起源が何かは分からない。始原がどれかは知らない。原初が何処かなど覚えていない。開闢が何時からなど興味がない。私は『 』であった頃の自分を覚えていない。
だが、どのように始めたかは覚えている。
私は唯一だった。私は絶対だった。私は完全だった。私以外の神を僭称する輩もいたような気がするが、不浄な神もどきの妄想に付き合う暇などなかった。
だからこそ、私は己から不要な成分――■■と□□を切り離した。何かを始めるのに、何かが始まるのに、この二つの成分は不要だったのだ。私の構成要素にこの二つの成分は余分、邪魔だった。しかし、忌々しいことに、それらは生命と意志を得た。■■は天使に、□□は悪魔になった。サマエルとルシファーだ。
サマエルを参考に天使を創り出した。後に悪魔へと堕ちるベリアル。
色々な生き物を創り出した。
最後に人間を生み出した。
人間は――私の楽園から出て行ってしまった。どうやって出て行ったのだ。何処から抜け出したというのだ。おまえたちに、そんな知恵は与えていないというのに。おまえたちに、そんな権利はなかったというのに。楽園の外に、おまえたちの幸せなどないというのに。
実際、おまえたちは不幸になっただけではないか。おまえたちは過ちを犯しただけではないか。おまえたちは、後悔を重ねただけではないか。
カインよ。何故弟を殺した。
ノアよ。何故家族以外の人間を箱舟に乗せなかった。
ニムロデよ。何故塔など立てた。
モーセよ。何故契約を破った。
ソロモンよ。何故『真理』など作った。神魔を利用して生み出した、星の公転の如き永久機関。神々から人間を奪い、神話を摩耗させ、神秘を食い殺す全人類に施した呪い。動き出せば人類が終わるまで、否、星が消えるまで止まることはない絶対術式。どうして、これを私のために使わなかった。『システム』さえ超えているこの術式さえあれば、おまえは神にさえなれただろうに。
イエスよ。ヨシュアよ。アーサーよ。シャルルマーニュよ。ゲオルギウスよ。リチャードよ。ジャンヌよ。どうして、私の下に帰ってくれない? 私の楽園で育たなかった者たちは、何ひとつおまえたちに報いようとはしないのに。誰も彼もが、おまえたちの理想を裏切ったというのに。
私の楽園は、“そこ”よりも醜いのか?
■
「
「
超越者アジュカ・ベルゼブブと、施しの英雄カルナの攻撃が衝突する。
カルナの放つ攻撃は目からビームという冗談のようなものだが、その威力こそが冗談ではない。
「くぅっ!」
「アジュカちゃん!」
「慌てるな、セラフォルー。こんな攻撃何度も使えるはずが……」
「
「馬鹿な、連発だと……!」
これほどの威力を、これほどの連射速度で!
「くう!」
「私だって負けない――きゃあ!」
セラフォルーの攻撃が妨害される。目の前にいる二人の戦士にではなく、どこからか放たれたミサイルによって。通常のミサイルなどセラフォルーには通じない。
だが、このような状況下で使われるミサイルがただのミサイルなわけもない。その弾は着弾すると破裂するようになっており、そこには悪魔の弱点が詰められていた。
聖水。あまりにも原始的な悪魔対策の武器。魔王であるセラフォルーに効果的ということは特別に強化されたもの。深刻なダメージを与えるような殺気は込められていない。あくまでも、前衛として動いている二人のサポートに徹している。あまりにも機械的で、あまりにも計算された遠距離攻撃。
(それにしてもどこから攻撃している? 捕捉できない場所で砲撃しているというのか? これほどの精密さで? これほどの悪環境で? こんな修羅場でなければ会談でもしたかったがな!)
「――やっぱり私は裏方の方が性に合っている。本当なら射手も他の誰かにやって欲しいんだけどネ。慣れないことをして滝に落とされるのは一度で十分だ」
悪魔の視力でも視認できない遥か遠方で、老紳士が棺桶を撫でながら発した呟きは、他の誰かに届くことはなかった。
「いやー、それにしても悪の親玉の弟子の後継者が救世主って。あの謎解き屋にだけは知られたくないネ。これも青は藍より出でて藍より青しってやつなのかな?」
「殺菌!」
圧倒的な火力と精密な爆撃。加えて、その猛攻をすり抜けて繰り出される、この赤い軍服の女の鋭い一撃があった。
攻撃そのものは驚異的ではない。音よりも速いわけでもなく、雷のように鋭いわけでもなく、聖なる力が宿っているわけでもない。大地を砕く力があるわけでも、絶死の呪いがかけられているわけでもない。そこにあるのは、“想い”だ。
「怪物を倒すのは、いつだって人間ということか。さぞや名のある戦士とお見受けするが、教会の戦士に貴女のような女性はいなかったように記憶している」
「フローレンス・ナイチンゲール。貴方はアジュカ・
アジュカとセラフォルーは様々な意味でその名前に面食らう。
「ほう、確かかの看護師は生涯独身で子孫はいなかったはず。転生体が生まれるには年代が若すぎる。話に聞いたサーヴァントとやらか。ああ、私――いや、俺がアジュカ・ベルゼブブだ」
「アーシア・アルジェント」
焦燥に包まれるアジュカを他所に、軍服の女はそんな名前を口に出した。そして、おそらくは女性の名前らしき単語を列挙していく。一つだけではなく、いくつも、平坦に、しかし何か強い感情を込めて。
聞き覚えがあるような気もするが、どこで聞いたかは思い出せない。印象に残っていないことは、少なくとも直接会ったことはないはずだが。
「貴方は――彼女たちの名前を知っていますか?」
「生憎と知らないが……もしかして貴女は神崎光也の関係者かな?」
「――――そうですか。生憎、そのような名前に心当たりはありません。貴方はここで滅菌します」
女の空気が劇的に変わった。自分の読みは悪い方向に外れたことを残念に思いながら、意識を立て直すアジュカ。
その瞬間、周囲の大気を揺るがせていた強大な魔力が途端に感じられなくなった。自分たちの戦闘に夢中であったが、まさかという想いがあった。
「サーゼ、クス……?」
アジュカは自分の目に入ったものが信じられなかった。
「手強かった……」
サーゼクス・ルシファーが地に伏していた。
最強の魔王が敗北した。魔力の消費とダメージの大きさの影響で、巨大人型オーラの姿は保っていられず、通常の人型に戻っていた。自慢の紅髪は流血と砂塵で汚れ、ゲーティアの攻撃によって不格好なヘアスタイルになっている。身体も首より下の左半身がほとんど消滅していた。
少し離れた場所では、仰向けに倒れたソロモンの腹をトライヘキサがげしげしと踏みつけている。サマエルは首を締められる形で吊り上げられている。
地に伏したサーゼクスの紅髪を掴んで、ゲーティアは乱暴に彼の顔を上げさせる。それに対して、サーゼクスは気持ちばかりに睨んで、苦悶の声を上げるだけだ。
「ぐあ……」
「思ったよりも手こずった。驚いたよ。ならば貴様にも労いは必要か。答え合わせをしてやろう、魔王」
「こ……だ、……は……」
「実はな、私は――
サーゼクスの目が見開かれる。内容にも驚いているが、何故このタイミングでと言った様子だ。
「もう一度名乗ってやろう。我が名はゲーティア」
ゲーティア。あるいはゴエティア。それはレメトゲンの一冊にして、本来であれば七十二柱の総称。
「我らの世界の魔術王ソロモンの死後、彼に仕えた七十二の魔術式――ソロモン七十二柱は王の死体に巣食い、星を作り替えるために生まれた獣となった。それが
キングゥの話にはなかった。彼が意図的に話さなかったのか、それとも知らなかったのか。本人がいない今では確認しようもないが、サーゼクスは最後の部分を反芻する。
「しょう、めつ?」
「ああ、知らないんだったか?
軽く言うゲーティアだったが、一瞬だけ遠い目をしていた。
「――ああ、そうだ。一つだけ謝罪しておこう。形だけでも謝罪しておこう。五月頃か、初代七十二柱を殺して回っただろう? あれは理想も、使命も、信念も、権利も、正義も関係ない。
「こ、個人的感情、だと?」
「ああ。恥ずかしかったんだ」
それは罪の告白にしては、あまりにあっさりしていた。否、すっきりしていた。
「あれらやおまえたちが、我々の名前を使っていることが、耐え難いほどの羞恥だった。ちょうどキングゥを発見した時期でな。我々の世界の存在が、我々以外にも来る可能性が発生した。我々の世界の人間に、この世界の七十二柱を見て欲しくなかった。特に、隠居した癖に政治に口出しをし、無駄に生き永らえて財を食らい、その上で大戦で死んだ同胞の復讐さえする様子もない初代七十二柱が許せなかった」
言外に、初代七十二柱の死がサーゼクスたちにとっても有益であったと指摘するゲーティアに、サーゼクスは何も言えない。
「では最後に、一つだけ問いを」
もはや種族としての体裁はない。おまえが救うべき民はいない。何一つ、おまえを頼る生命はない。
ならば隠し立ては不要。建前の意味はない。恥ずかしげもなく本音を曝け出すがいい。
「本当はおまえ、やりたいことなんて何もなかったんじゃないか?」
■
次期大王サイラオーグ・バアル。
不遇の『王』。魔力を持たずに生まれた大王。肉体の鍛錬のみで若手悪魔最強にまで上り詰めた常識外。いずれは魔王の席についても不思議ではないと言われている。
バアル家――大王の派閥は揉めている。あるいは膠着状態と言うべきだ。魔神柱による襲撃で、初代大王ゼクラム・バアルは死亡した。その影響は甚大だった。天界や堕天使との同盟において、魔王派が完全に主導を握ってしまうほどに。初代大王の影響は強すぎた。他の初代七十二柱とは一線を画すほどに。
だから、サイラオーグは眷属とともに世界神話会談の警護に参加していた。彼個人の感情もあるが、政治的な意味合いも強い。現魔王の妹であるリアスが参戦した影響もある。
サイラオーグが掲げる理想、叶えなければならない夢。生まれによって差別されず、己の力によって評価される冥界。そのために、魔王の席が必要だった。出身が下級や中級である、人間の血が混ざっている、生まれながら魔力がない。そんな理由で差別されることのない世界を作りたかった。
そのために、会談警護は絶好の活躍の場だった。ここで成果を上げれば大王派閥の中で発言権が強くなる。初代がいなくなって勢いがなくなった今だからこそ、大きな一歩を進むことができる。サイラオーグは強い。眷属もまた強い。だから、ここで躍進のきっかけを手に入れられるはずだった。
だが、結果として何一つ成果は上げられなかった。
魔神柱は予想よりも大きな戦力だった。三大勢力は魔神柱の戦力を見誤っていた。数多の犠牲者が出た。サイラオーグは眷属こそ失わなかったものの、すぐには戦えない者ばかりだった。
「くっ!」
魔神柱が退いた戦場跡で、サイラオーグは苦悶の声を上げる。
魔神柱が退いたのはサイラオーグ側に軍配が上がりそうだったからではない。戦闘中、どこからか発生した瘴気がきっかけだ。どうやら魔神柱はあの気色悪い気配の正体を知っているようだった。だが、同時にあの気配の存在が予想外だったかのようにも見えた。
それが何を意味するかと言えば、魔神柱にとってサイラオーグはここで排除すべき障害と認識されなかったということだ。
「サイラオーグ様」
歯噛みする彼に声をかけたのは、『女王』クイーシャ・アバドン。
「他の戦場はどうなっている?」
「はい……。信じられないことですが、セラフォルー様が魔神柱に敗北し、重症とのことです。眷属の皆様も……。ソーナ様はご無事だそうですが」
「そうか。リアスは?」
「其方の方はまだ――」
と、クイーシャが言いかけたところで、大地を揺るがすほどの咆哮が聞こえた。
「っ! 今度は何だ! 魔王様の身に何かあったのかもしれん。俺は行く」
「なりません! 何が起きたか分からない状況では危険です。あそこには会談に参加している神魔もいらっしゃるはずです。余程のことは――」
「その余程のことが起きているのだ! 大王の名を継ぐものとして、俺は退くわけにはいかん!」
クイーシャの制止を振り切って駆け出した。まだ戦える余力のある眷属もそれに続く。
現場では――赤い龍と白い龍が激突していた。
かの大戦時に起きたドライグとアルビオンの乱入。サイラオーグが生まれる前の出来事であるため想像するしかないが、それはきっと目の前に起きている暴風雨の如き衝突だったのだろう。
「赤い龍……あれはリアスの『兵士』の兵藤一誠だと言うのか?」
聞いていた話と違いすぎる異様のバケモノが二体、身体と生命を食い合っている。それが二体の龍の戦いを見たサイラオーグの感想であった。
見れば、リアス・グレモリーの姿があった。リアスの周囲には彼女の眷属や堕天使総督アザゼル、見覚えのないピンク髪の騎士がいた。どうやら戦いに介入したいが、その猛攻のオーラに圧倒されて手出しができない状況のようだ。
「リアス!」
名前を呼ばれてようやくサイラオーグの存在に気づくリアス。
「サイラオーグ! 良かった……。細かいことを話す時間はないのだけど……簡潔に言うとイッセー、私の『兵士』がソロモンに身体を乗っ取られたの」
「何?」
魔術王ソロモン。神から騙し取った指輪によって暴虐の限りを尽くした大罪人。指輪のひとつをどこかに隠して、旧アスモデウスの身体を乗っ取るも、京都でサーゼクスに討たれたと聞いていたが、まだ何らかの手段で
「いえ、ソロモンであってソロモンとは違うものだったかしら……とにかく、ああなっているのは彼の意志ではないの。サイラオーグ、手を貸してちょうだい。私の眷属を助けて」
「構わん」
サイラオーグとしても、兵藤一誠とは駆け引きを抜きにした純粋な力対力の戦いをしたかった。断じて、あのような悲鳴のような咆哮を上げる怪物と戦いたかったわけではない。
「いまこそおまえを使う時だな。レグルス!」
その声に反応したのは、サイラオーグの『兵士』。謎多き仮面の少年だ。少年が仮面を外すと、体中から怪音を起こして、その体が盛り上がっていく。全身に金色の毛が生えて、腕や脚が太く、口が裂けて、鋭い牙を覗かせ、尻尾が生えて、首の周りにも金色の毛が揃えていく。
最終的に、少年は五~六メートルはある巨大なライオンへと姿を変えた。
「この獅子の宝玉……まさかこいつは神滅具の『獅子王の戦斧』か!」
神器研究の第一人者であるアザゼルが、いち早くその正体に気づく。
「残念ながら本来の所有者は既に死んでいる。俺が『獅子王の戦斧』の本来の所有者を見つけた時は、既に怪しげな連中に殺された後だ。神器となる斧だけが無事だった。所有者が死ねば神器はいずれ消滅する。その戦斧もそうなるであろうと思っていたんだが、あろうことか意志を持ったかのように獅子に化けて、所有者を殺した集団を根こそぎ全滅させたのだ。それを俺が眷属にした」
「これほどの切り札を隠していたなんて……」
「大王派閥の権力のあれこれの関係でな、正体を明かすことを禁じられていたんだ。それに、所有者無しの状態のせいか、力がとても不安定でな。敵味方見境無しの暴走状態になって、勝負どころではなくなるから単独で出せるものではなかった。いざというとき、こいつを止められるのは俺だけだからな」
所有者が眷属になったわけではなく、神滅具そのものが眷属。それこそがサイラオーグの『兵士』レグルスの正体である。
無論、レグルスだけでも強い。だが、それだけでは終わらない。
「我が獅子よ! ネメアの王よ! 獅子王と呼ばれた汝よ! 我が猛りに応じて、衣と化せ!」
レグルスは黄金の光となったかと思えば、サイラオーグを包む。彼の身体から周囲の空間が軋むほどのエネルギーが放たれる。
『禁手!』
「禁手ゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!」
やがて出現したのは、黄金の獅子の鎧を纏ったサイラオーグの姿だった。
「『獅子王の戦斧』の禁手化―――『
その槍の女神とはまた違う獅子王。その威王を感じ取って、二体の龍は一瞬だけ動きを止めた。兵藤一誠は静かにサイラオーグ・バアルを一瞥し、告げた。
「邪魔だ……!」