のは一見、妖怪が支配しているように見えるが……実際は人間が全ての頂点に立っている事を。
他の低級妖怪や差別と言った事に疎い妖精では気付きもしない事実。
リグルはその賢さゆえ、うすうす気づいていた。
「そ、そんなの……そんなの解りきっていたさ。人間は強いって。でもッそれでも私たちは生きてるんだッ! なんでそれが人間には解らないのッ!?」
「まだ理解出来ないの? 貴女はどうして強者たる人間に意見が通るほど、対等な立場に己を置いているの? 貴方が他の生き物の命を喰らう時、その生き物の抗いを存分に見て来た筈よ? 言葉を交わす事は出来なくとも、必死の抵抗を見せていた筈。貴女は一度でもそれに耳を傾けた事はある? 貴女は人間に自分たちを理解しろと、自分たちは生きているんだと言うけど、貴女は同じ事をやった事がある? 一度でも"殺す"命に対して耳を傾けた事がある?」
「それは……」
ある筈がない。
そうだとも。魚を食べる時も、鰻を食べる時も、捕まえた時思いっきり抵抗された。 しかしそんなの目にもかけた事ありはしない。それどころか抵抗された事を楽しいとすら感じた事もある。
人間もそうなのだ。己よりも弱い生き物に対して、果てしなく残酷になれる。
そして妖怪は人間よりも弱い。だから残酷になれる。
リグルが意気消沈すると、後ろにいる混合中もまた元気がなくなってきている。
霊夢の言葉が理解できているのかどうかは不明だが、リグルに何かしらの変化があった事を察知していたのだろう。
そしてリグルは混合虫に挟まれている人間を見た。
男はいつの間にか気絶しており、ぐったりとしている。
リグルは男を見ると、意気消沈していた性根が再びもどりだした。
霊夢の言っている事は正しい。
だがこの人間だけは許せない。この人間は生きる価値がない存在だと。
「に、人間は強いさ……。け、けど……けどッ! この男は本物のクズだッ!生きる価値の無いゴミだッ!」
「それの何が問題なの?」
「――え?」
霊夢の意図がまるで読みとれず、リグルはただ困惑するしかなかった。
「確かにその男性は、あまり褒められるような性根の持ち主では無さそうね。貴女の仲間の子供を殺したのも多分、事実なんでしょう。――でもそれがどうかしたの? まさかと思うけど、『だから殺しても良い』なんて考えているんじゃないでしょうね?」
「そ、そうだよッ!こいつは生きる価値なんかないんだッ! だから私たちが……」
「はぁ……リグル。こんな事、とても残酷だから言わないでおいてあげたのだけど……貴女の意思も堅そうだからハッキリと言ってあげるわ」
「な、何を………」
「いい? リグル。殺された貴女の虫とその男性の命――『まるで釣り合いが取れてないのよ』」
「なん……ですって?」
「聞こえなかったの? 貴女の虫の命とその男性では命の価値が違いすぎると言っているの。人間の命は貴女達よりも尊い。例えその男性が何千、何万という虫を殺したとしてもまるで釣り合わない。例えその男性がクズだったとしてもそれで彼の存在意義が否定される事は無い。貴女達に彼を裁く権利なんて最初から無かったのよ」
「――ッッッ!!?」
「リグル。『区別』は『差別』なんかよりもよっぽど残酷よ。貴女達が危険な存在だと認識されてしまった以上、貴女達と人間はすでに共存を見限られているの。差別だけだったら、どこぞの寺にように平等を唱える人間が現れたり、情が移って情けをかける者たちもいるのかもしれない。だけど区別は違う。大半の人間が貴女達を殺しても良い存在だと認識してしまった。もう貴女達はそこまで来てしまったのよ」
リグルがどれだけ虫たちが人間の為に働いているか、それを唱えたとしても人間には理解できない。
そもそも人間は、全ての虫たちの性格を把握できるほど注視もしていないし、視野も広くは無い。
それゆえに、人間は情報を整理するために物事を区別する。分け隔てて考える。
そして彼女たちは殺しても良い存在だと区別されてしまっている。
誰が悪いわけでもない。ただ運が悪いだけだ。
そういう存在になってしまったのが彼女たちの不運だった。
「さ、もう良いでしょう。さっさとその男性を返しなさい。そうすれば貴女達を見逃すと言っているのよ? それともここで一戦交える?」
「ぐッ!?」
「例え、ここで私から逃れられたとしても、その男性に手出しをすれば人間たちは今度こそ貴女達を皆殺しにするわよ? 良いも悪いも無い。ただ存在している。それだけの理由で残酷に冷酷に殺せるわ。それが人間なのだから。――で、どうするの? 全ての虫たちの命を賭けて私と勝負する?」
目の前の巫女には迷いがない。
こちらが戦闘の意を見せたら躊躇いなく、情を見せずに向かって来るだろう。
男を人質にした所で逃げられない。もしもそんな事をしたら他の虫たちも人間たちに殺されるかもしれない。
だがリグルには霊夢を倒す実力は無かった。
後ろにいる混合虫も、見た目がおぞましいだけで実力は大したことは無い。
きっと霊夢はそれすらも分かっているのだろう。
だからリグルには選択肢が残されていなかった。
男を引き渡すと言う選択しか……。
「わ、分かった。こいつを……引き渡すよ……」
リグルは歯を食いしばりながらそう言った。
霊夢は肩をすかしながら混合虫の方へと歩み進め、男を引きとった事を確認した。
霊夢はリグルをしり目にこう言い放った。
「リグル。私からの善意として言っておくわ。人間を怨むなとは言わない。けど人間に手出しする事だけは止めなさい。人間は貴女達を忌み嫌っている。自分たちに何か不利益になるような事があったら何のためらいも見せずに貴女達を殲滅する。子供の事は……運が無かったと諦めるしかないわね。これからは人間に余り関わらないようにして生きなさい」
男を背負いこみ、霊夢は宙に浮かびあがった。
そしてリグルに背を向けてその場から立ち去って行った。
背後からリグルの嗚咽が聞こえてきた。喉が潰れるのではないかと思わせる位の叫びだった。
霊夢はリグルの嗚咽を耳にいれながら村へと急いだ。
もうリグルは『区別』と言う理不尽さを受け入れるしかない事を知っただろう。
この先、彼女には希望が無くとも、一匹の妖怪として生涯を達成し得る事になるかもしれない。
しかしそれが彼女の幸せと言えるかどうかは測り知れないが……。
霊夢は思った。人間が付けた生き物の価値と言う物は酷く残酷な物であると。今背中に背おられている男性は人間として生まれ、生まれながらに全てを掴みとる権利を持っている。
方や一方で、どれほど努力しようとも、どれだけ叫んでも、決して覆らず見えない壁のような物に押し付けられた種もいる。
霊夢はなんとも言えないしがらみを感じながら森を脱出するのだった。
◆
後日談と言う事になるのだろう。
あの後―――村に戻って来た霊夢は、大きな歓迎を受けた。すでに死んでいたと思われていた村長のせがれを助けただけでなく、森の中にいる虫妖怪を追っ払ってくれたのだと。
霊夢は村が襲われた理由。男性がした行為について全てを話した。そして謝礼を貰った後、さっさと神社に帰って行った。
そしてせがれが起き上がると、村の人間たちは皆、せがれの事を褒め称えた。
あんな危険な妖怪の子をやっつけるとは大したものだ。子供がいたらあんなのが何匹になって村に来るか分かったものではない。良くやった。
村人は総出でせがれを褒め称え、次の村長にしようと言う声も上がった。男は一躍村の英雄になったのだ。
そして――
蛍が舞う綺麗な湖の森には、もうニ度と蛍が現れなくなった。
ごめんねリグルッ!