わたしを抱き止めた男の人、アララギスバルさん。
ちょっと変わったお名前です。
だけど何故でしょうか?
どこか懐かしい響きだと思います。
前にも聞いたことのあるような、呼んだことのあるような名前……。
ううん、名前だけでありません。
あまり似合っていないサングラスを掛けていますが、その姿をわたしは知っているような気がします。
初めて出会ったはずですが、わたしはスバルさんと以前会ったことがあるのでしょうか?
彼はわたしの事を『ユフィ』と呼びました。
主様以外にそう呼ばれたのは初めてです。
彼はわたしを知っている?
やはりどこかで……。
う~ん……思い出せません。
でも、彼に『ユフィ』と呼ばれると嬉しくて、優しい気持ちになります。
胸が温かくなります。
けれど同時に切なくなって……ぎゅーって痛いです。
“今は僕を信じて走って”
そんなこと言われたらドキドキして、顔が熱くなってしまいます。
ちょっと強引だけど、凛とした姿がカッコイイです。
もしかしてこれが初恋というモノなのでしょうか?
◇
復興を遂げ、近代化した街並みが広がる合衆国日本の首都=東京において、その場所は周囲の光景と大きく異なっていた。
本当に異質と言っても良いだろう。
高層ビルの谷間に広がった──広大な敷地面積を誇る──緑豊かな庭園。
そこだけ現在から切り離され、かつてのエリア11=トウキョウ租界、ブリタニアによる支配の名残を留めているかのようだった。
そしてその場所こそ、4年前、悪逆皇帝ルルーシュが世界統一を記念した凱旋パレードの最中に、救世の英雄ゼロによる暗殺──つまりはゼロレクイエム──によって討ち果たされた運命の地。
その場所には今、救世の英雄の功績を褒め称え、悪逆皇帝の圧政からの解放を記念し、ゼロの偉業を後世に残すために、記念のモニュメントや慰霊碑、資料館などの施設が建設されていた。
合衆国日本の──富士鉱山に変わる──新たな観光名所の一つとなっており、平日の昼間でも訪れる人は多かった。
だが、ここに居る者は誰も──ただ一人スザクを除いて──この施設が存在している本当の意味を、その真実を知らない。
知っている者は本当に極僅か。それこそゼロの素顔を知る者よりも少なく、片手の指の数にも満たない。
そう、この庭園自体が悪逆皇帝と呼ばれながら、人間の可能性を信じて命を懸けたルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの墓標。いや、陵墓そのものとなっている。
ゼロレクイエム後、東京の復興と共に彼の遺体はこの庭園の地下に密葬され、本当なら今も永遠の眠りに就いている……はずだった。
ルルーシュとの別れの地であり、自らが殺めた彼の眠る場所。
スザクは彼の密葬以降、この場所を訪れる事に躊躇いを抱いて避けてきた。
訪れれば自ずと現実を突き付けられ、過去の喚起と共に思考はマイナスへループする。
もし、自分が彼を殺すことなくゼロレクイエムに反対し、彼が生き続けその手腕を振るっていたなら、現状の世界はここまで悪化しなかったのではないか?
少なくともこんなにも早く計画が破綻することは、まず無かっただろう。
後悔は自分の中で年々大きく膨らんでいく。
彼の死を容認し、また強要し、自分がゼロとなった選択に疑問を抱き、簡単に揺らいでしまう。
それでは駄目だ。
民衆が求める救世の英雄は常に正しく、正義であり、間違わない。
この世界を導く揺るぎない存在。
その幻想から逸脱することは許されない。
だから……ルルーシュの死という現実から目を背けた。
数多の人間の命を奪っておきながら、たった一人の人間の死に執着する。
何を今更と誰もが侮蔑するだろう。
けれどスザクも一人の人間だ。
名も知らない赤の他人と唯一の親友を比べる必要もない。
殺したくて、殺したくて、仕方がなかった。
でも心のどこかで殺したくないと叫んだ自分が居た。
割りきる事の出来ない矛盾。
だからスザクはあの日、涙を流しながらも、その手でルルーシュを討った。
それが正しい事、この世界の為だと信じて……。
「ねぇ、スバルさん」
剣を掲げたゼロの銅像を見上げていたユフィが、不意に隣に立つスザクへ向け、呟くように声を掛ける。
「何だい、ユフィ?」
思考から抜け出し、スザクはユフィへと視線を向ける。
するとユフィもまたスザクへと視線を向けていた。
彼女の表情は初めて見せる険しく鋭いものであり、スザクが貸し与えた予備のサングラス越しの視線は、まっすぐに彼の瞳を捉えている。
「スバルさんは、ゼロのことが好きですか?」
ユフィの問い掛けにスザクは完全に言葉を失った。
「…………」
どう答えるべきなのか?
残念ながら今のスザクにとって、ゼロという存在は好き嫌いという次元で語れる存在ではなくなっている。
かつて無実の罪で捕らえられ、断罪されるはずだった自分を救い出した仮面の男。
黒の騎士団の首魁として暗躍し、関係のない多くの人間を巻き込み、戦火を広げ、罪のない多くの人間を苦しめたテロリスト。
正義の味方という嘘を吐き、日本人を騙し、結果的に愛するユフィを殺した仇敵。
憎悪の対象。
親友=ゼロ。
現状の社会制度、超合集国構想の生みの親。
そして今の自分自身。自分が背負った業であり、自身が選んだ新たな自分。
課せられた義務と受け取った願い。
正義の象徴でありながら、正義を二分する二人のゼロ。
「わたしは嫌いです」
ユフィはスザクから視線を外し、再びゼロの銅像を見上げながら、どこか悲しそうな表情を浮かべて告げた。
世界が認める英雄に対する明確な拒絶。
その言葉がスザクの胸に突き刺さる。
「だってゼロはわたしを────」
ユフィは小さく呟くように言葉を続けようとした。
だが刹那、庭園内に異変を告げる警報音が鳴り響き、彼女の声を掻き消した。
反射的に彼らは、いやその場の誰もが、音の発生地点である資料館の方角へと視線を向ける。
視線の先に居たのは、艶のある長い黒髪を後ろで束ねた長身痩躯の青年。
仮面──まるで
しかし、それ以上に人々の目を惹いたのは、その人物の手に握られていた一振りの長剣であったに違いない。
緑色の宝玉が埋め込まれ、金の装飾が施された赤紫色の装飾剣。
あの日、ゼロレクイエムを目の当たりにした世界中の人々は知っている。
それが悪逆皇帝ルルーシュを討ったゼロの聖剣である事を。
ただその装飾剣は本来、悪逆皇帝ルルーシュが手にしていたはずの剣だった。事実、富士上空におけるダモクレス攻防戦開戦前、彼が自軍の兵士を鼓舞する際に掲げていた映像が残されている。つまり武器としてよりも、儀式的な意味合いが強かったのだろう。
けれどその装飾剣が再び人々の前に姿を見せたのは、前述の通りゼロレクイエムの瞬間だった。
経緯は不明ながら本来の持ち主である悪逆皇帝ルルーシュの手を離れ、その凶刃はゼロによって主へと向けられる。
そのことで物議を醸し、様々な憶測=主に悪逆皇帝ルルーシュと英雄ゼロの繋がりが囁かれたが、その真偽は未だ定かではない。
それでも人々は過程ではなく、悪逆皇帝ルルーシュの死という結果を受け入れた。
確かに過程は不明瞭かも知れないが、その疑念を消し去るほどに鮮烈な──多くの人々が望んだ──結果だったと言える。
そしてゼロレクイエム以降、本来皇帝ルルーシュの魔剣となるはずだった装飾剣は、英雄ゼロの聖剣として、資料館で管理・保管される事となる。
毎年ゼロレクイエムの記念日には、レプリカではなく実物が特別に一般公開もされていた。
「どういう事だ?」
「何かの撮影かしら?」
「おいおい、まさか聖剣泥棒とか言わないよな」
青年の姿を目にした周囲の人々が口々に疑問を口にする。
聖剣の強奪など現実的ではなく、その特異な格好から撮影だと考えるのは仕方のないことだ。
だがスザクは青年が放つ重圧と異様さを感じ取った。
何がとはハッキリと言い表す事が出来ないが、嫌な気配がする。
多くの戦場に立った戦士としての経験と本能の囁きは、杞憂ではなく絶対だと確信できものだ。
対して装飾剣を手にした青年も、既に視界にスザク達を捉えていた。
いや、それ以外の何も映ってはいないことだろう。
「あ、見付かっちゃいました。どうしましょう?」
唯一その場の雰囲気に呑まれなかったであろうユフィが、困った表情を浮かべて発言するが、やはりそこに緊張感の欠片もない。
その言葉にスザクは思い出す。
“実は怖い人に追われてるんです”
確かに彼女はそう言った。自分は冗談だと勝手に思い込んでいたが、相手が確実に自分または彼女の事を視線に捉えていることから、その追っていた人物=目の前の人物であるという、もっとも簡潔な可能性に辿り着く。
彼女の言葉を信じるべきだったのも知れない。
けれどその後悔はもう遅い。
スザクは身構え、ユフィを守るように一歩前に出た。
「ちっ……馬鹿が」
青年は吐き捨てるように呟き、奥歯を強く噛みしめた。
まるで思考を支配しようとする焦りを押し殺すかのように……。
瞬刻、青年は大地を蹴り、スザク達へ向かって疾走する。
同時に手にしていた装飾剣を構え、間合いに入った瞬間、剣の切っ先をスザクの胸に目掛けて突き出した。
一連の動きは常人と比べものにならないほど速く、その肉体が鍛え上げられている事を誇示していた。
また、躊躇いなど一切なかった。故にその切っ先は揺らぐことなく、スザクの胸を捉えて離さない。
そう、威嚇ではない。
放たれたのは殺気を纏った必殺の一撃。
それはゼロレクイエムの再現のようでもあった。
しかし、既に回避行動を取り、背後へと跳躍していたスザクに、その切っ先は僅かに届かない。
ただ弾みでスザクが身に着けていたサングラスが外れ、タイル敷きの大地へと落ちてしまうが、彼にそれを拾う余裕などなかった。
一連の光景を目撃した人間が悲鳴を上げる。
その悲鳴は不安と恐怖を周囲に伝播させ、人々は混乱に陥り、逃げ惑う。
青年を取り押さえようとする者はいない。
防衛本能がそうさせたのか、自分の身を案じ、施設を警備する人間や警察機関に任せた方が得策だと考えたのだろう。
彼らは自分でも気付かぬ内に正しい選択していた。
何故なら、彼らの前に居る青年は、只人が触れる事すら許されない存在なのだから。
青年はスザクを深追いすることなく、その場で立ち竦んでいたユフィの腕を強く掴む。
「来い!」
「っ、痛いです!」
痛みを訴え、抵抗するユフィ。
そこに僅かながら隙が生まれた。
スザクはウインドブレーカーの下からハンドガンを取り出し、銃口を青年へと向ける。
「彼女から手を放し、剣を下に置け。ゆっくりと」
例え殺され掛けたとしても殺すつもりはない、今はまだ。
目の前の人物には訊きたい事がある。
だがその命令に相手は応えることなく、装飾剣の刃をユフィ首筋へと────
スザクは引き金を引いた。
銃声と同時に放たれた弾丸は僅かに逸れ、彼の意図せぬ結果を生む。
銃弾を受け止めた仮面が跳ね上がり、青年の素顔を白日の下に晒した。
「なッ!?」
スザクは驚愕に目を見開く。
仮面の下から現れたのはアメジスト色の澄んだ瞳、彫刻のように整った端整な面立ち、人並み外れた中性的な美貌。
その顔をスザクは知っている。
いや、忘れることなど許されない。
一方、不測の事態に青年も驚愕の表情を浮かべた。が、それは刹那にも満たない。
青年の左目が光を帯びる。だがその光はスザクが知る禍々しい紅い光ではなく、穏やかな蒼い光だった。
そしてその瞳に──翼を広げた鳥のようなマーク──ギアスの紋章が浮かび上がり、災厄の象徴たる凶鳥が羽ばたいた。
それだけで全てが終わり、目の前に居た二人はスザクの眼前から忽然とその姿を消すこととなる。
けれどスザクが二人の姿を探す事はない。
彼は理解している、人智を超えた超常の力が振るわれた事を。
例え如何なる装置を使用しても、彼らの姿を捉える事は出来ないだろう。
ただスザクは立ち尽くす。
「どうして……」
その一言が今のスザクの心情の全てを表していた。
彼らは行動を共にしているのだろうか?
まさか、彼がユフィのマスターだと言うのか?
どういう事だ。
「教えてくれ……ルルーシュ」
「あの……」
不意に声を掛けられ、スザクは背後へと振り返る。
だが彼は失念していた。自分が今、素顔を晒している事実を。
咄嗟に身に着けようとした予備のサングラスはユフィに貸し与えたままであり、ましてやゼロの仮面を持ち歩いているはずもない。
いや、例えそれらが手元にあったとしても、顔を隠すだけの猶予はなかっただろう。
背後に立っていたスーツ姿の女性と視線が合った。
花束を手にしている事から、献花に訪れたことは明白だ。
逃げ遅れたのか、それとも今し方この場で起こった出来事を知らないのか?
違う、今はそんな事はどうだって良い。
問題はそこではなかった。
彼女はスザクを見て、手にした花束を地に落とす。
「え……まさか……スザク……君……?」
微かに震えた声で、スザクの名を呼んだ。
スザクにもその女性に見覚えがあった。
一時の学生生活で出会った、私立アッシュフォード学園元生徒会長=ミレイ・アッシュフォード、その人だった。
繋がり求めた運命の糸。
回る歯車巻き込まれ、絡み、縺れて紡ぎ出す。