憐憫の獣、再び   作:逆真
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この話を最後まで見た貴方は、「あ、終わった」と言う。


解式

「シバの女王を知っていますか?」

 

 ディハウザー・ベリアルの問いに、教授は不思議そうに答える。そんな分かり切ったことをどうして聞くのか分からなかった。

 

「そりゃ知っているよ。ソロモンの配偶者のひとりだよネ」

 

 だが、その場に居合わせた八重垣正臣とリント・セルゼンの反応は違った。

 

「しばのじょうおう? えっと、シバノって名前なんですか?」

「へー、そんな人がいたんスね。ソロモンって奥さんも愛人もいっぱいいたらしいスからねー。全部は分からないです」

「え?」

 

 ある程度旧約聖書に詳しい人間ならば必ず知っているはずのシバの女王を、よりにもよって元は教会で働いていた二人が知らないなどおかしい。

 

 そもそも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「成程、ソロモンの妻ですか。其方の世界ではかなり重大な役割を担っていたようですね、シバの女王とやらは」

「もしかして、こっちの世界はいないのかい?」

()()()()()()

 

 いるでもなく、いないでもなく、分からない。『真理』の影響は神話を歪めるものだ。逸話的にも権能的にもその効果は及ぶ。だが、実在への影響は変わらない。複数の存在が同一のものとして扱われることはあっても、『そこにいた』という事実だけは打ち消せない。存在が未確認だった黙示録の獣が世界に周知されていた時点でそこだけは明らかだ。

 

「私の血が伝えてきた聖書の神の遺志は、指令だけではなく、警告もあったのです。『ソロモンがまたシバの女王に惑わされぬようにしろ』とね」

「また?」

 

 他ならぬ聖書の神がそこまで警戒している時点で、実在していることは間違いない。まさか『F』世界のシバの女王を指しているわけではないだろう。『F』に関する警告ならばむしろ、英雄王を始めとする規格外の英霊を挙げるはずだ。

 

「ですが、シバの女王とやらが誰を指し示すのか私には分かりませんでした。ソロモンの時代にシバなる国が存在していたことだけはかろうじて判明しましたが、そこを治めていた王がどのような人物だったのかさえ不明でした。時間がなかったなど言い訳にならないほど、人間側にも異形側にも資料が存在してなかったのです。忘れられただの消されただの歪んだだのではなく、最初から存在していないようでした」

「……聖書の神が『シバの女王』という名義で伝えてきた以上、聖書の神は関わっていないことは明らかだ。だけど、そうなると真犯人が不明……いや、ソロモンの可能性が高いかな」

 

 フェニックスのような例はあるが、『真理』を上手く扱える存在は魔術王と唯一神だけのようだ。ひょっとしたら、救世主も含まれるかもしれないが。

 

「私もそう睨んでいます。そして、『F』と此方の歴史は似通っています。シバの女王がソロモンの妻であったとしたら、シバの女王こそが星の改変の決定的な動機となった。神が警戒している以上、その可能性が高いかと」

「こっちにもシバの女王がいて、ソロモンが彼女に関する記録を消した張本人だというなら、その推論は無視できない話だね」

 

 これは大至急ゲーティア達に伝えるべき情報だと連絡しようとする教授だったが、少し前に覗覚星の提示した推論を思い出した。

 

「あの仮説が正しかったという可能性もあるとしたら、私としてはあまり歓迎できない展開だネ。悪のカリスマたる私が真の黒幕は誰か、なんて陳腐なジョークに翻弄されたくないものだ」

 

 

 

 

 

 

 ナベリウスの号令を聞いて、曹操は名残惜しそうに頭を振った。

 

「帰るぞ、ゼノヴィア。……それにしても失敗? 教授やバアルがいながら何かあったのか?」

「こら首根っこを掴むな! 猫じゃないんだぞ! イリナ、勝負は預けたぞ!」

 

 曹操の疑問にはモードレッドが、ゼノヴィアの捨て台詞にはイリナがそれぞれ応じた。

 

「悪いが、おまえらの狙っていたアグレアスなら今頃父上が落としているはずだぜ」

「ざまあ見なさい、ゼノヴィアのばーか! 次戦う時は貴女が改宗する時なんだからね!」

「おまえちょっと黙れ。……アグラヴェインの野郎、変な奴押し付けやがって」

 

 イリナの頭を小突くモードレッドに共感めいたものを覚えながら、曹操は事前に受け取っていた礼装で転移する。他の英雄派構成員もそれに倣う。

 

 一方、復活して初の大きな戦場に邪龍たちは興奮が冷めない。

 

『グハハハハハ! どうしたよ、死ねよ! おっ死ねよゴミども!』

「先の命令が聞こえなかったか? 撤退だ、邪龍ども」

 

 魔神サブナックの命令に対して、邪悪なる龍たちはその由来に相応しい凶暴性で返した。

 

《だ、そうだぞ。グレンデル、ニーズヘッグ》

『ああん!? 何言ってんだ、これから楽しくなるんだろうが!』

『もっと、もっと、戦うんだよぅ!』

「アグレアスの作戦は失敗した。バーサーカーは現場の戦闘に参加しているが、アーシア・アルジェントが此方に向かっている」

『よし、帰るか』

『帰りましょう』

 

 態度が一変するグレンデルに、口調まで変化するニーズヘッグ。

 

「治癒は要り様か? 現在の状態では彼女の『治療』を受ける羽目になるが」

『ああ、頼む』

『お願いします』

 

 あまりの変貌に二体にボロボロにされた玉龍が驚愕する。

 

『え、おまえらどうした!? そんな殊勝な奴らじゃないだろう!』

『黙れや! おまえは姫さんの恐ろしさを知らないからそんなことが言えるんだ!』

 

 泣いていた。頭のネジがはまっていないとさえ言われ、各神話に忌まれ、一度完膚なきまでに滅ぼされた凶悪にして凶暴にして邪悪なるドラゴンが、注射を怖がる子どものように泣き喚いていた。

 

『毒を浴びれば鱗を剥がされ、炎を受ければ薬を塗りこまれ、水浴びをしてずぶ濡れのままにしていたらビンタが飛んでくる。そこらへんの獣を拾い食いしようもんなら無理やり吐き出される。言うことを聞かなければ発砲される。何でドラゴンが人間に健康管理されねえといけねえんだ!』

『うお、思い出してちょっと吐き気が……』 

 

 邪龍の慟哭が聞こえて来た教会の戦士たちは顔を合わせる。

 

「アーシア・アルジェントって、例の『魔女』だよな?」

「あ、ああ。一時教会内部でも話題になった悪魔も治療できる元聖女……」

「私の聞いた話だと、か弱い少女のはずなんだけど」

「か弱い少女が邪龍に恐れられるはずないだろ」

「ただの同姓同名でしょ。そうに違いない」

『おい』

 

 グレンデルの口から吐き出されたそれは邪龍に相応しき殺気と、邪龍に不似合いな憤怒が込められていた。

 

『いま、魔女って言った奴、誰だ?』

 

 比喩ではなく射殺す視線を受けて、震えあがる戦士たち。彼らの前に最強のエクソシスト、デュリオが立ちふさがる。四大神滅具の一つ、『煌天雷獄』は健在だ。彼がその広範囲高火力の神器を持っていたからこそ、教会側の被害は邪龍や魔神を相手にしても最小限で済んでいる。

 

「おっと、退くなら退いてくれよ。お互い、これ以上戦っても意味はないって」

『ああん?』

「グレンデル。重ねて命ずる。撤退だ」

『……ちっ。分かったよ、サブナックの旦那』

 

 魔神柱と邪龍が転移し、この戦場に残ったのは教会の戦士と乱入したばかりの円卓の騎士、そして堕天使たちと二人の英霊だった。

 

 堕天使幹部のひとりアルマロスとタミエルは、突然現れた二人の戦士と相対していた。剣を携えた赤毛の少年と槍を構えた金髪の青年。

 

「むぅ! 何者だ! 魔神柱の一派か?」

「待て、アルマロス。あれを見ろ」

 

 タミエルは金髪の青年が担いでる龍の首を指し示す。それは最上級悪魔タンニーンの首だった。両名ともに血塗れだが、ほとんど返り血なのだろう。

 

「先程撤退の号令がかかったが、君達は帰らなくていいのかい?」

「余達は魔神柱の味方ではなく、どちらかと言えば《此方》のソロモンの側なのでな」

「何を……魔神柱とは、ソロモンの眷属ではないのか?」

「違うぞ?」

「そして、私たちは君達の首級を討つためにここにいる。魔神柱が君達を倒す前に到着し、彼らが撤退してくれたことは僥倖だった。どうしてか。簡単に言ってしまえば、君達を討つことで私たちは願いを叶えられるのさ」

 

 各人、戦闘態勢に入る。堕天使の二人は魔神柱との戦いで消耗している。連れて来た部下の多くもすでに重症か死亡している。対して、二名の英霊は最高潮だった。多少のダメージはあるものの、目の前の堕天使を倒すことでようやく願いを果たせるのだ。

 

「ソロモンと私達の盟約は『堕天使をひとり二体ずつ首級に上げる』ことで、『どんな願いでも叶える聖杯』を私たちは受け取れる。まあ、現物はすでにもらっているし、すぐに使えるんだが、先に利益だけ得るなどあまり誠実な行為ではないだろう?」

「ランサーはともかく余の願いは通常の手段では実現できぬものでな。ソロモンの申し出を断るのはあまりにも惜しかった」

「馬鹿な……。あれがどのような王であるかを知っているのか?」

「知っているからこそだ」

 

 アーチャーはかの王を詐欺師と断じたが、愛に関してだけはあの王は真摯だった。だからこそ、この二名の英霊を召喚したのだ。単に強いだけならば、単に異形に恨みがあるならば、単にシンプルな願望を抱いているならば、他にも相応しい英霊はいたはずなのに。

 

「それと、バラキエルを殺したのは余だ」

「サハリエルは私が倒した」

「……っ! そうか、自分から白状するとは命知らずな。バラキエルの娘のためにも、おまえたちだけでも倒させてもらう!」

「これは個人的な感情なのだがな」

 

 ラーマは自らの剣の切っ先をアルマロスに向ける。

 

「異形を滅ぼす戦士としてではなく、愛する者を異形に攫われたひとりの人間として」

 

 特撮番組に魅入られたという恰好をしている堕天使が、あの羅刹王と重なった。

 

()はおまえたちを許さない」

 

 

 

 

 

 

 シバの女王。その名前に対する周囲の反応を見て、レフは重々しくうなずいた。

 

「やはりな。おまえが本当にソロモンならば『彼女』を、シバの女王を知らないなんて話があるはずがないんだよ」

「…………」

 

 そう語るレフに、兵藤一誠(ソロモン)は沈黙したままだ。その鎧兜に包まれた表情がどのようなものかは想像するしかない。

 

「今しがた、大至急確認した。この世界には『彼女』の記録はあった。あったが、この世界の人間や異形はその記述を認識できない。書いてあるのに読むことができず、綴っているのに見えていない。認識できないことにさえ気づかない。人々は『彼女』の存在を認識しないまま三千年も伝承してきた。そして、これこそが『真理』の呪いの正体だった。ソロモンが後世に伝えたい、たった一つの黒幕への王手だった」

「…………」

 

 リアス・グレモリーは朦朧とする意識の中で、「この世界」という言葉の意味を解りかねていた。それでも、兵藤一誠が自分の意思でリアスを攻撃したわけではないことに安堵していた。

 

「この世界に『彼女』がいないが故に、そこの悪魔たちが『彼女』を知らないという話なら納得できる。だが、ソロモンは知っておかなければならない。奴は私たちの世界を見ているのだから。私たちの世界に、確かにソロモンの傍らにいたシバの女王を見ているはずなのだから」

「………………」

 

 アーチャーは内心で同意する。彼はソロモンとそういう会話をした。あの世界に焦がれたからこそ、魔術王は人類悪をこの世界に発生させるという災禍を犯したのだ。そして、あちらの世界のソロモンを心底羨ましいと評した。ならば、あちらのソロモンの隣にいた女性のことを知らないはずがない。まして魔神柱がこれほど語る女性ならば尚更だ。

 

「摩耗して忘却した? 馬鹿を言え。おまえは私のレフ・ライノールという名前さえ知っていた。しかもその後にフラウロスと言い直してな。おまえがソロモンならば、自分と同じ名前をした男の最も特殊な立場にいた女の存在を忘れられるはずがないだろう」

「……………………」

 

 リゼヴィム・リヴァン・ルシファーは事の成り行きを見守った。彼の性格を考えれば、見過ごしたという方が正しいかもしれない。どの道、リゼヴィムは既にソロモンから報酬を受け取っている。前払いでもちゃんと相手にやるべきことをさせるあたり、ソロモンの手腕である。

 

「興味があったのはソロモンだけで、ソロモンの関係者の名前までは憶えていない? それも却下だ。先程と同じ理由で。おまえにとってはレフ・ライノールという記号さえ重要だった。であれば『彼女』のことを覚えていなければバランスが取れない」

「………………………」

 

 レフ・ライノールは言霊を繋ぎながら、この獣を憐れんでいた。そして、この獣を構成するものの正体に対して怒りと不快感を覚えていた。唾棄すべき三千年前の真実に辿り着いてしまった。

 

「以上の結論から、おまえの正体はソロモンではない。おまえは自分がソロモンだと思い込んでいる、泥の影響で兵藤一誠の内から生まれた多重人格のようなものだ。ソロモンが魂を封じた指輪は一つだけであり、他の指輪に封じてあったのはどちらかと言えば精神の方だ。ソロモンの人格が最も『期待』の獣の人格に相応しいが故にそうなっただけに過ぎん。その証拠に、おまえは兵藤一誠が知る以上のことは知らないだろう? おまえが自分のことをソロモンだと思っている根拠は、その狂った妄想以外に何かあるのか? もしもおまえがソロモンだというなら、三千年前のイスラエルの臣下や民の名前を挙げてみるがいい」

「…………………………」

 

 木場裕斗は怪訝に思う。レフ・ライノールの言葉は矛盾している。この男のことを兵藤一誠は知っている。だが、彼が『フラウロス』であることなどいつ知ったのか。指輪を通じて知ったのか。そうでなければおかしい。兵藤一誠が、知っていながら自分達に隠していたとでも言うのか。

 

「そして我々の推論が正しいのならば――おまえという人格の核になっているのはソロモンですらないぞ。おまえが唱える理想も、おまえが抱く感情も、兵藤一誠でもなくソロモンでもない、獣にすらなれなかった存在に由来する妄想だ」

「関係ない」

 

 ここでようやく獣は口を開く。

 

「俺が兵藤一誠(にせもの)だろうとソロモン(ホンモノ)だろうと、関係ない」

 

 もはや愛でも悪でもない。

 

「俺が偽物だとしても、俺の理想は本物だ。俺の異形どもへの憎悪は本物であり、俺の人間への期待は本物以外の何者でもないんだよ!」

「いいや。それさえも偽りだ。借り物ですらない」

「黙れ! 俺の理想が、憎悪が、期待が、信念が偽物であるはずがない! もしもそうであるなら、何の為の三千年だったというんだ! 何のために、人類は傷を受け、泥を貯め、獣を育てて来たというんだ! これらすべて、人類が次のステージに上がるための下準備! 必要な犠牲に他ならない! そうでなければ、どうして俺たちがこんな目に遭わなければならない!」

 

 無為な苦痛はある。不要な犠牲はある。だからこそ、人類悪が生まれるのだ。だからこそ、人理補正式は己の役目を放棄し、星の転生を目論んだのだ。それはこの世界でも同じことだ。それを理解しながら、獣は目を逸らす。かつて本物の魔術王が犯した罪を重ねる。

 

「俺こそが、人類(かれら)希望(かみ)となるんだ!」

 

 押し付ける妄執と押し付けられた偶像。その二つが一体化したビースト。

 

 人類悪からさえ逸脱した獣に、そのどうやっても報われない絶望に、“否”を叩きつける少女がいた。

 

「いいえ、それは違います。貴方は神などではありません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方は患者です」

 

 鋼鉄の天使の弟子、到着。








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