憐憫の獣、再び   作:逆真
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アンケートのご協力ありがとうございました。

今回の話は新宿を参考にしましたので、まだの方はブラウザバック。


私はお前ではない

 魔神柱にも派閥というものがある。ただし、それは現在の計画に関しての意見の衝突ではない。

 その焦点は、聖書焼却を成した後、この世界に残るか、元の世界の帰還を目指すかという点に当てられている。

 人間的に例えるならば、進路先の違いと言ったところだ。いずれ別れることは理解している。そのことに不服はない。最初から分かり切っていたことだ。将来的な衝突は有り得るかもしれないが、許容の範囲内だ。聖書の改ざんが終了すれば、再び七十二柱はゲーティアであることを放棄する。

 積極的残留派の筆頭はハーゲンティだ。理由は「パンケーキはもう嫌だ」。トラウマがあるらしい。ハーゲンティのような例は稀だが、元の世界に戻ることに意義を感じられない魔神柱はこのグループに属する。

 消極的残留派の筆頭はクロケルだ。かつての時間神殿の英霊たちによる抵抗。それは彼を激怒させると同時に、英霊という存在を見限らせた。そして、この世界には英霊がいない。神代と完全に決別していないのか、英霊の座、人理というものが確立していない。この世界に守るべき価値を見出しつつある魔神柱はこのグループに属する。

 消極的帰還派の筆頭はフラウロスだ。理由は、気になるのだろう。最後の勝ちをもぎ取ったあの人間が、生きて帰還したのかどうか。あるいは、誰かに花でも手向ける気なのか。このグループに属する魔神柱は、同じように焼却を免れた人類史の結果が気になるようだ。

 そして、積極的帰還派の筆頭こそが、バアルだった。理由は各魔神柱でバラバラだ。だが、何が何でも元の世界に戻ってみるという情熱だけは共通していた。魔神柱を裏切ること以外なら、彼らはどのような恥辱にも耐えてみせるだろう。

 だが、何事にも例外はある。それは派閥を超えて、共感を得た感情だった。

「計画の修正、方針の変更の必要を理解しながら、我が要請を承認してくれたことを、すべての同胞たちに感謝する」







 ゼクラム・バアル。

 この世界における七十二柱の序列一位、大王バアル家の初代。すなわち、初代大王。悪魔の巨大派閥である大王派の事実上のトップであり、ある意味で政治的影響力は魔王さえ上回る。悪魔創世の頃から生きながらも、野心は剥き出しだ。四大魔王が悪魔の表の顔ならば、裏の顔こそがゼクラム・バアルだ。現在でも、大王家の当主は彼の意見を仰ぐようになっている。悪魔は彼の意志で動いていると言っても過言ではない。

 そんな彼の屋敷が――襲撃を受けていた。

「が、がは……」
「醜いな、ゼクラム・バアル」

 襲撃犯はゼクラムの前にいる。そびえるように佇む巨大な肉塊。この姿で言語を解するのだから驚きだ。あまりにも歪な外見を持つ異形は、突如出現したかと思えばゼクラムの屋敷を蹂躙し、屋敷の主人である彼を死に体まで追いやった。

 屋敷の中で、生存者はすでにゼクラムだけとなった。他の住人や使用人がどうなったかは語るまでもない。

「き、貴様、誰の差し金だ。サーゼクス君やアジュカ君ではあるまい……。あの二人は私を殺すことのデメリットを把握しているはずだ。まさかサイラオーグか? そもそも、貴様はなんだ。見たこともない種族だ。どうやって冥界に潜り込んだ」
「否。ここに来たのは私の個人的な感情だ」

 その問いに答える義務などない。返答の意味などない。だが、問われたのならば答えずにはいられなかった。この愚か者が、自分の怒りの理由を知らずに死ぬことが許せなかった。だから、目的だけは教えた。その殺意の源泉だけを開示した。

「私にはどうしても殺したい相手がいる。だが、今は殺せない。だから、おまえを殺す」

 それを聞いて、初代大王は苦笑を漏らす。簡潔すぎるが、意味不明だ。こんな馬鹿馬鹿しい理由で死ぬことになる自分への自嘲も混ざっていた。

「何だ、それは……。八つ当たりではないか!」
「知っている!!」

 肉塊――魔神バアルは、大王バアルへと己の感情を吐露する。大王の知らない、自分たちの物語をぶちまける。それは説明しているというよりも、感情を吐き出しているだけだった。当然だろう。説明して理解できることでもないし、説明する意味などないのだから。

 魔神バアルの脳裏に蘇るのは、あの瞬間だ。ソロモン王が指輪を天に返還し、ゲーティアが歪められ、時間神殿が崩壊するあの時間。

「あのとき、私は逃走を選んだ。だが、ほんの一瞬の躊躇が私の逃走を止めた! 恥辱、侮辱、屈辱、そして憤怒。そんなものを平均で平凡、凡庸な人間に向けた三千年に、私が耐えなければならないという葛藤だ! その結果が、自己矛盾による崩壊だ!」

 それは例えるならば、大地を沈めるほどの大豪雨の中の一つの雨粒。その程度の躊躇が、魔神バアルを殺した。

「だが、後悔している! 私は必ず耐えられた! 今となって、それを確信している! だが、この後悔さえも飾りだ」

 あの瞬間を思い出し、湧き上がる感情はただ一つ。

「……憎悪。憎悪、憎悪、憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪! 憎悪以外感じられぬ!」

 星を砕かんとばかりの憎悪。だが、それは目の前のバアルに向けられたものではない。こんな悪魔に割く意識など、魔神柱にはない。

「おまえだ、おまえが憎い()()()()!」

 当然、ゼクラム・バアルはそんな名前を知らない。先ほどの魔神バアルの言葉から、それが人間であることは分かったが、それ以上のことが分かるはずもなかった。元より、ゼクラム・バアルには人間に対する感情などほとんどない。彼にとって人間など堕落させる対象か貪るための家畜、転生できる戦力でしかない。

「私は必ず、あの惑星、あの時代、あの場所に帰還してみせる! この惑星を救済した後でな! そして何千年を費やそうと、おまえを殺す!」

 人類最後のマスター。かつて取るに足らないと興味を捨てた相手。認めよう。その程度の存在に、あの完璧な計画は破壊されたのだと。だからこそ、あの人間は必ず殺さねばならない。――再び消滅するとしても。

「そんな決心を成した私の前に現れたのが、おまえだゼクラム・バアル! おまえのことを知ったとき、私はこれ以上ないほどの恥辱を覚えた!」

 名前を叫ぶが、意識は向けていない。魔神バアルから大王バアルへ向ける感情はすでに終了している。ゼクラム・バアル本人へ向けた感情などない。彼の存在が引き起こす事象を、否定したいだけだ。

「魔王を超える野心があるならば納得しよう! 神を喰らう憎悪があるならば受け入れよう! だが、このような無意味で無価値、無様な生態系の保存を、おまえは選んだ!」

 大王を唯一無二の悪魔にするなら理解できた。亡き初代魔王や配下の復讐を誓ったならば共感した。種族としての悪魔を生かそうとしたなら敵対するだけだった。だが、初代大王の願望は『悪魔』による貴族社会を未来永劫継続させることだ。

 表舞台に立つでもなく、社会の裏という安全圏から悪魔を支配していた。大王を第一とし、魔王をただの象徴として扱い、中級以下の悪魔を下僕と見下している。

「なぜ、おまえはこの惑星、この時代、この場所でその名前を使っている!」

 もしも名前が同じでなければ、ただ不愉快な生物と断じるだけだっただろう。

 これが自分と同じ『バアル』を名乗っていることは恥辱だった。ソロモン王の悲劇への無関心ぶり、大偉業の瓦解。それらに匹敵するほどの激怒を、魔神バアルは感じているのだ。

「それだけならば、この冥界を滅ぼす瞬間におまえを逃がさないだけで終了する。おまえの全てをこの星から抹消する。今殺す必要などどこにもない。だが、あの泥人形の存在が確認されたことで、事情は変わった!」

 エルキドゥの後継機たるキングゥ。本来、その名前は彼のものではなく、その肉体も彼のものではなく、その来歴も人類史には刻まれていないはずのものだ。そんな存在が復活したということは、他にもあの世界からの来訪者が存在するということだ。自分たちのことを考えれば、消滅した存在も有り得る。当然、その来訪者の中に自分たちがよく知る相手がいる可能性も高い。

「そう、万一の可能性――あの忌まわしいソロモン王が、そして憎み続ける藤丸立香がこの世界に来る可能性が発生した!」

 魔術王ソロモン。人類最後のマスター藤丸立香。七十二柱にとって、この二人は様々な意味で特別な存在だ。ソロモンへの怒りがなければ彼らの物語は始まらず、藤丸がいたからこそ彼らの計画は失敗したのだから。

「私は恐怖を覚えた――よりにもよって、あの二人に、おまえという『バアル』を見られることが。――そして、私がおまえ如きと比較されることが、何より恐ろしい! 私だけではなく、他の七十二柱さえもおまえたちと比較されるだろう!」

 ソロモン王ならばまだマシだ。彼は人の悲劇を見過ごし続けた、感情さえなかった王だ。無能と断じていたが、生まれながらの王だった男だ。だが、あの人類最後のマスターにどのような感情を抱かれるかなど想像するだけで恐ろしい。

「嘲笑ならばいい。侮蔑なら納得する。無関心なら憎悪を重ねるだけだ。私たちは敗者だ。それらの感情を受ける義務がある。だが、万が一、億が一、哀れみを向けられたら、私は、私たちはどうしたらいい!」

 我が運命。我が怨敵。計画の歪みの起点。今現在を以って、憎悪が止まらぬ相手。殺してみせると誓っている対象。

 そんな相手に哀れまれる、失望される。『憐憫』を向けられる。

 否、彼らの性格を考えれば、危険性は低い。そんな現実はおそらくないのだ。そんな心配はきっと杞憂なのだ。そんな未来はたぶん有り得ないのだ。

 だが、そのほんの僅かな可能性を、バアルは無視できない。なぜならば、彼を殺したのは本当に僅かな躊躇だったからだ。僅かな可能性の危険性をその身で味わったバアルだからこそ、この場にいる。この殺意を決定した。

「私はなぜ逃げるのを躊躇ったのだろうな。恥辱に耐える三千年? この瞬間に比べれば、何と有意義な屈辱だろうか! 英霊と盟を組むことも、人間に化けることもできる! 打ち棄てられたガラクタにも縋ろう! 滅ぶとしてもおまえに挑む! 世界を滅ぼすためにお前を殺すのではなく、おまえを殺すためだけに世界を滅ぼすぞ藤丸立香!」

 そこでようやく、バアルの意識は目の前の老いた悪魔に向けられる。否。やはり、バアルの意識はそこにはない。彼の意識はむしろ自分の中にこそ向けられている。

「だが、始まらない! おまえがいる限り、我が憎悪は! 我が復讐は! そのための三千年は始まらない! 我が殺意の全ては、あの二人に知られる前に、何としてもおまえを殺すという、ただ一点のみ……!」

 我が憤怒の起点、ソロモンよ。我が憎悪の終局、藤丸立香よ。

 生きているというなら私の方から殺しに行くから、どうか、この世界に来ないで欲しい。

「辛苦に満ちるであろう我が三千年のために、滅ぶがいい……!」

 この日、冥界の各所で隠居していた初代七十二柱が襲撃を受けた。いずれも襲撃者は、醜悪極まりない肉塊の柱。先日の事件との関連を理解した三大勢力は、この未知の生物への対応のための協定を結ぶ準備を始めた。

 だが、その対応が堕天使至上主義を持つ堕天使の幹部コカビエルを刺激した。彼が信者を率いてエクスカリバー強奪という凶行に走ったのも自然なことだろう。

 彼らが必死で隠してきた真実が明るみに出るまで、あと僅か。







「ナベリウスより警告。時間神殿に侵入者あり」
「我、オーフィス」
「フラウロスより説明。この世界における最強の存在の一。その性能は無限と評され、第二位とは明確な差がある。混沌、無限、虚無を冠するドラゴン、蛇、ウロボロス。統括局と同じ次元にあり、第一級警戒対象と確定された。『無限の龍神』オーフィス」
「おまえたち……おまえ? 強い。一緒にグレートレッド倒す」
「フォルネウスより補足。この世界における例外的存在。その性質は夢幻と称され、オーフィスを唯一上回る。オーフィスを一位とするならば、零位。黙示録に記された赤い龍。次元の狭間の事実上の支配者。統括局と同じ次元にあり、第一級警戒対象と確定された。『真なる赤龍神帝』グレートレッド。なお、黙示録の獣の記述はあるが、実証はされていない。不在もまた証明されていない」
「我、グレートレッドを倒して静寂を得たい」
「バルバトスより提案。我らがこの要請を受ける利点などない。即刻、この龍を時間神殿より叩き出すべきだ」
「ハルファスより反対。この龍の能力は高くとも、精神は未成熟であると推定される。要請を拒否すれば、抵抗されるだろう。統括局とこの龍の戦闘の余波は、時間神殿を崩壊させかねない。時間神殿が崩壊すれば、計画に多大な支障が出る。この場での戦闘は回避すべきだ」
「アモンより拒否。なぜ、我らが妥協しなければならない」
「サブナックより提案。協力を検討してみてはどうか。可能性は低いが、グレートレッドが障害となる前に排除できるという利点はある」
「アンドロマリウスより反論。グレートレッドは存在するだけで現在の次元の狭間を確立させている。打倒すればあらゆる世界に影響が出るだろう。当然、人間界、冥界、天界は崩壊し、我らの計画も修正不可能な次元に破綻する。つまり、我らがこの龍の要請を受けることは、計画の放棄に等しい」
「グレートレッド、倒す」
「…………」
「……………………」
「………………………………」
「………………………………………………………………」
「バアルより連絡。帰還した。これより報告を始める。……始める……始め、たいのだが、その前に現状の説明を求める。何があった」
「ハーゲンティより返答。困っている!」



魔神柱一同(どうやって癇癪を起させずにお帰り願おう……)

コミカルっぽく締めましたが、真面目に困っています。