憐憫の獣、再び   作:逆真

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『神の悪意』

 何故? 何故、だと?

 

 決まっているだろう、おまえが憎いからだ

 

 もっと、もっと早く――

 

 魔王としてではなく、男として――

 

 奴の手先としてではなく、一個の生命としておまえを憎めていたならば――

 

 私は彼女(リリス)を救えたかもしれないのだ

 

 

 

 

 

 

 燃え盛る冥界の片隅で、その三名は対峙していた。

 

 魔術王ソロモン。怒りしか知らぬ王と呼ばれ、人間を愛するが故に許せなかった王は、悪魔の母リリスから作り出された『超越者』の肉体を使い現世に復活していた。

 

 黙示録の獣トライヘキサ。人間が産み落とした大災害である彼は人間の美しさを知り、人間に敗北した。そして自分のルーツである魔術王を滅ぼすために、この場にいる。自分が満足した光景にケチをつけるこの馬鹿王はなんとしても止めなければならない。

 

 そして、人王ゲーティア。この世界の人々の未来を勝ち取るために、彼はこの場にいた。

 

「はじめまして、此方のソロモン。早速だが死に給え。 無駄話はこれで終わりだ」

「ぇ?」

 

 ゲーティアの敵意全開の態度に、真顔でショックを受けるソロモン。

 

「え? ごめん、何で俺そんなに嫌われてんの? トライヘキサもだけど、何で俺にそこまでつれない態度なの? ねえ、何で?」

「おい馬鹿王。おまえそれ本気で言ってんのか、なぁ?」

「随分と賑やかな情景だ。この冥界――ゴミ捨て場の終わりには相応しい」

 

 その場に新たな乱入者が現れる。形は悪魔だが、その中身は違う。

 

 ゲーティアはソロモンに向けるそれと変わらない敵意を以って、その怨敵の名前を紡ぐ。

 

「赤い蛇サマエル」

 

 その名の意味は神の毒。あるいは神の悪意。エデンの園の禁じられた蛇。もしくは――赤い蛇。

 

「はじめまして、の前にありがとうと言わせてくれ。ああ、そうだ。私こそがサマエルだ。この世界の、新たなる神になるものだ」

「……()()()()は、貴様の端末というわけか」

「そうだね。君も知っていると思うが、私の本体は地獄の最下層、冥界のコキュートスに封印されている。だが、意識だけはこうして悪魔の身体を使うことで表に出ることができる」

「それが、悪魔と堕天使が同一視される真実か」

 

 かつて天使だったベリアルが悪魔に数えられているだけでは弱い。堕天使と言われている悪魔はベリアルだけではない。むしろ『悪魔』の大半、ルシファーやアスモデウス、レヴィアタンさえ含めて、堕天使と同一視されるのだ。

 

 原初の堕天使が多くの悪魔を遺伝子レベルで支配していた。真実はそれだけだ。あまりにも多くの悪魔が対象内にあるため、関係のない知名度の高い悪魔も『真理』の影響が込められ、真実がそのように歪んだのだ。

 

「ああ、そうだ。だが、好きに身体を選べるわけでもない。一度端末が固定されてしまうとその個体が死ぬまでは他の端末には移れない。それから全ての悪魔が対象というわけでもない。番外の悪魔の初代や四大魔王は対象外だ」

「それはこう言うべきではないか? リリスから生まれた悪魔になら憑依できる、と」

「……気づいていたか」

「驚くほどのことでもないだろう?」

 

 サマエルは原初の天使のひとりだ。エデンの園に知恵の実を植えたのは彼であり、林檎を与えたのも彼だということになっている。当然アダムとイブには面識があるため、アダムの元妻であるリリスとも面識があると考えるのは自然なことだ。

 

 そして、リリスに対して何かをした。始まりの男から捨てられた女は、その生涯を誰かに利用され続けていたのだ。リリスの悪魔を生み出すという地母神じみた権能の正体が、この異形の悪意だったのだ。

 

 ソロモンが復活に悪魔の身体を利用しているのもそれに関係している。この蛇が身体を乗っ取ってくることを読んで、逆にその精神を飲み込んでやろうと考えていたのだ。サマエルはそれを読んでしなかったわけだが。

 

「まあ、サーなんとかとア、ア、なんだったかな……とりあえず『超越者』とやらも操ることはできなかったよ。だからこそ、この身体を使ったんだがね」

 

 肩を竦めるサマエル。だが、その表情には不快感が込められていた。悪魔如きが自分の思い通りにならないことへの不快感だった。否、『超越者』は悪魔とは言い難いのだが。

 

「まあ、あの間抜けな金星野郎はそこには気づいていなかったようだ。まして自分と同格の――」

「――やはり、初代魔王の誰かが貴様の端末か」

 

 サマエルは自分の台詞を先取りされた怒りよりも、ゲーティアがそこに辿り着けていたことに対する驚きを露わにした。

 

「強烈な違和感を覚えたのは、大戦に関する情報の整理をしている時だった」

 

 三つ巴の大戦争。

 

 聖書の三大勢力が起こし、世界中の異形が巻き込まれ、二天龍の乱入により荒れ、神と四大魔王の死により強制的に終了した大戦。三大勢力はかの大戦の傷から完全に立ち直ったとは言い難い。

 

「この大戦に関しては、不明確な部分と矛盾点が多すぎた。第一に、開戦だ」

 

 かの大戦は、聖書の神がトライヘキサを封印した後のタイミングで幕を開けた。

 

「あの戦争は誰が始めた? あの戦争のきっかけは何だ?」

 

 神と悪魔と堕天使の対立は昔からあるものだ。しかし、かの大戦はそれらと区別されて考えられている。

 

 神ではない。神は黙示録の獣の封印によって衰弱した状態だった。この状態で戦争をするメリットはない。天使が神の意向を無視するとも考えられない。だが、裏を返せば神の敵――悪魔と堕天使にとっては最高のタイミングだ。

 

 仮に悪魔か堕天使が神の弱体化を知っていれば辻褄が合うが、今度は別の矛盾が生じる。天使長さえ気づかなかった神の弱体化、あるいは黙示録の獣の封印をどうやって知ったというのだ?

 

「次に、二天龍の乱入だ」

 

 二天龍。赤い龍ア・ドライグ・ゴッホ。白い龍アルビオン・グウィバー。王を超えながらも、神には届かなかった二体の伝説的な龍。ウェールズに語られる二つの民族の化身。

 

「二天龍の乱入により戦争は一時中断された。龍とは意思を持った自然災害のようなものだ。まして二天龍ともなれば国家の戦争を中断するのは必然。だが、どうして三大勢力が協力して二天龍を倒そうという話になる?」

 

 龍が災害だというのならば、災害相手にどうして立ち向かおうとする。やり過ごそうという当然の発想が起こらない? しかも、蛮勇が取り柄の勇者ならばともかく世界クラスの勢力トップ陣である。自分の陣営を犠牲にしてまで、かの天龍を倒そうとした事情などどの勢力にもないはずだ。

 

 あるいは、戦場を変えようという話にならなかったのだろうか。冥界だけでも地球と同じ面積があるのだ。天龍の喧嘩に巻き込まれない場所の方が圧倒的に広いはずだ。そうできなかったとしたら、どれだけ局地的な戦争をしていたのだ。

 

 これが全く未知の脅威――例えば他ならぬゲーティアやトライヘキサ、あるいは邪龍ならば理解できる。だが、二天龍だとすれば話は違ってくる。既知の龍で、周知の災害だ。押し付け合うならばともかく、どうして協力して倒そうということになったのか。

 

 二天龍の乱入は、本当に事故のようなものだったのか? 否、本当に二天龍が三つ巴の戦場に乱入したのか。逆に、二天龍が出現するであろう場所が、意図的に主戦場として選ばれた可能性を誰が否定できるのか。

 

「誰かが、戦争の裏で暗躍していた。誰かが思考誘導を行っていた。それも、個人レベルではなく種族レベルで。否、勢力というあまりにも馬鹿げた単位で」

 

 まさに世界のすべてがたったひとりの手のひらの上で動いていたわけだ。

 

「おまえだな。おまえが裏で糸を引いていたんだ」

「その通り、と言いたいところだが若干違うな。()()()()()は端末というより分霊と言った方が正しい。端末は自由自在に身体を乗っ取れるが、分霊はそうはいかない。インドのアヴァターラを例にすれば分かり易いか。理想王は維持神が人間として降りたものだが、存在としては全くの別物だろう?」

「成程な。そして、それがベルゼブブがサマエルと同一視される裏事情か。俺もそれを知らずに、まんまとあいつを共犯者に選んだわけだ」

 

 強烈な舌打ちをするソロモン。

 

「黙示録には“赤い竜は獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた”とある。この『赤い竜』とはグレートレッドとも取れるが、実際は貴様だ。そもそも『竜』と『蛇』は多くの時代や文明で同一視された。むしろ区別されるようになったのは人類史から見れば比較的最近だ。『赤い蛇』。貴様の別称の一つだな。確か、知恵の実は貴様がエデンに植えたものだったな。ならば同じようにあれも――生命の実もおまえが植えたものではないか。トライヘキサは自然発生したのではなく、貴様が生み出した。全ては、自分自身が神に成り上がるため」

 

 サマエルは笑む。依り代にしている身体には似合わない笑い方だった。

 

「流石だ、ゲーティア。拍手を送ろう。よくぞ私に辿り着けた」

 

 挑発的な態度だが、彼には悪気はない。だからこそ余計に苛立つゲーティアとトライヘキサ。

 

「かの大戦で不自然な最後の点――神の死だ。誰が神殺しを達成した?」

 

 三大勢力は神の崩御を他神話に伝えながらも、その真相に関しては伏せている。伏せなければならない事情があった。そうでなければ停戦などしていない。二つの勢力が滅ぶか、三つ全てが滅ぶまで戦争は続いていたはずだ。そうでなければ、いくら毒蛇の扇動があったとはいえ戦争など始まっていない。

 

「二天龍か? 有り得ない。二天龍は神によって神器の中に封印されている。封印により弱った神が過労死した可能性もあるが――それならばそもそも『封印しなければいい』。もっと簡単な封印にしておけば、負担も軽減できただろう」

 

 二天龍の神滅具を調べる機会があった魔神には断言できる。あそこまで複雑な封印ができる余裕があった以上、二天龍の封印は直接的な死ではない。

 

 二天龍の封印に妙な拘りがあったのは、『システム』によるエネルギー回収の効率化だろう。何せ『倍加』と『半減』――『吸収』だ。覇龍もあってエネルギーの回収はかなり進むはずだ。

 

「堕天使か? これもないな。仮に堕天使が神を殺していた場合、奴らはもっと派手に動いているはずだ。戦争の勝者を騙ったはずだ」

 

 戦争から手を引いたアザゼルはともかく、堕天使至上主義のコカビエルらが黙っている理由はない。

 

「天使か? これが一番有り得ない」

 

 理由は語るまでもない。神に仕えることこそ、天使が天使である所以なのだから。仮にその状況で神殺しをするならばもっと早くに堕天使になっているはずだ。

 

「三大勢力や天龍以外の異形、あるいは人間か? ならば――今の世界は成立しない」

 

 よっぽど三大勢力に有利な条件が整わない限り、神殺しの逸話は世界中に知れ渡ったはずだ。

 

「つまり、必然的に悪魔となる。三つ巴の戦争で最も被害を受けたのは悪魔だったはずだな? 魔王や多くの上級悪魔を失った当時の状況で神殺しが明るみに出れば、戦争は中断されない。堕天使はどうにかなっても、天使が黙っていない。だからこそ有耶無耶にする必要があった」

 

 分かり切った事実があったからこそ、誰もが口を閉ざす必要があった。

 

「そうなると論点は、どの悪魔が殺したか、になるが――」

「――それ以上の考察は不要だ。全てを知る私から、真実だけを開示しよう」

 

 サマエルの顔には強い不快感が出ていた。だが、それはゲーティアに真相を掴まれていたからではない。むしろ彼が辿り着いていない真実こそが、サマエルを最も不愉快にしていた。

 

「神が死んだのは二天龍を封印した直後だ。その時、その場には神と四大魔王しかいなかった。そして、天龍の封印によって神は疲労――否、衰弱していた。戦争前の黙示録の獣を封印した後遺症のこともあるからね」

 

 サマエルは端末によって黙示録の獣をずっと監視していた。本来であれば、救世主が獣を倒すはずだったが、彼はそれを拒んだ。この哀れな獣を倒すのは自分ではないと言って。モーセとソロモンに続く、三度目の失敗だった。

 

「魔王たちはその隙を突いた。最初に動いたのはソロモンの共犯者であり理解者でもあった初代アスモデウスだ。ソロモンの理想の真実を知らない彼は、神は殺せる時に殺しておいた方が有利だと判断した。そして、初代レヴィアタンもそれに続いた。神は最後の力を振り絞り、この二柱の魔王を殺した。だが、力をそれで使い果たした。人間以下になった神を殺したのは初代ルシファーだ」

 

 問題なのは、そこからだった。

 

「そうなるとルシファーをベルゼブブが殺したことになるが、そのベルゼブブは誰が殺したのだ? ルシファーと共倒れか?」

「これが最低に不愉快な話なのだがな――ルシファーを殺した後、ベルゼブブは自決したのだ!」

「は?」

「何だと?」

 

 それはソロモンも知らない事実だった。ミカエルやアザゼルさえこの真実には辿り着いていない。彼らが知るのは神と四大魔王が全員死んでいたという事実だけ。傍目には二天龍封印直後に相打ちしたかのように見えたはずだ。

 

「そもそも、私の計画にルシファーの死などない! ベルゼブブに向けた命令は、ルシファーの殺害ではなく吸収! それさえ成功していれば、私の計画は完成したはずだった! とっくの昔に、天の玉座は私のものになったはずだ!」

 

 サマエルとルシファーとベルゼブブ、そしてトライヘキサ。彼らは『サタン』の名において同一視される。ソロモンと聖書の神を除いて、『真理』の力を使えるのはサマエルだけだ。魔術王は指輪の中に封印されたままであり、唯一神は死んだばかり。ならば、サマエルだけがその猛威を振るえた。

 

 サマエルの名の下にベルゼブブと融合し、神の不在を突いて『システム』を乗っ取り、トライヘキサを封印から開放して吸収し、全知全能さえ超越した唯一神になる。そして完璧な楽園を創り出す。今度こそ、誰も逃げ出そうとは考えない最高の理想郷を。

 

 だが、それはある悪魔の暴走によって延期された。他ならぬ自分の分霊によって。

 

「ベルゼブブは自らの意思でルシファーを殺した。私のアバターの分際で、私の計画に反して、しかも最後には自決したのだぞ!? 奴は一体、何がしたかったんだ! 自決したのも奴の意思だ。何故だ、何故あの蝿は私の理想を崩したのだ!?」

 

 ずっと自分の言う通りに動いていた。最も忠実な駒のはずだった。自分から切り離したとはいえ、自分の一部である以上、自分を裏切ることはないと思っていた。何故なら、ベルゼブブにはそんな機能などなかったからだ。サマエルを神にする。ただそれだけが、ベルゼブブの存在理由だったはずなのに。

 

「ベルゼブブ自身が神になるつもりならばルシファーを殺す必要はない。私を神にしたくないのならば冥府の本体を直接叩けばいい。二天龍を其方に誘導することもできたはずだ。裏切りの機会などいくらでもあったが、奴はそれをしなかった。何だ。ベルゼブブの奴には、突発的にルシファーを殺したくなるような感情でもあったというのか!?」

 

 そんなはずはない。

 

 ベルゼブブという悪魔の中身は空っぽだ。空っぽだからこそ、『暴食』という罪を与えられたのだ。どれだけ貪っても満たされることのない空白。

 

「あんな愛さえ知らぬ人形が、一体どんな欲を抱いたというのだ!」




汝の罪状を述べよう。
第一の罪。生まれてきたこと。
第二の罪。力だけで己を示したこと。
第三の罪。王になったこと。
第四の罪。何も変えられなかったこと。

次回予告「何故」

最後の罪。王として愛を持っていなかったこと。

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