世界神話会談の会場周囲は、完全に終戦モードだった。正しくは敗戦モードと言うべきか。
魔神柱、邪龍、英雄派、『魔獣創造』のモンスター。これらによる被害は甚大だ。円卓の騎士や英霊の乱入もあった。
特に、堕天使の幹部アルマロスとタミエルが謎の少年と青年によって討たれたことは大きい。駒王会談前のコカビエル、先日のバラキエルとサハリエルも合わせて、聖書に記された堕天使が一度に五柱も失われた。この数百年で最も大きな世界の揺らぎだ。それも間違いなく悪い方に動くだろう。
まして、この場に参戦していた教会の戦士の一部が、円卓の騎士たちに寝返っていたなど予想だにされていなかった。
「無事でしたか、姐さん」
「デュリオ!」
生存者を確認するグリゼルダ・クァルタの前に、デュリオ・ジェズアルドが現れた。右手には何やら光輝く器が抱えられている。対して、左肩には転生天使ネロ・ライモンディを担いでる。意識はないようだが、大事に至るような大けがもないように見える。
「貴方も無事なようで何よりです」
こんなことならば、元エクスカリバー使いのエヴァルド・クリスタルディや元デュランダル使いのヴァスコ・ストラーダにも声をかけておくべきだった。
「それにしても、魔神柱たちはどこに消えたのでしょうか。潜伏先が分かっていれば先んじて動けたのですが……」
「ん? 姐さんは聞いていませんでしたか。連中、辺獄だか煉獄だかがどうって言っていましたけどね」
「っ! それは本当ですか?」
「こんな時に嘘言ってどうすんですか」
「天国にも通じる道があると言われている辺獄に煉獄……。ことによっては次の襲撃は天界になるかもしれないということですか」
「じゃあ一回調査して、何かあればこっちから攻撃ですか。まあ、今回より上の戦力が次にあればですけど」
「…………どういう意味ですか?」
グリゼルダが怪訝そうにするのも無理はない。平和主義者で温厚なデュリオらしからぬ発言だったからだ。
「いや、今回の犠牲を見て思っちゃうんですよ」
デュリオは搬送されている怪我人や横たわる死者を見る。考えてみれば、想定していたよりも強大な戦力だったにもかかわらず、犠牲者は少ない。死者の中に教会の戦士が少ないように見えるのは、グリゼルダの気のせいだろうか。
「和平は失敗だったんじゃないかって。次の戦いがあったとして、ちゃんとした連携は取れないんじゃないかって思うんですよ」
「……貴方らしくもない発言ですね。和平によって三大勢力間での戦いはなくなります。無用な犠牲者が出なくなると、貴方も和平を望んでいたではありませんか」
少なくとも、駒王会談前のデュリオには反対の色はなかった。最強のエクソシストである彼が納得しているからこそ、
「無理に和平をしたせいで戦争が起きたんじゃ、本末転倒ですよ」
「デュリオ。今の発言は聞かなかったことにしておきます」
「そりゃ有り難い。もう無理だろうけど、ミカエル様の耳に入ったらまずかった」
「? まあ、貴方は転生天使の代表者『ジョーカー』なのです。発言には気をつけなさい」
デュリオの台詞に妙な違和感を覚えたが、グリゼルダはその場を後にする。ガブリエルは天界に撤退したらしいが、ラファエルやウリエルはまだ近くの戦場跡にいるはずだ。
「転生天使ねえ? 姐さん。俺たちは人間なんだ」
グリゼルダの姿が完全に見えなくなると、デュリオは聖杯を見る。どんな願いでも叶えるという願望器。神の意思を騙り続けた天使よりも、神の不在を受け入れた教会よりも確かに、苦しむ子どもたちを救える魔法の道具。デュリオが
「人間なんだよ」
その呟きは空に消えた。
■
「――ねえ、イザイヤ。一緒に来て」
車椅子の上から、トスカは手を伸ばす。物理的な距離は遠く、その細い手が木場裕斗に届くわけもない。だが、心理的な距離はそれほどでもないはずだ。
「……それは無理だ」
しかし、裕斗にその手を取ることなど出来ない。
「僕を救ってくれたのは、悪魔だ」
「ああ、そうだ。我々は君を救えなかった。我々は、君を救わなかった」
ラウムは己の無力を嘆く。もっと、もっと早く来ていれば、我々はもっと多くの人間を救えたはずだと、高慢であることを自覚しながら懺悔する。
「だが、トスカを助けたのは我々で、
リアス・グレモリーの『騎士』木場裕斗。あるいは聖剣計画の被験体イザイヤ。
彼の人生には最初から最後まで選択肢なんてものはなかった。身寄りがないため聖剣計画に従うしなかった。エクスカリバーへの復讐のためにはリアスの眷属として生きるしかなかった。だから、きっとトスカからの嘆願こそが人生において最初で最後の選択肢だった。
正しい選択をするための材料がなかったのだとしても、
「真実を知る者は極々一部ではあるが、我々インド神群は君達の滅びを見過ごすことにした。日本神話と中国神話も同じだ。分かるかい?」
君達は。
とっくの昔に世界から見捨てられていたんだ。
「俺たちが人類を滅ぼすだって?」
朱乃の指摘から、ようやくアザゼルは意識を立て直す。
「並行世界でそうしたって?」
動揺がなくなった彼の心から湧き上がるのは、怒り。
「そんな――」
人間のためという詭弁を吐く魔神にではなく、破壊神を含めた無慈悲な者共に対しての怒り。
「そんなわけのわからない理由で、殺されてたまるか――!」
アザゼルの言い分はもっともだ。アザゼルの態度は正しい。アザゼルの憤怒は妥当だ。少なくとも、彼にとってシヴァの話は『かも』『もし』『たら』『れば』だの、そんな可能性を出ない話なのだ。
だからこそ。
その一切が、反転して彼に襲い掛かる。
「それは――」
兵藤一誠という名の、天龍が吠える。
“危険な神器を持っている人間は将来的に世界を乱すかもしれない”という理由で一度死んだ少年が、泣いた。
「それは! 俺の前で言っちゃダメだろう!!」
龍の座に恥じぬ、憤怒の咆哮。シヴァを除いた、その場にいた全員が戦慄する。
「駄目だよ」
前に出たのは、ソロモンが召喚したライダーのサーヴァント、理性蒸発騎士ことアストルフォ。
「それをやっちゃダメだ。それをやったら――君はきっと悪いモノになってしまうよ?」
「知っている」
「……そっか」
悲しいものを見るアストルフォだったが、感情を切り替えて、凛々しい顔つきになる。
「シャルルマーニュ十二勇士アストルフォ、舞って散るよ! ああ、散らないけど――」
アストルフォの口上が終わろうとする瞬間、部屋の壁の一面が吹っ飛んだ。
「――悪いが、彼の相手は俺に譲ってもらうぞ」
吹き抜けになったそこから風とともに出現したのは、幻想的にまで美しい白い龍の全身鎧。白銀の淡い光と濃厚な龍のオーラを放ちながら、威風堂々としている。
彼がヴァーリ・ルシファーだと誰もが理解した。
ヴァーリは、アストルフォと一誠の間に立つ。必然的にアザゼルを背中に回すことになる。
「正気に戻っていたか、ヴァーリ!」
「アザゼル、彼は俺が対しよう」
有無を言わせぬ物言いだった。ヴァーリらしいと言えばヴァーリらしいのだが、以前の彼とは何かが違った。アザゼルの下にいた頃のヴァーリとは違う何かがあった。無論、暴走状態だったあの時とは比べるまでもない。
ヴァーリに続いて現れたのは、漆黒の武人。死神の如き暗殺者は大剣を地面に突き刺す。
「赤龍帝よ」
その重々しい声にはどこか、嘆くような音が含まれていた。
「欲望に飲まれた手で何を掴んだ? 返り血に塗れた小石か?」
そんな汚らわしい手のひらの中に何がある。他者を傷つけるだけの力しかないだろう。これ以上堕ちる気なのかと、そう問い掛ける山の翁に対して、兵藤一誠は、
「――何も」
とだけ答えた。
「俺は結局、何も掴めやしなかった。何も出来ないだろうし、何も要らない。だから――」
罪に塗れた真紅と、愛を知らぬ白銀が相対する。
「そこをどけよ、ヴァーリ・ルシファー!」
「そうはいかないな、兵藤一誠!」
■
獅子王アルトリア・ペンドラゴンは、天界の上層に足を踏み入れていた。
IFのベディヴィエールが存在することによって連鎖召喚された女神ロンゴミニアド。この世界には、折れたはずのカリバーンと返還されたはずのエクスカリバーが存在する上、ブリテンの化身『赤い龍』が魂だけとはいえ現存している。異世界の騎士という異分子が紛れ込むことによって、聖槍の女神は半ば強制的に、顕現に近い形で召喚された。
召喚が歪なら存在そのものも歪だ。歪であったが故に、赤龍帝ドライグと融合する必要があった。魂だけ、という形であるのが都合が良かった。赤龍帝の籠手から抜き出されたドライグの魂は、魔術王の手によって女神と一体化した。
アルトリアは、眼前に広がる光景に無機質な視線を向ける。
視線の先には、壊れた箱のような物体と一体の天使の死体があった。壊れた箱はモーセの聖遺物として有名な聖櫃であり、死んだ天使の名前はサンダルフォンと言う。
「サンダルフォンを下したか、ガブリエル」
名前を呼ばれた女性の天使は振り向く。
四大天使のひとり――今となっては最後のひとり――にして、天界一の美女と言われる彼女の美貌は悲痛に染まっていた。否、悲痛に染まっていてなお、その美貌は失われていなかった。
世界神話会談において、魔神との戦闘によって負傷したガブリエル。負傷したことで撤退した彼女はそのまま天界に帰還し、聖櫃の最終調整を行っていたサンダルフォンを背中から殺した。
ガブリエルが負傷していたため油断していた。自分の正体が誰にも発覚していないと自惚れていた。もうすぐ真に正しい神が再臨されると盲目になっていた。それらが敗因であり、死因だ。
「待っていましたよ、アーサー。いえ、ドライグと呼ぶべきですか?」
アルトリアは肩を竦める。
「待っていた、か。私を待っていたわけでもないのだろう?」
「はい。貴女でなくても良かった。誰でも良かったのです。
聖書の神が復活すれば、それはガブリエルにとっても喜ばしいことではある。しかし、この世界線では不可能だ。第一案である人類悪の再利用が失敗に終わった時点で、聖書の神復活の道は途絶えた。他の方法はすべてサマエルかソロモンが乗っ取っている。ならば諦めるしかなかった。ならば切り捨てるしかなかった。ならば、滅びを受け入れるしかなかった。それが、約束だから。
二人の目の前には、『システム』がある。奇跡と慈愛を司ると謳いながら、多くの悲劇を引き起こした元凶がそこにある。神の悪意によって歪められた千年王国への道しるべ。
「……今代の赤龍帝と白龍皇は『柱』と成り得るだけの力に目覚めた。もう唯一神が復活して主柱になる必要性も低い」
「ええ、元より明日や来年に世界が壊れるわけではありません。千年二千年の猶予はあります。その間にきっと、『柱』は揃うでしょう」
「やはり知っていたのか、ガブリエル。最初から、サマエルの野望を。そしてソロモンの狂気、『真理』構築の真実を」
「知っていました。彼女が教えてくれました。ソロモンの本質に気づき、いち早く止めようとして
「彼女? 誰のことだ?」
「それは――――ああ、なんてことでしょう。彼女の名前が思い出せません。いえ、彼女が本当に存在していたかどうかさえも朧気なのです」
すすり泣きを混ぜてそう告げるガブリエルだったが、獅子王には見当がついた。
「成程、シバの女王か」
「そんな呼び名もあったような気がします。外宇宙からやってきた貴女には『真理』の効き目が薄いのでしょうね」
その名を聖書に刻まれた天使は涙する。
「魔術王ソロモン、今は
涙を拭ったガブリエルはアルトリアに無理やり笑顔を向ける。生傷のような痛々しさのある表情であったが、やはりその天使は美しかった。
「天界名物のお饅頭があるんですけど、食べますか?」
「いただこう」