静寂が支配するその場所は、神聖ささえ感じさせる清気に満ちていた。
他に人の気配はなく、噴水から溢れ出し、水路を流れる水音だけが施設内に響いている。
旧トウキョウ租界外縁部ヤマナシ地区=現山梨県。
かつて神聖ブリタニア帝国第三皇女=ユーフェミア・リ・ブリタニアによって提唱された行政特区日本構想において、再び日本と呼ばれる事となるはずだったその場所に存在する追悼施設『FUJI MAUSOLEUM』。
元々はナリタ攻防戦、またブラックリベリオンで犠牲となったブリタニア人の霊を慰め、死者を弔うために建設された施設である。
ゼロレクイエムを経た今現在では、ブリタニアの侵攻=極東事変以降、この日本の地を
舞台に幾度となく繰り返された戦闘によって命を落とした者全て──国籍、主義、宗教な
どを問わず──に対する祈りの場となっていた。
ただその一方、ブラックリベリオンの引き金を引いた──虐殺皇女ユーフェミアによる──行政特区日本開設式典での大虐殺が行われた地であるが故に、旧ブリタニアの非道を象徴する場所の一つと考え、忌避感を抱き訪れる事を躊躇う日本人も少なくない。
施設中央に聳える慰霊塔の内部。
祭壇の前に一人立った枢木スザクは、無言のまま自らの右手に視線を落とした。
その手に握られていたのは青い剣と白い翼を象り、中央に王冠が描かれた騎士章。
それはブリタニア皇族の専任騎士となった者にのみ授けられる忠誠の証。
呼び起こされる記憶は、スザクにとって忘れる事の出来ない一時の栄華。
彼女の騎士であったという誇るべき事実。
変わることのない彼女の笑顔。
瞬間、胸が押し潰されそうになる。
彼女=ユーフェミア・リ・ブリタニアは、彼が嫌いだった自分自身を認め、許されざる過去を受け入れてくれた。
その肯定に当時の自分が救われたのは言うまでもない。
だからこそスザクは彼女が望み、目指した優しい世界の実現の為に、その身を捧げようと思った。
それは希望であり、贖罪に他ならない。
もちろん誰にも自分と同じ過ちを犯し、苦しんで欲しくはないという想い、また願いは彼の本心でもあったが故に。
しかし、ユーフェミア・リ・ブリタニアの騎士=枢木スザクは、もはやこの世界に存在してはならない。
枢木スザクは裏切りの騎士として討たれ、悪名高きまま既にこの世を去ったのだから。
今この場所に居るのは魔王に与した裏切りの騎士ではなく、世界を救った英雄=ゼロだ。
それは彼女を虐殺皇女として殺害した仮面の男と、同一の存在である事を意味している。
僅かに表情が強ばり、騎士章を握る力が自然と強まった。
そう、今の自分は彼女の騎士であった証を持つ資格はない。
ゼロレクイエムが発案され、実行に移した時、ゼロという道を選んだ瞬間から理解していたはずだった。本来ならその時点で手放すべき物であることも。
もし、それがゼロの所持品だと知られれば、そこから素性が特定される恐れもある。例えゼロ=枢木スザクとまでは辿り着けなかったとしても、不要な疑念を生むことは避けられないのかも知れない。
正義の象徴たるゼロは、世界の為に英雄であり続けなければならない以上、取り除ける不安要素は出来うる限り減らすべきであった。
だが出来なかった。
例えそれが未練と後悔の象徴であったとしても、手元に残った唯一とも言える彼女との思い出の品を手放す事など自分には出来なかった。
枢木スザクの名を、その存在を捨ててなお、過去に執着している自分が居る。明日を選び、求め、その為にゼロの仮面を身に着けておきながら……。
それが弱さだとスザクは自覚している。
かつて自分は告げた。
“僕は、彼の剣だ。彼の敵も弱さも、僕が排除する”
なら、自分の弱さは一体誰が排除してくれるというのか?
この騎士章は自分を枢木スザクとして、この世界に繋ぎ止める最後の楔。
真のゼロを名乗り、世界に自分こそがゼロだと宣言し、ゼロであり続ける事を決意した以上、今度こそ過去を断ち切らねばならない。
背負った業から再び逃げようなんて考えを抱けぬように退路を断ち、自分の中に残る枢木スザクを消し去るために。
本来なら彼女に……いや、彼女の墓前に返すべき物なのかも知れない。
けれど今となってはそれさえも不可能だ。
彼女の遺体はブラックリベリオン収束後、ブリタニア本国に送られ、精神錯乱の原因解明の為に病理解剖が行われる事となる。無論その結果は、彼女の脳や神経系を始め、全ての臓器に精神異常を来すような疾患を発見することは出来なかったが。
その後、彼女の同母姉である神聖ブリタニア帝国第二皇女=コーネリア・リ・ブリタニアの手によって、生家近くの霊園に密葬された。
ナイトオブセブンの地位を手に入れ、本国に召集された際に一度だけ訪れた事があったが、その時は何も話す事は出来なかった。
あの日が最後の機会になると分かっていたなら、何か彼女に伝える事が出来たのだろうか?
……きっと不可能だ。あの時の自分はただただ憎しみに支配されていた。
そんな自分が上辺だけの言葉を語ったところで、彼女を悲しませるだけだったに違いない。
それでも、と思ってしまうのもまた枢木スザクとしての弱さだ。
彼女が眠る霊園は帝都ペンドラゴンに落とされた大量破壊兵器フレイヤによって、無数の生命と共に消え去った。
それ故にこの場所を、彼女の理想の始まりとなったであろうこの地を訪れた。
ここになら彼女の想いが遺されていてもおかしくない。
例えそれが志半ばで倒れた無念、そして不条理な世界に対する怨嗟だとしても……。
スザクは祭壇へと歩みを進める。
そして献花された多くの花束の中に、手にしていた騎士章をそっと置いた。
「さようなら……ユフィ」
果たして彼女はこんなにも愚かな自分が選んだ道を、起こした行動を知ったら、どう思っただろうか? 怒りに震える? 嘆き悲しむ? それとも………。
いっそ軽蔑し、突き放してくれたなら、どれだけ楽なことか。
でも自分の知る彼女なら例え過ちを犯しても、それを受け止め、共に贖罪する道を選んでくれた事だろう。彼女は自分が知る中で誰よりも優しく、とても強い心を持った女性だった。
いや、これは無意味な考えだ。
既に彼女の存在は過去の物となっている。今、そしてこれからの世界を彼女が望む事は絶対に不可能だ。それは決して覆すことの出来ない現実。
対して自分は歩みを進めなければならない。既に自分は歩み続ける道を選んだのだから。
その先にあるのは『明日』。それとも『新しい明日』なのか、今はまだ分からない。
それでも自分達の信じた未来の為に。
スザクはゆっくりと踵を返し、一歩前に踏み出した。
祭壇との距離が広がっていく。
刹那────
“……スザク”
遠離っていくスザクを引き止めるように、その背に声が掛けられる。
それは正確な表現ではないのかも知れない。空耳や幻聴の類、気のせいと言ってしまえばそれだけの事なのだろう。
ただ、彼は確かにその声を聞いた。
今は亡き彼女の声を……。
咄嗟にスザクは彼女の姿を求めて背後を振り返る。
そして、そんな自分を自嘲する。
もし、彼女が彼の選んだ全てを知ったなら、それでも彼女は優しさで包み込むかのような微笑みを浮かべ告げた事だろう。
“自分の事を卑下してはなりません。
私は貴方の頑ななところも、優しいところも、悲しそうな瞳も、不器用なところも、猫に噛まれちゃうところも全部含めて、好きになったのですから。
言ったはずですよ。自分を嫌わないで、ただ私は貴方の笑顔が見たいって。
だから笑って下さい、スザク”と……。
◇
合衆国日本、首都東京。
東京湾に停泊する黒の騎士団旗艦=斑鳩級浮遊航空艦迦楼羅。
その内部に置かれた仮設司令部に紅月カレンの姿はあった。
中央の大型モニターには世界地図と共に各国の状勢や、各支部から送られてくる報告が表示され、リアルタイムで更新されていく。
今のところ大きな混乱は起きてはいない。誰もがゼロの行った自分自身へ対する宣戦布告に困惑し、国家として、組織として、また一個人として、これからどう動けばいいのか意見がまとまらないのだろう。
現状は黒の騎士団に取って好転したと考えて間違いない。
漆黒の騎士支持へと傾いていた世論の流れは、ゼロが投じた波紋によって狙い通り流れを止めた。二人のゼロの真偽が判明するまで、内外の圧力によって、今すぐに黒の騎士団が瓦解するような事態は免れたといってもいいだろう。
だがしかし、見つめるモニターに彼女等が真に望む情報は未だ齎されてはいない。
カレンはサブモニターを一瞥する。
映し出されていたのは、チェスの駒にも似た黒き天空城。それこそが断罪という名の殺戮が行われた都市の上空に出現した漆黒の騎士の軍事拠点。
その姿は大量破壊兵器フレイヤを放ち、多くの生命を奪った浮遊要塞ダモクレスに酷似していた。
ゼロレクイエム後、ダモクレスは超合集国最高評議会の決議によって、フレイヤと共に宇宙への廃棄──太陽焼却処分──が実行されたはず。
紛争地帯に使用されたフレイヤを含め、開発元であるインヴォーグ及びトロモ機関から設計データが流出し、それがゼロ=ルルーシュの手に渡った。いや、ゼロレクイエム以前に入手したデータを秘密裏に保持し続けていたと考えるべきか。
もし仮にそれが事実なら、今回の一連の出来事は、予てより周到に計画されていた事になる。
いくら資金とデータを保持していても、当然完成までにはそれ相応の時間を必要とするのだから。
だとすればスザクが語ったゼロレクイエムの真実ですら、ルルーシュによって仕組まれた策謀。偽りの真実に他ならない。
世界だけでなく共犯者であるスザクをも騙し、彼にさえ伝えられる事のなかった真の計画が存在してたのではないか?
全ては自らの野望を覆い隠すための、幾重にも積み重ねられた嘘。
そんな疑念が彼女の中で大きくなっていた。
「捜索部隊からの報告は? 漆黒の騎士の拠点はまだ見付からないの?」
苛立ちを含んだカレンの声が部下に飛ぶ。
「残念ですが、発見の報告はまだ……」
彼女の問いに、部下は申し訳なさそうに応えた。
「研究班によれば敵ダモクレス級浮遊要塞が展開するブレイズ・ルミナスには、何らかの特殊な粒子が含まれており、それによって擬装鏡面に類する光学迷彩能力を得ているとの分析がなされています。……やはり所在の特定は相当困難だと」
「分かってるわ、それぐらい」
部下の指摘に焦りが募り、彼女の語気が強くなる。
「も、申し訳ございません!」
謝意を告げる部下を一瞥することなく、カレンは奥歯を噛みしめた。
例え捜索対象が全高3キロを超える巨大な建造物だとしても、自在に空を飛び、なおかつレーダーに映らないどころか肉眼でさえ捉えられないというなら、その発見が容易では
ないこと、いやもはや不可能に近い事は誰もが理解していた。
唯一確実な方法としては、次の粛清場所を予測して先回り、待ち伏せし、敵の要塞本体あるいは所属KMFに発信器を取り付ける策があったが、漆黒の騎士が粛清行為を停止している今、その手は使えない。
つまり現在、黒の騎士団側は明確な捜索手段を取れていないというのが実状だった。
それこそ手を拱いている今この瞬間にも、頭上に出現し、フレイヤの射出または多数の新型KMFによる奇襲を行う事も、相手がその気になれば可能なのだ。
その気になれば……?
いや、違う。既に事実として漆黒の騎士は何度も実行している。
一切の躊躇いはないだろう。実行されれば一方的な敗北は確実だった。
奇襲による中枢の破壊。
相手が国家であれ、組織であれ、その効果は語るまでもない。
場合によっては戦闘を最も早く終結させる方法の一つと言って良いのかも知れない。
だが奇襲は奇襲。それが大局を見据えた戦略であったとしても、今のカレンはその卑怯なやり方が気に食わなかった。
ただ今回の相手は戦争幇助国でも、テロ組織でもなく、自分と正義を二分するもう一人のゼロだ。
例えそんな卑怯な手段で勝利を手にしたとしても、世界の意志たる民衆は納得しない。
その事は人心掌握に長けた彼なら理解しているはず。……そう思いたい。
「…紅月君」
名を呼ばれ、カレンは声の主へと視線を向ける。
部屋の入口。壁にもたれ掛かるようにして、その男は立っていた。
「藤堂さん!?」
カレンは男──藤堂鏡志朗の姿に驚きながら、彼の下へ駆け寄った。かつて奇跡の藤堂と呼ばれた男の身体には、未だ至る箇所に痛々しく包帯が巻かれ、手には松葉杖が握られている。
「もう起きて、大丈夫なんですか?」
藤堂の身体を気遣うカレン。
彼はゼロ=ルルーシュによる蓬萊島襲撃で負傷していた。命に別状はないと言っても、その傷は深く、数日で完治する事は不可能だ。
現状の彼の姿を見れば、誰が見ても無理をしていることは一目で分かる。
「ああ、大丈夫だ。それに既に大方の話は聞いた。この状況で休んでいる事など出来はしない」
「ですが、今無理をされたら凪沙さんだって────」
ゼロレクイエムを経て、藤堂はかつての部下であった千葉凪沙に押し切られる形で入籍。
勢いそのままに彼女が夫婦間の主導権を握り、奇跡の藤堂も形無しではあったが、夫婦仲は良好という事実は団員に広く知れ渡っている。
「私は一人の男である前に一軍人だ。それに私の生き方は彼女が一番理解している」
「はぁ……、分かりました。もう、本当に無理だけはしないで下さいよ」
カレンは一度大きく溜息を吐き、進言を諦める。
これ以上言葉を連ねたところで彼の意志は変わらないと理解した。
身勝手な考えだと思う反面、多分自分が彼と同じ立場なら、同様の行動を取るだろう。もう誰も後悔を重ねたくはないのだから。
「すまない、紅月君」
「謝る相手が違いますよ、藤堂さん
「ああ、そうだな」
「取り敢えず現在の作業状況ですが」
ここまでの経過は病室で凪沙さんからでも聞いていただろうと考え、まずは最新の作業状況を報告しようとしたカレンだったが、そんな彼女の言葉を遮るように藤堂は問う。
「いや、その前に聞きたい事がある。今、枢──ゼロはどこに居る? 彼とは一度話しておきたいことがあるのだが」
藤堂の問いに僅かに視線を逸らしたカレンは逡巡した後、躊躇いながらも──彼にだけ聞こえる声で──端的に事実を告げる。
「ゼロは今……この艦には居ません」
「なっ、こんな状況でどこへ行ったというんだ!?」
彼女の答えに藤堂は驚きと呆れが入り混じった反応を見せ、語気を強めたその声は僅かに怒気を含んでいた。
もちろんカレンにも彼の心情は理解できた。
漆黒の騎士と戦争状態にある現在、ゼロ=指揮官の不在は味方の士気に大きく影響を与える。
漆黒の騎士に対する宣戦布告によって、ようやく蓬萊島襲撃とゼロの離叛による組織内部の混乱が収まりつつある現状を加味しても、その行為が軽率であることは否めない。
そして何より藤堂にはブラックリベリオン=第一次東京決戦において、ゼロ不在による敗北という苦いトラウマがあり、それが強く反応する所以であることも間違いない。
「分かりません」
それは本心ではない。彼がこの国で人知れず赴く場所など限られている。
そのことは彼女達だけでなく、ゼロの素性を知る者は皆気付いているはずだ。
「でも……ゼロが今後も『ゼロ』であり続けるためには、どうしても必要な事なんです」
枢木スザクとして生まれ、過ごし、死亡したこの地で過去と対峙する。
それは儀式と言ってさえ良い。
「だからもう少しだけ待ってあげて下さい。彼は必ず帰ってきますから」
カレンは藤堂をまっすぐ見つめて理解を求めた。
「…………」
対する藤堂は無言のまま、ゆっくりとした足取りで部屋の中央に置かれた大型モニターの前へと向かっていく。
「紅月君」
「はい」
「作業状況の報告を頼む」
「はい、分かりました」
強張った表情を崩し、カレンは藤堂の後を追って歩みを進める。
彼らはゼロを信じ、彼の帰還を待つ。
だが世界は停滞を許さない。
刹那、室内に警報音が響き、同時に緊急通信回線が開かれた。