憐憫の獣、再び   作:逆真

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これにて、茶番は御開だ。


赤き龍の帝王

 三千年前に、その男は生まれた。

 

 巨人を倒した羊飼いダビデの息子、ソロモン。怒りしか知らぬ魔術王。神殿を築き、異形を殺し、『壺』を落とし、『真理』を残した。この星にあるあらゆる悲劇の元凶。

 

 アザゼルは当初、この男を見誤っていた。所詮は成り上がりの子と見くびっていた。あのモーセの子孫ではあるが、それだけの男だと。だが、この男は途轍もない悪意の塊だった。

 

 三千前に死んだというのに現代に蘇った。宿敵であるはずの悪魔を乗っ取るという、あまりにも無節操な方法で。かつての悪行を省みるでもなく、相変わらず世界に敵意をばら撒いていた。

 

 分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。

 

 アザゼルにはソロモンの考えが何ひとつ分からない。その正義の在り方が分からない。

 

 何故――何故、人間を殺した程度のことで、そこまで怒りを向けられなければならない!? そんな理不尽な話があって堪るものか。おまえとて王ならば理解できるはずだ。たかだか人間数万人が死んだ程度で、俺たち堕天使の怒りを買うなど馬鹿馬鹿しいと!

 

 実際にそう直談判をした堕天使もいた。至極当然の道理を説いたはずの彼は、無残に八つ裂きにされた。それを知った時、俺たち堕天使は理解したのだ。この男と相互理解など不可能だと。

 

 愚かな王ソロモン。そんな当たり前のことすら分からないのならば、おまえはやはり王になどなるべきではなかった。おまえの愚行のせいで、こんなにも俺たちが困っているのだから。人間如きが、俺たちに迷惑さえかけるべきではないのに。

 

「ソロモン……! てめえだけはああああ!!」

 

 殺す。殺す。殺す。殺す! 人間を守るなどという虚言を吐き出し、その実破壊しか行わず、これほどの凶行に及びながら兵藤一誠を演じるこの男だけは……!

 

 全ての罪を兵藤一誠に着せるつもりだろうが、そうはいかない。なんとしてでも、その身体からその穢れた魂を追い出してみせる――!

 

 そんな風に殺気立って光の槍を出現させたアザゼルの前に、ヴァーリが立ちふさがる。

 

「どけヴァーリ――」

「なあ、アザゼル」

 

 激昂するアザゼルに対して、ヴァーリは冷静なままだ。冷静なように見える。全身鎧を纏ったままで、その表情は窺えない。

 

「何をそんなに怒っているんだ?」

 

 その心底不思議そうな問いに、アザゼルは一瞬呆けてしまった。

 

「おまえ、自分が何を言っているのか分かってんのか?」

「ああ。悪魔が悪魔を殺そうとして、それに失敗しただけだろう? どうして堕天使が、それに対して怒りを感じるんだ?」

「悪魔? いいや、一誠のことを言っているならそれは違う。あれはソロモンだ。一誠はリアスに心底惚れていた。そんなあいつが、リアスを殺すもんか。リアスだけじゃない。あいつは、朱乃たちにも本気で攻撃していたんだぞ? どんな事情があったとしても、情愛の深いグレモリー眷属が、仲間思いのあの馬鹿がそんな真似をするはずがねえんだよ」

「違うよ」

 

 ヴァーリは真向から否定する。その信頼を。その妄想を。その戯言を。

 

「あれは兵藤一誠だ。肉体も精神も魂も、彼だけのものだ」

「ふざけんな! 一誠にリアスたちを殺す動機なんてねえんだ――」

「貴方だよ」

 

 ヴァーリは正面から提示する。その真実を。その現実を。その罪状を。

 

「貴方だよ。兵藤一誠がリアス・グレモリーを殺す理由があるとしたら、それは貴方だ、堕天使アザゼル。グリゴリのやっていた神器所有者狩りで、兵藤一誠は死んでいる。――リアス・グレモリーの縄張りの中で。もしも彼女が正しく領地を支配できていたならば、兵藤一誠は死ななかったかもしれない」

 

 どれだけ語ったところで可能性の話だ。リアスが駒王町を管理する悪魔でなければ、なんてのはIFでしかない。だが、責任を被りたくない支配者はともかく実際に死んだ被害者には関係ない。

 

「だとしても、あいつは悪魔に転生して主人や仲間に恵まれていた! 少なくともリアスやあいつの眷属は、イッセーが悪魔に転生して喜んだ。イッセー自身も悪魔に転生して良かったと感じていただろう!」

「俺はそのあたりを知らないが、短期間と言えど教師をやっていた貴方が言うならそうなんだろう」

 

 しかし。

 

「それが、何だというんだ?」

 

 なんて的外れな自己弁護だろうか。なんて憐れな自己欺瞞だろうか。

 

「貴方に拾ってもらったこと、感謝している。ここまで育ててもらったこともだ。堕天使陣営を裏切ったことで迷惑をかけた自覚もある。そのことに関しては申し訳ない。だから、俺にできる恩返しはこれだけだ」

 

 堕天使の歴史は俺が終わらせてやる。

 

 燃料として焼き尽くすのではない。人間の子として、罪人を裁こう。魔王の末裔として、宿敵を殺そう。

 

「これだけは、ソロモンや聖書の神、抑止力の思惑さえ無視しているようだぞ?」

 

 

 

 

 

 

「俺の質問に答えてください」

 

 ライダーのサーヴァントが完全に消え去ったと同時に、兵藤一誠は幽鬼のような表情でリアス・グレモリーを見た。

 

「どうして、俺を眷属にしたんですか?」

 

 その問いは、あまりにも意味のないもの。

 

 強力な神器を生まれながらに宿していた兵藤一誠は、神器所有者を危険視する堕天使に世界の真実を知ることもなく殺された。そこに偶々呼び寄せられたリアス・グレモリーが己の持つ『兵士』の駒全てを費やして彼を悪魔に転生させた。それが真実だ。それだけが真実のはずだ。

 

「貴女はレイナーレを知っていた。堕天使に動きがあることを事前に知っていた。レイナーレは貴女なら容易く滅ぼせる堕天使だった。貴女は駒王町を支配する悪魔だった。貴女は『兵士』の駒八個でちょうど俺を眷属にできた。貴女は――悪魔だった」

「な、何を言っているの、イッセー?」

「俺を眷属にするために、貴女はレイナーレを見逃した。俺が殺されるまで泳がしていた。そんな真実はなかったのかと、聞いているんです」

 

 ここに来て、ほぼ無意識に、リアスは目の前にいるのが魔術王ソロモンなどではなく、兵藤一誠だと認めた。誰かが入り込んでいるのではなく、彼本人だと。

 

「貴女は一体――俺をどのタイミングで眷属にしたいと思った?」

 

 あの日、兵藤一誠がチラシを持っていたのは本当に偶然なのか? 兵藤一誠の一度目の死は回避することができたものなのか。

 

 ――――運がなかったのでしょうね。

 

 その答えを知っているのは、兵藤一誠の死をそんな言葉だけで片づけた紅髪の悪魔だけだ。

 

「答えてください、部長」

 

 リアスは何も言えない。

 

「答えてみろよ、リアス・グレモリー」

 

 朱乃たちも何も言えない。

 

「答えろ、我が主人――!」

 

 リアスには、何も言えなかった。

 

「ああ、そうだ。貴女はそうなんだよな。ああ――俺は、俺たちは! どんな世界でも、結局はそうなんだ。自分たちが何をしたのか、何をしなかったのか誰かに指摘されないと気づかない。気づいたところで、それを背負うことさえ放棄する。まさに『悪魔』だよな!」

 

 兵藤一誠の脳裏に、ある可能性が影を差す。

 

 ゼパルから教えられた並行世界。魔神が召喚されなかった世界の自分の記録。記録は所詮、記録だ。そこにある人間の感情など分からない。

 

 だから一誠は、並行世界の自分がある出来事についてどう考えているのかが気になった。

 

 それは上級悪魔になったことじゃない。それは真紅の鎧を顕現させたことじゃない。それは赤龍帝として生まれたことじゃない。

 

 悪魔に転生して間もなくのこと。

 

 依頼人のひとりが――フリード・セルゼンに殺されたことだ。並行世界におけるアーシアとの再会。あの時に、依頼人ははぐれ悪魔祓いであるフリードに殺されていた。悪魔と契約をしていた、それだけの理由で。惨たらしく殺された。

 

 この世界では、あの人は死ななかった。他の依頼人のように、チラシを通じて俺を召喚しようとして、でも俺は魔力が子どもよりないから転移さえ出来なくて、自転車で行ったら「こんな悪魔聞いたことがない!」とか言われて、それでもなんとか依頼をこなして。そんなお得意様のひとりでしかない。

 

「俺たちは、自分たちの罪を知ろうとすらせず、小綺麗なつもりで、その醜さを振りまいている」

 

 なあ、並行世界の俺。

 

 おまえはちゃんと、おまえのせいで死んだ人の存在を憶えているのか? いや、そもそも――あの人の死を覚えているのか?

 

 白龍皇だの北欧の悪神だの聖槍だの旧魔王だのとの戦いに比べたら些細な出来事なのかもしれない。だけど、あれは忘れちゃいけないことだ。覚えていなければならない俺の罪だ。

 

 一番悪いのは、実際に殺したフリードだ。一番責任があるのは、堕天使勢力の介入を察知できなかったリアス・グレモリーだ。魔力の強弱云々は素質の問題で、俺にはどうしようもない問題だった。だけど、俺には関係のないなんてことは絶対にない。

 

 もしもおまえがそれを覚えていないのだというのなら――。あの出来事を反芻することもなく、周囲に祝福されるままに日々を生きているのとのなら――。

 

 

 それは、それはなんて――羨ましい(つみぶかい)

 

 

「何だ、そりゃ」

 

 第三者の声。

 

 新手かと思い見れば、棺桶を背負った少年がそこにいた。少年の顔に見覚えはないが、その棺桶の方は記憶に新しい。確か掃除屋あるいはアーチャーと名乗った包帯男の背負っていたものと同じものだ。

 

 この場にいる誰もが把握していないが、彼こそが異世界で神殺しと聖書虐殺を為した救世主。人王と英雄の理想を受け継いだ、ただの人間。看護師から逃げていた彼は、引き寄せられるようにこの場に来ていた。あまりにも鍛え過ぎた直感が、彼をここに導いてしまった。

 

「ふざけんなよ、兵藤一誠。何でおまえ、自分が悪いみたいなこと言ってんだよ。逆だろうが、おまえは。何やったって、何言われたって、自分は悪くない。自分に責任はない。周りが悪い。自分以外が悪い。自分を批判する奴らが悪い! そうやってずっと罪から逃げてきただろうが。誰を殺そうが、誰を救えなかろうが、反省も謝罪もしなかったじゃねえか」

 

 泣いていた。笑いながら泣いていた。

 

「ああ、これはない。こりゃねえよ。なあ、曹操さん。それができる人間ならどうして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 この男に良心があるか否かで、何百、何千、何億という生命が左右されたというのに。

 

 彼の世界とこの世界で、何が違ったというのだ?

 

「ならば、その罪を半分もらう」

 

 少年は背負っていた棺桶を地面にたたきつける。

 

 その音と強烈な殺気で、ようやくグレモリー眷属やサイラオーグ・バアルは意識を立て直す。ある者は突然の乱入者の次の行動に警戒し、ある者は乱入者に攻撃を仕掛ける。

 

「神滅具全起動」

 

 あまりにも遅い。それは攻撃や防御云々の話だけではなく、もっと根本的な話だ。

 

「俺たちは此処で災厄を断つ」

 

 それは惑星を焼く光帯ではなく、それは常識を逸した固有結界の工房ではなく、それは魔術を無に帰する返還の儀式ではない。

 

 神に届くとされた神器――神滅具。最終的に確認された十八個のうち、十一がその棺桶には詰められている。それら全ての力が解放された。

 

「人よ、真理に打ち勝て」

 

 棺桶から取り出されたのは、星の息吹を束ねた聖剣。星が生み出し、神が鍛え直し、人が振りかざした未来への道筋。命を奪うために殺すのではなく、命を繋ぐために勝つ力。人の手による神殺しの真実。

 

 少年はその眩き剣の切っ先を天に掲げる。

 

「『再編の時来たれり、我らは星を歩むもの(アナザー・レメゲトン)』!」

 

 その剣から放たれた光は、その場にいる全員の目を塞いだ。聖なる光であるにもかかわらず、悪魔たちにも欠片もダメージは入らない。この光はその気になれば星の裏側にさえ届く。

 

「え……?」

 

 しかし、それは肉体の話だ。精神は別だ。この剣は物理的な破壊も可能であるが、それ以上に光を見たものに対する精神攻撃が本体とも言える。否、これを『攻撃』と取るかどうかは、その相手次第だ。

 

「う、そだ……!」

「あ、ああああああああああ」

「違う、そんなの、有り得ません……」

「イッセー、くんが、魔神と通じていた……?」 

 

 光を見たものは、ただの例外もなく『真実』を知る。救世主さえ知らない、星の記憶を見せつけられる。その現実という光に目を潰されるか、向き合うかは本人次第だ。

 

 ある並行世界ではこの能力によって人々に神殺しが可能であると訴えかけ、『真理』の絶対性を打ち破り、ビーストXを滅ぼしたのだ。

 

「だ、騙されないわ! だって、だって!」

「いいえ、これが現実です」

 

 一誠はリアスを抱き締めるようにする。その手には、泥によって光を失った龍殺しの聖剣があった。

 

「最後まで悪いな、アスカロン」

 

 リアスは一誠から離れようとするが、もう遅い。怪物の弱点は昔から心臓と相場が決まっている。聖剣や聖槍である必要さえない。木の杭ですら十分だ。

 

 これで戻れないというのならば、もうそれでいい。

 

 愛しい女を殺しておいて、自分だけ綺麗なままなんてあまりにも身勝手だろう。悪魔でもあるまいに。

 

 少なくとも、この世界、この瞬間に生きる兵藤一誠は『人間』なのだから。

 

「貴方は、私を裏切ったの?」

「はい、そうです。俺は――貴女よりも自分を選んだ」

「い、せえ」

「さようなら、俺のご主人様。貴女は俺を恨んでいい」

 

 代わりに、俺は貴女を許さない。

 

 

 

 

 

 一連の騒動はすべて、魔術王ソロモンの狂気という形で落ち着いた。

 

 旧魔王派が隠されていた指輪を発見したが、その中にはソロモンの魂が封印されていた。旧アスモデウスの身体を乗っ取った魔術王は外宇宙から『自分と同じ名前の男』を呼び出し、結託し、共に聖書勢力を滅ぼすことを決定する。しかし、ソロモンは同盟者を裏切り、唯一神となる。裏切られた『異世界の王』は唯一神ソロモンと相打ちになった。天界と冥界はその余波で消滅した。

 

 一部の神々以外は、そんな風に認識する事件であった。忌まわしい『真理』の崩壊と外宇宙の発見、聖書の絶滅。それが今回の事件の結末である。

 

 聖書の勢力に属する異形、悪魔、天使、堕天使はいずれもほとんど絶滅状態だ。元々大戦からのダメージから回復していなかった三大勢力だったが、今回の件でとどめを刺された。他の勢力の庇護下に入るか、野良犬か傭兵のように生きるか、魔王や総督の後を追って死ぬかのどれかである。魔術師協会の会長であるメフィスト・フェレスや冥界焼却寸前に不死鳥由来の家に嫁いだレイヴェル・フェニックスのような例外もいるが。

 

 龍神オーフィスを首魁とする『禍の団』は事実上の消滅。人王が呼び出したサーヴァントたちはマスターを担っていた魔神が消滅したため、座に帰還した。その際に彼らが誰に対してどのような別れを告げたのかは本人たちが知っていればよいことだろう。英雄派、あるいは魔法使い派を名乗っていた彼らがどのように生きるかは不明だ。同じ道を進むこともあれば、袂を分かつこともある。人間とはそうやって生きるしかない生物だ。

 

 ソロモンが呼び出したサーヴァントの内、バーサーカー、アーチャー、ライダーは倒れて消滅。役割を終えたアサシンとキャスターは元の世界に帰還。妻との再会を果たしたセイバーとランサーも同じである。

 

 キングゥは京都に帰化することを決めた。生まれなど関係なく、やりたいことを見つけたのだろう。

 

 キャスパリーグは世界中を歩いている。彼の身体が『大きくなっている』か否かは、この世界の真価による。それこそ、何年か、あるいは何千年か後に答えは出る。

 

 獅子王率いる円卓の騎士たちは神を失った教会や天使たちを丸ごと引き入れることに成功し、この世界の新しい勢力となりつつある。その座は、やがてこの世界のペンドラゴン家が受け継ぐことになる。

 

 その大事件の影で、堕天使の総督が白龍皇に、紅髪の魔王の妹が赤龍帝に殺されたが、あまり関心を向けるものはいなかった。

 

 曰く、二天龍に関わった者はろくな人生を送らない。最後の二人もまた例外ではなかったというだけの話だった。


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