そして、今回はかなり長めですが、どうか最後までご覧ください、では!
私は父の顔を知らない。
それは文字通り、容姿も知らなくては性格も知らない。それは私が物心つく頃には既に、父親という存在を証明するものが無かったからだろう。写真もなければ、アルバムも無かったし、動画というものは無かった。
それは、母が父が写っているもの、父が存在したといえるものを軒並みに焼き尽くしたからだ。しかし、母も好き好んで、そんなことをしたわけじゃない。
もし、母の心を壊してしまった出来事を語るのであるのなら、父の死こそが母を壊してしまったものなのだろうーー
ーーそう、だから、私が母を…守らなくては、と思うのは仕方がないことなのだ。
母が私をどう認識してたのかは分からない…分からないが、彼女は私に多くの愛情を注いでくれた。そんな母を、たった一人の家族を、大切な人を守りたいと思う事は間違っているのだろうか?
あの時、私が母のことを考えて、してしまった事はーー間違っていたのだろうか……?
…………もう、分からない…全てが
γ
私の母は儚く傷付きやすい少女だ。ただただ、平穏と静寂のみを欲するそんな生活の中でも、母は私を可愛がり愛してくれた。そんな母を守りたいと、母の助けになりたいと初めに思ったのは何歳の時だっただろうか?多分、物心がつく頃には、私は母を守りたいと思っていたのだろう。
だから、あの事件が起きたのはある意味、必然だったのかもしれない……
そんな私の人生を大きく変えることになるあの事件が起きたのは、私が小学校五年になった時だった。
11歳となった私だが、相変わらず彼女ーー陽菜荼以外のクラスメイトとは、仲良くなれずにいた。毎日、陽菜荼と共に図書室に通いつめている成果、成績は二人揃ってよくも対人関係については陽菜荼はごく普通で私は壊滅的であった。
そんな私はどうやら、外からの干渉に敏感らしかった。私の上履きを遊び半分で隠した男子生徒を本気で殴り、鼻血を出さした事もある。その後は、陽菜荼に促されるままに謝ったが、心の底では反省なんてしてなかった。陽菜荼が私を止めなければ、大喧嘩になっていたことさえある。そんな私に陽菜荼も手を焼いているようだったが、気が収まらない私はそんな陽菜荼の事もうっとおしかった。しかし、そんな感情を抱いたことを、私は恥じることになる。
そして、その日はやってくる……
その日はとても晴れた土曜日だった。
母と私は近所にある小さな郵便局に来ていた。母が書類を受付の人に出している間、私は近くにあるベンチに座り、プラプラと足を動かしながら、持参した本を読んでいた
「〜♪〜〜♪」
鼻歌交じりに本のページを捲ると、チリンとお客さんが入ってきたことを知らせる音が鳴る。思わず、顔を上げてみて眉をひそめた。
“このおじさん、なんかおかしい…”
それが現れたお客に私が抱いた第一印象だった。
灰色っぽい服装に身を包んだ痩せこけて、片手にボストンバッグを持った男。男の瞳は黄ばんだ白目の中央で、深い穴のような真っ黒な瞳がせわしなく動いていた。これは、のちに聞いた話だが、男はこの郵便局に来る前に覚醒剤を打っていたらしい。だから、あの深い穴のように見えたものは、単に瞳孔が異常に膨張していたのだろう。
そんな男は、私の母が居るところへと向かうと、何かの手続きをしていた母を突き飛ばす。母はショックのあまりにその場に固まり、私はその理不尽に怒りを覚え、立ち上がる。大声で、あの男に文句を言おうとした時には、男は次の行動に移っていた。カウンターに置いたボストンバッグから、黒光りするものを取り出すとそれを近くに立つ男性局員へと向ける。
“え…?あれなに、ピストル?いや、おもちゃ?ううん、あれはーー”
それが良くテレビやドラマなどで見ていた強盗だと分かったとき、私の血の気は引いたと思う。そんな私には構わず、男は枯れた声で喚く。
「この鞄に、金を入れろ!」
某然とする局員たちに男は続けて言い放つ。
「両手を机の上に出せ!警報ボタンを押すなよ!お前らも動くな!!」
そんな男の視界から離れた所にいる私は迷う。
“こういう時どうすればいいの?外に助けを呼びに行った方がいい?でもーー”
今だに、床へと倒れて動けないでいる最愛の母を置いていく事なんて、私には出来なかった。判断に迷い、無情にも時間だけは過ぎ去り、窓口の男性局員が札束を男へと差し出した時だったーー
キィーーンと、耳が痺れるような破裂音が聞こえると、私の目の前に金色の筒ーーもっと言えば、金属製の金ぴかと光る筒が転がっていた。顔を上げて、辺りを見渡すとカウンター向こうに立つ男性局員の白いワイシャツが真っ赤なシミを作っているのに気付き、恐ろしさのあまりに息を短く吸い込む。バタンと鈍い音が聞こえ、あの男性局員がカーペットの上に倒れているのに気付き、両手をギュッと握りしめる。そんな私のみみに男の怒鳴り声が聞こえてくる。
「ボタンを押すなと言っただろうがぁ!!糞がァ!!」
しかし、その怒鳴り声は裏返り、拳銃を持つ右手はよく見るとプルプルと震えているように思えた。
「おい、そこのお前!こっち来て金を詰めろ!」
「ヒィ……」
男が拳銃を向けた先には、固まる二人の女性局員が居た。
「早く来いよ!!」
二人は帯びたように、首を横に振るのみで動くことはなかった。そんな二人に苛立ちを積もらせながら、男はガンガンとカウンターを蹴り、カウンターへと拳銃を向けるが、しゃがみ込んでしまう局員たちに、男は遂に客用スペースへと向き直った。
「早くしねぇともう一人撃つぞ!!撃つぞォオオ!!!」
そう言った男が次のターゲットに選んだのは、私のお母さんだった。その瞬間、私は男に飛び掛かった。
“私が母を守らなくてはーー”
ただそれだけの行動ーー信念により、男の右手首をへと噛みついた私は、悲鳴を上げた男によりカウンターの側面に叩きつけられたが、気にしない。男が痛みのあまりに落とした拳銃を無我夢中で拾い、奇声を上げて、拳銃を私から奪いに来る男を遠ざけようとし、私は引き金を引いた。
「あが……」
悲鳴をあげて、後ろへとよろめいた男のグレーのシャツの腹部に赤いシミが広がるのを見て、唖然とする男が私へと飛びかかってくるのにまた引き金を引いた私だが、その衝撃から後ろにあるカウンターへと背中を打ち付けてしまう。しかし、それでも動きを止めない男に私は、3度目となる引き金を引きーー
「………」
おでこの真ん中に穴を開けて、倒れこむ男の息がないか確認にする。もう既に、引き金を引いた衝撃により両肩や両腕はギシギシと痛み、涙が溢れそうだったが、その痛みよりも私はある感情の方が優っていた。
“守ったーーお母さんを、私が!”
最愛の母を守れたことが何よりも嬉しくて、私は母のいる方へと振り返り、その瞳に映る色に絶望した。
最愛の母は明らかに、私へと恐怖と脅えを浮かばせていた。それに導かれるように、下へと視線を向けるーーそして、今だにしっかりとグリップを掴んでいる小さな両手とどろりとした赤黒い液体の飛沫に私は目を見開き、悲鳴を上げた……
その後の事は、正直よく覚えていない。
紺色の制服を着た大人たちに言われるままに、赤く点滅する白と黒に塗装された車へと乗せられ、その時に右肩の痛みに気付いて、恐る恐る近くにいる大人へと訴えて、今度は真っ白くて大きな車へと乗せられたこと。病院のベッドで繰り返して、女の警察官に同じ質問を聞かれたこと。母に会いたいと訴えても、叶えてもらえなかったこと……上げれば、数え切れないがそのどれもが叶うことはなく。この事件の後の生活が、その前の生活に戻ることもなかった……
γ
その事件の後、学校へと戻った私に待ち受けていたのは地獄だった。
「殺人者〜」
「うわァ、やめろよっ!血がつくだろっ、この人殺し!」
「人殺しっ♪人殺しっ♪朝田は人殺しっ♪」
「……」
もう、限界だった。
彼らは私のものに触ろうとはしない、そして私という存在がないように振る舞う。正直、慣れていたし、集団生活にも慣れていなかったので良かったーー良かったのに…。
“私はいつから、こんなに弱くなったのだろう…”
彼らに、ゴミを触るように自分のものを触られたり、隠されたり、踏まれたりされるのが我慢ならなかった。担任の先生も当てにはならない。彼らも私には関わり合いたくないのだから…。
俯き、私の周りをバカ騒ぎするクラスメイト達がただただ立ち去るのを黙って待っているとーー
「下らない奴ら」
ーーその時、凛とした声が教室に響いた。
「そんな事で、自分と詩乃を判別して、勝手に優越感に浸ってると……ハァッ、ほんと下らなっ」
隣を見ると、陽菜荼が私を取り囲んで、大騒ぎをしていた男子や遠くであざ笑うように、こそこそ話をしている女子たちに鋭い視線を向けている。
そんな陽菜荼の態度が気に入らなかったのか、一人の女子生徒が陽菜荼の机の前まで来て、逆に陽菜荼を睨みつけた。
「何?香水。あんた、この人殺しの肩を持つっていうの?」
「……」
女子生徒の言葉を横を見て、無視を決め込む陽菜荼にその女子生徒は遂に頭に血が上ってしまったようだった。陽菜荼のカッターシャツを掴み上げる。
「無視してんじゃあないわよっ!!」
「痛いんだけど。何をそんなに怒ってるの、椎名。本当の事、言われたからって頭に血を上らせてるの?そんなにカリカリしてると彼氏さんに嫌われちゃうよ〜、あっ…ごめん。彼氏さんとは、昨日別れちゃったんだっけ?」
「あんたね……っ」
「事実だろッ!いい加減、離せよッ!!」
「!?」
女子生徒の襟首を掴んでいる手を払いのけると、陽菜荼は周りの人を睨みつける。
「もう一度言うよ。君たちは実に下らない、下らない奴らだよ……。
詩乃の事をろく知ろうともしてないのに、そんな物事だけで詩乃を勝手に決めつけて、傷付けて……安易な優越感に浸っている。愚かで実に下らない、あぁ、下らないな。君たちは詩乃の事を分かろうとしたことがあるか?一度もないだろう?何故、あんな事をしなくてはいけなかったのかって、考えたことはあるか!?ないんだろうッ!!?
無いのにーー
ーーそんな下らない理由で、あたしの親友をイジメナイデクレルカナ?
」
私も初めて聞く陽菜荼の低い声に、周りのクラスメイト達は震え上がり、私や陽菜荼から遠ざかる。そんなクラスメイト達を一瞥すると、陽菜荼は更にドスを効かせた声を上げる。
「もし、同じ事をしたら分かるね………、もう次はないから…ーー分かったなら、さっさと帰りなッ」
『ヒィイイイ』
一目散に帰っていく生徒達の中で私はポカーンと陽菜荼の方を見ていた。そんな陽菜荼はというと、深くため息を着くと、いつも私へと見せる笑顔を浮かべると、私のバックを私へと差し出す。
「フゥ……。じゃあ、詩乃、あたしたちも帰ろうか?」
「うん…陽菜荼」
“流石に、陽菜荼にも…涙を流してたなんて、知られたくない…”
我慢ならずに、俯いて涙声で陽菜荼の隣へと並ぶと、袖で涙を拭い、陽菜荼を見上げる。この頃から、陽菜荼の背は止まることを知らずに伸び続けて行くのだった。
そんな陽菜荼は私の方をちらりと見ると、頬を染めて、あらぬ方向を見る。
「……」
「何を黙ってるの?陽菜荼」
そんな陽菜荼の行動に疑問を抱いた私が質問すると、陽菜荼は参ったように頭をかくと、ソッポを向き ボソッと何かを呟いたあとに、私の方へと振り返るとはにかむ。
「ん〜、そうだね………流石に、今の詩乃が可愛すぎるって言ったら、幻滅されるよな……」
「?」
「何でもないよ、詩乃。それよりも早く帰ろう、お父さんが心配してるかも」
「ふふふ、そうね。陽菜荼のお父さんって心配性だもんね」
「まぁ、それがいいところなんだけどねぇー。もう少し、あたしの事も信用してくれたっていいのにさー。詩乃もそう思うでしょう?」
「思うときはあるけど…おじさんはおじさんなりに、陽菜荼の事が心配なんだよ」
「……、………そうかね」
「そうだよ、きっと」
私の声にも、首を傾げる陽菜荼に笑いながら、私たちは帰路を歩いた……
というわけで、おしまいです。
不安に思っている点は、シノンの小学校の制服ってカッターシャツだっけ?という点です。
あと、シノンがいじめられて、涙を流していたってシーンは読者の皆様の意見が分かれるところではないか?と個人的に思っております。