オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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第八章 第八階層攻略戦 最終話


Rubedo(ルベド) -3

The war to breaks through the 8th basement “The wilderness” …vol.08

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 アインズは玉座の間で、守護者たちとちょっとした押し問答をしながら思い出す。

 カワウソのおかげで、100年前の皆との思い出が、次々と心地よく脳内を駆け巡る。

 

 その中のワンシーン。

 

 

 

 

 Magnum oups(マグヌム・オプス)──

 このラテン語は、英語ではThe Great Work──「大いなる(わざ)」と訳される。

「大いなる業」とは、一般的には芸術作品などの「大作」や“傑作”を意味する言葉であるが、こと錬金術においては「卑金属を貴金属……つまり“金”へと錬成する」または「“不老不死”をもたらす霊薬の精製」あるいは「“賢者の石”という完全な物質を作り上げる」作業を指す。

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに属する“大錬金術師”タブラ・スマラグディナ。

 

 彼が作り上げた……三人の姉妹。

 

 長姉たる「ニグレド」は“黒化”を、

 その妹の「アルベド」は“白化”を、

 そうして、

 彼女らの妹である「ルベド」は“赤化”を、それぞれが意味している。

 

 以上この三工程(あるいは四工程)──“黒化”・“白化”・“赤化”の状態変化をたどることで、錬金術師は自らの至上命題たるモノの錬成……賢者の石と呼ばれる完全なる物質を生成──つまり、“大いなる業”を成し遂げることが可能であると伝承された。大いなる業で錬成された物質を、卑金属と混ぜ合わせることで黄金が生み出され、また、これを溶かした液体は万病を退(しりぞ)け、服用者に不老不死をもたらす万能薬にもなったと。賢者の石は、最終工程段階“赤化”の赤色をしていると考えられ、その様子はルビーのような宝石であったり、あるいは石と呼ぶには不適格な「液状」であったりもしたと様々な文献に散見される。

 

 そして、このナザリック地下大墳墓において、

 

 情報系魔法詠唱者として第五階層に配された、黒い「ニグレド」──

 拠点NPCの頂点・守護者統括として第十階層に配された、白い「アルベド」──

 

 この両者の妹としてタブラ・スマラグディナが創り上げた、赤い「ルベド」に限っては、姉たちどころか、他の全NPCとはまったく異なる創造方法によって構築された存在であり、長姉ニグレドはそれ故に、仮にも妹であるルベドのことを“スピネル”──「偽物」「まがい物」「ルビーと紛らわしい石」と称して、誰はばかることなく忌み嫌うようになっている。

 

 ニグレドは、ルベドのことを蔑み予言した……ナザリックに災いをなすクズ石と呼んだ。

 アルベドは、ルベドのことを慈しみ護った……あの娘は決して害にならないと確信して。

 ──この両者の認識の違い。

 ──それが、100年前のあの『事件』の、小さな火種であったと言える。

 

 姉妹に共通した“黄金”のようにきらめく瞳、“不老不死にして不滅”の存在、“賢者”のごとく超然とした佇まいや雰囲気……子への執着と愛着を示す、人間の母のごときニグレド……設定文において『元々は最高位天使として作り出される計画であった』とされる、女神のごときアルベド……姉二人はたびたび「狂った」ような感じになるが、ルベドは「話が通じない」「冷酷な“狂”戦士」「怪物」のごとき挙動という点では、彼女たちと驚くほどよく似ている。タブラ・スマラグディナが制作した姉妹は、確実に製作者の思いによって結ばれた者たちであったわけだ。

 

 だが、ルベドは、拠点NPCとは根本的に異なる存在。

 

 赤いドレスを身に纏う少女──ルベドの根幹をなすシステム。

 

 それは【神人合一】

 

 神と人、

 無限と有限、

 ないものとあるもの、

 完全と不完全が、ひとつとなることを意味する言葉──それが、ルベドの本質であり、彼女の性質であった。

 

 

 

 

 

 ルベドが、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンのメンバー数人へと、初お披露目された日。

 

「……嘘でしょ?」

 

 あの日、モモンガは呆けた声で呟いていた。

 

「ちょ、こんなのチートじゃね!?」

「たっちさんがガチで負けるとか、ありえないって!!」

「どんだけナザリックのリソース食ってたんだよ、タブラさん?!」

 

 全員が、第八階層に設置されることになった「赤い少女」と、その少女の制作を一手に担ったメンバー・蛸の水死体のごとき異形種プレイヤーを取り囲んだ。

 

 第八階層で待ち受けていた赤い少女に、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンにおいて近接職最強と謳われる男──モモンガの大恩人──アルフヘイム・ワールドチャンピオン──たっち・みーが、あろうことか、“敗北”を喫したのだ。

 お披露目に参加したメンバーたち全員が恐懼(きょうく)と畏怖に身を震わせ、感情(エモーション)アイコンを浮かべる余裕すらなく、問い質した。

 

「……ワールドチャンピオンに『土をつける』とか、ありえなくないですか?」

 

 ライバルが戦闘不能に陥った事実に、嬉しいやら悔しいやら判然としない声音で、魔法職最強の大悪魔(ウルベルト)が唸る。

 ルベドが手加減して、HP残量1の死亡ギリギリのところで寸止めするように調整(プログラム)されていた模擬戦闘は、戦いと呼ぶのも憚りがあるほどの、ただの蹂躙劇でしかなかった。

 

 そのときは、全員が呆気にとられながら眺めた。

 

 ワールドチャンピオンたるたっち・みーの鎧や盾に守られる体を、いとも容易く吹き飛ばす、少女の拳。対個人戦闘において超絶の戦闘力──ガチの肉弾戦で最強のプレイヤーと評される男を、ただの少女じみた存在が、完封。管理権限の掌握コード……ギルマス権限によって模擬戦闘を中断しなければ、たっち・みーはゲーム内で死亡していたような(模擬戦でそんなことはおこらないはずなのに)、そんなありえない予感しか湧きたたなかったほどの、暴撃の連鎖。

 

「……こっちの攻撃が通じない、ゲームでの『無敵』というのは、ここまで恐ろしいことだったとは……」

 

 驚きですと感心しながら、珍しく肩で息をし片膝をつくほどに消耗したらしい聖騎士が、それまで無感動に無感情に無表情に拳を交えていた少女を、眺め見る。

 ただのNPCだと思っていた。

 タブラから呼び出され、「対個人戦闘用」に特化した存在として、ルベドのお披露目を受けたメンバーたちは、まるで「してっやったり」という笑顔の感情アイコンを浮かべる蛸頭を凝視する。

 

「すごいでしょ? うちのルベドは?」

 

 ただ、と言って、タブラはルベドの頭──紅玉(ルビー)のごとき真紅の髪を撫でるように水かき付きの細長い手指を伸ばした。

 そのタブラの指が、ルベドの頭を「素通り」する。

 それはまるで、空間に投影された立体映像のよう。

 

「だますみたいな感じになっちゃって、すいません。けれど、どうしてもこの()をナザリックで作ってみたくて」

 

 タブラは言い募りながら、映像のような少女の肩や胸にも掌を透過させていく。少女の胸から細長い異形の指が伸びているさまは、実にスプラッターホラーのような雰囲気であるが、少女は無表情のままでいる上、そこに見えている物は、すべてが映像……虚実の影に過ぎない。

 NPCであれば、こうはいかない。ゲーム内のNPCは、DMMO-RPGで遊ぶプレイヤーの身体と同様に実存を与えられたキャラクターであり、ただ、その中身がプレイヤーでない(ノンプレイヤー)というだけの存在。()れようと思えば()れられるし、敵のNPCの肉体を適正な手段で攻撃すれば、ヒットダメージを与えられる。これが味方のNPCでも、同士討ち不可能なゲームなので「0point」表記が浮かぶ。ちょうど、机や椅子のようなオブジェクトと同様に、ゲーム内に厳然と存在するモノなのだ。

 なのに、目の前の少女──完全停止中のルベドは、体の“ある部分”を除いて、すべてが「素通り」してしまう。これだけを見れば、少女は亡霊(ゴースト)死霊(レイス)などの非実体の存在にしか思えないが、たっち・みーを吹き飛ばしていた“手”を、タブラの細い指先が、まるで宝石を取り扱うような手つきで“撫でることが可能”なのは、おかしい。ありえない。

 タブラは誇らしげに説明する。

 

「対個人戦闘……理論上、近接職最強のワールドチャンピオンにナザリックが攻め込まれても、この()をぶつければ、ご覧の通りに安心ってわけです」

 

 ワールドチャンピオン、たっち・みーさえも凌駕する──“相性勝ち”可能な戦闘力の発揮。

 タブラが構築した、完全停止状態の少女は、初見では間違いなくNPCやモンスターだと錯覚を起こすように、製作者である大錬金術師が、丹念に入念にこしらえた──ナザリックの防衛機能を担う“システム”であった。

 もしも、このナザリック地下大墳墓が──ギルド:アインズ・ウール・ゴウンが、上位ギルドなどに属するワールドチャンピオンなどから本格的に敵対され侵攻された場合、その秘密兵器として、タブラが設計からグラフィックまで用意したのが、この少女(ルベド)であった。

 モモンガは「あっ」と気づいた。

 

「じゃあ、ナザリックの自由設計データ──あれだけのデータ量を使い込んだのって……?」

「そう! まさにそのために! あれだけのデータ量が必要だったんですよ!」

 

 タブラは、いの一番に気づいてくれた友に、言祝(ことほ)ぐかのごとく頷きを返す。

 モモンガたちは一様に納得してしまった。

 

 ナザリック内部のギミックの二割──五分の一を作り込んだ彼のせいで、結構な自由設定データ量を食いつぶされ、他のメンバーからブーイングが出た際、タブラ自身が課金アイテムを買い集めることで、使えなくなった分のデータ量をなんとかした。

 

 

 だが、ふと疑問が浮かぶ。

 

 

 いかに広大なナザリック内部のギミックの、その二割──たった20%を作り込んだ程度で、他のメンバーから苦言が飛ぶほどのデータ量を使い潰せるものだろうか? これが半分の50%やそれ以上ならばいざ知らず、タブラ・スマラグディナが請け負ったギミックは……繰り返すが「二割」だけ。

 もう一人のギミック担当や、ちょっとした“お遊び”程度に協力したメンバーたちで、残りの八割を請け負ったはずなのに、タブラひとりだけで、それだけのデータ容量を食い尽くすなど、常識的に考えてありえることだろうか? メンバーのなかには「まさか、タブラさんはとんでもないモノを作っているのでは?」と疑う者もあり、それが運営にギルドごとBANされるような代物であったらと思うと、居てもたってもいられなかった。

 

 

 しかし、その答えはとんでもない形で披露された。メンバー全員の理解と納得を得ることができた。

 ナザリック最強を誇るプレイヤー、ワールドチャンピオンたる正義漢、たっち・みーに伍するシステムを構築したとあっては、「やむなし」という認識である。

 

 少女の神がかった戦闘。

 暴風雨のごとき蹂躙性。

 ワールドチャンピオンを単身で迎撃可能なモノ。

【神人合一】を体現した、一人の錬金術師(プレイヤー)の最高傑作。

 そうして、タブラ・スマラグディナという“大錬金術師”が膨大なデータ量を消費して完成させたのが、このナザリック第八階層に設置された存在。

 

 

 

 ──神の暴威と人の形状の融合物……ルベド。

 

 

 

 第八階層の“荒野”をさすらう赤い色の少女は、──拠点NPCではない。

 

 その正体は、言うなればナザリック地下大墳墓の“ギミック”に相当する。

 NPCよりも道具じみた、NPCを正確に真似しただけの、“立体映像装置”の類……あるいは各階層に存在するフィールドエフェクト──“敵を攻撃する自然現象を、少女の姿に擬人化したモノ(・・・・・・・・・・・・)”。敵を凍えさせる氷雪や敵を燃焼させる溶岩が、少女の姿に転じたようなイメージが近いだろう。

 

 だからこそ、ルベドの脅威的な移動能力は──否、移動能力というのは不適切である。

 ルベドは、この荒野に存在する侵入者すべての傍にいるもの(・・・・・・)

 太陽の光、驟雨の雫、氷河に降る冷気、火山に満ちる熱──それと同じ(・・)

 ルベドは移動していたのではなく、いわば、この第八階層“全域”に存在しているモノ。

 まさに【神と人が合一】したモノ。

 神のごとく傍近くに降り立ち、人の形状で暴虐を振るうシステム。

 NPCに似せるために、わざと、移動している風に動作することで、敵の目を欺き攪乱しながら、侵入者を必ず滅ぼす挙を確実に成し遂げるためのシステムの(わざ)が、今回の戦闘でも遺漏なく発揮された。

 

 彼女はNPCのような実体と実態を持たず、製作者にプログラムされた通りの行動と言動を少女の映像として投影しているだけの、ただの影法師。

 

 その手足……攻撃手段として振るわれる暴力の発生機関……ナザリック内部の世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”と繋がった「神の見えざる手足」こそが、彼女の本質たる殲滅能力・物理攻撃と魔法攻撃の“同時攻撃”を支えるもの。その手足で貫き砕く対象は、何者であろうとも防ぎようはなく、また、繰り出される敵の神器級(ゴッズ)以下の位に位置する武器や防具を瞬きの内に蒸発・炭化……崩壊させることが可能という“神”の権能──無敵の暴虐を行使できる。そして、ギミック故に、彼女を発生させる“本体”の装置類(アイテム)を持ち歩けば、ナザリックのどこにでも配置することが可能となっていた。

 

 故にこそ。ルベドは「最強」たり得た。

 

 どんなに攻撃しても、ルベドの体躯を吹き飛ばすことは不可能。

 そもそもにおいて、ルベドにはそういった体躯が、体力(HP)などのステータスが、元々そなわっていないのだから。

 

 どれほどの豪腕も、どれほどの魔法も、どれほどの軍団も、どのような特殊技術(スキル)も──たとえワールドチャンピオンの一撃であっても、ルベドの肉体──映像の少女を「素通り」してしまうだけ。プレイヤーは彼女の本質に気づく間もなく、少女の繰り出す徒手空拳の絶技……という名の虚像に翻弄され殲滅される始末。

 

 あの、天使の澱の拠点NPC三体の戦闘においても、それは同じ。

 ルベドは自分を通過するだけの物理攻撃や魔法攻撃を完全に無視し、敵が己の本質に気づくような事態にならぬよう、適時適正に距離をとりつつ果断に攻め立て、無敵の“手”と“足”──生命樹(セフィロト)たちの広域殲滅能力を“一点集中”の対個人に絞り込んだ暴圧の発生機関によって、あらゆるプレイヤーを撃砕する能力を発揮。第八階層内に存在する、隠されたルベドの本体たちが敵の攻撃を把握・解析・認識し、その敵たちの中で、最も優先的に破壊・殲滅すべき対象を策定する。

 目の前で数多くの邪魔な壁役・天使(ヤザタ)を招来させ強化する指揮官(ウォフ)が最優先に排除すべき存在であると認められ、ついで狂戦士化による大幅なステータス増幅を成した僧兵(タイシャ)が刈り取られ、最後に残った少年兵(ナタ)は、前者二人に比較すれば圧倒的に優先度は低かった。

 

 そして、ウォフとタイシャ、二人の天使が起動させるはずだった“足止め”スキル。

 だが、天使の足止めは、自分を殺したPCやNPC、モンスターなどを対象に発揮される能力。

 自然現象(フィールド)そのものに殺された──つまり自然死したような場合に、“足止め”の力が機能を発揮するはずがない。

 特に、「単一の敵」を縛ることしかできない天使の澱のNPCでは、不可能であった。

 

 

 

 無論、ユグドラシルの仕様上、ルベドにも「弱点」は、ある。

 

 それも数限りない弱点が。

 

 

 

 一つ目は、生命樹(セフィロト)と同じ世界級(ワールド)アイテムに繋がっているため、彼等と同じ運用方法上の“弱点”……世界級(ワールド)アイテム起動の際に消耗消費されるギルドの運営資金を、乱用しすぎると蕩尽・枯渇させかねないこと。二つ目は対個人戦闘に特化した存在故に、広域を大多数同時に殲滅する能力は持ち得ない──敵を攻撃するときは必ず「一体ずつ」しか殺せないこと。三つ目は、指揮権限を与えられた者、たとえばギルド長であるモモンガが権限を委譲せずに死んだ場合、完全に「暴走」してしまう・管理不能となること(無論、最悪の事態に備えての予防策はあるが)。四つ目は、ルベドの立体映像を看破し、その投影機構そのものへの攻撃は可能ということ──つまり、ルベドを攻撃しようと思えば、第八階層に隠されたルベドの“本体すべて”を破壊さえすれば、機能は完全に停止してしまうこと(なので、第八階層という荒野、限られた広さのフィールド内で運用することがベストとされる)。五つ目は、それだけのシステム故に、一度完全に破壊されるなどしたら、復旧費用はかなりの金額になること──少なくとも、ユグドラシル金貨五億枚どころでは済まない計算となる。

 

 さらに六つ目は、ルベドは“敵”を殺すことに特化するあまり、“敵の死体”や“残骸”、ただの「オブジェクト」の類を、優先破壊対象・排除目標に据えることはできないこと。

 

 ウォフの“左腕”を剥ぎ取ってみせた際、ルベドは天使の巨腕を──「掴んで」──「棄てた」

 ナタの掌がルベドの手を掴んだまま絶命した際、ルベドは彼の死体を「殲滅目標から外した」

 

 荒野の真ん中に転移してきた敵のギルド拠点……ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)にしても、もともとのプログラムで破壊するように設定された目標でない以上、侵入や侵略などの意志や思案など不可能。

 NPC以上に与えられた任務内容に忠実でいるため、自分に付着する死体(オブジェクト)処理は後回しにされるわけだ。

 

 七つ目は、タイシャが気づいたように、接触状態で敵の思考が継続してしまった=即殺できなかった場合、少女の肉体に敵の方から触れるなどした際に、実存のない、ただの映像であることは「一発でバレる」こと。だからこそ、ルベドは無敵に近い暴力によって、敵を一撃で屠るか、それが無理ならば急速離脱するという挙動を繰り返し、接近と後退・衝突と回避を繰り返すよう活動することになっている。そして、かつての討伐隊において、ほとんどのプレイヤーは魔力やスキルを消耗していた上、まさか「ただの映像」がこれだけの蹂躙劇をしているとは思えなかったが故に、誰もその可能性を想起することすら出来なかったのである。

 

 八つ目は、ルベドというシステム……最高傑作は、完全にタブラ・スマラグディナの独自設計であり、その膨大な設計データ量を再現することは、他の誰にも不可能であったこと。データはタブラの手によってブラックボックス化され、彼の要請通り、モモンガはギルドメンバーにも、彼の珠玉の傑作であるルベドの設計情報を公開することはなかった。

 ユグドラシルの、ゲームの無限の可能性を信じたタブラ・スマラグディナが生み出した、脅威……ただのシステムプログラム──よく出来た「NPCの紛い物」で、(タブラ)生命樹(セフィロト)たちと伍するだけの存在・ルベドを構築して見せた。

 

 そして、

 

 ゲームではただのシステムであったが故に、この異世界においても、ルベドには感情がない。表情がない。意識もなければ、意思もない。

 いかに天才的な超絶技巧を成し遂げた“大錬金術師”タブラ・スマラグディナであっても、ルベドの表情を動かす──「唇を動かして発話させる」といった機能までは付随(プログラム)させられなかった。極限まで無駄を省くために、ルベドのグラフィックも幼く小さくせざるをえなかった。当の本人(タブラ)曰く「こういう怪物じみた力を持った少女っていうのも、ギャップ萌えですよね~」とも言っていたが。

 その結果が、ナザリック地下大墳墓の本来の自由設計データ量を使い潰すほどのシステム構築……ルベド誕生の経緯であった。

 

 

 

 

 ルベドを(ほふ)り、消失させるほどの手段は、ごく限られている。

 彼女の“本体すべて”を「完全に同時に」破壊するだけの、超広範囲を攻撃できる手段が必須。

 それほどの能力は、ナザリック内部でも稀少。

 アインズのワールドアイテムの使用……特に、第八階層のあれらこと生命樹(セフィロト)たちと併用することによって、それだけのことが可能になる。

 生命樹(セフィロト)の元ネタ提供者であるタブラ(いわ)く、

 

 

「さすがのルベドも、モモンガさんの世界級(ワールド)アイテムを使った“生命樹(セフィロト)”の『死』──あの“死の樹(クリフォト)”達には、完璧にやられちゃいますけどね」

 

 

「世界そのものさえも殺す」という設定の死霊系魔法詠唱者(ネクロマンサー)の究極地点──“エクリプス”。

 その第一発見者にして最高レベル5の取得者に贈呈された、〇〇〇〇・オブ・モモンガ。

 タブラは、モモンガの存在を最頂点に据えるかのような弱点を、ナザリック最強の個に残しておいたのだ。

 事実、あの第八階層に乗り込んできた1500人を、ヴィクティムの足止めで動けなくなった侵入者たちを、モモンガの発動したワールドアイテムによって変貌……“死”へと転換された生命樹(セフィロト)たちの暴虐…………“死の樹(クリフォト)”は、共に戦っているルベドをも飲み込み、消滅させていた。

 

 

 

 

 ────しかし、ここで大きな疑問が残る。

 

 このルベドの膨大な設計データ(少女の精巧な立体グラフィック動画映像・一部の隙もなく構築された戦闘プログラム・世界級(ワールド)アイテムの余剰能力を流用する“手足”)にしても、ゲームや魔術や映画やオカルトや神話の知識にしても、タブラ・スマラグディナという個人が持っていた情報量や技術力は、あまりにも異常に過ぎた……異様でしかなかった。

 あの時代。2100年代。

 企業が完全に社会秩序を牛耳る世界において、アインズ──モモンガが『小学校に通えた』ことすら恵まれた環境と言われる中で……彼が持っていた知識量は、一般個人の限界を過剰に超越していたと言える。小学校で教えることは、企業の経営する会社で生きていくことに最適化した「職業訓練」じみた内容ばかり。義務教育のあった時代の情操教育など、より上等の教育機関でようやく施される程度のディストピアにおいて、一体どれほど恵まれた環境にいれば、これだけの知識を、情報を、ゲームに生かそうという余裕や遊び心を、養うことができたというのか。

 また、彼はどういうわけか、モモンガも知らぬうちに、宝物殿に蔵されているべき世界級(ワールド)アイテムのひとつを、玉座の間に詰める自作NPC──守護者統括・アルベドに託していたり……そもそもにおいて本来は無料で遊べるゲームのダンジョン拠点を作り込む上で、かなりの課金アイテムを購入できるなどの資金力の面においても……割と、謎が多すぎる存在であった。

 さらには、

 彼がどうしてそこまでナザリック地下大墳墓の強化に貢献したのかも、多くを語ることはなかった。

 

 彼は、“大錬金術師”タブラ・スマラグディナは、果たして何者であったのだろうか、という──当然の疑問。

 

 

 

 

 アインズはそういった過去の疑問の芽を摘み取り放り棄てながら、今優先すべきことを考える。

 100年後の異世界で、このナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”に攻め込むという奇跡を成就させた、第九階層を一心に目指す(カワウソ)のことだけを、思う。

 

 第八階層で三体の敵NPCを掃滅したルベドは、新たな殲滅対象──第九階層を目指す敵を“本体たち”が見つけて、荒野の宙を彗星のように飛んでいく。

 少年兵の死体(オブジェクト)を、その細腕に貫き携えたまま。

 

 もはやアインズに、迷っている暇はなかった。

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 カワウソは、荒野の丘の上を目指す。

 世界級(ワールド)アイテムの赤黒い円環を、黒髪の頭上に戻した頭で、思い出す。

 

 そこに、かつて、第八階層にまで到達した討伐隊を、まんまと罠にはまった無様な侵入者を笑いに来たように現れた、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの構成員(メンバー)たち。そんな異形種プレイヤーたちに守られるようにして姿を見せたギルド長が、その腹胴に携えていた紅玉を思わせる巨球を取り出し掲げ、使用した瞬間に起こった────“死”。

 宙も大地も星々も、(くら)くて(くら)い漆黒に染まり果て、世界全体から奏でられる悲鳴じみた叫喚と慟哭と暴声と音圧が響き渡った。

 そして、頭上の星々のみならず、荒野の大地そのものが“死”の化身に転じたがごとき威容を見せつけ、“足止め”を受けた討伐隊を包囲し……虐殺。

 九つの星が黒い牙と眼を剥き出しにして────笑い、歌い、恐れ、慄き、叫び、狂い、泣き、喚き、怒り、嘆き、讃え────“死が「降りてくる」”

 

 誰も、何も、できなかった。

 抵抗も闘争も──

 逃亡も分析も──

 理解も感得も──

 ひとつとして満足にできないほどの、純粋な“死”。

 

 同時に、討伐隊の──仲間たち12人の、魂切(たまぎ)る絶叫が、動画には収められていた。

 

『ううわぁああああああああああああ!?』

『いやああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!』

『やだやだやだやだやだやだ、やだァ!?』

『ちょッ、グロすぎでしょ、こんなの!』

『なんだよコレ! なんなんだコレぇ?!』

『え、え、え、え、え、うそ──ええ?』

『落ちてくるぞ! 防御っ! 防御を!』

『そんなの、できるわけねぇだろがッ!』

『──落ちてるというか……これって?』

『ギルド武器を、リーダーを護れ、副長(ふらん)!!』

『だめッ、──うう動けない!! エリィッ!!』

『…………………………………………ひッ』

 

 瞬間だった。

 

 闇の中に落ちていったカワウソの仲間たちは、全員が死んだ。

 黒い濁流とも暴風とも崩落とも言える事象によって、討伐隊は鏖殺(おうさつ)された。

 悪夢のような動画の中で、神器級(ゴッズ)相当のギルド武器は、木っ端のごとく砕けて、消えた。

 

 星の奏でる歪んだ笑声が、最後まで耳に残った。

 

 カワウソの旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)は、崩壊。

 ナザリック第三階層で死に、ギルド拠点の屋敷に戻っていたカワウソは、ギルド崩壊と時を同じくして、拠点である屋敷の内装やNPCたち──赤い杖を握る動像の女性や狼男のような風貌の黒いジャッカル、インドの破壊神じみた男やハートの弓を携えた赤子の天使など──が、融けて消える様を見届けた。

 そして、カワウソたちがそこに築いたすべては、電子の世界に還されたのだ。

 

 あの日から、カワウソは『敗者の烙印』を押された──敗北者となった。

 

 

 

 

 そうして、今。

 かつては熾天使だった堕天使は、息を荒げ、大粒の汗を落とし、腰帯(ベルト)にある壊れた剣がそこに「在る」ことを確かめるように握りながら、荒野を(はし)る。

 

「あと……少し……」

 

 カワウソは、自分のギルド──その拠点NPCたちを引き連れて、この異世界で無謀な挑戦を試みた。

 ガブやラファ達、七体のNPCによる“足止め”スキル発動によって、宙にある七つの星を停止させた。

 あの赤い少女の猛攻……蹂躙にさらされたウォフとタイシャとナタを置き捨て、荒野を駆け抜けた。

 

「あと少しだ──」

 

 後悔も罪悪感もかなぐり捨てて、ただ、彼等と共に目指した場所へ、ひた走る。

 そうして。

 あと100メートルのところに、まぎれもない“ゴール”が、見える。

 

「──俺の」

 

 敵の伏兵を最小限に警戒しつつ、ミカという女天使と、クピドという赤子の兵隊を護衛につけて、長年夢にまで見た場所へと、一心に駆ける。

 神器級(ゴッズ)の足甲で強化されたカワウソの速度は、護衛たちを置き捨てる速さで前進してしまいそうになるが、それはできない。ここで僅かに残った護衛を捨ててしまえば、次の階層で戦うことは至難の業。それぐらいの思考力は、堕天使の沸いた脳髄でも判断がついた。ミカとクピドも主人の脚に追いつくべく、周辺警戒に徹しながら、各々の翼を広げ低空を舞う。カワウソが振り返るたびに頷く護衛の表情に、恐れも何もありはしない。

 

「──俺たちは」

 

 カワウソは、我知らず言葉を零す。

 ──俺たちはここまで来たぞ、と。

 これまでのすべてが、走馬灯のように頭の中を駆け巡り、ここから始まる先のすべてが、堕天使の心を奮い立たせる。

 カワウソは、自分が犠牲にしたものに、足止め役のために死んでいったNPCたちに、心の奥底から感謝を紡ぐ。彼らのおかげで、ここまで来れた。ここまで戦い続けてきた。思うたびに赤茶けた砂礫を踏み超える脚は軽くなり、熱いほどの血潮が、希望と期待に震える鼓動が、心地よい。

 そして……第八階層の荒野、その丘の上に堂々と(そび)(たたず)む転移の鏡まで、

 あと10メートル。

 

「これで、俺たちの──」

 

 カワウソは、浅黒い肌の腕を──堕天使の手を伸ばす。

 ミカとクピドという、たった二人の護衛を引き連れて。

 第八階層の次・第九階層へ至る門へと──疾走。

 たまらない思いが、声となって漏れる。

 

「俺の」

 

 転移の鏡まで、

 あと1メートル。

 

「勝ちだッ!」

 

 

 

 ──バン

 

 

 

「…………へ?」

 

 カワウソは激突しそうな勢いで、鏡に手を這わせていた。

 しかし──

 

「な、んで?」

 

 堕天使の手は、鏡の奥に沈んでいかない。

 呆けた顔の堕天使が鏡面に映っている。浅黒い肌に黒い髪。眼窩のような(クマ)に縁どられる濁った眼がいっぱいに見開かれ、愕然という表情の自分自身に対面し、その手を──掌を、ぴったり重ね合わせていた。

 カワウソは、鏡の中の自分と、両の手を叩きあう。

 ただバンバンと音を奏でる。

 それだけ。

 

「え……え?」

 

 まるで普通の鏡のようだ。

 いいや、これは普通の鏡ではない。

 拠点の各階層をつなぐアイテムは、そこに確かに存在している。

 次の階層へ至るはずの転移門……その魔法のアイテムに他ならない、はず。

 なのに、手は通らない。

 第九階層へ行けない。

 

「うそ、だろ……?」

 

 拳を握って鏡面を叩く。ドンドンと音だけが響く。数度続けたそれは、もはや殴りつける威力に変わる。だが、魔法のアイテムを破壊できるわけもなく、カワウソは手の甲を痛めながら、執拗に確認作業を繰り返す。鏡に何かギミックでもあるのか……あるいは何らかの誤作動を信じるが、転移の鏡は、その機能を発揮することは、ない。

 

「嘘だ。……な……なんで……なんで、なんでなんで!」

 

 カワウソは、イジメられた子供がイジメの理由を尋ねるような弱弱しい声で、鏡を叩き続ける。

 ふと、背後に控える女天使が、兜の面覆いを上げ、苦い声で推察する。

 

「……まさか──ッ、偽、物?」

「ばかな──そんな、バカな!」

 

 カワウソは何度も見てきた。

 あの討伐隊の動画映像で。討伐隊を倒すために、世界級(ワールド)アイテムを行使すべく、この階層に姿を現したモモンガたち。彼等は確実に、この鏡を通っていた。この鏡が、ナザリックの最奥に通じる鏡だと、そう……思い込んだ。

 

くそったれ(ファック)ッ! まさか俺たちを、この階層に閉じ込めたってえのかぁ! ア˝ア˝ぁ!?」

 

 クピドが周囲を()めつけるように見渡す。赤ん坊の口が紡ぐには汚すぎる罵詈雑言を、鏡に向かって、このギルドの奥に控えるはずの者共へと吐き散らす。

 状況は、その通りにしか思えない。

 それ以外の解答など、ありえない。

 

「畜生……ちくしょう……チクショ……」

 

 システム・アリアドネはどうなったとか──やはりアインズ・ウール・ゴウンは悪辣な連中だとか──そんなことを思考する時間すら惜しい。必要なものは、状況への的確な対処法のみ。

 だが、それがカワウソには、わからない。

 

 どうすればいい?

 どうすればいい!

 どうする。

 どうする。どうする。

 どうする。どうする。どうする!!

 どうして、どうしたら、どうにかして、どうにかしないと、どうやってどうなってどうなればどういうふうにどうしようどうしようどうしようどうしようもない!!!

 

 思考は加速するが、(いたずら)に空転するのみ。

 ギルド拠点の転移鏡(ゲート)への干渉は、不可能。他の鏡を、転移門(ゲート)を探すにしても、それがこの階層のどこにあるのか、まるで見当もつかない。もう一回、超位魔法〈星に願いを〉を起動するには、まだリキャストタイムが残っている。あの転移から、まだ十数分しか経っていない。ナザリック内部から外へ逃げるにしても、転移阻害がそれを許さない。ならば、第八から第七階層へと戻る道を行くのか? これまでの苦労を、ガブやウォフたち……NPCの死を、水泡(すいほう)にして──

 

「こ、こんな──こんな……ッ!!」

 

 こんな、終わり、なのか──

 思うごとに、唇を白くなるほど噛み締めてしまう。嗚咽がこぼれかけるのを、ひたすら堪える。

 後悔や未練が怒濤のように脳内へ押し寄せ、次の手立てを考慮する冷静さを失わせた。

 

 カワウソは知りようがなかったが──

 アインズは、この第八階層に転移したカワウソたち侵入者を見て、こう、思っていた。

 

 

 

 ──ゴールになんてたどり着けるはずもないのに(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 そう。

 カワウソは知りようがなかった。知る(すべ)などありえなかった。

 

 この第八階層の正当な出入り口は、諸事情により、とうの昔に“閉鎖されていたのだ”。

 

 怒りと嘆きと疑問符の渦に飲み込まれる堕天使。

 そんな男にかわって、ミカは冷静に、周囲の状況に目を配っていた。

 そして──

 

 

「ッ!! 特殊技術(スキル)、“全体(マス)後退(リトリート)”!!!」

 

 

 女天使の絶叫に近い、スキルの発動。

 唐突に発動された防御役(ミカ)の回避防御の特殊技術(スキル)

 鏡にしがみついていたカワウソをはじめ、この場にいる三人が、全速力で後退させられた、

 刹那、

 

 

 

 

 ド  ────────  

 

 

 

 という豪音。

 空気どころか、空間すら圧迫したような音の暴力が降り注ぎ、荒野の丘に隕石か流星……彗星の墜落じみた衝撃と爆音を奔らせる。

 

「く、ウァっ?!!」

 

 姿勢を低くし、身構えるカワウソたち。ミカが天使の翼で堕天使を覆い、クピドが必死の形相で銃器を構え、起こった出来事にグラサン越しの目を凝らす。

 それ(・・)は、カワウソたちが先ほどまでいた地点に降り立ち、腕を振り抜き振り向いて、逃げた殲滅対象たちを、確認。

 その拍子に、その細腕で貫いたままだった死体──というよりも残骸を、さらに打ち壊す結果を、生む。

 

 残骸から零れるように外れ落ちたのは、動像(ゴーレム)の、頭。

 

 首元を抉り千切られ、先の衝撃と腕の回転速度によって、ゴロゴロともげて転がるそれを、カワウソは、注視せずにはいられない。

 

 

 

 創造主(カワウソ)足許(あしもと)へ、

 ついに帰還を果たした、

 約束通りに戻ってきた、

 少年兵の、

 その、

 頭部。

 

 

 

「…………ナ、タ?」

 

 カワウソは、残骸の名を、呼ぶ。

『必ず後で追いつく』と、『戻る』と言って別れたNPC──

 深い水底のような蒼い髪。白蓮の花のような白磁の(かんばぜ)

 小さく幼く(いとけな)い──元気(げんき)溌剌(はつらつ)天真爛漫(てんしんらんまん)だった──花の動像(フラワー・ゴーレム)

 荒野の塵埃(じんあい)に汚れた、少年の、頭。

 

「……ナタ?」

 

 カワウソが再び呟いた瞬間、少年の無表情極まるズタボロの死相は(ほど)け、散る華のような、舞い落ちる花弁(はなびら)の集合物にグシャッと変じて、消滅。

 花の動像(フラワー・ゴーレム)たる少年兵──近接戦闘の申し子──ギルド最強の「矛」として創った物理火力役のNPCが、果てた。

 

 

 

《 さらなる敵性対象、確認 》

 

 

 

 震えるカワウソは向き返った。

 貫き抉りっぱなしになっていた矮躯を、

 首から上を失った少年の四肢のない胴体を、

 ハラハラと花弁を零して消滅しかけている骸を、

 その赤い少女は、何の感慨も懐いていないように掴み──真横へ放擲。

 (なげう)たれた物体は、少年の胴体だけの残骸は、荒野の大地に触れるかどうかという瞬間、砕け散った頭部と同じ花弁(オブジェクト)となって、消え去った。

 かろうじて少女の手首にぶら下がっていた左手も、花弁と化して剥がれ落ちる。

 

「──ナ……タ……ッ!」

 

 答える声など、ない。

 ナタは、死んだ。

 ナタまでも死んだ。

 ウォフも、タイシャも。

 彼の、彼等の、足止めの任務は、…………失敗した。

 

「──退()けぇ! 御主人っ! ここは俺がぁ!」

 

 裂帛(れっぱく)の呼気を宿す兵士の重低音が、意識の停滞するカワウソの前へ──勇躍。

 グラサンの赤子が対物ライフルの銃身を、まるで槍衾を築く槍兵のごとく突き出し、現れた暴虐の化身に向け、構える。

 

「よ──よせ、クピド!」

 

 叫んだが、遅かった。

 紅一色の少女が、その身を沈める。

 

《 敵対行動を確認 》

 

 ──戦闘態勢を、構築する、赤い、影。

 

《 Terminate(ターミネイト) 》

 

 すべてが終わりかけた、その時。

 

 

 

 

 

「『アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ』」

 

 

 

 

 

 瞬きの間もなく──暴虐が、蹂躙が、少女が、とまった。

 

「ぃ…………、なにぃ?」

 

 クピドの顔面を打ちのめし抉らんとした貫手が、彼の髪先数ミリという地点で、停止。

 息を呑む天使たち。

 誰も全く反応できなかった、怒濤にして弩級の速攻能力。

 少女の体躯で、あれほどの速度で移動したとは思えないほど、ルベドの停止は完全に過ぎた。吹き荒れる暴風も衝撃もない。事実、驚愕に静止するクピドの黄金の髪房は、ひとそよぎ分の運動を示さない。

 そんな“敵”の蒼白い表情など見えていないかのように、少女(ルベド)は何もかもを置き去りにして、ただ、己に組み込まれたプログラムコードに則し、動く。

 

《 ――当ギルド内において、有効な『上位命令文(パスワード)』を確認。さらに、本日有効な、『完全停止命令文』の入力をお願いします 》

 

 尚、それが確認されない場合は、周辺存在殲滅のための機能が発揮されます──と、“唇を全く動かすことのない”攻撃姿勢のまま、鋼鉄のごとく硬直する少女から、声が、聞こえてくる。

 あるいは少女の声は、この階層全体から紡がれたような錯覚さえ、カワウソは覚えてならなかった。……錯覚ではなかったのかもわからない。

 少女の背後の鏡の「横」より現れた、骸骨姿の魔法使い……死の超越者(オーバーロード)の姿をした彼が、王者のごとく整然と、悠然と、冷然と、宣告する。

 

「──『人、その友のために命を捨てること、これより大いなる愛はない』」

 

 口から出まかせで紡げるはずのない、それはギミックコード。

 ギルドのギミック発動や解除のために設定された一節を、この地の支配者は朗々と唱えていた。

 それを受諾した少女は、戦闘態勢を解除し、粛々と言葉を紡いでいく。

 

《 本日有効なコードを確認。『停止命令』を受諾。殲滅活動(ターミネイト)終了。

  Rubedo(ルベド)は、通常行動に戻ります 》

 

 主人の「ご苦労」という言葉に、少女はまったく反応を見せない。

 それまでの暴虐が嘘であったかのように、ルベドという存在は、目の前の敵対者(カワウソ)たちを置き去りにして、ドレスの裾を翻し、荒野の中心へと向き直り、少女らしい“とことこ”とした足取りで歩き去っていく。

 この地の存在──NPCにしても機械的で、何の感情も意志も感じさせない少女を、カワウソたちと、少女の主人と思しき者らは、見送るでもなく見送っていく。

 危機は去った。

 去ったように思われた。

 だが、カワウソは、それは「ありえない」とわかっている。

 堕天使は戦慄を痛みとして心臓に抱え、転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)とは違う場所、鏡の横から転移門(ゲート)の闇を通り現れた救済者たち──あるいは魔王たちを、振り返り、見る。

 魔王は──魔導王は、告げる。

 

 

 

「すまない。

 実は、こちらの世界に転移した際、この第八階層は、ほとんど封鎖していたのだ。だから、この門は使えない──使えなかったんだ(・・・・・・・・)

 

 

 

 魔王を護るかのごとく控える、二人の守護者たちを連れた、骸骨の魔法使い。

 彼のそば近くには、墳墓の表層で見た乙女が、二人──

 

 真紅に濡れた鎧を着込み、蝙蝠の翼を広げた銀髪の戦乙女。

 漆黒の鎧に身を包んだ、赤い少女に似ている黒髪の女悪魔。

 

 そして、

 

 重く黒く、燦然と輝く後光を背負うがごとき、魔を導く王。

 

「……アインズ・ウール・ゴウン、ギルド長……」

 

 何故と問う、その前に。

 カワウソは、確かめる。

 確かめなくてはならないことが、ある。

 

「……………………モモンガ、……か?」

 

 堕天使の紡ぐ積日の問いかけに、魔王──魔導王は悠然と頷く。

 頷いてしまう。

 

「いかにも」

 

 否定されなかった。

 否定する理由がなかった。

 彼は、目の前の最上位アンデッド……死の支配者(オーバーロード)は、身に帯びる極上の装身具と武装の数々は、カワウソが生産都市(アベリオン)で屠り潰した同種たちのそれとは、まるで比較にならないほどの威を発露している。

 ユグドラシルの攻略情報、Wikiページで幾度も閲覧した目撃情報の通りだ。

 

 闇夜を切り裂き衣に変えたような、漆黒のローブ。

 天を覆い尽くす綺羅星のごとき、照り煌く宝飾の彩。

 骸骨の表情(かんばせ)──不死者の眼窩に灯り続ける、熾火(おきび)の瞳。

 

 カワウソが知らない“杖”──二匹の蛇が絡み合うような構造の──幾多の宝石をはめこみ、典雅と豪奢を極めた黄金の武装は、このギルドの証とも呼ぶべき武器の、「外装だけを似せた試作品」のひとつ。

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの長。

 モモンガとしての姿、そのもの。

 だが彼は、モモンガは明言する。

 

しかし(・・・)。今の私の名は、“アインズ・ウール・ゴウン”……アインズと呼んでくれて構わない」

 

 はい、そうですか、などと頷けるはずもない。

 聞きたいことは山ほどあった。

 この異世界のこと。この魔導国のこと。

 このナザリック地下大墳墓が存在すること。

 この第八階層のあれら(・・・)や、あの赤い少女(・・・・)のこと。

 ──この世界で、この国で、モモンガが……“アインズ・ウール・ゴウン”を名乗っていること。

 

 なのに。

 カワウソは、堕天使の口を(つぐ)む。固く唇を閉ざしてしまう。

 アインズの左右を守護する者たちの気迫に、気圧(けお)されたからでは、ない。

 カワウソの左右を護るように武器を構えるNPCたちの警戒心に圧倒されたからでは、ない。

 

(……ようやく)

 

 ようやく、会えた。

 はじめて、彼と会えた。

 

 あのゲームで、ユグドラシルで、何度も、何度も何度も、ここ(・・)に挑んできた。

 彼のギルドに挑戦してきた。

 仲間たちと別れてからも、カワウソはずっと、アインズ・ウール・ゴウンを、このナザリック地下大墳墓を、攻略すべく挑み、戦い続けてきた。

 復讐の対象として──復仇の存在として──幾度も望み欲したアインズ・ウール・ゴウンを体現する、ユグドラシルプレイヤー。

 

 かつて。

 誰もがカワウソを(わら)った。

 誰もがカワウソを(わら)った。

 誰もがカワウソを(あざわら)った。

 誰もが「無理だ」と諦め……誰もが「無駄だ」と諭そうとし……誰もがカワウソのことを「馬鹿な奴だ」と蔑み侮り、『敗者の烙印』を押された姿と共に、笑いものにし続けた。

 かつての仲間たちも、誰一人として、共感も理解もしてくれなかった。

 そうして、それは仕方のないこと。

 カワウソも、自分がどれほど愚かしいか理解している。

 それでも、カワウソは諦めなかった。諦めることだけは、しなかったし、できなかった。

 

 でも、カワウソはやってみせた。

 やり遂げることが、できたのだ。

 

 無言無音で、堕天使は感動に打ち震えすらした。

 そんな堕天使の硬直を知ってか知らずか、アインズは吹き出すように声をあげる。

 

「フフ。まったく…………よもや、この第八階層に、直接乗り込む“馬鹿”がいようとは」

 

 その通りだ。

 カワウソは自分で自分を馬鹿だと思う。

 誰よりも何よりも、カワウソは己の愚かさを──こんな場所にまで至るほどに、諦めの悪い強情な奴である事実を、わかっている。

 

 わかっていても、どうしようもなかった。

 だが。

 だからこそ。

 自分は今、──ここにいる。

 

「……馬鹿、だと?」

「ハッ。撤回を要求しても、かまわねぇかぁ?」

 

 敵の首領が吐き飛ばした侮辱を看過できず、ミカとクピドが身構える。

 

「無礼者共がァッ!」

「愚劣極まる天使共が、誰に向かって要求など!」

 

 天使二人に応じるように、吸血鬼と女悪魔が得物を振りかざそうとして──

 

「「 やめろ、おまえたち 」」

 

 双方の主人の声が、完全に重なった。

 抗弁する配下たちを振り返って、制するタイミングまで合致してしまう。

 四人はとりあえず矛を納める姿勢を見せた。だが互いの雰囲気は険悪を極め、もはや敵意と悪意と戦意と殺意で、何もない空間が炎上しているかのような焦げ臭さを錯覚させる。

 

「ふっ。──すまない。馬鹿というのは、言い過ぎたかな?」

 

 カワウソは驚いた。

 骸骨の、物語に出てくる魔王然とした存在が、まるで似合わぬ静かな声音で、己が非礼を涼やかに()びてみせたことに。

 頭を下げることこそない──だが、それこそが「王者の謝辞」だと判りきったような、実に堂に入った振る舞いで、カワウソと同じユグドラシルプレイヤーと思しき存在が応対してきたのだ。

 カワウソは、まだ確信が持てない。

 

「……どうして」

「うん?」

「どうして、おまえが……ギルド長自ら、この第八階層に?」

 

 堕天使は、暗い声で(たず)ねる。

 彼等が此処へ来た理由を、わざわざカワウソたちの眼前に姿を晒し言葉すら交わしたワケを、堕天使の脳髄は思考する。

 

 ──侵入者であるカワウソたちに、直接トドメを?

 その程度のこと、あのまま赤い少女に任せておけば済んだ話だろう。

 

 ──鏡を超えられなかったカワウソたちを、憐れんで?

 それは言っては何だが、あまりにも感傷的過ぎる気がしてならない。

 

 ──カワウソに、何か訊きたいことでもあるのだろうか?

 

「実は。今後のためにも、是が非でも君に()きたいことがあってな…………堕天使くん(・・・・・)?」

 

 当たりだ。

 堕天使は問いを問いで返す。

 

「俺たちは、侵入者だぞ? 表層の草原にいたアンデッドの軍勢、おまえたちの兵隊を吹き飛ばして、こうして第八階層にまで(もぐ)り込んだ俺たちに、何を()く?」

 

「否。だからこそだ」と、アインズ・ウール・ゴウンは含み笑いすら浮かべて、ひとつの提案を述べる。

 

「ここで立ち話に(きょう)じるのもアレだな。どうせならば、ここまで辿り着いた褒美でも、どうかな?」

「……褒美、だと?」

 

 カワウソは声を震え詰まらせながら、大いに疑問してしまう。

 アインズ・ウール・ゴウンが、侵入者であるカワウソに?

 何を訊く?

 何を知る?

 魔導王アインズ・ウール・ゴウンは、カワウソ達に興味があるということ、か?

 それならそれで、こちらのカードの枚数は増えてくれる。だが、それが果たしてどんな結果を生むのか、想像がつかない。新たに配られるカードが、必ずしもいい手札として加わることがないのと同じだ。

 

「──断ったら?」

「断れる状況だと?」

 

 アインズが見つめる先で──空が、鳴いた。

 カワウソも、背後で幾多の硝子が(ひび)割れ砕けるような轟音を聞き、「ああ、そうか」と思いつつ、振り返った。

 あれら(・・・)を封じ縛っていた光の帯“足止め”スキルが、ナイフで断ち切られる荒縄よりもあっけなく、消滅していく。

 その様は、星に届く光の塔が、風に吹かれ崩れる砂塵の楼閣に変貌したように見える。

 効果時間の限界か、あるいは“相手の規模や質量が過剰であった”が故に、通常よりも早く天使のスキルが(ほころ)んだかは、判断が難しい。

 いずれにせよ。

 これで天使の澱のLv.100NPC──ガブ、ラファ、ウリ、イズラ、イスラ、マアト、アプサラスの役目は終わり、あの帯の下にある死体もまた、天使種族特有の光の粒子と化し、消えて滅んだことを意味する。

 もし、ここでアインズが自由を得たあれら(・・・)に命じ、カワウソたち侵入者を掃滅するように仕向ければ──あの動画と同じ──かつての「1500人全滅」の再現を見ることになるだけ。最悪なのは、アインズがその身に帯びる世界級アイテムを使用しての──あの蹂躙劇……“死”が始まることも、実際としてありえる。

 少なくともカワウソは、そう結論するしかない。

 

「……応じよう」

 

 アインズの提案に、堕天使は首肯した。

 ミカとクピドが制止するよりも早く、カワウソは再疑問する。

 

「それで、褒美と言うのは?」

 

 アインズ・ウール・ゴウンは粛然と、骨の頭を頷かせた。

 

「うむ。君たちの健闘と勇気に、私も応えるとしよう」

 

 絶望感に浸る間もなく、堕天使はアインズ・ウール・ゴウンその人に向き直る。

 随分と上機嫌な調べを口腔から零す骸骨の姿の魔法使いは、カワウソに対し、朗々と宣告した。

 

 

 

 

「特別に案内しよう。

 ナザリック地下大墳墓の最奥――“第九階層”そして──“第十階層”へ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第九章 玉座の間にて へ続く】

 

 

 

 

 




『オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~』の〔独自設定・独自解釈〕

・第八階層の「あれら」=生命樹(セフィロト)
 世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”によって統制された拠点防衛機構・住居型モンスター(旧ボス)

・ルベドは、ナザリック最強の「個」(ただしNPCではない。ただのギミックシステム)
 ……というか、ルベドって「NPC」だと明言されていたかどうか?
 書籍三巻P199にて
 ニグレド曰く「スピネルは私たちとはまるで違う創造の仕方をされたもの」
 外から連れてきたモンスターや傭兵ではない、一応は「創造」されたもの

・書籍七巻P354にて
 アインズがルベドのことを「あれに勝てるのは八階層に配置したあれらを、世界級(ワールド)アイテム併用で使った場合のみ」と思考

 アインズの世界級(ワールド)アイテムで併用された生命樹(セフィロト)は、生命樹の反対……“死の樹(クリフォト)”へと変貌する
 そのシナジー効果によって、あの討伐隊1500人は、一人残らず“死”を迎え、全滅──

死の樹(クリフォト)
 邪悪の樹・Tree of Evilとも。生命の樹・Tree of Life……セフィロトの逆さまの姿

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