ゼロによるゼロに対しての宣戦布告によって、慌ただしく動き出したのは何も黒の騎士団だけではなかった。
各国政府や機関、そしてメディア業界もまた、その対応に奔走する事となる。
どちらのゼロが正しいのかという討論や、本物のゼロを特定しようとする検証、開戦の瞬間をカメラに収めようとする報道が連日のように紙面を埋め尽くし、昼夜を問わず番組が繰り返され、二人の英雄による騒乱を民衆レベルで過熱させる。
それは報道リポーター=ミレイ・アッシュフォードが所属するテレビ局も例外ではなかった。
人気アナウンサーの座を捨てた彼女も、連日取材で各地を飛び回っている。
この世界で起こった事を、社会の実状を、人々に正しく伝えるために、自らの身を危険に晒すことも厭わない。
真実を求め、紛争地域や戦場を渡り歩いたことだってある。
それも全てはゼロレクイエムの真実に気付いたが故に。
彼が人類に遺してくれたモラトリアムを、少しでも長く、確かなモノにするために。
例え短く、ほんの一時の平和であったとしても、その瞬間を知る者が居る限り、人は希望を抱くことが出来るのだから。
ミレイは中継車の座席に座り、手元の手帳に視線を落とした。
スケジュールの書かれた手帳だが、何もスケジュールを確認するために開いたワケではない。
いつも持ち歩く、その手帳には一枚の写真が挟まれている。
そこに写っているのは制服姿の数名の男女。そう、彼女がまだ学生というモラトリアムを過ごしていた頃に撮られた物だった。
彼女は写真を見つめて微笑む。
鮮明に呼び起こされるのは、懐かしく輝かしい記憶。
今はもう二度と手の届かない光景。
その事実を改めて自覚すると同時、言い様のない寂しさと後悔が胸を締め付ける。
あの頃の自分は、こんな未来が訪れる事を想像出来ただろうか?
いや、不可能だ。
あの頃の自分達は世界中に溢れていた悲劇を、傍らに存在していた絶望を、どこか遠い世界の出来事のように考えていた。
それ程までに未熟な子供だった。
だから、彼等が抱えていたモノに気付く事ができず、こんな結末を迎えてしまったのだろう。
こうして感傷に浸ってしまうのは、世界が再び争いの時代へと回帰しようとしているからなのか?
それともこれから向かう目的地のせいなのだろうか?
多分後者だと思う。
窓の外、近付いてくる都市に、ミレイは視線を向ける。
合衆国日本首都=東京。
エリア11の中枢=トウキョウ租界と呼ばれていたその場所には、かつてアッシュフォード学園という学舎が存在していた。
けれど彼女達が学生時代を過ごした学園も、今では記憶の中だけにしか存在しない。
多くの楽しい思い出、そして辛く悲しい思い出と共に記憶の中で眠る。
ミレイはもう一度、写真に──その中でも一人の少年に──視線を戻す。叶うことの無かった淡い恋心を抱いた相手。
彼もまた今では記憶の中だけの存在となった。
世界中の大多数の人は彼に花を手向ける事などしない。
でも、自分は違う。
憎しみだけでも野望だけでもない、年相応の彼を知っているから。
皇子や皇帝ではなく、ただの学生、また妹を愛する兄であった彼の姿を……。
ミレイはゆっくりと手帳を閉じた。
◇
時は過去へと遡る。
一人の少年が自らの命を捧げ、悲しみの連鎖が断ち切られる事を願い、実行されたゼロレクイエムから2年。
しかし、世界も人も変わらなかった。
民族差別、宗派対立、権力闘争、経済格差、歴史的禍根、未だ残るブリタニアに対する憎悪。
ゼロレクイエムを経ても燻り続けていた根深い火種は、やがて新たな戦火を灯してしまう。
最初は小競り合い程度だったが、やがてテロと報復、武力衝突、内戦、紛争へと規模を拡大させていく。
いつの時代も変わらず、止む事のない人間同士の不毛な争い。
人は知性と言語を持ちながら、同種ですら共存できない欠陥種族なのだろう。
だから現状の世界を彼女は嫌った。
人里離れた山間を流れる緩やかな渓流。そこに存在した落差の小さな滝で、穢れたその身を清める少女の姿があった。
鮮やかな長い緑色の髪、整った顔立ち、何より彼女が放つ常人とは違う何かが、見る者に神秘的な印象を与えた事だろう。
白い肌を赤く染めた血痕を清流が洗い落としていく。
名前も知らない相手から浴びた返り血が消え、抱いた不快感が収まっていく事を確認して、少女は滝から離れた。
乱れた髪を整える。垂れた前髪が額に浮かんでいた──まるで鳥が羽ばたいているかのような──刻印を隠す。
刹那────
「噂に聞いた『不死の魔女』。やはりお前の事だったか、C.C.」
背後から掛けられた、どこか懐かしさを感じさせる男の声。
不死の魔女、それは最近EU諸国の紛争地帯を中心に真しやかに囁かれる噂。また、その戦場に姿を現わし、敵味方関係なく無差別に攻撃を行った女に与えられた異名である。
目撃者曰く、何度殺しても甦り、怯むことなく確実に目標を仕留める。その光景は見た者の戦意を削ぐという。
実に自分の事を的確に指した異名だと少女=C.C.は思う。
別に暴れたかったわけじゃない。寝床の近くで騒がれたから介入しただけだ。
ただ、不満を持つ現状の世界に対する八つ当たりの感情が微塵もないとは言えないが……。
ゼロレクイエムで最後の契約者を見送った時、既に自分の中に死を望む感情は無かった。
死ぬこと、生きることが彼等の贖罪だというなら、彼等の共犯者である自分も罰を受け、罪を償わなければならない。
彼等だけが罰せられるのは間違っている。
しかしコードを保持する自分には『生』も『死』も罰にはならない。
果てることのない『生』は、もはや日常と変わらない。コードを受け継いだ瞬間から、否応なく生かされ続けている自分にとって苦痛と成り得ない。
もちろん人としての心を棄てきれない自分は孤独を抱くだろう。
だが、その程度慣れてしまった。『魔女』の仮面で心を隠せばいい。何十年も、何百年も続けてきたことだ。
そして『死』に至っては望んで止まない禁断の果実に他ならない。
ただその場合、自分を殺せる=コードを引き継げるだけの力を持ったギアス能力者を、新たに生み出す必要がある。
つまりそれは過ちを繰り返し、新たな罪を生み出す事と同義。
ならば、自分に出来る贖罪は彼等の事を、彼等の行いを決して忘れないこと。
それだけだった。
故にひっそりと故郷で余生を過ごすのも悪くないと一時は考えた。
コード保持者=不変存在である以上、長く一ヵ所に定住する事は出来ず、またいつの時代の故郷なのかは曖昧だったが。
いや、そもそも奴隷として売られた自分に、果たして故郷と呼べる物は存在するのだろうか?
もし呼べたとして、変わり過ぎた景色を懐かしいと思えるのだろうか?
そう考えると、己の滑稽さに苦笑が込み上げる。
一方で自分に向けられた言葉に対し、C.C.はすぐさま次の行動を起こしていた。
乱雑に脱ぎ捨てていた衣服の中からナイフを拾い、それを振り向き様に声が聞こえてきた方向へ躊躇うことなく投げ放つ。
同時にC.C.がその視界に捉えたのは、闇の如き漆黒のウインドブレーカーを身に纏い、フードを目深に被った細身の男。
彼女が放ったナイフは男の頬を掠め、背後に生えた木の幹に突き刺さった。
裂けた男の頬からは鮮血が伝い流れる。
「おいおい、危ないじゃないか。もう一度死んだらどうしてくれるんだ?」
男は脅える事も慌てる事もなく、どこか芝居がかった口調で不満を告げながら、目深に被ったフードを外し、内に籠もっていた熱気を振り払うかのように首を数度左右に振った。
「ッ!?」
フードの下に隠されていた男の素顔が明かされた瞬間、C.C.は息を呑んだ。
心の奥深くを鷲掴みにされ、視線が釘付けになる。
艶やかな黒髪、アメシスト色の澄んだ瞳、彫刻のように整った端整な面立ち、白い肌。人並み外れた、中性的な美貌を持つ青年の姿に。
その姿を知っている。
忘れられる筈がない。
最後の契約者。
共犯者。
そして『魔女』という仮面を外し、心を許しつつあった存在。
「……ルル────いや、違うな」
動揺によって機能不全に陥っていた思考は、程なくして正常な働きを取り戻し、彼女に現実を突き付ける。
彼が再び目の前に現われる事など不可能だ。
「お前は誰だ?」
C.C.は殺意すら放たんばかりに男に素性を問う。
男と同じ顔を持つ『彼』は、既にこの世界に居ない。
その事実をコード保持者である自分が間違うはずがない。ギアスの授与契約を交わした相手とは特別な繋がりが生まれ、契約者の存在を感じ取れる。
場合によっては例え遠く離れていたとしても、精神世界で会話を交わす事が出来るほどに強い結び付きだ。
そしてゼロレクイエム以降、『彼』の存在を感じる事は出来なくなった。
つまりそれは『彼』の死を決定付けるに足る確証となる。
故に目の前の男は『彼』を模した別人に過ぎない。
「誰だとは面白い質問だな。
だが冗談としては面白くない。お前は共犯者である、この顔を忘れたのか?」
男は頬の裂傷に触れ、流れ出た血液を拭う。
直後だった。
みるみる傷口は塞がり始め、最後には跡形もなく消えていく。常識では考えられない異常な再生速度。
「……まさか」
その光景をC.C.は嫌と言うほど知っている。自分自身の身体が、まさしく同様の性質を保持しているのだから。
個を固定化するコードの呪い。
だが有り得ない。
自分は『彼』にコードを継承させなかった。現存していたもう一つのコードも、保持者──『彼』の父親──と共にCの世界へと呑み込まれ、消滅したはずだ。
新たに生まれた、はたまた自分の知らない別の系譜のコードが現存していたとでも言うのか?
「考え込むのは勝手だが、取り敢えず先に服ぐらい着たらどうだ? 過去に生活を共にした共犯者とはいえ、仮にも男の前だぞ。魔女でも羞恥心ぐらいあるだろ?」
男の指摘を受け、C.C.は自身が全裸である事を気に留める余裕がないほどに動揺していた事に気付く。
ただ相手も別段その事を気にしている様子はなく、至って平然としていた。
それはそれで女としてのプライドが傷付けられたと、彼女が思ったとか思わなかったとか……。
「ふん、これで良いだろ、童貞坊や?」
C.C.は服を着る時間も無駄だと言いたげに、乱暴に外套だけを拾い上げ、その身を包んだ。
「さあ、答えろ。お前は何者だ? 何故、アイツと同じ姿をしている?」
「質問の意図が不明だ。俺は俺でしない。かつてゼロと呼ばれ、悪逆皇帝と恐れられたルルーシュ──ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだ」
男は微笑む、『彼』の顔で。
「アイツはそんな軽薄な笑みなど浮かべない」
その顔にC.C.は苛立ちを覚えた。
男に免役のない生娘なら容易く堕ちるほどの威力はあるが、生憎その程度自分には通用しない。
「せっかくこんな辺境まで会いに来たというのに、酷い事を言うんだな。
まあ、良い。お前の口の悪さは今に始まった事じゃないからな。いちいち相手にしていては、こっちが疲弊するだけだ」
男は肩をすくめ、もはや諦めているとでも言うように溜息を吐く。
それが尚更C.C.の琴線を刺激した。
「私に近付いた目的は何だ? ギアスか、それともコードか?」
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを騙って近付いて来た相手だ。
当然、自分達の関係。そして異常な再生速度から考えて、ギアスやコードについても調べは付いているだろう。
隠す必要もない。
そもそもこれ以上、無駄に会話を続ける気はなかった。
出来ればすぐにでもお帰り願いたいが、そう言うわけにもいかない。
故に核心を衝き、本題を促す。
「俺がお前の下を訪れた理由を単刀直入に言おう。もう一度、俺と組む気はないか、C.C.?」
一転して真剣な顔付きで男は目的を告げる。
「ふふっ、本気で言っているのか?」
C.C.は嘲笑と共に応えた。
「今度はお前の願いを叶え、契約を履行してみせる。もちろん、どちらの願いでも構わない。俺はもう何処にも行かないから。
俺とお前が手を組めば、再び世界を変える事だって出来るはずだ」
「そのセリフは
多分それは事実だ。
あの男は未だ心のどこかでルルーシュに許されたいと思っている。
「残念だがこの世界にゼロは二人も要らない。正義の象徴は一人で十分……、いや、英雄の時代もやがては終わる。その前にお前の力が、お前が必要なんだ、C.C.」
男は誘うようにC.C.へと手を伸ばす。
「お前が必要……か、一度言われてみたかったよ」
自然と彼女の頬が弛んだ。
遙か昔より奇跡の如き力=ギアスを求める者は数多く、結果、憎悪と怨嗟の叫びを浴び、この身に刃を突き立てられる事も多々あった。
所詮は魔女との契約。齎された力は奇跡とは程遠く、いずれ契約した者を孤独へと追いやる。
しかしただ一人、愚かにも魔女と対等な立場で契約を結んだ少年が居た。
そう、『彼』の名こそルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。唯一彼だけが全ての結果を受け入れ、最後まで己が人生を狂わせた元凶=魔女を呪う事はなかった。
だから────
「これ以上、アイツを騙るというなら容赦はしない」
C.C.は外套の内側に携えていた銃を抜き、銃口に捉えた男を睨み付ける。
「本気で殺そうというのか、この俺を? 残念だが俺は正真正銘のルルーシュだ。それは何人も覆せない事実。騙る意味もない。
しかしお前はどれだけ言葉を連ねたところで、信じはしないのだろうな。
なあ────」
男は少し困った表情を浮かべつつ、優しさと素直さ、労りの心を込めて大切に、とある名をC.C.へ告げる。
「 」
その名前で呼ばれた瞬間、C.C.は目を見開き、身体を震わせ、銃口を下げた。
「なっ、どうして!?」
それは彼女の本当の名前。記憶の奥底に封じた過去の自分。
その名前を自分以外で知る者は、この時代にただ一人だけしか存在しなかった。
その事実が目の前の光景を、男の言葉を肯定してしまう。
故に彼女は感情のままに疑問をぶつける。
「言ったはずだ、お前が魔女なら、俺が魔王になると。『魔王』は何度でも蘇る、そう言うものだろ?」
男は冗談のような言葉を本気で口にする。
「……ルルーシュ」
彼の名を口にしたC.C.の手から銃が滑り落ち、彼女は男の方へと脚を一歩踏み出した。
切なげな表情で自分の胸に身体を預けてくるC.C.の姿に、男は勝者の笑みを浮かべ、心の内で笑う、嗤う、嘲笑う。
再び世界を手中に収める為の駒が一つ、また一つと揃っていく。
誰にも負けはしない。
この世界に対して、先にチェックメイトを掛けるのは自分だ、と。
トスッ。
「ぐっ!?」
腹部から広がる鋭い痛みに、男は思わず苦悶の声を上げる。
「どうした、ルルーシュ? ふふっ、そんな色っぽい声を出して」
C.C.は躊躇うことなく、男の腹部に突き立てたナイフの柄をぐるりと捻り、その刃を更に奥へと埋め込んでいく。
同時に、広がった傷口から夥しい量の鮮血が溢れ出した。
女の勘か、それとも魔女の勘か。
いや、共犯者の勘なのかも知れない。
目の前の男がルルーシュではないと、C.C.は確信していた。
素性を、ルルーシュと同じ外見の理由を、自分に近付いた理由を、素直に吐かないというなら吐かせれば良いだけのことだ。
また、男がどこで自分の真名を知ったのか、それを聞き出す必要もある。
例えもし相手がコードを保持していたとしても、生憎コードは万能ではない。
確かに不老不死の効果を齎し、異常な再生速度で怪我を癒すことも出来る。
だがそれにも限度があり、負った怪我の程度に再生速度は比例する。つまり重度が重ければ重いほど、完治までには時間が掛かる。
何より、その身に受けた苦痛を無にはしてくれず、相応の苦痛を味わうことになる。
もちろん場合によっては発狂するほどの苦痛だ。けれどコードの効果なのか、狂って廃人になる事は許されず、死んだ方がマシという地獄を延々味わう事となるのだ。
そして自分はそれを味遭わせる術を、苦痛を与える人間の壊し方を熟知している。魔女狩りと称した拷問や処刑、変態貴族や王の趣味、狂った研究者の実験に付き合わされた過去を持つのだから。
ルルーシュが知らない、知られたくない黒歴史。
故に私はC.C.だ。
「さあ、楽しい逢瀬と洒落込もうじゃないか」
そして魔女は壮絶な笑みを浮かべる。