……と、まあ、俺の計画とこの世界の実状はそんな感じだ。おまえらには手伝い以上のことは望まない。先に聞いておくけど、報酬には何を望む?
「どんな奇跡でも叶うというなら、シータに会いたい」
いいぜ、セイバー。この世界ならば、それは可能だ。さくっと堕天使の幹部でも二人倒して、奥さんとバカンスでも行って来い。
「私はエリンの守護者として無辜の人々のために働けるのであればそれで良いが……もう一度、最初の妻に、サーヴァに会ってみたいな」
実は面倒な奴だったんだな、ランサー。女難の相が『真理』で消されるかは分からんが、試してみるといい。泡沫の夢として楽しめ。
「例え世界が違うとしても、『誠』の旗を穢したままにできるか」
そう言うと思っていたぜ、バーサーカー。どこであろうと、おまえたちが信じるのは『誠』の旗なんだろう? だったら、それに殉じず、悪魔に堕ちたヤツを許しちゃ駄目だよな?
■
「沖田ぁああ!」
ソロモンが何らかの魔術で呼び出したらしい黒い男は、突然、サーゼクスの『騎士』沖田総司に切りかかった。男は修羅の如き憤怒を宿した顔で、強烈な一太刀を浴びせる。
「な、くぅうう!」
咄嗟に抜刀して防御する沖田だったが、黒い男の方が膂力が上なのか弾き飛ばされる。窓を割って外に逃げると、黒い男もそれを追って、外に飛び出る。
「総司!」
「じゃあ俺はがぎゃああ!」
窓枠から飛び降りたソロモンだったが、床に着地する直前に、窓の外からやって来た何かに蹴り飛ばされた。壁に激突しても勢いは止まらず、そのまま部屋を破壊しながら飛ばされていった。
そして、ソロモンを蹴り飛ばした張本人は八坂に駆け寄る。その正体は正体不明経歴不詳の自称新人類の泥人形キングゥだった。
「無事かい、八坂」
「キングゥ!」
「良かった。何事もないようだね」
少し前から、キングゥは堕天使の総督が京都に入ったことを感知していた。だが、八坂からも他の京妖怪からもそんな情報は聞いていない。いつぞやの白い龍のように不法侵入かとも思ったが、京妖怪が自分に隠し事をしている様子ではあった。それどころか、八坂が二人に接触している気配さえあった。自分が気を使われていることは察知したため、最低限の警戒はしつつ静観しようとしていたのだが、そこに乱入してきた気配が問題だった。
とても強大な魔力だった。否、単に強大というだけではない。感知している此方が痛々しく思うほど、荒々しい。自分の知る人間とも妖怪とも神とも違う、ナニカが現れた。周囲の制止も振り払って此処に来て、ちょうど例の気配の男が見えたためそのまま蹴り飛ばしたというわけだ。
破壊された壁を押しのけながら、問題の男が戻ってきた。
「いつつ、ひっでえな」
「今ので死なないか」
「いやあ、今の、若干ビビってたろ? 建物に罪はねえってのが、君のスタンスだろうに。そんなに、俺ってアレかい? まあ、気配を消し忘れてた俺にも責任があるがね。気を取り直して、はじめまして、キングゥ。『こっち』のソロモン王でーす」
怒っている。それがキングゥがこの男に抱いた第一印象だった。故に、その男が名乗った名前を聞いて得心した。あちらはともかく、此方では魔術王はこんな呼称をされている。怒りしか知らぬ王。
ただし、先ほどのキングゥの攻撃に対して怒っているのではない。この男の怒りは最初から今の今まで二名に向けられていた。片方は堕天使の総督アザゼル、もう片方は紅髪の悪魔だった。魔力の強さと外見の特徴から察するに、『紅髪の魔王』サーゼクス・ルシファーだろう。
そんなアザゼルとサーゼクスは、キングゥとソロモンを見比べる。
「……『こっち』だと?」
まるで、ソロモンが二人いるような台詞だ。否、そんな簡単なものではない。あの一言は、もっと複雑な内情を孕んでいた。
だが、ここで魔王と堕天使の総督は対応を間違えた。本来であれば、ソロモンの名前にこそ反応しなければならないのだが。顔面蒼白になっている八坂のように。
「そ、ソロモン王!?」
おそらくは、この悪魔の中身こそが、伝説に語られる怒りしか知らぬ王。名乗りに対する反応を見るに、アザゼルとサーゼクスはこのことを知っていたようだ。逆説的に、この男の発言が寝言でも戯言でもないことの証明となる。
「き、キングゥ。逃げるのじゃ。そなたが強いことは知っているが、あれはそういう次元ではない。関わってはならぬ存在じゃ!」
「ああ。言われなくてもボクはそのつもりだったよ。近くで見て確信した。あれは母さんと同じ――」
「おっと、それ以上は禁則事項だ。世の中には言ってよいことと悪いことがあるんだぜ、泥人形。タイミング的な意味で。まあ、君らに関してもいま帰す気はねえんだよな」
ソロモンは迎え入れるように、両手を広がる。
「我が憤怒を、我が原罪を見ろ。すべては此処に置いていく」
ソロモンの意思を察したキングゥは八坂を抱えてその場から逃げようとするが、一瞬遅かった。
「『
ソロモンが愛したとされる花の名前が響くとともに、世界が塗り替えられた。
そこは神殿だった。建築様式からして、古代イスラエルのものだ。構造とソロモンの座る玉座を見るに、王の間で間違いない。空間自体は広々しているのに、妙に息苦しい空気に満ちていた。
「結界……いや、だがこれほどのものを一瞬で展開したというのか?」
「ちくしょう、変にこっちの興味をそそるもんばっか出しやがって!」
驚愕するサーゼクスとアザゼル。アザゼルに関しては、研究者としてのサガを刺激されている様子だが。
「ここは俺の心象風景。我が積年の憤怒と執念の玉座の間だ。人の愛と希望以外には壊せない。存分に殺し合おうじゃねえか!」
沖田総司と彼に襲い掛かった黒い男の姿はない。結界内に取り込む人数、あるいは距離に限りがあるのか。まさかソロモンも単騎でアザゼルとサーゼクスに勝てるとは考えていない。生前ならばともかく、今の身体では限度がある。
だから、嫌がらせもヒントもこれからが本番だった。
「茶番に手間をかけすぎだ、イスラエルの古き王よ」
その透き通った女性の声は、ソロモンの玉座の後ろから聞こえてきた。
馬の蹄の音とともに、声の主は現れる。白く美しい馬に騎乗した、神秘的な槍を持つ騎士だった。獅子を象った兜を被っているため、顔は窺えない。
ソロモンは騎士の登場に慌てることもない。間違いなく彼の味方だろう。
「待たせたね。報酬は前払いしてんだ。ちゃんとやってくれよ、槍の女神。いや、今は赤い龍って呼んだ方がいいんだっけ?」
「どちらでも同じだ、ソロモン。この身は
「そうかい。じゃあ約束の時間まであの紅い魔王の相手をしてくれ」
「承知した。これで貴殿との外交も終わりと思えば気が楽だ」
騎士は白馬に騎乗したまま、前に出る。
「ほんのしばらくぶりだな、アザゼル、サーゼクス」
この気配に覚えがあった。これほどまでに鮮烈なドラゴンのオーラを持つ存在は、龍神と真龍を例外とすると、二体のドラゴンのみ。サクソンの白い龍とブリテンの赤い龍。そして、これは赤い龍のオーラそのものだった。
「……ドライグ?」
騎士はその疑問とも確認とも取れぬ言葉には反応せず、槍を構えた。
「
■
引き金の引きが甘かったのだろうか。
「はあ、はあ……。くそ」
「ごふっ、皆無事か?」
「これが無事に見えるなら、フローレンス先生のところに逝って治療してもらえ」
「それは、困るな……」
ああ、認めよう。俺はこいつらを殺したくなかった。殺したくてたまらないはずなのに、殺したくなかった。この矛盾こそが、俺の限界だ。
「へ、ヘラクレスさん!」
「どうして、俺たちなんか庇ったんですか!」
「へっ、何でだろうな。ちくしょう、俺はこんなヤツじゃなかったのにな……」
かつて英雄派を名乗っていた彼らに、俺は裏切られた。
「みんな咄嗟に防御したり結界張ったり、成長しているじゃない……」
「ジャンヌさん!」
「あ、あああ! 回復系はいるか、この出血じゃ早くしないと……!」
俺が一番に死ぬべきだったのに、どうして俺を守ったのだろう。俺を盾にしろと言ったはずなのに。俺を置いていけと頼んだはずなのに。俺を見捨てろと命令したはずなのに。誰も彼も、俺の言うことなんて聞いてくれなかった。
「ハッ! 情けない姿だ。英雄もどきの未熟者には相応しい。さあ、どうする? 英雄派のリーダー、曹操。仲間が死にそうだぞ? 体を張って守るがいい」
俺たちやゲーティアを利用した聖書の神を殺すために、俺の聖槍に期待をしてくれたならまだ理解できた。だが、そうではなかった。
――ありがとうな!
――楽しかったわよ。
――感謝しています、リーダー!
――どうか、生きてください。
――貴方だけでも。
――本当、鈍いな、君は。
誰も彼もそんな心に燻る遺言を残していった。恨み言の方がどれだけマシだっただろうか。死の間際に感謝や好意を伝えるなどどういうつもりだ。俺には俺しかなかった。俺には槍しかなかったはずだ。俺は俺のことしか考えていなかったというのに。そんな願いに応えることもできず、俺は無様に死ぬしかなかったというのに。
戻れない過去を直視して、心が折れそうになる。
「はあ、はあ……言われるまでもないな、ミイラ男。皆、俺が時間を稼ぐ! その間に、ゲーティアに連絡を!」
聖槍ではない槍を掲げて、ちゃんと前を向いている俺を見るだけで、泣きそうになる。
聖槍があればどこまでも行けるような気がしていた。聖槍がなければどこにも行けないような気がしていた。そんなことはなかったんだ。俺は、最初からどこにでも行けたんだ。
だが、それでも俺は俺たちを殺さないといけない。これは断罪であり、贖罪だ。
「聖槍起動」
こいつらが……俺たちがいたからゲーティアは聖書焼却に失敗した。俺たちが英雄なんて目指したからゲーティアは神の策略に敗北した。
人王という完全な存在に、英雄派という不純物があったから、あんな結末になってしまった。この歴史でも同じだ。この世界でも同じだ。神の策略にこの段階で気づけたのは、俺の知る歴史との最大の差だ。だが、神の策略など関係なく、俺たちがいる限り、ゲーティアはまた死ぬ。そんなことを許せるはずがなかった。あの未来を回避するためならば、俺は再び泥に沈んでもいい。拭えぬ泥に染まった身ならば、これ以上穢れても同じことだ!
「宝具多重――」
「殺菌!」
危なっ! メスが飛んできた。サーヴァントであるが故に神秘の宿っていない刃物でこの身を傷つけることはできないが、反射的に避けてしまった。……いや、今のは避けなければまずかっただろう。的確に眼球を狙っていたし。
見れば、そこには金髪の少女がいた。アーシア・アルジェント。かつて聖女と崇められ、魔女と貶められたが、これから凄女と畏怖される女。
一番苦手な奴が戻ってきやがった。こいつと彼女に会いたくないから、わざわざいないタイミングを狙ったのに! はっ! 先生! 近くにフローレンス先生はいないだろうな! この師弟コンビを同時に相手にするとか、生前でも忌避していたんだぞ!
「何ですかこの状況は! 患者が大勢いるのに、砂塵が舞って不衛生です! 急いで衛生を確保しなければ治療できません。しかも貴方、いまの強力な発光の原因ですね! 強い光は眼球を痛めます! 視力の低下はそれ自体も問題ですが、怪我の可能性を大いに増やします。患者を増やす気ですか!」
何だろう、この彼女がいれば大体どうにかなってしまいそうな雰囲気は。無敵かこいつ。
「しかも、何ですか、その誤った包帯の巻き方は。古びていますし、清潔ではありません。不衛生です。正しくレクチャーしますので、そこに座ってください」
マイペース過ぎると思いつつ、笑いが出そうになるので堪える。ああ、そうだ。この女はこういう女だった。異性として見たことは一度もなかったが、尊敬という意味で好きだった。俺たちの中で、最強なのはなんだかんだで彼女だったことを思い出す。力でも技でもなく、魂というか存在感が強い。初対面の時の鬼ごっこが懐かしい。
そして、そんな彼女が一番に死んだことを思い出す。彼女の強さと俺の弱さを思い知る。俺なんかを庇って死んだ。俺の槍よりも、彼女の両手の方がどれだけの人を救えただろうか。あの時は、俺が死ぬべきだった。何度も考えて、何度も考え直して、それでも変わらなかった結論だ。
「何やら、派手なことになっているネ」
教授だ。最初から近くにいて霊体化していたのか、それともアーシア達と一緒に来ただけなのか。
我が恩師。我が目標のひとり。
いくら推理に長けたこの人でも、ここまで落ちぶれた俺のことなど気づかないだろう。あの語る夢だけは一丁前の未熟者が、敗北者に成り果てるなど誰が考えられる。まあ、この人がいては分が悪い。一度撤退すべきかと考えていると、教授は重々しく口を開いた。
「随分と面白くない男になってしまったようだね、我が教え子、曹操」
……やはり、俺はいつまで経ってもこの人には敵わないようだ。
■
「覗覚星九柱を代表してアモンより緊急報告。ゲーティアおよび全魔神柱に緊急報告。我らが次に対峙すべき存在、間もなく封印が解除されるという『
和平? 和議?
神が死のうと戦っていたくせに。
魔王が没しようと憎み合っていたくせに。
悪でしかないくせに悪びる害獣が、平和だ愛だと笑わせる。
思い知れ。
思い出せ。
思い直せ。
おまえたちが、手を取り合ってこなかった時間のすべてを。
戦争のための失血はあっても、平和のための流血が足りない。
平和とは、そんなに軽いものじゃない。
次回「ソロモン敗れる」
天使にあって、悪魔と堕天使にないもの、なーんだ?