次回はちゃんとしますから。
「日本住血吸虫症を知っていますか?」
そんな風に、アーシア・アルジェントは切り出した。
対して、そう投げかけられたゼノヴィアは困惑した。
「い、いや、すまない。聞いたことがないな」
どうしてこんな状況になったと、ゼノヴィアはこの数日間の記憶を振り返る。最初に脳裏に浮かぶのは、聖書に記された堕天使の嘲笑だった。
――魔王だけではなく神も死んだのさ
神は死んでいた。我らが主、我らが父、万物の創造主。聖書に記された神は、死んでいた。かつての大戦で死んだというならば、ゼノヴィアが生まれた時にはとっくの昔にいなくなっていたわけだ。
主のための命だった。教会のための身体であり、天国に行くための人生だった。聖書に記された神こそが絶対であると、神の慈悲と慈愛があると信じて、剣を振り続けていた。
だが、間違いだった。
神はいなかった。神への祈りは無為で、神への誓いは無駄で、神への願いは無意味だった。何のための人生だったのか。何があれば報われたのか。
自暴自棄になったゼノヴィアは、世界を騒がせている肉柱――本人(?)たち曰く魔神柱――の陣営に拾われた。
ゼノヴィアにあてがわれた仕事は、ある女性たちの護衛だった。護衛というか、監視というか。もっと正確に言えば、問題を起こしそうだったら一刻も早く連絡をしてくれという役目だった。何というか、この指令をゼノヴィアに与える時、その魔神柱は物凄い哀愁が漂っていた。
そして、ゼノヴィアが名目上護衛することになったのは、一言で済ませるならば看護団だった。ただし、鋼鉄の信念を持つ。そこらの悪魔祓いが裸足で逃げ出すような気迫に満ちていた。ちなみに、すでに三人ほど過労で倒れたらしい。うち一人は過労死寸前。
そんな一団に、アーシア・アルジェントはいた。かつて教会において聖女と称えられていたが、悪魔を治療してしまったことで魔女として追放された哀れな少女。神の不在を知ったゼノヴィアは最初、彼女の境遇に同情と共感を覚えた。すぐに撤回したけど。話に聞いていた彼女と違って、たくましすぎた。聖女というか凄女だった。
余談だが、ある魔神柱はアーシアについて「何が虫も殺せぬか弱い少女か……! 十分な狂人の素質を備えているではないか。節穴かフラウロス!」と、同僚を罵っていた。当初は意味不明だったが、この数日間で嫌というほど理解した。
(そういえば、どうして彼ら……魔神柱は七十二柱の名前を使っているんだ? 悪魔とは姿が違いすぎるから、末孫というわけではないのだろう。コードネーム……にしては、自然体すぎる気がするような)
彼女たちの治療行為が一段落し、コミュニケーションを取ろうとアーシアに話しかけたゼノヴィア。しかし、そこまで口が上手いわけでもない。だから、彼女の出自からこのような質問をしてしまったのだ。
――悪魔を、そして教会を恨んではいないのか?
当然、恨んでいるのだと思っていた。アーシアもすでに神の不在は知っているらしい。その立場からすれば、恨んで然るべきだ。彼女たちが行う『治療行為』の一環には悪魔祓いのようなこともある。
だが、質問に対する答えが先ほどの言葉だったわけだ。名前から感染症か何かであることは察せられるが、本当に初耳だった。予想外の対応だったため、面食らうしかないゼノヴィアだった。いっそ『先生』に話しかけてみるべきだったかと考えて、それはないなと考え直す。
「すでに撲滅された感染症です」
感染症といえば有名どころで言えばマラリアやデング熱だ。日本ではこれらの感染症は発症例が少ないが、感染症がないわけではない。同時に、感染症と戦ってこなかったわけでもない。
「ミヤイリガイ……カタヤマガイとも言うそうですが、その淡水産巻貝を中間宿主として、日本住血吸虫に寄生されることで発症します」
いまいち要領を得ないゼノヴィアだが、話に聞き入る。
「当時の人々は、ミヤイリガイを駆除することで、日本住血吸虫症の撲滅に成功しました」
「そうか。それはすごいな」
病気の撲滅を素直に称賛するゼノヴィアに、アーシアは真顔で尋ねる。
「ではゼノヴィアさん。ミヤイリガイは悪でしたか?」
「そ、それは」
はっきり言ってしまえば、ミヤイリガイに非などない。ミヤイリガイはただ中間していただけだ。ミヤイリガイそのものに人体への危険などない。
例えるならば、空き缶のポイ捨てがあるから、缶ジュースの販売は悪だと言うようなものだ。だが、缶ジュースが売られなくなればポイ捨てがなくなるであろうこともまた事実だ。
「そうなんです。悪いとか、嫌いだとか、恨んでいるとかそういう話ではないんです」
存在が憎いから殺すのではない。その存在がもたらす被害が憎いから殺すのだ。
「私は、あなた達が悪魔と呼んでいる生物を憎んでいません。教会という機関もです」
彼女の行動の根源には、本当に自分が受けた過去の仕打ちに対する感情がない。
「でも、人間のために滅ぼしますし、患者のために改めます」
だから、もうアーシア・アルジェントは間違えない。だって、自分が間違えば誰かが死ぬと理解したから。一切の妥協なき正しさを突き進むしかないのだ。
■
俺――兵藤一誠にとってここしばらくは激動だった。いや、春に悪魔になってからずっと激動だったんだけどさ。悪魔稼業したり、部長の結婚をかけたゲームが中止になったり、特訓したり、変な怪物が冥界で暴れたり、幼なじみが帰ってきたかと思えば、聖剣と堕天使の幹部の騒動が起きたり。
堕天使の総督であるアザゼルが正体を隠して、俺の悪魔稼業の依頼人になっていた。ゲームしたり釣りしたりで高価な報酬をくれていたから良いお客さまだと思っていたけど、まさかこんな対面をするとは。
生徒会からの依頼でプール掃除をして、その代わりにオカルト研究部だけでプール開きをさせてもらった。部長の身体にオイルを塗らせてもらった。あの感覚は未だに指に残っている。いやあ、部長の肌のすべすべ具合は最高でした。
駒王学園の授業参観には、魔王様がいらっしゃった。部長のお兄様であるサーゼクス・ルシファー様だけじゃない。会長のお姉様であるセラフォルー・レヴィアタン様もだ。正直、イメージしていた『レヴィアタン様』とは全く違った。もっと妖艶なクールビューティーを想像していたんだけど、魔法少女ならぬ魔王少女だった。何を言っているのか分からないと思うが俺にも分からない。
封印されているという部長の眷属である『僧侶』――ギャスパー・ヴラディとも会った。まさかの女装趣味の引きこもり野郎だった。ぱっと見が美少女な分、たちが悪い。俺の夢を返せ。神器が本人に使いこなせないくらい強力なものらしいけど、木場が禁手に目覚めたことで部長の評価が上がり、解放されるかもしれないんだって。今は一緒に努力中だ。
天使長のミカエルさんから、アスカロンって聖剣をもらった。これからされる予定の和平のための、ゲン担ぎだそうだ。
そして、現在、三大勢力の会談が始まろうとしていた。会談に参加しているのは、悪魔側からはサーゼクス様とレヴィアタン様、俺を含めたグレモリー眷属(ギャスパー除く)と会長さんだ。堕天使側からはアザゼルと白龍皇ヴァーリ。天使側からはミカエルさんと御伴らしき綺麗な天使さんだ。
「この場にいる全員は、神の不在を知っている」
そんな出だしで、会議は始まった。
最初は、コカビエルの一件だ。部長も当時のことを証言した。この前肉柱に半殺しにされたコカビエルだが、現在は地獄の最下層であるコキュートスってところに幽閉されているらしい。もう永遠に出てこられないんだってさ。あんな傍迷惑な戦闘狂にはお似合いの末路だぜ。
コカビエルの件は堕天使側の不手際だったということで一段落したところで、議題はいよいよ例の肉柱のことになった。
「彼らについて分かっていることは、聖書に敵意を持っていること、初代七十二柱を容易に殺せるほど強いこと、そして――七十二柱の名前を騙っていることだ。このことから、私の妹が接触した個体や冥界に出現した個体も合わせて七十二体いる可能性が高い」
あんな醜い怪物が七十二体もいると考えるとぶるっとするぜ。
「それで、サーゼクスの妹や赤龍帝が接触したやつは『グレモリー』って名乗ったんだよな? どういうつもりで七十二柱の名前なんて騙っているんだか」
「先に言っておきますが、『七十二柱』とは間違いなくサーゼクスたちのことです。太古から戦い続ける私が神に代わり証言します」
アザゼルもミカエルさんも肉柱が七十二柱の偽物だって断言する。当然だけどね。特に、ミカエルさんは憤怒に瞳を滾らせていた。
「彼らが不遜にも神の空席を狙っているというならば敵対するしかありません。神の御名において、彼らを滅ぼします」
「同感だな。サーゼクスの妹が聞いた通りの目的が本当なら、堕天使には関係がねえのかもしれねえ。だが、物騒すぎる。巻き込まれる前に対処しねえといけねえ。かといって、堕天使だけじゃ戦えない」
そして、アザゼルはこう切り出す。
「だからこそ、和平と共同戦線を組もうじゃねえか」
よりにもよってアザゼルから提案されたことに誰もが驚いていたけど、その提案は了承された。最初からそうなることが目的の会談だったんだから当然だ。
協定が決まった後、アザゼルの口から『禍の団』という組織の存在が明らかにされた。堕天使陣営はずっとこの組織への対策として戦力を備えていたそうだ。頭目は、二天龍より強いドラゴンであるオーフィス。世界最強の存在だそうだ。堕天使が白龍皇を組織に入れたのも対策の一環だという。例の肉柱も、この『禍の団』が関係しているんじゃないかってのがアザゼルの見解だ。
危険な組織を知って険しい顔をするサーゼクス様とミカエルさん。そして、アザゼルは次の情報を開示する。というか、結構情報通なんだな、この堕天使さん。
「京都の方でな、キングゥを名乗るやつがいるんだよ」
急に京都の話題になったことに俺は若干面食らう。京都好きだっていう部長も同じ様子だ。だけど、俺はアザゼルが口にした何かの名前らしきものの方が気になった。
「キング? 王?」
どこかの『王』――上級悪魔が京都に移り住んだってことなのかと思ったけど、アザゼルは俺のつぶやきを否定した。
「いや、キングじゃなくてキングゥ。かなり昔に滅ぼされたメソポタミアの神……いや、厳密にはあいつを神と呼んでいいのか分からんけど、とにかくそういう名前のやつがいた。ただ、名前が一緒なだけで何の関係性もねえんだろうけどよ」
め、メソポタミアか。確か四大文明の一つなんだっけ? 社会でそう習った。それ以上のことはよく知らない。確か、人類最古の都市だとかいうシュメールってのがあったような。
脳内の知識を引っ張り出す俺を放っておいて、アザゼルはそのキングゥだかペングーだかの話を進める。
「見た目は人間だが、詳しい種族は不明。長い緑の髪で、男か女か分からん見た目。異様に強い。立場は京都の狐の大将の食客。だけど、扱いはそれ以上。将来的に狐の大将の婿養子にするつもりみたいだ。以上が、遠まわしな伝手で手に入れた京都からの情報になる」
曖昧な情報だ。俺にはアザゼルがこの情報を開示した意味を理解できなかった。
「問題は、こいつがどこから出現したのかって話だ。こいつに関する情報は、つい最近まで一切なかった。急に噂になったってのに、それ以前の痕跡がどこにもねえ。『禍の団』や肉柱どもに関係していると思わないか? 種族も何もわからない。例の肉柱は姿を人間にできるんだろう? もしかしたら、肉柱が変身した姿なんじゃねえかと俺は睨んでいる」
「確かに、時期を考えれば非常に怪しいが……。メソポタミアの神々はなんと?」
「堕天使の総督が他神話の神にアポなんて取れるはずねえだろ」
じゃあ直接京都に行けばいいじゃないかと俺が思っていると、アザゼルは不愉快そうな顔をして続ける。
「京都は日本の中でも開放的な地域だ。許可さえあればよっぽどの場所以外には行ける。ただ、キングゥはすでに京都では特別な立場にいるらしくてな。不用意に接触することができねえんだよ。部下を京都に行かせたけど、今の情報以上のことは集まらなかった」
「成程。京都には私やセラフォルーも付き合いがある。ホテルも経営しているほどだ。例の怪物たちの対処に追われていて、そのあたりの情報は入ってきていないな」
「ねえ、サーゼクスちゃん。そろそろ肉柱とか怪物とか偽七十二柱とか、呼び方を統一した方がいいんじゃないかしら?」
セラフォルー様からの提案だ。確かに、呼び名がないと不便だものな。コカビエルとかも「わけのわからない生物」とか呼んでいたし。肉柱とか触手の怪物とか、人によって呼び方がバラバラで俺自身もどう呼んでいいか迷う時がある。
「じゃあ、偽者とは言え七十二柱を名乗っているんだからレメゲトンとでも呼ぶか?」
「ソロモンの小さな鍵、ですか。確かにらしいかもしれませんね。ですが、仮にそれを総称にするとしても個体はどうしますか?」
「グレモリーと名乗った個体は一先ず『偽グレモリー』と呼ぶとして、今後も『偽〇〇』と呼ぶようにしましょう☆」
その瞬間、窓に強烈な殺気の籠った赤い眼球が見えた。
「我らは魔神柱だ。そして、我らこそが真なる七十二柱。貴様こそ魔法少女の偽物だろう、シトリーの贋作よ」
拙作と原作のアーシアの違いの一つは、ディオドラを治療したことを後悔しているかどうか。まあ、自分が追放されたからじゃなくて、感染源を放置してしまったって感覚なんですけど。
次回予告
魔王少女VS魔神柱グラシャ=ラボラス!
魔法少女にかける想い!