憐憫の獣、再び   作:逆真

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原作じゃ全く描写されなかった二人の戦闘をしようってのに感想欄でほとんど触れてもらえない件について、ご本人たちから抗議が来ました。拙作では二人とも初登場シーンだったのに……。


誓い

「ソロモンよ、何を泣いているのですか? 貴方の怒り以外の表情など、私は初めて見ます。ふふ、馬鹿にしているわけではありませんが、とても魅力的ですよ」

 

 ……愛しい女王よ。私はどうしたらいい?

 

「異なる宇宙に何を視ました? 悲しいことではないでしょう。辛いことでも痛ましいことでもないでしょう。貴方は悲劇に対して悲しみではなく怒りで応える御方です。喜ばしいものを見たのですね? 感動して感激して、嬉しくて嬉しくて泣いているのですね?」

 

 ああ、そうだ、愛しい女王よ。

 

「妬ましいですね。羨ましいですね。貴方が怒りを込めず、本当に笑っているなんて」

 

 美しい世界があった。優しい世界があった。人間が人間として生きていられる世界があった。人間が滅ぼされた世界もあったが、彼らは胸を張って死んでいった。

 

 助けよう、などとは微塵も思えなかった。彼らは私よりも遥かに弱かった。彼らは私よりも遥かに愚かだった。だが、私の力も、私の知恵も必要ないのだ。だって彼らはどうしようもないくらい素晴らしい。どうしようもないくらい尊いのだ。

 

「聞かせてください。例えば、どんな人がいました?」

 

 私……俺と同じ名前を持つ男がいたよ。いや、俺と一緒と言っても彼の『人生』は死後が本番だった。一度死んで、使い魔として召喚されて、人間になってからが彼の人生だった。

 

 みっともないくらい臆病者だ。情けないくらい笑ってばかりだった。だけど、俺は彼が羨ましい。いや、あんな『最期』を迎えた男を羨ましいだなんて言うのは間違っていると自覚している。だけど、それでも俺には彼の生き様がどうしようもないくらいに羨ましい! 妬ましくて仕方がない! ああ、俺も倫理観が破綻しているけど人類愛に満ちた主人とか、中身おっさんの見た目美女な相棒とか、世界の未来を託せるような少年とか、獣に堕ちるほど真摯に人類を愛する使い魔とか、徐々に人間性を帯びていく娘とか欲しかった!

 

「もう! 最愛の女性を前に言うことですか!」

 

 あ、悪い。

 

「まったく。いえ、貴方がこの星の人間全員を愛しているのは知っていますけどね? 人間一人一人を真剣に心底愛しています。それでも、その愛は決して平等ではなく、決して均等ではない。この星で最も深い人類愛を持つ男に最も愛されていることこそ、私の誇りなのですよ?」

 

 その愛の深さのせいで、俺は神になることを願われている。俺は……人のままで死にたいよ。世界は一つの生命の意思でどうにかなるべきじゃない。

 

「ふふ、人間に自由を。思想に可能性を。貴方の考え方は未来過ぎて皆は理解できません。いつか理解してもらえる時代は来るのでしょうから、それまで神様でいれば良いのでは?」

 

 それもそうか。

 

「貴方が神になることを願っていますけど、私は今のまま、王のままで良いと考えていますよ。『真理』が作られてしまえば、貴方や『彼ら』の願う世界が来ることはほとんど確実なのですから。ちょっとくらい貴方が生きたいように生きても、問題ありませんよ」

 

 ベリアルやアスモデウスの協力もある。彼らも平和を望んでいる。彼らも対話を願っている。自分達の逸話が穢れることを承知で、『真理』の賛成に賛成してくれている。

 

 ……『真理』が完成すれば、ベリアルはソドムとゴムラを堕落させた悪魔として語られるだろう。アスモデウスがサラへ向けた愛情は歪んだ色欲として伝えられるだろう。ソドムとゴムラ――世界初の異種族混同が実現した都市を守れなかった天使の涙はなかったことになり、一人の人間を愛した魔王の痛みは独りよがりの情欲に成り下がる。彼らはそれさえ受け入れた。

 

「はい、彼らは願っています。我々と、人間と一緒にこの星を歩いていくことを。むしろ私としては貴方が彼らを許したことの方が意外です。神に、天使に、悪魔に、堕天使にこれほど怒りを抱く貴方が」

 

 何事にも例外はあるさ。それに、許したわけじゃない。俺は誰のことも許せない。愛することはできても、許すことはできないんだ。実際、ベルゼブブのことは嫌いなままだよ。ベリアルやアスモデウスのことは結構気に入っているが。

 

 あいつらのためにも、俺は『真理』を完成させないといけない。この世界を変えないといけない。

 

「ええ。それこそ貴方が輝かしいと感じた世界の人々がこの地に訪れた時、素晴らしすぎて妬ましいと思うようになると良いですね」

 

 ああ、それはいいな。

 

 きっと変えてみせるさ。異なる星の人々が羨むような素晴らしい世界に。人々がこの星に生まれたことを誇れるような美しい世界に。そうなれば主も認めざるを得ないだろうな。俺や我が先祖モーセだけではなく、この星の人類すべてが貴方の最高傑作なのだと。

 

「期待していますよ、愛しいソロモン。どうか善き世界を見せてください。……でも一つだけ言わせてください。その愛さえあれば貴方は失敗してもいいのですよ。貴方に愛されているということは、私たち人間にとって最大の誇りなのですから」

 

 ありがとう。君と出会えた奇跡に誓うよ、愛しい女王。俺は何があろうとも、人への愛を忘れることはない。

 

 ――そんな誓いをした次の日だった。

 

 ――彼女の死によって、我が理想は反転した。

 

 

 

 

 

 

 隠れ家へと転移したディハウザーは一人、溜め息を吐き出す。

 

「……私の憎悪さえも計画通りか、ソロモン」

 

 自分のような存在――異なる種族の愛が招いた悲劇の復讐者が現在にいることを確信していたのだろう。自分の先祖の理想を知った時、クレーリアの一件は皮肉としか言い様がなかった。彼女も『ベリアル』だというのに。

 

「何が計画通りなのかナー?」

「っ!?」

 

 銃口を背中に突き付けられた気配がする。反応しようとした次の瞬間には、ディハウザーの周囲を紫色の炎が円を描くように燃え上がった。

 

「……これはしてやられた」

「してやられたのはこっちの方だよ。バアル達の情報収集が優秀すぎて油断した。いや、これだと言い訳みたいだネ。素直に認めよう。よくも私を出し抜いたな、ベリアル」

「どうしてここが分かった、なんて質問は滑稽か。流石は犯罪博士。万が一裏切った場合のことは想定していたか。隠れ家まで特定されていたとは」

「その万が一の裏切りに気づけなかったんだから業腹だ。でも、このままだとマイレディズに『パパの無能』とか言われかねないんでネ。名誉挽回といかせてもらう」

「いやー、直接言う人はいないと思いますよ?」

「それって隠れて言うってことだよネ。陰口の方が傷つく!」

 

 どうやってこの状況から抜け出そうかと考えるディハウザーだったが、思考を中断した。有体に言って諦めた。復讐は成された。反転したビーストD/Lが顕現した以上、どうあっても冥界は滅ぶ。自分の従妹を死に追いやった全ては破壊される。

 

 諦観に浸るディハウザーの前に、ひとりの男性が佇む。それは背中に銃口を突き付けた人物でもなければ紫炎の所有者でもない。黒髪の男性だった。見知らぬ人物だったが、ディハウザーには心当たりがあった。

 

「……まさか、貴方が」

「ええ。僕が八重垣正臣ですよ、ディハウザー・ベリアル」

 

 ディハウザーから笑いが零れる。

 

「はは、まさかこのような形でクレーリアが愛した人間に会えるとは。自暴自棄に泥に飲まれなくてよかったというものだ」

「ソロモンに協力した時点で狂っていたと思いますが」

「人王の側にいる貴方に言えた義理ではないでしょう」

 

 二人の愚者の話をしよう。

 

 それは十年ほど前の駒王町で起きた人間と悪魔の悲恋の話だ。

 

 片や教会に所属する戦士、八重垣正臣。片や七十二柱の血筋の悪魔、クレーリア・ベリアル。敵対関係にあるはずの彼らは恋に落ちた。

 

 当時は神の不在が露呈しておらず、協定など考えられるような時代ではなかった。使徒と悪魔の恋愛など以ての外だったのだ。人と魔が愛し合うなど許されない。例外など認められない。だから、二人が所属する組織は、二人を粛清することを決めた。『皇帝』が出て話が深刻になる前に、身内の不始末を消すことを選んだ。

 

 この件には裏の事情があった。八重垣はともかくクレーリアには殺される理由が他にもあった。それが『王』の駒の存在だ。『悪魔の駒』には『王』の駒が存在しないことになっているが、実際は違う。個数こそ限られているが、存在するのだ。その効果は使用者の力を著しく上昇させる。レーティングゲームのトッププレイヤーの多くがこの『王』の駒を使用している。ディハウザーを例外とすれば、純血悪魔全員が使用している。この事実は一部の権力者のみが知っている情報であり、七十二柱の当主でも知らないほどのトップシークレットだ。クレーリアはこの真実に近づいたために消されたのだ。

 

「聖杯か」

「ええ。あの町を彷徨っていた魂を魔神グレモリーが回収したそうです。……悪魔は死んだ後に魂が残らない。だから……」

「心配しなくても、そんな期待はしていませんよ」

「……そうですか」

 

 そう言いつつも、ディハウザーの顔には失意の影があった。八重垣自身、自分が復活した時にそれを願ったため、何も言えなかった。

 

「僕は彼女を愛していました。人王による行動の制限がなければ復讐に走っていたほどに」

「ああ。それは良かった。あの子を想っての行動だとしても、貴方がそんなことをすることをあの子は望んでいないでしょう」

「鏡を見たらどうかネ?」

 

 ディハウザーも八重垣も茶々入れに苦笑が漏れる。

 

「仲良くするのもいいんだけど、私も急いでるんでね。話を進めさせてもらうよ」

「どうぞ、教授殿」

 

 全てを諦めたように投げやりな態度の悪魔。

 

「私が欲しいのは此方の魔術王や聖書の神よりも獅子王の情報だ。彼女にどれだけの情報を流した?」

「ソロモン関係のことを除けば、其方のサーヴァントと、アグレアス襲撃くらいですね。彼女と直接会ったのは一度だけで、後は秘書官殿を通じていましたので」

 

 それを聞いて思案顔で唸る教授。銃口はすでに下ろしているが、いつでも迎撃の準備はできている。

 

「どうもバアル達から聞いた人物像と彼女の行動が一致しないような気がするんだよね。彼女は聖書の神に召喚されたわけじゃないから誰かに操られているってわけでもないだろう。同時に、彼女は彼女の意思ではない何かに従っているような印象もある。そのあたり、何か知らないかい?」

「さあ。私はソロモンとのアポイントを繋いだだけです。あちら側で彼女が何をしていたのかさえソロモンから聞いた以上のことは知りませんよ」

「それだ。獅子王は何故魔術王への協力を承諾したのか。彼女の狙いは一体何なのか。流石に女神の心理なんて専門外だからネ。あの謎解き屋なら分かったかな」

 

 初歩的なことだよ、と決めポーズの宿敵の顔が浮かぶ教授。

 

「……女神ロンゴミニアドについては分かりませんが、魔術王については一つだけ確実に言えることがあります。あの男が星の改変を行った決定的な動機が」

「ほう? 興味深い。是非聞かせてもらおう」

 

 三千年前の『壺』と『真理』構築。世界中の神話への詐欺行為。聖書の神さえ騙した。そして現代のビーストD/R完成とビーストD/L顕現。魔術王の狂気の根源には、やはり愛があった。

 

「シバの女王を知っていますか?」

 

 

 

 

 

 

 その人物の登場に、魔神は驚愕を隠せなかった。

 

 桃色の髪。美少女と見紛う、派手に着飾った中性的な美少年。騎乗槍を持っているが、騎乗しているのは馬ではなく、魔獣。上半身は鷲、下半身は馬という『有り得ない獣』。

 

「遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我が名はシャルルマーニュが十二勇士アストルフォ! いざ尋常に―――勝負ッ!」

「――邪魔をするな最弱の騎士がァアァアアア!」

 

 魔神の攻撃が当たるよりも早く、騎士の少年――アストルフォはセラフォルーとソーナを相棒のヒポグリフの背に乗せて飛び立つ。

 

「もう危ないな! 怒り過ぎだし、やり過ぎだよ!」

「黙れ、黙れ、黙れ! 黙れぇ!!」

 

 その怒号は人智を超越した魔神の憤怒ではなく、もっと低俗でもっと身勝手な人間の罵倒だった。

 

「その悪魔の罪深さを知りながら庇うか! その悪魔の醜悪さを知りながら守るか! 貴様も人の側に立つ英霊ならばその悪魔を殺せ!」

「断る! 助けてって言われたからね!」

「ならば貴様も死ぬがいい……!」

 

 先ほどと同じように、巨大な身体に犇めく赤黒き眼球全てが危険な色を帯びる。

 

「焼却式クラン――」

 

 だが、眼球の輝きが途絶える。

 

「グラシャ=ラボラス、撤退だ」

「何を言っているフォルネウス!」

「これ以上は端末(フリード)がもたない。これほどの時間のクラン・カラティン顕現は予定外だ。……調整が不十分だったようだな。焼却式を放つ余力はない」

「しかしだな、グレモリー……!」

「フリードだけではない。これ以上この魔王に時間を割いている余裕はない。――我々は大至急、『期待』の獣を止めなければならない。彼が、彼の家族や友人を殺す前に」

「……っ!」

 

 その言葉に停止せざるを得ないグラシャ=ラボラス。

 

「覚えておけ、怠惰な魔王よ。いずれ悪魔の国ごと貴様の魂を一片まで焼き払うぞ……!」

 

 クラン・カラティンの巨躯が視界からぼやけると同時に周囲の景色が変わる。魔神柱が作った結界空間が解除されたようだ。自分達が抜け出せたということはソーナの眷属たちもこの周囲にいるはずだ。……生きていればの話だが。

 

 地面に着地したヒポグリフの背中から降りるソーナだったが、上手く着地できず地面にへたり込む。そういえば負傷していたんだったと自虐していると、アストルフォもヒポグリフの背から降りていた。

 

「大丈夫かい?」

 

 この人物は先程自身をアストルフォと名乗った。おそらくは英雄派の構成員だろうが、魔神柱と敵対しているのはどういうことだろう。だが、信頼はしても良い気がする。失礼かもしれないが、この人には人を騙す知能がなさそうに見えるのだ。

 

 アストルフォ。それはシャルルマーニュ十二勇士の一人。決して強い騎士ではないが、武勇伝は多い。

 

 差し出されたアストルフォの手を取りながら、ソーナはある事に気づく。

 

「あの、もしかして男性ですか?」

「そうだよ?」

 

 詐欺だと思いつつ、親友の『僧侶』を思い出した。男性を可憐だと認識したことに敗北感を覚えつつ、ソーナは立ち上がる。

 

「助けてもらって申し訳ありませんが、私の眷属を探すのを手伝ってもらえますか?」

「いいよ!」

 

 底抜けに明るい笑顔に、こんな状況でも安心感を覚えるソーナだった。




魔術王ソロモン。今は無き女王に代わっておまえに決を下す。
“――――その憤怒に安らぎあれ。汝の解答は、四千五百年前に失敗した”と。

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