ユーフェミアとの出会いが、その後のスザクの人生を大きく変えた。
父親殺しに次ぐ二度目の転機。
それは間違いのない事実。
自己嫌悪の塊だった自分を認め、理解し、救ってくれた彼女の存在は当時のスザクにとって唯一の希望だった。
例えその道程がどれだけ途方の無いものだとしても、彼女となら世界を変える事も不可能ではないとさえ思えた。
持てる全てを捧げ、彼女を支える事が出来たなら、自分を許す事が出来たのかも知れない。贖罪の果てに仮面を脱ぎ捨てることも出来たはずだ。
だがあの日、あの瞬間、自分は彼女を救うことができなかった。
この手で守ると誓ったはずの彼女は、目の前で命を落とす。他ならぬ親友の手によって。
大切な人間一人守れない弱い自分が許せなかった。
彼女の命を奪ったルルーシュが許せなかった。
彼女の死を容認した世界が許せなかった。
だから怒りと憎しみに身を委ねた。
その後の顛末を語る必要はないだろう。復讐に走った結果『枢木スザク』は死に、自分は今ここに居る。
だというのに────
「……ユフィ」
「はい♪」
無意識の内に零れ出たスザクの呟きに、少女は見た者に好意を抱かせるであろう笑みを浮かべて応える。
しかし直後、
「あら? でもどうしてわたしの名前をご存じなんですか? どこかでお会いしましたかしら?」
少女は不思議そうな表情を浮かべて首を傾げ、スザクに問い掛ける。
「っ!?」
自分の名前=愛称がユフィである事実を肯定した少女に対し、スザクは更に動揺する。
彼女と同じ容姿と愛称を持つ少女が目の前に存在している。
どういう事だ?
何故彼女と同じ姿をしている?
分からない。
他人のそら似?
それにしてはあまりにも似すぎている。
世界には同じ顔の人間が三人いるという俗説もあるが何ら根拠はない。
実は双子だった?
いや、そんな記録は存在しない。
双子は不吉だからとの理由で、秘密裏にどちらかを手放していたとしたらとも考えられるが、ブリタニア皇族にそんな慣習はない。
皇位継承権を持つ者が競い合い、奪い合い、殺し合うことがブリタニア皇族の歴史であり、弱肉強食を国是に掲げるブリタニアにおいて、何ら禁忌とは成り得ない。
更に言えば皇位継承権保持者の数から考えても、一人二人増えたところで大勢に大きな影響は無かっただろう。
親心や良心によって引き離されたとも考え難い。彼女(とその姉=コーネリア)の母親は伝統ある貴族の出であり、産まれた瞬間から貴族教育という名の思想教育を受け、ブリタニアを動かす歯車に組み込まれている。
我が子可愛さにシステムから乖離しようとは考えない、否、考えられないはずだ。
そもそも最も可能性が高いと思われた双子説だが、現実問題として大きく揺らぐ。
もし彼女が生きていたなら二十歳を越えている。双子であるならもう一人も同じ年齢の女性でなくてはならない。
しかし、目の前に存在しているのは『少女』。
自分と出会い、そして命を落とした当時の彼女と同じぐらい、どれだけ高く見積もっても十代後半にしか見えなかった。
まるで想い出の中から飛び出して来たかのような存在。
過去からやって来たと言われれば、納得してしまうかも知れない。
死んだはずのルルーシュが再びその姿を見せた時、思わずには居られなかった。
ルルーシュが生きていた。
だったらユフィだって……。
だがそれこそあり得ない。
そんな妄想に縋る事は彼女に対する冒涜だ。
一体この少女は何者だ?
答えの出ない疑問の答えを知るために、スザクは直接目の前の少女に素性を問う。
「君は一体────」
「おい……そんな……嘘だろ」
質問しようとした矢先、放たれた第三者の声を耳にして、スザクは正気を取り戻した。
白昼に起きた──少女が落ちてきたというある種の──事件には、当然のように目撃者が存在する。
野次馬と化した通行人が、彼等の周囲で状況を見守っていた事実を、少女の姿に動揺し、混乱していたスザクは認識できていなかった。
「おい、見ろよ」
「あれってまさか……」
「虐殺皇女」
「ブリタニアの魔女だ」
周囲に不安と恐怖、そして憎悪が広がりつつある事をスザクは感じ取り、同時に焦りを覚える。
彼らも目の前に少女が落ちてくるという非日常的な事象ではなく、少女自身が持つ特異性に気付いてしまった。
マズいと思わずには居られない。
大通りと比べれば確かに人通りは少ないが、それでも少女の容姿は否が応にも人目を惹き、忌まわしい記憶と共に負の感情を喚起させてしまう。
このまま混乱が広がるような事になれば、最悪この少女は無事では済まないだろう。
また、少女に視線が集まれば、必然的に傍らに居る自分にも視線が向けられている事になる。
それがどんな意味を持ち、自分の立場上どんな影響を及ぼすのか、すぐにスザクも理解する。
だから直ぐさま行動に移した。
「走って」
「え? きゃっ────」
当の本人は状況を理解できていない様子だったが、スザクは構うことなく少女の手を取ると、人垣を押し退けて走り出す。
「あ、あの……いきなりどうしたんですか?」
スザクの突然の行動に少女は当然のように疑問を口にする。
「取り敢えず今は僕を信じて走って」
「……もぉ、強引なんですね」
緊張から顔を強張らせるスザクとは対照的に、少女はどこか照れたように頬を染めた。
人の多い中央行政区画とは逆の方向へ向かったスザク達は、狭いビルの間や従業員用通路を抜け、人気のない路地裏へと辿り着く。
「っ……ここまで来れば」
周囲の状況を確認し、スザクはビルの壁に背を預けた。
さすがのスザクも予期せぬ事態に遭遇し、心身ともに疲れた様子だった。
「大丈夫?」
「はぁ…はぁ……疲れましたぁ」
心配そうに声を掛けるスザクの問いに、少女は大きく肩で息をしながら応えた。
その姿を見て、スザクは少女に対して申し訳なく思う一方で、これが最善の手段だったと考える。あのまま何もしなければ、確実に誰かの血が流れていたはずだ。
「君は自分の容姿に自覚はあるのかい?」
スザクは薄々答えが分かっていながら問いかける。
そもそも自覚があるなら、素顔を晒したまま、この日本の地を踏もうとは思わないだろう。
「はい、もちろんです! よく可愛いって言われます♪」
そう言って少女は自慢げに胸を張り、満面の笑みを浮かべて見せた。
スザクは思わずその笑みに心を奪われそうになったが、質問の意図が正確に伝わっていない事に額を押さえて溜息を吐く。
しかも厄介な事に、少女は冗談ではなく本気で言っている。
そのあまりにも虐殺皇女と酷似する容姿を有していながら、この国で起きた出来事をまるで知らないようだ。
果たしてそんな事があり得るのか?
文字通り箱入り娘だったのだろうか?
少なくとも彼女の保護者が理解していないはずがない。
それ故に社会から隔離し、情報を制限していた可能性も考えられるだろう。
もし、やむを得ない事情で同行させたとしても、決して一人で出歩かせるような事はしない。常に監視下に置くぐらいはしていたはず。
いや、だからこその現状なのかも知れない。
スザクは少女との出会いに納得する。
少女と出会った通りには、いくつかの高級ホテルが建ち並んでいた。
そのホテルの一室で軟禁状態に置かれ、それを脱する為に何らかの実力行使を執り、運悪く足を滑らせた、また可能性は少ないが確信的に飛び降りたとも推測できる。
仮に後者だとするなら無謀としか言いようがない。
だがそれがますます思い出の中の彼女と重なった。彼女も護衛の監視下から逃げ出すために、常識外れの実力行使を執ったのだから……。
「それに────大好きな
さらに少女は嬉しそうに言葉を続ける。
……マスター?
その一言が懐古する思考を打ち砕き、改めて眼前の問題を突き付けた。
そう、まだ何も問題は解決していない。
同時にスザクは胸の痛みを覚えた。
少女の言葉が事実なら、彼女は何者かに従属し、その人物をマスターと慕い、好意を寄せているようだ。
これは……嫉妬なのか?
それとも羨望か?
「どうかしましたか?」
少女はスザクの顔を覗き込んで問いかける。
その瞬間、彼女がほんの僅かな──注意していなければ気付かない程度の──血臭を纏わせている事に気付く。
気のせいと言ってしまえばそれだけなのかも知れないが、スザクは本能的に何を感じ取り、反射的に身構える。
「いや、何でもない」
感情を押し殺し、思考を最適化させると、彼女を見つめて真摯に問う。
「それより教えて欲しい、君は一体何者なんだ?」
「あら? 貴方はわたしを知っているから、わたしの事をユフィと呼んだんじゃないんですか? てっきりそうだとばかり……」
スザクの問いに一度は困惑の表情を浮かべた少女だったが、すぐに笑みを浮かべ、胸の前でパンッと手を合わせる。
「それじゃあ、改めて自己紹介をしましょう。
わたしの名前はユーフェリア・C・ヴァルキュリア、さっきみたいにユフィって呼んで下さい。主様にもそう呼ばれていますから」
「ユフィ……本当に」
「はい♪」
自らの名を告げた少女が、スザクに改めて突き付けた現実。
ユーフェミア・リ・ブリタニアではなく、ユーフェリア・C・ヴァルキュリア。
二人目のユフィ。
けれどその名を知りたかった訳ではない。
だったら自分は彼女の何が知りたかったのか?
素性や正体?
それを知ってどうする?
その結果、果たして何ができるというのか?
自分は目の前の少女に何を期待していた?
彼女から授けられた騎士章を手放しながら、いまだ未練を断ち切る事の出来ない自分。
改めて誓ったはずの覚悟が、一人の少女の出現で、こんなにも簡単に揺らいでしまう。
それでは駄目だ。
もうこれ以上、この少女に関わらない方が良いのかも知れない。
彼女は自分が知るユフィではない。
ただ似ているだけ。
そう納得するべきなのだろう。
「今度は貴方の番ですよ。貴方のお名前を教えて下さい」
自問するスザクにユフィはその名を問う。
「僕は……」
スザクは躊躇った。
枢木スザクという名は既に失っている。
だけど彼女に、いや彼女と同じ容姿、同じ声、同じ名前を持つ、この少女に嘘を吐きたくないと思う自分が居る。
一方で亡き親友=ルルーシュとも約束した。もう二度と枢木スザクとして生きる事はない、と。
そう、例えそれがユフィの前だとしても……。
「アララギスバル」
結果スザクは偽名として使用している新たな名前を告げる。
「アララギ……スバルさん、変わったお名前ですね」
少女の言葉にスザクは後悔の念に駆られた。
「ではスバルさん、改めてよろしくお願いします」
そう言って彼女は幼さを感じさせる、無邪気で愛くるしい笑みを浮かべ、握手を求めて手を差し出す。
その笑みの破壊力は抜群で、スザクの警戒心を容易く打ち破り、彼の毒気を抜いてしまう。
「ああ、こちらこそよろしく、ユフィ」
差し出された手に応えるために、手を伸ばしたスザクだったが、そこで彼はある事に気付く。
「っ、ユフィ、大丈夫かい? 血が出てるじゃないか」
スザクの視線の先、彼女の白い柔肌に痛々しく刻まれた傷口から、流れ出た鮮血が腕を伝い大地へと滴り落ちていく。
「あら、本当。気付きませんでした」
ユフィもスザクの指摘で初めて気付いた様子だった。
「ごめん、僕のせいだ」
周囲の視線から逃げる事だけを考え、強引に彼女を連れ回した結果だろう。
駆け抜けた通路の狭さなどを考えれば、どこかに引っ掻けてしまう可能性があったはずなのに……。
自分がユフィを傷付けた。
守る事の出来なかった彼女が、また血を流す。
スザクの脳裏にフラッシュバックするあの日の記憶。
血染めのユフィ。
「気にしないで下さい、スバルさん。スバルさんは悪くありませんから、ね?」
深刻な表情を浮かべるスザクに対し、ユフィは少し慌て、気遣うように声を掛ける。
「っ」
その優しさに、二人のユフィを重ねてしまう。
分かっている。
例え容姿が似ていても、目の前のユフィは自分が愛した彼女ではないと。
頭では理解できている。
彼女が二度と笑う事はないと。
それでも自分の中の枢木スザクが、彼女を求めてその名を叫び、手を伸ばせば触れられるじゃないかと囁いた。
……黙れ。
スザクは自分を押し殺す。
「ユフィ、少しの間動かないで」
ウインドブレーカーのポケットからハンカチを取り出し、彼女の腕の傷口へと巻き付け、結んで固定する。軍人経験のあるスザクにとって、一通りの応急処置は手慣れたものだ。
「よし、出来た。応急処置はしたけど、後でちゃんと病院で看てもらった方が良い。傷痕が残ってもいけないし」
「ありがとうございます。でもスバルさんは心配性ですね、うふふっ」
そう言いながらユフィはハンカチが巻かれた腕に、まるで愛おしむかのような視線を向ける。
「けど、そもそもどうして君は飛び降りたりなんかしたんだい?」
スザクは確かめなければならない今回の出来事の核心を問う。
その瞬間、僅かにスザクの眼光が鋭さを増した。
「えっと、それは……」
ユフィは言葉を濁し、視線を背けたが、すぐに何か良い理由を思い付いたのか笑みを浮かべて応えた。
「実は怖い人に追われてるんです」
それは実に安直な言い訳だった。
言動の不一致。
大多数の者はそれを素直に信じはしないだろう。
ただ彼女は自ら飛び降りたというスザクの指摘を否定しない。
「嘘なんでしょ、それ」
「むぅ、スバルさんは意地悪です。わたしを信じてくれないんですか?」
ユフィは拗ねたように頬を膨らませる。
「ごめんごめん、信じるよ」
その子供っぽい仕草に思わずスザクは苦笑する。
「本当ですか? ですがわたしはまだご立腹中です」
「それは困った。どうしたら機嫌を直してもらえるのかな?」
「一つだけわたしのお願いを聞いてくれますか?」
「何なりとお申し付け下さい、お姫様」
姿勢を正したスザクは、ユフィに対して恭しく頭を下げた。
そんなスザクにユフィはどこか真剣な面持ちで告げる。
「ではあの場所に案内して頂けますか? アララギスバルさん」