普段から倉庫として使用されていた無機質な部屋。
薄暗くて、埃っぽくて、少し肌寒い。
だけど今現在、自分が置かれている状況を思えば、その程度の事を苦慮している余裕はなかった。
突然の侵入者──流浪の獅子を名乗るテロリスト達──に囚われ、拘束されている。
周囲に味方の姿はなく、武装した男達が銃口と共に、時折下卑た笑みを浮かべては不快な視線を向けてくる。
恐怖を抱かない、と言えば嘘になるだろう。
しかしそれを表に出すわけにはいかない。
震えを隠すように強く拳を握り締め、口を一文字に結んで男達を睨み返す。
彼等にとって私の生殺与奪権が交渉のカードの一枚となっている、と考えて間違いない。
だから今すぐに殺されたり、陵辱の対象となる事はないだろう。
もちろんそこには希望的観測を大いに含んでいるが……。
合衆国中華の国家元首という立場に、私は誇りと命を懸けている。
権力という力を得た対価に、果たさなければならない義務も理解しているつもりだ。
例えこの身がどうなろうとも、不当な力に屈することは出来ない。
その覚悟は揺るがない。いや、揺るがすことは許されない。
ただ心配なのは共に人質となった文官や女官達、そして国家の行く末、延いては民の暮らしだった。
悪い予測ばかりが脳裏を過ぎる。
不安が募る一方だった。
しかし残念ながら今の自分が出来るのは強く自分を保つこと、みんなの無事を祈ること、そして事態が好転する時を待つことしかできない。
それが酷くもどかしい。
でも希望は捨てていない。
捨てられるはずがない。
私には彼が居る。
かつてブリタニアの第一皇子と政略結婚させられそうになった時も、天帝八十八陵での籠城戦の時も、ダモクレス戦役の時だって彼は私を窮地から救ってくれた。
だったら今回だって私を助け出そうとしている事だろう。
ああ、私だけの救世主様。
国家元首の誇りだ義務だと偉そうな事を考えながら、その反面まるで恋する乙女のような自分が心の中に存在している事実に苦笑するしかない。
その考えがどれだけ都合の良い考えなのか分かっている。
状況は簡単に対処できるものではなく、何より彼は蓬萊島襲撃時に負傷していた。
それでなくとも彼の身体のこと考えれば、無理をさせるわけにはいかないというのに……。
だけど、もし。
そう……もし本当にここで命を落とすことになったとしたら?
考えては駄目だと理性が告げるが、感情が思考を止める事はなかった。
眼前に付けられた死の恐怖に抗えない。
国家元首という仮面が剥がれ落ち、瞳に溜まった涙がこぼれ落ちそうになる。
ねえ、星刻。
私はもう一度貴方に会えますか?
◇
流浪の獅子による朱禁城占拠と声明の発表に対し、超合集国はすぐさま臨時評議会を開催。その対応が議論されるが、各国の立場の違いから議会は紛糾する。
結果的に採決はなされ、賛成多数で超合集国決議第弐伍壱號──黒の騎士団による事態の沈静化要請──は可決された。
しかし決議の結果が間接的な武力行使という側面を持つことから、多くの国が漆黒の騎士の断罪という名の襲撃を恐れて棄権する事となる。
黒の騎士団は直ぐさまこの要請を受諾。
その要請が朱禁城の奪還、人質の救出、流浪の獅子メンバーの拘束、フレイヤ弾頭の無力化という非常に困難なものである事は間違いない。
だが超合集国と契約する唯一の外部戦力であり、その存在意義が超合集国に参加する全ての国家を守る盾であり外敵を征する剣である以上、黒の騎士団に拒否する選択肢は存在しない。
故に黒の騎士団は総司令官=黎星刻を始め、合衆国中華出身メンバーを中心とした対策部隊を組織し、旗艦迦楼羅を合衆国中華へと派遣する。
一方で挑発的な牽制を受けた漆黒の騎士だったが、その動向は未だ不明であり、如何なる反応も示すことなく沈黙を続けていた。
ただ正義を掲げている以上、このまま傍観し続けるとは思えない。
例え不利な立場であったとしても、今回の事件を最大限に利用しようと考え、何らかの行動を起こす可能性が高い。
世界は否応なく英雄ゼロの奇跡を求める。
果たして約束の時間に、如何なる審判が下さるのだろうか?
民衆は固唾を呑んでその瞬間の訪れを待つ。
◇
「っ……」
咳き込むと同時に込み上げてくるモノを無理矢理嚥下する。
同時に膝を折ろうとする身体に対し、通路の壁に手をついて支えることで、どうにか体勢を保つ。
気を抜けば、襲い来る痛みと倦怠感に屈しそうになる。
それでも男は歩みを止めない。
バランスを崩しながらも、ゆっくりと確実に前に進む。
男の名は黎星刻。
かつて中華連邦の武官でありながら当時の政権を否定し、大宦官の圧政に異を唱え、志を同じくする者達とクーデターを画策。天子と神聖ブリタニア帝国第一皇子=オデュッセウス・ウ・ブリタニアとの政略結婚を機に実行に移すも、ゼロの介入によって計画は破綻。
しかし、続く天帝八十八陵籠城戦ではゼロに命を救われ、彼の協力を得て、祖国に巣くう害悪=大宦官を討ち果たした。
以降、ゼロが掲げた超合集国構想に賛同し、合衆国中華の建国及び平定に尽力する。
そして超合集国構想の実現に伴い、再編成される事となった黒の騎士団において総司令官に就任。
超合集国決議第壱號を受けて開戦した日本奪還戦では、実質陽動部隊であった本軍を率いて鹿児島に侵攻。
ブリタニア軍の最大戦力であったナイトオブワン=ビスマルク・ヴァルトシュタインの足止めを成功させている。
その後のダモクレス戦役ではシュナイゼル指揮の下で悪逆皇帝ルルーシュに挑み、敵旗艦アヴァロンを墜とすが、ダモクレスを押さえられ結果的に敗北。
処刑が決まった戦争犯罪者としてゼロレクイエムの時を迎える事となる。
ゼロレクイエム後に黒の騎士団総司令官に復任。ゼロ指揮の下、悪化する世界情勢の安定に努める一方で、合衆国中華国家元首=蒋麗華の最も身近な理解者として彼女を支え、優れた統治者へと導いた。
これまでも国を憂い、民を想い行動してきた星刻は、今回の祖国の窮地=朱禁城占拠事件に際しても対策部隊への参加、またその指揮に自ら名乗りを上げた。
だが彼の身体は満身創痍であり、誰の目から見ても療養が必要な事は明らかであった。
ゼロによる蓬萊島襲撃で負った傷だけではない。
ブリタニアの最新医療技術によって進行を抑えることに成功しているが、その身を冒す病魔の完治の目処は未だ立っておらず、刻一刻と確実に蝕まれている。
「星刻様、お止め下さい!」
そんな彼の姿を見かね、一人の女性が制止する。
周香凛。中華連邦時代から星刻の片腕として付き従ってきた女性武官であり、ゼロレクイエム以降、黒の騎士団中華支部で指揮官を務めてきた。
今回の事件を受け、中華支部の精鋭部隊『七星』と共に迦楼羅へ合流した彼女が、彼と行動を共にする事は必然であり、その身を案じることもまた必然だった。
ただ、彼女が上官に対する尊敬以上の感情を抱いている事は周知の事実である。
「無謀です、そのお身体では────」
「っ、分かっている!」
星刻は苛立ちを含んだ声で答えた。
まるで自分の身体のことは自分が一番理解していると言いたげに。
「だが……それでも、あの方が私を待っておられるのだ」
彼が唯一の主と定め、絶対の忠誠を誓う者こそ、現在朱禁城で人質となっている国家元首=蒋麗華ただ一人。
かつて幼き彼女に命を救われた。
その時、確信した。
彼女なら、いずれこの狂った国を変え、正しく民を導いてくれる、と。
汚れた大人達に囲まれながら、穢れる事なく輝き続けた光。
この国に残された最後の希望。
だから誓った。
彼女を永久に守り抜く永続調和の契りを。
「あの方の為ならこの命、惜しくはない。ああ、そうだ……疾うに覚悟は出来ている」
流浪の獅子を名乗る彼等の要求を受け入れる事は到底出来ない。
多くの犠牲を払い、ようやく手に入れた新しい国家体制。
実現させた民主主義。
けれど彼等の主張の全てを一概に否定する事も出来ない。
合衆国中華の樹立と政権の移行の裏側で多くの血が流された。
それが多くの民の願いに応えた結果だったとしても、強引な手段であった事は覆しようのない事実であり、自分はその先頭に立ち、彼等が同胞と呼ぶ多くの人間を殺害した。
しかし、自らの行いに後ろめたさなどない。権力者に虐げ続けられてきた多くの民が救われ、明日に希望を持つことが出来た事もまた事実なのだから。
「ですが!」
星刻は周香凛の制止を振り切り歩みを続ける。
通路を抜け、広い空間に出た。
第6格納庫。迦楼羅内部に存在する格納庫の中でも最奥に存在し、実質的に科学長官であるラクシャータ・チャウラーに占居されている事もあり、普段は彼女以外に訪れる者もいない。
機材やKMFのパーツが積み上げられた格納庫内部、星刻は視界に目的の物を捉えた。
青い機体カラーの──ラクシャータの手によって生み出された──第九世代以降相当のKMF。彼の新たな専用機=絶影の姿。
シルエットは星刻専用機であった神虎を基とし、その特徴でもある天愕覇王荷電粒子重砲、特殊形状のランドスピナー、縄鐔型ハーケンを継承。
一方で新たに輻射障壁とエナジーウイングを実装し、両腕部に大型のブレードが追加されている。
各面で神虎から大幅に性能が強化されているが、技術の進歩を受け、パイロットへの負担は軽減されている。とは言え、今の星刻にとって戦闘行為は、それだけで寿命を削るものであったが。
星刻は歩み寄り、揺るぎない瞳で絶影を見上げ、額に巻かれていた包帯を外す。
「香凛」
「はい」
「洪古からの連絡は?」
星刻は周香凛と同等の部下である男の安否を問う。
多くの戦場を共にしたその男は現在、首都洛陽及び朱禁城の守備隊隊長を務めていた。
信頼する彼に首都の防衛、いや、蒋麗華の護衛を任せる事で、星刻は後顧の憂いを断ち、職務に専念することが可能だったと言える。
今回の事件が起きた時も職務を遂行し、朱禁城に居たことは間違いない。
「依然通信は途絶、その生死は不明です」
周香凛は表情を曇らせながらも事実のみを答えた。
護衛対象であった蒋麗華が拘束され、人質となった事実から考えても、軍人である彼の生存は疑わしい。
「……そうか」
星刻は呟き、乗降用リフトに手を掛ける。
「星刻様!?」
周香凛は改めて懇願するように、もう一度星刻の名を呼ぶ。
星刻もその声に込められた感情を少なからず理解していた。
それでも彼の意志は変わらない。
「間もなく約束の時間だ。作戦準備を怠るな。だがもし邪魔立てすると言うのなら、私がこの場で斬る」
その身から放たれる明確な殺気。
星刻の言葉に偽りはない。
周香凛は息を呑み、制止を諦める。
「……了解」
絶影へと騎乗する星刻の姿を見届ける事なく、周香凛はその瞳に微かに涙を湛えながら踵を返した。