その絵画は、ある戦争における悲劇を訴えたものだった。
戦争を起こした側の人間に「この絵を描いたのは貴方ですね?」と問われた時、この絵の作者は「いいや、この絵を描いたのは私ではない」と返した。
「この
人間界、日本某所にレイヴェル・フェニックスはいた。兄、ライザー・フェニックスの眷属である彼女だが、供として『王』と『女王』以外の全員がいた。
目的は家が決めた縁談。相手は霊獣がひとつ、鳳凰に属する異形の中でも特に大きな力を持つ一族だった。日本において鳳凰は国を象徴する鳥だ。フェニックス家は鳳凰と同じルーツを持つため、その縁でこぎつけたのだろう。だが、中国神話ならばもっと良い相手がいたのではないだろうか。まるで此方の立場が下のようだった。
(いえ、実際此方の立場が弱いのかもしれませんわね。悪魔は面倒事だらけですから。特に、日本はソロモンの一件で聖書の勢力と距離を取ろうとしているらしいですし。私はその橋として選ばれたのでしょうか?)
そんなことを考えているタイミングで、ライザーから連絡が入った。
『よお、レイヴェル。調子はどうだ?』
「おかげ様で順調にまとまりましたわ」
『そりゃ良かった』
「でも、もう少し覇気のある殿方が良かったですわ」
『そうか? 俺も相手の彼には一度会ったが、随分と好青年だったと思うぞ。彼になら、そして鳳凰の家ならば安心しておまえの人生を任せられる。ああ、そうだ。もう此方に戻って来なくていいぞ。
「あら、ならそうさせてもらいますわ」
今日一日は自由に過ごしてよさそうだと判断したレイヴェルは人間界の高級ブランドでも見て回ろうかと考え込む。
いつものホストめいた調子から一転して、ライザーが真面目な顔になる。
『レイヴェル』
「何ですの? 急に神妙になって」
『難しいかもしれないけど幸せにな。――俺達の分まで。皆、後は頼んだぞ』
「……御意」
連絡はそれで途絶えた。
「お兄様……?」
二度と繋がることはない。
■
サーゼクス・ルシファーの眷属、『戦車』、『騎士』、『兵士』死亡。
セラフォルー・レヴィアタンの眷属、『王』を除き全滅。
レーティングゲームトッププレイヤー、第一位離反、第二位死亡、第三位重症。各眷属、離反または重症または死亡。最上級悪魔タンニーン死亡。
初代七十二柱全滅。旧魔王派全滅。リゼヴィム・リヴァン・ルシファーおよびその一派離反。
アグレアス撃墜。アグレアス内に埋蔵されている『悪魔の駒』原材料の希少金属、完全消失。
赤龍帝・兵藤一誠、人類悪化後、解放。
白龍皇・ヴァーリ・ルシファー、暴走後、解放。
堕天使幹部バラキエル、サハリエル、タミエル、アロマロス死亡。
熾天使ウリエル、ラファエル死亡。ガブリエル重症により一時撤退。
教会サイド、一部が離反し、円卓の騎士に合流。
この時、真実を知らない者すべてが勘違いをしていた。
まさか。
まさか、この時点で起きていた被害がほんの序章であることに。
特使五柱がひとり、平凡な少年を憎悪するバアルが宣う。
「これは証明である。無価値で無意味、無様、無駄、無益で有害。何と見苦しい生態系を何千年も続けたものだ。七十二柱の御名の真なる価値を示すために、私達はおまえ達に挑戦しよう」
特使五柱がひとり、生命を謳歌したいアンドラスが告げる。
「これは駆除である。貴方達は危険だ。
特使五柱がひとり、楽園の実現を望むゼパルが語る。
「これは略奪である。我らには資源が足りない。我らには時間が足りない。おまえ達は無駄に消費している。おまえ達は無為に破壊している。弱肉強食。足りないのならば他所から奪う。おまえ達が他者に強要してきたことだ。甘んじて受け入れよ」
特使五柱がひとり、自己消滅を願うフェニクスが謳う。
「これは革命である。宝具が起動すればもはや誰にも止められぬ。我ある限り――否、もはや仮に我がここで滅しようとも天理の炎は計画達成を約束するのみ。喜ばしい。新たな世界の理が此処に刻まれる」
特使五柱がひとり、外宇宙の可能性を模索するラウムが示す。
「これは救済である。人の為だけではない。君達悪魔と堕天使を痛みによって救おう。この痛みを以って、君達の罪は清算される。この宇宙が看過してきた君達という真実を終わらせる」
人王ゲーティアが刮目する。
「では、お見せしよう。貴様等の
■
冥界。
聖書における地獄はそう呼称される。主に悪魔と堕天使の世界であり、人間界の地球とほぼ同等の広さを持つ。青ではなく紫色の空が広がり、海は存在しない。悪魔・堕天使共に数が激減しているため手つかずの土地も多く、特に辺境には手が回り切らない部分も多い。超常の領域の一種であるため、人間の場合は優れた魔術師などでなければ立ち入ることすらできず、転生悪魔の親族のような例外を除けば一般人が一生足を踏み入れることはない。人間界との時差が生じないように時間の流れが調節されている。
そんな世界が燃えていた。
「た、たすけて――」
地獄の炎という言葉があるが、それさえも上回る熱量を以って、その世界は焼き尽くされていた。
「あついあついあついあつい!」
「リレンクス!」
「あ、あなた……!」
「誰か――」
子どもが。大人が。老人が。男が。女が。純血悪魔が。転生悪魔が。混血悪魔が。使い魔が。野生の魔物が。上級悪魔が。中級悪魔が。下級悪魔が。堕天使が。魔王の両親が。はぐれ悪魔が。元龍王の眷属が。中級悪魔への試験を控えた悪魔が。堕天使の副総督の妻が。新魔王派の議員が。現大王が。主人に恵まれた下級悪魔が。神サイドとの和平に不満を持っていた若者が。研究さえできれば良かった研究者が。隠遁していた元七十二柱の領主が。生命が。生命が。生命が。
生命が燃え上がっていた。
「会談中のサーゼクス様に、いやアジュカ様に連絡を――」
大地が、空が、湖が、川が、丘が、山が、森が、畑が、谷が、道が、草原が、家が、屋敷が、村が、町が、都市が、何もかもが燃えていた。
「い、一体何が起こって……」
理不尽に、不条理に、無差別に、冥界にある命が奪われていった。
「な、何で人間界行きの列車が動かないんだよ!」
「魔法陣まで上手く機能しない!」
「冥界周辺の次元の狭間が何者かに干渉されているようです! 大勢の移動は不可能です!」
「冥府への通路が封じられているとはどういうことだ! 死神どもの仕業か!」
「辺獄や煉獄まで使えないなんて……」
「他神話の地獄への道も、全て閉ざされています!」
「冗談じゃない! こうしている間にも――」
一秒ごとに、一瞬ごとに、冥界の生命が一つ、また一つと終わっていく。
天には光の帯がある。この世界そのものが焼き尽くされようとしている証明がある。最早手遅れ。最早台無し。悪魔と堕天使――冥界の歴史はこれで終わりだ。
冥界の都市リリス。その上空に、魔法で浮遊している少女の姿があった。ルキフグスを彷彿とさせる銀髪を持った、十歳前後の悪魔の少女。だが、その中身は怒りしか知らぬ王ソロモン。待ち望んでいたはずの悪魔の絶滅を前にして、彼――もとい彼女のその両目には歓喜など宿っていなかった。そこにあったのは憤怒。
そんな彼に背後から話しかけるナニカがいた。
「――何とも矛盾した光景だろうか。これほど醜い生命が、これほど美しい大火の薪となっているのだから。三千年待った甲斐があるというものだ。そうは思わないか、私のソロモンよ」
「俺は貴様のものになった覚えはない」
振り向けば、そこにはひとりの悪魔がいた。
「『それ』がこの時代の身体か」
「ああ。それなりに優秀なものでね、重宝しているよ。立場が立場なため、情報も集めやすかった。ああ、それにしても……君も随分と愛らしい姿になったものだ」
「やめろ。俺だって好きでこんなロリボディになったわけじゃねえよ。どうせ女になるなら妖艶な美女になりたかった!」
本来、リリスに生み出させる身体はもっと成熟した姿になるはずだった。どっかのサイコシスコン野郎がリリスの胎内に仕込んだ術式を勝手にいじっていなければ。
「しかし、その様子だと私の存在には気づいていたのか。いつからだ? モーセの時の反省を活かして、それなり以上に上手くやったと思ったのだが」
「怪しいと思ったのは、『彼女』が死んだ時だ」
「やはりか。私の最大の失敗は君と『彼女』を会わせてしまったことか。そして君が彼女に関する伝承を書き換えたことで、救世主となったあの子の件でも失敗してしまった。あの失敗がアーサーやシャルルマーニュ、リチャードにも影響を与えてしまった。いやはや、やはり女という生き物は分からんものだ。かといって、女に期待してみればジャンヌのような結果になってしまう」
彼女が魔女として裁かれなければ、もうちょっと上手くいったのだが、などと嘯く『蛇』。それを聞いて、ソロモンの表情に怒りが宿る。否、最初から魔術王は怒っているのだ。
「ぶっちゃけさ、俺に『異世界』なんて発想を教えたのはおまえなのか?」
「ああ、そうだ。赤ん坊の君にこっそり、特製のリンゴを食べさせた」
「世界一傍迷惑な離乳食だな」
「だが、君の理想は君のものだ。世界を、人類を救いたいという理想は、人類に進化して欲しいという愛は、間違いなく君のものだ。そこは誇っていい」
「誰がおまえの許可なんて求めたよ。俺の理想は、最初から俺のものだ」
魔術王は、激怒しながら笑む。
「なあ、一つだけ答えてくれるか」
「可愛い君の頼みだ。私に答えられることならば何でも」
「――あいつを、シバの女王を殺したのは誰だ?」
あの日の真実が、どうしてもソロモンには分からなかった。思い出せないのではない。最初から分からなかったのだ。神の叡智があったのに。神の視点があったのに。ソロモンはあの日の真相が分からなかった。分からなかったからこそ、この『蛇』の存在を知った。そして、完成間近だった『真理』がこの『蛇』の思惑であったと。
「貴様か? 主か? ルシファーか? 七十二柱の誰かか? 当時の人間か? あるいは俺か? それとも――彼女自身か?」
聖書にシバの女王とだけ名前が記された女。その真実を知る者は、おそらくこの悪魔の中に入っている『蛇』しかいない。そして、『蛇』自身も大して隠し立てすることではないと軽んじ、その真実を告げる。
「ああ、それは――」
――まさにシバの女王の真実が口にされようとした瞬間、猛烈な爆風とともにソロモンの身体が消えた。
「え?」
蛇には一瞬だけ見えた。何か人間のような形をしたものがソロモンを殴り飛ばすのを。呆然として、その方角を見て、軽く頭をかいて、溜め息を吐き出した。
一方、そのソロモン自身は炎上する世界の上で、吹っ飛ばされていた。攻撃のダメージそのものは障壁と回復でどうにかなるが、衝撃だけはどうしようもない。
「ああああああああああああああああああ! 何かこういうのばっかりぃいいい!」
やがて勢いが弱まり、そのまま地面に激突する。当然大地は炎上しているが、そんなものソロモンには関係ない。世界を焼き尽くす光であっても、自分の身を守る分くらいの防壁ならばどうにかなる。
「いつつ……。またキングゥかな」
地面に倒れたままソロモンが首だけを動かすと、白く光り輝く人間の少年の形をした何かがいた。頭部には十本の角があり、背中からは鳥やドラゴン、コウモリなどの羽が六枚生えていた。何より特出すべきは、神仏ですら物理的にねじ伏せられるオーラ。
「はじめまして、糞お父様。二度目らしいですが、
「お父様って……ああ! おまえがトライヘキサか! 会いたかった、ごふっ!」
トライヘキサは仰向けに倒れたソロモンの上に馬乗りになり、その顔面に拳を叩き込む。一発一発本気の殺意を込めて、しかし決して死なぬように絶妙に手加減をしながら。傍目には少年が少女を殴っているだけのように見えるため、事案にしか見えない。
「そして、さようなら! 何が会いたかっただ、死ねこの馬鹿王!」
「ちょ、おまえトライヘキサ、ぎょ、やめ、いた、ぎゅあ! 死ぬ死ぬ死ぬ! マジで死ぬ!」
「どうせ死んでもまた生き返るんだろうが! おら、止めて欲しかったら指輪出せ! ぶっ壊してやる!」
「そこまでにしておけ、トライヘキサ。我々の分がなくなる」
制止の声にぴたりと動きを止めて、トライヘキサはソロモンの上から降りる。ようやく身動きが取れるようになったソロモンは声の主を見て、大きく笑んだ。いつものような憤怒ではなく、純粋な歓喜を込めて。
「おまえにも会いたかったぜ。人王ゲーティア……!」
「はじめまして、此方のソロモン。早速だが死に給え。 無駄話はこれで終わりだ」