合衆国日本=首都東京の中心部、中央行政区画を間近に臨む高級ホテル=皇プリンスホテルは存在していた。
各国要人が訪日の際に宿泊し、また政府高官や日本経済に大きな影響力を持つ財界人の非公式協議の場として使用される事も多い。
ある意味では国民へのパフォーマンスの舞台である国会議事堂よりも、この合衆国日本の行く末を左右する場所の一つと言えるのかも知れない。
現に今、とある一室では扇首相亡き後の政治運営について、その対応の模索が一握りの有力者達──それこそ次期総理の選出に影響を与える程──の手によって行われていた。
「困った事になったな」
狙撃対策なのだろう。カーテンが完全に閉じられた薄暗い室内、ソファに腰を下ろした男は告げ、咥えたタバコに火を点ける。
「問題は誰があの男を殺したか、ということだ。様々な噂が飛び交い、その疑惑は我々にも向けられている」
別の男が応えた。
首相官邸の焼失事件は調査の結果、焼け跡から軍が使用していた特殊な火薬反応が検出され、何者かによって扇要は殺害されたと断定された。
しかし、犯人に繋がる遺留品や情報はなく、犯行声明の発表もないことから、現在の世界情報を考えれば絞り込む事すら不可能だった。
断罪者=ゼロによる粛清、政府による暗殺、ゼロ狂信者または反ブリタニア主義者によるテロ。様々な憶測が飛び交い、それは民衆の不安を煽る。
「噂は噂、放っておけばいいわ。私たちが早急に決めなければならないのは、次の国家代表を誰にするか、よ」
女の言葉にその場の誰もが頷きを返す。
ただでさえゼロによるゼロに対しての宣戦布告を受け、政治・経済ともに動揺が広がっている。
そんな状況下で国家代表の死亡と不在が与える影響は百害あって一利なし。
故に紛いなりにも誰かを、国を支える柱とし、早急に安定化に努める必要がある。
国家の安定は彼等の地位や名誉の安定にも繋がるのだから。
「さて、誰が相応しいか……」
「あの無能な男は、本当に御しやすい傀儡だった。まあ、いつ切り捨てても構わない賞味期限切れではあったがな」
「ある意味で今回の件は渡りに船といえるだろう」
議論が本日の集まりの最重要課題へと移りつつあった次の瞬間、その場の誰もが予期せぬ事態が起こる。
「こんにちは~」
新たに室内に響いた声は、その場の張り詰めた空気にそぐわない、幼さを残す明るい少女のものだった。
反射的に全員の視線が部屋の入り口に立つ声の主へと向けられる。
彼らの視線の先に居たのは鍔の大きな帽子を被り、清楚な白いワンピースに身を包んだ幼い雰囲気の少女。
顔立ちから考えて日本人ではなくブリタニア人か。愛らしい笑みを浮かべる彼女には、可憐という言葉がよく似合う。
ただその事実がより彼女の存在が場違いな印象を強調している。
「誰だね、君は? ここは君のような者が来る場所ではない。帰りたまえ」
男の一人が怪訝な表情を浮かべて少女に告げる。
男の反応は至極当然だろう。部屋の前にも護衛の者を立たせていた為、単なる迷子や部屋間違いだとは考えにくい。
「まったく、こんなご時世に君達は一体何をやっているんだ? 職務怠慢じゃないのかね」
別の男が苛立ちを露わにし、室内にいた護衛の男へ鋭い視線を飛ばす。
それもそのはずだろう。
彼らもゼロが行う断罪に少なからず脅えや恐怖を抱いている。
この場に集まった者達の中で、自身が潔白であるかと問われれば、潔白だと断言できる者はまず居ない。
どれだけ隠蔽を重ねたところで、叩けば埃が出てくる可能性が高く、彼らもそれを自覚している。
だからこそ今回の協議に際しても、警備は万全に整えられているはずだった。
しかし、現にこうして無関係な少女の入室を許している以上、護衛の者が叱責を受けることは仕方がなかった。
「申し訳ございません」
護衛の男は何故自分がと内心思いながらも、頭を下げる事しかできない。
「ほら、君。問題になる前に出て行きなさい。今ならまだ厳重注意で済むはずだ」
護衛の男は少女に退室を命じる。
無断で室内に踏み込んだ時点で既に問題ではあったが、今ならま身元確認と厳重注意で解放できる。だがこれ以上、事が大きくなればそうはいかない。
それは彼の優しさでもあった。
「ダメです。このまま帰ったら怒られちゃいますから」
少女は護衛の男の言葉に応じることなく、何かを確認するように一度室内を見回し、不快な視線を向けてくる大人達に対して微笑みながら告げた。
「あの……皆さんにお願いがあります」
まるで少女は近くの物を取って欲しいと頼むかのように、
「死んでいただけないでしょうか?」
軽い口調で彼らに死を求める。
『なっ────』
その場に居た全員が少女の言葉に驚愕し、絶句した。
それを気に留めることなく、さらに少女は続ける。
「え~と、自殺して欲しかったんですけど、ダメですか?」
そう言って少女は愛らしく首を傾げた。
到底受け入れられるはずのない願いを、さも当然の如く告げる少女に、誰もが思った事だろう。
はぁ? 何を馬鹿なことを。
冗談にしては度が過ぎる。
この娘は頭がおかしいのか、と。
だからこそ彼らは憤慨し、口々に声を荒げた。
「大人をからかうんじゃない!」
「ふざけるのも大概にしろ」
「まったく、自分が何を言っているのか自覚しているのか?」
それに対して少女は、どうして彼らが怒っているのか理解できないと言いたげに、不思議そうな表情を浮かべていた。
「取り敢えず一刻も早く、そのイカレた小娘を部屋から連れ出せ」
殺気さえ含んだ声で男が護衛に命令する。
「はっ、ただいま!」
護衛の男はすぐさまそれに了承の意を返す。
これ以上事態が悪化する前に、まずは少女をどうにかしないといけない事は、彼だって理解している。
最悪の場合、少女は文字通りの意味で消される可能性があり、ここに集まった人間にはそれを可能とする力があった。
自分の目の前でそんな事が起きれば目覚めが悪い。
一方、男の一人が何かに気付く。
「おい、待て。今の────」
だが男が言い終わるよりも先、護衛の男は少女に歩み寄るとその肩を乱暴に掴み、強引に部屋から連れ出そうとした。
彼とて少女を乱暴に扱うような行為は本意ではない。
けれどそんな事を言っている状況ではなかった。
「来い!」
「いやです、放してッ」
少女は自分に迫る男から逃れようと抵抗する。直後その弾みで被っていた帽子が脱げ、床へと落ちた。
途端、帽子に収められていた淡いピンクの髪がふわりと広がる。
『ッ!?』
その顔、その髪、その姿は、日本人にとって忘れる事の出来ない──約5年前の──忌まわしき記憶を呼び起こした。
裏切りと血の惨劇。
そしてそれ引き起こした虐殺皇女。
しかし、彼らが少女の容姿について反応するより早く────
「もう、ダメですって言っているでしょう」
不機嫌そうに少女は告げ、困惑した様子の護衛の顔へと両手を伸ばし、そっとその頬に触れる。
次の瞬間、ゴキッという何かが砕ける音が響き、護衛の男は床に崩れ落ちた。倒れた男の首は180度逆を向き、だらしなく開いた口から泡を吹く。
その姿を見て、その場の誰もが戦慄する。
「きゃああ────ふぐっ!?」
突如目の前で起こった光景に、半狂乱となった女が悲鳴を上げようとしたが、それすらも適わない。
既に次の行動に移っていた少女は、女に近付くと左手でその口を塞ぎ、右手に握り締めた刃を女の胸に躊躇いなく振り下ろした。
「あはっ、一人目」
少女は無邪気に微笑みながら、混乱する男達へと視線を向ける。
それと同時に彼女が腕を振ると、袖の内側に携行されていた鋭利なナイフが彼女の両手の中に装填される。
そして少女が再び腕を振る度に、放たれた凶刃が男達の眉間や心臓──急所に深々と突き刺さっていく。
仮に急所を外れていたとしても、刃に塗られた即効性の神経毒によって、苦痛の声一つ上げることも許されず、その生命を奪われていた事だろう。
彼女の侵入を許した時、既に彼等の命運は尽きていた。
「二人、三人、四人────これで終わりです」
手慣れた様子で次々と死を振りまいた後、少女は唯一生存するターゲットを視線に捉える。
対峙する男は脅えながらも、懐からハンドガンを取り出し、抵抗の意志を見せた。
だが、少女は自分に銃口が向けられるよりも先、常人離れした動きで男の背後へと回り込む。
「銃はダメです。音で気付かれちゃうじゃないですか」
そう告げて、少女は背後から男の首を掻き切った。首から鮮血を噴き出し、藻掻き苦しみながら死んでいく男に、もはや彼女が興味を示すことはない。
少女は床に落ちた自分の帽子を拾い上げ、軽く叩いて被り直す。
そして最後のターゲットが完全に動かなくなった事を確認すると、Vサインを突き出して宣言した。
「ふふっ、みっしょんこんぷり~とです♪ けどその前に……」
少女は思い出したように部屋の入り口まで戻ると、ドアノブを特殊ワイヤーで固定し、貼り付けた爆薬に信管を差し込んだ。
単に時間稼ぎにしかならないのだが、これで外から容易に室内に入る事は出来ないだろう。
「これでよし」
さて、後はこの場から立ち去るだけだが……。
「あら? でもこれじゃわたしが出られません。どうしましょう?」
考え込みながら血臭漂う室内を見回す。
「あ、そうだ。思いついちゃいました」
程なくして少女は何か結論に辿り着いたらしく、それを実行に移すため徐に窓へと近付き、カーテンを開け、鍵も開錠する。
開放された窓から吹き込む外気が、彼女に纏わり付く血臭を洗い流していく。
直後、少女は迷う事も、躊躇う事もなく、平然と窓枠に足を掛けた。
今回の非公式協議の場となったのは──昨今の社会情勢を考慮し──いかにもなVIPルームを含む上層階ではなく、一般客室のある下層階のフロアを貸し切って行われていた。
上層階と比べれば地上からの高さは当然低いだろう。それでも地上までの距離は優に10メートルは越えている。
一般常識で考えて、何の装備もなく飛び降りれば、無事で済むことなどまずあり得ない。
そう誰もが口を揃えるだろう。
無謀としか言いようがない行動。
しかし少女は思い直すことなく、えいっと可愛い掛け声と共に窓の外へその身を投げた。
◇
山梨の追悼施設を後にしたスザクの姿は現在首都東京にあった。
自分の立場を考えた時、長時間に渡って旗艦=迦楼羅を離れる事が、どれほどリスクの高い行動なのか、それは彼も理解している。
それでも一度、報告書の書面やニュース映像ではなく、直接自分の目で扇首相の暗殺現場となった首相官邸、その跡地を見ておく必要があるとスザクは考えた。
雑踏の中、大通りを中央行政区画へ向かって移動する。
復興と再開発が進み、合衆国日本の首都として生まれ変わった東京に、かつてトウキョウ租界と呼ばれていた面影は──一部を除いて──最早ない。
その街並みを視界に映したスザクの心に様々な思い出が去来する。
突然の再会や運命の出会い、アッシュフォード学園で過ごした年相応の日常。
騎士としての輝かしい日々の記憶も確かにある。
だがそれ以上に彼の心を埋め尽くすのは、犯した罪の大きさと、背負った業の重圧だった。
胃液と共に込み上げてくる罪悪感にスザクは思わず顔を歪める。
例え景色は変わっても、目を背ける事の出来ない現実が、確かにそこには存在している。
聞こえてくるのは怨嗟の声。
千や万では足りない。
十万、百万でもまだ足りない。
途方もない数の死者のざわめき。
その場に立ち止まったスザクを──邪魔だと感じる事はあっても──周囲の人間が気に留める様子はない。
サングラスに丈の長いウインドブレーカーという、決して高度な変装とは言い難い格好だったが、行き交う人々がスザクの存在に気付く事はなかった。
記録上では、枢木スザクという人間は4年前のダモクレス戦役で戦死している。
月日の経過と共に、自分の存在は人々の記憶の中から消えてしまったのだろうか?
いや、そんな事はあり得ない。
日本人である誇りを捨て、敵国に尻尾を振る名誉ブリタニア人となり、うら若き皇女=後の虐殺皇女ユーフェミアに取り入ることに成功。
彼女がゼロに討たれた後、かつての同胞の希望であったゼロを売り、その対価にナイトオブセブンの地位を手に入れた。
さらに仕えるべき神聖ブリタニア帝国皇帝に反旗を翻し、悪逆皇帝=ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアに忠誠を誓う。
その命が果てる瞬間まで、貪欲に地位と権力を求め、自らの野望の為に全てを裏切り続けた男。
そして何より第二次東京決戦において、実戦で初めてフレイヤ弾を使用し、結果的に敵味方、罪のない民間人を含め3500万人以上の生命を奪い、この東京の地で大量殺戮を行った男としても語り継がれている。
決して忘れる事など出来ないほど鮮烈に、人々の記憶にだけでなく、既に人類の歴史という記録に刻まれてしまった。
例えそれが自分の意志ではなく、信念さえねじ曲げてしまう
彼に、ルルーシュに『生きろ』という願いを命じさせたのは、幼き日に犯してしまった罪と向き合おうとせず、現実から目を背け、死へ逃げようとした無責任な自分自身だ。
軍に所属したのはあまりに幼い、衝動的な父親殺しに対する贖罪のつもりだった。
これ以上、無駄な血が流れて欲しくない。
自分と同じ罪を誰にも背負わせたくない。
終わらない戦いを、人が人を殺めるという現実を止めたかった。
いや、それらは全て綺麗事。自己保身の言い訳に過ぎず、決して世界の為なんかじゃない。
そうする事で罰せられなかった過去の自分に罰を与える事ができると思った。
何かを守るためなら、戦場で命を落としても構わない。
むしろ無意識の内に、そうなる事を望んでいたのだろう。
故に自分は死に場所を求めて軍に所属した。
その結果、より多くの血を流し、数多の命をこの手で奪うとは何という皮肉なのか。
ただフレイヤ使用による大量殺戮についても、明確な罰が下されることはなかった。
有事──黒の騎士団との戦時下──であった為、またその後の世界情勢の変化、自分の立場の変化もあり、責任の所在は有耶無耶となってしまったからだ。
本格的に責任の追及がなされたのは、ゼロレクイエム後に行われた戦後処理での事だった。
第二次東京決戦におけるフレイヤ使用の罪は枢木スザクにあると認定されたが、既に死亡した人間に罰を与えることは不可能であり、その罪は『枢木スザク』という存在に押し付けられる結果となる。
もちろんそれで日本国民が納得するはずもなく、唯一のフレイヤ製産国であった神聖ブリタニア帝国が、損害賠償の支払いと復興支援を行うことで一応の決着となった。
しかし、罰を受けなくとも、自分の起こした行動の結果=犯した罪そのものが消える事は決してない。
だから当時のスザクはルルーシュの共犯者となり、ゼロレクイエムを実行。
全ての罪を背負い、その命を世界に捧げたルルーシュの想いを継ぎ、人々が同じ過ちを繰り返さないために英雄ゼロを演じ続ける。
その選択を贖罪とした。
けれど当時自分が下した判断が、選んだ選択が本当に正しかったと、今では確信を持って断言する事が出来ない。
再び歩み始めたスザクの足取りは重く、自然と大通りを外れ、脇道へと逸れていく。
中央行政区画へ向かう上で、遠回りになる事は理解している。
このまま進むことの出来ない理由も自覚している。
それでもこの先には、あの日以来避け続けてきた『あの場所』が存在しているから。
本能的に選んだ選択。
彼が今この瞬間、その場所に居ること。
それは偶然ではなく必然だったのだろう。
「退いて下さ~い!」
突如として上空から落ちてきたその声がスザクの耳に届く。
「危な~い!」
咄嗟に空を見上げたスザクの視界に、落下してくる少女の姿が映り込む。
半瞬、脳裏にフラッシュバックされる過去の記憶。
その出会いはまるで────
「えっ?」
スザクは思わず戸惑いの声を漏らした。
それは上空から少女が落下してくるという非日常的(イレギュラー)な光景のせいだけではない。
彼を動揺させた原因は少女の容姿にあった。
『彼女』に似ている。
スザクにとっては、それだけで十分だ。
困惑のままに思考する一方、既にスザクの身体は無意識の内に動いていた。
落下地点を見極めると腕を伸ばし、落ちてきた少女の華奢な身体を抱き止める。
「きゃっ」
少女はスザクの腕の中で小さく悲鳴を上げた。
可憐という言葉が相応しい容姿。アメジスト色の明眸。幼さを残した秀麗な目鼻立ちは、高貴さと無邪気さを共存させている。
間近で見た少女の顔は、見れば見るほどかつての『彼女』を連想させる。
「ごめんなさい、下に人が居るとは思わなくて。え~と……その、ありがとうございます」
少女もまたスザクの腕の中で困惑の表情を浮かべた後、どこか照れた様子で謝罪と感謝の言葉を口にした。
その顔、その声、その視線。一つ一つがスザクの心を強く揺さぶり、封じ込めたはずの記憶や想いを呼び起こす。
「……ユフィ」
前の前の少女と『彼女』=ユーフェミア・リ・ブリタニアの姿が重なり、思わずスザクの口から彼女の愛称が零れ出る。
「はい♪」
スザクの呟きに対して、包み込むかのような微笑みを浮かべ、少女が応えた。