オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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第三章 飛竜騎兵 最終話




/Wyvern Rider …vol.15

 

 

 

 

 

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 また、いやな夢を見る。

 

 

 

 旧ギルド……世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)で過ごした時を、見る。

 

 

 

 それは、小さなクランがはじまりだった。

 ユグドラシルにおける“クラン”とは、一定の目的や思想をもったプレイヤーの集団のこと。これと同じような“ギルド”との違いは、定義としては自分たち専用の拠点を保有しているか否かに終始する。

 クラン長である人間種プレイヤーである彼女と、彼女の姉である異形種プレイヤーが副長を務めるそこは、異形種狩りが流行したユグドラシルで、異形種プレイヤーをPKから守ろうとする“人間種プレイヤー”が発起人という、かなり珍奇なクランであった。

 

 何しろ“異形種狩り”が流行した原因は、異形種PKによってのみ獲得できるポイントでの人間種の転職(クラスチェンジ)が実装されたが故。だからこそ、人間のプレイヤーが異形種を保護・護衛につくというのは、かなり、怪しい。

 実際にあった手口で、「自分たちは、異形種PKはしない」と表明し、異形種の保護を訴えていた団体が、十分な数の異形種プレイヤーを囲った後に翻意し、集まっていた異形種を“乱獲”するなどの詐欺まがいな手法まで存在した。場合によっては、異形種プレイヤーが異形種プレイヤー保護を訴えギルドを立ち上げ……集まったプレイヤーを人間種ギルドに“売り払う”なんてクズの極みみたいな事件も頻発した(さすがに、運営によって措置は講じられたが、異形種PKによって得られる職種があまりにも強力かつ貴重なため、異形種PKそのものを廃絶するまではいかなかった)。

 

 そういった事情があったので、カワウソは最初、かなり怪しんだ。

 確かにその集団(クラン)は、リーダーを務める彼女をはじめとした人間種と、クランの副長でありリーダーの実の姉という異形種……種族は人の造りし哀れな怪物(フランケンシュタイン)の、ふらんけんしゅたいんさんなどの異形……他にもが、ほとんど同じ分配で成立していた。

 人間種が五人、亜人種が三人、異形種が四人──合計12人。

 そこに新たに加わった最弱天使──PKによる死亡処理(デスペナ)消失(ロスト)寸前だった──カワウソを加えて、13人。

 

 しかし、彼女たちのおかげで、カワウソはPK地獄を敷かれていたフィールドから脱出を果たし、人間と亜人と異形──すべての存在が平和的に暮らせるゲーム内の不可侵都市への避難を成し遂げた。

 

 それから、仲間たちとの顔合わせ・自己紹介のために、ひとつの宿屋に案内された。

 誰もが気さくに話しかけてくれて、異形種狩りにあっていたカワウソを「災難だったね」と労ってくれた。クラン副長のふらんけんしゅたいんさんをはじめ、四人の異形種プレイヤーもまた、異形種狩りで困った経験をしていたようだ。

 

 そこで、彼女たちの活動方針「人と亜人と異形の垣根なく付き合えるゲームプレイ」を聞かされた。

 勿論、カワウソは半信半疑だった。

 しかし彼女たちの協力で、カワウソは最弱天使にまで落ち込んだレベルの回復につとめられた。彼女たちの活動方針は本物で、リーダーの意志に同調したプレイヤーたちによって、そのクランは成立していることが確信できた。

 やがて、クランはギルドとなるべく、都市内部の屋敷型拠点(初級者ギルド用)を攻略。

 正式に、ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)が発足され、拠点内の作り込みが始まった。

 武装やNPCの製作においては、グラフィックが趣味であったカワウソが手を加えることで、外装はかなりの出来栄えのものができるようになった。皆に絵のことを褒められると、死んだ両親のことが少しだけ思い出された。そもそもカワウソが絵を趣味に出来たのは、両親が褒めてくれたからだった。

 優秀な武器防具を生み出すべく、全員で協力してダンジョンやレイドボスに挑んだ。

 NPCの命名、プログラミングでの仕草、防衛戦時の役割などで大いに盛り上がった。

 冒険が成功した晩、都市で買い付けたパーティーグッズで拠点を飾り、祝宴を開いた。

 

 楽しかった。

 本当に楽しかった。

 涙が出るくらい大笑いした。

 はじめて、心の底から、笑うことができた。

 

 

 

 

 

 過去のカワウソは、そのギルドで、本当の仲間たちと巡り合えた、

 

 ──そんな気がしていた。

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 カワウソは目を醒ます。

 

「あ……」

 

 息をつく。自分が見ていた夢を思い出し、渇いた笑いを零し出す。

 瞼の淵を熱く濡らす雫をすくい上げて、異世界にいる自分を再確認する。

 指の先まで黒く日に焼かれた肌色。頭上には、赤黒い円環が浮かんでいる様が。

 

「お目覚めですか?」

 

 もはや慣れたように、ミカの冷たい無表情と朝の挨拶に相槌を打つ。「おはよう」と「おはようございます」の遣り取り。

 ベッドから起きぬけたカワウソに対し、窓辺の椅子に座った女天使が会釈を送る。

 カワウソは慣れたように邸の客室で寝起きし、顔を洗ってミカからタオルを受け取る。

 その黄金の髪に飾られた(かんばせ)には、翻訳用の眼鏡が。

 

「何を読んでいたんだ?」

観光案内(パンフレット)を。アーグランド領域、信託統治領とやらに住まう竜──本物の竜王(ドラゴンロード)と交流できるとか、何とか」

「へぇ──本物の竜王、……竜ね」

 

 こちらの世界の竜、竜王とは、果たしてどれほどの強さなのか。魔法都市で見た霜竜(フロスト・ドラゴン)よりも厄介な相手だろうか。あの黒く膨れた飛竜よりかは強いかもしれないが、果たして。

 

「信託統治領って、他の領域と、どう違う?」

「これまで読んだ地理や歴史の諸本、さらに、マルコやモモンからの情報を精査する限り、ツアインドルクス=ヴァイシオンという“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”──実質上、“六大君主”や“王太子”“姫”などと同等の地位である魔導王の「次席」を約束された為政者を筆頭とする(ドラゴン)の完全自治領域として機能しているようです。他の領域との違いは、彼等は彼等なりの領法によって、臣民を統治する権利を有するなどでしょうか。

 他の領域ですと、あくまでアインズ・ウール・ゴウン魔導王の領有物として治められ、その領域を守護する代表者“外地領域守護者”は、魔導国の刑法・民法を完全順守し、その一帯を統治するのですが、信託統治領だと、憲法以外は原則的に“竜王”の自治と立法が認められているようです」

 

 寝ることを必要としないミカは、この数日でセークの族長らによって持ち込んでもらった書籍──それも、魔導国の略歴や学問、社会経済に通じる専門書などを優先的に選んで、その中身を頭の中に叩き込んでいた。

 定期的な睡眠を必要としてしまう堕天使には不可能な技法であり、ミカの頭脳だからこそ、それほどの情報量を完全に記憶の内に保存しておくことも出来るようだ。

 

「朝食は六時には用意されるそうですが、──拠点からコーヒーなどを送付させますか?」

「いや」カワウソは少し迷ってから首を振る。「今日はいらない」

 

 クピドの〈転移門〉を使い、城にいるイスラ特製のコーヒータイムを愉しむ気分ではなかった。

 カワウソはミカの傍に立ち、邸の中庭ではしゃぐような声を聞き、木剣を振るう若い男女を目にする。

 朝の修練に勤しむハラルドとヴェル。一番騎兵隊の若い騎兵らと飛竜たち。

 カワウソに一早く気づいた乙女が、大きく手を振ってくるのを、しようがないので軽く手を振って応えた。

 

「本日の主な予定は、戦死扱いとなったヴェスト・ファル老騎兵の葬儀であります」

「ああ」

 

 堕天使は、老騎兵の死を招いた一件を思い起こす。

 あの一件……ホーコン・シグルツ造反未遂事件から、三日が過ぎていた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ホーコンが転移魔法陣を「鍵」によって調整し、薬液を里中にバラ撒くという企図については、すぐに「鍵」の権限を解除変更して──というわけにはいかなかった。奴の施した魔法による調整と改修を突破するのに時間がかかりすぎることは、明白。奴が年単位で秘匿し、推し進めていた計画の根幹部については、確かに成功も同然な段階に差し掛かっていたわけだ。

 だが、そこはモモンが手を打ってくれた。

 上の里で待機していたエルに〈伝言(メッセージ)〉を飛ばし、里の重要な水源や浄水設備を押さえ、そこに混入された毒液が、この地域に注がれるのを未然に防いだ。幼い童女とは思えない手並みの鮮やかさではあったが、……カワウソはモモンが呼んだ後詰の部隊──正式には、魔導国の空軍兵力の援護を受けたことで、里の危機は回避されたことを知らなかった。

 しかし、油断は禁物。

 里中の人間の緊急健康診断が執り行われ、奴の毒が広がっていないかの検査が入念に進められた。

 マルコの伝手(ツテ)を頼り、第一魔法都市のリュボーフィなどをはじめとしたバレアレ商会からポーションが運び込まれ、毒・催眠のみならず様々な異常に対するものに特化したものを十分以上の数を用意することもできた。それらを街と里、飛竜の巣の水源に適量調合することで、毒液は完全に無害化された。摂取前の薬液であれば、同じ薬の調合や医療者の手で改竄・加工も可能なようだ。

 おかげで、ミカの特殊技術(スキル)やカワウソのポーションを使う必要もなくなった。

 

 

 

 

 

 ミカの発揮した回復蘇生の特殊技術(スキル)──希望のオーラⅤによって、地底湖で亡くなった騎兵隊のほとんどは、死から蘇えることは出来た。

 女天使本人は「渋々」という感じだったが、カワウソとしてはミカの性能がどれほどのものか確認したいという意図もあったし、裏切り者によって弑された者たちを気の毒に思うぐらいの感性は残っていた。

 ミカが特殊技術(スキル)を発動したのを、堕天使は視認できなかったが、これはそういう仕様だと思われた……堕天使は「神の威光(オーラ)を理解できない愚か者」というゲーム設定があった……ので問題はない。希望のオーラⅤの効果は絶大で、倒れ伏していたままだった騎兵たちの呼吸が戻り、肺を空気が満たすように胸が上下する。心臓が鼓動を奏で、暖かい血が通い出した顔面の血色が、見る見る内に赤みを帯びる。複数人の同時完全蘇生を可能にした熾天使は、別段誇るでもなく「蘇生完了」の事実を告げた。周囲にいたヴェルや族長が歓喜し、モモンとマルコが祝福するように頷く。

 しかし、──例外がいた。

 

「ヴェスト・ファルという老人、彼は駄目です」

 

 ミカは無理だと冷たく言い放った。彼は蘇生できないと。

 彼女曰く、彼の魂は、もう永くなかった──命が完全に尽きた、寿命だ──と、説明される。

 勿論、カワウソは驚いたが、さすがに人間の寿命となれば、天使だろうとどうにもできないのだろうと、妙に得心がいった。

 さらに、モモンが納得の声をあげてミカの説明を補足する。

 

「老人などの死の場合、それが他殺による外的要因でも、残された命の時間が短すぎる者は、蘇生できないことが往々にあります。たとえ最上位の蘇生魔法〈真なる蘇生(トゥルー・リザレクション)〉でも──」

 

 彼は、誰か知己を思い出すような表情と口調で、ヴェストの死を、片膝を地について大いに悼んだ。

 その姿に、ヴォル・セークをはじめ、部族の者たちが続く。

 

「許せ──とは、言わないよ。ヴェスト」

 

 彼の族長であり、長らく世話になってきた老爺の仕えるべき主人であるヴォルは、無念にも散った朋友の死を、涙ながらに受け入れる。

 

「今まで……本当に、お疲れ様……向こうで、また逢おう」

 

 飛竜騎兵の信じる、死後の世界──先祖と飛竜たちの御霊(みたま)が集う場所で。

 また、たくさん叱ってね。

 微笑むような老騎の死相に、族長は惜別の涙を落とす。

 カワウソは、何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 ヴェストの死が確定したことを知った一同は、次の行動に移った。

 地底湖のさらに奥にある谷底へと落ちた大罪人──今回の事件の下手人である男の安否を確かめるべく──というよりも死体回収のために、暗黒の底を目指した。

 遺体の捜索のために、カワウソたちが降りた先で見つけたのは、堕ちたここで死んだ男の死体と、その相棒だった老竜の骸だった。遺体の様子は見るも無残なもので、若返りから覚めた老人に戻っていることと、腰にあった袋がなくなっていること以外に、特に気になる点はありえなかった。

 彼等は、今回は事件の大きさが大きさゆえに、魔導国に証拠品のひとつ──首謀者らの遺体として供出せねばならない。聖域で事件を知る者らだけで葬儀が簡単に行われ、アンデッドの司法官に一組の飛竜騎兵の遺骸を、証拠品である記録映像と共に引き渡した。遺骸は一連の首謀者として処理され、それによって部族全員への嫌疑は名実ともに晴らされた。

 ホーコンの死は、『調査中に黒竜に喰い殺されて』という風に偽装された。

 事情を知らせるわけにもいかない。長老会は、死体がないため葬儀は行えぬことを悲しんだ。

 ヴォルたちは、何も言わなかったし、言えるはずもなかった。自分たちの同胞が、自分たち全員を謀殺する薬液を里中にバラ撒き、黒い邪竜によって国に造反せんとしていたなど、報せるのは酷というものだ。

 

 

 

 

 

 飛竜の巣に関しても、蘇生可能だった個体をミカの能力によって救うことができた。

 黒竜化による被害者となった飛竜はだいぶ多かったようで、彼女のオーラによる同時蘇生可能員数では、即座に全頭蘇生ということは無理だと判った。これはユグドラシルと同じ仕様であった。さらに上位のオーラを使うことも試すべきか迷ったが、とりあえず“希望のオーラⅤ”そのままの能力がどれほど通じるのか確認することを選択した。

 僅か一日で、巣には適正な数の飛竜が舞い戻り、催眠による夢ではない、現実の仲間たちと合流を果たした。

 だが、野生の飛竜は、基本的に同族以外に関する興味や好意は懐かないモンスター。

 蘇りの力を行使した“救い主”と言えるミカへの感謝や感情を見せることなく、ミカ自身も、そんな些事を気に掛けることはありえなかった。彼女もまた、飛竜に関してそこまで興味がなかったようだ。

 野生の飛竜たちは、これまでと同じように、日々を過ごしていくことだろう。

 

 

 

 

 

 一連の事件の事後処理は、この三日でだいたいすべてが終わっていた。

 里は特段の混乱を見せることなく、黒い飛竜の襲撃の件についても、里の全住人への健康診断時に、立ち会った死者の大魔法使い(エルダーリッチ)による催眠で、記憶の端の端へと追いやられていった。黒竜の事件は、未解決の異変として処理され、歴史上には残らないかもしれなかったが、そんなことはカワウソの意中には存在しない。

 

 カワウソが頭を悩ませるべきは、やはり魔導国と、この異常な異世界についての情報だった。

 

 これまでの出来事で、カワウソというユグドラシルプレイヤーは、ひとつの確定的な事実に直面している。そういう自覚を持つに至っている。

 いよいよもって、この世界のシステムの精巧さ……ユグドラシルとあまりに“通じすぎている”事実に、何者かの手による加工、デザインが施された感じが否めなくなっている。アイテムも、装備も、魔法や特殊技術(スキル)、さらにはレベルダウンなどの処理システムすらまったく同じという異世界の仕様……現実性が、あまりにも奇妙でならない。

 

 誰がこんな異世界を創った?

 ゲームの法則が通じる世界など、どうやって?

 

 アインズ・ウール・ゴウンが成し遂げた……そう考えるのは早計だろう。

 100年の歴史を持つ魔導国。だが、それ以前にも存在していた現地の国家や一族が台頭していた──飛竜騎兵の部族などの存在がある以上、彼等アインズ・ウール・ゴウンもまた、100年前に唐突に、カワウソたち同様に転移してきただけの可能性は高いはず。あるいは、それ以前から存在・潜伏し、100年前になって本格的な大陸平定・世界征服に乗り出した可能性もなくはないか。

 

 異世界に通じるシステムを構築する。

 つまり、────世界を創り変える。

 それはどういう方法でなされるものなのか?

 願いを叶える魔法やアイテム?

 だとすると、超位魔法〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・アスター)〉や、世界級(ワールド)アイテム“永劫の蛇の指輪(ウロボロス)”による力が?

 

 仮に、もし、そうだとしても──

 その魔法やアイテムを通じさせる力とは何だ?

 最初に、そのような改変力を要求されて、それを実行させ得る存在があるのか?

 

 現実の世界でいきなりゲームの魔法を唱えたり、再現グッズで配給売買されたアイテムの指輪を手に入れ、それに本気で願いを込めても、願いはかなうわけがない──それが現実だから。ゲームは現実にはなりえない。それが常識というもの。

 なのに、そんな常識は、この異世界では全く通用しない。

 

 事実として、この異世界はユグドラシルと共通のシステム──魔法・特殊技術(スキル)・アイテム・装備・モンスターetc──が働いている以上、悩んだところで何にもならない。

 異世界独自の法則も存在している世界の中で、あのアインズ・ウール・ゴウンは、カワウソと同じように世界の異様と異常に辟易し戦慄しているのか、それとも──

 

「カワウソさん?」

「なんだ、ヴェル?」

 

 乙女は、首を振った。横に並ぶ黒い男の醜い隈が浮き彫りの相貌に、真っ向から立ち向かって首を振る。

 

「何か、考え事を?」

「ああ。ちょっと、な」

 

 黒い衣服の彼女は納得いかないように首を傾げつつ、葬送の列が階下の式場に進入する様に見入る。

 ここは葬祭殿。

 位置としては、族長邸の地下ともいえる場所だが、葬祭殿は一室というよりも巨大なトンネルのように大きく繰り抜かれた構造をしており、族長邸の聳える巨岩の下をまっすぐ突っ切るような空間を構築していた。地下トンネルの抜けた先には、崖から下を望む雲海と、どこまでも続く青空が見晴らせる。まるでそこから死者の魂が空へと旅立つような印象を覚えるが、実際は違うらしい。

 ここから、とある方法で、死者を大地に還すのだ。

 

 カワウソたちがいる場所は、族長家にのみ使用を許された“貴賓席”とも言うべき観覧の席だ。

 トンネル構造の大空間を一望できる席の真向かいに、同様のスペースが設けられており、そこに御忍びとしてヘズナ家の族長──数週間後には、統合族長の地位も任命されるヴォル族長の婚約者──ウルヴと、彼が雇い、事件解決に尽力してくれた協力者、一等冒険者らの姿も。

 この三日間で、彼らと共に、ホーコンの造反未遂の後処理はスムーズに行われた。残存していた黒竜は一匹残らず狩り尽くされ、他の奇岩にまで捜索は念入りに進められた結果、黒竜は完全に全滅された(というのがカワウソの認識である)。

 モモンたちは厳粛な表情で、何か言葉を交わしているように見える。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 カワウソの視線の先で、彼等は確かに言葉を遣り取りしていた。

 

「此度は大儀であったな、ウルヴ」

「勿体ない御言葉です、アインズ様」

「今の私はモモンだよ」

 

 カワウソたちの真向かいに位置する貴賓席で、アインズとウルヴの密談(防諜済)は執り行われていた。

 一等冒険者としての責務は果たされ、魔導国の支援部隊も入領済み。これ以上、モモン・ザ・ダークウォリアーが留まる理由は無に等しい。モモン=アインズ・ウール・ゴウンは多忙を極める。にも関わらず、彼がこの領地に冒険者のカバーで到来した理由は、ウルヴからの請願を受けたからでは断じてない。

 簡潔に言えば、アインズがウルヴの領地へ勝手に転がり込んで──という方が全体的に正しい。

 

「いや本当に、この数日は色々と、気を使い過ぎました」

「急なことだったからな──だが、そのおかげで素晴らしい収穫もあった。感謝するぞ、ウルヴ」

 

 アインズは若き飛竜騎兵の族長に感謝の念を惜しまない。

 

「こちらこそ。未来の我が妻と、その妹を救って頂けた。カワウソ殿らをはじめ、ア──モモンさんたちにこそ、感謝を」

 

 アインズはモモンの口調で謙遜の意を示す。

 ヴェルの暴走から始まった一連の事件は、間違いなくアインズの、ひいては魔導国の今後に重大な業績をいくつも残す結果となった。

 狂戦士の細胞を核とする狂化組織の発見、それによる黒き魔獣への転生の可能性、ホーコンが実証した「若返り」現象を流用しての──魔導国最重要課題解決への、光明。

 

 そして、何より、

 100年後に現れたユグドラシルプレイヤー──カワウソと交流を結べた事実。

 

 すでに、この数日の間で彼とモモンにはそれなりの信頼関係が結ばれ、モモンは専用回線(ホットライン)としての〈伝言(メッセージ)〉受信用ゴーレム番号を伝達済み。おかげで今後、彼を魔導国(こちら)側に引き入れることは容易になるだろうと思われる。

 カワウソの人格は申し分ない。戦闘能力も、弱い異形種の“堕天使”にしてはかなりのものがあり、自分の弱点を応用する機転や応用力も確認できる。装備したアイテムの性能も悪くない。

 できれば世界級(ワールド)アイテム保有の確認ができれば御の字だったが、さすがに聞き出すことは難しかったのは、致し方ない。

 そして、彼が見せた、仲間を裏切った罪人(ホーコン)に対する加虐性についても、アインズはそこまで悪い印象を覚えていなかった。

 アインズもまた、「アインズの期待を裏切った愚物」に対する怒りというものについては、彼の比ではない感情を覚えさせられるもの。かつて、アインズの仲間の存在を騙った愚か者への報いをはじめとして、アインズは裏切り者・背信者に対しては苛烈な措置を講じることがままあった。無論、此方にこそ非があるのであれば話は別だが、馬鹿な企みで魔導国の無辜の民を陵虐した叛逆の徒に関しては、一片の慈悲もかけ得ない。アインズはアンデッドだから。

 さらに、カワウソの率いる女天使──ミカの性能についても、中々「侮りがたい」と思う。

 あれは間違いなく、アルベドやシャルティアなどと伍するレベルの領域の強さを持っていた。おまけに、扱う属性についても、アインズの天敵となり得る神聖属性──アレを野放しにするのは危険と見るべきだ。

 彼の拠点にて確認されたNPCたちについても未知数の危険がある以上、主人であるユグドラシルプレイヤー──カワウソを懐柔・掌握することで、彼等NPCの機先を封じるというのは理に適っているはず。

 だから、葬儀中の礼儀に欠けるが、つい口を滑らせてしまう。

 

「楽しみ、だな」

 

 もしかしたら。

 何もかもがうまく行き、彼と、彼のギルドと、協調路線を進むことができれば──

 

「いっそ、もう今から正体をバラす──のは、ナシだな。さすがに、警戒されるだろうし」

 

 落ち着いて事を進めなければ。

 大丈夫。きっと、すべてうまくいくとも。そうすれば──

 

「アインズ様」

 

 その時、ありえない声に呼びかけられる。

 

 

 

 ……アインズは、まだ知らない。

 まだ、知らなかった。

 カワウソの過去を。

 彼というプレイヤーが、ユグドラシルでどんなゲームプレイを続けていたのか。

 彼という存在が、ナザリックに、アインズ・ウール・ゴウンに、どんな思いを懐いているのか。

 アインズは思いがけない形で────それを知ることになる。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 カワウソとミカ、マルコ、そしてヴェルの四人は、この貴賓席で葬儀に参列した。

 参列と言っても、実際に列席者として帳簿にのるような扱いではなく、この一室で、一人の少女と共に、その葬送を見届けることで、衆人環視の目には止まらない(貴賓席は下から見上げても、そこにいる人物を見透かせる構造ではなかった)。

 カワウソの副官として、拠点外に飛び出してからずっと行動を共にするミカは勿論として、マルコもまた、一人の老人の死に際し、修道女としての義務からか、貴賓席の脇でずっと両手を組んで黙祷に(ふけ)っている。

 入棺の葬送曲が流れ、老騎兵の骸を納めた長方形の棺が、黒を基調とした礼装に身を包む人だかりの奥から、同部隊者たちや家族……息子らの手によって運び込まれる。一歩、一歩を緩やかに進むのは、それだけ故人を送ることを惜しんでいるからか。棺を担ぐ者もそうだが、その後ろに続く親族──ヴェストの娘と思しき女性や孫のような子供たちも、黒い礼服の奥から零れる嗚咽をこらえ、予期しなかった別れを前に、手にした布を濡らしている。どれだけ、あの長老騎兵が慕われていたのかがよくわかる光景だ。カワウソはその光景を無感動に眺める。

 葬送の最前列には、彼の主人にして、最も世話になっていた族長──葬儀の執行者でもある竜巫女の装束に身を包むヴォルが、威厳と尊愛に満ちた鉄の無表情で、ヴェストの弔列を先導していた。

 

 ミカという熾天使の力をもってしても蘇生不能だった飛竜騎兵──ヴェスト・ファル長老の葬送が、しめやかに執り行われる。

 

 彼をミカが蘇生できなかったのは、単純な話。寿命だった。彼は、族長たちを救うべく奮戦する場で、己の命の期限を使い果たし、死んだ。

 異世界とはいえ、ミカの使うスキルにも限界があることの証左が示されたのと同時に、魔導国という超常の存在でも、寿命死には抗し得ていないのだという証明がなされた。

 

 カワウソは、一応の手順を、事前にヴェルなどから聞いて理解している。

 葬祭殿の奥の、眺望の素晴らしいそこには、岩の先端部……最突端にあつらえた祭壇があった。

 見れば、そこには飛竜騎兵の領地に住まう飛竜もまた葬儀に参列しており、その様は飛竜たちも一人の人間のごとく哀悼の意を表明しているように活力を感じない。わけても、彼の相棒であり、魔法都市上空でカワウソとやりあった覚えがある雄々しい老竜の悄然ぶりは、涙を誘って当然の小さな囁きを、巨大な牙の隙間から漏らし続けている。

 

 棺から出され岩の祭壇に捧げられた長老の骸は、ほとんど裸に近い。

 薄布に守られた下半身に対し、上半身は剥き出しで、寒々しいまでに岩床に薄白い身をさらしている。

 年齢に対して(いわお)のようにたくましい肉体には、所々に戦傷を帯びている。胸元に奔る真新しい傷は、彼が魔法の催眠で心臓を貫いた傷と、そこに蔵された臓器を摘出した施術痕が縫い留められていた。

 

 魔導国の臣民は、死ねばその骸を、国に、魔導王に提出する義務を負う。

 

 それは全身であることが望ましいが、一部の臣民──飛竜騎兵にとっては悩ましい問題があった。

 ──彼等の葬儀において、死体の有無や状態が重要になるという問題だ。

 それ故に、飛竜騎兵の部族などの一部臣民は、死体の一部のみの供出義務──飛竜騎兵の場合は“心臓”をあらかじめ摘出し、魔導国の葬務部に提出しておかねばならない。

 つまり、ヴェストの死体には今、心臓という臓器は欠けた状態である。

 

 何故、──何故、飛竜騎兵の部族は、そのような面倒をかけて、ほとんど全身を残しての葬儀を重要視するのかは、彼等の葬儀方法にあった。

 

 巫女であるヴォルの弔歌が数分で終わり、“立ち会いたい者”だけが、葬祭殿に残された。

 逆に、崖に集っていた飛竜らは、最初の頃よりも員数が増えている。ヴォルの弔歌に誘われたとしても、それは異様な数に思えた。

 小さな子連れや若い女性などが退出する中、騎兵の長老に敬服していた多くの飛竜騎兵が、彼の“本当の最後”──先祖らの御霊(みたま)の場に旅立つ瞬間に立ち会うことを希望する。ヴェルに訊くと、通常よりもずっと多い人が残っているらしい。

 

「カワウソ様、ヴェルさん──私は、ちょっと席を外します」

 

 黙祷を終えて立ち上がり、「所用があると言って」部屋を辞していくマルコを、カワウソは引き留めなかった。

 これから起こることを、マルコは知っている。カワウソと同様、一応の説明を受けていた。それを思えば、外部の若い女性が、今から起こることに立ち会いたいと思わないのも頷ける。

 あれだけの戦闘が行える修道女も、人の死には何か感じるものがあるのやも。

 貴賓席にはカワウソとミカ、そしてヴェルが残された。

 退出希望者が絶えたことを認めた巫女が、最後の“送り出し”を宣告。

 静まり返る葬儀場が、呼吸の音すら聞こえないほどの無音に陥った。

 ヴォルが、傍らに侍っていた相棒・アネモネに、何かを言い含める。

 巫女の、族長の許諾を受けた雌飛竜が、一際高い咆哮を上げた瞬間。

 ヴェスト・ファルの相棒──老飛竜・ホリーが、絶叫をあげて、啼く。

 

「あ……」

 

 カワウソが驚くのも束の間。老いた飛竜は己の相棒だった骸を、その顎と牙にかけて、空へと舞い上がる。

 そんな老竜の挙を合図としたかの如く、居並んでいた飛竜たちが老竜の飛行を見送るように飛び立ち、空を行く。

 死した長老の骸を運び去る飛竜たち。

 その光景に、カワウソは数瞬ほど圧倒される。

 一応、「こうなる」ことは事前に聞かされてはいた。参列者たる飛竜騎兵らが整然として動じず、右手を己の心臓の位置を捕らえるようにして微動だにしないのは、これが死者の旅路であることを心得ていると、納得もできる。

 だが、実際の光景として直視すると、何とも言えない。

 そんな彼の内心を理解するように、隣で飛竜らの行動を……死した長老の骸を何処(いずこ)かへ運び去った者らの行状を、ヴェル・セークは当然のごとく受け入れていた。

 これが、飛竜騎兵の部族に共通する葬送──“送り出し”なのだと、彼女は受け入れ、簡潔に示す。

 

「いま、見た通りです。

 私たち飛竜騎兵の部族が、死んだ飛竜を食べるように、私たちが死ねば、その骸は──飛竜たちの食事として供出されます」

 

 あっけらかんと、乙女は告げる。

 飛竜と騎兵は、喰い喰われる間柄。

 両者の結ぶ“相棒”という繋がりは、どちらか一方の死による終焉と共に終わるもの……ではない。

 飛竜騎兵は一心同体。たとえ命は尽き果て、魂は旅立つことになろうと、互いが相離れることは許されない。

 

「ああ。そうか」

 

 カワウソは、ヴェルとの会話をひとつ思い出した。

 

魔法都市(カッツェ)の食堂で、言っていたよな?

 飛竜騎兵は、飛竜たちを、食べる──『みんな、手厚く葬儀を行った後、食べる』って」

「ああ、はい」

「あの後、『その代わり』って言いかけていたな。……その代わりというのは」

「え……ええ、はい」

 

 ヴェルは頷いた。カワウソが意外にもそんな以前の会話を覚えてくれていたことに、むずがるような喜びを覚えてならないような気恥ずかしい表情を浮かべている。

 頬を少しこすって、冷厳な口調を取り戻して、彼女は言い募る。

 

 ──飛竜たちも、飛竜騎兵を、食べる。

 

 その等価交換の事実、”相棒制”の真実を告げることに、ヴェルは躊躇いを見せることはなかった。

 

「その代わり──私たちも手厚く葬儀を行われた後、彼等飛竜によって“食べられる”。今、お(じい)さん……ヴェストさんを連れて行った相棒のホリーの肉体の一部として、長老の肉体は喰われ、この大地と自然に(かえ)される」

 

 そういう信仰や宗教──風土が根付いた理由は、飛竜は社会性を構築する“弱い竜”だから。

 (ドラゴン)というのはそもそも、互いに相争い、喰うか喰われるかという“弱肉強食”の鉄則に生きるモンスター種族。場合によっては、家族だろうと親子だろうと、己の縄張りや餌を奪い合い、子を残すべく夫婦(つがい)になるにしても一方(オス)一方(メス)を捩じ伏せる(あるいは“逆”もある)ように交わることを習性とする魔獣だ。

 飛竜は、そんな竜とは決定的に違うモンスター。

 しかし、その力──血に宿る因子というのは共通している。

 

 それの名残が、飛竜と騎兵──モンスターと人間の共存共生の中で、互いの死を喰うという因習に転じた。

 

 飛竜騎兵と“相棒”となる飛竜らは、生きている間、深い絆で結ばれた互いを喰おうという気概を全く持たない。死体となった後も一定の儀式──葬儀を行うだけの分別は持ち合わせているし、人々の見えるところで喰い散らすなどと言った凶行に奔ることも、まずありえない。ヴェストの死骸、その最後の光景は凄惨を極めるだろうが、相棒の牙と翼によって、その解体現場は誰にも目撃され得ない。目にするのは仲間の飛竜たちだけ。彼らは彼らなりに、敬意を払うべき人間・騎兵というものを熟知する。特に、人格者や善人・族長など──葬儀に参列した人の数が多いほど、死した騎兵の最後を見届け、相棒が喰い残してしまった残骸まで平らげる「栄誉」に与ろうとする者は多く集まる。それが、飛竜騎兵の生前の“格”を示すとされる。

 そういう意味では、ホーコンが地底湖で飼い馴らしていた黒い飛竜は、“生きた同族”を貪り食うなど、通常の飛竜ではありえない行動ばかりを見せつけていた。飛竜は野生下において共喰いは滅多にしないし、喧嘩や小競り合いはしても、お互い同族を本気で殺すようなことはない。野生の飛竜もまた、彼等なりの葬儀を行い、死んだ同胞の骸を喰うだけ(流行り病などの大量死があれば、また別だが)。──あれは、あの黒竜は、飛竜をベースにした、まったく違うモンスターとカテゴライズする方が正解だろう。

 

「だから、三日前。ハイドランジア……ホーコンの相棒が、彼を谷底に突き落とすように暴走したのは、自分の相棒(ホーコン)がいなくなってしまった……ホーコンが若返るという異常事態に直面したことに対する、ある種の葬送──相棒の“死”を、半身の喪失を、明確に憂い嘆いたからこそ、彼は、ハイドランジアは、もう、ああすることしか、考えられなくなった」

 

 ヴェルたちには、飛竜騎兵には聞こえていた。

 あの、毒帯びる古い飛竜が、ホーコンの共犯として働いていた相棒が、最後の瞬間に奏でた悲鳴を。

 俺の相棒は、もう、どこにもいないのか──彼はそう、啼いていた。

 それを過つことなく理解していて、ヴェルたちは何も、してあげられなかった。遺体はすべて闇の中──大罪人の共犯として、死体は魔導国の管理下におさめられ、正式な葬送には出してやれなかった。

 

「なるほどね」

 

 カワウソは紺碧の大パノラマに消えたヴェストとホリー、その最後となる飛行を、瞼の裏に焼き付けた。

 唐突に、これと同じ葬儀方法が存在することを思い起こす。

 確か古い時代。南アジアだか何処かの風習として、死体を自然に還すという信仰や風土から、祭壇上に死体を安置して、それを猛禽類に食わせるという文化があったということを、歴史などに詳しい旧ギルドの副長──ふらんけんしゅたいんさんが教えてくれたことがあった。

 

「“鳥葬”ならぬ“竜葬”というわけか」

「……ちょーそー?」

 

 言葉の意味を判じかねたヴェルが首を傾げるが、構わない。

 

「ありがとうな、ヴェル。いろいろと勉強になった」

 

 魔導国内の歴史・文化・宗教──それらの寛容性や広大さを、カワウソは大いに理解できた。

 その発端となった──あの沈黙の森まで追われ続け、カワウソと出会ってくれた飛竜騎兵の乙女がいなければ、これほど多くの情報を取得する機会には恵まれなかったかもしれない。それを思えば、礼のひとつぐらい言って当然と思われた。

 なのに、ヴェルは柔らかい表情を沈めてしまう。

 

「ごめんなさい」

 

 何故、彼女が後悔の謝辞を紡ぐのか、カワウソは首をひねる。

 

「こんなものまで、見せちゃって」

「いや。なんで謝る?」

「──気持ち悪い、ですよね?」

「……」

 

 確かに。

 普通の人間であれば、そういう印象を懐いたかも知れない。

 否。実際として、気分の良い話ではないのだろう。信仰や宗教というものには、往々にしてそういう価値判断──異文化や異邦の風俗戒律に対する、薄気味悪さからくる悪感情、不理解からの拒絶感──は、あって然るべき出来事であり、あるいは本能的な作用とも言えるだろう。

 だが。

 

「別に」

 

 カワウソは頭を振ってみせた。

 少女を安堵させるためではない。

 むしろヴェルを困惑させる価値観を、堕天使は唇からこぼし始める。

 

「墓穴を掘って埋めるのと、祭壇にさらして持って行かせるのも、朽ちて果てることは、どちらも一緒だ。前者は虫や微生物に喰われる。後者は竜や鳥獣に喰われる。──そこに何の違いがあるんだ?」

「……そう、ですね」

 

 ヴェルが同意するように微笑んだ。

 飛竜たちは、惜しむように、悼むように、死した老兵(ヴェスト)の骸を運び、自分たちの糧とする。

 相棒の老いた竜は勿論、若い竜こそ望んで、瞳を潤ませながらも喜ぶように、悲しむように──悼むように──壇上に祭られていた「敬愛すべき人間の死」を喰らうのだ。

 飛竜は、竜種の中では比較的、弱い。

 故に、飛竜というのは徒党を組むことを最前提とする本能──習性──知能を持っており、それ故に、飛竜は群を、隊伍を、軍団を、独自の社会を、構築することを可能にした。そうして何時の頃からか、その社会に騎乗兵としての人間も寄り添うようになり、飛竜(ワイバーン)騎兵(ライダー)は互いの絆を深めるために、互いの骸を喰い合う風習に、馴染んでいった。

 

 ……死んだ同族がひとりぼっちで寂しくならないよう、生き残るもの達の血肉として、彼の死後も共に生きられるようにと、飛竜と騎兵は死した同族を弔い、その亡骸を喰い喰われる。

 

 それが結果として、飛竜騎兵という一個の存在を構築し、共同体としての彼らを確立させ、今日(こんにち)にまで至っている。

 

 いっそ、人間よりも深い情愛が故に、彼らの葬儀は苛烈を極める。

 

 目の前の光景を、何の知識もない者がいきなり見せつけられたら、高い確率で飛竜騎兵の蛮性を謳うだろう。実際として、土に埋める葬儀に慣れたものが見れば、彼らの社会通念は理解に苦しむはずだし、100年前、飛竜騎兵の部族が半ば独立した地位と位置にあったのも、そういった不理解から生じる忌避感が、人間亜人問わず蔓延していたことが、少なからず影響を及ぼしている。(そび)える奇岩地帯という地政学的軍事展開的な不利な立地や、九つの部族間での闘争に明け暮れることで高度に洗練された空戦能力の妙手が揃いすぎていた他に、──「飛竜騎兵(あいつら)は互いを喰い合うカニバリズム信奉者」という誤解(レッテル)を貼られたことが、飛竜騎兵らを長く歴史の表舞台に引き出すことなく、各国の人間や亜人の国家が殊更に無視し交流を避け続けた原因のひとつであったわけだ。

 

「むしろ、死体のある方が、まだマシなこともあるだろうしな」

 

 カワウソは思い出す。

 自分の両親の葬儀のこと。

 

 ほぼ(カラ)の、中身のほとんどないダンボール質の棺に、紙の造花を手向(たむ)けた。

 死の儀式はそれだけ。

 それで終わり。

 二つの箱が目の前で焼却炉の中に吸い込まれる様が、自分を産んで育ててくれた人たちの“死”だと、幼い頭で納得するのは、ひどく難しかった。死に目には会ってない。むしろ「会わなかった方が『幸運だった』というより他にない」と言われた。二人を偲ぶのは、共同墓地の碑文に残された名前を撫でる時だけ。二人の死によって、家と最低限の家財はすべて雇用主に返却せねばならなかったし、あの時代の世界、自分のいた最底辺階級社会においては、個人の私物という概念はひどく薄い──そういうものは、すべて電脳世界で賄うべきものだから。これがアーコロジー内の富裕層なら、また違うのだろうが。幼いカワウソが「絵」を趣味にしていたのも、そういう環境の中で両親が喜び褒めてくれた道具(ツール)が、それだったのだ。

 虚しいだけの思い出から、カワウソは目を覚ます。

 目の前の人の死を、葬送の儀を、実感を込めて正視する。

 

「ああ……これが」

 

 人の死か。

 呟く声に、少女は黙ったまま頷きを返す。

 

「すいません。カワウソさん」

「だから、何を謝る?」

「私、どうしてもあなたに──貴方たちに──私たちの本当の姿を、すべてを知っておいてもらいたかった。貴方たちが力を貸してくれた私たちが、本当はどういうものなのか……ちゃんと、知っておいてもらいたかったから」

 

 カワウソは曖昧に頷くしかない。

 

「ちゃんと知って、それでも、私たちと共に戦ってくれる──信頼に足る人だと、確かめたかったんです。私たちのすべてを知っていただいて、それで」

「ああ、やめやめ。そういうの」

 

 ほとんど言い訳がましい暴露(ばくろ)に、カワウソは呆れたように手を振った。

 

「あまり俺を買い被るな──俺だって秘密のひとつや、ふたつみっつくらい抱えている。それを理解してもらおうなんて思わないし、すべきでもない」

「えと、ですが……それだと後で、私たちが助けるに値しないと、助力なんてすべきではなかった連中だと、思われたら? 私たちという部族が、どんな者か確かめもせずに交流を続けるのは、あまりにも危険なことだと、思われないでしょうか?」

 

 首を突っ込みすぎて、いざ近づきすぎてみたら異様な風習があってドン引きされたくないのか。

 あるいは。赤の他人(カワウソ)によくして貰い過ぎて、逆に疑ってかかるしかないのか。

 ヴェルの真意は、多分、後者なのだろうなと思う。

 

「誰だって完全完璧(100パー)に互いを理解できるわけがない。合うと思ったら近づいて、合わないと思ったら自然と離れる……俺の仲間たち……だった連中(・・・・・)も、そんなもんだ」

 

 カワウソの「仲間」というものに興味をひかれたのか、ヴェルは瞳に少しだけ力を込めて見つめてくる。自称シモベであるミカが、少しだけ身動ぎするように鎧を動かすが、堕天使は構わず言い続ける。

 

「結局のところ。俺は仲間たちとはあわなかった(・・・・・・)

 初めての友達だった。本当に信頼できたし、一緒にいるだけで、いつも楽しくて楽しくて、たまらなかった。けれど、最後は“散々な結果だった”。半分以上は“あること”がきっかけで会えなくなったし、残り半分以下とは、ほとんど喧嘩別れみたいな感じで──もう、ずっと、会ってない」

「……会いたい……ですか?」

「全然」

 

 嘘だ。

 かつてのギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)の仲間たち、12人。

 会えるのなら会いたい。

 会いたかったから、カワウソは一週間ほど前、ユグドラシル最終日ということでメールを送ってみた。まともに送信できた相手は、ひとりだけ。他のメンバーはアカウントを削除したか、登録アドレスを変更したか……どっちだろうと同じことだし、その送信できたひとりというのも、ゲーム終了時刻までに返信してくれることは、なかった。

 つくづく思い知らされる。

 自分が懐いていた仲間という認識が、どれだけ浮薄で軽率極まる幻想であったのかを。

 それでも──否、だからこそ、カワウソは確信を込めて、隣に立つ少女に説いていく。

 

「自分と同じところだけを探しても、自分と完全に同じ奴がいるわけもない。そんなものは鏡の中にしか存在しないだろう? むしろ、自分と違うところがあるから、この人はおもしろいとか、この人はすごいとか、この人は楽しいって、思えるんじゃないのか?」

 

 尊敬して止まなかったギルドリーダー……彼女の言葉が、脳に残響している。

 これはカワウソの言葉じゃなく、かつて、カワウソを救った仲間から言われたこと。

 そう正直に告げると、ヴェルは感心したように表情を緩め、咲き誇る薔薇のように明るくなる。

 

「素敵な、お仲間さんだったのですね」

「……ああ……そうだな」

 

 リーダーを褒められたことは、素直に嬉しい。

 嬉しいが、心の奥底で湧き起こる「いやな思い出」が、チリチリと心臓を炙るような熱を錯覚する。

 

「仲間」

 

 そう。

 カワウソが、あのゲームを、ユグドラシルを続けた理由。

 

「お仲間さんとは、他にどんなことを?」

 

 興味本位で訊ねたのだろうヴェル。

 そのおかげで、カワウソは仲間たちとの思い出のひとつを、記憶の宝箱──あるいは薄暗い、(おり)の底から(さら)い上げてしまう。

 

「──“約束”を、したんだ」

「お仲間さんと、約束……ですか?」

「ああ──そうだ」

 

 思わず微笑みを浮かべ、自嘲する。

 馬鹿な約束。

 無駄な約束。

 果たされるはずのない、果たす意味も価値もありはしない──そんな約束を、カワウソは果たそうと、努力した。

 

 ──自分だけは。

 自分だけは、約束を果たそうと。

 

 無為で無価値で無様極まる行いを……ずっと……ずっとずっと、続けてきた。

 続けて、続けて、続けて、続けて────

 そうして今、異世界(ここ)に、いる。

 

「その、お仲間さん、今は?」

「もういない」

 

 いないんだ。

 そう、きっぱりと応える。

 怨み憎むように吐き捨てることができれば、カワウソも少しは気が晴れたのかもしれない。

 けれど、“仲間”という存在は、あのギルドで──旧・世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)で出逢ったメンバーとの思い出は、あまりにも色鮮やかで、暖かく明るい光に満ち溢れたもので…………だから、こんなにも冷たくて、暗い闇のように、痛いほどに苦しく、寂しい。

 憎悪と愛敬──文字通り愛憎入り混じり、混沌とする堕天使の胸中は、カワウソ本人にすら、どんな状態なのかはっきりと判るものではなくなっていた。

 澱んだ瞳の奥にありありと思い浮かぶのは、出会いと裏切り──感動と悲嘆──希望と絶望──孤独を癒してくれたモノと、さらなる孤独をもたらしたモノ。

 

 本当にどうしようもない。

 カワウソは表情を暗く歪め、自分の意識を、(よど)んだ記憶の底に沈めていく。

 

『忘れたんですか! ■■■■、■■■■■、■■■■■■■■■■■って!』

 

 そう約束の文言を喚き散らしたカワウソと相対した、仲間たちの言葉を、一言違わず思い起こす。

 

 過去、あのゲームで、ユグドラシルで経験した、苦く、酷い──別離。

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)は、壊滅した。

 

 あの伝説の“アインズ・ウール・ゴウン1500人討伐隊”の末席に加わったが故に。

 

 第八階層まで生き残ったギルメンたち。

 彼等によって護られるリーダー──通称・聖騎士の王として君臨していた、カワウソの大恩人の、彼女。

 

 彼女が背中に担ぐ二本の剣。その内の一本は、仲間たち全員で素材を集め、冒険を繰り返して鍛造した、最強のギルド武器。

 

 あれに込める魔法について、持ち主となる彼女(リーダー)からとんでもないアイディアを聞かされたメンバーは、全員一致でその案を採決した。カワウソも驚かされたが、そこに込められた彼女の意図は明確で、だからこそ、カワウソたちは納得できた。そのために費やされた労苦も、すべてが輝かしい思い出となった。

 

 ギルド武器は、どんな弱小ギルドでも製造可能──というか、製造することが義務化される、強力な武器だ。ランカーギルドの謹製品だと、かの世界級(ワールド)アイテムに匹敵するものまで創り上げられるという。カワウソの旧ギルドでも、とんでもなく強力な大剣として生み出されたそれのデータ量は、規模だけで言えば神器級(ゴッズ)アイテム──ひとつでもプレイヤー単体で獲得・製造することは困難を極めるそれと同格な代物であり……だからこそ、あの“アインズ・ウール・ゴウン1500人討伐隊”の折には、武装・保持しないで行くことはありえなかった。弱小ギルドを束ねる上の連中──中位ギルドからの圧力もあっては、尚更であった。

 ギルド武器は、どんな弱小だろうと、強力無比な武装たりえる。当時、悪名高き十大ギルドの一角の拠点攻略に挑むには、武装しないでいくことは考えられないほどの性能を、カワウソたちのギルド武器は獲得していた。

 たとえ、“ギルド武器の破壊”が、“ギルドそのものを完全崩壊させる”と知っていても。

 

 不安に駆られるカワウソを、「きっと大丈夫」と、彼女をはじめ皆が励ましてくれた。

 

 ── 41人のギルド 対 1500人の討伐隊 ──

 

 単純な彼我の戦力差を考えれば、まったく恐れることもない。

 長いユグドラシルの歴史の中でも、1000人を超えるギルド討伐という規模の戦いは、他に例を見ない。

 勝てると、誰もが信じ切っていた。負けるわけないと、討伐隊加入者をはじめ、ネット上の前評判もそういう意見で持ち切りだった。「アインズ・ウール・ゴウンは終わりだ」「ナザリック地下大墳墓は失陥する」と、誰もが口を揃えて言ったものだ。ただ、アインズ・ウール・ゴウンと同格レベルの上位ギルドが、まったく参戦してこなかったのは不可解ではあったが。

 

 

 そして、蓋を開けてみれば、討伐は完全なる失敗に終わった。

 

 

 第八階層“荒野”で繰り広げられた蹂躙劇によって、そこまで生き延び、武装を消費し、魔力や特殊技術(スキル)を消耗し尽くした討伐隊は、なす術もなく壊乱した。第八階層のあれら(・・・)と、共闘するように戦う紅髪の少女。それらの暴威をかいくぐり、次の階層に続く転移の鏡へと逃げようとするプレイヤーたちの前に現れた、奇怪な天使。発動した足止めスキル。現れたアインズ・ウール・ゴウンのメンバー。ギルド長・モモンガが発動した世界級(ワールド)アイテムの輝きと共に変貌を遂げる、あれら(・・・)

 ギルド武器を背負ったリーダーを、生き延びていた副長やメンバーが守ろうとした。

 彼女は、その中心で怯えすくむように立ち尽くし────全員、あえなく脱落した。

 

 

 

 

 

 

 

 あれほどの冒険を繰り返して創り上げた大剣……ギルド武器は、完膚なきまでに破壊。

 

 ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)は、ユグドラシルから完全に消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

「──ゲームにマジになってどうする?」

 

 そう言って、やめていった人がいる。

 

「リーダーも全然INしてないし、副長……ふらんさんまで、何か音信不通じゃん?」

「そんな状況で、ウチらだけで集まっても、ねぇ?」

 

 そう言って、同意を求めた人たちもいる。

 

「カワウソくんの言い分も分かるけど、私たちだって、いつまでもゲームを続けられるわけでもないし」

「ここが辞め時だったんだよ、きっと」

 

 そう言って、判り切ったことを告げられる。

 

「一応は、新拠点の立ち上げくらいは手伝ってやったけど……ぶっちゃけ、何の意味があるんだ?」

「そーそー。こんな薄気味悪い場所に、景観も最悪な穴倉(あなぐら)を拠点にしてさ?」

 

 そう言って、イタ(・・)いものを扱うようにからかわれ、あざけられる。

 彼等の言い分はいちいち正しく、それを聞かされる本人も十分理解していた。

 それでも、たまらなくなって、カワウソは言った。

 言ってしまった。

 

「忘れたんですか! ■■■■、■■■■■、■■■■■■■■■■■って!」

 

 そう誓った──“約束”したじゃないかと、切実な声で喚き散らす。

 瞬間、

 ほとんどの仲間たちが呆気にとられる。

 カワウソの喚いた内容の真意を、問う。

 

「本気で言ってるのか、それ?」

「どうして、そんなことをする必要が?」

「いや、さすがに、それはないでしょ?」

「え、マジで言ってる? ウソでしょ?」

 

 誰も彼もが不理解に陥り、カワウソの頭の中身や精神性を心配する。

 

 自分でもわかっている。

 自分がどんなに馬鹿な思いを懐いているのか理解して、──それでも、言ってやらないわけにはいかなかった。

 

 何故なら、当時の自分は、信じ切っていた。

 はじめての仲間たちの存在を。

 きっと同じ思いを懐いていたはずだと。

 今は無理でも、仲間たちが再び集まり、リーダーや副長たちが戻ってくる頃には、きっと、あのナザリック地下大墳墓に、アインズ・ウール・ゴウンに再戦を……

 

「……■■■■、■■■■■、■■■■■■■■■■■って」

 

 震える唇で、カワウソは壊れた機械のごとく、約束の言葉を、小さく、繰り返した。

 

 

 

「……もう一度、皆と一緒に、そこへ戻って冒険したいって」

 

 

 

 そう誓ったはず、なのに。

 あれは、嘘だったのか。

 あれは、嘘だったのだ。

 

 そんなカワウソの妄言に付き合いきれなくなった彼らは、目の前の天使と同じく『敗者の烙印』の“×印”を押されたプレイヤーたちは、一様に、カワウソの愚昧で稚拙に過ぎる計画を嘲笑い、呆れ果てたように軽蔑の言葉を並べたてる。

 

「──無駄だよ、カワウソさん」

「諦めの悪い。無理に決まってる」

「あんなの。もう二度と見たくない」

「実際に見てない人にはわかんないか」

「あほらし……一人でやってなよ」

 

 当時まだ智天使(ケルヴィム)から熾天使(セラフィム)になりたてだったカワウソは、その光景を、見た。

 口々に痛罵し軽蔑する声は、仲間の声。

 男の主張をハナから否定し拒絶する仕草が、仲間の姿。

 ──カワウソをPKの標的にして愉しんでいた他のプレイヤーが好んで使った、嘲弄のアイコン。

 

「……っ」

 

 そうして、やっと、理解した。

 

「ぅ……あ……っ!」

 

 自分が信じていた仲間(もの)は、

 この世界のどこにも、

 存在していなかったのだ、と。

 

「あ、……あああ……ッ!!」

 

 悔しくて泣いた。

 悲しくて泣けた。

 ゲームアバターの向こう、現実世界の自分の部屋で、カワウソは咽び哭いた。

 

 バカの極みだ。

 

 自分が酷く滑稽なものに思えた。

 

 そして、それは限りなく事実だった。

 

 あまりの状況状態に、神経に負荷がかかりすぎたのか、カワウソはゲームから弾き出されるようにログアウトした。

 それがなければ、カワウソは彼らの嘲笑と侮蔑と悲嘆の空気に、呑み込まれ続けていたかもしれない。

 ……あるいは、仲間たちを“敵”と見定めて、PK戦を一方的に挑んだかもわからない。

 

 

 

 

 

 こうして、カワウソは、かつて信じていたモノたちと別れた。

 

 

 

 

 

 彼らが引退の意を表明し、その最後のたむけとして、カワウソと共に攻略した新拠点「ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)」と、自分たちのアイテムや金貨を、残して去っていった…………カワウソは、もはや引き留めようとすら、思わなかった。

 時々、新アカを取ったジャス†ティスさんや、一年もあとになって戻ってきた副長のふらんさん……ふらんけんしゅたいんさんから、謝罪とアイテムなどを渡されたりしたけど…………

 

 

 

 

 

 結局、カワウソは、ひとりだった。

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 カワウソの意識は、過去より今いる場所に戻る。

 

「結局、──おれは、ひとりだった」

 

 茫漠とした意識と視線で、葬儀を終えて閑散とする会場を見下ろし続ける。

 これは、ただの過去。

 過ぎ去ってしまった別離。

 もはや思い出したくもない、けれど無性に思い出されてしようがない、仲間たちとの最後。

 

「俺が信じていた仲間なんてものは、あそこには、存在しなかった」

 

 そう(うそぶ)く自分が、とんでもなく惨めだった。

 そこまで解っていて、どうしてカワウソは、あのゲームを続けていたのか。

 何故、アインズ・ウール・ゴウンへの挑戦を、──ナザリック地下大墳墓の再攻略を、諦めなかったのか。

 解っている。

 判っている。

 分かっている。

 ああ、わかっていて、何故──俺は、“約束”を──捨てられなかったのか。

 捨てられそうにないのか。

 

「未練だな……」

 

 自分の諦めの悪さに吐気と苦笑が込み上がる。

 ──約束を果たすこと。

 もはや、それ以外に、カワウソは仲間たちとの絆を、感じることはできない。

 仲間から棄てられ、仲間たちから嘲られて、惨めにも孤独に、“皆との最後の冒険の地”を踏もうと──ナザリック地下大墳墓の第八階層に挑もうと、カワウソは必死に、戦い続けた。

 ……結果は、ご覧の通りという奴だ。

 バカの極みだ。滑稽の極みだ。

 ああ──だが、それでも──

 

「あ、あの!」

 

 自家撞着の繰り返しに陥るカワウソに、雑音(ノイズ)のように乙女の音色が割り込んでくる。

 

「私──わたし……」

 

 ヴェルは、一度深く呼吸し、小さな体いっぱいに詰め込んだ勇気を心臓から絞り出すような表情で、たずねる。

 

 

「私が、貴方の仲間に、なってあげられませんか?」

 

 

 カワウソが瞬間、己の内に感じたものを唇の端から零しかけて、ギリギリのところで耐える。

 

「……俺の、仲間……に?」

 

 頬を朱に染めるヴェルは、きっぱりと頷いてみせる。

 本気の本気で、この少女にしか見えない女性は、カワウソの仲間になることを希求してみせた。

 眉を顰め、カワウソは首を横に振ってみせる。

 渇いた声で、通告してやる。

 

「気持ちはありがたいが……それは、無理だ」

 

 乙女は当然のように疑問する。「私じゃ、役立たずでしょうか?」

 無論、役に立たない。

 立つ道理がない。

 死の騎士(デス・ナイト)に追われ、地獄の猟犬(ヘル・ハウンド)の群れから逃れるだけで精いっぱいだった飛竜騎兵にして狂戦士の乙女は、カワウソの手によるレベルダウンで力を失っている状況。推定でもLv.20以下となった存在が、堕天使の仲間になったところで、大した戦力にはなりえない。

 その上、彼女はあの“アインズ・ウール・ゴウン魔導国”の臣民──絶対に、カワウソのような存在と手を結んでよいはずがないだろう。

 だというのに、ヴェルは憐憫や同情にまみれた瞳で、カワウソに対し懇願じみた音色を届けるのを止めない。

 カワウソの嫌いな声だ。

 何故、俺は──こいつに憐れまれているのだろうか?

 

「きっと、きっとお役に立ちます! ミカさんに比べたら、私なんてダメなことは解ります。けど、私は!」

「──やめろ」

「いいえ! きっと、私は強くなります! 魔法は無理でも、戦いの技を磨いて、狂戦士の力に頼らな」

「やめろ!」

 

 取りすがる少女を突き放すように、カワウソは拒絶の言葉を吐き落とす。

 

「頼むから……それ以上、言うな」

「──ごめん、なさい」

 

 悄然とするヴェル。

 唸り震えすらするカワウソが、彼女の言を封じた理由。

 彼女は気づいていないが、ミカが断罪すべきか迷いつつ、剣の柄に手を這わせていたのが見えた──からでは、ない。

 我慢ならなかった。

 我慢できなかった。

 カワウソにとって、仲間(それ)は禁断の領域……禁忌(タブー)でしかないのだ。

 

 ──冗談じゃあない。

 ──何故、あんなものを求めねばならない?

 ──何故、裏切られる痛みを繰り返さねばならない?

 ──何故、ヴェル(こいつ)が、俺の仲間たちと、同じ場所に立つことを認めねばならない?

 

 カワウソが、この小さくも母性豊かな乙女に、先ほど唇の端から零しかけギリギリで押し止めることが叶ったものは、灼熱の溶岩を思わせる赫々とした非情の暴意──

 それは、まぎれもない“憤怒”だった。

 堕天使の(たかぶ)りやすい精神が、善意の言葉に溢れる少女の頭を、握り砕く瞬間を幻視すらしてしまう。それほどの憤りを覚えながら、カワウソは冷静になることを己に促し、暴れ狂う悪性を押し止めるのに神経を労する。絶対に殺すな。殺してはいけない。殺したくない。壊したくない。そう思えるくらいの理性は、カワウソの中に残されてはいた。

 この場にいる全員が、語るべき言葉を失ったように思えた。

 そんな沈黙の空気を打ち破ったのは誰でもない、室外から扉を叩く規則的なノック音だった。

 扉を開けた人物は、葬儀を終えたばかりの族長と、一番騎兵隊のほぼ全員。

 所用に出ていたマルコも、いる。

 

「カワウソ殿、ミカ殿。お話したい儀がありますので……?」

 

 奇妙な沈黙を訝しむ族長に、カワウソは何でもないような声音で応じた。

 

 

 

 

 

「皆さま。この度は我が部族を救っていただき、まことにありがとうございます」

 

 族長邸の最上階に位置する“転移室”と呼ばれる魔法の部屋に、カワウソたちは案内された。

 

 カワウソは一応の警戒として、拠点にいるNPCを二人ほど向こうで待機するよう〈伝言(メッセージ)〉で命じた後、ヴォル・セーク族長らの行列に加わった。

 

 納戸も同然の小さな扉を開けた先には、意外にも広い空間があり、そこに転移の魔法陣が敷設されていた。

「鍵」と呼ばれる物体──名の通り鍵のような形状をした、短杖ほどの大きさもあるアイテムを持つ族長が、一言「起動」と告げるだけで魔法陣が輝き、生物が呼吸するような明滅を繰り返す。裏切り者によって改変された「鍵」の設定とやらは修復済み。今では元の通りにヴォルたちを二点間の転移を可能にする。迷うことなく魔法陣の内側に歩を進めるヴォルやハラルドたちに続くように、カワウソとミカ、そして旅の放浪者であるマルコが足を踏み入れる。

 瞬間、カワウソたちはうち壊れた研究所……いろいろと事後処理が山積しているために、ここの補修や整理は後回しになっている……奇岩の最下層の最下層地に転移していた。ユグドラシルでは慣れた魔法であるが、この異世界において転移魔法に習熟する魔法詠唱者はいないわけではないが、かなり珍しいと聞く。

 転移の魔法は、距離や障害物の有無で発動難易度・成功率が上下する魔法であるので、奇岩の上から下を貫くような距離を飛び越えるとなると、〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉が妥当だろうか。

 それほどの魔法のアイテムを敷設・所有するセークの財力や技術が気にかかるが、聞けばこれらは先祖代々から受け継ぐ一品のひとつにすぎず、飛竜騎兵の部族で量産や開発が成功しているということではないらしい。

 

「三人とも。どうぞ、こちらへ」

 

永続光(コンティニュアル・ライト)〉のランプを携行する部下らを率いた族長が、暗い湖の湖畔に向かって歩き出す。研究所の砕けた壁を無視し、備え付けの扉から外へ。裏切り者の長老が相棒と共に散った谷底を横目にし、清澄に過ぎる闇色の湖畔を目指す。

『飛竜洞』と呼ばれる聖域に、あらためてカワウソたちは足を踏み込む。

 

「……ふね?」

 

 湖には、既に用意万端整えられた一艘の“舟”が係留されていた。お乗りくださいと促された客人たる三人の他に族長と妹が乗り込み、船頭役はハラルドが。たった二本の(オール)とは思えない速力で舟は岸を離れ、しばしの地底湖遊覧をカワウソたちに味合わせてくれる。だが、本命は別にあった。

 

「見えてきました」

 

 小さくも頑丈な舟に揺られること数分もせずに、地底湖のほぼ中央にあった小島──とも呼べない、せいぜいが一個の岩塊の先端が突き出した程度のそこに祀られた小規模極まる(やしろ)に、船に乗った一行は辿り着く。

 辿り着くと言っても、社に船を横づけするだけで、上陸などはしない。この人数が降り立つだけで小さい小屋程度の建造体は崩れ、果ては土台となっている岩塊諸共に、湖底へと沈みかねない。

 ハラルドが言うには、「社へ手を伸ばすのは飛竜騎兵の巫女の特権であり、つまるところ現族長と兼任している長だけが、その役目を遂行することを許された存在」となる。石造りの社屋に祈りを捧げ終えた巫女(ヴォル)が観音開きの岩戸を開き、その奥に納められていたもの──御神体を取り出す名誉にあずかれる。

 重い岩石の扉が開いた瞬間、

 

「おお──」

 

 神聖と見える柔らかくも激しい光が、広い地底湖を覆い尽くした。もはや船首の永続光(ライト)など不要なほどの輝きは、奇岩の中腹にあった飛竜の巣──その内部を照らしていた大量の鉱石か、それ以上の光量を周囲に零し続けた。人の両掌に収まる程度の水晶としか見えない宝玉に深々と一礼を送った巫女が、カワウソにその発光する宝玉を捧げ示した。光量が幾分落ちた石に照らされる社の中には、二体一対の英雄像が共に祀られていたが、それこそが飛竜騎兵の信仰対象である事実をカワウソは知る由もない。

 ヴォルは舟に乗ってから無言を貫き続けている。巫女は、竜の瞳のごとく煌きを放つ崇拝対象への儀礼として、湖岸に戻るまでの間は一声も口にしてはならない掟があった。

 彼女は岸に帰り着き、残されていた一番騎兵隊の騎兵らと共に、彼女らが用意しておいてくれた台座に、輝く宝玉を鎮座させる。

 そうしてはじめて、彼女は言葉を取り戻した。

 

「我等、セーク族が古き時代より鎮護してきた至宝の発光鉱石“飛竜晶”」

 

 この鉱石を加工することで、飛竜騎兵らは自前の魔法武器を生産可能とし、様々な工芸品としても重宝してきたという。加工の際に生じるクズ石は、飛竜の大好物である嗜好品や強化強壮剤としても活用されるため、魔導国編入以前は、各奇岩に眠る鉱石を求め争い、九つの部族が覇を競い合っていた。

 

「ちょっといいか?」

 

 カワウソはアイテムボックスから、ひとつの虫眼鏡(ルーペ)を取り出す。

 このアイテムにより、カワウソは〈上位道具鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉を使用したのと同じ鑑定結果を得る。使用回数は一回こっきりで使用後は消滅してしまう雑魚アイテムだが、だからこそ、ドロップアイテムとしてモンスターが数多く落としたものだし、商業ギルドでも金貨で遣り取りされていたアイテムのひとつだ。課金(500円)ガチャでも落っこちるハズレ景品でもあるため、カワウソのボックス内には同じものが山ほどある。

 

「……なるほど」

 

 アイテムで調べた限り、これはマジックアイテムとしては大した価値のない──ただの極大の鉱石でしかないことが判る。

 売れば、かなりの金額になるだろうが、特別な魔法効果が付与されているわけでもなく、素材にしてもクリスタルのようなデータ量増幅には使えない、ただの宝石でしかなかった。

 

「こんな大事そうなものを見せてくれたのは、今回の一件の礼みたいなものか?」

 

 そんなカワウソの軽口に、だが、族長はどこまでも厳粛かつ重厚な口調で応答する。

 

「これを、あなた様(・・・・)に差し上げたいと思います」

「──は?」

 

 カワウソが呻くように聞き返すと、族長は一言一句を違わぬ確かな口調で述べ立てる。

 

「あなた様の働きによって、我等部族に巣食っていた病巣を、害毒として君臨しようとした賊徒を滅ぼすことが叶いました。その御礼として、この飛竜騎兵が長らく守護する宝を、あなたに捧げる」

 

 セークの先祖が鎮護し続けた、至宝の中の至宝。

 それを、目の前の男に差し出すと、女族長は宣言した。

 

「いや。だが、これは──アインズ・ウール・ゴウン、魔導王に」

 

 捧げるべきものではないのか? ただの宝石とはいえ、部族の至宝など──

 そう言外に問うカワウソに、ヴォル・セークは決意を込めた眼差しで、悠然と告げる。

 これはアインズ・ウール・ゴウンに一度奏上し、そして下賜されたものであること。

 そして、

 

「あなたこそ、我等の救い主だ」

 

 目の前で首を垂れる族長。

 それに倣うように、(ヴェル)も、一番騎兵隊の皆が、祈るようにしてカワウソに礼節を尽くす姿勢──両膝をついて、心臓のある胸のあたりで両手を結び、大地に額をつけるほど腰を折る。彼等の文化圏において、最大限の服従に使われる姿であることは、カワウソも何とはなしに理解した。

 

「あなた様が望むとあれば、我等はあなた様方の翼となり、あなた方の剣として、共に果てることも辞さない」

 

 カワウソは、跪く飛竜騎兵の姿に、密かに戦慄する。

 

 堕天使のプレイヤーは与り知ることのない、飛竜騎兵部族の“信仰”対象。

 それは“翼を持つ二人の英雄”。その存在は、ただの御伽噺の存在だと思われていた。

 魔導国において、翼をもつ存在と言うのは今ではそこまで珍しくはない。魔法のアイテムにつけられた装飾や、異形種の肉体に宿る本物の翼……特に有名なのは“大宰相”にして“最王妃”として君臨する女悪魔(サキュバス)の黒い翼や、“大元帥”にして“主王妃”である真祖の吸血鬼(トゥルー・ヴァンパイア)の蝙蝠の翼だろう……があるため、100年前の飛竜騎兵の先祖たち、そのほとんどは、「彼等魔導国こそが自分たちの寝物語に謳われる“有翼の英雄”その再来だ」と信じられた。だからこそ、英雄の再来を信じた六部族がアインズ・ウール・ゴウンに降った流れは当然の事。英雄に対する信仰を失い増長していた当時最強の三部族が反抗に至ったことで、飛竜騎兵の全部族統一は100年の後れを取ってしまったが、それも今や昔。

 

 だが、目の前の二人──カワウソとミカは、ヴォル達セーク部族の前で、翼を、見せていた。

 ミカは、ほとんど常に、一対の白い翼を。

 カワウソは、この地底湖での黒竜討滅時に、壊れた片翼を。

 

 いかに魔導国とはいえ、“翼”というものを出し入れする……完全に肉体の一部のごとく扱う種族というのは、そこまで多くはなく、それらはほとんど悪魔などの異形種……飛竜騎兵の太祖と同じ人間の外見からは、まったくもって程遠い造形がほとんどだ。

 だというのに。

 カワウソとミカが族長らに見せてしまった翼は、完全に彼等の肉体のごとく自然と存在しており、その出し入れにおいてカワウソとミカにもそこまで人間離れした変化は少なかった。

 おまけに、彼等の振るった、超常の力。

 神懸った奇跡のごとき黒竜たちを根こそぎ屠った殲滅の威力は、まさに飛竜騎兵の信仰に謳われるそれ──有翼の英雄二人の力と酷似しすぎていたのも、大いに影響している。

 トドメとなったのは、死者を復活させる蘇生の魔法。それを従属のごとく控える女騎士に行使させた主人に対する評価は、好意や善意を超えて、ある種の崇拝の域にまで達してしまっていた。

 かつての自分たちの先祖を彷彿とさせた、部族の救い主たる二人に対する感謝と信頼の念は、もはや測り知れない領域にある。

 旅の放浪者を装った国の枢要に位置するだろう人物たち。

 その慈悲と加護を賜ったヴォル・セーク族長達は、カワウソへの信義と尊念を懐いて、まったく当然の運命とすら言えた。

 

「俺は、本当にただの、……」

「どのような事情があろうとも、此度の一件で我等部族を救ってくれたのは、紛れもなく、あなただ」

 

 その一言が、堕天使の首根を不可視の掌で絞めあげる。

 ヴォルは、飛竜騎兵の長は……魔導国の臣民は……朗々と言明してしまう。

 

「たとえ、あなたが異形だろうと、化外の者だろうと、構わない。あなたが望むとあれば、我等は国に背くことも辞さない(・・・・・・・・・・・)覚悟」

 

 カワウソは口内で罵倒の言葉を紡ぎかける。

 

 そのひたむきな宣告は、素人でも聞き違えられない、まぎれもない“叛逆”に聞こえた。

 実態は勿論、違う。

 魔導国において唯一絶対的に君臨するアインズ・ウール・ゴウンは、実のところ、下々の民が誰に友誼を感じ主従の契約を結ぶことに忖度しない気性の持ち主。あくまで”アインズ・ウール・ゴウン”という名を世界に轟かせることにこだわる──仲間たちにその名を届けようと奮励努力するアインズにとって、自分たちに害を、不逞を、虚偽をなさない限り、ある程度の自由と権利を認めている。

 代表的な礼としては、かの”白金の竜王”が治める信託統治領──さらに、彼の保護管理下に置かれる”天空都市・エリュエンティウ”の都市守護者のように、魔導国に帰属する限り、その内に住まう存在の思想や信条を歪めることを、アインズは是としない。

 飛竜騎兵の部族の代表者が、新たな代表を選出選抜することについて、国はそこまでの決定権を有しない。魔導国の支配下に下っている限り、首長がどれだけ代替りしても問題はないのだ。

 この時のカワウソは、認識を誤っていたのだ。

 いかにカワウソの事情を知らない──魔導国とは縁もゆかりもない、むしろ腹に抱え込んだ黒い感情を蓄えている、その事実を知り得ない──としても、彼女の誓言は魔導国臣民としてあってはならない暴挙、そう思われてならなかった。

 あろうことか、彼女と彼女の妹、そして部下は、国さえも裏切ろうと宣った──そういう風に、額面通りに受け止めてしまったのだ。

 見渡した一番騎兵隊……ハラルドも、そしてヴェルも、……飛竜のラベンダたちまでもが、族長の結論に納得しているような沈黙を保って、微笑みすらしていた(ヴェルだけは、先ほどの口論もあって複雑な表情だったが)。

 無論、実際は違う。

 カワウソが国の重要人物……魔導王の側近や近衛か何かだと判断して、個人的に強い友誼を結びたいと宣告しているだけ……そう認識されて構わなかった。

 カワウソ個人に従属することを辞さない──そんな魔導国臣民の登場は、今後のカワウソにとって、どのような利得を生むのか、堕天使は瞬きの内に算出する。

 だが、

 

「……いいや」

 

 堕天使は己の浅ましい計算を、即刻破棄した。

 そうして、族長に重要なことを幾つか、訊ねる。

 

「族長……おまえたちは、──正気か? 本気で、俺が救い主、だと?」

「無論です」

「族長……そんな勝手なことをして、魔導王──陛下に、どう申し開くつもりだ?」

「陛下の御不興を買うとは思えませんが──いずれにせよ、我等の決意は変わりありません」

「族長……そんなことをしたら、ヘズナとの関係──彼との婚姻に、差し支える可能性は?」

「それは──致し方ありません。陛下に御奏上して、此度の婚姻は──破棄させていただくことも、ありえます。場合によっては、私の首が飛ぶやも」

 

 冗談めかして簡潔に言いのけてしまう女の胆力に、堕天使は完全に呆れてしまう。

 

「……俺のことは、里の人々には、まだ?」

「まだ言っておりません」

 

 彼女は律儀にも、カワウソとの口約束を護っていた。ホーコンの一件直後、カワウソは自分が振るった力の事──特殊技術(スキル)の光や、ミカの蘇生関連の情報は秘匿するよう約束していた。

 個人情報の保護という名目で、魔導国側に目を付けられたくないカワウソが頼んでおいた。一等冒険者モモンの援護もあって、とりあえず、その場を乗り切ることは出来たのだ。

 

「なれど、あなたの“力”と“功”を教え説けば、必ずや、皆が納得するでしょう」

「……そうか」

 

 頷くカワウソは、決断した。

 

 まだ、“ここにいる奴らしか、カワウソを知り得ない”。

 当然だ。カワウソが力を振るい見せたのは、ここにいる者たちでほとんど。里で暴れた黒竜退治は、モモンとの協力の許で行われた上、おまけに認識阻害の装備も手伝って、カワウソたちの存在は周知され得なかった。

 だから、まだ大丈夫(・・・・・)

 

 

「い ない」

 

 

 彼の紡ぐ声に宿る感情を理解して、ヴェルやヴォルたちが、困惑と疑念を面に表す。

 

「俺に……仲間など──、いらない」

 

 聞くものが怯懦で凍り付くほどに、その声は冷たく、同時に寂しい。

 族長達は、自分達が彼にとって禁断の領域に踏み込んだ事実を知らず、怪訝そうに眉を顰めるばかり。

 唯一の例外は、直前に話をしていたヴェルだけだ。

 

「仲間は……彼等だけで、十分……ああ、十分なんだ」

 

 憎悪するように、回顧するように、

 侮蔑するように、惜愛するように、

 もうたくさんだ(・・・・・・・)。カワウソは宣言した。

 その剣呑な空気──今にも泣き出しそうな、あるいは怒り暴れそうな、もしくは狂い死にそうな男の面貌を、彼は左手で覆い隠す。

 セークの部族の、彼等の疑念が(こご)っていくのが、よく解る。

 彼等にとって、カワウソの事情や内実など知りようがない。

 カワウソが彼等に施した優しさに応えようと紡ぐ宣誓が、彼を傷つける刃となって臓腑を抉った事実に気づけない。気づける余地がなかった。

 ただ、ヴェルだけは、直前に交わした口論じみた遣り取りで何かを察していたようだが、何をどう言えばいいのか分からない様子で口を(つぐ)む。

 カワウソは耐える。

 耐えるが、それでも──限界だった。

 

「おまえらは、俺の“仲間”には──ならない」

 

 なりえない。

 なってはいけない。

 なっていいはずがない──!

 

「カワウソ、さん?」

 

 ヴェルが立ち上がり、男の空いた右手に縋るように近寄ろうとするのを、カワウソは歩を進めて──(のが)れた。

 たまらず追い縋ろうとするヴェルを、ミカが盾のごとく立ち塞がって、引き留めた。

 乙女は、女騎士の表情を見上げ、横に振れる黄金の髪房の様に、首を傾げてしまう。

 歩き続けるカワウソを見れば、いつの間にか右手に、純白の剣を握り──円を描く。

 

「〈転移門(ゲート)〉……来い、二人共」

 

 告げた言葉の重みに応じるがごとく、白い闇の向こう、拠点で待機させていた人影が歩み出てくる。

 飛竜騎兵らが目を見開く。

 この地へ聖剣の魔法で転移させ、呼び寄せた天使たち──カワウソのNPCたちとは、完全に初対面だった上に、その姿は異様極まる。

 銀髪の聖女──平凡な修道女(シスター)の衣服を着崩し着こなした腰から、二対四枚の白翼を広げるガブは、常に浮かべる笑みを消し去った厳粛な表情で褐色の(かんばせ)を覆う。彼女の隣に並び立つのは、六玉を首から下げる巨兵──大人の身の丈の二倍はあろう巨躯を持つウォフは、巨大な鋼色の翼と、世界樹の槌矛(メイス)を背負う全身鎧によって、顔の構造や表情どころか、性別の判断すら難しい。

 不意に現れた到来者たちは、カワウソに従属の意を示すように、片膝をついた姿勢を崩さない。

 ふと、ミカに引き留められたままの乙女が、不安の音色を唇からこぼす。

 

「カワウソさん?」

 

 ヴェルに呼ばれた堕天使(カワウソ)は、まったく応じない。

 彼女(ヴェル)たちに対して、あまりにも酷薄な命令を、自分の部下たる天使たち──厳密には、銀髪の智天使(ケルヴィム)に対し、下す。

 迷いは、なかった。

 

「ガブ」

 

 低く、短く、かすれた主の声で「やれ」と命じられた聖女──ギルドにおいて最高位の精神系魔法詠唱者のレベルを与えた天使が立ち上がり、間髪入れずに、命じられていた通りの魔法を、発動する。

 

 

 

 

 

「〈全体記憶操作(マス・コントロール・アムネジア)〉」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、数週間の後。

 

 ローブル領域での祝賀行事を無事に終え、名誉を回復した飛竜騎兵の部族……三等臣民からあらため、二等臣民となった者たちは、喜びの宴に湧きたっていた。

 

 ヘズナ家とセーク家の婚姻式――長年に渡り対立関係を維持してきた両族長家であるが、平穏無事に、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の祝福を受け、今、ここに婚礼の時をめでたく迎え入れる時。

 政治的な意図や、先祖伝来の技法――飛竜騎兵の生存をかけた婚姻に過ぎないはずが、祝宴の場に集まってきた両族の者たちは、皆一様に、宴の中心にある花嫁と花婿を喝采してしまう。

 

 ヴォル・セーク。

 ウルヴ・ヘズナ。

 

 互いに相争うことでしか存在できなかった飛竜騎兵たち、その最後に残った二大部族の長が手を取り合い、純白の壇上を飾っている。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の代わりに遣わされたナザリックの神官、赤と黒の髪の少女が、決められた通りの音韻を唇に乗せる。

 盛大に打ち鳴らされる鐘の音が祝福を唱えた。

 ここまで万端準備を重ねた両部族の民衆が、愛の誓言を紡ぎ、唇を交わす男女を言祝(ことほ)いだ。

 

 そんな様子を、ヴェル・セーク……花嫁の妹は、相棒と共に眺め見つめる。

 

 式典演習での事故……その元凶として刑されるはずだったヴェルは、旅の放浪者の女性と、一等冒険者チームの助けを借り、すべての諸悪の根源となっていた長老の一人を討滅したことで、無罪放免を言い渡された。

 失われた狂戦士の力は、魔導王陛下が派遣した新たな研究チームと、姉らの協力でさらなる抑制処理が施されることになる。

 研究が再開され、国の庇護下で探求が軌道に乗れば、ヴェルはもう、狂戦士としての暴走に陥ることはなくなるのだ。そうすれば、ヴェルはただの飛竜騎兵──ただの魔導国の臣民──ただの人間として、生きていくことが叶うだろう。

 姉たち夫婦の子……甥だろうか姪だろうか……里に生まれる新たな飛竜騎兵の、完全統一された部族の子供らに、当代随一と謳われる飛竜騎兵として、教練をつけてやる日が来るのが、今から楽しみでならない。

 ヴェルはもう、狂戦士の力を抑制可能なほどに力を失っている。

 戦乱も擾乱もなくなれば、狂戦士が力をつける場がなくなれば、狂戦士にはなりえない。

 

 ヴェルはその事実をもたらした人物に感謝を紡ごうとして──その対象が誰だったのか、思い出せない。

 

 誰か、が、いた。

 そんな気がする。

 

 己の中心を貫くほどの剣撃を浴びせ、胸が重なるほどの距離で見つめ合えた……誰か。

 夢見るように、恋するように、圧倒的な力を顕示してみせた、真っ黒い…………誰か。

 いつも何故か寂しそうで、だから傍で寄り添ってあげたいと思えた………………誰か。

 

 首を傾げる。

 そんな人、私は知らない。

 覚えていないし、思い出せるはずもない。

 それでも、何か大切な人が、自分の隣にいないような……

 得体の知れぬ喪失感に小さな乙女は一瞬だけ陥り、目の端には、熱い、雫が。

 

「ヴェル」

 

 姉の呼ぶ声で我に返った。

 大輪の花のように微笑む家族の様に、ヴェルは嬉し涙をこぼしてしまう。

 妹は喜んで、姉と義兄の佇む場所にまで駆け寄った。相棒(ラベンダ)も嬉しそうに宙を舞う。

 二つの部族の皆が喜びの音色を楽器に乗せ、青空を舞い踊る飛竜たちが快哉の雄叫びを響かせる。

 

 そこでは、

 何もかもが、

 誰も彼もが、

 幸せだった。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 そんな数週間後の祝宴の空気を目にし耳にすることなく、カワウソたちは飛竜騎兵の領地を遠く離れ、奇岩地帯の麓に広がる森を抜けようと歩く。

 魔導国謹製の整えられた黒い街道を目指し、南下していた。

 天使の翼があるのに飛行していない理由は、三つ。

 

 飛竜騎兵の領地内の巡警……特に、今も遠ざかりつつある飛竜騎兵らの警備兵の目を逃れるため。これはカワウソらの装備で〈不可視〉〈不可知〉などの隠密性を発揮すれば問題ないように思えるが、万が一ということもある。現在、領地には魔導国より遣わされた特別派遣部隊も駐留中らしいので、それらとの不期遭遇を回避する上でも、空を飛ぶよりも森を徒歩(かち)で行く方が良いと思われた。

 

 二つ目は言うまでもないが、堕天使のカワウソは、最大レベル特殊技術(スキル)の発動がないと飛べないから。ミカらの翼を借りるというのは、主人としての体裁としてありえないと思われる。転移魔法を使ってしまうという究極の移動手段もあるにはあるが、転移魔法は一度自分が言った場所か、魔法やスキルなどの特別な措置によって未踏の地への転移をはじめて可能にする。特にすぐさま転移が必要な状況や心情でもなかったので、カワウソは森をじっくり散策がてら進むことにした。

 

 最後の三つ目は、この森を南下することを、一人の魔導国臣民に依頼されていたから。

 

「よろしかったので、ありますか?」

 

 ミカは短く呟く言葉に、静かな問いかけを含ませた。

 女天使に問われた本人は、すぐに答える用意があった。ここに至るまでの状況を構築したのは自分自身であり、彼女たちを直率する長としての立場としても、部下の懐く疑念というものも、ある程度の予想がついている。つまり、質問の意味を判じかねる状況ではなかった。

 ──ヴェルたちの記憶を操り、カワウソたちに関するすべてを消してしまって、本当に良かったのか、否か。

 

「これでいい」

 

 カワウソは結論のみを呆気なく呟く。

 これで、彼女たちは天使の澱(エンジェル・グラウンズ)と──カワウソたちとは、何のかかわりもない存在となった。

 この国──魔導国に存在する者が、魔導王以外の他者に、組織に、存在に対して頭を下げ、隷従する姿勢をとるというのは、遠からぬ未来において、彼女たち飛竜騎兵の両部族──真にひとつとなる者たちを、破滅の道に追いやることになるだろう。

 彼女らがカワウソ個人に協力すると表明・誓言した時に、脳内で閃いた計画を思い起こす。

 

 たとえば。

 魔導国を内部勢力から蚕食し、カワウソの──ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)幕下(ばっか)に加え、飛竜騎兵の部族などの反乱戦力を整える。

 ギルド拠点の城塞内部で彼等離反者を強化する物資や装備を生産・供給し、それによって魔導国の版図に亀裂を加え、

 

 ……と考えたところで、何もかもが机上の空論にしか過ぎないことに気づかされる。

 この程度のことを、世界をただひとつの旗の下に統一した超大国が警戒しないはずがないだろう。

 おまけに、拠点内部の資源や資金は有限。それらを外の異世界で代用可能か否かも不明な段階で、こんな企みとも言えない妄想に耽溺しても、物の役に立ちはしない。数を揃えたところで、Lv.30以下の雑兵ばかりでは盾になれるかどうかが関の山。カワウソのギルドの生産力を考えると、現地民に充実した装備を一式あてがうだけでも大変な労力を費やす。そんなものを何十、何百と揃えている間に、離反の情報は確実に漏れると思わなければならない。情報を制する者こそが、戦いに勝利する道理だ。

 

 第一、その道は間違いなく、飛竜騎兵の、ヴェルたち魔導国の一般国民たち全員の災厄にしか、なりえない。

 それは、カワウソの望むところではない。

 本人たちに知らず知らずとはいえ、彼女たちに茨の道……どころか、地獄行きになるかもしれない旅路に同道させる気はまったく起こらなかった。

 カワウソは確かに、アインズ・ウール・ゴウンの敵対者……今も変わらず復讐の(ともがら)では、ある。だが、今、この世界に生きる人々は、カワウソ自身の身勝手な思いとは、仲間たちとの”約束”とは、全く無関係な存在。ならば、そんなものたちを地獄の道連れにするような関係を結ぶことは、絶対にありえない。あってはならないことなのだ。

 カワウソの目的を、”約束”を果たす為に、彼女たちは、もはや邪魔でしかない。

 だから、これが一番いい方法なのだ。

 そう、カワウソは信じている。

 

「それに……あいつらが──」

 

 奇岩を、飛竜騎兵の領地を振り返ったカワウソは、これより後に訪れる華やかな宴を、両部族の婚姻式典を幻視する。

 その中心で咲き誇るはずの姉妹の笑みは、想像しただけでも存外に、堕天使の胸を満たすものがあった。

 彼女たちの幸せに、自分たちは、カワウソは、まったくの異物でしかない事実を、喜んで受け入れる。

 

「……あんな雑魚共がいたら、自由に動けないだろう?」

 

 面倒くさげに(うそぶ)くカワウソは、幻から目をそらし、この世界における幸福に背を向ける。

 そんな堕天使の様子に対して、

 

本当にうそつき」

「ん?」

「いえ、何も」

 

 冷然とした様子で首を横に振るミカは、続けざまに問いを投げる。

 

「それで。今後は如何(いかが)なさるおつもりで?」

「そうだな。この大陸の有力者に渡りをつけられたらいいとは思うが──」

 

 カワウソは考える。

 ミカの調査などで、「完全な竜」という竜王、アーグランド領域に住まうという“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”ツァインドルクス=ヴァイシオン……信託統治者なる存在は気にかかった。魔導国内でも高い地位を約束された、真なる竜王の異名を持つ、本物の(ドラゴン)だと聞く。

 他にも、マルコから、モモンから、この領地を訪れたことから、様々な情報を取得できた。

 飛竜騎兵との友好関係は抹消せざるを得なかったが、いろいろなことを考え、検証できた事実は、カワウソたちの利するものであることは覆らない。

 中でも、この世界に存在する冒険者──その最上位の位置を約束された“黒白”の力に触れられたことで、この世界の強さの基準もだいぶ理解できたことは、今後の活動において大いに良い展望をもたらしてくれた。

 ああ、そういえばモモンたちと別れの挨拶ができなかったのは、少し残念ではある。彼はもう、この領地から別の任務に向かったとか。

 冒険者つながりで、一人のNPCの調査地点を思い出す。

 

「ラファに向かわせた冒険都市っていうのが、近くにあるはずだから、そこへ行ってラファと合流した後、冒険者にでもなってみるか?」

 

 冒険者の地位を確固たるものにすれば、ナザリックを擁するという国の中枢・絶対防衛城塞都市への入場も認められ、万事うまくいけば、あのナザリック地下大墳墓へ直接招致されることもあると聞く。

 認められれば、あのアインズ・ウール・ゴウン魔導王と、直接対面することも可能なのだ、と。

 この国の中枢に飛び込むには、カワウソの能力とレベルは十分以上な質であることが判明しているので、意外とうまくいくのかもしれない。

 それでも、魔導国の民として生きるのは、些か以上に抵抗はある。

 だが、そんなことを言っていても、何にもなりはしないのも事実。

 わずかに瞠目するミカだが、彼女は特に何も意見することなく、頷きを返すのみ。

 

「あなたがそう望むのであれば。しかし──」

 

 何かを言いたげに視線を彷徨わせる女天使。

 彼女に対し、カワウソは気安い微苦笑を浮かべ、()いてみたくなった。

 

 

 

(……おまえは、最後まで、ついてきてくれるか?)

 

 

 

 そう言ってしまったら、彼女はどんな表情を見せてくれたのだろうか。

 しかし、堕天使は押し黙る

 女天使は僅かに唇を押し開けようとして、地鳴りにも似た巨兵の足音に意識を持っていかれる。

 カワウソも、後ろで共に歩みを進めていたNPCたちが早足で近づく気配に振り返った。

 

「どうした、二人とも?」

「──主様」

 

 あれだけ休んでいろと言っておいたのに。

 ガブの〈記憶操作〉は、カワウソが覚えている限りの人物と、さらにはラベンダをはじめとする飛竜たちにまで施された。だが、発動者曰く「これだけ大掛かりな〈記憶操作〉は魔力の消耗が厳しい」のだと。

 魔力切れに陥り、神官職である護衛のウォフよりさらに魔力を供与され、それでもまた〈記憶操作〉で魔力が尽きた智天使(ケルヴィム)の乙女──ガブが、報告せねばならないことがあると言って、近づいてくる。

 

「あの──連中に、〈記憶操作〉を、施していた時、なのですが、少し気になる──」

 

 言い淀むように近づく聖女と巨兵を、カワウソは手をあげて制止する。

 

「お待ちしておりました、皆様」

 

 ガサリと草を踏み締める音もなく、音もなく軽やかに現れた女性を、カワウソは受け入れる。

 自称“旅の修道女”ローブ姿の男装の麗人、マルコ・チャンが、カワウソたちのいる森の道なき道に姿を現した。

 

「例の件、つつがなく手配させていただきましたので、まずはそのご報告を」

「──ありがとう。すまないな、こんなこと頼んでしまって」

 

 彼女は微笑み、事も無げに首を振る。

 マルコには、モモンと同じように、飛竜騎兵の皆に施した〈記憶操作〉の整合性を保つべく──ヴェルとラベンダを救った旅の者などの、欠落させるには無理のある部分を補強するために必要な協力者……口裏を合わせるように、カワウソは放浪者の彼女に請願しておいた。

 

 あの場で。

 共に地底湖を訪れていた彼女にも〈記憶操作〉を行えば、それで記憶の整合は保たれるところなのだが、魔法を行使する張本人たるガブが「無理だ」と宣言したのだ。

 

 マルコの強さがガブに匹敵しているということではなく、マルコに与えられた“衣服”や“装備”の力によって、彼女には精神系魔法詠唱者の、その最高峰の力が通用しないと理解されたからだ。

 カワウソはそれを聞いた時はありえないと思う反面、頭の何処かで納得もしていた。

 彼女の力は、魔導国の臣民の中でもありえないほどに強靭で、尚且つ、魔導王に対する忠誠や信義については、異様な深度──印象を受けてならなかった。

 

 ──まるで。

 そう、まるで。

 彼女は魔導王──アインズ・ウール・ゴウンを知り尽くしているような、それほどに近い距離にあるような親愛を、マルコから感じるようになったのだ。

 

 それが確信に変わったのは、カワウソが飛竜騎兵のヴェルたちに〈記憶操作〉の魔法を施すのを、彼女が認めた瞬間。口裏合わせの工作に協力してくれると宣告した時だ。

 堕天使は、あえて、訊ねる。

 

「マルコ」

「はい?」

「あんた……本当は、何者だ?」

 

 訊ねられると前もって予知していたような、困った笑みを一瞬だけ浮かべ、マルコは静かに表情を固める。

 

(わたし)は──」

 

 言って、マルコはローブを脱ぎ捨てるように、ひとつの機能を発揮。

 早着替えの魔法機能によって、黒い“男装”に身を包んでいたはずの修道女は、驚くべき変貌を遂げてみせた。

 

「お察しの通り、(わたくし)の、“旅の放浪者”というのは仮の姿」

 

 白金の髪をひとつに束ね纏めていた飾りが解かれ、華奢な背中を流れ広がるままにした様子は、竜の翼を一瞬ながら想起させる。

 頭頂は、純潔純白のレースで縫製されたヘッドドレスが玉冠(ティアラ)のごとく慎ましく飾られており、新たに任命された“戦闘メイド”らしく、所々に父譲りな戦闘スタイルに合わせた改造が施され、装備の防御や強化魔法なども充実されているのが、己を生み育んでくれた「亡き母」とほとんど同じ“メイド服”との確たる違いである。

 マルコは、母の形見であるハンカチを差し込んだ腰を沈め、豊かなスカートの裾を行儀よく持ち上げる会釈の姿勢──カーテシーの形のまま、朗々と明かす。

 

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国、ナザリック地下大墳墓・第九階層防衛部隊“アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下親衛隊”所属、“新星・戦闘メイド(プレイアデス)”の統括(リーダー)に任命されし存在。至高帝、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に対し、身命を賭してお仕えする異形の混血児(ハーフ・モンスター)が一人。

 名を、マルコ・チャン」

 

 

 愛嬌のある微笑みは(なり)を潜め、猛禽を思わせる怜悧な瞳が、カワウソの両目を射抜く。

 

「今回の一件は、魔導王陛下──我が主人であられるアインズ様も、すべて御承知のこと。その上で、(わたくし)はあなた方にご同道させていただいた次第」

「……なるほど」

 

 だからこそ、マルコには〈記憶操作〉が効かず、あまつさえ「口裏合わせ」などという無茶な提案をして、カワウソたちを援護できたわけだ。

 メイドは、そんな堕天使の納得を認め、言葉を続けていく。

 

「故に、カワウソ様方には、チャンスが与えられます」

「……チャンス、でありやがりますか?」

 

 まんまと謀られた立場にあるカワウソよりも先んじて、ミカが毒を含む厳しい声を発した。

 憎むべき怨敵の“使い”に対して、非難がましいを通り越して、完全に敵意と戦意に満ち始めるミカの機先を、カワウソは手を振って制した。

 

「──聞こう」

 

 話に乗ってくると判っていたように、マルコは淀みなく、そしてメイドらしい厳しげな無表情で、先を話し始める。

 

「御方の仰せを御伝えいたします。

『此度における君たちの“飛竜騎兵内部の賊徒征伐”の貢献を認め、我がナザリック地下大墳墓、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の傘下の列に加わることを、許す』──とのこと」

 

 カワウソは、一言一句、聞き違えることなくメイドの告げた口上を理解する。

 

 

 

「あ˝あ˝?」

 

 

 

 理解して、堕天使(カワウソ)は唸り声にも似た吐息を吐いてしまった。反対に、ミカは主人の変貌を──またも両眼に灯る漆黒の(うろ)を見て、その様子に臆したかのように、僅か半歩を、さがる。

 

「────傘下ァ、……だと?」

 

 暗い声は重く歪み、眼には闇色の色彩が溜まりだす。

 

「……カワウソ様」

 

 ミカの焦燥や制止する気配にも気づかず、疑念から首を傾げるマルコに対してのみ、カワウソは微苦笑を交えて言葉を返す。

 

「ハッ。よりにもよって……“傘下”と、きたか……」

 

 傘下──

 この表現は、ギルド同士の連合や同盟、ではない。

 一時的な協力体制構築や、合併吸収というよりも、これは上位ギルドが下位ギルドに対して行う、いわば“隷属化”だ。

 かつて、カワウソが所属していた弱小ギルドも、ギルド維持に必要な“資金調達”や“防衛能力”の確保などの恩恵を得るために、上のギルドの傘下に下っていた。

 そうした、結果が……ケッカ、ガッ……!

 

 

 

「さぁ、お手を」

 

 

 

 堕天使の沈黙と逡巡、諸々の葛藤など知らぬ様子で、メイドは右手を差し出した。

 カワウソは冷血な女中の様子を憎らしく思う前に、彼女の硬い表情の裏側を、透かし見る。

 

「……」

 

 マルコの表情の裏にあるものは、堕天使たちを謀ったことへの──かすかな罪障感。

 他にも、遠慮や不安。目の前の人物──堕天使から浴びせられる沈黙への、理解。

 だが、そういった諸々全部を中和する、ひとつの結論が、女の胸中にはあった。

 使命感。

 それが、彼女の原動力。

 これこそが、彼女に与えられた任務だったから。

 

 手を、取る。

 ただ、それだけでいい。

 それにより契約は完了すると、マルコは眼差しを決して、言い終える。

 

 

「──」

 

 

 カワウソは、煮え滾る脳内を鎮めながら、思う。

 煮崩れそうなほどの臓物の熱を感じつつ、想う。

 黒い眼の熱っぽさを冷却して、静かに、考える。

 

 ここで、手を、取るべき──なのだろう。

 否。だろうという話ではない。

 絶対に手を取らなければならない、このチャンスを生かさねばならないと、完全に理解する。

 

 手を取って当然。

 迷う必要などない。

 ここで手を取る以外に、カワウソたちの未来はない。

 

 だが、複雑に入り組んだ感情と過去(トラウマ)が、堕天使に手を伸ばさせない。

 手を取ることを拒絶させる。

 

 彼女の真意や、魔導国の罠の可能性を疑うよりも先に、かつての自分に起こった出来事を、思い起こさずにはいられない。

 仲間たちとの最悪な別離の原因──アインズ・ウール・ゴウン討伐隊──1500人の末席に加わった、理由──上のギルドから招集を受け、傘下ギルドとして持ち寄れる最高最大の戦力を搔き集めることを厳命されて────だから。だから!

 

「ッ、…………ッ!」

 

 口元が歪む。眉間に力がこもり、そこを穿頭器で穴でも開けられたのかと思うほどに痛めながら、手袋に包まれたマルコの指先の細さを凝視する。

 切歯。硬直。耳鳴り。

 あの……忌まわしい……忌々しい……(おぞ)ましくてたまらない、あのギルド崩壊の過去が、堕天使の脳を引き裂き貫き抉り千切る。

 そうやって十数秒ほど、文字通り手をこまねいている内に──

 

「──失礼。少々お待ちを」

 

 マルコは差し出していた手を引っ込め、そのままこめかみに指をあてた。

 脳内へ唐突に結ばれる魔法の繋がり──〈伝言(メッセージ)〉を受信したようだ。

 何事(なにごと)かと疑念する間もなく、カワウソもほとんど同じタイミングで〈伝言(メッセージ)〉の声を頭の中に感じ、マルコと同じく虚空を仰ぐ。

 

「マアトか。どうした?」

『も、も、もも、申し、訳、あ、あの、あああの』

「マアト、落ち着け。何か、あったのか?」

 

 直感した。

 悪い報せ、のような気がする。

 

『もう、も、う……申し、訳、ありま、せ……ん』

 

 濡れたような声音が、脳内に沁み込むように残響する。

「引っ込み思案」で、「いつも自信なさげ」なマアトだが……彼女には「泣き虫」という設定など組み込んだ覚えはない。

 そんな少女が、魔法の繋がりの向こう側で、はっきりと、泣いている。

 

「どうした?」

 

 かすれそうな声で、重く重い調子で、問い詰める。

 聞きたくないと思った。だが、聞かねばならない。

 知りたくないと思った。だが、知らねばならない。

 自分の部下(NPC)たちが、何を“しでかしてしまったのか”を。

 彼ら彼女らの主人たる堕天使は認め、受け入れる構えをとる。

 そうしなければ、彼ら彼女らの長をやることはできない。

 

 そうして、カワウソは理解する。

 

 

 

『申し訳ありません! イ、イズラさんやナタくんたち、二つの調査隊が、ま、魔導国の部隊と……それぞれ、こ……”交戦”ッ、を!』

 

 

 

 理解して、ただ一言。

 

「そうか──」

 

 堕天使は、微笑(わら)った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第四章 花の動像・死の天使 へ続く】

 

 

 

 

 

 

 


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