憐憫の獣、再び   作:逆真

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人知れず神知れず、『彼』は本当に、美しいものを見た。


撃墜

 グラシャ=ラボラス。ややこしくなるからおまえは一度黙れ。

 

 ごほん。

 

 改めまして、我はソロモン七十二柱がひとり、魔神アンドロマリウスだ。

 

 我ら二十八柱および此処にいない四十四柱は、此処とは異なる宇宙の七十二柱。この星とは異なる星の、おまえ達の知るソロモンと異なるソロモンに仕えた、おまえ達とは異なるソロモン七十二柱の魔神である。それこそが、私たちの正体だ。

 

 ……意外そうな顔だな。そういえば、我々の目的が正体を隠すことであると勘違いしているのだったか? はっきり言おう。我々にはもはや自らの正体を隠す理由などない。まんまと現れたおまえたちを殺し、計画を最終段階に移行する。

 

 だがその前に、我々の殺意の理由を聞いてくれ。

 

 この星に来て、我々は多くの悲劇を知った。見るに耐えない殺戮を見た。聞くに堪えない雑音を聞いた。過去と未来を見渡す千里眼などなくとも、あらゆる真実が流れ込んできた。

 

 我々は、醜い、と思った。

 

 醜い。醜い。醜い。醜い。醜い。醜い。醜い。醜い。醜い。醜い。醜い。醜い。醜い。醜い。醜い。醜い。醜い。醜い。

 

 不快極まる事実を見せつけられた。醜悪極まる生態を記憶付けられた。

 

 どのような時代、どのような国であれ、人の世には、多くの悲劇があった。だが、人間の選択ならばそれでよい。 人間は万能ではないのだ。みな苦しみを飲み込み、矛盾を犯しながら生きるしかない。 あの敗北を通し、終わりある命の価値を私たちも理解した。

 

 されど、その悲劇の根源が人ならざる異形ならば話は違う。

 

 この醜悪な環境を、状況を、解決しようと考えるのは当然の帰結だった。そして、その醜悪な環境の根源にあったのが、おまえたち聖書に記された異形――神と天使、悪魔、堕天使だった。

 

 神は誰も救わない。救わないだけならばよいが、神器なる力を振りまいている。人間の力を高めるものではあるが、これは確実に人間を不幸にしている。同種からは差別され、異種からは利用される。暴走し、すべてを失ったものもいる。

 

 天使も誰も救わない。聖剣計画やシグルド機関のような人体実験を看過しながら、それを利用している。神の不在を秘匿し、その上で信仰の邪魔となるものを問答無用で追放している。神に与えられたはずの神器を種類によっては異端として排除している場合もある。追放者に何一つの贖罪もなく、だ。

 

 悪魔は『悪魔の駒』を使い、理不尽に悪魔に転生させてきた。強い神器があるからと、特別な力を持っているからと、ただそれだけの理由で人間であるという事実を奪い、穢してきた。しかも、主人に歯向かえば問答無用で討伐対象だ。他の国を勝手に領地化し、杜撰な管理の下、他勢力との抗争に人間を巻き込んでいる。

 

 堕天使は神器を持っているというだけで人間を殺している。まるでゲームか何かのようにな。殺害に至らずとも、拉致し人体実験を行っている。

 

 グラシャ=ラボラスは先程『魔法少女』という言い方をしたがな、あれは幼い魔女という意味だ。魔女の少女だから、魔法少女。……ややこしい? それはこの阿呆に言ってくれ。まあ、貴様が思い浮かべる意味での魔法少女もいたが、それは置いておこう。……置いておこうと言っているのだから置いておけ、グラシャ=ラボラス! 悪かったな、言い忘れていた……余計なことを言うなゼパル! グラシャ=ラボラス≒ミルたんとはどういう意味だ、フェニクス! 誰だそいつは。

 

 とにかく、彼女たちもおまえたちの杜撰な政治の被害者だった。

 

 ある者は理不尽な教義に裁かれた。ある者は玩具として悪魔に弄ばれた。ある者は不当な取引により堕落を強制された。青田買いとは違う。純粋に悦楽と欲望を満たすためだけに、壊された子どもたちがいた。すべての悪魔がレーティングゲームに力を入れているわけではないだろう? おまえたちの娯楽のために消費された人間の生命があった。物珍しいというだけで転生させられた。はぐれ悪魔を必要以上に嬲って殺す者がいることを知っているか? 例えはぐれ悪魔であったとしても、そこに悦楽を覚えれば罰ではなく快楽殺人と同義だろうに。

 

 グラシャ=ラボラスは一時魔法少女の使い魔をしていた経験があってな。その影響か、彼女たちに対して強い拘りがあるのだ。だからこそ、おまえが許せなかったのだ、レヴィアタンを継承した女悪魔よ。魔法少女を目指すと宣いながら、魔法少女たちが無理やり転生悪魔にされるような事態を、改善しないおまえがな。

 

 おまえに罪があるとは言わない。魔王など名ばかりのお飾りであったことは重々承知だ。だが罪がなくとも、責任はある。それが王というもののはずだ。まして、おまえは「魔女に対して間違った認識を与える」と魔法使い側から抗議されたこともあるというのにその装いを止めなかった。その振る舞いを改めようとはしなかった。おまえが興じるテレビ番組では、和平後も堕天使や天使を敵視する描写が続いているな。これで外交担当? 笑わせる。

 

 おまえは多くの悲劇を見逃した。おまえたちは多くの悲鳴を聞き捨てた。そのせいで、どれだけの人間が終わったか数えられるのか? 救えた命があったはずだ。守れた心があったはずだ。なくすことはできなくとも、ほんのわずかな行いで減らすことができたはずだ。

 

 私たちはそんな彼らを救い、そんな異形どもを殺してきた。

 

 ああ、助けたはずの人間から恨み言を言われたことならば何度もあるぞ。――どうして、どうしてもっと早くに助けてくれなかったのかとな!

 

 おまえたちの生命は等しく無価値だ。おまえたちの行動は等しく無意味だ。

 

 この星は狂っていた。おまえたちは狂っていた。

 

 聖書の実態を知れば知るほどに、犠牲者を救えば救うほどに、おまえたちへの憎悪は増した。堕落への憤怒は途切れず、苦痛への悲哀が濃くなった。なんとしてでも貴様らを殺し尽くすと決意した。おまえたちを許してはならないと、私たちの誰もが思った。

 

 だが、今の我々には問題がある。

 

 それは、おまえたちを滅ぼすことに対して一切の葛藤が、苦悩が、躊躇が、逡巡がないということだ。おまえたちを絶滅させても後悔しないだろうし、それは確実に成功するだろう。だからこそ問題だった。これではあの時と同じだ。これではあの時の繰り返しだ。

 

 我々はまた敗北してしまう。我々はまた失敗してしまう。大切なものを見逃して、大事なものを見落としてしまう。

 

 故に、この対話は必要だった。

 

 貴女の夢の価値を教えてください。貴女の正義の色を見せてください。

 

 我々に葛藤を、苦悩を、躊躇を、逡巡を、後悔を、敗因をください。

 

 この現実を知ってなにも感じないのですか? この悲劇を正そうとは思わないのですか?

 

「もう! わけのわからないデタラメばかり言って! 悪魔が私の同志である魔法少女を不幸にするなんてことあるはずないじゃない! 嘘でこの魔法少女マジカル☆レヴィアたんを惑わそうとしても無駄よ☆ 悪魔の敵はきらめくスティックでまとめて殲滅しちゃうんだから☆」

 

 ――――どうして、ですか? どうして我々の言葉を嘘だと思うのですか? 貴女には、あの殺戮が見えないのですか? あの悲鳴が聞こえないのですか? それとも、悪魔以外に興味がないのですか?

 

「『悪魔の駒』を悪用する悪魔もいるかもしれないけど、ソーたんやリアスちゃんみたいな子だっているじゃない☆ それに、悪魔に転生したってことはちゃんとした契約があったんでしょ? きっとみんな、悪魔に転生して楽しんでいるわ☆」

 

 ――――――ああ、そうか。理解したよ。

 

「おまえたちよりも、我々の方がずっと愚かだった」

 

 我々はまた間違えているのかもしれないなどと、烏滸がましいほどの妄想だった。

 

 どうか貴様らにもあの王のような真実があって欲しいなどと、未練がましいだけの怠慢だった。

 

 この戦いは断罪ではない。この戦いは贖罪ではない。この戦いに正義はない。この戦いに神意はない。この戦いは復讐ではない。この戦いは挑戦ではない。この戦いに勝利はない。この戦いに報酬はない。

 

 聖書を焼却する上で、この戦いに意味はない。極点を目指す為に、この戦いの必要はない。だが、価値がある。何物にも代え難い価値が。

 

「この愚かさこそが貴様らを滅ぼすのだ!」

 

 絶望すら、する必要はない。

 

 これより未来、おまえたちの名前を呼ぶ者はいないのだから。

 

 

 

 

 

 

 セラフォルーがクラン・カラティンと対面したその頃、アガレス領のアグレアス付近にて、その老紳士は計画のチェックをしていた。

 

「最大で国一つ囲える『絶霧』を主体に、アジ・ダカーハの魔術、ラードゥンの結界、魔神柱が多重に発動する術式。これらを合わせれば都市一つを奪うなど造作もない。妨害術式があったところで無効化の手筈はできている。既存の術式は魔神柱によって解析済み。めぼしい戦力は会談に集中している。現在の悪魔で対抗できるのは能力的にはアジュカ・ベルゼブブのみ。しかし今日彼がアグレアスを訪れようがないことは把握している。完璧だネ! これぞ完全犯罪! 世界は破滅に満ちている! フハハハハハ!」

「よっ、さっすがパパ! かっこいい!」

「もっとパパを褒めてもいいんだよ、リント」

「教授……」

 

 リントによいしょされて上機嫌の教授を見て、すごい顔で半眼になるゲオルグ。

 

 アグレアスの全貌を眺められる高台で、その一団はこれから強奪することになる浮遊都市を観察していた。メンバーは魔神バアルとアンドラス、教授、ゲオルグ、リント、ヴァレリーである。別の地点ではアーシアとナイチンゲールが待機していて、合図と同時に邪龍を召喚する手筈だ。

 

「ゲーティアからの連絡もまだだし、今はリラックスしておこう。いやー、この歳になると立ちっぱなしも辛くてね」

 

 そう言って用意していた椅子に座る教授。

 

「そういえば教授。天界に保管されていた指輪が偽物だったという情報がありますが、どうお考えですか?」

 

 ゲオルグからの質問に、教授は鬚を撫でながら答える。

 

「良い質問だ。冥界焼却はその問題が解決してからになるだろうね。おそらく指輪はトライヘキサの封印に使われたのであろうと私は考えている。トライヘキサの正体は仮説の段階だったが、アーチャーの登場で確定した」

「アーチャー……並行世界の曹操ですね」

 

 苦虫を潰したような顔になるゲオルグ。彼がああなったのはどうしてだろうか。その世界線の自分たちは彼を止められなかったのだろうか。あるいは、自分たちが彼をああしてしまったのだろうか。どれだけ悩んでも答えは出ない。

 

 ゲオルグの主観だが、彼は過去の自分や仲間を本気で殺したいとは考えていないのではないだろうか。あの時、去り際にアーチャーは『絶霧』らしきものを使用した。最初からあれを使って不意打ちすれば確実に殺せたはずなのにそれをしなかった。これは自分に都合の良い考えだろうか。並行世界とはいえ曹操のことだから、無駄にカッコつけようとしたという可能性もあるが。

 

「ソロモンの術式が産み落としたならば、ソロモンの力で封印するのが最も適切だ。トライヘキサの存在はどうやらミカエルら熾天使にも知らされていなかったようだからネ。神がひとりで封印したなら、神が偽物とすり替えておいたことにも説明がつく」

「神は天使を信用していなかったのでしょうか?」

「だろうネ。現実、悪魔や堕天使と同盟を組んだだろう? そうなると現在はどこにあるのかが疑問だ。解除と同時に壊れたのか、ソロモンの協力者が持っているのか。ソロモンと協力関係にあった獅子王が持っている、なんてことも有り得るネ」

 

 教授が冗談交じりの呟きと重なるように、

 

 

 

 巨大な光の柱がアグレアスを貫いた。

 

 

 

「は?」

「え……」

「ちょ!」

 

 光の柱が消えると同時に、浮遊都市の高度が下がっていく。早い話、墜落しようとしていた。決して小さいとはいえない規模の浮遊都市が勢いよく大地に向かって堕ちていた。先ほどの光の柱が島を浮遊させていたなんらかを破壊したのだろう。

 

 島が落ちていく様子を見て、激しく動揺する一同。

 

「私の完全犯罪がああああああ! おのれ謎解き屋め!」

「完璧な計画、完全な展開の崩壊……さてはおまえだな藤丸立香!」

「落ち着いてください、教授! バアルも! その二人は多分関係ない!」

「ほら、深呼吸でもしてくださいッス」

「私の、私の残機……」

「アンドラス様お気を確かに!」

 

 おそらくあの光の柱はあの女神の槍だ。自分達が認識しているよりも更に威力が上に見えたが、あれが赤龍帝と融合して得た倍加の力ということだろう。

 

 このタイミングであることに疑問は覚えるが、それよりも作戦の修正が先だ。目的の希少金属の回収は可能か否か。

 

「ふー、ふー……動物でも植物でもなく、鉱物であることに救われたな。堕ちた後の残骸から意地でも探し出してやる。原石が少しでも見つかれば……」

「でもあんな光に飲まれたら鉱山ごと溶かされるのでは……?」

「あれが例の女神の聖槍ってやつですか? うわー、やばいですねー」

「残念なお知らせだ。計算の結果、今の光の柱が落とされた地点はちょうど例の希少金属の埋蔵地だ。座標と光の柱が見えた角度からして直撃だろう。原石が残っている可能性は低い……ちょうどいま二発目が発掘された金属の貯蔵庫がある座標に落とされたネ。徹底してるぅ!」

「あの女神の頭はマーマイトか何かでできているのか! 聖抜はどうした!」

 

 本来、冥界には太陽が存在しない。だが魔力で作られた疑似的な太陽が人間界の時間に則って昇るようになっている。だが、絶叫するバアルの頭上に昇った太陽は、この時間では有り得ない位置にあった。

 

 

 

 

 

 

「――以上が私からお話できるすべてです」

 

 キングゥからもたらされた情報は、先んじてある程度の知識を得ていた神々でさえ呆然とするほどのものだった。まったく予備知識のなかった者からすれば、どれほどの驚愕を受けたか。

 

 こことは異なる神秘を内包する世界。

 

 英霊。聖杯。抑止力。アラヤとガイア。サーヴァント。

 

 七つの手段により焼却された七つの時代。

 

 人類史を修復し、取り戻すために立ち上がった、人類最後のマスター、藤丸立香。

 

 そして、人類悪。人類を滅ぼす悪ではなく、人類が滅ぼすべき悪。

 

 キングゥの母であり、古代メソポタミアを滅ぼそうとした『回帰』の獣、堕ちた女神ティアマト。龍王最強の『天魔の業龍』ティアマットが可愛くなるような次元の話だ。キングゥの知識は、この女神を倒すために彼がその身を犠牲にして足止めしたところで終わっている。

 

 おそらく倒せたのであろう、というのがキングゥの見解だ。

 

 一通り聞いた神々は感嘆とした息を吐き出した。まったく違う法則で動く世界の証明。自分達の常識が一新されたのだから無理もない。

 

 何より重大なのは、キングゥが此方の魔術王――クルゼレイ・アスモデウスの身体を乗っ取っていたソロモンからビーストの霊基を感じ取ったということだ。人間にしか滅ぼせないというのならばアザゼルが倒したのは無駄であり、どこかで復活を待っている可能性もある。あの男が未だに滅んでいない、しかも自分達では倒せない。そのことがどれだけ神魔の心を揺るがせたか。

 

 ある事情により、その『異世界』については知っていた帝釈天は他の神よりも情報の整理が早かったため、一足先にキングゥに訊ねる。

 

「つまり、人類悪ってのはラーヴァナみたいなもんか?」

「認識としては近いですが、ラーヴァナの場合は相性というべきでしょう? 人類悪のそれは相性というよりは法則に近いですね。人間になら倒せるのではなく、人間にしか倒せません」

 

 キングゥの話を聞いて誰もがおおよその察しをつけた。

 

 キングゥのいた世界とやらは、どういう偶然か、この世界と歴史や名称が酷似している。つまり、この世界の存在と同じ名前の神々や魔王もいるわけだ。具体的にはそう、あちらにはあちらの七十二柱もいるだろう。そこまで考えたら『彼ら』の正体も分かろうというものだ。そして、彼らの背後にいるであろう王の名前を理解した。それが間違いであるとは思いもよらずに。

 

「こうなってくると俺たちもそれに対応するしかないか。となると、まずはそのカルデアって組織のマスターをどうにかしてこっちの世界に呼ぶところから始めるしかねえか? しかしこれまでまったく観測されなかった異世界への干渉か」

《カラスめ、本気でそのようなことをするつもりか?》

「言ってろ、骸骨ジジイ。ソロモンにできたことが俺に出来なくてたまるかよ」

《そういう意味で言ったのではないのだがな》

 

 ハーデスの言葉にアザゼルが首を傾げた瞬間だった。

 

 会場の中心にある空間に、白い亀裂が入った。

 

 空間を引き裂きながら出現したのは、白く光り輝く人間の少年の形をした何かだった。頭部には十本の角があり、背中からは鳥やドラゴン、コウモリなどの羽が六枚生えていた。その肩には兎のような猫のような白い獣が乗っていた。何より特出すべきは、そのオーラだろう。生半可な神仏などその瘴気を吸うだけで殺戮できてしまうであろうほどの重圧。世界を代表する神々が、まるで象を前にした鼠のように震えていた。

 

 悲鳴すら許さぬ瘴気を放ちながら、その少年は口を開く。その声にはどこか、あの忌々しい王のように怒りが滲んでいた。

 

「はじめまして、くそったれな修羅神仏のごみクズども。我こそはこの星の人類悪の一つ、『期待』の理を担う獣の半身。貴様らが『黙示録の皇獣(アポカリプティック・ビースト)666(トライヘキサ)と定義した者だ」

「フォフォウ」

 

 白い獣の可愛らしい鳴き声が、場違いに会場に響いた。一拍置いて、その名乗りに対して動揺と驚愕が走る。

 

「と、トライヘキサ、だと……!」

 

 どこに存在するか不明だった魔獣。黙示録に語られる力が事実なら、この場に集まった修羅神仏が力を合わせても無事では済まない。シヴァを始めとするインドの神々でさえ勝つことは難しい。だが、かの獣であればこのオーラも納得だ。こんな龍神や真龍に匹敵する怪物、他にいてたまるものか。

 

「HAHAHAHA! ……人類悪か。この場に人間いねえけど、どうするんだ? 逃げるか?」

 

 血気盛んな武神である帝釈天であっても、本能的にこの獣の相手はまずいと理解できるらしい。戦意というものが感じられない。強いて言うならシヴァを横目で見て、「どうやってこいつに押し付けよう」と考えているようだった。

 

「……まずは謝罪と訂正を。人類悪と名乗ったが(おれ)はすでに人類悪ではない。ちょっとテンションが上がって正確ではない発言をしてしまった。一個の生命ならばともかく人類悪としての666(トライヘキサ)は既に敗北している」

 

 黙示録の獣はまるで誇るかのように自らの敗北を告白する。

 

「いやはや、この場にいる神々さえまとめて余裕で滅ぼせるこの(おれ)が、何の武力もない脆弱な人間に倒されるとは。人類が倒すべき悪とは正にその通りだな」

「何?」

「フォーウ、ンキュ!」

 

 獣の鳴き声を聞きながら、アザゼルは先程のキングゥの話を思い出し、ひとつの結論に至る。

 

「黙示録の獣を倒せる人間……? そうか、この世界に来ているんだな。人類最後のマスター、藤丸立香が!」

「そんな貧相な発想しかできないから、おまえたちはあの馬鹿王にしてやられたんだ」

「フォウ、フォーウ」

 

 唾棄しながら否定するトライヘキサの肩の上で白い獣が呆れるように鳴く。

 

(おれ)を倒したのは、この世界の人間だ。おまえたちが知らない、おまえたちが覚えようとすらしないこの星の人間すべてだ。彼らはただそこに生きているだけで、この(おれ)に勝利したのだ。眠っている間は『期待』なんてしていなかったのだけどなぁ」

 

 アザゼルには理解できない。サーゼクスにも理解できない。シヴァや他の神々にも意味不明だった。トライヘキサの実在とその正体を知ったばかりの彼らには、この獣の発言の意味が分からない。否、どれだけ考えたところで真実に至れる神魔がどれだけいるか。

 

 ある意味、ソロモンだからこそ、その解に至れたのだ。完全で純粋な形で顕現した場合にのみ、この人類悪は極めて簡単に倒せるのだと。故に、彼はいつの間にか生まれていた自らの術式に、最初の愛を、自らの原罪を与え、キャスターとアサシンの協力の下、この獣を人類悪として完成させたのだ。

 

「それより面白い……否、不愉快な話をしていたな? リッカ・フジマル様をこの世界にお呼びすると?」

「ああ、おまえらを倒すには経験者の話を聞くのが一番良さそうなんでね。それに、キングゥの話からして、魔神柱ってのはそいつの敵なんだろう? 魔神を倒すという目的が同じ以上、俺たちの利害は一致するはずだ」

「――愚か、あまりに愚か」

 

 床に剣が突き立てられるような音がしたかと思えば、突然、その場に『死』が現れた。

 

 トライヘキサの強大さに目を奪われて気が付かなかった、なんて次元ではない。何故ならば、その人物もまた強烈な雰囲気を放っていたからだ。黙示録の獣が近くにいたと言えど、これほどの存在の登場に気が付かないなんてことは有り得ない。

 

 それは骸骨の面をつけた大男。巨大な剣を携え漆黒の衣装を着た姿はまさに死神。武を限界まで極めたであろう圧倒的強者の風格。一瞬でも油断すれば首を取られると、修羅神仏の誰もが感じ取った。実際、自らの首に手をやっているものも多い。

 

 強いか弱いかで言えば強いのだろうが、そういう問題ではない。強弱だの善悪だの、そんな単位で考えてよい相手ではない。トライヘキサがスケールが巨大すぎる漠然とした破壊現象ならば、この死神はあまりにも克明にして明確すぎる『死』だった。

 

「何者、だ?」

「魔術王の姦計に嵌められた道化と言えど、神の一角であれば名乗らねばなるまい」

 

 ある神からの問いに、骸骨面の剣士は堂々と名乗る。

 

「――幽谷の淵より、『此方』の魔術王の召喚に応じ、補足と祝福、警告に参った。山の翁、ハサン・サッバーハである」

 

 ハサン・サッバーハ。中東にある教団の暗殺集団の長であるはずだが、これが一介の暗殺者の気配であろうか。神代の英雄でもこれほどの殺気を帯びたものがいるだろうか。

 

(おれ)が来たのはこの御仁の付き添いに過ぎん。不要であるとも思ったが、万一この御仁に何かあれば申し訳がない。あの馬鹿王の後始末に付き合ってくださったことへの感謝を込めてな」

 

 神々が戦々恐々とする中で、最強の神であるシヴァは余裕のある態度で話しかける。

 

「では、ハサン殿とお呼びすればよろしいのですかな?」

「好きに呼ぶがよい。我が名はもとより無名。拘りも、取り決めもない」

 

 その受け答えだけで度量の大きさを示す山の翁に、アザゼルは次の質問を向ける。

 

「ソロモンの召喚に応じたってことは、おまえがサーヴァントってやつか?」

「然り。この身は愚行を承知で、魔術王と契約を結び、この獣の完成に手を貸した。すべてはこの時のために」

「っ! おまえ英霊のくせに世界を滅ぼす獣を目覚めさせたってのか!?」

 

 アザゼルは糾弾する。キングゥの話からすれば、英霊とは人類を肯定する立場にあるはずだ。これほどの力を持つ存在が何故そのような悪を成したのか。かつての神々がそうされたように、この死神もソロモンの甘言に乗ったということなのか。

 

「否、この獣はすでに世界を滅ぼさぬ。この獣が自らの口で告げたように、この獣はすでに人類悪にあらず。天命はこの世界の人類を選んだ」

「は、はあ?」

 

 この件に関してはこれ以上説明をするつもりがないのか、山の翁は話を戻す。

 

「キングゥの話の続きをしよう。カルデアのマスター、藤丸立香は原初の母、獣に堕ちた女神ティアマトを打倒した。そして、魔術王を騙った者に勝利し、人類史を奪還したのだ。かの戦い、実に見事であった」

 

 それを聞いて恐怖を忘れて興奮する神々。特に、オーディンと帝釈天の目の色が変わった。人類悪を打倒し、世界を救済した英雄。心底欲しいと本能的に考えてしまった。

 

「……へえ、あいつ母さんを倒したんだ」

「汝の協力あってこその成果である」

「…………ふん、どうでもいいね。まあ、このボクがあそこまでしてやったんだ。やり遂げてもらわないと困るね」

 

 これが第一の目的である補足。

 

 そして、第二の目的である祝福。

 

「原初の母の仔キングゥよ。汝の新たな道を、カルデアのマスター、賢王とウルクの民、復讐の女神、原初の母に代わり祝福する。その行く先に多くの幸あらんことを」

「え、あ、うん。ありがとう、ございます?」

 

 困っていた。面識があるわけでもない冠位暗殺者に「新生活おめでとう」と言われて、天の鎖の後続機は非常に困っていた。困惑以外のどういう反応をしろと?

 

「しかし堕落は許されぬ。一たび研鑽を怠ればその槍捌きも精神も衰えるであろう。原初の母の下で振るった手腕を、人を滅ぼすためではなく親しい者を守るために使うと良い。かの力を腐らせる道理はない。働け」

「あ、はい」

 

 要は「食っちゃ寝せず新天地でも頑張るんだぞ」と言われて頷くキングゥ。

 

「骸骨殿。詳しい事情は今知ったばかりじゃが、キングゥには私がいるので大丈夫なのじゃ! 私や母上がちゃんと幸せにしてやる!」

「あ、ボクがされる側なんだ」

「――良い。実に良い。無垢なる怪異の娘よ。女神の仔が堕ちぬように共にあるがいい。この光景は、獣に堕ちた神が描いたものではなく、汝ら自身が選んだのだ」

 

 これはキングゥを味方につけるには京都に取り入るのが手っ取り早いと判断する一方で、シヴァは最後の要件を促す。

 

「それでハサン殿。警告とは?」

「知れたこと。カルデアのマスターをこの世界に呼ぶことは許されん」

 

 元々重圧のある喋り方だったが、有無を言わさぬ声音だった。その身から発せられる殺意がより濃厚になる。

 

「あの魔術王の計画は汝らの怠惰と堕落から始まった。神とは純潔でなければならない。王とは高潔でなければならない。その責務を汝らは放棄し、醜態を晒した。神も魔も人も罪を犯した。その結果、あの王は異形に怒りを抱き、獣に堕ちたのだ。魔神柱を束ねる王も同じだ。汝らの犯した罪がかの王の怒りを買ったのだ。時代が流れても所業を改めるどころか悪化させる始末。自らの罪の清算に、無関係の他者を巻き込むなど堕落の極み。この激動の収束はあくまでもこの世界の責務」

 

 黒衣の剣士は床に突き立てた剣を緩慢な動きで持ち上げる。それだけの動作がとてもなく恐ろしい。まるで死刑執行の合図のようだった。

 

「まして、あの魔術師――我が契約者の人理を守る戦いは一時の休息を得た。その安寧を脅かすというのならば我が剣の切れ味を見せるとしよう」

「フォウ!」

「我が契約者に手を出そうと言う者は――」

 

 骸骨の奥からの視線が、この場にいるすべての修羅神仏を射抜いた。

 

「首を出せ!」




吸血鬼か。時を止める眼で何を見た? もう一人の己が積み上げた屍か?
聖魔剣か。中庸にすらなれぬ剣で何を斬った? 亡き同胞に託された未来か?
猫又か。仙術を棄てた肢体で何を成した? すべてを取りこぼす醜態か?
雷の巫女か。光なき雷で何を照らした? 愛憎の先を取り違えた道筋か?
紅髪の滅殺姫か。滅ぼすだけの力で何を救えた? 箱庭に閉じ込めた自尊心か?
赤龍帝か。欲望に飲まれた手で何を掴んだ? 返り血に塗れた小石か?
白龍皇か。貰い物の翼で何処を目指した? 野花すら咲かぬ地獄の底か?
聖槍か。人を刺した槍で誰に勝てた? 理想に溺れた己自身か?

次回「乱戦」

人類悪顕現まであと三話。




……ここだけの話、アサシン枠は新宿のアサシンや謎のヒロインXと迷った。
アンケートやっていますので良ければご回答ください。

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