ぶっちゃけ「こいつ原作のゼパルよりひでえぞ!」と言ってほしい。
私の認識は、ずっと暗い闇の中にあった。
暗い。暗い。暗い。
何もない。何もない。何もない。
光も、音も、匂いも、感情も、ない。閉じた世界。終わった時間。真っ暗な景色。
……いえ、終わったのは世界などではなく、私のはずでした。私は死んだはずでした。
だから、「何もない」と認識することさえ間違いなのです。
そんな私の意識が、急に引き上げられました。
光と同時に、私の中に『それ』は流れ込んできました。
温かいものでした。眩しいものでした。優しいものでした。美しいものでした。
ああ、なんて――なんて。
なんて、羨ましい。
■
突拍子もない話だが、人類は一度滅んだ。
真犯人はグランドキャスター、魔術王ソロモン――の、使い魔であったソロモン七十二柱、もしくはその統合体であるゲ―ティア。人類悪、憐憫の獣、ビーストⅠ。彼らあるいは彼は、あらゆる生命の価値を否定し、三千年の歴史を薪に、星の再構築という大偉業を目論んだ。
だが、その目論見は破綻した。
人理継続保障機関フィニス・カルデアによって、人理はその時間を取り戻した。死を否定しようとした獣は、生を諦めぬ人の手によって打倒されたのだ。ひとりの未帰還者はいたものの、人理修復は完遂された。
しかし、時の刻みを取り戻した世界の激動に巻き込まれて、勝利の宴を上げる暇もなかった。最高責任者であるオルガマリーがグランドオーダー開始前にレフ・ライノールのテロによって死亡したことも大きい。彼女亡きカルデアで、まとめ役をやっていたロマニ・アーキマンもだ。最後のマスターとして現地で激闘を繰り返したマスターやサーヴァント、そのほかのカルデアスタッフ全員が、息を落ち着ける余裕もない日々を続けていた。
そんな最中、突如として新たな特異点の反応が発見された。問題点は三つ。その特異点に消滅したはずの魔神柱の反応が観測されたこと。そして、この特異点の人理への影響はあの七つの特異点に匹敵するということだ。そして、最後にして最大の問題点が、この特異点の座標が不明であることだ。
所長代理の立場にあるレオナルド・ダ・ヴィンチはこの特異点へのレイシフト実行を決断。かつて『人類最後』を背負っていたマスターもそれに同意した。
彼らが到着した場所はオフィス街のような光景が広がっていた。人の気配は皆無であったが。だが、右を見れば、遠くに巨大な古代遺跡が見えた。逆に左を見れば、漆黒の大樹が見える。空を見上げれば、星もない夜空が広がっている。
カルデアと通信を取ろうとする彼らの前に、人影が躍り出た。
「おや、ここに飛ばされてくるとは。バアルやリゼヴィム様が来るまで相手を……なんと!」
形は銀髪の青年に見える。だが、その隠そうもしないオーラから、人間ではないことは明らかだった。
彼は何故か、サーヴァントを凝視する。
「突然ですが、そこの銀髪のお嬢さん――私の姉になっていただけませんか?!」
「…………」
「…………」
予想外すぎる提案に思わず数瞬呆けてしまった人類最後のマスターのひとり、カドック・ゼムルプスとそのファーストサーヴァント、キャスター、アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。
「……令呪を以って命ずる! アナスタシア、宝具を解放せよ!」
「ヴィイ、お願い。全てを呪い殺し、奪い殺し、凍り殺しなさい。魔眼起動――疾走せよ、ヴィイ!」
アナスタシアと契約したロマノフ帝国の秘蔵精霊ヴィイ。その魔眼の全力解放。全てを見透かす眼球は、因果律すらもねじ曲げて弱点を創出する。
「ぎゃああああ!! な、なぜえええ!」
ロシアの猛吹雪が謎の変態に襲いかかった。
「……思わずやっちゃったけど、良かったのか?」
「大丈夫よ。きっと」
『やっと連絡が繋がった! 大丈夫かい、カドックくん。何だか様子がおかしいけど』
ダヴィンチから通信が回復したカドックは、苦虫をつぶしたような顔をして報告する。
「ああ。変態がいた」
『変態?』
「黒髭の類だよ」
『ふーん。他の皆も無事だけど、どうやら全員違う場所にレイシフトしてしまったようだ。どうも、強制的に分断させる結界的なものがあったみたいでね』
「分かった。合流が最優先ってことだな。一番近いのは――」
「ふう、死んだかと思いました」
先ほど宝具が直撃したはずの銀髪の男が何食わぬ顔で立っていた。攻撃が通じていなかったという驚愕や未知の相手に対する警戒より、先ほどの発言からくる生理的嫌悪感が勝っていた。
「……何なんだ、おまえ!」
「気持ち悪いわ……」
「今回は私に非がありますね。順を追って説明しましょう。何故、私が姉を求めるか、話すと長くなります」
「じゃあ話すな」
「そもそも興味ないわ」
何なら聞いてすらいない。
「私の姉は優秀であり、憧れでした」
興味ないと言われたのに、マイペースに語りだした。
「しかし、姉はある時、恋に落ちました。相手は当時敵対関係にあった派閥のエースです。しかも、突然変異体でありとても同族と考えられないバケモノでした。姉は――私の姉ではなくなった」
その考え方はどうなんだろう?
「そこで私は考えました。どこかに、姉の代わりに私の姉になってくれるヒトもいるのではないかと! というわけで、お嬢さん、私の姉になって戴けませんか?」
「嫌よ! 私の目の前から即刻消えてくださらない?」
「む、これで七十八人に振られたことになりますね。銀髪で美しい女性に出会ったらとりあえずお願いしているのですが一度も了承してもらえませんね。何故でしょう」
「何言ってんだ、こいつ……」
何言ってんだ、こいつ!
「ユーグリットくーん! いい加減学ぼうぜ! この二千年、何回同じことやってんだい?」
「貴様は生命のくせに成長しないな」
もう一度宝具を使うべきかと考えていると、突然の第三者の声。
その声に対して、カドックとアナスタシアは警戒もあったが「助かった……!」という感謝もそれなりにあった。この変質者と対峙するのは精神的に参る。
しかし、その声がした方を見ると同時に驚愕が走った。
そこにいたのは銀髪の中年男性と、異形の怪人。
『そんな、この霊基パターンは! ありえない!』
こいつだけは、あり得ない!
『なぜここにいる――魔神柱!』
ダヴィンチの声に嫌でも理解する。あの怪人の正体は、あの忌まわしい魔神柱であると。
「滅んだはずなのにか……!? あの時間神殿で!」
「ん~! そこの少年少女も遠方から見ているだけのギャラリーも盛り上がってくれて何よりだ。ま、ファーストコンタクトが目的の彼と彼女じゃないのは残念だけどさ。そこまで運命は甘くないみたいだぜ、バアル」
「ああ、そうだ。そのようだ。あの男はこの神殿にレイシフトすらしていないようだ。拍子抜けではある。しかし、ようやく辿り着けた……!」
正体不明の銀髪の中年はどこか上機嫌なようだが、魔神の方からもどす黒い歓喜がにじみ出ていた。
歓喜? いや、違う。そこにあるのは、世界を滅ぼすほどの憎悪と憤怒。
『その魔神の隣にいる男、反応がデータにないタイプだ! 魔神柱でもない、ティアマトの眷属とも違う。一番近いパターンはデーモンだけど、やっぱり異なっている。一体、何なんだ?』
銀髪の男は意味深な笑みを浮かべ、役者じみた動作で両手を広げた。
「はじめまして、カルデアの諸君。俺――いや、私――あぁと、やっぱり俺でいいか、うん。俺はリゼヴィム・リヴァン・ルシファー。こことは次元も座標も大きく異なる世界『D』からやってきた魔王だ」
「……異なる世界?」
「そ、異世界。まあ、突拍子もない話ではあると思うが事実だ。データを観測しているっていう、カルデアの皆さまにゃぁ納得できるんじゃないかな?」
『……確かに、色々と“有り得ない情報”が観測されている。成程。意味不明なのは当たり前か。所謂ダークマター、観測されたことのないデータなんだから』
「まあ、そういうことだ。ちなみに、世界ってのは、ここと俺の世界だけじゃない。色んな世界があったよ?」
銀髪の中年――リゼヴィム・リヴァン・ルシファーは懐からリンゴを取り出した。
「そこの少年はピンときてないようだから、分かり易く教えよう。ひとつの宇宙観の、ひとつの世界線の、ひとつの時間軸の、ひとつの惑星をリンゴだとすると、あらゆる宇宙観をまとめたステージってのはデカい果樹園なわけだ」
「果樹園」
「で、俺たちは今日の今日まで、目的のリンゴどころかリンゴ畑にすら辿り着けなかったわけだ」
「リンゴ畑」
「まあ、あくまで例えだから本気で考えなくていいよ。機械生物と精霊が戦っている世界や狂気の邪神が跋扈する世界……まあ、後は色々。神秘も真理もない世界もあれば、神代で時間が止まっているような世界もあったっけな」
一口に「魔術のある世界」と言っても、その在り方は様々だった。世界の裏側にごく一部の魔術師がいるような世界があれば、魔法が一般人に常識として認知されている世界もあった。科学と魔法が混在している世界がある一方で、魔術が完全に科学と置換されているような世界もある。
素質があればどの種族にも魔術が使える世界があれば、逆に人間にしか魔法が使えない世界もあった。
「俺が知る限り、というか見てきた限り、俺たちの世界やこの世界も合わせて二十六個の世界……。アルファベット表記で区別したから、これ以上寄り道していたらどうしようかと思ってたんだよ。まあ、順当に考えたら普通に数字でナンバリングかな? ようやくお目当ての世界に辿り着けてオジサンもテンションあがるあがる!」
うひゃひゃひゃと大げさに笑う魔王に対して、隣の魔神は静かだ。
「それで、隣の魔神は何だよ。あんたが、復活させたのか?」
「んー、そのあたりの諸事情は長くなるから割愛するよ。とにかく、この世界で消滅したソロモン七十二柱は、オジサンの世界で復活した。それでまあ、バアルを含めた四柱はこの世界に戻ることを決めた。何で四柱だけかって言えば、異世界跳躍の旅に耐えられる霊基をこの四柱だけが持っていたからさ」
「二千年だ」
ぽつりと、だが絶対的な熱量を伴って、バアルは呟いた。
「二千年、歩み続けた。求め続けた。誓い続けた。この宇宙への帰還を。この世界への凱旋を。この時間への跳躍を。この運命への復讐を!」
本当に長かった。忌まわしい聖書の勢力を滅ぼしてから二千年。この世界に辿り着くまでの間、様々な冒険があり、日常があり、戦争があり、発見があり、事件があり、平穏があり、葛藤があった。世界を救ったこともある。世界を滅ぼしたこともある。人と手を組んだこともあれば、神を殺したこともある。
「無駄な寄り道ばかりだったが、その甲斐はあった。必要な資源と時間を手に入れたのだから。この神殿――多重理論複合神殿グランド・ガーデンには、数値的にかつての時間神殿の七倍の戦力と物量がある。すべては、我が復讐のために!」
「いや、バアル。君が好きにできるのはその四分の一だからね? ……『E』を経由してなきゃ七倍どころじゃすまなかったんだけどなぁ、惜しいなぁ。無駄に強かったよね、あの邪神と善神」
「本当に――心の底から歓喜に溢れている! ようやく、あの男に復讐ができるのだから!!」
「聞いてねー。同盟者に無視されておじさんつれー」
「……復讐、か。ふざけたこと言ってくれるじゃないか」
「まったくだわ。人理焼却のことを言っているなら、迷惑極まりない八つ当たりね」
「知っている!!」
この行為が客観的に見れば八つ当たりでしかないことは承知している。しかし、それさえも飾りなのだ。
あの忌まわしい聖書の神が存在した世界で復活し、この宇宙に辿り着くまでの二千年。決して衰えることも忘れることもなかった苦痛と熱がある。
三千年の計画の破綻ではない。英霊たちによる人理焼却の妨害でもない。まして、忌まわしきソロモンによる指輪の返還でもない。
完璧な計画、完全な展開を台無しにした起点がある。それこそが、人類最後のマスター。
「……憎悪。憎悪、憎悪、憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪! 憎悪以外感じられぬ! おまえだ、おまえが憎い、人類最後のマスター……!」
「どうやら、そのマスターってのはボクのことじゃなさそうだな」
苦笑を浮かべるカドックに、バアルは怒りを隠そうともせずに応じる。
「ああ、そうだ。そもそも私はおまえなど知らん! 私にとって、我々にとってカルデアのマスターは藤丸立香だけだ!」
「藤丸立香……?」
「ああ、そうだ! どこだ、どこにいる! 我が憎悪、藤丸立香はどこにいる!? ここに奴がいないのは何故だ、奴がここに来ないことなど有り得ないだろう!? 貴様は――謎の特異点を看過できるはずがないのに!」
バアルからの問いに、カドックは本当に困ったように、逆に質問を向けた。
「誰だよ、それ」
「―――――――――――――――あぁっ?」
「おまえが憎んでいるマスターは、ヴォーダイムじゃないのか?」
その言葉に、理解が追い付かなかった。
この少年は間違いなくカルデアのマスターだ。そして、自分を、魔神を知っており、その言動や反応から人理焼却の真実を知っているようだった。つまり、現在の日にちが時間神殿の戦いが終わり人理が修復された後だと仮定するのが自然だ。
ならば、何故、藤丸立香を知らない?
藤丸立香は正規のマスターではない。本来なら補欠の予備程度の立場だった。ただひとりだけ生き残ってしまったために戦い続けたに過ぎない。故に、人理修復後に藤丸立香の立場が変わり、その影響でこの少年がマスターに繰り上がったかと思っていたのだが……。
『藤丸立香……? どうしてその名前がここで出てくる……。いや、何故おまえたちがその名前を口にするんだ! レフ教授……フラウロスならともかく、他の魔神が彼の名前を記憶している価値なんてないはずだ!』
「何を、言っている?」
藤丸立香の名前を口にしただけでどうしてそこまで動揺される? 記憶する価値がないだと? 人理救済を為したマスター相手に出る言葉ではない。
まさか。まさかまさか、まさかまさかまさか!
「所長代理。話が見えてこないんだけど、そのフジマルリツカってやつは誰なんだ?」
『…………。カドックくんが覚えていない……いや、知らないのも無理はないか。彼はグランドオーダー開始前のテロで死んだ、一般人枠のひとりだよ。それ以上でもそれ以下でもない。名前だけがカルデアに残されているだけの故人だ』
「――――――死んで、いる、だと? あの節穴のテロで? あの時点で? そんな、馬鹿な……、では、誰が、誰があの計画を止めた! 完璧な計画の崩壊を、誰が為した!」
「どうやら、我々は外れを引いてしまったようだぞ、バアル」
突然出現したのは、第二の魔神柱。
カドックとアナスタシアは身構えるが、バアル以上にこの魔神には戦意や敵意というものがなかった。
「おー、アスモダイくんじゃないか。どうしたよ。援軍って雰囲気でもないけど」
「ただの伝令だ。伝えるべきことだけ伝えた後、私も私の領域に戻る。待たせている相手もいるのでね」
淡々と、事務的に、アスモダイはバアルに神殿内の現状を伝える。
「フラウロスはキリシュタリア・ヴォーダイム、オフェリア・ファムルソローネ、ベリル・ガットと戦闘開始。グラシャ=ラボラスは芥ヒナコ、スカンジナビア・ペペロンチーノと交戦中。気付いているだろうが、この領域にはそこのカドック・ゼムルプスの他にデイビット・ゼム・ヴォイドがレイシフトしている」
「誰だ? そこの小僧も含めて、こいつらは誰だ?」
「……忘れたか? 本来であれば彼らが人理修復を為すマスターのAチーム……だったと思う」
「覚えていないな。二千年の摩耗もあるが、必要のない記憶だ。それよりも、グランドオーダー開始前に藤丸立香が死亡しているようなのだが?」
「それは知っている。我々の記録ではAチームはフラウロスがちゃんとカルデアごと爆死させたはずなのだが……」
「あの節穴野郎がしくじった時間軸に飛ばされたということか」
「そして、そこにいる少年を含めた七人が、人類史を取り戻した。そういう世界線だよ、ここは。平凡な少年にではなく、選ばれた勇者たちが人類悪を滅ぼした。そんな『本来そうなるはずだった世界』だ。もっとも、この未来は統括局の失敗と言わざるを得ない。第四特異点で何をしていたのやら」
表情筋などない身体ではあるが、それでもバアルの裡から憤怒があふれ出ているのは誰の目にも明らかだった。
「ここまで来て……ここまで戻ってきて、失敗だと!? 目的の時間軸ではなかったと!?」
「落ち着けって、バアルくん。だいぶ近い時間軸だっての確かなんだからさ。世界レベルの跳躍はしなくていいと思おうぜ」
「ああ、そうだな、我が盟友リゼヴィム。カルデアが存在する以上、あの男が生まれた世界線で正しいはずだ! ならば、もう一度跳躍するだけ……!」
むしろ人理焼却が開始されなかった世界線や藤丸立香が最初から生まれていなかった時間軸に比べたら、この座標は目的の場所にかなり近いと言える。
「――――――ユーグリット・ルキフグスよりも、おまえの方が変わるべきではないかな、バアル」
呆れたような、蔑むような声音だった。
「アスモダイ? 何が言いたい?」
「二千年も世界をさまよえば自ずと見えてくる。そして、私は理解してしまったのだ。おまえも本当はそうだろう? よもや二十五の世界の道中、気付けぬほど耄碌したわけではあるまい」
「黙れ」
「黙るのはおまえだ。永劫の復讐者に堕ちた、視野の狭い同胞。我々が大偉業と自称した計画は、割と普通のことだったのではないか!」
堂々と、意味不明なことを言い出した。
『は?』
『え?』
「ふ、普通?」
「そう、普通。自然。平凡。ありきたり。我々が大偉業だと思い込んでいた逆行運河・創生光年など、陳腐ですらあった! ……あ、ちなみにこの宇宙でも私たちが人理焼却を為した理由って、三千年の人類史を燃料に死のない惑星を作ろうとするってことで大丈夫? こっちだと微妙に違ったりする?」
「あ、ああ。そうだった、けど……?」
「それは重畳。……重畳でもないな」
人間の可能性を見限り、宇宙を閉鎖した亡霊がいた。ひとりの少年と再会するために、悲劇を量産した精霊がいた。孤独と無理解にさらされたが故に、世界の支配と破壊をもたらした覇王がいた。宇宙の未来を確立させようと、有史以来少女を食い物にしていた悪魔がいた。あらゆる痛みを否定しようと、人類を夢に沈めようとした忍者がいた。全人類の敵を目指し、逆説的に正義を掲げた怪人がいた。
神がいた。魔王がいた。王がいた。人がいた。人間がいた。
何だと思った。笑ってしまった。
俺たちの抱いた願いなど、特別なことではなかったのだ。瓦解も敗北も破綻も同じだった。完成も勝利も成功も、ほんの少しだけのかけ間違いだった。
だから、アスモダイは己の生に満足してしまった。異世界跳躍を選んだ四柱の中で唯一、熱を失い、潤いを求めず、唯一、命題のためにだけ生きる怪物になった。
「……確認なんだけど、おまえたちの目的は、復讐じゃないのか?」
「そうだ。我ら四柱、この宇宙への帰還を目指した動機は異なる。共有はしていても共通はしていない。バアルは復讐、フラウロスは祝福、グラシャ=ラボラスは再会、そしてこのアスモダイは検証だ。我らソロモン七十二柱を、統括局ゲ―ティアを倒した藤丸立香とマシュ・キリエライトの愛を知ることだ」
「愛?」
「そうだ。あのふたりの愛の在り方を知ることこそが、私の、私たちの命題なのだ」
思えばあっという間の二千年だった。だが、『D』で同志たる二柱と交わした討論は未だに記憶から色褪せることはない。
「おぞましき聖書の神との戦いにおいて、殉職を選んだベリアル。奴は、あのふたりの関係は、時間神殿での最後の戦いにおいて完成したと言った」
――私はここまでだ、我が同志アスモダイ、シトリー。
――先に逝く。
――我らの悲願、三柱で実行できなかったことだけは残念だ。
――私の代わりに、確認しておいてくれ。
――改めて言うが、
――私は、藤丸立香とマシュ・キリエライトは第七特異点までは手を握る以上のことはしていなかったと推測する。精々感極まった時に抱き締めあうくらいだ。
――しかし、時間神殿突入前に、獣のように交わったと推察しよう……!
――それまでの旅路で、色々と溜まっていたものが爆発してもおかしくないからな!
「霊基の損傷により、異世界跳躍に耐えられず、帰還を願えなかったシトリー。奴は、あのふたりの関係は、第一特異点から歪な形で出来上がり、特異点修復を通じて傷を舐めあう関係だと言った」
――我とベリアルの願い、おまえに託すぞ、アスモダイ。
――おそらく、藤丸立香はマシュ・キリエライトを第一特異点突入前後で押し倒している。
――彼だって人間なのだ。いや、普通の少年だったのだ。そういう心の支えがなかったとしたら、ぽっきり折れてしまう。
――彼女はその痛みを受け入れた。ああ、なんと献身的な。
――そして、その傷を舐め合うような関係が続いていたのだ……!
「どちらが正しいかは分からぬ。どちらも間違っているのかもしれぬ。だが、私は問わねばならぬ。この答えこそが、我ら三柱の――否! 七十二柱中五十七柱の求めた解答なのだから……!」
「ちょっと待て」
アスモダイに待ったをかけるバアル。
「五十七柱とは何だ。初耳だ。貴様と同じような阿呆な命題を掲げたのは、ベリアルとシトリーだけではなかったのか」
「命題云々とは関係なく、皆、気になっていたのだよ。消滅時あるいは異世界跳躍時に、聞くだけ聞いておいてくれと託された。ただ、おまえの復讐は真面目すぎたから水を差すのも悪いと思い、誰もがおまえに伝わらないように気を使っていたのだ」
「ならば最後まで隠しておけ! いや、帰れ。即刻、自らの領域に帰還しろ」
「そうさせてもらおう」
ふざけた同胞が転移するのを見届けてから、バアルはカドックに告げる。
「そういうわけだ。貴様らに興味はないし敵意もない。人理を破壊する予定も、手段もない。何故フラウロスやグラシャ=ラボラスが戦闘に入ったかは不明だが、私にそのつもりはない。この世界線から速やかに離脱する。貴様らもさっさと帰還するがいい」
もっとも、この世界線のバアルがこの少年に復讐しようとしている可能性はそれなりにあるが。
「……生憎、そういうわけにはいかないよ」
「何?」
「僕たちはカルデアで、おまえたちは魔神。だったら、戦うのは当然じゃないか」
ソロモン七十二柱序列一位、魔神バアル。
その威容に、言葉にし難い憤怒が宿る。
「不愉快な話だ。私はおまえが倒した魔神とは違う。我々はおまえが滅ぼした我々とは異なる。おまえたちのような特別で特異な男に何ができる? 我が憎悪、我が憤怒、我が屈辱を止められるというのならば、やってみるがいい……!」
言霊に乗せられた激情に怯みそうになるカドックだったが、彼もまた引くわけにはいかなかった。
「見逃すわけにはいかないんだ。見過ごすわけにはいかないんだ。おまえたち魔神を許すわけにはいかない。それが、世界を救ったマスターとしての僕の責任だ」
■
「――というわけで、君が彼を守れた歴史、というものもあったのだよ」
最後の魔神となったアスモダイは、そう告げた。
「三千年を費やした偉業は失敗に終わった。二千年を過ぎた挑戦は未完で終わった。……結局、我らでは駄目だったのだ。我らだけでは駄目だったのだ」
二十五の世界を回って、自分たちが求め続けた世界とは微妙に違う時間軸に辿り着いて、ようやく気付けた。自分たちが、人理補正式・ソロモン七十二柱であったことを忘れていたことを。
「そう、人間。人間が必要だった」
人理を補正する側である魔神は、同時に人間による修正が必要だったのだ。
「我らが復活した宇宙から付き添ってくれた英雄派の寿命が尽きた時点で、我らは凱旋を諦めるべきだったのだ。この結論に至るまでに、随分と無駄な時間を過ごした。まあ、結果は得られなかったが、最後の最期でこのような形の挑戦権を得られたのだ。これを以って、納得するしかないか」
魔神の言葉に、少女は黙す。
「こうして三柱の同志を出し抜いて溜め込んだエネルギーを転じて第四の獣の真似事をしてみたはいいが、果たして何の意味があったのかは私にも分からない。……いや、意味など最初から求めていない。価値も不要だ。それは私ではなく、君が決めることなのだから」
もう二千年も経過しているのだ。この二千年に意味はあった。この二千年には価値があった。嘆きがあり、喜びがあり、痛みがあった。
だったら、もう成果など不要ではないのか? ようやく辿り着けたと思ったら違う場所だったのなら、もうこれで満足すべきではないのか?
いつまでも、いつまでも、いつまでも。
これ以上、付き合っていられるか。
俺は疲れたし、諦めたし、飽きたのだ。
「世界を滅ぼして、もう一度作れるだけのエネルギーが残っているが、好きにしてくれ。世界を続けるために生み出された君には、世界を好きにする権利がある」
君の願いを言ってくれ。どんな願いであろうと、君はそれを実行に移して良い。
そう告げられて、少女は小さな声で答えた。
「……もう一度」
「ふむ」
それがどれだけ罪深いかを理解しながらも、自分の願いが決して許されるものではないと悟りながらも、少女は勇気を振り絞った。
「もう一度だけ、あの人に。手を握って欲しいんです」
何と傲慢な願い。何と独善的な祈り。何と罪深い望み。
何と、何と、何と――何と――。
この言葉を聞けただけで、少なくともアスモダイの二千年は報われた。
「――承った。その願い、確かに聞き届けた!」
これより、人理は再び崩壊する。しかし、それは光帯による焼却ではない。異星の神による漂白でもない。
外宇宙の技術に由来する、浸食である。
「我らの王の名のもとに、この星の新生を言祝ごう」
嘆くことはない。『なぜ』と被害者ぶることもない。
弱いものを自然淘汰ではなく、自発的に排したのが人類の回答であったのなら、その役割が君たちに回ってきただけの話。
否。
些細な動機で世界が滅ぶなど、有り触れた現象。軽薄な判断が時代を終わらせるなど、自然な事態。矮小な人間が運命を変えようとするなど、普通の解答。
故に、これから始まる地獄に一切の理不尽はない。これから起こる惨劇に一片の不自然はない。
この惑星は転生などしない。この惑星は焼却も漂白もしない。変革も変貌も不要だ。
ただ、少しだけ道を変えるだけだ。ひとりの少年が死なないように因果を狂わせるだけだ。そのために、数多の屍を積み上げよう。そのために、地獄の窯を開けるとしよう。
彼と彼女が救われなかったあの日を創り変えよう。
「もはや王の遺志はない」
人理浸食度 B-
人造特異点Ⅰ 炎の龍と大陸の覇者 AD.1274
■■黄金帝国 ジパング
「命を嘲る魔神はいない」
人理浸食度 C+
人造特異点Ⅱ 折れぬ聖剣と七つの地獄 AD.0070
悪逆消去■■ ユースティティア
「何ひとつ、おまえたちを阻む道理などない」
人理浸食度 E
人造特異点Ⅲ ■■の箱ともう一人の■■ AD.1504
奇祭融合魔城 チェイテ
「この歴史ではおまえたちこそが正義なのだから!」
人理浸食度 D+
人造特異点Ⅳ 正義の刃と怪人の涙 AD.1888
生命廃棄運河 ウィル・オ・ウィスプ
「……だが、こと生存において善悪の優劣はない」
人理浸食度 C
人造特異点Ⅴ 守護者と■の魔女 AD.1849
信仰■■都市 アーカム
「おまえたちが正しいと言うなら」
人理浸食度 EX
人造特異点Ⅵ 罪深き銀■と極光の槍 AD.0■■■
神聖■■終丘 ■■■■
「これまでと同じく、何もかも無に帰したこの状況で、まだ人理継続を望むというのなら」
人理浸食度 A++
人造特異点Ⅶ ■■の女神と■■の申し子 AD.1901
■■分解同盟 ■ー■ル
「おぞましくも、力の限り叫ぶがいい」
人理■■■ ?
人造特異点Ⅹ 少女と獣 AD.201■
人理■■機関 カルデア
「惜しげもなく痛みを押し付け、あらゆる奇跡を踏みにじってなお」
これは過去を焼き尽くした魔神への逆襲ではない。これは未来を滅ぼした異星への反逆ではない。
「希望に満ちた人間の戦いはここからだと!」
世界を救った七人の英雄が、ひとりの少女を殺す物語である。