憐憫の獣、再び   作:逆真

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男が一度理想を抱いたならば、歩き続けるしかない

※ちょっと加筆しました


この先が地獄だとしても

 もう二度と来ないと思っていた山道を歩いていると、幻影を見た。

 

 まだ幼い俺だ。夜中の山道をひとりで歩いている。時折後ろを振り返り、人が来ないか確認する。逃げるためなのか、あるいは見つけて欲しかったのか。それを見て、俺の人生を決めたあの日の記憶だと理解した。

 

 俺は中国の山奥にある田舎の農村で生まれた。貧しくて何もない、電気すら通っていない村だった。家は代々農家で、近隣の家とは良くも悪くも差がない程度だった。

 

 幼少期のある日、俺は山中で妖怪に襲われた。だが、俺は槍を出現させるようになることで妖怪を倒した。どうやってかは不明だが槍の存在を嗅ぎ付けたのか、なんらかの機関の人間が俺の家に来た。そして、両親は俺を売った。あの時の父親の両手に握られた札束は今でも瞼に焼き付いている。

 

 その夜の内に、俺は逃げ出した。数日家出すれば全て元通りになると何の根拠もない期待を抱いて、僅かな食料をポケットに詰め込んで。……それから俺は理不尽な生活を始めることになる。山に迷い、獣に襲われる。人売りのバイヤーに狙われる。槍を求める勢力に勧誘される。槍を奪い取ろうと様々な存在に襲われる。自分が生きていた世界のちっぽけさを知る。

 

 届くわけもないが、その小さな背中に語り掛ける。

 

「おい、その先は地獄だぞ」

 

 だけど、欲しかったものは見つかった。

 

 

 

 

 

 ――また、同じ夢を見ている。

 

 

 歴史ある京都の街並みの中に、場違いに巨大な怪物の姿がある。怪獣映画の一場面ではなく、現実である。夢だが、現実だ。過去にあった一つの後悔。

 

 真龍を上回る巨体。獅子、熊、豹、龍などに似た七本の首と十本の角。霊長類のような前のめりの姿勢で、極太の腕を四本生やし、二本の足は腕以上に太い。体表は黒い毛で覆われており、血のような赤色をした鱗状の硬質化している部分や、全身のあらゆるところから赤い角のようなものがある。臀部からは長く太い、それぞれ違う特徴を有する七本の尾を生やしている。

 

 黙示録に記された終焉の怪物。約束の日、空の星の三分の一を落とすとまで言われた最強の魔獣。多少知識がある者ならば、誰に指摘されるまでもなく正体に気づく。

 

 巨大な怪物は神性を宿した鎖で大地に封じられている。怪物が動く度に鎖が軋み、壊れそうな気配を見せるが、獣が解放される様子はない。それどころか鎖はより深く獣の身体を締め上げる。まるで鎖自身に意思があり、大切な何かを守ろうとしているように。

 

『――情報室および観測所、覗覚星の解析終了』

 

 二条城の天守閣の上で、黄金の髪を持つ人型のそれは鎖に封じられた獣を達観したような目つきで見ていた。傍らでは、槍を持ったかつての俺が獣の放つ瘴気に震えていた。……俺は彼の隣にいながら、震える以外何も出来なかった。

 

『英雄志願』

 

 彼は俺のことをそう呼んでいた。この先もずっとこう呼ばれるのだろうと、そう思っていた。

 

 彼は魔獣を指差した。

 

『あれはこの世界の我々(わたし)だ。この世界のソロモンが何らかの手段で生み出した異形。……いや、何らかの副産物である可能性もあるか?』

 

 貴方と同じならば貴方ならば倒せるのだろう、と俺は問う。だが、彼は首を横に振る。

 

『あれは我々(わたし)と同じでありながら、全く異なる存在だ。我々(わたし)は誕生した時点で完全だった。完全であるが故に、第一宝具以外の弱点を持たぬ完璧な存在だった。だが、あれは違う。あれは()()()()。単に第三宝具をぶつけただけではあれは滅びん。……それにしても、あれほどの瘴気を放つということは、ケイオスタイドでも食らって成長したのか? この世界のソロモンは嘆かわしいほどに狂っていたらしい』

 

 後になって、トライヘキサの成長はソロモンの思惑とは別のところにあると知った。だが、そこには大した差はない。あの男は、俺達の世界の魔術王は、人間の可能性を愛しながら、人間の未熟さをただの一度も許さなかったのだから。

 

 俺の、あの獣を倒す手段はないのか、という問いに彼は小さく笑った。彼のそのような仕草は初めて見たため、あのような状況ではあったが驚いてしまった。

 

『その為に、全魔神から決を取っている最中だ。しばし待て』

 

 ほんの数秒の沈黙が重くのしかかる。ただ俺は震えていた。恐ろしかったのだ、獣がではない。彼の声に決死の覚悟というものが込められていたからだ。

 

『ああ、まさか全魔神柱がこの選択を肯定するとは。また世界の再構築は失敗か。また魔神の敗北か。また人類救済は中断か。だが、誇らしい。今度は我々(わたし)の勝ち逃げだ』

 

 やめてくれ、という一言が出なかった。

 

『誇るがいい、××』

 

 この時、彼は俺の名前を呼んだ。英雄志願でもない。曹操でもない。槍を出現する前、「曹操」と名乗る前の自分の名前。どうして彼が知っていたかなんて疑問に思うことさえ馬鹿馬鹿しい。

 

『おまえ達こそが、憐憫の獣を再び打倒した』

 

 

 

 彼――ゲーティアは笑っていた。思い返さずとも、あれが最初で最後の笑顔だった。あれが最期で最大の激励だった。

 

 

 

『聖槍、聖杯、聖十字架起動。第一宝具、疑似再演』

 

 俺の槍から聖なる力とは別の力が溢れ出た。確認はしていなかったが、ヴァレリーの聖杯やリントの聖十字架も同じだったのだろう。

 

 

訣別の時来たれり、其は世界を手放すもの(アルス・ノヴァ)!』

 

 

 槍から力が急激に失せていくのが感じた。同時に、ゲーティアの気配が徐々に薄れていくのを感じた。見れば、黙示録の獣の身体もボロボロと壊れていくのが見える。同時に、鎖も限界が間近のようだった。

 

『選手交代だ、泥人形。後は任せろ。……最期の数秒を家族と過ごすがいい』

 

 獣の下に巨大な魔法陣が出現したかと思えば、獣が消えた。転移させたのだ。おそらくは時間神殿に。遠慮なく第三宝具を使用するために。獣を縛っていた鎖が対象を失って大地に落ちていく。

 

 それを悟った俺は膝を折って泣いた。ただ泣いた。彼がどうなったのか、あれがどういう宝具なのかは聞いていたからだ。ああ、なんて無力。なんて無様。己の不甲斐なさを嘆く俺に、まだ終わっていないとばかりに槍からの声が聞こえた。

 

『計画通りだ。これで私が蘇る。世界が正しい形に戻るのだ。――ソロモンだけではない。私の下に、モーセが、イエスが、ヨシュアが、アーサーが、シャルルマーニュが、そしてアダムが戻ってくる。私の勝ちだ、林檎農家如きが私に勝てるものか!』

 

 本当の絶望がそこから始まった。

 

 

 ――場面が暗転する。

 

 

 悶え苦しむ俺がいた。

 

 精神が、肉体が、魂が、リゼヴィム・リヴァン・ルシファーが使用した『泥』によって蝕まれていく。魔術王がゲーティア召喚に失敗した場合に備えていた保険。この世界独自の人類悪を強制的に誕生させるために作り出した呪い。

 

 獣に堕ちかけた俺の前に、強い眼光を宿す少女がいた。

 

『これより治療を開始します』

 

 俺など見捨ててくれと言いたかった。俺など切り捨てて欲しかった。治療の優先順位(トリアージ)は基本だろうに、どうして俺を助けるような真似をしたのか。

 

『我はここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わん――』

 

 この後、彼女――アーシア・アルジェントは死ぬ。俺が殺してしまう。

 

 

 ――場面が暗転する。

 

 

 見渡す限り、醜悪な異形が大地を埋めていた。聖書の神が再現した双貌の獣。ある世界の古代メソポタミアはこの獣によって蹂躙されたという。この瞬間、これと同じような光景が世界中に広がっている。

 

 黄金に輝く鎧を纏った白髪の男が、雷光を宿す巨大な槍を掲げていた。

 

『言うまでもないことだが――おまえたちはすでに英雄だ。生きるがいい。そして人の世を取り戻せ』

 

 当時も今も、喜びよりも無念が勝る。

 

 

 ――場面が暗転する。

 

 

『よくも……よくもアーシアを! あの子は可哀そうな子だったんだぞ!? おまえが殺さなければ、普通に学校に行くことだって、できたはずなのに! おまえ達みたいなテロリストが!』

 

 怒りで荒れ狂う龍がいた。殺さなければならない悪魔がいた。

 

『おまえ達がいなければ、ラフムが現れることだってなかったんだ! 父さんや母さんだって死なずに済んだのに!』

 

 ラフムは禍の団(おれたち)のせいで生まれた。そして、ラフムを滅ぼすために聖書の神は復活した。少なくとも聖書の勢力の中ではそうなっている。それを嘘だと理解しながら認めようとしない為政者と、それを嘘だと見抜けぬ馬鹿しかいなかった。

 

『絶対に許さねえ! 俺に力を貸してくれ、乳神様!』

 

 この一戦で奴を殺しきれていれば、人類はもう少しだけ持ち堪えたはずなのに。

 

 

 ――場面が暗転する。

 

 

 第三者から見れば醜悪でしかない肉柱の異形が、魔法少女のコスプレをした女悪魔と戦っていた。異形の背後には幾人かの少女がいた。まるで女悪魔から少女たちを守るように。

 

『このぉ! 魔神柱、魔法少女達を解放しなさい!』

 

 この時期、三大勢力は一斉に人間狩りを始めた。神器所有者を始め、特別な血統や異能を持つ者などが標的だ。相手側の意思を問わず無理やり悪魔や天使に転生させられた。――ラフムどもに旧人類が狩りつくされる前に、希少種を『保護』しておこうという慈善活動だ。

 

 この女悪魔は魔神柱に拉致されていた魔法少女を『救出』しに来たのだ。助けられる側の少女の中には、かつて悪魔に転生していたが人間に戻された者がいた。ほら、悪魔に戻りたいと声を大きくする者だっている。

 

『もう、もうやめてください、グラシャ=ラボラス様! 私たちが、また悪魔になります! だから、もう戦わないでください! 貴方がこれ以上傷つく必要なんてないんです!』

『駄目だ』

『どうして――』

『もしそうなったら、君達はまた泣くだろう?』

 

 この女悪魔を倒したからといって、彼女たちの未来がどうこうなるわけではない。別の悪魔が出てくるだけだろう。悪魔がどうにかなっても、天使や堕天使がいる。そうでなくても、世界はラフムで溢れている。この頃、人類の未来はもう終わったも同然だった。

 

 だとしても、だからこそ、彼に戦わないなんて選択肢はなかった。

 

『君達の未来は、明るいものでなければ駄目なんだ……!』

 

 次の瞬間、救援に来た悪魔の魔力によってグラシャ=ラボラス――最後の魔神柱は消滅した。

 

 

 ――場面が暗転する。

 

 

『見てくれ、曹操』

 

 ゲオルグはそう言って、一つの棺桶を出してきた。

 

『「システム」の機能が停止していることは以前話したけど、それを突かせてもらった。この棺桶と魔術的な契約をした者が死んだら、その神器はこの棺桶に収納されるようになっている。聖剣や魔剣の因子も同じように移る。おまえにこれを持って欲しい』

 

 槍以外の武器を使いこなせるとは思えなかったが、手数が増えるのは良いことだ。

 

『外見の趣味が悪い? はは、そこは勘弁してくれ。教授をリスペクトしてんだ』

 

 この翌日、彼は死んだ。自分が死んでも誰かが『霧』を使えるのならば問題ないということだったのだろうか。ふざけるなよ。

 

 世界線『F』の抑止力との契約で、これまで死んだ仲間の神器を棺桶に入れてもらったが、もっと別の物を望めばよかったと後悔している。

 

 

 ――場面が暗転する。

 

 

『ありがとうな!』

『楽しかったわよ』

『感謝しています、リーダー!』

 

 礼を言わなければならないのは俺の方なのに。

 

『どうか、生きてください』

『貴方だけでも』

 

 俺はおまえ達にこそ生きて欲しかった。

 

『本当、鈍いな、君は』

 

 俺の腕の中で、またひとりの仲間が死んでいく。

 

 

 ――場面が暗転する。

 

 

『グレイフィア、ミリ、キャス……リアス……』

 

 くたばれ贋作魔王め。と俺は槍を振るう。

 

 死闘の果てに、四大魔王全ての首を獲った。ラフムを全滅させた。だが、歓びなどどこにもなかった。人類など一つまみしか残っていない。それでどうやって繁栄しろというのか。何も守れなかった。何も取り戻せなかった。世界を守ることなんて、俺にはできなかった。

 

 命が終わろうという瞬間に、俺は理解した。

 

 俺が本当に欲しかったものは、英雄の称号や魔王殺しの称賛などではない。ただ、喜びを分かち合える仲間や家族が欲しかったんだ。

 

 

 ――場面が暗転する。

 

 

 抑止力の尖兵として、人間を殺した。人間を殺した。人間を殺した。

 

 地獄を見た。

 

 守りたかったものを壊した。大切なものを奪っていた。温かいものが、俺のせいで失われていく。

 

 俺は英雄など目指すべきではなかった。

 

 俺は最強の槍など持って生まれるべきではなかった。

 

 

 ――場面が暗転する。

 

 

 こんな役立たずを“サーヴァント”として呼び出した大馬鹿者はどいつだと問いかける俺の前に、激怒を宿しながら笑う男がいた。

 

『一縷の望みにかけてみたが、本当に()()()()()()()()()が召喚できるとはな』

 

 ()()()()()()()()()()()

 

『はじめまして、俺がソロモンだ』

 

 知っているさ、元凶が。だけど、おまえに用事はない。あの日の俺を止めて、罪を清算させてくれ。

 

 眼を開け、目の前にいる自分(そいつ)に教えてやる。

 

「おい、この先は地獄だぞ」

 

 欲しいものには、気付けたか?

 

 

 

 

 

 

 中国の農村近くにある高山の頂上に、二人の男が向かい合っていた。否、二つの人影でこそあるが、ひとりと表現すべきなのだろうか。

 

「やっぱり、ここだったか」

 

 制服の上に漢服を羽織った少年と、黒い外套を纏い棺桶を背負った青年。

 

「よくわかったな」

「自分のことだ。嫌でもわかるさ」

 

 理想に走っている未熟者と、理想に敗れた掃除屋。

 

「いま、ゲーティアは冥界を焼いている」

「そうか」

「俺もあっちに行きたかったが――その前に決着をつけて来いと言われてね」

 

 アーシアを撒くのが大変だったよ、と曹操。

 

 空を仰ぎながらアーチャーは告げる。

 

「時系列で言えば、この日はアーシアが死んでいるはずだった」

「……そうか」

「泥に飲まれた俺を救うためにな。結果、暴走した俺が彼女を……」

 

 それでも彼女は俺を解放してくれたよ、と自嘲するアーチャー。それを見て、様々な感情が入り混じる曹操。有り得たかもしれない自分の姿だ。何も思わないわけがない。

 

「兵藤一誠はどうした?」

「彼は彼で決着を、な」

「そうか」

 

 アーチャーからすれば意味不明な状況だ。あの男が、此方側にいるなど。

 

「俺はあいつが憎い。あいつのせいで、俺の仲間だけじゃない。億単位の人間が死んだ。その上で、あいつはそれを俺たちのせいだとほざいていた。まあ、人類を守れなかったのは俺の責任だからな。そう言われても仕方ないのかもしれないが」

「そうか。俺には――俺達には守れたよ」

「まだ戦いは終わっていないぞ」

「だからこそ、守ってみせるさ。ジークフリートを始めとする、死んだ仲間たちの分もな」

 

 同一人物だというのに、同一世界だというのに、何が違ったというのだろうか。何が起点だったのだろうか。神の視点を持てぬ人間と英霊には分かりかねる問題だ。

 

「それでも、(おまえ)は英雄になどなるべきではない。英雄になる資格など、おまえにはない。そんなことは最初から分かっているはずだ。……いや、あの日に理解させられたはずだろうが」

「あの日?」

 

 心当たりがあり過ぎてピンと来ない曹操に、アーチャーは叩きかける。

 

「おまえ自身、よく覚えているはずだ。先生……フローレンス・ナイチンゲールと初めて会った日を。そして、槍の力に唆されて道化として生きていたおまえに告げられたあの言葉を」

 

 ぴくり、と曹操の顔が引きつる。

 

「黙れ」

「ああ、そうだ。忘れるはずがない。忘れられるわけがない。あの時、あの言葉を認めていたのならば、(おまえ)はこうならずに済んだのだから!」

「黙れ!」

 

 だが、アーチャーは止まらない。

 

「さあ、思い出してあの時のように膝を折れ。『曹操のネームバリューでは世界中の英雄を集めるのには微妙ではないですか?』と言われたあの現実を!」

「黙れぇええええええ!」

 

 絶叫する曹操。あの場面を思い出すのもそうだが、未来の自分があのことを覚えている――しかも克明に――ことも非常に嫌だった。

 

「そうだ、どうしておまえは未だにその名前を――『曹操』を使っている? 槍を捨てたことは評価しよう。だが、おまえが捨てるべきだったのはその何の意味もない血筋の方だったのさ。先祖の『曹操』のように、あるいは藤丸立香のようになりたかった? 他人の名前や偉業を真似ることしかできない(おまえ)は結局――」

 

 自分自身にさえなれなかったんだ。




公式設定
・曹操は『槍』を出せるようになって、闘戦勝仏に教えてもらうまで、自分が「曹操」の子孫であることどころか「曹操」という英雄の存在さえ知らなかった。
(ハイスクールD×D DX.4より)

ヘラクレスやジャンヌは転生体で、ゲオルグは比較的近代の著名人の末裔で、ジークフリートはシグルド機関が血縁を証明してくれる。
……絶対その辺のルーツ気にしていたと思うよ。

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