憐憫の獣、再び   作:逆真

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‟あの時代において、そんなことは誰も望んでいなかったというのに”
ソロモン王の偉業は異形にとっては「過剰」だった。
だが、人間にとってもそうなのだろうか?


この世界の価値

「随分と面白くない男になってしまったようだね、我が教え子、曹操」

 

 え、とその場にいた誰もの思考能力が停止した。

 

 そして、一斉に英雄派のリーダーへと視線が向けられる。

 

「まさか――教授って生前にも『曹操』に教鞭を? そんな話、コナン・ドイルの小説には……。もしかして、あっちには書いてあるんですか?」

「いや、違うからね? そこにいる曹操が英霊となったのが目の前にいる彼だよ。私と同じサーヴァント。クラスも被っているようだ。そんなところでリスペクトを示されても嬉しくないんだけどねえ。あと、私の前でその名前を出さないこと」

 

 その言葉を包帯男――サーヴァント・アーチャーとなった曹操は否定せず、肩を竦めるだけだった。その態度からは驚きも何もない。目の前の老紳士がこの解を出すことが当然であるかのような態度だ。実際、そのとおりなのだろうが。

 

「教授。ご明察、お見事です。俺はそこの大馬鹿者の惨めな末路。この身は魔術王ソロモンの手によって、アーチャーのクラスで召喚されました。ソロモンというのはこの世界のソロモンであり、ゲーティア達の知るソロモンではないので悪しからず」

 

 その反応に、最も驚愕をするのは曹操だ。

 

「未来の、俺だと……?」

 

 未来の自分が英霊になっていること以上に、そんな自分が自分達を殺そうとしていることに困惑するしかなかった。ソロモンの指示だと断ずるには、あまりにも生々しい殺意があった。

 

「ありがとう。では、区別のためにアーチャーと呼ばせてもらおう。解せないのは、君がどうやって英霊になったか、だ。この世界に英霊の座はない。それが私と覗覚星の出した結論だ。代わりに、神として昇天したヘラクレスや転生が否定されている宗教の聖女であるジャンヌの転生体などというものが存在する。どうにかして、あちらに渡来したのかな?」

「一つ訂正させてもらいます。俺は英霊ではない。世界と契約した掃除屋だ。無論、此方側ではなく、あちらの貴方達の世界と契約をしました。ソロモン曰く、今の時期はこちらとあちらが繋がりやすいそうです。あの世界が俺に声をかけてこられたのも、そのせいでしょう」

「……馬鹿なことを。それは君が証明したかった人の力とは最もかけ離れたものではないか?」

「俺も自分の力だけで戦いたかったのですが、そうしなければならない状況になったので」

「おおよその状況は察せられるが、聞かせてもらおう。何があった?」

 

 アーチャーは包帯で隠れた顔を手で覆う。何か強い感情を噛み締めていることは表情が見えなくても察知できた。

 

「俺たちが足を引っ張ったせいで、ゲーティアが黙示録の獣に、そして聖書の神に敗北したというだけの話ですよ。そして、あの神は人類を作り直そうとした」

「――それは聞き捨てならないな」

 

 声とともに転移してきたのは、人王ゲーティア。

 

 彼はアーチャーの前に立ちはだかるように出現した。まるで、アーチャーから曹操たち英雄派を庇うように。

 

「ゲーティア。まさか、貴方が直接出てくるとはな。時間神殿に引きこもって、バアルあたりにでも任せてくると思ったが。俺の知る貴方とは乖離しているのかな?」

 

 強大な存在を眼前にしながら、アーチャーに怯んだ様子はない。それどころか一歩前に出る。

 

「それは此方の台詞だ。成り上がったな、英雄志願。我々が黙示録の獣如きに敗北したと? あの間違った定義の神に下ったと? 面白い戯言だ。興味が沸いた、語るがいい」

「偉そうに。だがそこまで言われては仕方がない。俺と貴方の失敗談を聞いてくれ」

 

 嬉しそうにぼやくアーチャー。嬉しいのだろう。二度と出会えなかったはずの恩人と、こうして会話できることが。同時に恥ずかしいのだろう。ここまで落ちぶれた自分を見せてしまうことが。

 

「うわあ、本当だ。あれ絶対に曹操だ」

「え?」

「自覚ないのか? おまえ、ゲーティアやバアルとか前にするとあんな感じだぞ」

「え?」

 

 ゲオルグとヘラクレスからの言葉に固まる現代の曹操。その未来の姿であるアーチャーも若干沈黙して、ぎこちなく口を開いた。 

 

「では、話の前に聞かせてくれ。貴方たちはどこまで真実を理解している?」

「時間神殿で滅んだはずの我々が復活したのは聖書の神の仕業だ。だが、復活の際に奴の計画に都合の良い動きをする因子を埋め込まれた。我々はやがて復活する666を打倒するが、そのエネルギーによってあの神が復活するといったところか」

 

 概ね正しいと、アーチャーは大仰に頷く。

 

「黙示録の獣は下準備なしでは、ゲーティアにしか倒せない。ゲーティアが第一宝具を使用する必要がある。俺たちは最後の最後までそれに気づけなかった」

「第三宝具ではなく、第一宝具だと?」

 

 キャスパリーグから受け取った情報の中に、第一宝具のことはなかった。だが、考えてみれば、いくら特殊な役割を与えられたからといって、キャスパリーグに真実が教えられたとは限らないのだ。あの神は二重三重に錯誤を仕組んでいた。『すべてを教えられている』という認識さえ誤りだったのだ。

 

「その顔を見るに、察したようだな。そうだ、黙示録の獣とは『真理』の具現化だ。ソロモンさえ誕生に気づけなかった、人と神の乖離によって生み出された神代の膿。全神話の三千年の積み重ねだ。『真理』がある限り、666は不滅だ。逆に、666を打倒すれば『真理』は崩壊する。だが、666を物理的に滅ぼすには三千年分の世界の熱量がいる。俺たちに、そんな時間はなかった。他の手段としては、666に不純物を混ぜる、分裂させて無限に殺すなどだな。これも時間がなかった。復活前に666を発見できていれば話は違ったが、俺たちの視点では666は突然復活したように見えたのでな」

 

 そもそも666は実在さえ疑われていた伝説の怪物だ。人王という常識外の戦力があるのに、あえて探そうとする必要など英雄派にはなかった。

 

「そして三つ目の例外が、ゲーティアだ。第一宝具ならば、貴方の『訣別』ならば、『真理』を打ち崩すことができる。666とは『真理』であり、『真理』とは此方の貴方そのものだ。だからこそ、第一宝具で弱体化できる。九個の指輪と三つの聖遺物の機能、貴方の存在と引き換えに」

 

 アーチャーの声が震えた。アーシアの治療を受けている英雄派達も、そのIFを察する。

 

「……貴方は成功した。『真理』を崩し、弱体化した666を第三宝具で打倒した。だが、『奴』が復活した。間違った定義の神が」

 

 それは最悪の可能性。包帯に包まれたアーチャーの顔が歪む。その時のことを思い出し、歯を軋ませたのだろう。

 

「あの時の……あの時の俺の気持ちが分かるか! ゲーティアが、魔神柱たちが俺たちに向けた感情や言葉のすべてを、自分の復活のための茶番などと笑われた俺の気持ちが! 神殺しの槍を持ちながら、奴に一矢報いることもできずに、仲間や無関係な人間を殺されていく俺の悔しさが!」

 

 それは確かに想像を絶する無念の光景だろう。

 

「俺たちが……英雄派なんて存在がなければ、俺たちなんかに構っている時間がなければ、ゲーティアにはまだ余裕があったはずだ。その時間で、あの神の悪意に気づけたかもしれないのに。俺たちが、貴方達が極点に至る邪魔をしてしまった」

「それは違う」

 

 ゲーティアはアーチャーの語る敗因を否定する。

 

「英雄派に期待したのは私の判断だ。おまえたちが敗因となったとしたら、それは私の過ちだ。聖書の神の思惑も当初はあったかもしれん。だが、忌まわしい因子を取り除いてなお、私はこの馬鹿どもに可能性を見ている。あの獅子王に挑ませるだけの価値があるとな。この世界の人間は十分に期待に値する。貴様如きにかけた時間で、私の計画の成功率が変化するとは思い上がったな。傲慢も甚だしい」

「く、くくく……くはははははははははははは!」

 

 呵々大笑とするアーチャー。だが、微塵も愉快そうではない。彼は恩人の盲目を心底嘲笑していた。こんな自分に目をかけることも合わせて、人王の思想を悲嘆していた。

 

「貴方も冗談を言うんだな、ゲーティア! 人の醜態に耐えられずに一度は魔神王となった貴方が、本当にそんな感情を抱いているのか? 俺たちに……そいつらに期待しているだと? ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 同じような台詞を聖槍の女神から聞いたゲーティアだが、その真意がまったく異なる内容であることは明白だった。この世界で生まれた彼が、どうしてこの世界を否定するようなことを言うのか。まさか別世界と契約したことが原因ではあるまい。

 

「……どういう意味だ?」

「そうだな。貴方にも分かり易く、此方のソロモンを具体的としよう」

 

 王の話をしよう。神も魔王も利用して、人の時代を獲得した王の話を。異形から虐げられる人類のために、己のすべてを犠牲にして世界を定めた王がいた。

 

「此方のソロモンが何て呼ばれていたか知っているか?」

「怒りしか知らぬ王だろう?」

「いや、それは異形側の意見だ。人間からは無能な王、と呼ばれていたそうだ。ソロモン本人から聞いた」

 

 無能な王。良い王ではないと言うのならば納得した。『真理』の構築は、神が隣にいた時代の人間から強制的に信仰の価値を奪ったとも言える行為だ。だが、‟無能”という言い方は微妙に違和感を覚える。それでは彼が何もやっていないようではないか。少なくとも、ソロモンは防衛のための暴力を振るったはずだ。そして、人の時代を切り開くための『真理』を組み立てたはずだ。それを脅威や障害と認識するならば分かるが、‟無能”という表現は的外れに思える。

 

 だから、ゲーティアだけが、その言葉の意味を理解していた。人王ともあろうものが、冷静さを欠くほどその事実に動揺した。

 

「そんな馬鹿な――そんな馬鹿な話があってたまるものか! 我々の知るソロモンとは違う、感情のある王だったはずだ! 王であり、『人間』であったのだろう!? 人の悲劇に怒り、悲しみ、憎んだ。その元凶である異形に武力で対抗した。これ以上、何を望むと言うんだ!」

 

 激昂するゲーティアに対して、アーチャーは頭を振る。

 

「他ならぬ貴方たちが、貴方たちのソロモンに願ったことと同じだろうに」

「人間が、同じ人間に対してそのような願いを抱いて良いものか!」

「違う人間だよ。いや、当時の人類にとってソロモンとは王であって人ではなかった」

 

 数秒遅れて、教授がその言葉の裏に隠れた人間の悪性を理解する。会話の内容についていけない英雄派たちを、アーチャーは羨望を滲ませて嘲る。

 

「分からないか、未熟者ども。だが、それでいい。おまえたちはそれでいい」

 

 そのままでいろ、とアーチャーは言い、正解を告げる。

 

「ソロモンに、神になれ、と人々は願ったのさ」

 

 アーチャーの口から語られたのは、荒唐無稽としか表現できない歴史だった。あまりにも滑稽で、あまりにも単純で、あまりにも身勝手で、あまりにも因果応報な人間の歴史。

 

「当時の人々は気づいていた。ソロモンの国の人々だけではない。世界中の人間が気づいていたんだ。この星に、人間にとって都合の良い神など一柱もいないのだと」

 

 人間が他の生物を弄ぶように、神々は人間を壊していた。家畜として、玩具として、奴隷として、材料として、役者として。まるで、神様のように。

 

「そこで神との訣別を考えれば種として前進しただろう。だが、人々が選んだのは『神の捏造』だ。自分達にとって、人間にとって都合の良い神を創り出そうとした。人間を無償で守り、人間を無限に愛し、人間を無条件で救う神を作り、その神だけを崇めようという醜い結論を。それ以外の神を排除してしまおうと」

 

 実際、ソロモンにはそれが出来た。世界中の神々と魔王を騙し、『真理』を組み立てた彼になら、それが出来た。何も武力を用いる必要はない。口で内紛を起こしてもいい。指輪の力で因果を組み直してもいい。シンプルに魔術で罠を張ることも考えられる。否、いっそ『真理』を神殺しの術式として作ってしまえば手っ取り早かっただろう。

 

 だが、ソロモンはそれらをしなかった。新しい神の誕生を願っていた人々にとって、彼は何もしてないのと一緒だった。だからこそソロモンは歴史において貶められた。異形など関係なく、人々の意思によってその名は暗君として嘲られることになった。

 

「彼が人間と認められた瞬間など一秒もない! 人々にとって彼は自分達を幸福にするための王様(どうぐ)であり、唯一神(がんぼうき)にならなかった役立たずなのだから! こんな世界に期待するヤツなど、それこそソロモンくらいだ!」

 

 人類はソロモンに、おまえだけが頑張って皆を幸せにしろ、と願った。

 

 ソロモンは人類に、皆で頑張って幸せになった方がずっと素晴らしい! と返した。――無能な王と謗られても、怠惰な王と罵られても。人類が必ずあの世界のように輝けると信じて。

 

「実はな、ソロモンは自らを人類悪とするために聖書の神に異世界のことを教えたんだ。人類史に大災害を招いた黒幕で、元凶だ。だが、あの王様に罪があるというのなら、その時点で償っているだろう?」

 

 それこそがアーチャーが、否、並行世界の曹操が味わった絶望だった。自分達の運命は圧倒的存在が仕組んだ茶番で、自分達の起源はおぞましいほどに堕落したもので、自分達の力は全くの無力だった。

 

「過去の人間だけではない。現代もまた無力だった。神は復活した後、双貌の獣を再現した。あの醜いとしか言い様のないバケモノに、人類はあっという間に滅ぼされたのさ。――バアルが言ったとおりだよ、俺は藤丸立香にはなれなかった」

 

 世界を救うことなんてできなかった。




次回予告「誠の旗」

ここでは死ねない。
俺が死ねば――何も残らない。

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