憐憫の獣、再び   作:逆真

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あけましておめでとうございます
今年も拙作をよろしくお願い致します


夜明けはまだ遠く

禁手化(バランス・ブレイク)――――穢れ無き極光の園(トワイライト・ランプ・サンクチュアリ)

 

 アーシア・アルジェントの亜種禁手(バランス・ブレイカー)穢れ無き極光の園(トワイライト・ランプ・サンクチュアリ)

 

 外見は、アーシアの手のひらに収まってしまうほどの小さな灯火。その効果は『治療』あるいは『最適化』とでも言うべきもの。効果範囲はこの火の熱を感じられる円形であり、一度に複数の対象を捉えることが可能だ。身も蓋もない言い方をすれば、「火の熱を感じる範囲にいる生命体を無理やり健康にする」能力である。

 

「あ、あうううあ、おいあああああ!」

「GYAEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!」

「え、(おれ)も!?」

 

 今回発動条件下にいたのは、兵藤一誠、ヴァーリ・ルシファー、トライヘキサの三名である。

 

「や、やめろ、やめて、くれ……!」

 

 まず、兵藤一誠が苦痛に悶える。ヴァーリとトライヘキサの拘束から抜け出し、殺すべき少女が手の届く場所にいるというのに両膝をつき、祈るように天を見上げることにしかできない。

 

「まだ、俺は、俺はまだ誰の願いも叶えていない! 誰の想いにも報いていない!」

 

 その魔神の如き紅蓮の鎧が、古びた鍍金のように剝がれていく。鎧の下には泥の塊がいた。人の形をしている、怨嗟の塊が自らの終わりを否定していた。彼の身体を覆う泥は虫が蠢くようにうねっていた。

 

「他の誰も忘れても、俺だけは覚えなければならない! 俺が世界に思い出させなければならない! 俺は――俺は誰の無念も消せていない! 誰かを痛みから救えていない! まだ俺は滅ぶべきではない……!!」

 

 やがて泥も拭われていく。兵藤一誠の手が、足が、目が、耳が、口が、命が人類史の業と闇から解放されていく。彼の身体から剥がれた泥は地面に落ちると途端に消滅していく。

 

「やめろやめろやめろやめろやめろ、やめ……あ、あうううあ、おいああああうおいえあいうおああああ!」

「誰も彼もが貴方に『期待』している訳ではありません。そこは勘違いされないようお願いします。そもそも、世界中の絶望をただ一人に負わせるなど、本来は正気の沙汰ではないのです。私たちは確かに、痛みとともに生きています。ですが、痛み以外のものも確かにあるのです。世界は美しいだけではありませんが、ちょっとずつでも綺麗になっています。そして、それは今日や明日に為そうと急ぐようなことでもないのです」

 

 泥と一緒に、彼の身体に埋め込まれていた異物が排出される。八個のチェスの駒と九個の指輪が。

 

「気楽に、そして誠実に――であれば、私たちはきっと大丈夫。貴方は、此処で終わって良いのです」

「……ありが、とう」

 

 獣の断末魔(かんしゃ)とともに、泥は完全に拭われ、指輪が役目を終えたように砕け散った。

 

 同時に、兵藤一誠が地面に倒れる――前にアーシアが抱き止めるように支える。

 

「おやすみなさい。そして、おはようございます」

 

 朧げな意識の中で、一誠は確かにその声を聴いた。半年も前に、五分も会話していないはずの少女の声を。

 

「アーシア……?」

「はい。お久しぶりですね、イッセーさん」

 

 一方、少女も少年を覚えていた。そのことが、少年にとって最大の救いだった。少年は自らの命の終わりを悟っていた。荒療治による泥の排出で生命が摩耗してしまったのだ。体力や魔力などではなく、根本的な生命力が足りない。

 

「最期に君に会えて……良かった……」

 

 死を受け入れようとする兵藤一誠に、アーシアは最期という言葉を否定する。言葉ではなく物理で。

 

「心肺蘇生!」

「ごふっ!」

 

 アーシアは一誠の腹部に強めのパンチを繰り出す。

 

「死なないでください。私は貴方を救います。貴方を殺してでも!」

 

 滅茶苦茶である。

 

「心肺蘇生ってあんな方法だっけ……?」

「何かが間違っている気がする」

「いや、全部間違っているからな」

「心肺蘇生っていうかただのショック療法」

「普通なら治療にすらなりませんよね」

「こひゅー、こひゅー……」

「呼吸確認!」

「でもちゃんと蘇生させるあたり、アーシアだ」

 

 ひそひそと話す英雄派を他所に、アーシアは冥界から戻ってきた救援に声をかける。それは、聖杯を持って生まれた半吸血鬼。

 

「では、ヴァレリーさん。後はよろしくお願いします」

「はい、任せてください!」

 

 これが正しい反則技の使い方である。

 

「では、怪我人の皆さんは整列してください。これより治療を開始します」

「い、いや、まだ冥界で円卓と戦っている奴らもいるからその救援に――」

「は?」

「いいえ何でもありません大人しくしますからその拳を下げてください看護師様!」

 

 よろしいと頷くアーシアだったが、強い舌打ちを一つ。

 

 いつの間にか、ヴァーリ・ルシファーとアーチャーの姿がなくなっていた。どちらも治療が必要だというのに。

 

 リゼヴィム・リヴァン・ルシファーもいなくなっているのだが、彼は特に病人でも怪我人でもないので最初からアーシアの関心の外にいた。

 

「うお、何これめっちゃスッキリ! これが噂に聞くデトックスか。身体が軽い。アーシア・アルジェント様、貴女が天使だったのですね!」

 

 その傍らで、身体に溜まっていた泥の残滓を吐き出したトライヘキサが元気溌剌していた。

 

 

 

 

 

 

 突然だけど授業を始めよう。紙とペンを!

 

 ああ、待った。どちらも私が用意しよう。此方を使い給え。ちょっと試し書きをしてもらえるかい?

 

 ……そう、黒いボールペンに見せかけた赤のボールペンだ。

 

 どうして君はこのボールペンが黒だと思ったのか。理由は、ボールペンの外の構造が黒だったことと、この場面設定として黒の方が適切だったことが挙げられるね。

 

 しかし、紙に書くまでこのペンの色が赤になっていることに気づくのはよっぽど観察力のある人間だ。ポールペンの色には見た目で分かるという先入観があるからね。そして、芯を出してみるまでこのことには気づけない。

 

 そして、芯を出す前にペンを火の中に放ってしまえばそれが実は黒のペンではなく赤のペンであったと気づくのはほぼ不可能だ。

 

 さて、この話を参考にして思い出して欲しい。

 

 アザゼルとサーゼクス・ルシファーが京都でソロモンを倒した後のことだ。彼らは指輪を破壊した。当然、彼らの認識では、あれは本物のソロモンの指輪の一つだったはずだ。クルゼレイ・アスモデウスがソロモンになった振りをしていた、というのも無理がある。あの場にはアザゼルがいた。本物の魔術王を知る者ならば、噂に聞く『笑いながら怒っていた』表情を間違えるはずもない。だから、あの場でソロモンは二度目の死を迎えた。この事実を否定するつもりはない。

 

 では一旦、指輪について考察を重ねてみよう。

 

 ソロモンは指輪で復活した。指輪の効果は指輪に封印されたソロモンの魂が使用者の身体を乗っ取る。ここまではいい。だけど、指輪の効果はそれだけなのかな?

 

 例えば、そう――『ソロモン』が死ぬ度にその魂を回収するような能力があるのではないか、というのが私の見解だ。

 

 もっと言えば、一度指輪を使用してしまえば、指輪を外そうと使用者の身体はソロモンに乗っ取られたままではないかと考えても不自然ではないよネ。むしろ身体を乗っ取るのに指輪を装着し続けないといけないなんて片手落ちを、これほどの完璧犯罪を実行した魔術師がするだろうか。

 

 以上の考察から結論を述べよう。

 

 サーゼクス・ルシファーの破壊した指輪は偽物だ。

 

 あの時点で三大勢力が何をどの程度把握していたかは不確定だが、少なくとも、指輪でソロモンが復活したことは間違いようがない事実だ。だから指輪を破壊しようとすることは必然。そして、自らが乗っ取られる可能性を考慮して干渉を最低限にしようとするのも自然。ならば、指輪が偽物だったとしても気づかないのは当然。ましてソロモンは一度神相手でも騙せる指輪を偽造しているんだ。共犯者であるベリアルを例外とすれば、魔王程度の眼を誤魔化せないはずがない。

 

 もしもあの場にサーゼクス・ルシファーだけだったなら、彼は指輪を軽くでも調べたかもしれない。彼はソロモンと直接面識がないからね。乗っ取られる可能性を考慮しても、指輪が、というかクルゼレイ・アスモデウスを乗っ取った指輪が本当にソロモンのものなのか調べたかもしれない。

 

 だが、あの場にはアザゼルがいた。ソロモンと直接面識がある者がいた。そのアザゼルが間違いなく本物だと認識していた以上、クルゼレイ・アスモデウスの身体を乗っ取っていたのはソロモン。そして、指輪でソロモンが復活した以上、その身につけている指輪こそがソロモンの指輪であると誤認するのは無理もない。

 

 加えて、あの場には京都妖怪の大将である八坂がいた。ソロモン本人を知らず、ソロモン王という脅威の面だけを知る者がいた。それが余計にサーゼクス・ルシファーの危険意識を高めた。ソロモンを危険視しているのは自分たちだけではないのだから、一刻も早く排除すべきだと思った。

 

 更に、あの時点では獅子王や白龍皇と戦った直後だった。正体不明の敵。まして二天龍さえ超える脅威。聞いた話だとキングゥについても色々あったらしいしね。それだけの問題を抱えているんだからやれることは早く済ませてしまおうと急くのも無理はない。

 

 まして、あの時点では『騎士』が正体不明のソロモンの刺客と戦っていた。情愛が深い魔王ならば、一刻も早くソロモンという最大の問題を解決して眷属の無事を確認したいはずだ。

 

 サーゼクス・ルシファーにも、アザゼルにも、これらの条件のせいで思考を回す余裕がなかった。そして、一度倒したと安心したからこそ、考え直す気もなかった。ソロモンは死んだと結論付けてしまった。当然、他の勢力も手抜かりがあったとは考えられずそれを信じた。キングゥの話を聞いた今なら気が回るかもしれないけどネ。

 

 どの道、魔術王は復活を待っていると考えるべきだ。指輪の中で怒ったように笑いながら。――あるいは、すでに新しい身体を手に入れているのかもしれないか。

 

 

 

 

 

 

 冥界奥地のある研究施設に、リゼヴィム・リヴァン・ルシファーの姿があった。

 

「うひゃひゃひゃひゃ! いやぁ、大したもんだねえ。強い英雄様が生まれて魔王の息子であるおじさんもテンションあげあげだよ!」

 

 心にもないことを言うリゼヴィムの前に、ユーグリット・ルキフグスが参上する。

 

「お帰りなさいませ、リゼヴィム様」

 

 魔王直轄の施設で軟禁状態にあるはずの彼だったが脱走した。リゼヴィムも同じである。元より冥界の戦力は会談の方に集中していたこともあるが、件の指輪を所有していたベリアルの協力があったのだ。いくら堅牢な城であろうと魔王がいないのならば脱出は容易である。

 

「戻ったよユーグリットくん。予想外のことはあったけど、これで概ねソロモンとの契約は終わりだ。俺たちは俺たちのやりたいことをやらせてもらおう」

「御意に」

 

 そんな彼らの前に車いすの女性が現れる。身に纏う雰囲気は悪魔のオーラ。気品はあるが、病み上がりのようなやつれた顔つきだ。

 

「ただいま、ママン!」

 

 女性の姿を視認するなり、リゼヴィムは満面の笑みで抱き着いた。その女はリゼヴィムの抱擁を受けながら小さく微笑んだ。

 

 この女悪魔を創世記から生きる聖書に記された者が見れば驚愕しただろう。何故生きている、と口にしたかもしれない。

 

 彼女こそが悪魔の母リリス。初代ルシファーの妻にして、ほとんどの悪魔にとって母と呼ぶべき存在。原初の人アダムの最初の妻でもある。

 

 はじまりの悪魔――『初代』と呼ばれる悪魔はリリスから生まれた。四大魔王や番外の悪魔などは除くが、ほとんどの悪魔はリリスが生み出したのだ。リリスが生み出した悪魔の中でも特に優秀な個体こそが、初代七十二柱だった。

 

 悪魔の誕生は初代ルシファーとリリスによる儀式によってなされたが、唯一二人が交わって生まれた悪魔こそがリゼヴィム・リヴァン・ルシファーだった。

 

 多くの悪魔を生み出した代償として、リリスは肉塊になった。肉塊となったリリスはリゼヴィムによって厳重に、そして極秘に守られていた。

 

 リゼヴィムがソロモンに対して出した要求は二つ、『泥』に関する知識と、母リリスの再生だった。

 

 結果として、リリスは肉塊から人型に戻った。ソロモンが作り出した聖杯に旧魔王派の死体を手当たり次第につぎ込んで燃料とし、原初の母は蘇った。もっとも、元通りになったのは形と能力だけだ。記憶や人格はほとんど残っていない。肉塊に変わり果ててから時間が経過していたし、それだけ初代ルシファーが妻に無理をさせていたことの証明だった。

 

 だが、リゼヴィムにとってはそんなことはどうでもいい。言葉を発することができずとも、自分のことを朧気にしか覚えておらずとも、母がこうして生きて、自分を見てくれているだけで満ち足りる。

 

 たとえ、ソロモンがリリスに新しい悪魔を生ませるように要求したとしても、父が施した儀式とは比較にならないほど母への負担は少なければ問題はない。……生まれた個体が超越者であり、それがソロモンの新しい身体になったともなれば惜しい気はするが。

 

 

 

 

 

 

「ああ、素晴らしいな」

 

 それは少女の形をしたナニカだった。

 

「何でだ」

 

 少女は魔術を用いて、ある光景を見ていた。本当に美しいものを眺めていた。

 

「何で、俺たちはあそこにいないんだろうなぁ……」

 

 本当に辛くて、悲しくて、寂しくて泣いていた。

 

「俺たちは一体、何を間違えてしまったんだろうか。ああ、でもやり遂げるしかないよな。主ならばともかく『奴』の思い通りになどさせるものか」

 

 無理やり涙を拭えば、そこには激怒を宿した笑顔があった。

 

 魔術王の脅威は未だ終わらず。




第一案、獣の再利用は、原罪の継承によって中断された。
第二案、異世界の吸収は、英霊の警告によって妨害された。
第三案、泥による汚染は、異形の姦計によって阻止された。
ああ、君達に罪はない。全ては私のミスだ。
君達の愚かさを理解できなかった私の責任だ。
大丈夫だ。私たちには第四案がある。
今一度、君達を真の楽園に導かん。

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