憐憫の獣、再び   作:逆真

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皆様がそれほど楽しみにはしていなかったであろうアゾット展開を用意したZE!


何故

 自分自身にさえなれなかった。

 

 過去の自分を、そして自らをそう罵るアーチャーは棺桶から槍を取り出す。曹操もそれに対して、自らの槍を構える。

 

「黄昏の聖槍!」

「暁の魔神槍!」

 

 瞬間、槍の矛先同士がぶつかり合う。

 

 この二人では圧倒的なまでに経験値が違う。

 

 今の曹操とほぼ同じ人生を歩いた上で、アーチャーは更に五年戦った。それも、はぐれ悪魔や野良の魔獣などではない。人類悪の眷属や魔王、更には()()()()()()まで相手にしたのだ。

 

 五年の歳月と異常な経歴。同一人物であるが故に、気力でどうにか埋まる差ではない。否、気力さえもアーチャーの方が上だ。

 

「ッ!」

(おまえ)の人生で最大の失敗は、初めて兵藤一誠と戦った時、サマエルの毒を使うことを躊躇ったことだ」

 

 神の毒。アダムとイブに知恵の実を食べさせたサマエルに対して、神が与えた絶対の苦痛。最強の龍殺し。もっとも()()()()()()()()()、曹操には関係ない。

 

 龍の因子を持つ兵藤一誠に対して、龍殺しの毒を使うことを躊躇った。それは彼を殺してしまうことを恐れたわけではない。

 

「こんなものが英雄の力か、こんなものが人間の価値の証明かと、高慢にも悩み、思い留まったんだ。目の前の悪魔を憎んでいたはずなのに、ようやく殺せる場面に辿り着いたというのに、(おまえ)は殺し方に拘りを抱いてしまった! 自分の力で倒さなければ、ゲーティアや教授、アーシアに顔向けできないのではないかと。(おまえ)が自分自身の力で勝ち取った力など、何一つないというのに!」

 

 最強の聖遺物という力があった。英雄になりたいという願いがあった。人類を異形から守りたいという信念があった。

 

 力は飾り物だった。願いは借り物だった。信念は貰い物だった。

 

 この身の全ては偽物だった。

 

 偽物の英雄だからこそ――本物の『悪魔』を殺せなかった。

 

(おまえ)が殺し損ねた兵藤一誠は、こじ開けたのさ。聖書の神から与えられた力――本来ならば黙示録の獣にしか使えない宝具、最後の審判(アポカリプス・ナウ)を使って、外宇宙への扉をな!」

 

 星空に展開された異次元への扉。この宝具はその燃費の悪さ故に絶対的な魔力を持つトライヘキサにしか使用できないはずだった。

 

「あの男は乳神なんてふざけた神の力と赤龍帝の籠手の力を使って、禁忌の力を使った! あの男だからこそ許された奇跡(デタラメ)だった!」

 

 冗談ではなかった。常識ではなかった。許されるはずのない理不尽とはあのことだった。

 

「扉から現れたのは何だと思う? 精霊を司る善神? 機械生命体を司る邪神? 抑止力が遣わした英霊? あらゆる生命を破壊する遊星? 生きるために戦い続けた平凡な人間? いいや、どれも違う」

 

 ソロモンが千里眼によって数多の世界を観測したように、ある世界線の兵藤一誠が乳神と交信することで異世界の証明を行ったように。

 

 その世界の者共は、兵藤一誠と乳神の波動を嗅ぎつけて、この世界『D』を見つけてしまった。

 

「兵藤一誠と精霊の過剰な同調はまったく別の第四の宇宙の存在を引き寄せたんだ。そう、邪悪なる原初の混沌、邪神アザトースを!」

 

 狂気の宇宙の創造主アザトース。

 

 それを聞いて、曹操は驚愕を露わにする。

 

「そんな馬鹿な――アザトースは、クトゥルフ神話は存在しない神話、ひとりの男の妄想のはずだ!」

「だが実在したんだ。ひとりの夢を見る男が吐き出した創作神話が、本当に外宇宙の高次生命体たちの在り方を言い当てた。一致した。その片鱗をこの宇宙に浮き彫りにした。それが一から十まで妄想にまみれたものだとしても、その男は確かに道を繋げた。そして、そのバトンを兵藤一誠が無自覚に、そして無責任に受け継いだ」

「有り得ない……!」

 

 曹操はアーチャーの記憶を否定する。アザトースが実在したことを、ではない。アザトースがこの宇宙に襲来したことを、だ。

 

 ある小説家が夢に従って描いた架空の伝承、クトゥルフ神話。神秘もなく、歴史も浅いにも関わず、この虚構の神群は多くの人々を引き付ける。そこにある底知らぬ狂気に人々は魅せられる。だが、その狂気の神が実在していたというのならば意味合いが違ってくる。あの神話は妄想だ。妄想でなければならない。他のどの神話が実在したとしても、あの神話だけは空想でなければならないはずなのに。

 

「魔神ラウムは以前からその宇宙……仮称『C』の存在を探っていた。まさかラウムも呼び寄せるために調べていた技術を追い返すために使うとは思っていなかったようだが」

 

 全くの未知、というわけではなかった。それだけが救いだった。それ以外に救いなどなかった。

 

 神の復活から五年後に生前のアーチャーは死亡した。確認したわけではないが、人類の総数は百万を切っていただろう。五年の間にそれだけの人間が死んだことになるが、最初の一年で五十億人が死んだ。そのほとんどがこの邪神襲来が死因だった。

 

「多くの神話が扉を閉じるのに協力してくれたよ。存在するだけで狂気をばら撒く異次元の神が相手では、他人事で済まないからな。ああ、この星の生命が手を取り合えば邪神だろうとねじ伏せられると勘違いをした」

「勘違い、だと?」

「何せ、この後、聖書の神によってあらゆる神話が滅ぼされるんだ!」

 

 大航海時代の再来、とすら呼べなかった。そんな生易しい次元ではなかった。

 

 人間界と天界と冥界を除いたすべての世界が物理的に消滅した。オリュンポスと冥府は洪水に沈んだ。ユグドラシルは硫黄と火の雨に焼き尽くされた。須弥山は地割れに飲まれた。高天原は氷河に覆われた。小種族が生息する隠れ里じみた異空間さえ、徹底的な虐殺が行われた。あらゆる天国と地獄が血に濡れた。

 

 聖書以外の神話が完膚なきまでに滅ぼされた。天使と悪魔と堕天使以外の異形が片付いたら、後はラフムによる人類淘汰だ。人間という種族は、神の失望に嬲り殺された。

 

(おまえ)のちっぽけな見栄のせいで、大勢の人間が死んだんだ! 最初からサマエルの毒を使っていれば、外なる神がこの世界を見つけることもなかった。泥による汚染も、ラフムによる蹂躙も、この星の生命が聖書の神に負けることもなかったんだ!」

 

 ゲーティアを愚弄した聖書の神を憎悪した。元凶であるソロモンを恨んだ。泥を利用したリゼヴィムに憤怒を向けた。外宇宙の神を呼び寄せた兵藤一誠に殺意を抱いた。聖書の神のために人類を切り捨てたアザゼルやミカエルを許せなかった。だが結局、一番許せなかったのは、自分自身だ。勝ち方に拘って、死に方を選べなかった自分ひとりだ。

 

「英雄として称えられるという理想が素晴らしかったから憧れた。ゲーティアたちの目指した極点が尊いものだったからその背中を目指した。故に、自らの中から零れ落ちた気持ちなどない!」

 

 空っぽだった。運命に流されるまま、宿命に踊らされて生きてきた。

 

「最強の槍を生まれ持った自分は偉大なことをなさなければならないと、強迫観念に突き動かされてきた。高慢にも走り続けてきた。だが、所詮は偽物。そんな軽い覚悟で成せる覇道などない。いや、何の為に英雄を目指すのかさえ定まらない」

 

 曹操の魔槍が、アーチャーの聖槍によって弾かれ、宙に飛ばされる。

 

「見ろ、その結果が(これ)だ。親から与えられた名前も忘れ、先祖から盗んだ名前さえ捨てた、誰でもない無名の掃除屋だ」

 

 歩きを止められなかった。戦いを止められなかった。

 

 諦めればいいのに、生きることなど。認めればいいのに、自分は弱いと。知っていたはずなのに、己の全てが偽物であると。

 

 四大魔王を殺した。ラフムを滅ぼした。一つまみでも人類を守った。

 

 だが、それが何だと言うのだ?

 

 アーチャーの死後も、あの世界には聖書の神は健在だ。自分の棺桶を受け継いだ誰かがとも夢想するが、そんなうまい話があるものか。

 

「栄光と名誉に満ちた英雄譚など御伽噺だ! (おまえ)が憧れ、人々が英雄と呼ぶ彼らは皆、(おまえ)とは比べ物にならない覚悟を持ち、傷を負っていた! 泥水を啜ってでも勝ち抜こうという信念こそを、人は理想と呼ぶんだ!」

 

 残ったものは強い後悔。

 

 誰も救えない両腕。

 

 そして、人の血で濡れた槍だけだった。

 

 偽物には相応しい末路だった。

 

「そんな当然のことさえ認められないなら、その勘違いを抱いたまま溺死するがいい!」

 

 アーチャーの槍が、曹操の心臓を捉えた。

 

 

 

 

 

 

「汝と紅蓮に塗り潰した過去を覆そう」

『Juggernaut Final Drive!』

 

 その呪文を唱え終わった兵藤一誠の鎧は、真紅だった。皮肉にも、一度は主と仰いだ女の髪と同じ色をしていた。

 

「真紅の赫龍帝……いや、こう呼ぶべきだよな。天紅の魔龍帝(クリムゾン・ゴエティア・プロモーション)。これが最後の赤龍帝の姿だ」

 

 その姿に誰もが呆然とした。否、呆然とせざるを得なかったのは、誰よりも仲間思いである彼から放たれる憎悪か。

 

「何だ、イッセー。その姿は。赤龍帝の鎧が、赤ではなく紅に……? 過去にないぞ。一体、おまえは何をやったんだ……!」

「あんたの知らないことだよ、アザゼル」

 

 敵意と殺意を隠さず、一誠は一歩一歩彼らとの距離を詰める。

 

「どうしたと言うんだ、イッセーくん。どうして君が……」

「……いや、それは違いますよ、サーゼクス・ルシファー。むしろこれまでがおかしかったんだ。だってそうだろう? 俺は忌むべき赤い龍の力を持っていた。本来なら、俺はもっと早い段階で殺しておかないとダメだったんだ」

「そういうことね……! サーゼクス様、おそらくイッセーくんの中にはまだソロモンの人格があるのです! イッセーくん、聞こえるでしょう? お願い、眼を覚まして」

「イッセーくん、しっかりするんだ!」

「イッセー先輩!」

「――ああ、それならどれだけ良かっただろうな」

「待て、兵藤一誠」

 

 兵藤一誠の足を止めたのは、彼を仲間と信じている者達の言葉ではなかった。キコキコと、車椅子を押す音とともに彼の背後から聞こえてきた無機質な声。

 

「……いいのか? こんな場所にいて」

「我々の彼らへの救済(いたみ)は完了している。計画がこれから頓挫するとしても、それだけはもうすぐ終わる。覆されたのならば、我々はそれまでだったという話だ。我々が、愚かにも敗北を重ねる無能だったというだけの話だ」

 

 そこにいたのは、カラス頭の怪人だった。

 

「私はラウム。“あちら”のソロモン七十二柱がひとり、魔神ラウムだ。グレモリーとグラシャ=ラボラスが世話になったな」

 

 カラス頭の怪人――否、魔神はそう名乗る。彼が押す車椅子にはひとりの少女が乗っていた。白い髪をお下げにした十代前半の少女。

 

「久しぶりだね、イザイヤ」

 

 少女が言葉を投げかけたのは、木場裕斗だった。「イザイヤ」という名前と少女の顔に、裕斗は著しい反応を示した。

 

「トスカ……? トスカなのか?」

「うん、そうだよ」

 

 信じられないといった様子の裕斗に、トスカと呼ばれた少女は嬉しそうに答える。

 

「彼女は聖剣計画の生き残り。彼女の神器は強力な結界系であり、かつて実験の中で神器が発動し、研究者たちも手が出せなくなってしまった。それから数年間は結界内で仮死状態であったため、成長は止まっている。我々が保護し、意識の覚醒に成功した」

「『保護』か。物は言いようだな。人質に使っておいて保護も何もねえもんだ。ただの拉致だろうが」

「その認識は間違いだ。私が君達に対して人質を取る必要はない。私は最後の通告に来たのだ。正しくはトスカが、だが」

 

 ラウムからは余裕が見られた。その態度に、誰もが苛立ちを隠せない。アザゼルが舌打ち交じりに光の槍を具現化させる。

 

「まさかおまえら勝ったつもりか」

「勝った気でいる、か。確かに我々はまだ勝利を迎えていない。我々の極点は未だに遠い」

 

 計画は半分も進んでいない。黒幕の正体は突き止めたが、停止させていない。魔術王の狂気も唯一神の悪意も健在だ。

 

「私達の勝利は不確定だが、君達はすでに敗北した。これは決定事項ですらない。君達――悪魔と堕天使という種族の歴史はすでに終了している」

 

 そもそも、魔神柱にとって悪魔も堕天使も天使も最初から勝負の相手という認識ではなかった。最初から燃料の素材か駆除すべき害獣で、途中で考え直そうとして、最後まで燃料の素材で駆除すべき害獣だった。

 

 同じ土俵にいないのだ。ならば、勝利条件と敗北条件が一致しないのもまた自然なことだ。

 

「故に、これはただの通告であり感傷だ。審判の前に汝の罪を提示しよう、サーゼクス・ルシファー」

「私の罪だと? それが君達が悪魔と敵対する理由か?」

「全面的な正解ではないが、部分的には間違いでもないな」

 

 ラウムはカラスの頭を縦に振るう。

 

「グレモリーという悪魔の特色、すなわち『情愛』。父を愛し、母を愛し、妹を愛し、妻を愛し、息子を愛し、眷属を愛し、領民を愛している。――だが、これは王としての愛ではない。一貴族としての愛としては上等でも、王としては無能極まりない」

 

 暴君として国を荒らすことはなかった。だが、国を愛しながらもその方向を見誤っているのならば、それは暗君だ。暴君よりなお悪い。

 

「私たちは様々な王を知っている」

 

 民の笑顔を守るために、人間でなくなった騎士王がいた。

 

 人類の可能性を見出し、天地を開闢した英雄王がいた。

 

 闘争を繰り返しながらも、多くの臣民が憧憬を抱いた征服王がいた。

 

 祖国を守りたいが故に、偽りの高貴を粛清した極刑王がいた。

 

 友と袂を分かつとも、死ぬまで国家の頂点として君臨した太陽王がいた。

 

 死を理解しながら、最期の一瞬まで闘争を選んだ守護の王がいた。

 

 そして、人としての自由がなかった癖に、根は臆病だった癖に、己の全てを放り投げた魔術王がいた。

 

「君には力がある。君には愛がある。だが、君のそれは『王』としてのものではない」

 

 その力は強くとも、美しくはない。その愛は優しくとも、強くはない。王としての愛がない。王として強くはない。

 

 歪な情愛によって、どこもかしこも穴だらけの繁栄が完成した。中途半端な変革は、滅びの種を育てただけだった。暴力を振るう以外に能がないのなら、いっそ徹底的に古い思想を破壊すべきだったのだ。残された平和という虚構に取り憑かれただけだ。

 

 おまえが勝利した内戦が、悪魔にとって最後の流血になるとでも妄想したか。おまえが排除した旧魔王派の血筋だけが、悪魔の未来が見えていない愚者だとでも空想したか。

 

 その愛は間違ってはいないのだ。おまえがただの悪魔であれば。おまえが王でさえなければ。

 

「サーゼクス・ルシファーよ」

 

 誰も彼もに偽りと偽善の魔王と呼ばれた、暴君にさえなれなかった、悪魔ですらないナニカよ。

 

「君は王になるべきではなかった」

 

 おまえという暗君のせいで、兵藤一誠は生まれたのだ。

 

 

 

 

 

 

 魔神柱が撤退し、冥界焼却が行われる数分前。

 

 ヴァチカンにて、天使長ミカエルは降臨していた。

 

 三大勢力のトップ陣の中でミカエルだけは世界神話会談に参加しなかった。その理由は、大きく二つ。神の復活を進めるため。そして、もう一つの目的は目の前の男にある。

 

「では、頼みましたよ、ヴァスコ・ストラーダ司祭枢機卿」

「はい、ミカエル様。確かにデュランダルⅡ、受け取りました」

 

 ミカエルの前に立つのは、祭服を身にまとった身長二メートルはある白髪の巨漢。

 

 前デュランダル所有者、ヴァスコ・ストラーダ司祭枢機卿。教会の暴力装置、天界の暴挙、ヴァチカンのイーヴィルキラー、ミスター・デュランダル、本当の悪魔。多くの異名と八十七歳とは思えぬ覇気こそが、この老人が正真正銘人間の極限たる証明だった。

 

 ミカエルがヴァチカンに降りた理由は、彼に聖魔剣と過去の聖剣のデータによって作り出された特別性の聖剣を渡すためだった。本来であれば会談開始前に渡しておきたかったが、調整に時間がかかり今になってしまった。日本への転移の準備はすでに完了しているはずだ。

 

「……それにしても、デュランダルを魔神柱に奪われたのは残念です。戦士ゼノヴィアにはリアス・グレモリーの眷属になってもらう予定だったのですが」

「成程。神の不在を知った彼女をデュランダルごと放置したのはそれが理由でしたか」

「ええ。あの時点ではすでに和平が決定していましたからね。しかしあの時点では神の不在を公にできないのも事実。我々としても苦渋の決断でした」

「しかし、彼女は禍の団に入った。魔神柱の手先として。本来ならば、悪魔に転生し、和平後の悪魔と教会の架け橋になったはずだ。貴方はそう考えているわけだ」

 

 ヴァスコの言い方を怪訝に思うミカエルだったが、連絡が入る。会談会場にいるはずのガブリエルからだ。魔神柱との交戦に入ってから連絡が途絶えていたため、やや焦りが起きる。

 

「どうしました、ガブリエル? これからヴァスコ・ストラーダに大至急其方に向かってもらいますが――」

 

 瞬間、ミカエルの表情が曇る。

 

「……分かりました。では、ガブリエル。貴女は天界に戻り急ぎ治療を。会場の後始末や情報の整理は、ウリエルやラファエルに任せましょう。アザゼルにも私から連絡を入れておきます」

 

 連絡を終えたミカエルにヴァスコは訊ねる。

 

「どうかされましたか?」

「……件の魔神柱ですが撤退したようです。間に合わなかったとは残念です」

 

 本当に残念そうにミカエルは頭を振るう。

 

「ガブリエルは重症を負い、撤退しています。ウリエルやラファエルの現状は不明ですが、大戦を生き延びたあのふたりのことです。きっと無事でしょう」

「ええ、だとよろしいですが」

「申し訳ありません。貴方も日本に向かう用意をしていたでしょうに、それを無駄にしてしまいました」

 

 だが、ヴァスコは朗らかに笑う。

 

「心配は無用です、ミカエル様。――元より日本に向かう用意などしていませんので」

 

 その言葉がミカエルの脳裏に届くより早く、その胸に刃が突き立てられる。

 

「――――――はい?」

 

 裏切り。

 

 自分の現状がそうであると、ミカエルは認識できない。彼の常識を遥かに逸脱した行為だからだ。

 

「勘違いしないでください」

 

 目の前の使徒もこう言っている。おそらくこの剣は命を奪われないものだ。この痛みも息苦しさも自分の気のせいだ。意識が薄れていくのも疲労が溜まっているからだろう。

 

 使徒を疑うなど天使長にあるまじき痴態だったとミカエルは悔いる。

 

 もしも彼が自分達――天界と教会を裏切ったというのならば、他の使徒たちが身じろぎさえしないのはおかしい。彼らが自分に向ける視線が冷たいのも何かの間違いだろう。

 

「先に裏切ったのは、貴様らの方だ」




ある世界の話をしよう。
天使は神に従い、使徒の雷に焼かれた。
悪魔は神に倣い、英雄の槍に貫かれた。
そして堕天使は神の御許に戻ることを選び、偽神の刃に切り裂かれた。

次回「断罪」

どうして、貴方笑っているんですか?

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