卓一杯に広げられた書類の前で、いつも彼 オーラン・デュライは唸っていた。過去の戦いとはなんだったのか。そして、今自分が置かれている立場は、なんなのか。過去を纏め上げつつも彼は悩んでいた。
「どうして、いまあなたがそんなことをするのよ。もうすべては終わった話じゃない」
あの時から、ずっと一緒にいる彼女からも言われている。すべては終わった話なのだと彼もわかってはいる。獅子戦争は終わり、いつのまにかバルマウフラを娶り、子を育て、そして英雄王ディリータの知恵袋として彼の統治を助ける。自分の手の届く範囲の人々を助ける。今の生活は、彼にとって幸せといってもいいものであった。
だが、彼の中では大きな心残りがある。
自分を残して闇との戦いへ向かっていった義父シドルファス・オルランドゥのことであり、そして彼がついて行った友であるラムザ・ベオルブのことである。
彼らのように自分は、動くことができなかった。あの時の悔しさだけなのだろうか、それともその事実を書くことに使命感を覚えているのだろうか。
「オレのやろうとしていることは圧倒的に正しい。平民出の騎士見習いが騎士団を動かすようになり乱世を平定する…。わかりやすいじゃないか。民が求めてる“英雄”なんて所詮、そんなものだ。」
そのディリータの言葉に嘘偽りはなかった。確かに平民は貴族による平和よりそちらを望んでいる。それに手を貸すことに何一つ問題はない。ただこれがすべてにおいて正しい事なのかという疑問。この役目として果たしていくのは本当に正しい事なのか。
そんなことは、わからないまま彼は、獅子戦争であったことを纏め上げ、そろそろ完成が見えてくるまでに時間を費やしていた。
天秤の月の夜は、気持ちが言い秋風を窓から運んでくる。そして魚介のスープのにおいも運んでくる。そろそろ夕飯の頃合いの用だ。
「オーラン、そろそろ切り上げなさい。夕食の準備ができました。アランも待っているわ」
「おとーさん、おとーさん、ご飯食べようよ」
彼の妻の声が、居間から書斎にまで聞こえてくる。3つになった息子の声も聞こえてくる。やはりどう考えても彼は幸せである。その幸せはどんな真実よりも美しい。
(真実を明らかにするのは、別のものでもいいのではないか)
去って行った彼らも、この幸せに何も異議を唱えないであろう。ただ自分はいつかのために記録をまとめ、後世に任せよう。そう信じて日々の生活を営むことにオーランが心を変えて行くことは自然であった。今のところはだが……
彼の妻、バルマウフラはもっと現実的でであった。オーランがいないときに、彼の書類を捨て去ろうと思ったことがあるのは数度のことではない。あの時の彼によって救われた彼女は、何があってもこの生活を守りたかった。彼が私を嫌うことになったとしても、あれを世に出せば、オーランがどうなるかは、簡単に予想がつく。昔のようにすべてを捨てたくなるような人生はまっぴらごめんだったからである。そうあの時のように……
戦争が終わったとき、彼女もまた思った。何をすればいいのかわからないと。教会の手先としてディリータを監視していたのにもかかわらず、結局なにもできないまますべてが終わってしまったとき、自分の存在が何のためにあるのだろうか。どうしてもわからなくなってしまったからである。
ゼルテニア城にてディリータと面したときである。
「おまえが、教皇の送り込んだ“刺客”ってことはわかっている。オレが裏切るようなら即座にオレを殺すつもりなんだろう?」
この言葉とともに対峙した時に思ったのである。五十年戦争の孤児として死ぬ気で食べ物をあさりまわった子供の時、教会に助けられた。あの時、彼女を救ってくれた神父の笑顔は確かにキレイだった。
だが、その笑顔の裏で才に目をつけられた彼女は、人をだまし、殺す術を教え込まれて、こんなところに立っている。教会もまた持つものであり、貴族と変わらない世界しか作れないと痛感させられたのだ。そして最も彼女を重用し、信じていたはずのヴォルマルフのすべてが何か異常なものに囚われている。
それで信念を持つディリータに立ち向かえるはずもない。言われるがまま、ゼルテニア城を出て、城下をさまよっていた。ただ何もせず、宿屋と酒場を往復し、酒におぼれるだけの毎日。ろくでもない一生を過ごすしかないのは目に見えていた。
そして、ある日の酒場からの帰り道、いまだ獅子戦争の混乱が収まらないなか、彼女は南天の人物として目をつけられてしまうのも当然であった。
「オイ、そこの女。貴様、あのディリータの女じゃなかったのか?何でこんなところにいる」
酒場からの帰りの夜道、声をかけてきたのは、ベスラ要塞の決戦準備の時に一度か二度声を交わした程度の騎士である。ただその時と比べてどうにも全体的に薄汚れた印象がある。だが、そんなことなど気にせず、彼女は自分のねぐらへと歩いてゆく。もうどうでもいい過去のことだからだ。
「おい、無視をするなよ。なんだ、英雄王に捨てられたか?そりゃあお姫様のほうがあんたみたいな女と比べても上なのは間違いないからなぁ」
無視されたことに腹が立ったのか、汚い言葉とともに嘲りの笑いをぶつけてくる騎士。だが勝手にディリータの女扱いさせられ、そして捨てられたとまで言われたなら少し頭に来るのも事実ではある。
「五月蠅い。ただ一言言わせてもらうなら、ディリータに抱かれたことなんて一度もないわ。そしてあなたはこんなところで何をしているのかしら。騎士として前線を支えてきた誇り高いあなたがこんなところにいるなんて」
強い口調で、騎士をあざ笑う。この騎士もまた、本当ならばこんなところにいるはずはない。戦場から逃げてきたのか、それとも追い出されたのか。何にせよ騎士ならばまだ城にいるか、それとも戦場にいるか、まずこんなゼルテニアの平民の町にいるのはおかしい。
「所詮平民出身の英雄なんてすぐさま消えるに違いない。だからあんな英雄擬きなんかにつき従うのは御免だ。そして兵なんてほっといても死ぬような奴バカなんだ。だから一度私は一度城を去ったのさ」
そう嘯く彼もまた、ディリータに追い出された騎士だった。自分で出てきているように話しているが何か作戦でとんでもない損害をだしたようだ。独断で兵を無駄に死なせ、さらには上官批判、逆に無事にここにいること自体が幸運ともいえるようだ。
「へえ、じゃあそんなお偉い騎士様は、何で私なんかに用があるのかしら?ほっとけばいいじゃない。そんな平民の元お付なんて。それとも酒場で元騎士の風上吹かせて振られたのかしら。」
そんな自尊心の塊のような元騎士にさらに嘲りを加えるバルマウフラ。もう彼女にとってなにもかもどうでもいい世界で、打ち捨てられた一人の馬鹿が叫んでいるとしか見えないからだ。だがその言葉は、彼をさらに激昂させる。
「うるさいッ!! おまえに何がわかるッ!!」
どこかで聞いたような言葉だが、言っている人間が違うとさらに滑稽に見えてくるのが不思議である。あのときのディリータの悩みよりも小さな人間も同じことを言う。世界の小ささを感じいるのだが、返す言葉は同じである。
「男のヒステリーはみっともないわよ。」
「その言葉、後悔させてやる。身を持ってな。おいお前ら出てこい。」
バルマウフラの言葉にさらに怒りを爆発させる騎士。そしてどこからともなく出てくるごろつきたち。最初からこれが目的だったのかずいぶんな数である。
「旦那、あの女後で使わせてくれるんすよね」
「ああ、騎士と貴族をあざけった報いだ。生きてきたことを後悔させてやれ。」
下世話な顔をした男たちが、下卑な笑いをぶら下げて彼女に向かっていく。その数は8。どうにも彼女一人では厳しい相手である。だが彼女はまだ挑発を続ける。何もかもがどうでもいい彼女にとってはちょっとした刺激にしか見えないからである。
「騎士フィリップだったかしら、貴方も落ちたものね。こんなごろつきを使うなんて。家名が泣いているわよ。まああなたの家名何て元からないようなものかしらね。」
「ぐっ、やれお前ら。あの女を痛めつけてやれ」
その言葉とともに戦闘が始まった。まず待ってましたかのようにごろつきの一人が叫びながら体当たりのようにに突進してくる。手のナイフを腰に押し当てるように構えである。
だが、そんな男はすぐに体をうずくめることになる
「魔空の時に生まれた黒き羊よ 現世の光を包め!!!」
バルマウフラが杖を相手に構え相手に向けて詠唱を行う。
「グラビガ!!!!」
その言葉とともに黒球が男の前に現れる。そしてみしりと音を立てる足。それはいびつな方向に曲がっている。
「ぎゃああああああああ!!」
男の大きな叫び。また強力な魔法をみて動きが止まったごろつきに彼女は、さらに杖を向ける。
「汚れ無き天空の光よ、血にまみれし 不浄を照らし出せ!」
その詠唱を聞き、必死で逃げ出そうとするごろつきたち。だが彼女は容赦しない。
「ホーリー!!!!」
白き柱が宙より落ちてくる。そして爆発。白き光が夜道を一瞬昼間のように明るく照らしだされる。そしてうめき声をあげるごろつきたち。だがフィリップには当たっていないようで、無事盾で守り切ったようである。
「あら、まだ貴方は大丈夫なの。ただ無駄なことは分かったでしょう。このゴミどもをどこかに持ち帰って帰ってくださいな。」
そう彼女は言いながらも、杖の先をフィリップに向けたままである。圧倒したとはいえまだ敵のほうが優位なのは変わっていないからである。そしてその彼女の力を見てもフィリップもまたまったく怯えていなかった。
「なかなかやるではないか。ただ、結局はお前は平民の小娘にすぎん。やれっ」
そして、その言葉とともに飛んできたのは一個の矢であった。ただ、彼女の前からではなく、後ろからである。反応が遅れた彼女。その矢は彼女の利き腕、杖を持っている腕をピンポイントで射抜く。
「くっ。まだ終わらないわ。滅びゆ……痛っ」
「はっ。もうお得意の魔法は終わりか。ならばこれまでだな。やれっ、お前ら」
腕を射抜かれ、思うおように魔法が唱えられなくなった彼女。そしてその彼女にじりじりと血走った目で迫ってゆくごろつきたち。
「喚け、命乞いをしろ。私に逆らったことを後悔したまま消えていくがいい」
当初の目的である痛めつけることよりも、死にかけた恨みをぶつけようとするごろつき、そしてフィリップ。
(ああ、こんなところで終わるなんて、私の一生ってなんだったのかしらね)
そう悲観して、舌でも噛もうか迷ったときである。少しだけ聞いたことのある声が聞こえてきた。明りとともに現れる魔術師。その下にはすでに当身を食らわされて倒れている弓使いがいる。
「お前ら、おいっ何ををやっている!!こんなところでの決闘は許されていないぞ!!」
それはディリータの部下になることをしぶしぶ認めた男であると彼女は気付いた。バルマウフラと同じく駒として使われているだけの男。そんな男に救われるのはまっぴらだった。だから彼の言葉にも反発する。
「おい、バルマウフラ。なんで君がこんなところにいるんだよ。あいつの下で働いているんじゃないのか?」
「黙って、ほっておいて。私はもうやることなんて何もないのよ。私の人生なんだから放っておいてよ」
「そんな放っておけるかよ。俺だって何をすればいいかわからない。でもやることやるって決めたんだ。だから目の前の君を助けるんだ」
「えっ」
だが、オーランの言葉に彼女は驚いた。彼はもがくだけもがくと言い放った。自分には選べない道だが、同じはずの彼女との違い。それを思い知ったからである。
そんな会話が自分を無視して行われているのに腹が立つのはフィリップである。自尊心の塊である彼にとって我慢ならないものであった。そして彼もまた気づく。
「おい、そんなところで三文芝居なんぞ私を無視してやってるんじゃない!!!確か貴様は、あの反逆者のシドルファスの息子じゃないか。どうやって取り入ったんだ。ええッ!!」
彼からすると格上のはずのオーランも、養子であったという事実だけでもう下の存在としか見えない。さらには反逆者の息子になっているはずのオーランがまだ南天の美しいローブを着ているのがさらに気に食わない。
「俺は、俺がやりたいことをやるだけだっ!そんなこと好きに想像していろ!!何もできずにこんなところで女一人を襲う屑には難しいか!」
「いきり負ってぇぇぇッ、やれお前たち、私もあのいけすかんクソガキを黙らせる」
その言葉とともに、銀色に光る長剣を上段に構え突っ込んでくるフィリップ。そして後ろのごろつきたち。だがそれは先ほどと同じように遅かった。
「天球の運命をこの手に委ねよ 我は汝、汝は我なれば…」
その言葉とともに青い光が周囲を包む。そして降ってくる光芒。魔術の中でも最も珍しとされている光、青の光が夜道をまた照らしあげる。
「星天停止!!!」
そして、すべては止まった。彼に切りかかろうとするフィリップもその配下であるごろつきもそのままの表情で止まっている。風も吹かず、動いているのはオーランとバルマウフラだけである。
「よしっ、いまのうちだっ。あんな奴らほっとけ。こっちについてこい。」
そして腕を引っ張ってオーランはバルマウフラを連れて行く。その強い足取りに日木津られるようにバルマウフラも駆けてゆく。
「どこに連れて行く気なのよ。私はもうやれることは何もないのよ。それは分かるでしょっ!」
「そんな状態の君を見捨てられるか。まずうちで腕の治療はしてやる。それからはあとで考える。だがもう俺は枠の中でやれることをやるって決めたんだ!!」
またさっきと同じような問答を繰り返す二人。そうこうしているうちに、彼らはあっという間にある民家の前にたどり着いた。オーランがこの城下町で出歩くために使っている、民家である。
「わかったわよ。とりあえず怪我を治すのだけは受ける。そのあとは私の自由にさせてもらうわ」
「それでいい、だからまずは休め」
そうして、彼女はオーランの家に入っていった。そしてそのあともずっと彼の家にいることになっていったのであった。
一度曲げられた信念を自分なりに鍛えなおそうとしている彼は、彼女からみて救いだった。自分の存在というものを見つめなおすのは誰にだって辛い。それを必死に行う彼は光であり、そして彼女の目標、いつの間にか支えるべき存在になっていった。
だからこそ、最近のオーランは、非常に危うい。あの獅子戦争の記録集は彼の人生をかけて作り上げているものである。それが完成しようとしている。つまり彼の正義が結実しようとしているのだが、それはどう考えても彼の枠を超えている。世界の悪意が彼を奪い去って行くことが目に見えている
だから、それとなく彼女は、いつもオーランに言っている。
「私にこんな幸せをくれてありがとう。いつも感謝しているわ」
最近のオーランは、そのあたりをわかっているのか、あまりその本の話題をしない。バルマウフラは、安心していた。かれももうそんな無茶はしないだろうと……