第2幕 【敗北 の 騎士団】
瞼を開けると、ぼやけた視界に白い天井が映り込む。
見覚えのないものだった。
ここはどこだ?
現在自分が置かれている状況を上手く把握できない。意識を取り戻したようだが、未だ思考能力は再起動中なのだろう。
ん、意識を取り戻した?
果たして自分は眠っていたのだろうか、それとも気を失っていたのか?
直近の記憶を辿る。
確か激しい揺れが襲い、天井が崩れ落ち、自分は咄嗟にナナリーを────
「ッ、ナナリー!?」
全てを思い出し、思考が正常な機能を取り戻す。
彼女は無事なのか!?
その一心で勢い良く上半身を起こした瞬間────
「くっ!?」
全身を激痛が駆け抜けた。
思わず呻き声を上げ、特に痛む脇腹を押さえる。
視線を落とし、状態を確認する。
全身複数箇所に巻かれた包帯と、点滴による投薬。適切な治療を受けた跡があった。
だが問題は素顔を隠していた仮面が外されている点だ。
もちろん治療の邪魔になるという至極当然な理由で外されたであろう事は理解している。
それでも自分は他者に素顔を晒せない事に変わりはない。
焦りを抱いた直後、声が掛けられる。
「まだ無理に動かない方が良いわよ」
聞こえてきた声に対し、反射的に視線を上げ、その先に声の主を捉えた。
ゼロレクイエム以降伸ばし始めた、人目を惹く赤みを帯びた長い髪。くっきりとした目鼻立ち、意志の強さを感じさせる瞳、健康的な魅力を持つ女性。
黒の騎士団第零特務隊隊長=紅月カレン。
彼女に対して素顔を隠すべきかとも考える。いや、今更その必要はない。意識を失っている間に、いくらでも眺める機会があったはず。そもそも彼女は確実にゼロの正体を知っている者の一人だ。
「……カレン、君が助けて──いや、それよりもナナリーは!?」
そう、仮面の下の素顔やゼロの正体云々ではない。自分が今、まず尋ねなければならないのはナナリーの安否だ。
「彼女は無事よ」
迷い無く告げられたその言葉に安堵する。
「貴方が身を挺して守ってくれたおかげで軽い打撲と擦過傷だけ。その代わり貴方の方は肋骨の骨折に全身打撲、その他多数の裂傷に擦過傷。
あの状況でそれだけの怪我で済んだなんて、貴方の頑丈さには治療してくれたラクシャータさんも呆れてたわ。後でちゃんとお礼言っときなさいよ」
「……ああ」
張詰めた緊張の糸が切れたように、身体から力が抜けた。
彼女を守る事が出来るなら、例え自分の身体が、いや生命がどうなろうと構わない。
それこそが犯した罪に対する贖罪。
……間違っている。
彼女を理由に逃げているだけだ。罪を償うべき相手は彼等だけじゃない。自分が犯した罪は一生掛けても到底償えるものではない。
それが分かっていながら、自分はまた死という禁断の果実に手を伸ばした。
「それと、ありがとう」
「え……」
再び向けた視線の先で、カレンはどこか申し訳なさそうな表情を浮かべ、言葉を続けた。
「ナナリーを守ってくれて。私は何も出来なかったから……」
彼女は何も出来なかった自分に罪悪感を感じているのだろう。4年前のあの日から彼女の中では、何もしないこと、何も出来ないことが大きな罪となっていた。
だから彼女は再び黒の騎士団に戻ってきた。それが彼女にとっての贖罪なのかも知れない。
「僕はただ、自分がするべき事をしただけだ。君だって、あの場に居たら僕と同じ事をしただろ?」
今回は彼女ではなく、自分がその場に居合わせた。ただそれだけのこと。
「貴方ならそう言うと思った。でも、ありがとう」
再び投げ掛けられる感謝の言葉。
自分は感謝される立場ではない。湧き上がる罪悪感と後ろめたさが心を責め立てる。
これは彼女の皮肉、それとも自分に対して罰を与えているつもりか?
いや、きっと違う。これは彼女の本心だ。
だったら今だけはそれを受け入れておこう。
「……カレン。現状を教え欲しい」
ナナリーの無事と怪我の程度は分かった、なら次に確認するべきは今現在自分が置かれている状況。あれからどれだけの時間が経過したのかすら分からないのだから。
黒の騎士団が置かれた現状、『本物』のゼロが復活した事による世界の変化。
自分が意識を失っている間に起こった事を知る必要がある。
その上で今後の対策を考えなければならない。
ゼロが二人存在している事を知られてはまずい。取り敢えずはカレンが上手く処理してくれているようだが──自分は素性を晒す事が出来ないと言っても──このまま部屋の中に籠もっているわけにはいかない。
今後どう動くにしても、まずは正確な情報が必要だった。
「現状を教えて欲しいって言われても、どこから説明すれば良いかな……」
そう言ってカレンは手近な椅子を引っ張り、背もたれを前にして座面を跨り腰を下ろす。
容姿が女性らしくなっても、こういう少しがさつなところは4年前から変わっていない。
「まず、今日で襲撃を受けてから五日が経つわ。貴方がなかなか目を覚まさないから、ナナリーも心配してたんだから」
五日……、思ったより日数が経っている事に驚きよりも焦りを覚えた。
行動を起こすのは早ければ早い方が良いというのに、無駄に時を過ごした事になる。既に後手に回ってしまったと考えて間違いない。
「それから
カレンは天を仰ぐ。
「かなり厳しいかも」
彼女にしては珍しく弱音を吐いた。
いや、それも無理からぬことだろう。
カレンはCEOであるゼロの離叛と襲撃、漆黒の騎士の出現。また総司令=黎星刻と統合幕僚長=藤堂鏡志朗の負傷を告げる。
二人の負傷の程度は生命に関わるような物ではないらしいが、すぐに指揮を執る事は不可能だ。実質的に黒の騎士団の中枢を担っていた代表を失った影響は計り知れず、指揮系統の著しい機能低下は避けられない。体制を立て直すどころか、各部隊の隊長の尽力により、どうにか混乱を抑え、辛うじて組織の瓦解を防いでいるといった状況だろう。
もっとも組織運営や構成員の心理的な問題だけではない。
「蓬萊島の被害は?」
突如襲った激しい揺れ、それに伴う施設の崩壊。あれが『彼』によって引き起こされたものである事は紛れもない事実。
もし自分達の命を奪う事が目的だったなら、こうして今自分が生きている事など有り得ない。
そもそもあの場にナナリーが居合わせた事実を考慮すれば、その可能性は絶対的に排除できる。
だとすれば可能性が最も高いのは黒の騎士団に対する牽制、また組織力を奪い、本当の目的に対する妨害行動を封じる事だろう。
仮に蓬萊島の拠点機能、そして駐留していた兵力を破壊すれば、それだけで黒の騎士団の体制は大きく揺らいでしまう。
世界各国が合集国憲章を批准した条件下において、世界最強の武装組織である黒の騎士団に対し、真正面から挑む者など想定していない以上、それは仕方のない事なのかも知れない。
各国の支部から部隊を呼び戻し、組織を再編成するだけでも時間が掛かる。
ならば今回の襲撃の目的は陽動、ただの時間稼ぎか?
そんな自分の考えは、カレンとの会話で肯定される。
「23人」
唐突に告げられた数字に困惑する。
「今回の襲撃で亡くなった犠牲者の数よ。負傷者の数も三百人にも満たないわ。拠点としての機能を全て奪っておきながら、犠牲は最小限に留める。
これもゼロの起こした奇跡と呼ぶべきかしらね?」
皮肉とも冗談とも取れるカレンの言葉。
極秘会談が開催され、通常スケジュールとは異なっていたとしても、確かに犠牲者数は少ないと言っていいのかも知れない。
だが、犠牲者に多いも少ないもない。一人でも誰かが死ねば、悲しみが生まれる。憎しみが生まれる。その悲しみを、憎しみを、この世界から取り除くためのゼロレクイエムだったはずなのに……。
ゼロによる奇跡の数々は緻密に計算しつくされた演出。惨劇を包み隠し、人心を掌握するためのまやかしに過ぎない。
「……そんな物は奇跡なんかじゃない」
自然と語気が強まった。
「っ、……そうね。冗談にしては度が過ぎていたわ。……ごめんなさい。
やっぱりしばらく寝てないとダメね、頭回らなくて……。直に被害状況についての報告書が上がってくるはずだから、詳細はそれを読んで」
カレンは謝意を示し、気まずそうに視線を逸らす。
彼女を責めるつもりはなかった。睡眠を摂れていないというのも事実なのだろう。全体的にいつもよりも覇気がないとは感じていたが、よく見れば彼女の目の下には隈が浮かんでいる事に気付く。
ただでさえ彼女はゼロの側近として精鋭部隊を束ね、ダモクレス戦役の英雄──カレンもまた『裏切りの騎士』を討ち果たした英雄であると多くの者に認識されている──としての立場を厳格に貫いてきた。
今回だって彼女は自身の不安や混乱、戸惑いを押し殺し、救助活動や事後処理に当たっていた事だろう。
また離叛したゼロ、負傷した黎星刻や藤堂鏡志朗に次ぐ影響力を持つ彼女が過ごしたこの5日間を思えば、心身共に多大な負担が掛かっているのは当然のこと。弱音だって吐きたくもなるだろう。
それなのに自分は眠っていただけだ。何より自分は己の罪を贖う事しか考えていなかった。
奥歯を噛みしめ、強く拳を握り締める。
眠っていた間に放棄していた責任を果たさなければならない。
しかし問題は黒の騎士団内部だけに留まらない。
むしろ外部=世界の反応こそが、真に重視しすべき問題だと言える。
今回の事態に対して、既に合集国憲章批准国から説明を要求されているに違いない。突然の事態であり、ゼロの離叛また襲撃を事前に気付けた者は居ない。それは最高幹部の負傷の事実や、ゼロに最も近かった紅月カレンの証言、またその様子からも明確に答えられる者が居ないであろう事は分かるはずだ。
だからと言ってそれだけでは誰も納得しないだろう。責任の追及が為され、最悪黒の騎士団の解体決議が最高評議会に提出されてもおかしくない。
いや、待て。
自分はもっと重要な事を忘れている。
果たして世界は黒の騎士団を離叛した救世の英雄=ゼロを、彼が新たに率いる漆黒の騎士を受け入れたのか?
もし受け入れたのだとしたら、それによる世界の変化は?
「カレン、世界は────」
「ねえ、私からも聞いていい?」
核心を問うよりも先、逆にカレンから問い掛けられる。
「……何を聞きたいんだ」
本当は分かっていた、彼女が何を聞きたいのか。
刹那、彼女の鋭い眼光に射抜かれ、息を呑んだ。
「ゼロを名乗り、蓬萊島を襲撃したのは誰? 貴方なら知っているんじゃないの?」
彼女から迷いは感じない。知っていると決め付けているのか、それとも既にあの場にいた誰かから事実を聞いているのか。
それでも彼女は自分に答えを求めている。
「それは……」
沈黙する。
彼女は自分にどんな答えを求めているのか?
既に彼女は自分の中で答えを出しているのだろう。
そしてそれは多分正解だ。
果たして彼女は、その答えを肯定して欲しいのか、それとも否定して欲しいのか……。
確かにあの時モニターに映し出されたのは『彼』の姿だった。ただそれが本当に本人だという確証はない。姿を騙っている者や、何らかの目的で過去に撮影されていた映像という可能性もある。
しかし自分は他者が持たない、もう一つの仮説を知っていた。
世界の理を逸脱した力=ギアス。その保持者の中でも強大な力を身に着けた者は、契約者からコードと呼ばれる呪いを継承する──または奪う──事によって、不老不死の肉体を得る。
そして『彼』はコードの継承条件を満たしたギアス保持者だった。
けれど契約者である魔女=C.C.は『彼』にコードを継承する事を拒んだはず。
「答えて! 私は貴方に聞いてるのよ、スザク!!」
痺れを切らしたカレンの口から感情のまま放たれた名前。
「くっ……」
それは日本人を裏切った末にゼロを売り、仕えるべき神聖ブリタニア帝国皇帝に反旗を翻し、悪逆皇帝=ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアに忠誠を誓い、貪欲に地位と権力を求め、自らの野望の為に全てを裏切り続けた男の名前。
悪逆皇帝に並び、一部では上回るであろう嫌悪の象徴。
だが枢木スザクはダモクレス戦役で戦死し、既にこの世に存在しない人間。
いや、存在してはいけない人間。
それが『彼』との契約。
でも、もし『彼』が本当に生きていたなら、もう一度自分は……。
ありえない、あってはならない状況が招く覚悟を揺るがす甘い誘惑。
「あのゼロは────」
「そう、お兄様です」
カレンの問いに答えるべく、新たな声が室内に響く。
それは自分達とって予期せぬものだった。
『ッ!?』
二人が振り向いた視線先、そこには電動車椅子に座る女性=ナナリー・ヴィ・ブリタニアの姿があった。