ターニャとレルゲンがらぶらぶちゅっちゅする話 作:佐藤9999
いや、している。
猛烈に、とろけるほどにちゅっちゅしている。
私の目には確かに映っている。
そうだろう?
魔導を利用して発展させたこの世界の医療技術は素晴らしい。本来であれば肢体に欠損どころか死んでいなければおかしいほどの負傷をした筈のターニャが本日も生を謳歌することができるのだ。
野戦病院に運び込まれた時、ターニャの左半身は至近で食らった爆裂術式によってこれでもかとばかりに破壊されていた。後で聞けば、腕は跡形もなく吹き飛び、脇腹は抉れ、目は潰れ、という状態だったらしい。その惨状を見せられた軍医は、手ひどくやられた死体が運ばれてきたとしか思えなかっただろう。
それでもなんとか生きのびることができたのだから、医療技術の発展には深く感謝せねばなるまい。
ターニャが前線で派手に撃墜されてから1ヶ月近く経つ。
左腕の肘から先が無いのと、左目の白い眼帯がトレードマークになってしまったのを除けば、今やターニャの身体は外見上は元通りにまで修復されていた。たまに傷痕が猛烈に痛むが、ひとまず人並みの生活は送れているとターニャは考えている。
右手一本で炊事、洗濯、掃除などの家事をするのも慣れたものである。右手一本といっても実際には左手も肘まであるので、できることは多い。前世の知識を要所に織り交ぜつつ作るターニャの料理はレルゲンにも好評である。まあ、あの「常在戦場の食堂」での食事に慣れた人間からしてみれば、まともなレシピと材料で作られた料理はすべからく感謝すべきものに思えるかもしれないが。
さておき、現在ターニャが深刻に不自由に思うようなことは実際何も無かった。退院して以来、リハビリの名目で軍務からすらも開放されている。
ターニャに与えられた日々の仕事はたった一つ。居候として、家主であるレルゲンに恩を返すべく尽くすことのみである。これが意外と張り合いがあり、リハビリにもなる一石二鳥の仕事だった。
以前は隻腕のターニャに家事をさせるのを気遣われてしまったものだが、最近のレルゲンはターニャが何かをすれば素直に感謝の言葉を返してくれる。ちゃんと恩を返せている…ターニャ好みの言葉で言うならば「職務を遂行できている」と実感できるのはとても気分がいいものだ。
意味のある作業に、正当な評価。実に素晴らしい!
職場環境もこの上なく良好である。ターニャは勤労意欲を存分に満足させた。
仕事以外の時間も充実している。家事を手早く終わらせればその分余暇も増えるが、当然ターニャはそれを無駄にはしない。レルゲンの書斎を漁ったり、これまで時間が足りず腰を据えて取り組めなかった論考に勤しんだりと、非常に有意義な時間を過ごしている。
この生活が始まって以来、ターニャは既に論文をひとつ完成させている。これは少し寝かせてからレルゲンに添削を貰い、正式に提出しようと思って楽しみにしている。
ターニャはこの世界に生まれてから最も心休まる日々を送っていた。軍大学時代のそれと比較しても同等と言えるほどの満足度だった。
しかし、何も不安がないというわけでもなかった。
さしあたって金銭面で困窮することはないにせよ、それがいつまで続くかはわからないのだ。軍務に復帰するべきか、このまま退役するべきか。いずれ遠くない内に選択を迫られるだろう。
亡命するという選択肢もあるが…
(そう、亡命)
つまり、己の進退と今後の展望について。
ある日の午後、ターニャはトコトコと帝都ベルンを歩きながらそのことを考えていた。
一週間おきに義務付けられた検査とリハビリテーションのために帝国軍病院へと向かう途中だった。レルゲンの家から軍病院まで、路面電車を利用すればさほども歩かないで済むのは幸運だとターニャは思う。
戦争の激化と戦況の悪化を受けてか、街の人通りや喧騒はかつてターニャが過ごしていた頃に比べてだいぶ減っていた。かつてといってもターニャが軍大学に所属していた頃のことだから2年も経っていないのだが。
現代の戦争は、人も物も際限なく、国庫や軍の備えだけではまかないきれないほどに消費していく。そして、そのしわ寄せは当然の帰結として全て国民へと向かう。
国家総力戦。ターニャがかつて前世の知識に基いて提唱した通りの事態が帝国に降り掛かっていた。
ほんの僅かのうちに、帝都の活気は陰りを見せていた。
(軍の有能無能以前に、あまりに状況が悪い)
色が褪せたかのような光景を横目で見ながら、ターニャは帝国の行く末を思う。こうした状況を見るにつけ、亡命が非常に現実的な選択肢であることを認めざるをえない。ターニャが軍への復帰を先延ばしにしている最大の理由はそこにある。
亡命するべきか、否か。
もしするならば、新天地での活動を見据えて周到な準備が必要だ。いつ、どこへ。何をどれだけ準備すればいい。考える事はいくらでもある。
何より、レルゲンへの借りはどうなるか。これほど親身に接してくれた彼に対して、自分は一体何を返してやれるのだろうか。
つらつらと考えるうちに軍病院へとたどり着く。ターニャは思考を中断した。
ターニャはあっという間に検査を終えた。既に傷は治っている以上、検査するべき事は殆ど無いのだ。通院は基本的にリハビリのためのものだと言ってもいい。
体温や血圧などの基本的なデータを記録し、最後にいくらか形式的な問診をする。
「ふむ。いつもの通りですな」
そして問診の後、ターニャの主治医であるドクトルは事も無げに言った。
「いつもの通り、ですか」
「そう。経過を観察しつつの治療を要します」
それはターニャの予想していた通りの言葉であった。
ターニャは「ドクトル」という言葉には嫌な思い出がある。忘れもしない、存在Xに魂を売った憎むべきMADもドクトルだった。ただ、同じドクトルでもあちらは博士でこちらは医者だ。そして、こちらのドクトルはターニャにとって益をもたらしてくれる存在だった。彼の書く診断書があるからこそ、ターニャはこうして呑気に暮らしていられる。
ターニャが通院を始めて以来、ドクトルの診断書の内容は毎度似たり寄ったりだ。
基本的には以下のようなものだ。
「運動機能良好なれど残痕 疼痛発すること著しく、軍務の遂行の妨げとなることが懸念される。さらなる治療の必要を認める」
分かりやすく言うなら「ケガはもう治ってるけど、幻肢痛がひどくて仕事にならないだろうからしばらくお休みをとってリハビリをして過ごすべき」といったところだ。
ドクトルの自信に満ちた筆致であるが、常にあるわけではない幻肢痛を理由に軍務の一切を一括りに困難とするかどうかは、実は診断書を書く医者の裁量によるところが大きい。なにしろ軍隊にだってデスクワークは存在するのだ。
ターニャはさほど問題なく日常生活を送れているのだから、医者によっては後方勤務なら可能と判断してもおかしくないはずなのだが、ドクトルは毎度問答無用で「無理。休ませろ」と書く。
ターニャはこんななりでも少佐という高い立場の人間である。体調的に復帰できそうかと確認しようとすらしてこないのは普通では考えられない。直接確かめたわけではないが、恐らくレルゲンからの指図があるのだろう。復帰の意思を尋ねられればターニャは「もちろんある」と答えるしかないのだから、これは有り難い心遣いである。
こうしてターニャは医者のお墨付きを得て、大手を振って療養休暇をとることができる。
とはいえ、幻肢痛には反吐が出る思いなのもまた事実だ。
存在しない癖に電気ショックよろしく痛む左腕。何も問題ないと診断されている筈なのにハンマーで叩かれているかのように痛む左目。不定期に襲いくるこれらには全くもって辟易する。なにしろ本当に痛い。戦場で四肢を穴だらけにしてみたり、MAD監修のもと手を吹っ飛ばしたりしてみたことのあるターニャでも堪えるほどの激痛である。
共同生活が始まったばかりのころ、ターニャが雄々しく耐える様子を目撃したレルゲンが血相を変えて介抱してくれたことがあるくらいだ。
他者の例と比較するに、どうやらターニャは「特別重い」タイプらしい。休暇がとれるのはそのおかげもあるのだと思うと複雑な思いだが、ひとまずターニャは真面目にリハビリに取り組むことにした。
ターニャが軍病院でリハビリに取り組んでいた頃、奇しくもレルゲンはターニャの事と、ターニャの主治医への対応について考えていた。
参謀本部にある己の執務室にて、レルゲンは大してうまくもないコーヒーを口に運ぶ。丁度作業が一段落したところだった。
レルゲンはターニャの主治医と面識があった。面と向かって接したのは一度だけだったが、二人が互いの存在を忘れることは決してない。
ターニャの予想通り、レルゲンは、ターニャを軍務に復帰させないで済ませるために可能な限り工夫して診断書を作るようドクトルに依頼していた。
もちろんそれは明言する訳ではなくそれとなく匂わせるような言葉で行われたが、いずれにせよ軍の規則や常識に照らし合わせるまでもなく不適切な行為である。
もし明るみに出ることがあれば、破竹の勢いで昇進を重ねるターニャへの嫉妬のために彼女の復帰を阻んだのだと解釈されてもおかしくない。レルゲンにとってはある種賭けにも近い行為である。
しかし、生え抜きの軍医ではなく民間から召集されて軍病院に配属されたドクトルは、年端もいかないターニャの身体に刻まれた傷痕のあまりの大きさに憤り、一も二もなくそれを受け入れた。
それ以来、彼はレルゲンの期待した通りに行動し続けてくれている。
レルゲンはもう一口、カップに口をつけた。悪くはない味だった。
しかし、物足りない。かの少女の淹れるものに比べたら…
レルゲンは残された時間について考える。
ターニャの患った症状が問題ない程度に治癒するまでに平均的にかかるとされる時間を考えれば、まだ猶予はある。しかし、その猶予が尽きる日はそれほど遠くないだろう。
ターニャが手塩にかけて育て上げた魔導大隊は、彼女が不在のまま再編をじきに終える。しかし、ゼートゥーア閣下を始め、参謀本部の者たちは彼女の才覚をまだ見捨ててはいなかった。彼らがターニャの療養の長さに疑問を覚える前に、彼女は身の振り方を決めなければならない。
そして、それはレルゲンにとっても同じことだった。
己は彼女にどうなることを望んでいる。レルゲンは自問した。
レルゲンは、未だにターニャ・フォン・デグレチャフ少佐…いや、ターニャ・デグレチャフという少女のことをはかりかねている。
ただ、あの日、病床で彼女の見せた儚さがレルゲンを狂わせたことだけは確かだった。
ふいに、また無意識の内に自分の指が頬を触れていることに気づいて、レルゲンは自嘲の笑みを浮かべた。
つづいちゃいました
どれくらいかはわかりませんが、さらに続くつもりなので表示を連載に切り替えました